日別アーカイブ: 2025年2月17日

『続・水俣まんだら』読後メモ

3月初旬に石風社から水俣病研究会編『水俣病にたいする企業の責任-チッソの不法行為』の増補・新装版が刊行されるにあたって、同研究会の現在の代表である有馬澄雄氏ほかの講演・対談の集まりが、2月16日、熊本大学くまトヨ講義室で開かれ参加しました。同書の初版は、第一次訴訟の渦中の1970年、裁判勝訴(訴訟派)のための準備書面に盛り込む理論として非売品として出たものです。被害発生の予見可能性がない加害者に責任を問えないとされた当時の過失論に対して、安全確保義務を尽くさなかった加害者には責任があると主張し、1973年3月の同訴訟判決で初めてチッソの加害責任が認められた原動力となりました。
この日、水俣市では水俣病未認定患者救済運動(自主交渉派)のリーダーだった故川本輝夫さんを偲ぶ24回目の「咆哮忌」が開かれていました。一次訴訟の勝訴判決後に訴訟派の患者たちは、川本さんら自主交渉派の患者たちと合流し、チッソ本社と交渉し、1973年7月、同社と補償協定を結びました。協定書調印には立会人4人(三木環境庁長官、馬場衆議院議員、沢田知事、日吉水俣市民会議会長)もおり、「以降認定された患者で希望するものには適用する」との約束が交わされました。
水俣病被害をめぐる裁判では、2004年10月の関西訴訟最高裁判決のように、国・県の行政責任が確定した画期的なものがあります。しかし、そのことばかりに注目が集まり、関西訴訟勝訴原告は認定患者となっても、判決で得た一時金的な慰謝料の賠償金のほかに誰一人、補償協定による補償(患者生存中の医療生活保障の各種手当が含まれる)は、チッソが裁判で賠償は決着済みとして締結を拒否し、受けられませんでした。これらの患者は身体の被害に加えて差別や生活苦から関西へ移住して裁判を闘うことになった方々であり、判決から20年経過した現在みなさん亡くなられています。こうしたいきさつを詳細に記録したのが、原告患者を永年支援してきた、木野茂さんと山中由紀さんの共著による『続・水俣まんだら』(緑風出版、3200円+税、2025年)です。
本書を読むと、患者との面談に応じる熊本県職員の実名発言記録も多数出てきます。その中には、水俣病対策課長や審査課長、環境生活部長を歴任した人物もいます。この人物は、現在、私の地元の副市長を務めていることもあって、特に興味深く読みました。当人の話しぶりは温厚ですが、けっして役所に不利になる言質を与えない点は徹底していて、こういう人物が役所では「有能」とされるのだなということを改めて感じました。立場が変われば仕事ぶりの評価がこうも違うのでしょう。しかし、大局的に見てその仕事ぶりは正義と言えるのか、不当な苦しみを被って一生を終えた人たちから尊敬される人物と言えるのか、というと、やはり大いに疑問です。おそらく、本市の職員で本書を読んだ「奇特」な人はいないだろうなと思います。ですが、あなた方の上司が公務員の鑑として誇れるか一度考えてみてほしいと思います。
【2025年6月24日追記】
上記で「現在、私の地元の副市長を務めている」と記した人物は、2025年3月31日をもって同職を退任しています。