日別アーカイブ: 2026年4月15日

広島訪問メモ

戦争遺跡保存全国ネットワーク・広島主催ミニシンポジウム「ヒロシマ、ABC兵器をめぐって―原爆被害と毒ガス加害―」の聴講が目的で、中学の修学旅行以来、実に半世紀ぶりに広島平和記念資料館を訪問しました。当時と異なり今回訪ねた日の入館者のほとんどは外国人観光客でした。それに配慮してか、被害の実相を伝える展示では、大きなサイズの写真資料が多用されていました。実物資料を人の肩越しにしか見れないほど来館者が多いのも驚きでした。戦争で命が奪われるのは交戦国同士の国民とは限りません。核保有国の国民はもちろん世界のだれしもが、人類共通の問題として戦争や大量破壊兵器の愚かさを知るべきです。その機会として広島の教訓が果たす役割の大きさを感じました。
シンポジウムでは、『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』(集英社新書、2025年)の著者である佐田尾信作氏(陸戦隊兵士だった父が入市被爆者)による報告「軍都・軍港と西瀬戸内海の戦争遺跡」がありました。著書や当日の報告でも紹介があった、朝鮮人労務者100人ほどが掘削工事にあたった第二総軍地下壕があった「二葉山」は会場に向かうバス車窓から眺めましたし、朝鮮王族の李※(イウ)公の名が刻まれた「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を帰りに平和公園内で見てきました。李※は、朝鮮王族として生まれ、陸士45期。第二総軍司令部教育参謀(中佐)として着任中に広島で被爆し重傷を負いました。「宮様」救助のため、陸軍船舶部隊(暁部隊)の特攻兵器「マルレ」の訓練生たち(彼らも入市被爆します)が、現在の原爆ドーム近くの相生橋付近まで船で川を遡上し、収容しています。ですが、被爆翌日の1945年8月7日に似島の陸軍検疫所で死亡しました。このとき、御付武官の吉成弘が自責の念から自決しています。※は「金」+「禺」で一字。
ところで、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の造りは、亀をかたどった台座の上に碑柱が西向きに建っています。これは「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という韓国の故事に基づいているそうです。アジア太平洋戦争末期、三池炭鉱などに、朝鮮人や中国人、捕虜など約2万人が労務動員されていた大牟田には、徴用犠牲者慰霊塔がありますが、やはり亀が頭を朝鮮半島の位置する西へ向けて建てられています。