写真を並べて考える

写真は、ロンドンのマダムタッソーにあった英王室の面々の蝋人形です(1993年12月撮影)。日本だと皇室の人々をこうした観光の見世物にすることは憚れるのが実情だと思いますが、英王室とゆかりの深い国々では違うというのを、オーストラリアでも感じた経験がありました。1989年12月に訪問したシドニーにある、ニューサウスウェールズ州立美術館では先住民文化の展示もあって、その中に民族衣装をまとった先住民の写真と英王室の集合写真が並べられていて起源は共通であるということが図表でも強調されていたのを覚えています。かつては先住民や移民の民族の違いによる政策があった同国だからこそ、人類史に基づく科学的な思考を大切にしていると思えました。
科学的な思考という点では、今読んでいる『帝国の計画とファシズム』で意外な資料を知りました。原資料から現代の日本語表記に変えて以下に示します。「私が初めてアメリカの土を踏みまして滞在半年の間における印象は、アメリカの非常に強大なる富の力、言葉を換えて申しますると非常に豊富な天然資源を有し巨額の資本並びに溌溂たる企業の精神というものに恵まれておりまして、アメリカの経済界は実に強大なる力を持っていると思ったわけであります。もっともアメリカも当時欧州戦後の不況の余波を受けまして経済界の不況は深刻になっておりましたけれども、我々は日本人はほとんど想像もできなかったような膨大な経済機構を持っている。これに対抗している日本経済の姿というものはあまりにもみずぼらしい。たとえば石油にいたしましてもロサンゼルス付近におきまして石油の井戸の櫓は遠くから見るとあたかも林のごとく立っている。日本の1年の石油の生産額はその付近だけで出る数日の生産額にも及ばない。あるいはアメリカの1か月の鉄の産額が200万トンである。日本では八幡製鉄所で年産100万トンを理想として数年やってきているが、まだ100万トンには達しない」。これは、1926年に米国の産業を半年にわたって視察した商工省官僚だった岸信介の発言記録です。この後の行動には評価が分れるにしても、当時のものの見方はきわめて正しいと思います。現代においては、当時の米国を中国に置き換えて日本があくなき軍拡に走って活路があるのかと考えることができるかもしれません。