大陸のイメージ

最近ある現職大臣が「隣の大陸」という言葉を発したとかいや言ってないとか話題になりました。「隣の大陸」と言ったら、太平洋を挟んで北米大陸もありますから、その言葉が特定の国を指すことだとは、私自身はそういう認識がありませんでしたが、SNSでは中国を指すらしく、それも卑下した感じで使用されているようです。

私の感覚では、大陸vs島国というイメージが強く、むしろ大陸という語感には雄大さを感じていたので、人によって受け止めは異なるものだなと改めて感じました。これに近いイメージとして、「大陸浪人」という呼称があります。これは、明治初期から第二次世界大戦終結までの時期に中国大陸・ユーラシア大陸・シベリア・東南アジアを中心とした地域に居住・放浪して各種の政治活動を行っていた日本人の一群を指したものです。アジア侵略に加担した日本人も含まれますが、中国革命の父・孫文を支援した熊本出身の宮崎滔天のようなアジア解放を目指した革命家もいます。ちなみに、宮崎滔天の名は、1990年代頃までの中国の高校の歴史教科書に「日本九州熊本県人」として記載されていました(山室信一著『アジアの思想史脈』)。

ただ、島国・日本に住んでいると、文字通り大陸という得体のしれない大きさが即中国というイメージがあったのかもしれません。たとえば、アジア太平洋戦争期の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、中国で行われた日本陸軍の作戦で通称「大陸打通作戦」(正式名称:一号作戦)というものがあります。日本側の投入総兵力50万人、800台の戦車と7万の騎馬を動員した作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、日本陸軍が建軍以来行った中で史上最大規模の作戦であったとされています。目的は、中国内陸部の連合国軍の航空基地占領と、日本勢力下にあった現在のベトナムへの陸路を開くこととされていました。40年以上前から熊本市と友好都市の関係にある桂林市の占領に際しては熊本で編成された師団が侵攻に加わっています。余談ですが、戦後復員した伯父は北京からタイ・バンコクまで日本一歩いた軍隊の一員として従軍していました。とにかく大陸という言葉を蔑称的な比喩として今日使うのは、それこそ島国根性の僻みみたいでみっともない気がします。

写真は、1997年9月撮影のものです。桂林の宿泊先ホテル前の公園で高齢者たちが朝から麻雀を楽しんでいました。認知症対策としては優れているのではと思えました。