祝日法第2条によれば、5月3日の憲法記念日は、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。」と定められています。したがって、憲法をめぐる学説の積み重ねや政府の解釈を振り返り、国の成長につながらない動きには抗うように心を新たにするのが、同法の定めに沿った、その日の過ごし方なのかもしれません。ちなみに同条では、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定める建国記念の日は、「政令で定める日」となっています。2月11日というのは歴史的な根拠がないばかりか、法律で定めたものではないので、政令を改正すれば変えられます。たとえば1952年の、日本国との平和条約の発効日である4月28日とかは候補の一つになると言えるでしょう。
さて、話を5月3日の過ごし方に戻すと、最近重宝しているデモカレンダーの案内で知った、第42回憲法をまもる熊本県民のつどい「日本国憲法の読み方2026」に参加しました。講師は地元国立大学の憲法学者・德永達哉氏が務められ、資料として日本国憲法全文7ページと第9条解説14ページの提供がありました。たいへん充実した内容で、ありがたく感じました。
講演の内容は、自己紹介(祖父は自民党の政治家)に始まり、憲法の前文(国民主権、平和主義)、第99条(天皇・国務大臣・国会議員・裁判官・その他の公務員の憲法尊重擁護義務)、第9条(戦争の放棄)の解説と進んでいきました。
以下は、9条をめぐる講演のポイント。
・9条が放棄したものは、「武力の行使」とその実行部隊であり、それが日本の最大の特徴。1929年の不戦条約を前提として憲法に戦争放棄条項を持つ国は約150カ国(約30カ国は軍隊を持たない非武装国家)あり、戦争の放棄を定めた憲法を持つ国が主流。同条約は当時の日本も締結していたので、日中間の戦争を「事変」と称していた。戦後の学説と政府は、9条の全体で、侵略戦争も自衛戦争もその他の戦争もすべて放棄したのだとしている。
・警察権力の範囲に留まる最小限度の実力(殺傷を目的とするのではなく妨害排除執行権限に留まる暴力)の行使は、「武力の行使」には直ちにあたらない。その発想から「自衛隊」の前身である警察予備隊が誕生した歴史がある。海上自衛隊も国境警察の規模なら許容できるという論理。「自衛隊」が違憲とならないための解釈の積み重ねがあった。
・政府の解釈では、現存の「自衛隊」を合憲であると説明しなければならない立場にある。そのため、「自衛隊」については、憲法が禁止する「戦力(敵兵の殺傷)」には至らないレベルの実力・暴力・武力の行使は、決して禁止されているわけではないと論じている(1980年政府答弁)。それが「自衛のための必要最小限度の実力」という解釈である。
・9条改憲の着地点が何かを政府は説明しなければならない。仮に、「自衛隊」を、敵兵の殺傷を業務とさせる公務員組織へと作り変えるとなれば、その公務員を担う若者をリクルートし、職務命令により、業務に服務させるために必要な手続きを構築し、その上で、暴走を制限する規範を設け、裁判制度を見直し、良心的兵役拒否など従事する公務員の尊厳を護る制度を拡充する必要が出てくる。それらの段取りも整った上で、改憲せざるを得ない旨を説明しなければならない。
こうして講演を振り返ると、いま与党が訴えていることは、とにかく9条を改憲することが目的化した歪な状況です。憲法に自衛隊を明記しないと違憲になる立法事実が何かを正直に誠実に説明すべきです。自衛隊は、本来、人命救助であるとか、国民の保護に資するよう設計されてきた公務員組織であったはずです。ハーグ条約では、敵兵の殺傷することを仕事とする公務員組織を軍隊と定義します。公務員には憲法尊重擁護義務がありますから軍隊という組織に変わるのであれば、それに属する国民は敵兵の殺傷に従事する義務を負います。そんな仕事に従事したい国民を少子高齢化が進行する国で現実的に確保できるのでしょうか。国の成長を期するのであれば、もっと賢明な道へ向かうべきです。