日別アーカイブ: 2024年10月14日

心平気和

心平気和。「心(こころ)平(たい)らかに気(き)和(わ)す」と読むそうで、心が落ち着いていて、争いを起こす気が全くない様子を指す言葉のようです。この扁額をどこで見かけたかというと、現在は温泉が休業中ですが、不知火温泉センター内の大広間でした。10月13日に参加した、旅のよろこび主催の「第6回くまもと戦争遺産を巡る旅」の昼食会場がそこだったからです。1999年に亡くなられた福島知事の書による味わい深いいい言葉ですから、あまり人目につかないのはなんとももったいないなと感じました。
さて、この旅で訪ねた中から3カ所を取り上げ、メモを記しておきます。

1.旧陸軍隈庄飛行場跡(熊本市南区城南町)
祈念碑(裏の碑文部分のプレートが割れているのは熊本地震で倒れたため)がある火の君文化センターやアイシン九州も当時の飛行場敷地内にあるというのを初めて知りました。当時の痕跡がまったく確認できない場所がある一方、くまもと南部広域病院職員駐車場のように機体の待機所(エプロン)をそのまま利用しているため、舗装が当時のままというところがありました。同様に飛行機格納庫の基礎部分をそのまま利用して住宅を囲む塀が設置されているところがありました。なお、後年映画俳優となる三船敏郎さんは敗戦を同飛行場で迎えました。
2.旧国鉄永代橋梁(宇城市松橋町)
鹿児島本線複線化に伴う付け替えにより現在は廃線となっている鉄橋跡です。1945年の松橋(宇土・川尻も一部含む)の空襲による爆弾痕跡と機銃弾跡が橋脚に確認できます。橋脚に使われている煉瓦は、明治時代に旧宇土藩士族らが設立した自助社で製造したものである可能性が高いと思います。(宇土市築籠町の船場川にかかる三角線の橋梁に使用されている煉瓦が自助社製です。その橋梁は開業から125年経った現在も使われています)
3.旧陸軍船舶部隊物資壕(宇城市三角町)
旧陸軍船舶部隊は通称「暁部隊」。この部隊については、2021年7月に出版された、堀川惠子著『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』が詳しいです。この壕には軍隊被服や食糧(乾パン、牛缶、砂糖等)が収められていたようです。戦後は向かいの醤油製造会社が道具類の保管倉庫として利用したそうです。
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「くまもと戦争と平和のミュージアム」の設立がぜひとも必要です。できる限り応援します。