2025年度くまもと文学・歴史館館長佐藤信連続講演会「地域と交流の古代史」の1回目「上野三碑と渡来人」を6月14日、受講しました。上野三碑とは、2017年にユネスコ「世界の記憶」に登録された、特別史跡の山上碑(681年)および古墳、多胡碑(711年)、金井沢碑(726年)からなり、いずれも群馬県高崎市に位置しています。
今回の講演を聴いて現在の群馬県にあたる上野(読みは「こうずけ」)地域が、7-8世紀の時代に異国人を排除することなく迎え入れた渡来人と密接な関係があり、仏教・漢字文化や建築・繊維その他の先端技術を受容して東アジアと交流してきた開明的な社会であったことを学べ、大いに刺激を受けました。高崎市では無料巡回バス「上野三碑めぐりバス」を運行しているとのことですから、機会があればぜひ訪ねてみたいと思います。
上野三碑の存在については私も不勉強でしたが、その価値が日本で再発見されたのは、明治時代になってからなのだそうです。近世に、朝鮮通信使が多胡碑拓本を持ち帰って中国清に伝え、清の書家により楷書の手本として評価されていました。それが、明治時代になってから、清の外交官より日本の書家へ多胡碑の存在が教示されて、日本側で注目されるようになったということでした。
講師の佐藤館長は文化庁勤務歴もあるため、文化財保護行政についても詳しく、史跡がある自治体へは1件あたり240万円の交付金があると明かしていました。交付の趣旨は史跡保存のためということですが、地方財政にとっては歓迎なので、1991年から2003年まで群馬県知事を務めた小寺知事の時代は、本人が文化財を大切にする人物だったので、県民の協力も得て史跡を増やすことに奔走した逸話を紹介していました。
さらに、この講演を聴いて次のことも思い浮かべました。高崎市といえば県立公園「群馬の森」があり、2025年1月29日に朝鮮人追悼碑を行政代執行で撤去した知事がいます。このような人物だと、戦争遺跡を史跡として保存しようという意識は到底望めないだろうなと思いました。知事次第で歴史的価値評価や財政の目の付け所に差が出てくるものだなと感じます。
ところで最近は中国関連の情報に関心を持ちます(写真画像の書籍は近頃読んだものです)。中国のことは中国発の情報ではなかなかうかがい知れなくなっていると感じます。そうなってくると、時代を越えて見たり、関係先を通じて見たりすることが必要になります。中国の国土は広大ですが、国民の多くが住むのは沿岸部であり、食料やエネルギー、物流は近隣に多くを頼っています。より遠隔地との海上ルートが封鎖されれば、たちまち行き詰まってしまうのは目に見えています。したがって、いたずらに脅威論を唱えるのは現実的ではないし、崩壊の危機に怯えているのは中国自身かもしれません。
