細川家の初代熊本藩主の細川忠利は、天草四郎の「首を取った」ことがよほど嬉しかったのか、その手柄話を親しい大名ら15人にも拡散していたのか。
しかも原城落城のわずか2日後(1638年3月1日)という早業。
今の時代に忠利がいたら、SNSのフォロワーはすごい数だったかもしれない。
https://kumanichi.com/articles/1561806
ちなみに天草四郎は、父親が小西行長の元家来ということもあって、現在は町中華の「大星」がある宇土市旭町(江部村)で幼少期を過ごしました。「大星」の店舗横に市指定文化財の標識とともに解説文が掲示されています。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1101/1791.html