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『続・日本軍兵士』読後メモ

吉田裕著『続・日本軍兵士――帝国陸海軍の現実』(中公新書、900円+税、2025年)を読むと、機械化・自動化が立ち遅れて人的負担が過重な旧日本軍の姿が露になります。加えて泥沼化した日中戦争の戦場における兵士の食料事情も悲惨でした。飯ごう炊飯においては、後方からの補給が不十分なこともあって、まず水と燃料を確保し、適当な燃料がないときは、民家や家財道具を打ち壊して薪を手にいれてから、米や副食物も掠奪して手に入れて炊飯に入る蛮行が常態化していました。中国の民衆は、通過した後には何も残さない蝗(いなご)のような軍隊という意味で、日本軍を「蝗(こう)軍」と呼んだ、とありました。もともと太平洋戦争開戦前は米国から石油を、オーストラリアからは小麦や羊毛の輸入に頼り切っていましたし、戦争遂行の経済力・工業力はありませんでした。
ところで、本書を読み終わって考えたのは、日本では戦場の実態をテーマにした映画作品がなぜ少ないのだろうかということでした。それには資金力やロケ地、国際関係・情勢の問題が関係ありそうだと思います。
戦場の日本軍兵士を描いた邦画作品の中でまっさきに思い浮かべるのは、1960年前後の小林正樹監督『人間の條件』(2部毎×3作品)や1970年代前半の山本薩夫監督の『戦争と人間』(三部作、第一部の製作費が3億5000万円)です。いずれも原作は五味川純平であり、私の場合は映画よりも三一書房から出ていた原作本で中高生時代に親しんでいました。映画の『人間の條件』が描く舞台と時代は、旧満州の1943年から1945年で、終盤にはソ連の対日参戦が出てきます。同じく映画の『戦争と人間』が描くそれは、1928年の張作霖爆殺事件前夜から1939年のノモンハン事件までとなっていますが、原作の方はアジア・太平洋戦争末期までを含みます。
上記の映画2作品とも日本軍とソ連軍との戦闘シーンがありますが、ロケ地はそれぞれ異なり、『人間の條件』(第四部)では陸上自衛隊の協力を得て北海道で、『戦争と人間』(第三部)ではモスフィルムおよびソ連軍の協力を得てロシアのヴォルゴグラードとなっています。ロシアではソ連時代から独ソ戦をテーマにした映画作品は山のようにあります。「大祖国戦争」とロシア国民が今も称する通り、敵であるファシストと闘うのは正義で当然というプロパガンダに満ち溢れている制約がありますが、戦場は自国内であり、実際の兵器がふんだんに登場し使用されます(おそらく国家的支援もあったのでしょう)。徹底したリアリズムにこだわり多額の製作費を投入するやり方は、日本ではなかなかマネできなかったと思います。
アジア・太平洋戦争における地上戦の戦場のほとんどが、戦後しばらく国交がない占領地や旧植民地であり、沖縄も映画『戦争と人間』の製作当時のころまでは米国政府の施政下に置かれていました。戦争の実態を再現するのに適したロケ地がない事情もあったかと思います。それと、第二次世界大戦後もベトナム戦争のように世界各地で戦争が次から次へと現実に起こっていましたので、日本が関与した戦争の実態が映画で再現されなくても、ニュース映像の範囲内で国内ではなんとなく戦争を「わかった」気になってしまって、わがこと感がないまま、ただ海外に可哀そうな人たちがいるという程度でしか、戦争を見てこなかったのではないでしょうか。
実際の戦場では、机上の計画通り「国民保護」が可能になることは極めて困難だと思います。そのことも知らないまま過ごしているような気がしてなりません。実写映画がない分、やはり新聞書籍やセミナーといった言葉・文字の力で伝えるしかないのかなとも感じました。