月別アーカイブ: 2025年1月

声を聴いているか、説明を尽くしているか

春節祭で賑わう長崎への行きかえりの電車の中で、戦後、戦争史研究を切り拓き、牽引した藤原彰著の『中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場』(岩波現代文庫、1120円+税、2019年)を読みました。本書の大部分は書題の通り著者の従軍経験に基づいた兵士論・戦場論となっています。著者が中国との戦争に決定的な疑問を持つようになったのは、華北に駐留中の1943年3月、飢えてやせ細った中国人の母子の姿を目の当たりにしたときの体験です。「日本軍はアジア解放のため、中国民衆の愛護のために戦うのだと教えられたのに、貧しい農民たちは飢えに追いやられているではないか。それを討伐するのが皇軍の姿なのか、という疑問をもった」と記しています。大陸打通作戦に参戦した第二十七師団から転属して、敗戦間際には米軍の九州上陸を迎え撃つ機動師団の大隊長に任じられます。そのため、現在の熊本県山鹿市来民地区(敗戦直後の混乱で276人の集団自決した満州開拓民を出した地域でもある)において武装解除と復員の命令を受けたという熊本との縁もあります。
著者が歴史を学ぶことにしたきっかけは、戦場での体験にほかならず、誤った戦争をなぜ起こしたのか、その原因を究明したいという一念に駆られたからでした。軍事史研究においては旧陸海軍の資料が重要となりますが、これらの資料は敗戦後、米国が押収します。一部は後に返還されますが、これが防衛庁の戦史室に入ったままで、一部の人間以外には非公開とされます。このため、「新憲法のもとで、旧軍とは何の関係もないはずの防衛庁が、旧軍の文書を抱え込んで独占していることは筋違い」だとして、著者は米国に対する押収文書の返還と防衛庁に対する史料公開を要求する運動を1970年代の初めごろ起こします。この運動の成果で返還文書が国立公文書館に入るのですが、今度は「プライバシー」などと理由が付けられて相当の部分が非公開になってしまうといういきさつがありました。
こういった流れを見てみると、政治というか行政機関はというものは、声をあげないと動かないし、情報は出さないということが、よく分かります。最近、熊本県内においても熊本市や八代市で住民投票を求める声が上がりましたが、いずれもその実施が否決されました。ことにワンイッシューについては住民の大多数の声と首長や議会構成の多数とズレが出る可能性はあると思います。首長や議会の多数は住民投票の結果を恐れて実施しないのではなく、まず住民に賛否を問うという姿勢があってしかるべきなのではないかと思います。住民投票の結果が、首長や議会多数派の意向通りの結果となれば、手順的には最もわだかまりが残らないことになるわけで、住民投票実施の直接民主主義コストを惜しむよりも、まず声を聴く姿勢が大切だと思います。
もうひとつは政治・行政機関の説明責任です。それらが保有する情報は国民(住民)の共有財産です。可能な限り開示して、説明責任を果たすべきです。これも最近の地元の例ですが、熊本県がTSMCの工場稼働に合わせて実施する水質調査について、調査対象とするPFAS名の開示を「差し控える」などと、ふざけた回答をしたとの報道がありました。不都合なことを隠す政治や行政機関は必ず過ちを繰り返すというのが、歴史の教訓です。「声を聴いているか」、「説明を尽くしているか」が肝要だと思います。

今年4月施行予定の農政関係の新法と法改正

#食料供給困難事態対策法 #農業振興地域の整備に関する法律の改正 #農地法の改正 #農業経営基盤強化促進法の改正
本日、一般社団法人熊本県農業会議主催の「令和6年度熊本県農地利用最適化推進ブロック別研修会」に参加しました。九州農政局から令和7年4月1日施行予定の新法や改正法の説明がありました。その一部の資料画像を投稿してみます。
食料供給困難事態対策法については、立法過程において生産者から困惑の声が上がっていた、いわくつきの法律です。有事の際に食料が供給困難な事態が発生したら、政府から事業者に対して増産計画を出すよう指示できるようになっています。この計画を出さないと20万円以下の罰金という罰則もあります。
考えてみれば、有事となれば、肥料も輸入できない、物流も止まるなんてことになりますから、「はい、増産します」という事業者はいないと思います。罰則を逃れるために、「はい、減産します」という計画を出すに限ります。
国内の食料自給率はカロリーベースで38%ですが、都道府県別に見ると、まちまちです。東京はほぼゼロ%ですので飢えるしかありませんが、佐賀あたりだと95%ですので、心配な方は佐賀への移住をお勧めします。コメ・野菜・牛肉・魚・海苔・お茶…確かにいろいろありますね。
農地法の改正では、違反転用についてのペナルティーが厳格化されます。原状回復命令に従わない事業者は、その農地の筆や事業者名が世間に晒される仕組みが創られました。今までが甘すぎたってことらしいです。

『歴史的に考えること』読後メモ

宇田川幸大著『歴史的に考えること 過去と対話し、未来をつくる』(岩波ジュニア新書、990円+税、2025年)を読み終わりました。中高生といった若い世代が日本近現代史の流れをつかむには読みやすい良書だと思いました。著者は現在中央大学商学部准教授の任にいますが、研究は一橋大学社会学研究室で積まれたとのこと。同研究室と言えば、藤原彰-吉田裕の系譜をたどるだけあって、本書に接してすぐにそのレベルの高さを感じました。
著者は、「東京裁判」の研究で博士号を得ています。その筆頭審査委員は、やはり今月中公新書から『続・日本軍兵士』を刊行した吉田裕氏となっていて、「この裁判がアジアの民衆に対する戦争犯罪を軽視したことを具体的に明らかにしたことが指摘できる。その際、同じ帝国主義国である日本と連合国とが、ある種の共犯関係にあったことに注目している点に本論文のユニークさがある。」と評しています。ただ本人の言葉によれば、研究の原点は、祖父母から戦争体験を聴いて育ったことだと言います。上記書を手に取る機会がなければ、インタビュー音声もありますし、2024年7月27日の朝日新聞「交論」欄(聞き手は私の大学時代の先輩・桜井泉記者)もあります。
本書の内容は申し分ないのでここではあまり触れません。もっとも痛切に感じたのは、私たちが権力者に騙されずに平和に暮らしたいなら、優れた歴史家が必要であり、変(しばしばエセ歴史の構成作家である)な政治家や宗教家の声ではなく、確かな歴史家の考えに耳を傾けたが良いということでした。さらに言えば、そうした歴史家が生まれるには、それを導く優れた師匠の存在がなければ可能にはならないということです。私が大学生時分には、藤原彰氏が活躍されており、その名前は他大学の学生である私も承知していました。思えば、その頃は先生方も戦争体験者(藤原氏は中国戦線で従軍歴あり)が多く、まさにわがこととして研究していたのだと思います。一方で、1985年生まれという戦争体験がまったくない宇田川氏にあっても優れた研究が生まれるのですから、実に歴史家ってやつの仕事は尊いものです。
関連情報リンク
https://www.bookloungeacademia.com/283/
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/27136/soc020201400802.pdf
https://www.iwanami.co.jp/book/b458078.html
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2025/01/102838.html

※1993年8月4日の「慰安婦」制度に関する河野談話の問題点
著者は大きな進展と評価しつつも問題点を指摘している(p.171)
・主語が曖昧である。歴史学の多くの研究によって、慰安所を作り、「慰安婦」を集めた主体は日本軍であったことがはっきりしている。
・談話にある「軍の関与の下」ではなく、「軍が、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた」とすべき。
・軍だけでなく、総督府、外務省、内務省、警察などの官僚組織も「慰安婦」制度を支えていた。「慰安婦」制度が日本という国家が引き起こした組織的な性暴力であった、という点にまで踏み込む必要がある。

※「一国史などというものは本来成立せず、歴史の縦割りは、意味をなさない。歴史は輪切りにし、それを積み重ねてこそ真の理解ができる。(家近亮子『東アジア現代史』ちくま新書 p.18)

熊本になぜ民間の戦争ミュージアムが必要か

1月26日の熊本日日新聞に、菊池恵楓園入所者のハンセン病患者へ投与されていた薬剤「虹波」の人体試験が、旧陸軍の七三一部隊においても凍傷患者に対して行われていたことが載っていました。七三一部隊といえば、毒ガスや細菌兵器の開発を行う過程で人体実験を行い、多くの被験者を殺害した部隊として知られます。細菌兵器の使用や人体実験については、アジア太平洋戦争期における国際法でも違反とされていましたので、敗戦間際に書類や標本の焼却、施設の破壊を行い、徹底的な証拠隠滅を図ったとされています。
一方、冒頭の記事では触れられていませんが、七三一部隊関係者の中には、戦後、陸上自衛隊衛生学校長を務めた園田忠雄という人物もいます。しかもこの人物は、同学校が1970年1月にまとめた「大東亜戦争陸軍衛生史」(全九巻)の「監修の辞」として、「敗戦とともに消えた陸軍衛生部は、今や陸上自衛隊衛生科としてその伝統を継承することとなり、その責任も極めて重大と言わなければならない。温故知新、それは事象発展の道程であり、大東亜戦間はもとより終戦時の衛生部活躍の跡を尋ね、その業績を偲び世界に誇りうべき軍陣医学の真髄に触れることはまことに有意義である」と、書いています(参照:1973年6月19日、内閣委員会における横路孝弘委員の質問)。なお、七三一部隊所属歴がある自衛隊関係者としては、園田陸将の前任の衛生学校長である中黒秀外陸将ほか複数いることが、実名で政府委員より答弁で明らかになっていました。
横路委員の質問では、上記の「大東亜戦争陸軍衛生史」の第二巻の中に七三一部隊における凍傷に関する実験報告が出ているとの指摘もありました。その報告者の一人は戦後、京都府立医大学長を務めた吉村寿人と名指しされています。吉村は1930年に京都帝国大学医学部を卒業しています。吉村の研究班では、「虹波」の投与ではなく、民族による耐寒性の違いを調べるため、塩水に手を入れさせ水温を零下20度まで下げるなどして、異なる民族の人の手足に凍傷を発生させる実験を行ったとされています。
さらに、横路質問では「大東亜戦争陸軍衛生史」の第七巻には1月26日の熊本日日新聞の記事で氏名が出た北野政次部隊長についても触れられています。この北野部隊長自身が流行性出血熱の生体実験を行ったと記述されているようです。
菊池恵楓園入所者・長州次郎氏(山口県出身者であるための仮名?)の2015年の証言(三菱総合研究所ヘルスケア・ウェルネス事業本部まとめによる報告書)によると、1942年から「第六師団の結核の薬」という話で、宮崎松記園長の目の前で「虹波」を1日3錠飲まされたとありました。その他、注射や塗り薬などあらゆる投与方法を園長が試したことも証言しています。
宮崎は吉村と同じ京都帝国大学医学部の卒業ですが、卒業年は1924年ですので大学での接点はないようです。京都帝国大学医学部卒業の人脈と言えば、「虹波」の「波」に名前の一部が入る開発者の波多野輔久(1927年卒)もそうです。波多野は、1930年代に満州医科大学で写真感光増感用シアニン系感光色素を用いた研究を行い、これを体質改善薬として応用するという着想を得て、1939年に熊本医科大学教授に就任します。波多野輔久(はたの すけひさ)は、1930年代に満州医科大学で写真感光増感用シアニン系感光色素を用いた研究を行い、これを体質改善薬として応用するという着想を得ます。1939年に熊本医科大学教授に就任し、熊本で感光色素の研究を続けます。それが1941年、陸軍第七技術研究所の目に留まり、1942年12月から菊池恵楓園における臨床試験となっていきました。
しかし、虹波研究についての医療倫理上の問題点が指摘され、新聞報道で大きく取り上げられるようになってきたのは、2022年12月から。2010年代に行政が出した報告書が一部にあったにせよ、つい2年前からです(2006年に国立資料館の社会交流会館としてオープンした恵楓園歴史資料館に学芸員が配置されたのも2010年になってからです)。
「虹波」の人体試験をめぐる資料や証言、遺構は、戦争とリンクしたまさしく負の遺産そのものです。その厳粛な実相が指し示すのは、戦争で何が失われるのかという問いです。今を生きる人間は、その教え導きから平和堅持と人権擁護の正しい答えを出していかなければならないと考えます。
それと負の遺産と言えば戦争と同じく公害といった環境破壊もそうですが、ともすれば歴史は権力者側から見たものだけが残ります。権力者側にとって不都合な情報はたとえ残っていても個人情報保護を盾に非公開とされたり、被害者や研究者、報道機関が知らない間に廃棄されたりすることが懸念されます。そのためにも民間の戦争ミュージアムが熊本に必要だと感じています。

無知ほど怖いものはない

1月26日の熊本日日新聞「くまにち論壇」欄に北海道大学教授の岩下明裕なる人物が、日本被団協のノーベル平和賞受賞をめぐって以下の通り書いていました。「私は彼らの平和賞受賞スピーチに違和感をもった。政府に原爆被害者への補償を求め、世界にアピールしたからだ。国家の非常事態たる戦争では、皆、被害を受けたのだから我慢せよという、いわゆる受忍論を、彼らは批判したとされる。」。
これを読んで嘆息せざるを得ませんでした。昨年放送の朝ドラ「虎に翼」を視聴した方なら原爆裁判でなぜ原告が日本政府に対する国家賠償請求にいたったか、つまりサンフランシスコ講和条約によって米国に対する賠償請求権を放棄した経緯を、よく承知しておられると思います。しかし、上記の人物はこれぐらいの常識さえも持ち合わせていないようで、思いっきり無知を晒しています。
加えて本欄には「戦争を始めた国や政府の戦争責任を追及するのは当然である。だが、いかに軍国主義下だろうと、(一時期とはいえデモクラシーを経験した国の)戦争責任が100%国民にはないとは言えないと思う。自国政府の戦争責任への責めは国民もある程度は背負うべきだろう(私はウクライナ侵略に対するロシア国民の責任についていつも考えている)。」と続きます。どうやらこの人物には、先記引用文と含めて国策の過ちを国民は受忍すべきとの考えがあるようです。
当時の日本には未成年者はもちろんですが、成年女性には国政に関与する選挙権・被選挙権がありませんでした。原爆に限らず空襲などによる無辜の国民の死傷者数も膨大です。これらの人々にどのような戦争責任があったというのでしょうか。まったくもって怒りを禁じ得ません。
このような不見識な寄稿を載せる新聞社の編集の見解もぜひ聞いてみたいものです。

鉄と馬

九州国立博物館で開催中の特別展「はにわ」を観てきました。同展の目玉は「挂甲の武人」や「踊る人々」ということになるかと思いますが、見方を変えれば日本列島における「鉄と馬」の起源、武力を伴った権力の出現の歴史を実感できる展示だと言えます。
まず「挂甲(けいこう)」とは何かということですが、解説によると「古墳時代・5世紀に登場した甲(かぶと)の一種。小さな鉄板(小札)を紐で綴り合せて、人の動きに合わせたワンピース型に作り上げる。着用者は動きやすく、馬の騎乗にも適していたので、6世紀にかけて普及した。」とありました。つまり、実物は現代でも貴重な鉄からなるものです。当時は激レア資源だったので、王の墓なんかに添えるにはさすがにもったいなくて土器(埴輪)なのは自然です。それでいくと、いずれも古墳時代・5 -6世紀の鉄製品(すべて東京国立博物館蔵)であり、さりげなく展示されていた、熊本県和水町の江田船山古墳から出土した国宝3点セット 「衝角付冑」「頸甲」「横矧板鋲留短甲」の価値が、数段上とも正直感じました。
次にその形状から「踊る人々」と名付けられた古墳時代・6世紀の埴輪ですが、これも解説によると「儀礼に際して踊る姿とされるが、近年は馬を曳く姿(馬子)である説も根強い。」とありました。「挂甲の武人」が馬の騎乗に適した甲を着用していることと合わせて、ここにも馬とのかかわりが感じられます。
さて、この鉄と馬にかかわる技術・風習がどこに由来し、いつ頃からなのかというと、朝鮮半島南部からの渡来人によっておおむね5世紀ころから伝わったとされます。倭は百済や加耶からさまざまな技術を学び、多くの渡来人が海を渡って、多様な技術や文化を日本列島に伝えました。乗馬の風習も朝鮮半島から学んだもので、日本列島の古墳に馬具が副葬されようになったのも5世紀になってからです。より進んだ鉄器・須恵器の生産、機織り・金属工芸・土木などの諸技術、漢字の使用や水筒・外交文書の作成、6世紀以降の儒教や仏教の伝来など、渡来人の役割は大きいものがあります。
設楽博己編『日本史の現在1考古』(山川出版社、3300円+税、2024年)のp.161には、「日本史を学ぶ場合、いつの時代についても、周辺の国々をはじめとする各地域の歴史や、日本と諸外国との関係に目を向けていく必要がある」とありましたが、「はにわ」にも様々な地域との交流と、その影響を受けた展開を感じることができます。5世紀の鉄と馬にかかわる技術・風習の学びがなければ、王権や戦争の出現はありえなかったと思います。
戦争と馬との関係で言えば、つい80年前の近代戦争でも密接でした。山砲1門を分解した部品の輸送に際して馬6頭を必要としました。大陸打通作戦で中国・山東省からタイ・バンコクまで踏破した、日本一歩いた軍隊である第三十七師団(冬兵団)を例にとると、師団を解団する時点で、主力がいたタイで人員約1万名、日本馬約1500頭、大陸馬約2050頭、先遣部隊がいたマレー州で人員2890名、日本馬約330頭、大陸馬約220頭いたとされます。タイでは武装解除にあたった英軍から命じられてほとんどの馬を銃殺ないしは撲殺しています。一方、マレーではすべての馬が英軍に渡され、近くのゴム林へ連れて行き殺すことなく放されたとありました。
馬耳東風、馬の耳に念仏、馬子(これは人)にも衣装、馬脚を露わす、泣いて馬謖(これも人)を斬る…。古来権力者は馬に世話になりながら、なぜかネガティブなイメージのことわざに多用されている印象があります。そんなこともありまして、せめて熊本のロアッソ(これはJクラブ)は温かく応援してあげたいものです。最後はそれかいと言われそうです。

『少数派の横暴』読後メモ

平日ならさして混まないだろうと、九州国立博物館で開かれている特別展「はにわ」を観に行った往復の電車内で、共にハーバード大学教授のスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットが著した『少数派の横暴―民主主義はいかにして奪われるか―』(新潮社、2700円+税、2024年)を読み終えました。世界はトランプ政権の再登場に揺れているわけですが、それだけにそれを可能にした要因を歴史的に知り、どう対処していくべきかを知ることは、米国に限らずどこの国民にも必要なことだと思いました。
著者の見立てによると、米国は世界的に例を見ない反多数決主義的な民主主義国家になっているといいます。少数派がルールを悪用して政治を支配することが可能になっているというわけです。たとえば以下の点があります(p.227-228の記載参照)。
・有権者による直接選挙ではなく、選挙人団を経由した大統領選出なので、有権者が投票で示した多数派とは異なる候補者が大統領に選ばれる可能性がある。ゴアやヒラリー・クリントンが敗れた例が実際にあった。
・同等ではない規模の州に同等な代表権が与えられた、つまり小州バイアスが強力な定数不均衡の上院がある二院制に加えて、議会での少数派の拒否権(フィリバスター)がある。銃規制世論と議会との乖離があり、法改正につながらない。
・単純小選挙区制を採用しているため、相対多数の票を得た者たちによって多数派が形成され、ときには全体として得票数の少ないほうの政党が議会の多数派となる場合もある。恣意的な区割り(ゲリマンダー)や農村部バイアスも指摘できる。
・最高裁判事に終身在職権が与えられているため、判断が社会の変化に対応していないし、認知症となっても辞めさせるのが難しい。もともと有権者に選ばれるわけでもない。
・合衆国憲法は改正へのハードルが高い。改正のためには議会両院における絶対的多数の賛成(3分の2)に加え、4分の3の州の承認が必要。
その他にも有権者登録や期日前投票などについても問題があると指摘しています。本書では問題点を指摘するだけでなく、p.243-246にかけて具体的な処方箋も示していますし、国民の行動にも期待をかけていますから、まったく絶望の書というわけでもありません。米国建国以来の共和党と民主党の歩みの歴史(これは同時に選挙制度や議会制度の歴史でもある)を学べた点でも大いに参考になりました。

政治家は戦争体験者に学べ

太平洋戦争末期に鹿児島県曽於市大隅町月野の海軍岩川基地から出撃した芙蓉部隊の戦没者をまつる慰霊碑「芙蓉之塔」の揮毫者が、同地を選挙区とする衆議院議員だった故・山中貞則氏であるのを、南日本新聞電子版でたまたま見かけて知りました。
同氏は、1942年に陸軍の第六師団に入営し、中国戦線で従軍します。その第六師団は、1942年暮れに南方戦線へ転出し、ブーゲンビル島(パプアニューギニア)において壊滅的な戦死者を出しますから、そのままだったら戦後の人生はなかったかもしれません(私の母方の親族も同島で戦死しています)。
氏は、第三十七師団の山砲兵中尉として終戦を迎えたようです。同師団は通称「冬兵団」と呼ばれ、大陸打通作戦で中国・山東省からタイ・バンコクまで踏破した、そのため戦病死が多い、日本一歩いた軍隊と言われています(私の父の長兄も所属しており幸い終戦翌年に復員できました)。戦後、解団して師団旗を焼いたタイ・ナコーンナーヨック県の駐屯地跡近くのプランマニー寺に慰霊碑奉賛会が納めた石碑がありますが、その碑には奉賛会長であった同氏の名前が刻まれているのを、資料でみたことがあります。
自民党「税調のドン」としての記憶が強い氏ですが、戦争体験者であることから県民の4人に1人が犠牲となった沖縄への思い入れがあり、返還や振興に尽力して鹿児島県出身者ながら沖縄県初の名誉県民にもなった人物です。今回、慰霊碑の報道で久々にその名を見たわけですが、戦争体験者から学んでいる政治家がつくづく少なくなったと思うばかりです。

世界中から尊敬されない4年間の始まり

今度2度目の米国大統領を務めることになった、78歳の高齢者男性が、就任演説で以下のような演説を行っていました。
From this day forward, our country will flourish and be respected again all over the world. We will be the envy of every nation, and we will not allow ourselves to be taken advantage of any longer. During every single day of the Trump administration, I will, very simply, put America first. (この日からわが国は繁栄し、世界中で再び尊敬されるだろう。全ての国の羨望の的となる。米国がこれ以上つけ込まれることを許さない。トランプ政権下の日々、私は非常に明快に米国を第一に据える。)
気候変動対策の国際ルール「パリ協定」からの離脱に向けた大統領令への署名ひとつとっても世界にとっては迷惑きわまりない行動であって、とても世界中で尊敬されるとは思われません。この人物は、人種やジェンダーをめぐるマイノリティーに対する差別の防止についても否定的であり、こうしたヘイト志向は自国民からもまったく尊敬されないとしか考えられません。
こういう人物をおだてて他国の首脳が無理に取り入ろうとする必要はないかと思いますし、この人物におもねる巨大企業の経営者についても監視して消費者として批判することも大切なのではないかと思います。

異能人材包摂力について

昨夜放送のNHKスペシャル「岐路に立つ東京大学 〜日本発イノベーションへの挑戦〜」を興味深く視聴しました。番組では、AI研究で著名で知られ、学生たちに起業を促し、イノベーションを生む人材を育成する松尾豊教授と、マッチング理論を使って人材がより生かされる社会を目指す、経済学者の小島武仁教授の二人を軸に、東京大学の取り組みを紹介していました。一方で、シリコンバレーと連携するスタンフォード大学やAI学部をわずか1年の準備期間で創設したマレーシア工科大学についても取り上げていて、規模やスピードで日本のイノベーション人材の輩出が立ち遅れていることが浮き彫りにされていました。それと若者の早期離職の高さや就労先に対する満足度の低さが世界と比較すると、「普通」ではない点が明らかにされました。このことによって、単に東京大学だけの問題ではなくて、日本社会における人材育成・活用の停滞ぶりに危機感を覚えさせる番組内容になっていたと思います。
社会にさまざまな才能をもった人材がいることは確かですが、適切な教育を受ける機会がなかったり、受け入れてくれる組織がなかったりすることは、容易に想像できます。スターアップにしろ、既存組織での新規事業立ち上げにしろ、そのワクワク感はそれを体験したことがない人にしか分からないことだと思います。しかし、それを可能にして成長軌道に乗せるには、資金や運営管理組織、取引先も必要になります。異能人材自身が必ずしも対人コミュニケーション能力に優れているとは限りません。場合によっては事業撤退・整理をせざるを得ない場合もあります。
ほとんどの企業からすれば大博打はせず、使いやすい人を雇用して組織を存続させることに重きが置かれると思います。
番組の最後の方では、元ヤンキーの中卒のIT技術者の若者が松尾研究室に出入りするようになったのを追っていました。イノベーション人材育成の入口がいくつもあるのはいいなと思いました。結局のところ包摂する側の器量次第なのかなという感想を持ちました。

みなが知る必要のあること

最近立て続けにオックスフォード大学出版局が手掛ける「みなが知る必要のあること(What Everyone Needs to Know)」シリーズの翻訳書を2冊読みました。1冊は、ブルース・W・ジェントルスン著『制裁 国家による外交戦略の謎』。もう1冊は、ジェイムズ・カー=リンゼイとミクラス・ファブリーとの共著による『分離独立と国家創設 係争国家と失敗国家の生態』。どちらも2024年に白水社から刊行されています。
書籍の内容をここでは詳しく記しませんが、国際情勢や国際関係の報道に接したときにその背景を理解して動向の成否を考えるうえで役立つ貴重な知見を示してくれます。先を読むには豊富な歴史の知識・教訓を知らなければならないとつくづく思わされます。
ネットユーザーにとっては大変ありがたいことに、『分離独立と国家創設』の筆頭著者のジェイムズ・カー=リンゼイ氏(英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス欧州研究所研究員)は、国際関係の時事問題を短時間で解説したユーチューブ動画チャンネルの配信を行っています。無料で視聴できるので興味を持たれた方は、この動画へアクセスしてみるのもいいと思います。
https://www.youtube.com/c/JamesKerLindsay/Join

所有者不明土地を動かすには

所有者不明土地を得たいときの手段として従来は「不在者財産管理制度」がありました。私も司法書士の協力を得て同制度を使って依頼者の希望を実現したことがあります。この制度では家庭裁判所へ申し立てて専門職を管理人に選任してもらい、申立人へ権利移動の許可を得て手に入れることになります。しかし所有者不明のすべての財産を管理人は管理し続けなければなりませんから、特定の土地だけの取得に終わる場合、管理人としてはいつまでも残りの土地を管理し続けなければならない面がありました(幸い私がかかわった案件ではすべての土地の行き先が定まり管理人の管理は無事終了しました)。
今なら2023年4月から導入された「所有者不明土地管理制度」を活用することにより、特定の土地だけの購入希望者が申立人となり、地方裁判所から選任された管理人から買収の許可を得ることが可能になりました。このあたりの活用事例が1月7日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第5回」で紹介されており、たいへん興味深く読みました。
そして、この制度は一般の方だけでなく市町村長による活用も可能です。詳しくは1月8日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第6回」で紹介されていますが、行政が所有者不明の空き地や空き家を解消するため、「所有者不明土地対策協議会」を設けて対策を進める動きも始まっています。同協議会には専門職等から構成される「所有者不明土地利用円滑化等推進法人」(あらかじめ指定を受ける必要があります)が加わりますが、このような対応力のある行政をもたらすか否かも住民の声次第なのかとも思います。これもたいへん興味深く読みました。

成人の日の様変わり

新たに20歳になる住民のうち、東京都新宿区は45%、東京都豊島区は42%が外国籍の人なのだそうです。豊島区には学習院大学や立教大学がありますが、外国人留学生が増えているようで、豊島区の「20歳の集い」を取材した記事にはそれらの大学の留学生が登場していて成人の日の風景がずいぶん様変わりしているのを感じました。加えて留学生の進路希望として引き続き日本に滞在して仕事に就きたいと答える人が目立ちました。日本の世界における経済的地位はこれから先も下がる一方なのは確実ですから、こうした外国人留学生の存在はありがたい限りです。
私が成人の日を迎えたのは40ン年前で、東京都北区の式に参加しました。北区在住の有名人「ケンちゃん」こと宮脇康之さんが同じく新成人として特別に壇上で紹介されたのと、やはり壇上に陣取る全区議がいちいち紹介されていたのが退屈でしょうがなかった思い出があるだけでした。
当時は外国人留学生を見かけることはありませんでした。街中で見かける若い外国人といえば、モ○モ○教の布教活動(「クイズダービー」に出ていた外国人弁護士もやっていたやつ)をしている連中というのが通り相場でした。
外国人留学生と交流した経験と言えば東海大学にソ連政府から派遣されてきていた諸君(モスクワ大学等出身のエリートたち)を訪ねる機会があっただけです。後日その留学生の一人が米国亡命したので、交流はそれで沙汰止みとなりました(まだ冷戦下の時代だった)。

ミュージアム展示も学芸員次第

熊本県宇城市の不知火美術館で現在「元寇750年特別企画展 蒙古襲来絵詞のリアル」が開かれています。観覧料無料ということもあって2回も観覧しました。今回の展示のメインは、「蒙古襲来絵詞」の複製品ですが、正確に言えばカラーコピーとなっています。どうせ見るなら同時期に福岡県太宰府市にある九州国立博物館でまさしく東京国立博物館蔵の江戸時代の模本実物が展示されていますのでそちらがお勧めです。
不知火美術館の展示で目を引いたのはむしろ長崎県松浦市から貸し出された海底からの出土物の方で、展示解説も整っていました。これはおそらく松浦市側からの支援を受けたからだと思われました。それと、地元関連で言えば、小川町海東の塔福寺所蔵の「竹崎季長寄進状」と「竹崎季長置文」、松橋町竹崎の秋岡氏所蔵文書の「沙弥法喜寄進状」(昭和53年2月2日、県重要文化財指定)が展示されていたのですが、これらはいずれも竹崎季長本人が書き記した書状でしかも実物展示でしたからはるかに観覧価値が高いものでした。しかも熊本県立美術館の監修を受けたと思われる解説表示も備えられていました。
特に「竹崎季長置文」は、海東阿蘇神社の運営規則を季長が自ら書き定めた文書で、その口うるさい決めごとの数々は、策定者の人柄が伝わり、読むと思わずニヤリとさせられます。神社の管理がずさんな者はすぐに辞めさせて交代させろなどと書かれています。
話は飛躍しますが、現在の多くの神社が属する神社本庁の政治団体「神道政治連盟」ではLGBTの人々を不当に差別する冊子を発行しています。多くの神社(実態はスピリチュアルグッズ販売ビジネス)はこのように愚劣きわまりない者によって管理されていますので、季長の置文の精神を少し見習ったがいいかもしれません。
なお、「沙弥法喜寄進状」を所蔵する秋岡氏の現当主・廣宣氏は、県内の私立女子大の尚絅学園理事長です。30年以上前になりますが、当時熊本放送のテレビ営業課長だった同氏らとインドネシアへシンガポール経由で旅行した縁があり、今も年賀状のやりとりが続いています。廣宣氏の父・隆穂氏は旧・松橋町長。三島由紀夫を見出した蓮田善明(慈恵病院の現院長の祖父)と戦時中、同じ部隊にいました。シンガポールで迎えた敗戦後に「中条豊馬大佐の軍人らしからぬ、あまりの豹変と変節ぶりに多くの青年将校らは憤ったが、中でも蓮田の激昂は凄まじく、その集会の直後にくずれて膝を床につき、両腕で大隊長・秋岡隆穂大尉の足を抱いて、「大尉長殿! 無念であります」と哭泣した。その上、中条大佐の日頃の言動には不審な所が多かったため、蓮田は中条大佐(注:蓮田に射殺される、その後蓮田は自決)を国賊と判断した。」と、その名があります。小高根二郎編集の『蓮田善明全集』(島津書房)の中にも小高根による「昭和四十四年八月十九日、大隊長秋岡隆穂大尉、聯隊副官鳥越春時大尉出席のもと 熊本は水前寺で催された善明二十五回忌追悼會の席で、」の記述があり、名前を確認することができます。
いろいろ話が横道にそれましたが、不知火美術館の場合、施設の器は新しく小ぎれいでスタバなんかもあって集客力は優れているのですが、展示方法はどこかシロウトっぽい気がします。しっかりした学芸員がいないのかなと思わされました。
https://www1.g-reiki.net/kumamoto/act/print/print110001190.htm
https://www.city.uki.kumamoto.jp/hihyoji0/hihyoji/2268958

『企業の責任』〈増補・新装版〉出版CF

昨日から始まったCF。4000円(注:システム利用料別途)で出版計画の1冊がリターンで送られてくるのでさっそく応じてみました。
「目標額を達成した場合、『核心・〈水俣病〉事件史』(富樫貞夫著 石風社 予価2500円+税)の出版制作費に充てます。刊行は、2025年3月の予定です。」とありましたので、そちらの刊行も楽しみです。

介護難民続出への道は近い

1月10日の報道で気になったのは介護事業者倒産が過去最多となった記事。物価高と人手不足が要因とされていますが、最も倒産が多かった訪問介護については、介護報酬の引き下げという政策的な悪手が元凶といって差し支えないと思います。いわゆる団塊の世代(1947-1949年生まれ)が後期高齢者となり、これからますます要介護の人口は増えていきますが、介護難民も増えてくると考えられます。もはや稼げる国ではないので、海外から介護人材を入れるのもそう簡単にはいきません。介護保険料を払い込みする一方で、将来介護サービスを受けるのは無理かもしれないと考えて生きるしかありません。

篠沢教授に全部ではなくて

昨夜、Xで「はらたいら」がトレンドワード入りする珍現象が発生したのだそうです。平成世代には漫画「かいけつゾロリ」の原作者・原ゆたか先生と間違えそうな名前かもしれませんが、はらたいらさんといえば、昭和の名物クイズ番組「クイズダービー」のレギュラー出演者として有名なナンセンスギャグ漫画家さんです。新聞・雑誌を多読した豊富な知識に基づく正答率の高さが評判でした。
ついでに言うと、この報道のおかげで私の脳内には、やはり同番組のレギュラー出演者であった、篠沢教授の名前がトレンドワード入りしてしまいました。同番組で一発逆転を狙うときの「篠沢教授に全部」も当時は流行ったかと思います。今から41年前になりますが、その研究室におじゃまして教授にお話を伺った経験があります。このときの一番の思い出は、取材を終えて研究室から退室する際に、ドアにこれまた同番組の出演者である斉藤慶子のサイン入りセミヌードカレンダーが貼られてあったのに気付いた点でした。つまり、「斉藤慶子に全部」もっていかれたというわけです。

能登の被災から学ぶこと

1月8日の熊本日日新聞(21面)に宇土市から石川県輪島市へ支援のため1年間派遣されている職員さんのことが紹介されていました。私も以前から知る職員さんで昨秋石川県まで激励に赴きました。
能登の震災と水害の状況に接すると、公助の先細りが共助・自助の弱体化を招いてきたと思います。これから人口減少社会になっていく地方において、優良農地を開発して新築住宅を過剰に供給するのは考えものです。いざ発災となれば、既存住宅地の空家が復興の障害となりますし、老朽化によって維持管理しなければならない道路や上下水道といったインフラ設備が増えることは、確実に公助の原資を圧迫します。
新興住宅地ではコミュニティが育ちにくく、自分で自分を守れるどころではないため、ましてや他人様を助ける余裕はありません。
能登の被災状況からこれからの地域づくりを学ぶ点は多いと思います。

関さんは悶々としている

昨年は「虎に翼」や「光る君へ」といった国内のテレビドラマに親しむ数少ない機会がありましたが、いまはそれがないので、無料のネット動画でロシアのテレビドラマをもっぱら視聴しています。大学生のときに少しロシア語を学習した経験があるので、いまでもキリル文字の字面から発音を読み取る程度はできますが、さすがにロシア語字幕では筋を追うのは困難なので、基本は英語字幕に頼っています。
自動生成のおかげでロシア語音声によるドラマであっても、英語変換だと割と正しく翻訳されますが、これが日本語変換だとちょっと使い物にならなくて、ドラマの本筋から離れてすっかり空耳アワーに陥ってしまいます。
自動生成といっても翻訳対象がテキスト(文字)データであれば、なんとかなります。しかし、対象が音声データであれば、AIくんが空耳状態に陥ると、変換された原語テキスト自体のスペルが別のものになるので、当然のことながら外国語の変換テキストも空耳翻訳になってしまうのだろうと思います。
下記に空耳翻訳事例を示してみます。
ロシア語:Секи за ней кулис фраерсуется
英語:Seki behind her in the wings is being a jerk
日本語:関さんは楽屋裏で悶々としている
このように音声言語に関してAIくんが本領を発揮してくれるのはどうしても英語中心なのだろうとは思いますが、海外のテレビドラマを見ると、その土地の歴史や文化、国民性の深い部分がつかめるので、新鮮です。
ところで、特にソ連時代のロシア社会では家庭内で市民が政治的な活動をしないためにテレビでは盛んに娯楽番組(市民が良からぬことを考える時間を奪うため)を流していました。私もその当時、宿泊先のホテルでそうした番組(写真=右下は現在のウクライナ、キーウのホテルのテレビ 1989年)を見た覚えがあります。
現在は海外各地の英語ニュース番組が視聴できますので、国の権力がテレビでいくら娯楽番組を流しても市民がそれに釘付けとなるのは難しい時代になったのではとも思います。