8月31日の熊本日日新聞2面掲載の「射程」欄の「台湾の英雄が結ぶ縁」は、現在宇土市で盛んに流布されている、湯徳章英雄視の言説を鵜呑みにした記事で、「バカも休み休みに言え」と思うほど浅慮なシロモノでした。TSMC進出の恩恵にあずかれない同市の関係者が、なんとか台湾との交流の接点を持ちたいばかりに頼総統がかつて市長を務めた台南市と結びつきを強めたがっているのは、承知しています。
しかし、徳章英雄伝説のネタ本の著者の日頃の振る舞いや同書の記述を考え合わせると、「待てよ」という問題を抱えています。ある研究者によれば、ネタ本の記述はノンフィクションではなくて半ばフィクションとまで指摘されています。たとえば、徳章の処刑場面は、まるで見てきたかのような小説風の作為的な描写であり、根拠に乏しいとされます。また、徳章一人が罪を被って本省人たちの身代わりとなって彼らを救ったかのような書かれ方をしていますが、一部の本省人が日本人の血が流れている徳章を裏切り、外省人の当局へ差し出したのが実際と言われます。
2024年3月16日の朝日新聞国際面で、台湾出身で日本在住の芥川賞作家の李琴峰さんが、日台の関係はいびつだと指摘していました。日本国内の保守派による台湾に関する言説についても冷ややかに捉えてました。やや長い引用となりますが、次のように述べています。「日本の保守派はよく「台湾が好き」と言いますが、その言説を観察すると「日本の植民地時代のおかげで台湾が近代化した」「だから台湾人は日本が好き」などと紋切り型の表現を使います。植民地支配の歴史を正当化するために台湾を都合良く使っているだけではないでしょうか。」。
このことからも、徳章英雄伝説は、植民地支配肯定論者にとっては、うってつけの美談とされがちです。さらに、始末に悪いのは、植民地支配に後ろめたさを感じる多少「良心的」な日本人にとっても、日台友好ムードのなか、湯徳章という「日本人」がすすんで台湾人のために犠牲になったとする物語は「贖罪」感をもたらす感動話として受け入れてしまっています。
結論:宇土市における徳章英雄伝説の流布のありようは、同伝説マンガを小学生へ配布するなど子どもまで巻き込んだ「集団思考(集団浅慮)」(※1)の典型的な動きとなっているというのが、私の見方です。実際、この動きにクギを刺そうという「デビルス・アドボケイト(悪魔の代弁者)」(※2)たりうる能力をもった市関係者は残念ながら見当たりません。
※1:「集団思考(集団浅慮)」…心理学者のアーヴィング・ジャスニスが作った用語。協調を重んじ、論争や異議を抑制し、結果的に融通が利かない間違った信念に至ってしまう組織文化。誤認識が改善されず、議論の結果が極端になる。
※2:「デビルス・アドボケイト(悪魔の代弁者)」…議論を活性化するために、あえて多数派に異議を唱える役割の人。
※写真は記事とは関係ありません。台湾交通部観光局のキャラクター「喔熊Oh!Bear」(オーション)。2023年9月30日撮影。