佐藤卓己著『戦争の世紀を読む――ナチズムと帝国日本を超えて』(岩波現代文庫、1600円+税、2026年)は、ドイツ現代史からスタートした日本メディア史の研究者による書評集であり、総力戦と国民支配(自発的協力体制づくり)を理解するためのブックガイドと言えます。収録された書評の初出時期は1991-2026年、評者の年齢が30-65歳の期間となります。評者と私は同世代とあって、書評が執筆された時代の雰囲気・体感(異世代との関係性を含む)をよく知るため、心なしか内容がすんなり入って来る感じを持ちました。
ところで、興味深いのは、収録された書評対象本の大部分が、評者自身が選んだのではなくて依頼原稿のために、つまり書評のために読んだという点です。それと、「あとがき」で著者が自身の書評を振り返り「35年間であまり進歩があったようには思えない。ただ、私は人類の進歩など信じない歴史家なので、それは以て瞑すべしなのだろう」と書いていた点が意外でした。私自身もここ35年間で何か進歩があったかと問われれば、自信はありません。それより気になるのは、年齢を重ねるごとに残りの人生は確実に短くなっていくので、できることなら読むに価する本だけに出合いたいという思いが強いです。読んでみないと、つまりある程度無駄読みしないと、その機会が生まれない点も重々承知しています。だからこそ、良き書き手へ誘ってくれる良き読み手の存在は、ありがたい限りです。
以下はメモ情報です。
○オイゲン・コーゴン『SS国家――ドイツ強制収容所のシステム』(ミネルヴァ書房、2001年)……収容所内の特権囚による自主管理システムについて書かれています。「過酷な生存競争の中で誰もが望む利権を手にした特権囚は、自分の地位=生命を守るためにはどこまでも冷酷にならざるを得なかった。収容者の憎悪をナチではなく同じ収容者に向けさせた自主管理システムの恐ろしさは、被差別者がより冷酷な差別者となる現代社会の多くの事例に見ることができる。」(p.60)
○ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』(講談社学術文庫、1999年)……捕虜銃殺の汚れ仕事を担った親衛隊兵士たちには飲み放題のアルコールが支給されていましたが、精神的負担に耐えられず発狂したり自殺したりする者も多く深刻な問題であったと書かれています。そのため、収容所では精神を荒廃させる行為から親衛隊員が遠ざけられました。「そこでヘスが考え出した悪魔的なシステムが、ガス室や死体焼却炉の作業をまかされたユダヤ人「特別部隊」の利用である。遺品を分類し、死体から金歯を抜き取り、灰を処分した彼らは、秘密保持のため約4か月ごとに用心深く抹殺された。」「ユダヤ人自身に残忍な任務を押しつけることで、犠牲者自身に罪の重荷を移転したのである。自分たちの代わりに非人間的な汚れ仕事を行ってくれる特別部隊に対して、親衛隊はある程度仲間意識さえ感じていた。「仕事」の合間に、親衛隊警備チームとの間でサッカーの試合さえ行われている。」(p.68)
○林芙美子『戦線』(中公文庫、2014年)……本書は、1938年9月19日から10月28日にかけて陸軍(第六師団)の漢口攻略に随行したときの朝日新聞社発行の従軍記などの復刻版です。林は内閣情報部が組織した「ペン部隊」に自ら望んで参加していましたし、従軍記掲載の契約を交わしていた朝日新聞社が取材に協力していました。1938年当時、東日・大毎(毎日新聞社)の発行部数は285万、東朝・大朝(朝日新聞社)のそれは248万でした。その後、朝日の戦争報道が優り、1941年には部数が毎日を抜いています。「文壇での成功に新聞社を利用した女性作家があり、彼女の野心を部数拡大イベントに利用した新聞社があったというだけだ。その共犯関係は明白である。」(p.186)と評者は記しています。
○山之内靖/J・ヴィクター・コシュマン/成田龍一編『総力戦と現代化』(柏書房、1995年)……「総力戦が格差是正、つまり社会的平準化を必然化させるのは、大衆に戦争への主体的参加を求めるためである。」(p.151)という指摘からは福祉国家の顔はファシズム国家でも覗かせることがあるという歴史が学べる思いがしました。
○若桑みどり『戦争がつくる女性像――第二次世界大戦下の日本女性動員の視覚的プロパガンダ』(ちくま学芸文庫、2000年)……「市川房枝ほか「進歩的」女性指導者たちが、戦時動員を女性の社会参加の機会と信じて、積極的に戦争協力を行った事実も指摘されている。」(p.188)という記述からも国民から協力を引き出す体制づくりの巧妙さを感じます。