日別アーカイブ: 2025年12月21日

科学と歴史からの学び

昨日、グランメッセ熊本で開催されていた「県立高校 学びの祭典」と「県科学展」を見てきて、科学的思考に親しんだ高校生たちの展示や発表に接しました。主に宇土高校のそれを中心に見て回りましたが、いずれも主体的に答えを導き出した努力が感じられ頼もしく思いました。同高生徒の研究に際しては私の居住行政区が連携協力していることもあって、当区の地域課題に向き合った発表もありました。
たとえば、「学びの祭典」のステージ発表の最初に登場した、宇土高校の「山のやっかいものを海の資源に~竹炭を使った赤潮対策~」もその一つです。リーダーの生徒は中高で剣道部に所属し、使えなくなった竹刀から出る竹材を何か有効活用できないかと思ったのが、研究のきっかけと言っていましたが、当区の里山にとっても増え過ぎた竹林が土砂崩れを誘発しかねないやっかいものであるため、材料は豊富に提供できたのも後押しになったかもしれません。竹が多孔質であることに着目して赤潮の原因となるプランクトンを凝集・除去することを提起していました。同高からは他にも竹から竹油を抽出して香水を作るとか、夏場に区内のため池が白濁する原因が硫化水素にあると考えた発表もあり、興味をひきました。
なお、同会場入り口では、出展パンフレットとは別に熊本県教育委員会が制作した高校生向けの「半導体理解促進ハンドブック」が配布されましたので、これも読んでみました。半導体そのものの解説に始まり、製造工程の説明、半導体産業が必要とする人材などについて学べる内容となっています。反面、地下水保全や排水処理など負の課題については一切触れない徹底ぶりも感じました。
午後からは、くまもと文学・歴史館で開催中の「書籍に見る小泉八雲の世界」の展示をまず観覧しました。熊本在住時代の小泉八雲は、帰化前でしたので、ラフカディオ・ハーンであったわけですが、彼は宇土の「雨乞い」についても関心を示し、記したことが紹介されていました。関連の熊本県の保管文書として1875年8月16日の牧文四郎区長名の「雩(あまごい)願」が展示されていました。偶然ですが、牧文四郎といえば、藤沢周平作品の『蟬しぐれ』の主人公と同姓同名です。
その後、隣接する熊本県立図書館で開かれた「くまもと文学・歴史館長佐藤信講演会 遣唐使の交流」を受講しました。講演では、佐藤信氏が井真成、平群広成、阿倍仲麻呂、羽栗吉麻呂、大伴古麻呂、吉備真備、行賀といった遣唐使として東シナ海を渡った古代の日本人を紹介しながら、「古代の日本文化は、外の世界から文化を取り入れながら形成されてきた。閉鎖的な島国で排他的に文化を固守してきたのではなく、常に大陸・朝鮮半島や北方・南方の世界に対して交流の道を開いて、国際的文化を積極的に導入しながら、文化形成を行ってきた」と述べられました。
当時の航海はまさに命がけでした。平群広成の場合は、帰国に際して現在のベトナム南部の崑崙国へ漂着しその後唐国へ戻り中国東北部・朝鮮半島北部に位置する渤海国を経て帰国を果たすまで5年もの歳月の間、アジアの東方諸国をさまよっていました。ちなみに「平群」姓は「へぐり」と読みます。水俣病被害者互助会弁護団事務局にいる平郡真也行政書士の姓も「へぐり」と読みますので、なんだか勝手に親近感を覚えながら聴講していました。平郡さんは、溝口訴訟最高裁判決勝訴の影の立役者であり、熊本学園大学水俣学研究センター客員研究員としても活躍されています。
遣唐使が停止されたのちは商人たちによって伝えられるようになりましたし、現在の歴史教科書では江戸時代が「鎖国」とは記載されなくなったそうです。遣唐使の中には唐の女性と結婚した人もいて、その子女が海を渡った例もあります。たとえば藤原清河の娘である喜娘(778年天草に漂着)や羽栗吉麻呂の息子の翼(つばさ)と翔(かける)がそうです。「翼」や「翔」という名前は今時のイメージがありましたが、8世紀にはすでに登場していたのを知ったのも新鮮でした。吉備真備の母は渡来系の楊貴氏と言われます。そして、日本に大陸の先進文明をもたらした玄昉や吉備真備は、聖武天皇から重用されていました。
無知ならまだしも大のおとながエセ科学やエセ歴史の言説に乗せられてみっともない発言をしているのに接すると、哀れに思うことがしばしばあります。歳を重ねると経験値が増えます。それ自体ないよりはマシでしょうが、ある一人の経験は狭くそれだけを過信するのは禁物です。学校教育においても生涯教育においても科学と歴史からの学びは重要だなと改めて感じた日でした。それこそエセ科学やエセ歴史に騙されない、カモにされないためにも。
カモの写真は、くまもと文学・歴史館付近の加勢川にかかる砂取橋の上から撮ったものです。