昨日の地元紙1面の記事下広告の内容と配置には、ちょっと考えされられました。
写真左側には「外国人ヘイトではない!」というコピー入りで、特定の外国人を排斥する出版物の広告が載っています。
この出版社の経営者は、さまざまな陰謀論を信奉するずいぶん奇特な人物のようで、同社ではもっぱら怪しい健康学やスピリチュアル関係の書籍を好んで出版しています。それら出版物の著者もアカデミックな言論界では無名の人が多いようです。
https://note.com/inbouron666/n/ndcdd031a3685
思想信条の自由、出版や表現の自由はありますが、ヘイトスピーチの自由というものがあってはなりません。人権侵害を赦してはならない新聞社がこのような破廉恥な広告を載せることに、疑問を感じました。
一方、写真右側には、岩波書店の『論理的思考とは何か』や『学力喪失』の新書広告が載っています。岩波書店が発行する雑誌「世界」では今年5回に分けてノンフィクションライターの安田浩一氏による「ルポ 埼玉クルド人コミュニティ」が連載され、在日クルド人がいかに不当な差別を受けているかを告発しています。神奈川の川崎で在日コリアンの人たちに対して不当な差別デモを繰り返している連中が、わざわざ埼玉の川口や蕨まで出向いて外国人ヘイトの活動を続けていることなどを記事では明らかにしています。
私たちの社会に、ネット上のヘイトデマやヘイト本に易々と騙されるような、論理的思考ができない、学力がなくて無知な層が一定数いるのもまた事実です。それだけに、岩波新書の広告が、左隣りの出版物の読者層を揶揄しているようで、これはこれで一種の皮肉を込めた広告配置として見なければならないのかなと感じました。
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世界2025年1月号メモ
ブルース・W・ジェントルスン『制裁 国家による外交戦略の謎』(白水社、3000円+税、2024年)を読む合間に、2025年1月号の『世界』の記事を何本かまとめて読む進めたので、記憶にとどめたい記述の抜き書きは以下のように、まとめてのメモとなりました。その前に、『制裁』のP.37から次の記述を示します。「国家を維持し、反乱を未然に防ぎ、……臣民の善意を維持するための最良の手段は、敵を持つことである」。元は古典哲学者のジャン・ボダンの格言。
○「悪法と戦争 ロシア政府がチャイルドフリーを弾圧する背景」奈倉有里(ロシア文学研究者)…ロシアでは前代未聞の法が増加している。2024年9月末には、特殊軍事作戦参加者の刑事責任を免除する法律が採択された。刑事責任を免除されるだけでなく、訴訟手続きの司法段階での処罰も免除される。なんらかの罪状で逮捕された場合「被告」の状態ですでに契約兵になるかどうかの選択が可能で、戦争に参加するとなれば罪を犯した事実自体が帳消しになる。戦争参加時の勲章の授与いかんでは過去の犯罪歴までが抹消される。
○「地域社会の疲弊、マルチハザード化する災害 能登半島地震が問う災害対策の視座」廣井悠(東京大学)…自分で自分を守れない自助、コミュニティが崩壊して助ける人もいない共助、そして老朽化するのに防災投資どころではない公助という社会変化が今後は予想され、自助・公助・共助の隙間が増加して地域としての「対応力」が著しく低下する。
○「対談『光る君へ』の時代と政治」宇野重規(東京大学)×山本淳子(京都先端科学大学)…1000年前後の時代は、「怨霊」がもたらした平和な時代(山本):内戦がほとんどない時代。死刑制度がありながら、数百年の間、死刑の執行がなされなかった。暴力に対する忌避感とか嫌悪感があった。恨みを抱いて亡くなった人は死ぬと怨霊になって、強大な力をもって仕返しするという「負の連鎖」を知っていた。恋愛力が政治を変える?(宇野):政治の只中にあった人が、武力とか暴力を使って政治権力を得るのではなくて、恋愛の力で既存の秩序をひっくり返してしまう痛快さ。源氏物語が示す人徳・調整力(山本)・政治的なアート=技(宇野):異なるものの見方とか、利害を持っている人たちが共存するためにどうやって知恵を出し合っていくかが、本来の政治。敵対した相手を殲滅するとか、否定することを目的にしている政治は本来の政治ではない。日本型組織と摂関政治(山本):名前のある長を、お飾りのように置いて、実質的にやっていくのは番頭さんたちという、中心の空洞化が日本の組織の特徴=摂関政治(自分の娘を魅力的にする必要があるので文化的あるいは美的に素晴らしい娘に育て上げることを実行)。
○リレー連載「隣のジャーナリズム」欄「戦争を書く 自分を疑う」前田啓介(読売新聞記者)…2025年は終戦から80年にもなる。戦争の時代を再現するという営みは、今を生きる体験者の証言から、記録された証言の丹念な渉猟へと変えていくべき時期に来ているのではないか。
○「夜店」欄「変化のなかの『本の街』 神保町という現象」スーザン・テイラー(人類学者)…大学院レベルの研究では、しばしば❝So what?❞つまり「だから何なのか」という問いが投げかけられる。
たかが読者だが
読売新聞については新年号だけ購入するぐらいで、普段は同紙から敵視される朝日新聞のたかが読者を永年続けている私ですら、昨日亡くなったナベツネ氏の存在は良く知っています。40年以上前になりますが、実物は一度だけ見たことがあります。青山学院大学で開かれた読売新聞のマスコミセミナーの挨拶かなんかで、当時専務だった氏が登壇した覚えがあります。当時は中曾根康弘政権で、その頃から氏が首相と昵懇だったのは公然の事実でしたので、「社会の公器」と言われる新聞社幹部でいながら、いわば権力の走狗となっている人物のツラだけ見てやろうという気持ちがあったのだろうと思います。
それとこれも同時期の読書遍歴からの記憶ですが、在日朝鮮人二世の小説家である高史明の著書『生きることの意味』のなかで、共に戦後日本共産党に入党歴のある高史明とナベツネとの接点が書かれていて、路線対立から高らが属していた山村工作隊にナベツネが拘束されて謀殺されかかったところを、高が救った逸話もあって、何かと印象が強い人物です。
本日の朝日や共同通信の評論を読むと、権力者・独裁者という側面に焦点が多くあたっています。資質的にそういう面があったのだろうと思います。逆にその源泉はなんなのだろうと考えます。氏も東京大学在学中に従軍経験があって旧軍内での初年兵いじめを受けています。開戦から敗戦にいたる政治指導者の責任に対する氏の厳しい言葉からも、エリートの知性に対する強烈な期待感、渇望がうかがえます。これもよく知られる逸話ですが、国立国会図書館を最も利用した中曾根康弘氏とナベツネ氏は、毎週読書会を行う仲でした。そのこともあって、他の政治家や新聞記者、ましてや読者がバカばかりに思えて仕方がなかったのだろうと思います。その結果が、たかが読者連中への憲法改正草案を示す驕りだったのではないかという気がします。読売新聞にとっては、今回ナベツネの重しがとれていくらかでも論調が自由になることを期待します。
それと、憲法改正草案を作成したエリートとして現在の自衛隊トップ・吉田圭秀統合幕僚長についても注目したがいいと思います。『世界』2024年12月号の水島朝穂早稲田大学名誉教授による論考「『軍事オタク』首相の思考法を読み解く」は、2004年の石破茂防衛庁長官時代に、現在の中谷元防衛大臣が、当時陸幕防衛班長の吉田圭秀二等陸佐に改憲案を起草させたことがあると指摘しています。その案には、軍隊の設置と権限が明記され、「集団的自衛権を行使することができる」という文言も含み、国家緊急事態の規定のほか、軍刑法や軍事裁判所、国民の国防義務まで明記されていたとあります。水島氏は条文としては未熟と評していますが、単なる軍事オタクの防大出にはできない、東大出の吉田氏だからこそできた芸当だと思います。幕僚監部の防衛班長(二佐)、防衛課長(一佐)、防衛部長(陸将補)とキャリアを積む幕僚長候補の超エリートを指して「三防」という言葉が自衛隊にはあるそうですが、吉田氏はまさにその後「三防」のコースを歩んでいます。
自衛隊については前防衛大臣が指示した特別防衛監察の結果がうやむやのままです。新聞が果たす使命は、そうした権力や組織への不断の監視しかないのだろうと、たかが読者、されど読者は考えています。
データつまみ食いの陥穽
エマニュエル・ドットの『西洋の敗北』を読み終わりました。本書の前に読んだピーター・ゼイハンの『「世界の終わり」の地政学』と比較すると、米国とロシアについての見方が対照的なので、その点がもっとも印象的でした。結論が異なるには必ずワケがあります。結論を補強する指標の集め方に違いがあるのか、同じ指標でも重視するポイントに違いがあるのかです。政治や経済、社会については、自然科学の実験とは異なり、再現して証明することができません。どうしても既存の指標をどう読み取るかで、対象の見え方が違ってきます。
トッドは、米国の実態を弱く捉え、ロシアのしぶとさ、したたかさを強く考えていますが、ゼイハンはまったく逆です。でも、どちらも首肯できる点があります。トッドは、実体経済、ことに工業生産やそれを支えるエンジニア人材の層の指標を重視しているように思えます。ロシアの人口は日本よりちょっと多いぐらいですが、2倍以上の人口を持つ米国よりエンジニア人口の絶対数は多いので、意外と工業生産力はあり、継戦能力が高いと、トッドは見ています。一方、米国内の政治家や弁護士、銀行家といった人材は、およそ生産性のない寄生虫集団呼ばわりしています。
しかし、ロシアのネックは人口の割に国土が広すぎる点です。領土を広げても安定的な統治管理は困難を極めます。その点、米国にはエリートの移民を引き付ける力があります。トッドの著書によれば、米ハーバード大学に占める学生の属性はかつてユダヤ系が高かったのですが、現在はアジア系が最も多くを占めています。米国人の学生がロースクールやビジネススクールへ向かう一方で、米国での2001~2020年の博士号取得者数のベスト10には①中国②インド③韓国④台湾⑤カナダ⑥トルコ⑦イラン⑧タイ⑨日本⑩メキシコとなっており、隣国のカナダとメキシコを除くとアジアの出身者が多いことがわかります(p.303)。しかもアジアの出身者は工学系あるいは科学系の博士号の取得比率が高いのが特長です。トッドが示す指標からむしろゼイハンの主張がより納得できる思いがしました。
ちょうどけさの新聞では経産省試算による2040年の発電コストを報じていて、それでは二酸化炭素対策コストがかさむLNG火力が原発より割高とされていましたが、核のごみ処理コストなどは考慮されていないようで、見掛け倒しの数字の疑念も抱きました。
同じように判決文も読み方次第でいかような主張もできます。やはりけさの新聞で、首相は八幡製鉄事件最高裁判決を引き合いに企業献金全面廃止は違憲だといっていますが、ある憲法学者は用途限定ない企業献金は禁止可能と判決文から読み取った旨を寄稿していました。
データつまみ食いの陥穽とならないよう気をつけたいものです。
AI、原発、避難計画の無理
最近はリアルなタレントではスキャンダルリスクもあるため、AIタレントの起用が増えてきているそうです。日頃、いろんな方の情報に触れますが、一つの情報だけではなくて周辺情報を含めて判断しないと、安易にその人物を信用してはならないなと、思うことが多々あります。またそうした判断はなかなかAIには難しいのではないかと思います。
いくつか今月出合った事例を挙げます。ひとつめは市の広報紙で秋の叙勲者を紹介していたのですが、その方が居住している地域ではリサイクルゴミを分別せずに収集場所へ毎度持参するトラブルメーカーとして有名なので、せっかく受賞されたけど、周囲で祝ってくれる人がいるのかなと思いました。二つめは地元紙の読者投稿欄に小学校で戦争講話をしているとか、平和が大事と訴えた方の例。その方は地方議員もしているのですが、核兵器禁止条約の批准を求める意見書採択には反対票を投じていたことを知っているので、非戦・不戦の本気度がどの程度か疑問でした。
三つめは全国紙のインタビューで原発の新増設を主張していた早稲田大学教授の例。この方はある経済誌勤務時代に他の全国経済紙の記事を盗用したほか、勤務先に無断で自分が代表を務める競合会社を作り、そこを受け皿として勤務先の取引先(その後取締役に就任し総務行政との仲立ちにも活躍)から報酬を得ていました。経済誌を退社後は、東電管内利用者と東電福島第一原発事故被害者をいがみ合わせる原子力損害賠償制度のスキームを構築した経産官僚を高く評価する本を出版して原子力ムラへ食い込み、以降、原子力推進の論陣を食い扶持にしているようです。
12月7日に半径30km圏内に約45万人が居住する島根原発2号機が再稼働しましたが、避難の指揮をとる県庁自体がわずか10km圏内にあるのですから、事故発生となれば避難対応ができるとは限りません。たとえ避難ができても原発事故により放射能汚染を受けた元の居住地へ帰還を果たすことはできません。このように再稼働さえリスクは高いのに、わざわざ新増設まで主張するとは、その発言の先には人の命も財産もまったくありません。
12月7日に放送された下記の番組は良質だとおもいました。
ETV特集 生誕100年 映画監督 岡本喜八が遺(のこ)したもの
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/EMXM874P3P/
NHKスペシャル “国境の島” 密着500日 防衛の最前線はいま
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/P2GLM241J5/
戦場体験者としての源了圓
アジア・太平洋戦争期の大陸打通作戦に参加した冬兵団の初年兵だった松浦豊敏氏について昨日投稿しましたが、旧制宇土中学校で松浦氏の5年先輩にあたる東北大学名誉教授・源了圓氏の戦場体験についてもメモを留めたくなりました(松浦氏1943年3月卒業、源氏1938年3月卒業)。
2020年9月に100歳で亡くなられた源了圓氏の専門は、近世日本思想史。没後翌年の2021年に中公文庫から出た著書『徳川思想小史』には、初出の2007年刊の中公新書版にはないエッセー「自分と出会う」が増補されています。氏は、京都大学在学中に学徒出陣により兵役につくのですが、海岸を歩いていたときに背面から米軍機が接近し、一瞬かがんだ頭の先に機銃掃射を受け、危うく命を失いかける体験をしたことを、そのエッセーの中で明かしていました。
20代前半で「死」を強いられかねない体験が、その後の人生に大きく影響を与えたことは、エッセーのタイトルからも容易に感じ取れます。
戦後復学し、歴史学者の道に入られて、おかげで私が高校生のときは、氏が執筆された「倫理・社会」の教科書で、しかも氏と旧制中学時代の同級生の法泉了昭先生から学びましたが、このエッセーに書かれたことについてももっと早くに学べていれば良かったとも感じます。
地獄の戦場参千粁
先月菊池市内で開催された「空襲・戦跡九州ネットワーク」の集まりに参加した際に、事務局の高谷和生さんから歩兵第二二五聯隊歩兵砲中隊初年兵戦友会が私家本として編集出版した『地獄の戦場参千粁』を頂戴し、さっそく読ませていただきました。同連隊は、旧日本陸軍の第三十七師団(本拠地は山西省に置く通称「冬兵団」、1944年4月からの大陸打通作戦参加時より防諜名「光兵団」)に属し、主に熊本県出身者からなる部隊です。記録をまとめた初年兵たちは1944年11月に熊本で入営し、中国に渡った後は先行して南下する本隊を追いかける形で行軍を続けます。最終的に初年兵たちは編入を果たせず、終戦をベトナムで迎えます(本隊はタイで迎えたので延べ8000km、日本一歩いた部隊の一つです)。ベトナムやタイからは終戦翌年に復員しますが、戦死者以上に戦病死者が多く合わせて1629名が命を落とすほど損耗が過酷だったと記録されています。
本書を読んで身近だった2人の人物を思い浮かべました。ひとりは6年前に亡くなった伯父です。亡伯父は、本書執筆者と同じく歩兵第二二五聯隊の通信中隊に所属していましたが、この方々より入営が早かったので終戦時はタイにいたようです。復員してみて終戦直前に実家が空襲で焼失していたことを知ったと聞いています。こうした例は本書に登場する初年兵の郷里でもあり、八代の王子製紙や水俣の日本窒素(初年兵の父が従業員で機関砲を受け亡くなったことも書かれていました)の空襲被害の話が触れられています。
そして、もう一人は、私と交流があった故・松浦豊敏氏。本書内に参考文献として同氏著の『越南ルート』が紹介されています。現在の宇城市松橋町出身の松浦氏は、私の伯父と同じく1925年(T14)5月生まれですが、入営したのは上記書執筆者の歩兵砲中隊の方々と同じ1944年11月でした。所属はやはり冬兵団の山砲兵第三十七連隊の初年兵で、終戦はベトナムで迎えられました。そのため、歩兵砲中隊の初年兵らと同じ船で復員されていたことを本書で知りました。松浦氏の場合は、入営までの経歴が特異です。旧制宇土中学卒業してすぐに山西省太原に渡り、山西産業に入社します。同社は鉄鉱・軽工業製品を扱う国策会社で、諸勢力の動静を探る特務機関でもあり、松浦氏は同社の特務課に所属していました。なお、同社の社長は張作霖爆殺事件の首謀者とされた河本大作です。『越南ルート』の初出は1973年刊の同人誌「暗河」ですが、2011年に石風社から出した同名の単行本に所収の自伝的小説「別れ」においてこの山西産業時代のことを描いています。
復員当時20歳前後の青年たちにとって「死」はすぐ傍にあり、しかもそれが国策で強いられたものであったことを命がけで日々体感したと思います。それだけにこの世代の方々のその後の人生の歩みを見ると、分野の違いはあっても、物事を所与のものとして捉えない精神が強靭だと思える面があります。いまさらですが、もっともっと学べることがあったのだろうと思います。