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『保守のための原発入門』読書メモ

一般人が裁判官と口をきく機会はほとんどないと思います。ましてや裁判官がどんな人柄なのか、そもそも普通の国民生活を知っているのかさえうかがい知れない、どこか浮世離れした職業人の代表格なのではないかと思います。しかし、世界各地どこでもそうかというと、まったくそうではありません。海外のTV放送を見てみると、現役の最高裁判事が対談番組に出演して、自らの生い立ちを語ったり、他の裁判官についての評価を述べたり、あげくに著書の宣伝まですることもあります。しかも笑顔でジョークを返す姿まで見せられると、普通の人なんだと感じて親しみやら安らかさを覚えます。
https://www.youtube.com/watch?v=7xQaFf-w-30
https://www.youtube.com/watch?v=ePflrZ0I1y4
https://www.youtube.com/watch?v=91yq9BHyHLE
『原発を止めた裁判官による 保守のための原発入門』(岩波書店、2500円+税、2024年)を先月出版した樋口英明さんは、2014年大飯原発運転差止判決(※)、2015年高浜原発再稼働差止決定を書いた元裁判官です。樋口さんは、大飯原発の運転差止訴訟を担当したことで、原発のとてつもない危険性を知ってしまいます。「裁判官は弁明せず」という慣習があるなかで、「無知は罪、無口はもっと罪」という思いから、原発の本当の危険性を知ってしまった以上、国民へ伝えるのが自分の責任と考えるようになったといいます。同時に真実を知る立場にある政治家やメディアが、国民へそれを伝えない風潮にあることへの怒りがあると感じました。
※判決文の一節:「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」
本書を読み進めると、原発問題は論理を素直に受け止められるかどうか、シンプルな話のように思いました。ところが、原発を推進したい側はなんとか目を逸らさせようと専門用語を折り込みながら奇妙な論理を展開しているに過ぎず、なんとなく安全であるという神話を受け入れさせているのが現状です。
以下に印象に残った点をメモしておきます。
・福島原発事故前の一般公衆の被曝限度は年間1ミリシーベルト→事故後13年間も原子力緊急事態宣言下の措置とされた20ミリシーベルトまで許容が常態化。
・ウラン燃料で水を沸騰させる「大きなやかん」と言われる原発(格納容器中の死の灰は広島型原爆1000発分)の安全三原則は「止める」「冷やす」「閉じ込める」…複数経路の外部電源と各炉の非常用電源が必要不可欠←耐震性が低い。
・原発は人が管理し続けない限り、事故になる。運転を止めるだけではだめで、電気と水で原子炉を冷やし続けない限り大事故になる。「停電してもメルトダウン」「断水してもメルトダウン」。
・人が管理できなくなって事故が起きたときの被害の大きさは想像を絶する。
・福島原発事故で東日本は壊滅しかけた…2号機の奇跡:格納容器のどこかに脆弱な部分(欠陥)があり、そこから圧力が漏れ、圧力破壊による大爆発に至らなかった。4号機の奇跡:「使用済み核燃料プール」と「(シュラウド取り替え工事の遅れで普段はない水が張られた)原子炉ウェル」との仕切りが地震でずれて、ウェル側の水がプールへ流れ込んだほか、建屋の水素爆発で吹き飛んだ部分から中国から無償提供されたポンプ車(アームが62メートルある通称「大キリン」)で注水できたため、プールの干上がりが防げた。
※当時、日本ではポンプ車のアームの長さが最長33メートルに制限されていたため、40メートル以上の高さにあるプールへの注水が困難だった。日本の危機を知り、中国から「大キリン」を送ってくれた中国企業の三一重工に対する恩を忘れるのはあまりに非礼だろう。
https://news.ntv.co.jp/n/fct/category/society/fcab24add07e1747569a7a77e749698f08
・現在稼働中の原発の耐震設計基準(基準地震動)では過酷事故は避けられない。原発では配電、配管の耐震性が極めて重要だが、ハウスメーカーの住宅の耐震性より劣っていることが国民に知られていない。ガルとは地震の強さを示す加速度の単位。
玄海原発(佐賀県)・川内原発(鹿児島県)620ガル…最低
伊方原発650ガル
美浜原発(福井県)993ガル…最高
住友林業3406ガル
三井ホーム5115ガル
・1000ガル程度の地震発生は決して珍しくない。下記は1300ガル以上の近年の地震。
2013年 栃木県北部地震1300ガル
2021年 福島県沖地震1432ガル
2016年 鳥取県中部地震1494ガル
2003年 宮城県沖地震1571ガル
2016年 熊本地震1740ガル
2018年 北海道胆振地震1796ガル
2024年 能登半島地震2828ガル
2011年 東日本大震災2933ガル
2008年 岩手・宮城内陸地震4022ガル
※本書で思い出したのが、熊本地震での液肥タンクからの液肥流失の経験。格納容器に相当するタンクに損傷はなかったが、パイプが震動により損傷して高額な液肥が漏れてタンクが空になった。流失した液肥の損害は保険でカバーできず痛い目に遭った。
・2022年6月17日福島原発事故国家賠償請求訴訟最高裁第二小法廷判決の国の賠償責任を否定した多数意見の問題点:①2002年地震本部(文科省機関)長期評価は信用に値するものであったか否か、②仮に本件長期評価が信用できるとした場合、これを知った経済産業大臣が東京電力に対し、津波対策を命じるべきであったかどうかについて判断していない。津波対策を命じたとしても、福島原発事故は防ぐことができなかったという理由付けに全く説得力がない。
・上記判決の三浦守裁判官反対意見の要旨:①の長期評価の信用性の問題については、長期評価には信用性があると判断した。②の経済産業大臣の義務違反については、経済産業大臣に命令権が付与された法の趣旨からすると、遅くとも本件長期評価の公表から1年を経過した2003年7月頃までの間に、経済産業大臣は東京電力に対して津波対策を命じる必要があると認めた。
※三浦裁判官は検察官出身。旧優生保護法最高裁判決では除斥期間を認める意見を出している。
・著者によれば、多数意見を書いた裁判官(菅野博之・岡村和美・草野耕一)は原発の本質が分かっていないとのこと。彼らには、「優れた判決を書く能力が欠けていただけでなく、他の裁判官の意見を虚心坦懐に聴いて、自分の意見を修正していく能力も欠けていたということになる。しかも、三浦裁判官の反対意見は判決に近い体裁をとっているのであるから、多数意見と照合すればその優劣は明らかだが、多数意見の3人の裁判官にはその優劣さえもわからなかったということになってしまう。」(p.80)と、かなり手厳しい評価がなされています。さらに極めつけは、この3人と東京電力と密接なつながりがある弁護士事務所との関係への指摘です。菅野裁判長は判決言い渡しから1か月後に退官し、弁護士事務所に就職していますし、岡村・草野の両裁判官は弁護士事務所出身とのことです。
・上記判決の影響:最高裁のみならず裁判所全体に対する国民の信頼が損なわれた。原発事故が起きたとしても、誰も賠償してくれない。原発の再稼働を止めることによってしか、私たち自身と私たちの国土を守る手段が残されていない。
・原発を止める理由(樋口理論)
①原発の過酷事故のもたらす被害は極めて甚大である。
②それ故に原発には高度の安全性が要求される。
③地震大国日本において原発に高度の安全性が要求されているということは、原発に高度の耐震性が要求されていることにほかならない。
④しかし、わが国の原発の耐震性は極めて低く、それを正当化できる科学的根拠はない。
⑤よって、原発の運転は許されない。
・多くの政治家は憲法の意義を理解していない:「法律は国民が守るべきもので、国民が法律を守っているかどうかを国が監視している。他方、憲法は国が守るべきもので、国が憲法を守っているかどうかを国民に代わって裁判所が監視するという役割を担っている。そうすることで、国民を国家権力から守るのが憲法の役割であり、それを支える理念が法の支配である。」(p.134-135)。
・原発推進勢力は平然と公然と継続的に嘘をつき続けている:①原発が経済的で安価という嘘、②原発は安定電源であるという嘘、③原発がないと電気が足りなくなるという嘘、④すべての原発は固い岩盤の上に建てられているという嘘、⑤岩盤の揺れは普通の地面の揺れよりも遥かに小さいという嘘、⑥原発が地球温暖化防止のために役立つクリーンなエレルギーだという嘘、⑦福島原発事故による健康被害は出ていないという嘘等(p.138)。
※書名にもある通り本書は、保守を自認する読者向けに書かれています。そのため、著者が考えるところの保守層を明らかにしながら訴えかけているのですが、正直なところそこはあまり意識する必要がないのではと思いました。多数の国民が保守であるというよりも「あいまい保守」というか、現状追認的に流されるまま生活しているのが大半だろうと思います。医療や年金、税金といった生活者個人に影響ある政治課題について何かしら不満があれば、顕著な投票行動につながると思いますが、原発の危険性を日常的に感じる国民は、立地場所近くに住む国民に限られると思います。やはり理解されやすい論理で危険性を伝えるしかありません。はたして論理理解力のある国民がどの程度いるのか、そうしたレベルの国民へこのような論理が伝えられるのか、はなはだ心もとない限りですが、続けるしか、広めていくしかないのだと思います。