日別アーカイブ: 2025年12月11日

燎火購入記

宇城市立郷土資料館で開催中の「終戦80年企画展 モノが語り継ぐ戦争」を先日観覧した際、同市発行の郷土誌『燎火(かがりび)』の第5号(1993年3月発行)・第13号(2006年3月発行)・第18号(2011年3月発行)に松橋空襲についての記載があることを知りました。同展観覧時に軽く目を通したのですが、同誌には他にも興味深い記事があったので、宇城市文化スポーツ課の窓口をその後訪ねて上記3部を購入してきました。
ただ、この購入手続きが代金支払いまで都合30分もかかる難儀な始末で、次の用件先に向かうまで時間が足りなくなるのではヒヤヒヤさせられるものでした。購入の流れを振り返ると次のようになります。担当部署名は事前に承知していたので、市役所本庁舎3階にある課の窓口へ直接向い、応対してくれた若葉マーク付きのネームタグを下げた職員の方に、誌名と号数を伝えた上で購入意思を示しました。すると、カウンター向い側の長椅子でお待ちくださいということなので、書庫からすぐ持ってくるのかなと思っていたら、5分ぐらいしてから領収書に住所と氏名の記載が必要なので教えてくださいと言われました。それで、職員が手持ちの付箋紙に私が住所と氏名を漢字で書いてあげました。そしたら、今度は「輝明」の読みを「こうめい」でいいですかと聞いてきたので、(宇城市では佐藤輝明の知名度もまだまだなんだなと内心少々ガックリしながら)「てるあき」ですと丁寧に答えました。
それからこの領収書(後で払込帳票を兼ねるとわかります)を印刷出力してくれるまでが非常に長く20分近くかかっていました。待機中に業務の様子を眺めると、何やらパソコンに入力したり隣席の先輩と思われる職員の確認チェックを受けたり印刷をやり直したりとたいへんそうでした。
ようやく払込帳票ができあがると、今度はそれを持って、エレベーターではなく階段利用で職員を伴い、1階の会計課へ支払うため向かうことになりました。時間が15時を回っていたため、有人窓口が開いておらず自動支払端末機を操作しての支払いとなりました。代金は1500円でしたが、これほど時間がかかる業務なのか、なんとも不思議な体験でした。
ところで、『燎火』そのものは、貴重な郷土誌として内容的に満足しました。もともとは合併前の旧不知火町の発行でしたが、他の旧松橋町・旧小川町・旧三角町・旧豊野町と合併後も誌名が継続して研究対象地域も当然のことながら広がり、一層充実したものとなったように思えました。
いわゆる松橋空襲は、松橋駅における1945年7月27日の死者が22名、負傷者が60名と多かったので、そう称されるのではないかと思います。駅名は松橋ですが同地は旧不知火町(当時不知火村)内にあります。1945年8月10日の旧不知火町塚原地区ではナパーム弾によって91軒の家屋が全焼したという記録が残っています。同日の空襲については、次の記述が『燎火』(第13号、p.73)にありましたので、紹介します。「実に痛ましいことがあった。空襲警報下、退避した防空壕が、焼夷弾で炎上した家屋内にあったために起こった惨事である。子供5~6人の内、小学生3、4人は必死の力で壕の外へ這い上がったが全身大火傷、瀕死の重傷でたえること2日の後に絶命。さらに、壕の中では、いたいけな幼児2人が抱き合ったまま、黒焦げの状態で発見された。悲運はまだ重なる。子供たちの中の2、3人は先の熊本大空襲の後、この家に疎開して来ていたのだという」。
私の母は、幼児期の1945年7月1日の熊本大空襲の半月前に当時住んでいた熊本市国府から(上記の塚原地区に近い)不知火村へ疎開し、同年7月27日の空襲も体験していますので、まったく他人事ではない史実です。