※本稿は「令和8年熊本地震」発生直前から書き始めて2日空けて本日脱稿したものです。
英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学教授(人類学)だった米国生まれのデヴィッド・グレーバー(1961-2020年)著『民主主義の非西洋起源について 「あいだ」の空間の民主主義』(平凡社ライブラリー、1700円+税、2026年)に所収の「【付録】惜しみなく与えよ――新しいモース派の台頭」は、魅惑的な論考です。自分と他人を同時に豊かにする贈与の「喜び」と「楽しみ」について思い起こさせてくれます。
この対極にあるのが、効率的に奪うことを良しとする自由市場一辺倒のタックスヘイブン、自由港、経済特区のような社会であり、非効率的だとみなされる民主主義がない資本主義の世界に見えます。そうしたゾーン(区)は世界のあちらこちら(後掲書によれば5400カ所)に出現しています。ボストン大学パーディー・スクール教授(歴史学)であり1978年カナダ生まれのクィン・スロボディアン著の『破壊系資本主義 民主主義から脱出するリバタリアンたち』(みすず書房、3600円+税、2026年)を読むと、香港、ロンドンのカナリーワーフ、シンガポール、南アフリカ、米国内のゲーテッド・コミュニティー、未承認国家ソマリランド、ドバイ、メタバースのクラウド国といった実例を知ることができます。
国家であれコミュニティーであれ、民主主義の手続きを捨象して物事を決める会社経営者のような人物がトップを務めるような政治がまかり通っていることに気づいて発言し行動するのが、人間の人間たる所以ではないのかなと、上記の2冊と合わせて7月27日放送の、NHK・Eテレの番組「こころの時代〜宗教・人生〜 川とひとをみつめて 〜ある河川工学者の半生〜」を視聴して感じました。この放送の40分前後では、熊本県の川辺川流水型ダム建設計画も取り上げられています。この番組に登場する河川工学者の大熊孝さんは、ダム治水に対して学問的見地から疑問を呈して行動してきたことが理解できます。
https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-X83KJR6973/ep/9L5KQJ6YVP
2020年7月に発生した球磨川流域の豪雨災害についてはダム計画に反対する市民団体から次のような見方が呈されています。この災害後、国交省は「川辺川ダムがあれば浸水は6割防げた」と主張し、当時の熊本県知事に流水型のダム建設へ舵を取らせました。しかし、この豪雨災害時に、川辺川流域に局所集中豪雨が降ったわけではありません。球磨川の中流域の山地へ局所集中豪雨が降り、人吉市街地で球磨川がまだ氾濫しない時刻に支流の山田川や万江川が氾濫して多くの命が奪われています。人吉市街地を襲った大洪水は球磨川からでも川辺川からでもなく合流点でつくりだされたものでした。合流点の直上の低地は丸太の集積場となっており、膨大な丸太が貯木されていました。洪水によってそこから流れ出した丸太が流木となって第四橋梁にたまりダム化し、その後崩壊したのが要因と考えられます。川辺川流域の地形や地質、人吉市に氾濫を起こした洪水の原因の分析を疎かにするばかりか、事実を捻じ曲げて進められようとするダム事業の姿があります。
なお、その市民団体の試算によると、川辺川のダム建設を巡る熊本県の将来負担は620億円(熊本日日新聞7月2日記事参照)に上ると見られます。実際、過去60年間の県の負担額は526億円に上っていますが、県は完成までの負担額を試算していないとしながら、木村知事は経済波及効果があるとする立場から「負担金を支払ってでもやるべき事業だ」(熊本日日新聞7月3日記事参照)と会見で述べています。治水に役立つか疑問な事業に620億円の公金を出すよりも、流域の住民へ同額を給付した方がよほど経済波及効果も復興効果もあると考える器量は感じられません。
7月9日には熊本県民交流館パレアで開かれたシンポジウム「熊本の防災・治水を考える―地域気象データ駆動型社会への展開―」があって、防災に役立つ気象予測や緑の流域治水の研究成果・活用実績が報告されました。閉会時には後援についている熊本県の知事があいさつに出てきて、「アカデミアに対するリスペクト」を口にしつつ、「川辺川の流水型ダムは(緑の流域治水にとって)うれしい社会実装」と述べ、報告の趣旨に反する見解を平然と盛り込んだ態度に、薄っぺらさを感じました。
この知事は同職に就く直前、県職員である公益通報者に対して以下のLINEメッセージを送ったことで知られています。「内情を暴露するのは逆にブーメランになって○○さん(通報者)を刺しに来るのが既得権・旧体制のやる手段です」(熊本日日新聞7月25日記事参照)。既得権・旧体制のやり口に詳しいことがうかがえますし、刺されないために既得権・旧体制におもねる処世術が知事には身についているようにも思われます。
公益通報も民主主義の手続きの一つだと思います。効率重視の既得権・旧体制の方々からすれば、民主主義の手続きを踏もうとする人は、目障りで刺したいのかと、勉強になりました。しかし、そんな仕事に「喜び」と「楽しみ」はないでしょう。哀れに思う気持ちもあります。