太平洋戦争末期に鹿児島県曽於市大隅町月野の海軍岩川基地から出撃した芙蓉部隊の戦没者をまつる慰霊碑「芙蓉之塔」の揮毫者が、同地を選挙区とする衆議院議員だった故・山中貞則氏であるのを、南日本新聞電子版でたまたま見かけて知りました。
同氏は、1942年に陸軍の第六師団に入営し、中国戦線で従軍します。その第六師団は、1942年暮れに南方戦線へ転出し、ブーゲンビル島(パプアニューギニア)において壊滅的な戦死者を出しますから、そのままだったら戦後の人生はなかったかもしれません(私の母方の親族も同島で戦死しています)。
氏は、第三十七師団の山砲兵中尉として終戦を迎えたようです。同師団は通称「冬兵団」と呼ばれ、大陸打通作戦で中国・山東省からタイ・バンコクまで踏破した、そのため戦病死が多い、日本一歩いた軍隊と言われています(私の父の長兄も所属しており幸い終戦翌年に復員できました)。戦後、解団して師団旗を焼いたタイ・ナコーンナーヨック県の駐屯地跡近くのプランマニー寺に慰霊碑奉賛会が納めた石碑がありますが、その碑には奉賛会長であった同氏の名前が刻まれているのを、資料でみたことがあります。
自民党「税調のドン」としての記憶が強い氏ですが、戦争体験者であることから県民の4人に1人が犠牲となった沖縄への思い入れがあり、返還や振興に尽力して鹿児島県出身者ながら沖縄県初の名誉県民にもなった人物です。今回、慰霊碑の報道で久々にその名を見たわけですが、戦争体験者から学んでいる政治家がつくづく少なくなったと思うばかりです。