3月20日の毎日新聞電子版で「南京大虐殺展示巡り賛否分れる 長崎原爆資料館の更新審議会」の記事を読んで、公立の戦争ミュージアムの運営の厄介さを感じるとともに、だからこそ民間の戦争ミュージアムが必要と強く感じました。
記事によると、長崎市の原爆資料館運営審議会なる議論の場があり、同館の展示内容の更新を巡る審議の中で、南京事件は「でっちあげだ」と主張する市民団体代表の委員から、同事件の記述を展示年表に含めないよう求める旨の発言があったとされます。さすがに日本近現代史の学者の委員から「『南京大虐殺は幻だ』という意見が議事録に残るのは耐えられない。従軍兵士の日記などさまざまなものの中に記録が残っている。不当に殺された市民や軍人がいれば虐殺なのであって、それを『幻だ』というのは歴史的事実として認められない」との発言があって、展示更新計画案の変更には至らなかったようです。
公立の戦争ミュージアムの運営を審議するのでさまざまな歴史観をもった人物が委員に就くことはありえるでしょうが、まともな歴史家が認めた史実を否定するような狂信的思考の持ち主が委員に入り込むのは、有害極まりないと思います。ですが、長崎市の「長崎原爆資料館条例」を確認してみると、運営審議会の委員は市長が委嘱するものとなっていて、委員の資質についての定めはありませんでした。前記の「でっちあげだ」発言をした委員は、「公益団体等を代表する者」枠の3人のうちの1人となっています。
つまり、市長の一存でエセ歴史の「有識者」も運営に携わらせることができる面が、公立施設にはあるので、よくよく監視しなければ「公益性」がない施設に成り下がる危険性があると感じます。
もっとも民間の施設とはいっても熊本県護国神社が2027年夏の開館を目指して3億円募金を始める「火の国平和祈念館」のような宗教関連施設では、戦没軍人の遺品や遺影を顕彰・慰霊するために展示するだけで、戦地での加害の歴史を振り返ることはもちろんしないミニタリー倉庫にしかならないと思われます。
必要なのは、歴史と科学の素養がある学芸員が常置し、平和構築や維持にはどう行動すべきなのかを考える材料を展示提供できる、民間の戦争ミュージアムにほかなりません。