戦争遺跡保存全国ネットワーク・広島主催ミニシンポジウム「ヒロシマ、ABC兵器をめぐって―原爆被害と毒ガス加害―」が4月12日、広島平和記念資料館で行われるので、参加を予定しています。内容は、いずれもジャーナリストである辰巳知二氏の講演「今なお残る毒ガスの爪痕~禁止条約でも消せぬ戦争責任」と佐田尾信作氏による報告「軍都・軍港と西瀬戸内海の戦争遺跡」となっています。会場である資料館の展示についてもしっかり見てこようと思います。
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https://hpmmuseum.jp/
戦争は水や土壌、大気を汚染し、ひいてはCO2排出による気候変動をより深刻化させる、最大の環境破壊であり、同時に生命・身体・財産が奪われる人権侵害です。戦時はもちろんのこと、戦後の復興期についても言えることです。広島においては、原爆被害が象徴的ですが、旧日本陸軍が大久野島(日中戦争勃発後は地図から消されていました)で化学兵器を製造していたことによる被害はあまり知られていません。製造された化学兵器の多くは、配備された国内外の駐屯地近くの地中や川、海中に戦後遺棄されました。したがって、戦後それとは知らずに曝露しての被害も国内外で起こり、とりわけ国外における被害者救済が不十分であることも知られていません。
その大久野島には現在「大久野島毒ガス資料館」があり、その概要については、梯久美子著の『戦争ミュージアム』(岩波新書、2024年)で読んだことがあります。同書ではこの資料館が最初に紹介されています。悲惨なのは毒ガス製造のために働いた人(13~14歳の動員学徒1100人を含む)の中から慢性気管支炎、肺気腫、肺炎、肺がんといった健康被害に遭い、亡くなる人や後遺症に苦しむ人が多発したと言います。動員学徒に対して医療手帳の交付と医療費の支給が行われるようになったのは、1975年のことであり、棄てられた存在でした。
https://attempt.co.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/kakehashi.pdf
https://www.takeharakankou.jp/spot/7202/
日中戦争の時代においてすでに毒ガス兵器の使用は国際法的に禁止されていました。それを中国に配備していた旧日本軍は、国際的非難を避けるためにポツダム宣言にも違反して、終戦前後に組織的に遺棄隠匿しました。戦後になっても日本政府は被害の発生を防止するために中国へ情報提供をせず、放置してきました。そのため、たとえば川の浚渫作業中に遺棄された化学兵器を引き揚げてしまい、その作業にあたった中国国民が健康被害に遭うという事件が起こり、日本に対する国家損害賠償請求訴訟がなされたこともあります。原告の代理人を務めた南典男弁護士が実務広報学会編『実務行政訴訟法講義』(民事法研究会、2007年)の「第10章 国家賠償訴訟」やNPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金のHPで、この遺棄毒ガス訴訟を取り上げているのを読みました。原告の主張を認めた一部の判決がありますが、総じて司法も救済に後ろ向きで、つくづく戦後責任を果たそうとしてこなかった国の不正義・無情さを覚えました。
https://attempt.co.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/kokubai.pdf
https://www.miraiheiwa.org/