月別アーカイブ: 2024年9月

被災地の選管負担と投票機会毀損への憂い

昨日あたりから10月15日公示、10月27日投開票の日程での衆議院解散総選挙が取りざたされています。憲法54条1項には、衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、総選挙を行うこととされていますので、たとえ10月9日の解散であったとしても、総選挙の日は、11月17日でもいいわけです。まずなんでこのように詰めた日程での選挙を望むのでしょうか。野党に候補者の準備を与えない嫌がらせということが一つ言えると思います。

それとともに、これは選管と有権者への嫌がらせとなりかねないと考えます。かつて地元市の選挙管理委員を務めた経験からいえば、全国の選挙管理委員会事務局の負担は相当なものです。とりわけ能登地方のような豪雨被災からまもない自治体における投開票事務の準備の負担は相当重いと察せられます。

国政選挙ですから選挙実施に伴う経費は国から出ますが、市町村で実際に動くのは地元の職員や住民です。ポスター掲示場所や期日前投票所、当日投票所、開票所の確保準備に始まり、日程に合わせた選挙管理委員会の開催や投開票の管理者、立会人、事務従事者、機材の手配も必要になります。投票所となるのは、災害時の避難所を兼ねる施設がほとんどですから、避難住民を差し置いて設けることもできません。選挙人名簿登載住所と異なる住所に避難している住民も多いことでしょうし、指定投票所から離れていれば投票を諦める被災者が多くなるのではないでしょうか。支援を要する被災地の有権者の投票機会(=国民の権利)が損なわれかねない状況下で急いで選挙を強いることが、民主国家としてはたしてふさわしい政治なのか、マジメに考える必要があります。

必ずホシを挙げる

今夜も必ずホシを挙げる!?
写真は、11年前のきょう(2013年9月29日)の札幌戦のときのもの。そんときは2-1で白☆・勝ち点3を挙げました。
当時のスコアボードを振り返ると、出場した選手で現在もロアッソ熊本で活躍しているのは黒木晃平だけですね。?
ついでにきのう地元で造りもん正代に会ったので、その写真も貼っておきます。ペコちゃんの化粧まわしは2年前からしめているようです。不二家には大木監督や正代の母校でもある東京農業大学の出身者が多く勤めているので贈られたとか。?
ペコちゃんでもポコちゃんでもいいが、ロアッソ熊本とのコラボもお願いしたいもんだ。?

新総裁の曽祖父は熊本出身の「今仙人」

石破茂新総裁と熊本の縁と言えば、何と言っても徳富蘇峰(現在の水俣市出身)らと共に熊本バンドのメンバーの一員だった、金森通倫(現在の玉名市出身、宗教家・牧師、晩年は「今仙人」と言われた)の曾孫であるということ。金森の孫にあたる母の影響もあって、石破氏はプロテスタントであると聞く。
(追加メモ)
2013年NHK大河ドラマ『八重の桜』(綾瀬はるか主演)
徳富蘇峰役演:中村蒼、金森通倫役演:柄本時生
熊本バンドとは、1876年(明治9年)1月30日に熊本市の花岡山で、熊本洋学校の米国人教師ジェーンズの影響を受けた生徒34名が、自主的に奉教趣意書に署名してプロテスタント・キリスト教に改宗して、これを日本に広めようと盟約を交わした集団のことをいう。このできごとが問題になりジェーンズは解任され、同年に洋学校は閉鎖され、メンバーの一部が同志社英学校に転校して、明治以降の日本におけるキリスト教の源流の一つとなった。
ついでながら、写真のジェーンズ邸について触れると、もともとはジェーンズを熊本へ迎えるために1871年(明治4年)に建てられたもので、熊本県最初の西洋建築であり、県重要文化財に指定されていて、1877年(明治10年)西南戦争の際、佐賀の七賢人・佐野常民が征討大総督有栖川宮から博愛社(現在の日本赤十字社の前身)の設立許可を受けた場所でもある。最初は古城(現在の第一高校)に建てられたが、移転を繰り返し、水前寺成趣園の東側隣接地に移設された。しかし、2016年(平成28年)4月16日の熊本地震で倒壊し、2022年(令和4年)より、現在の水前寺江津湖公園の一角に移設復元されている。
日赤と言えば、細川元首相の実弟・近衞さんや皇族、その皇族にはやはりクリスチャン(カトリック)の麻生元首相も関係してくるので、なんともややこしい。

お出かけ知事室登壇記

9月21日に宇土市民会館大ホールで開かれた「お出かけ知事室~ともに未来を語る会~in宇土市」に質問者の一人として登壇しました。その記録と所感を掲載します。
なお、本企画の質問者は宇土市在住か同市内勤務の住民に限られますが、県政に関してなら質問テーマは限定されないこととなっています。
【私の発言要旨】
(冒頭宇土市とは直接関係ないテーマでの質問を行うので休憩離席を客席に呼びかける)
・木村熊本県知事の師匠である蒲島郁夫前知事が1988年に著した『政治参加』(東京大学出版会)の記述を紹介(下記)しながら本企画の意義や市民の政治参加の重要性を述べた。政治エリート(県で言えば知事や職員など)は国家的な大きな目標を追求しがちであり、そのため市民の政治参加の拡大をなるべく後回しにしようとする。市民の声を聴かずに過去の問題について決着をつけられないで未来を語る資格はないとして、水俣病被害者救済(今現在の問題でもあるが…)について質問のテーマとすると述べた。
「政治参加は市民教育の場としても重要。市民は政治参加を通して、よりよい民主的市民に成長する。自己の政治的役割を学び、政治に関心を持ち、政治に対する信頼感を高め、自分が社会の一員であること、正しい政治的役割を果たす。」
「政治システムへの帰属を高め、政治的決定が民主的に行われた場合、たとえそれが自己の選好と異なっていても、それを受け入れようとする寛容の精神を身につける。市民は他人の立場に大きな配慮を払う思慮深い市民に育っていく。」
・本年5月の環境大臣と患者団体との懇談会のマイクオフ事件を受けての再懇談以降の知事の発言に接しても、知事就任前の公開質問状に対して示した「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「県としての健康調査の実施は考えない」旨の考えから今も変わりないように見受ける。この3点の見直しに向き合わずして、今後患者団体との協議機会を増やしても信頼関係を築けないし、なんら根源的な解決策にはならない。
・個別具体的に指摘するが、1点めは、公健法での患者認定条件が不当だということだ。医学的には食中毒症の一つである水俣病か否かの判別はシンプル。原因食品である汚染された不知火海産の魚介類を食べ、手足の感覚障害など関連症状のいずれかがあれば患者と言える。環境疫学の知見によれば、メチル水銀汚染地域の寄与危険度割合を用いてメチル水銀食中毒症との因果関係を推定するのが国内外で確立したルールだ。たとえば水俣市の寄与危険度割合は99%だから、汚染地域で症状がある人は100%患者認定して医学的に問題ない。疫学の専門家がいない委員だけで構成された審査会も問題だ。被害者を診るのではなく補償負担のことばかり加害者たちが脳裏に描いているので、認定が歪められている。認定条件を見直す考えはないのか。
(このあたりから会場客席からパタパタと何かを叩きつける苛立った物音が聞こえてきた)
・2点めは、特措法での救済もれの件だ。裁判では後から救済を求める被害者に除斥期間の適用を加害者が主張して、著しく正義・公平に反する姿勢を続けている。これは後から被害に気付いた人に救済を求める権利はないと言っているようなものだ。すでに除斥期間の適用を認めない判決もある。県民の生命と財産を守る立場にある知事なら、このような不正義・不公平な主張を即刻取り下げるべきだ。その考えはないか。
(会場客席から「宇土市に関係ない質問はするな」というヤジがあったので、私から「県政にかかわる質問をしている。聞きたくないならどうぞ休憩してください」と返して、暗に退席を求めた。その後、ヤジは止んだ)
・3点めは、健康調査の件だ。国が2年以内に開始する予定の検査手法では1日最大5人しか検査できない。汚染地域居住歴のある人数を47万人とすると、257年かかる意味のない検査方法だ。福島第1原発事故後に福島県が202万人に行ったような調査を本県独自でも実施してもらいたい。以上3点について明確な回答をお願いしたい。
【知事の回答】 ※私の所感
1点め「患者認定条件の見直しについて」…最高裁判決に則って行い、見直す考えはない。
※寄与危険度割合といった地元紙報道で触れられる疫学の知見・用語について理解していないと思われた。
2点め「特措法での救済もれ被害者への除斥期間の適用撤回について」…係争中なので申し上げられない。
※裁判対応を県職員や代理人弁護士に任せっきりで当事者意識が感じられない。法律論として除斥期間適用の主張はもちろん可能だが、正義・公平に反するか否かを判断するのが政治家の仕事である。やはり除斥期間が争点になった旧優生保護法訴訟では最高裁判決後に首相が適用の主張を撤回し和解が成立したように、政治決着させる器量がほしい。
3点め「県独自の健康調査の実施について」…国に実施してもらい県独自では行わない。
※257年もかかる国の検査方法では被害者救済に結び付かない。国の検査体制の問題点も地元紙報道で知られている事実だが、そうした問題点を把握していないのではと感じられた。知事には良きブレーンはいないのか。
【まとめ】
知事の回答を受けて国や県職員の声ばかりを聴くのではなく、被害当事者の声をこれからも聴き続けてほしいと要望した。それについては知事から続けるとの返答があった。
水俣市ではない本市ですら、いまだに水俣病被害者救済を口にすると、会場内から(どこの誰だか知らないが)下劣なヤジがあった。およそ「他人の立場に大きな配慮を払う思慮深い市民」とはいえない、卑怯者が残念ながら本市にいることも事実だ。しかし、私としては「政治参加」の意欲が大いに湧きたった。これからも不当に人権が蹂躙されている人たちのために声を上げていく決意が高まった良き日だった。

(追加)
本企画についてうがった見方をすると、公費を使っての任期中の支持集めの事前運動とも言えます。質問者は地元各界でリーダー的な役割を担っている方が多く、実際半数以上は以前から名前を知る人ばかりでしたし、登壇のきっかけが地元市からの声かけだったと明らかにする方も多数いました。
そのためか、質問内容には思いつき的提案ネタが多く、質問者の発言時間は短めなのに対して、回答者の知事の発言時間が数倍長く、聞かれてもないエピソード話やリップサービスが展開されるようなこともありました。確かに鳥取県観光課長や消防庁防災課勤務の経歴があるので、観光やスポーツ振興、防災といった得意分野では饒舌ぶりが発揮されていました。
ですが、水俣病被害者対応のように当事者間に明らかに分断がある問題に対する質問回答は、予想していたとはいえまるっきり素気ないもので、不用意なことは一切語らないという態度が、対照的でした。知事と市民が対話する機会そのものは歓迎しますが、問題が複雑で専門知も必要なテーマについてはやはり短い時間での一問一答では掘り下げた議論はできません。これについては、当事者間で継続的に時間をかけて対話できる場を求めていくしかないと考えます。

宅建士法定講習受講記

宅地建物取引士証の交付を受けている場合、その有効期間は5年となっていて、その更新を希望する際には、5年毎に法定講習を受講しなければなりません。以前は特定の日に会場で開催される座学講義方式のみでしたが、一昨年末頃よりWeb配信方式による受講も可能となり、今回私も初めてWeb法定講習を受講してみることにしました。その利点は、なんといっても一定期間中(4週間)であれば日時を問わず受講できることです。会場へ赴く必要がありませんから、交通費も往復時間も節約できます。座学だと1日間で6時間の内容を詰め込む形ですが、Webだと土日祝日・夜間でも受講可能ですし、集中力が切れたときは自由に休憩できます。
それで、講義の内容ですが、さまざまな法令改正のポイントや紛争事例の解説が中心となります。行政書士へ持ち込まれる相談案件として相続や土地活用の分野は多いので、どうしても不動産コンサルティング的な知識を要求されますから、この講習は非常に役に立ちます。それで、以前の講習内容と比較すると、コンプライアンスや人権にかかわる啓発的な説明が充実してきた印象を受けました。それだけ宅建取引上のトラブルだけでなく、対人接客上のトラブルの撲滅が業界にとって大きな課題になってきている表れだと思いました。
例を挙げると、取引相手から同和地区の存在について質問を受けた場合、回答しなくても宅建業法第47条には抵触しません。というより、宅建業者は取引の対象となる物件が同和地区に所在するか否かについて調査することまたは取引関係者に教示することを絶対に行ってはならないのです。これに限らず、宅建業者の従業員が賃貸住宅を求めて電話してきた外国人に肌の色を尋ねて、後に損賠賠償請求が認められた事件もあったといいます。
加えて気をつけなければならないのは、反社会的勢力の排除に向けた取り組みです。マネー・ロンダリング対策として業者には、確認記録や取引記録等の作成義務があり、それを7年間保存しなければなりませんし、疑わしい取引については行政庁へ届出義務があります。
このような話を聴くと、高額な献金を集めて海外へ送金しているようなマネロンまがいの教団と票集めの取引を行ったとされる政党の関係者なんかは、まったく民間の事業者では考えられないようなコンプライアンス意識の低さだなと感じます。

国民に犠牲を強いておいて何が国を守るだ

9月20日の朝日新聞総合面の連載「いま選択の時に」に、平和学者の清水奈名子宇都宮大学教授の意見が載っていましたが、私が日頃思うところと重なる内容ばかりでした。国家中心の威勢のいい発言ばかりを行い、戦争や原発事故で犠牲になる国民のことを考えていないどころか、足元の人々の生活さえも理解していない政治家にこそ読んでもらいたい記事ですが、残念ながら自身の適性を判断できる能力がない人にそれを求めるのが無理なのも事実です。ただサル山のボスになりたいだけとか、そのボスに追従してエサをもらいたいだけの子分たちの姿を見せられると、政治の貧困という内からの脅威が外からのそれよりよっぽど危機的なのではと感じます。
https://www.asahi.com/articles/ASS9K1CG4S9KUTFK007M.html

とても政策集とは言えないペーパー(どうも自身の道徳観の羅列?)を、選挙区外の熊本までわざわざ送りつけた奇特な方もいるようです(9月9日着)。ゆうメールの配達日数は通常3~4日とされますので、一体いつ発送されたのかギモンです。

お寒い日本の安全保障

多くの日本国民に霊感商法被害を与えたカルト集団と政治家との関係を問われた総裁選候補者全員が、無回答というのは、あまりにも危機感がなさすぎると言わざるを得ません。
9月17日の朝日新聞では、安倍晋三元首相が自民党総裁応接室で旧統一教会幹部と面会したとされる写真を入手したことを報じていました。こんなことがまかり通っていて、一国の安全保障や治安行政を語れる資格が元首相周辺にあったのだろうか今更ながら思わされました。
仮に首相個人が無頓着だったとしても、とりわけ首相には防衛省や警察庁からは必ず秘書官が就きます。たとえ面談した場所が政党の総裁応接室だったとしても、首相が会う相手が、外国勢力からの不当な支配を受けている団体や犯罪集団の関係者でないか、首相周辺でも常に警戒を怠るべきないと考えるからです。
もう一つ本件で感じるのは、新聞で書かれていない不都合な情報こそ往々にして重要であるということです。朝日新聞の報道によると、安倍元首相が教団幹部と面会した目的は、元産経新聞政治部長の北村経夫氏が2013年参院選出馬にあたって教団からの支援を得るためだったとされています。しかし、本日の産経新聞では、朝日の報道に触れつつも、北村氏の氏名や教団とのかかわりは一切報じていません。重要情報が知らされない産経の読者はつくづく気の毒だなと感じます。

(追加1)
しかし一方も裏金議員を多数かかえた反社会的集団の頭目だったわけだから、なんとも救いようがない。それと、こうしたセンセイ方に日頃から諂い阿る国民もどうかしているよな。

(追加2)
反社会的勢力に日本の権力の中枢へつけ込むスキを与えるという失態にどうしようもない危機管理能力の欠如を感じます。しかも反社会的勢力の常套手段はしっかり写真などの証拠をおさえて相手が離反しようとするときの揺さぶりの材料にするものです。自己を防衛する能力のない政治家に日本の安全保障の議論は任せられないと思います。
地方でも思慮が足りない政治家をターゲットにした例が多々あります。たとえば、教団の教祖の名前入りの任命状をありがたく受け取ってアホ面をさらしている地方政治家の写真などを目にしたこともありました。それはそれで有権者としては政治家の資質を判断する材料にはなりますが…。

強制的夫婦同姓は「百端の紛雑」だ

共同通信が「選択的夫婦別姓」について全国の自治体首長に尋ねたアンケート集計結果に基づく、熊本県知事と県内市町村長の回答の一部が、けさの地元紙紙面に掲載されていました。しかし、残念なことにすべての首長個別の回答内容について紙面から知ることはできません。電子版会員のみスマホで紙面にあるQRコードで読み出すことによってしか知ることができないようになっていました。わずか46人分の図表なら10cm四方に満たないスペースで表示できそうなものです。反対の首長への忖度なのか、読者にたいへん不親切な報道だとまず感じました。
私自身の考えは、選択的夫婦別姓の実現には賛成です。現行の強制的夫婦同姓制度を採用している国・地域は、法務省が把握する限りにおいても世界で日本だけです。しかも、その夫婦同姓は明治民法の成立によって始まったもので、日本古来の伝統ではまったくありません。そもそも苗字強制となったのも1875年(明治8年)に陸軍省が兵籍登録を確実にするため、すべての人民に苗字を使用させることを建議したからです。しかし、ただちに夫婦同姓となったわけではありません。明治憲法や皇室典範、教育勅語などの起草の主軸を担った、熊本出身の法制官僚・井上毅は、明治民法成立前の戸籍法制定に向けた意見書案(1878年)において、「戸籍は一戸一籍とするを必とす、姓氏は必しも一戸一姓ならざるべし。……即ち数姓にして一家に過活するは世間常に有るの事なり」と述べ、戸籍法によって戸内の氏姓を統一しようとするのは社会における氏姓の慣習に適合せず、むしろ「百端の紛雑」を来たすものと理解していました。繰り返しになりますが、夫婦同姓の原則が法文化されるのは明治国家時代の民法の成立によってです。1890年制定の旧民法を経て、1898年制定の明治民法で、一家一氏の原則、一人一氏主義の原則となりました。家の標識として一つの氏の方が国として管理しやすいといった便宜主義から始まった側面もあります。それが戦後の家制度の廃止から氏(姓)の選択の自由だけが取り残された形となっています。
このたびの共同通信による全国首長アンケートによると、「選択的夫婦別姓」に反対は「どちらかといえば」を含めて17%となっており、理由は「家族の一体感を損なう」が最も多かったとあります。ですが、19世紀末の明治民法成立以前の日本では、夫婦同姓ではなかったので、それまでの家族は一体感が損なわれていたのでしょうか。それでよく日本人が古から存続できたことに考えが及ばないのでしょうか。歴史的な根拠もないのに反対するとか賛否を表明できない首長の知的レベルは、この際、大いに疑ってみるべきだと思います。
https://kumanichi.com/articles/1546866

社会インフラか、ネット犯罪の温床か

社会インフラか、はたまたネット犯罪の温床か。
同年代のユーザーが本稿で書かれているかなりの部分で共感しました。
確かに詐欺的な投稿・広告やコメント、友だち申請が多くてウンザリさせられます。
怪しいコメントを真に受けて返信されているアカウントを見かけると、お気の毒に思います。
こうしたことから、パソコン通信時代のフォーラムのような節度あるコミュニティ空間が失われ、荒涼とした一方的宣伝と論駁の場が大勢を占めてきたのでしょうし、気軽に実名で発言することが憚れ、鍵アカが増えてきたように思います。
表向きそうではありますが、無料で使える社会インフラとして今も機能しているのも事実で、民衆知を共有する空間として、やはりSNSは有効です。実際にリアルな知人と対話すると、SNS上では反応していなくても、結構投稿は見てますという声を聴くことは多くあります。現在、有料マスメディアの購読者が減っているのに比べたら、記者専業でもない一私人の考えを表明する場としてこれほど有効な手段は他に見当たりません。
私の場合は、他人からの負託を受けた公職者でもないので、別に政策表明する必要もありません。どちらかというと、アイデアのメモの書庫としてSNSを活用しているに過ぎません。だから私の投稿記事の読者のみなさんのことをずいぶん物好きな人だとしか思っていません。それでも何か食いついてこられた場合は少しでもお返しをするのが礼儀だと思っています。

9/15開催イベント「水俣病と気候危機」

9/15(日)14~16時 東京で水俣×気候変動イベントのお知らせ
https://www.soshisha.org/jp/archives/18494

東京で行われる講演イベントに水俣病センター相思社職員の坂本一途さんが登壇します。
オンライン参加が可能です。参加申し込み期限は、2024年9月14日までとなっています。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdOU7ZQzrCysExVnCIKEOGAS6a3t_lOmnuHosvdypeAR8uAtg/viewform

「虎に翼」と水俣病事件

本日(9月12日)放送回のNHK朝ドラ「虎に翼」では1970年3月に公害訴訟における過失論の新たな法解釈が最高裁で検討されている場面が出ていました。それと、9月9日放送回の1969年1月と9月12日放送回の1970年3月に出たTVニュースを伝えるアナウンサーの氏名が「宮沢信介」となっていました。
1969年と言えば、水俣病第1次訴訟が熊本地裁に提訴された時期。当時熊本大学助教授の富樫貞夫氏が裁判における原告支援のため、新たな過失論の構築に着手していましたし、NHK熊本放送局勤務の宮澤信雄アナウンサーが水俣病を積極的に取材し、日本全国に向けた朝のニュース番組「スタジオ102」において現地リポートしていました。そのこともあって、水俣病事件に深くかかわる富樫貞夫氏(熊本大学名誉教授・一般財団水俣病センター相思社前理事長)と宮澤信雄氏(2012年に76歳で死去)の業績が、頭に浮かびました。
水俣病第1次訴訟は、1973年に原告勝訴の判決(確定)を得ますが、それには1969年9月に結成された水俣病研究会に、法律学者としてはただ一人参加した富樫貞夫氏の貢献が、大いにモノを言いました。当時の不法行為の過失論は、結果発生に対する予見可能性があったかどうかによって過失の有無も決まるという考え方が支配的でしたので、チッソはそれに依拠して自己の無過失を主張することができました。そのため、従来の過失論を再検討して水俣病裁判に適合した新しい理論を構築することが、富樫氏にとっての課題でした。
同氏の著書『水俣病事件と法』(石風社、5000円+税、1995年)によれば、思想の転換のきっかけは、1969年11月発行の「朝日ジャーナル」掲載の座談会「農業の人体実験国・日本」における原子物理学者・武谷三男氏の安全性の考え方についての発言にあったと言います。それには「農薬に限らず、薬物を使うときは、無害が証明されない限りは使ってはいけないというのが基本原則。有害が証明されない限り使ってよいとはならない。」旨の言葉がありました。同じころ、工場廃水処理に関する米国の標準的な教科書(邦題『水質汚染防止と産業廃液処理』原書1955年刊)にも出合ったこともあり、注意義務を「安全確保義務」として理論の再構成したとあります。そして裁判ではその理論で企業の過失責任を問い、被告を糺していきます。
1973年の熊本地裁判決では、危害を予知・予見できなかった以上無過失とするチッソの考え方を、次のように批判しています。「被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務違反がなかったと主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害してもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することを容認することにもなるから、明らかに不当といわなければならない」。きょうの「虎の翼」の背景にはこのような現実のドラマがありました。
もう一人の宮澤信雄氏は、NHKアナウンサーとして水俣病を報じただけではなく、個人として長年にわたり事件史研究と患者支援を続けてこられた方です。熊本放送局に赴任したのは、1967年ですが、水俣病と出合ったのは初めて取材した1968年からでした。この社会の不条理に衝撃を受けた宮澤氏は、1969年4月、水俣病を告発する会(代表・本田啓吉氏 当時熊本第一高校国語科教諭)に参加し、同年9月結成の水俣病研究会にも同僚技術職員の半田隆氏とともに参加します。そして、前述の富樫氏らと水俣病第1次訴訟を理論面で支援していきます。熊本勤務は異例の10年間(1977年まで)に及び、その後は静岡、秋田、京都、大阪、宮崎と転勤しながらも熊本・水俣へ足を運び研究と支援を続けました。1997年に葦書房(現在廃業)から『水俣病事件四十年』という著書も刊行されています。研究会や同氏の蒐集・旧蔵資料は、下記の機関が保管しています。
熊本大学文書館水俣病研究会資料
http://archives.kumamoto-u.ac.jp/inventory/Minamata/MD_240523.pdf
熊本学園大学水俣学研究センター水俣病研究会蒐集資料
https://gkbn.kumagaku.ac.jp/minamata/db/index3.php
熊本学園大学水俣学研究センター宮澤信雄旧蔵資料
https://gkbn.kumagaku.ac.jp/minamata/db/index4.php
本日の「虎に翼」では、家裁の父である多岐川が「法律っちゅうもんはな 縛られて死ぬためにあるんじゃない。人が幸せになるためにあるんだよ。」と語った回想シーンを流していました。それを実効性あるものにするためには、やはり富樫貞夫氏や宮澤信雄氏のように最初から最後まで闘い続ける人間がいてこそです。ハシクレでもいいから私もそうありたいと思います。

渋沢栄一の熊本に対する109年前の「愚見」が面白い

肥後銀行本店1Fの「肥後の里山ギャラリー」において開催中の「新しいお札とお金の歴史」展の会期が9月14日までなので、本日熊本市内へ赴いたついでに観覧してきました。展示のメインは、新千円札の肖像に採用された北里柴三郎についてで、それはそれで初めて知ったことがあり、興味深いものがありました。しかし、それよりも新一万円札の肖像に採用された渋沢栄一の、1915年(大正4年)10月6日に熊本県議事堂で開かれた歓迎会のときの発言が、より印象に残りました。今から109年前、当時75歳の第一銀行頭取である渋沢栄一は、同行熊本支店の開設披露に際して2度目のそしてこれが最後の来熊を果たしています。
このときの発言の一部がパネル展示されていましたが、その全文は公益財団法人渋沢栄一記念財団のデジタル版『渋沢栄一伝記資料』からも閲覧できます。渋沢栄一本人によると「我邦実業並に当熊本に対する愚見」(後掲)ということになりますが、なかなか面白いものがありました。
ひとつは後年公害企業となるチッソの前身・日本窒素肥料への言及です。同社自身の水力発電で賄った電気を利用して「空中の富」(=空気中の窒素成分を指す)から肥料を製造する化学工業への関心が高く、国策としても推進していることを熊本の名士へリップサービスしています。一方で、工業に重きを置くだけでなく、三池のように「地下の富」(=石炭を指す)はなくても「地上の富」(=米など農産物を指す)を産出する農業にも重きを置くよう述べています。米価の調節については市場経済に任せるべきであって、幕府時代の町奉行のように官吏に任せると失敗すると断言しています。言外に官吏の人智は人民よりも利口ではないと、その硬直性を指摘しています。
109年後の熊本でも工業と農業の両立が課題であり、農水省の備蓄米の扱いが論議を呼ぶなど、構造的には変わらない点を連想させられました。
【以下、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第50巻 p.105-106】
「従来御当地に事業関係を有ちませなんだ関係からしまして、御交際も薄かつた為めに、実際清正公と細川侯と肥後米に依つて御地を知つて居たと云ふに過ぎなかつたのであります、今日の熊本は全く面目を一新したと申して宜しからうと思ひます、現に私の関係ある九州製紙会社の如き、異常なる拡張の機運に向ひ、又日本窒素肥料会社の如き、豊富なる水電の動力を利用して農産物に関係の多い、肥料を製造して居りますが、之は空中の富を集めると申しても余り誇大な言葉ではなからうと思ひます、斯く事業を進むるは何れの向きも其途に依つて意を用ひましたならば、未だ種々有るだらうと思ひます、御当地は石炭の如き地下の富はないが、地上の富はある、即ち肥後米の如き夫れである、今は米の値段が安いので御地では一層お困りでしやうが、米の相場の高低の大なるは大に注意せざるべからざる問題であります、そこで応急の米価調節策も行はれ、今亦調査会組織せられ、私も其委員の一名たるべき内交渉に接したのでありますが、之は頗る重要問題で全国に取て考究すべきことでありますが、富を出す実業の進歩は一方面のみではドウモ行きませぬ、農業に進むか工業に走るか、一方計りを重んじて他を忘れることは不可であります、熊本は工商の方面に付いては或は一足後れて居つたかも知れんが、幸に二三の有力なる工業の発達を見つゝあるのは頗る喜ぶべき事であります、今や時勢は化学工業を重んずる時代に進みつゝあります、粗より精に入るは物の常であります、此の化学工業のことは議会の問題にも出で、染料会社の如き政事上より其の成立を応援することになつて居ります、昨日三池の炭山を視察しましたる節、コークス製造場を見まして、アニリン染料等、副産物製造の概況を模型により、技師の説明を求めて帰りましたが、斯の如き緻密なる工業にお互に注意せなくてはならないと思ひます、御当地に何が生ずるかは只今申上げることは出来ませんが、御注意になると何か事業があるかと思ひます。
最後に申添へたい事は米であります、此米に対して当県下では倉庫制度が行はれて居ります、此事には大に考究して此倉庫証券と金融とを結付けて、安全に信用が置ける様になると米価調節上此上なき策であります、幕府時代では米の相場を、町奉行所より触れて調節を政治上よりしたが、之は武断政治より来たのであります、此時代には左迄の害もありませんでしたが、今日の如き世界に、昔風の調節策を人智に依つて為さんとするは大なる誤りであります、官吏になれば人民よりも利口になつたと云ふ考へが出るが、之で行くといつも失敗であります、米価の調節策としては前も申したるが如く、当地の米券倉庫制は此の上なき策でありまして、自然と自家の節制を計り、余り安いと思へば売らない、自己の考へによりて調節し、誠に立派なことでありますから、考究したらば安全にして充分融通し得るのであります、尚今日は申上たい事は数々あります、即近い内亜米利加にも旅行しまするし、昨年支那にも旅行しましたから、其話もしたいのでありますが、先程申しました次第で長時間のお話をすることが出来ませぬので、御礼の為め一言申上げた次第であります。」

現代に生きる「原爆裁判」

9月9日放送のNHK「視点・論点」のテーマは、「現代に生きる『原爆裁判』」
以下、2点メモを残す。
1.現在の裁判官たちに三淵忠彦最高裁初代長官の言葉を聞かせてやりたい。
「裁判所は国民の権利を擁護し防衛し正義と衡平を実現するところであって圧制政府の手先となって国民を弾圧し迫害するところではない。裁判所は真実に国民の裁判所になりきらなければならぬ」
2.下記の通り核抑止論を批判する、核兵器禁止条約(2021年)をいまだに批准しない日本政府は、国民の人権を侵害する圧制政府だ。
「核兵器のいかなる使用も武力紛争に適用される国際法に違反」
「安全保障上の政策として核抑止が永続し実施されることは不拡散を損ない核軍縮に向けた前進も妨害」

何が報道されていないかを知れ

先日読んだ『原発を止めた裁判官による 保守のための原発入門』(岩波書店)の著者・樋口英明さんは、同書の中で司法に対してと同時に、ジャーナリズム特に大手マスコミに対して、政府に忖度せずに独立の気概を持って使命を果たすことを期待してます。裏返せば、原発についてマスコミが重要な事実について報道していないため、何が重要な事実であるかは、マスコミが何を報道するかを見るのではなく、何を報道しないかを見れば分かるからだと言います。さらには、「嫌なことは知りたくない、嫌なことは考えたくない」という国民と、都合の悪いことを隠したい政府の意向は合致しやすいという点もあると、指摘しています。
では、原発に限らず何が重要な事実であるか、何を報道していないかを知るためには、どうしたら良いのでしょうか。これは逆説的になりますが、報道に接するのが第一になるかと思います。報道に接するだけでなく研究者の論考に接する、ナマの資料・現場に接する、周囲の人々と語ってみるというのが次にあるかもしれません。これが順番を間違えると、たいへんなことになります。国籍や民族ヘイトに染まっている人の発言の根拠を探ってみると、同類の人の発言の受け売りであることが多く、日頃新聞さえ目を通していないように感じます。情報源の質が悪く、事実に基づかない妄想ほどタチの悪いものはありません。
何を報道していないかを知る素材として、先月、NHKのラジオ国際放送の中国語ニュースで、中国籍の外部スタッフが尖閣諸島を中国の領土と原稿にない発言をしたことが報道された例を挙げてみます。9月8日の朝日新聞での後追い報道では、同スタッフが所属先と結んでいた業務委託契約書には、日本の公的見解を伝えることが定められていましたが、近年は日中間で争いのある話題の原稿を読まされることに不満をもらしていたとありました。
この報道では触れてありませんでしたが、中国における反スパイ法が在外中国人に与える警戒感や心理的影響の大きさを考えると、そのスタッフにとって日中間で争いのある話題について日本の公的見解を口にさせられるのはかなり危険な行為になります。あえて中国の公的見解を口にして自分の身を保護したとも考えられます。中国の反スパイ法は同国外の外国人つまり日本人にさえ適用されるものですから、業務委託者側があらかじめ日中間で争いのある話題の読み上げに中国籍のスタッフを関与させないような人権的配慮を行うべきだったのではないかと思います。もしそうしていればこうした事故は防げたのではないかと思います。一応、先の記事内にも「日頃から、日本政府の見解を伝えることに支障がないか、明確に確認する必要があった」との委託元関係者の反省の弁らしい発言を載せてはいます。
近年は権威主義体制に疑問を持って中国から日本へ経営や就労の在留資格を得て移住する「潤」(※)と呼ばれる人たちの存在も注目されています。これらの人たちは、難民申請に至らない富裕層や知識人らからなります。これら自立した中国の中間層の移住は、日本の国益にとって損にはならない存在だと考えますので、本国から不当な弾圧を受けないよう擁護することが重要です。
※「潤」:中国語の発音のローマ字表記は「run」であるため、「(生活が)潤う」とともに「(国外に)逃げる」という意味と重なるという。
続いて話はそれるかもしれませんが、報道ではなくてスポーツの世界での裏読みについてです。以前、木村県知事が10代の頃の愛読書として野村克也の『裏読み』と川北隆雄の『大蔵省』だと明かしていた文章を読んだことがあります。対戦相手を出し抜く技量や財政を握って権勢(県政?)を振るうことへ憧れを子ども時代から抱いていたとは、読書傾向が異なりますが私と同様にずいぶんとヒネた子どもだったのだなと、感じた覚えがあります。そういうワケで、裏読み=ノムさんのイメージがあります。
しかし、ノムさんが裏読みせざるを得なかった事情は、最初に監督を務めた南海の弱さにあったのだろうと、つい最近、江本孟紀氏のインタビュー記事(現在朝日新聞で連載中の「語る 人生の贈りもの」)で知りました。江本氏が投手として南海に在籍した当時、捕手であるノムさんが出すサインはかなり複雑だったそうです。ベンチから攻撃の際にバッターへ出すサインもダミーを混ぜるだけでなく回ごとに内容を変える念の入りようでした。ところが、江本氏が阪神へ移籍して最も驚いたのは、南海で行われていたことは何もしていなかったということでした。吉田監督に南海でのサイン見破り方法を話したら、「はあ? まさか」と返ってきただけ。法政大学で江本氏の1学年先輩にあたる捕手の田淵氏に複雑な投球サインを提案したら、「そんな難しいことできるか!」と一蹴されたそうです。何もしないのに阪神がリーグで2位や3位になるので「なんて強いチームなんだ」と思ったと語っています。南海の裏読み野球は、強者に勝つための、弱者の知恵と工夫だったと江本氏は評しています。
私自身、ずっと阪神が好きですし、サインを駆使する小賢しい野球を見て何が面白いのかと、ボヤきたくなります。ですが、強者にダマされないためには、必要不可欠な民衆知なのでしょう。

「お出かけ知事室」質問草稿

熊本県民が知事へ直接質問できる機会として始まった「お出かけ知事室」が、地元の宇土市で9月21日に開催されます。当初6月23日に開催予定されていたものが、3か月後に延期されたので、質問者として登壇予定の当方も質問内容を順次更新しています。本日現在の草稿は以下の通りです。
知事職は、県政運営にあって絶大な権力を有しますが、中にはパワハラやおねだりで県政を停滞させながら、「道義的責任が分からない」と公言する不適格な知事もいます。お互い原稿の朗読会にしない時間にしたいと思います。

本日質問するテーマは6月初めに出したときと同じ水俣病被害者救済についてですが、その後の動きも加味して伺いますので、よろしくお願いします。
本年5月、水俣市で開かれた水俣病被害者慰霊式後の環境大臣との懇談会のマイクオフ事件を受けて、今も救済から漏れて死を待つだけの多くの被害者が現にいることが明らかになったかと思います。その後、患者団体との懇談を通じてわずかな離島加算やこれもわずか500人未満の住民を対象にした試験的な健康調査を2年以内に実施する予算要求が環境省から行われたことは、承知しています。ですが、被害者が要望することとはずいぶんズレがありますし、まだ議論が進んでいない課題が山積しています。
まず、知事選前の本年3月、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が出した公開質問状に対して当時の木村候補は、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「県としての健康調査の実施は考えない」旨の回答をしました。再懇談同席以降の知事の発言に接しても、どうも今も知事就任前の考えから変わりないように見受けます。私は、この3点の見直しに向き合わずして、今後患者団体との協議機会を増やしても信頼関係を築けないし、認定患者の処遇改善や地域振興も大切ですが、なんら根源的な解決策にはならないと考えています。
次に、個別具体的に指摘させていただきます。1つ目は公健法での患者認定条件が不当に厳しいという点です。医学的には食中毒症の一つである水俣病か否かの判別はシンプルです。原因食品である汚染された不知火海産の魚介類を食べ、手足の感覚障害など関連症状のいずれかがあれば患者と言えます。環境疫学の知見によれば、メチル水銀汚染地域の寄与危険度割合を用いてメチル水銀食中毒症との因果関係を推定するのが国内外で確立したルールです。たとえば水俣市の寄与危険度割合は99%ですから、汚染地域で症状がある人は100%患者認定して医学的に問題ありません。そうしたルールに無知な委員だけで構成された審査会が開かれていることも問題です。分野は異なりますが、国連難民高等弁務官事務所の「難民認定基準ハンドブック」に記された有名なフレーズ「認定の故に難民となるのでなく、難民であるが故に難民と認定されるのである」に近い考え方です。被害者を診るのではなく補償負担のことばかり加害者たちが脳裏に描いているので、認定が歪められているのです。まずこの見直しに向かっていただきたいですが、どうですか。
2つ目は特措法での救済漏れの件ですが、行政処分ではないとされて行政不服審査の機会がないですし、裁判では後から救済を求める被害者に除斥期間の適用を加害者が主張して、著しく正義・公平に反する姿勢を続けています。これは後から被害に気付いた人に救済を求める権利はないと言っているようなものです。すでに除斥期間の適用を認めない判決もありますし、やはり除斥期間が争点になった旧優生保護法訴訟では最高裁判決後に首相が適用の主張を撤回しました。県民の生命と財産を守る立場にある知事なら、このような不正義・不公平な行動を即刻取り下げるべきだと考えますが、どうですか。
3点目の健康調査の件ですが、国が2年以内に開始する予定の検査手法では1日最大5人しか検査できません。だから予算要求でも500人未満分の1億5100万円に過ぎませんでした。一方で国水研の検査に使う脳磁計の更新に4億4000万円も充てるとかバランスを欠いています。汚染地域居住歴のある人数を47万人とすると、この方法では257年かかるというふざけた話で、やる気のなさしか伝わりません。福島第1原発事故後に福島県が202万人に行ったような調査を本県独自でも実施すべきです。全容を明らかにしないまま手当てすべき予算を組まずに国民・県民を切り捨ててきたのが、これまでの国政・県政の流れです。県民に寄り添うなどと口先だけのポーズは止めて、だれひとり取りこぼさない救済に向けて健康調査を全力で実行いただきたいですが、どうですか。
以上、3点について明確に回答をお願いします。

『保守のための原発入門』読書メモ

一般人が裁判官と口をきく機会はほとんどないと思います。ましてや裁判官がどんな人柄なのか、そもそも普通の国民生活を知っているのかさえうかがい知れない、どこか浮世離れした職業人の代表格なのではないかと思います。しかし、世界各地どこでもそうかというと、まったくそうではありません。海外のTV放送を見てみると、現役の最高裁判事が対談番組に出演して、自らの生い立ちを語ったり、他の裁判官についての評価を述べたり、あげくに著書の宣伝まですることもあります。しかも笑顔でジョークを返す姿まで見せられると、普通の人なんだと感じて親しみやら安らかさを覚えます。
https://www.youtube.com/watch?v=7xQaFf-w-30
https://www.youtube.com/watch?v=ePflrZ0I1y4
https://www.youtube.com/watch?v=91yq9BHyHLE
『原発を止めた裁判官による 保守のための原発入門』(岩波書店、2500円+税、2024年)を先月出版した樋口英明さんは、2014年大飯原発運転差止判決(※)、2015年高浜原発再稼働差止決定を書いた元裁判官です。樋口さんは、大飯原発の運転差止訴訟を担当したことで、原発のとてつもない危険性を知ってしまいます。「裁判官は弁明せず」という慣習があるなかで、「無知は罪、無口はもっと罪」という思いから、原発の本当の危険性を知ってしまった以上、国民へ伝えるのが自分の責任と考えるようになったといいます。同時に真実を知る立場にある政治家やメディアが、国民へそれを伝えない風潮にあることへの怒りがあると感じました。
※判決文の一節:「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」
本書を読み進めると、原発問題は論理を素直に受け止められるかどうか、シンプルな話のように思いました。ところが、原発を推進したい側はなんとか目を逸らさせようと専門用語を折り込みながら奇妙な論理を展開しているに過ぎず、なんとなく安全であるという神話を受け入れさせているのが現状です。
以下に印象に残った点をメモしておきます。
・福島原発事故前の一般公衆の被曝限度は年間1ミリシーベルト→事故後13年間も原子力緊急事態宣言下の措置とされた20ミリシーベルトまで許容が常態化。
・ウラン燃料で水を沸騰させる「大きなやかん」と言われる原発(格納容器中の死の灰は広島型原爆1000発分)の安全三原則は「止める」「冷やす」「閉じ込める」…複数経路の外部電源と各炉の非常用電源が必要不可欠←耐震性が低い。
・原発は人が管理し続けない限り、事故になる。運転を止めるだけではだめで、電気と水で原子炉を冷やし続けない限り大事故になる。「停電してもメルトダウン」「断水してもメルトダウン」。
・人が管理できなくなって事故が起きたときの被害の大きさは想像を絶する。
・福島原発事故で東日本は壊滅しかけた…2号機の奇跡:格納容器のどこかに脆弱な部分(欠陥)があり、そこから圧力が漏れ、圧力破壊による大爆発に至らなかった。4号機の奇跡:「使用済み核燃料プール」と「(シュラウド取り替え工事の遅れで普段はない水が張られた)原子炉ウェル」との仕切りが地震でずれて、ウェル側の水がプールへ流れ込んだほか、建屋の水素爆発で吹き飛んだ部分から中国から無償提供されたポンプ車(アームが62メートルある通称「大キリン」)で注水できたため、プールの干上がりが防げた。
※当時、日本ではポンプ車のアームの長さが最長33メートルに制限されていたため、40メートル以上の高さにあるプールへの注水が困難だった。日本の危機を知り、中国から「大キリン」を送ってくれた中国企業の三一重工に対する恩を忘れるのはあまりに非礼だろう。
https://news.ntv.co.jp/n/fct/category/society/fcab24add07e1747569a7a77e749698f08
・現在稼働中の原発の耐震設計基準(基準地震動)では過酷事故は避けられない。原発では配電、配管の耐震性が極めて重要だが、ハウスメーカーの住宅の耐震性より劣っていることが国民に知られていない。ガルとは地震の強さを示す加速度の単位。
玄海原発(佐賀県)・川内原発(鹿児島県)620ガル…最低
伊方原発650ガル
美浜原発(福井県)993ガル…最高
住友林業3406ガル
三井ホーム5115ガル
・1000ガル程度の地震発生は決して珍しくない。下記は1300ガル以上の近年の地震。
2013年 栃木県北部地震1300ガル
2021年 福島県沖地震1432ガル
2016年 鳥取県中部地震1494ガル
2003年 宮城県沖地震1571ガル
2016年 熊本地震1740ガル
2018年 北海道胆振地震1796ガル
2024年 能登半島地震2828ガル
2011年 東日本大震災2933ガル
2008年 岩手・宮城内陸地震4022ガル
※本書で思い出したのが、熊本地震での液肥タンクからの液肥流失の経験。格納容器に相当するタンクに損傷はなかったが、パイプが震動により損傷して高額な液肥が漏れてタンクが空になった。流失した液肥の損害は保険でカバーできず痛い目に遭った。
・2022年6月17日福島原発事故国家賠償請求訴訟最高裁第二小法廷判決の国の賠償責任を否定した多数意見の問題点:①2002年地震本部(文科省機関)長期評価は信用に値するものであったか否か、②仮に本件長期評価が信用できるとした場合、これを知った経済産業大臣が東京電力に対し、津波対策を命じるべきであったかどうかについて判断していない。津波対策を命じたとしても、福島原発事故は防ぐことができなかったという理由付けに全く説得力がない。
・上記判決の三浦守裁判官反対意見の要旨:①の長期評価の信用性の問題については、長期評価には信用性があると判断した。②の経済産業大臣の義務違反については、経済産業大臣に命令権が付与された法の趣旨からすると、遅くとも本件長期評価の公表から1年を経過した2003年7月頃までの間に、経済産業大臣は東京電力に対して津波対策を命じる必要があると認めた。
※三浦裁判官は検察官出身。旧優生保護法最高裁判決では除斥期間を認める意見を出している。
・著者によれば、多数意見を書いた裁判官(菅野博之・岡村和美・草野耕一)は原発の本質が分かっていないとのこと。彼らには、「優れた判決を書く能力が欠けていただけでなく、他の裁判官の意見を虚心坦懐に聴いて、自分の意見を修正していく能力も欠けていたということになる。しかも、三浦裁判官の反対意見は判決に近い体裁をとっているのであるから、多数意見と照合すればその優劣は明らかだが、多数意見の3人の裁判官にはその優劣さえもわからなかったということになってしまう。」(p.80)と、かなり手厳しい評価がなされています。さらに極めつけは、この3人と東京電力と密接なつながりがある弁護士事務所との関係への指摘です。菅野裁判長は判決言い渡しから1か月後に退官し、弁護士事務所に就職していますし、岡村・草野の両裁判官は弁護士事務所出身とのことです。
・上記判決の影響:最高裁のみならず裁判所全体に対する国民の信頼が損なわれた。原発事故が起きたとしても、誰も賠償してくれない。原発の再稼働を止めることによってしか、私たち自身と私たちの国土を守る手段が残されていない。
・原発を止める理由(樋口理論)
①原発の過酷事故のもたらす被害は極めて甚大である。
②それ故に原発には高度の安全性が要求される。
③地震大国日本において原発に高度の安全性が要求されているということは、原発に高度の耐震性が要求されていることにほかならない。
④しかし、わが国の原発の耐震性は極めて低く、それを正当化できる科学的根拠はない。
⑤よって、原発の運転は許されない。
・多くの政治家は憲法の意義を理解していない:「法律は国民が守るべきもので、国民が法律を守っているかどうかを国が監視している。他方、憲法は国が守るべきもので、国が憲法を守っているかどうかを国民に代わって裁判所が監視するという役割を担っている。そうすることで、国民を国家権力から守るのが憲法の役割であり、それを支える理念が法の支配である。」(p.134-135)。
・原発推進勢力は平然と公然と継続的に嘘をつき続けている:①原発が経済的で安価という嘘、②原発は安定電源であるという嘘、③原発がないと電気が足りなくなるという嘘、④すべての原発は固い岩盤の上に建てられているという嘘、⑤岩盤の揺れは普通の地面の揺れよりも遥かに小さいという嘘、⑥原発が地球温暖化防止のために役立つクリーンなエレルギーだという嘘、⑦福島原発事故による健康被害は出ていないという嘘等(p.138)。
※書名にもある通り本書は、保守を自認する読者向けに書かれています。そのため、著者が考えるところの保守層を明らかにしながら訴えかけているのですが、正直なところそこはあまり意識する必要がないのではと思いました。多数の国民が保守であるというよりも「あいまい保守」というか、現状追認的に流されるまま生活しているのが大半だろうと思います。医療や年金、税金といった生活者個人に影響ある政治課題について何かしら不満があれば、顕著な投票行動につながると思いますが、原発の危険性を日常的に感じる国民は、立地場所近くに住む国民に限られると思います。やはり理解されやすい論理で危険性を伝えるしかありません。はたして論理理解力のある国民がどの程度いるのか、そうしたレベルの国民へこのような論理が伝えられるのか、はなはだ心もとない限りですが、続けるしか、広めていくしかないのだと思います。

Jリーグクラブの企業価値は?

熊本日日新聞の「わたしを語る」欄に連載された高谷和生さんの聞き書き記事も第51回を数えた9月3日で終了し、ひとつ紙面を読む楽しみが減りました。そんなところに、翌日の同紙2面「射程」欄の「Jリーグへの外資参入」と題する記事が目に留まりました。同記事では、J3大宮の運営会社を今度オーストラリアの大手飲料メーカー・レッドブルが買収することに触れ、J2熊本への投資呼び込みに期待を寄せていました。
この記事では触れてありませんが、ある経済メディアの関係者が、買収額は3億円程度と伝えています。これは大宮の株主NTT東が保有する株式の額面額100%から算出したもののようで、私のような投資の素人から見ても破格に安い取得額だと思います。
しかし、驚いたことに、過去の買収例の取得株式と金額は、以下の通りバカみたいに安いのです。
J1 鹿島…メルカリ 61.6% 16億円
J1 FC東京…ミクシィ 51.3% 10.5億円
J2(現J1) 町田…サイバーエージェント  80% 11.48億円
ありていに言えば、それぞれのクラブ関係者に企業価値を算出できるだけの経営のプロがいなかったからだと思います。前述の「射程」記事の視線の先にはおそらく熊本における外資の最大手TSMCへの期待感があるのだと思いますが、ここはまずJ2熊本の企業価値を知ることが必要だと思います。
世の中には、Jリーグクラブの企業価値を試算している専門家がちゃんといます。たとえば、J2岡山の筆頭株主(オーナー)の木村正明東京大学先端研特任教授の研究がそうです。この方は、岡山県出身で東京大学卒業後、ゴールドマンサックスに入社し、30代で執行役員に上り詰めた人物ですが、Jリーグ入りを目指す岡山を株式会社化し、自ら社長として経営的基盤を築きました。現在は2万5000人入る専用スタジアム建設へ向け尽力されているようです。
後掲の動画(17分過ぎ)を視聴すると、木村特任教授によるJ1クラブの価値推定を知ることができます。2つのモデル値が示されていますが、以下の3クラブの高い方の額は次の通りです。
鹿島 183億円
FC東京 158億円
町田 57億円
外資を呼び込むのもいいですが、安売りすることはないよと言いたいだけです。
https://www.youtube.com/watch?v=YwmHpdvlv5o
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/470141?display=1

故中村哲医師のパネル展

故中村哲医師のパネル展が、宇土市役所1階ロビーで上天草・宇城水道企業団紹介パネル展との同時開催企画として行われていたので、観覧してきました。
パネルはこれまでの実績を示していますが、会報を読むとタリバン支配下のアフガニスタンにおいても遺志を引き継ぐ活動が続けられているのを知りました。
2021年8月のタリバン制圧に伴うアフガニスタン人現地職員の退避のおりは、その退避要件の厳格さ(通常の短期滞在査証発給要件よりもハードルの高い条件をわざわざ新規に創り出して要求)が非人道的で理不尽なものであり、来日後も難民申請阻止や帰国強要を疑われる行為があったとされます。当時はそれだけ、日本政府が人権や人道に後ろ向きなイメージを世界へ発出してしまいました。
一方で、故中村医師による貢献は、タリバンでさえ認めるところです。日本政府は現地における人道支援ひいては人権擁護に向けて独自の外交ができます。やがてそれが国益につながる機会を逃してはなりません。

上天草・宇城水道企業団のパネル展示を開催について
https://kamiama-ukisuido.jp/publics/index/106/
上天草・宇城水道企業団パンフレット↓
https://kamiama-ukisuido.jp/publics/index/43/

核兵器廃絶を口にもしない落ちぶれ方ではないか

NHKの朝ドラ「虎に翼」も残り4週となって今月27日には完結を迎えます。9月2日の放送回では原爆裁判の準備手続きが終わって1960年2月となって第1回の公判に入ったところでした。それから64年も経っていますが、被爆地・広島選出の総理大臣でさえ核兵器禁止条約の批准には後ろ向きで、世界の核兵器廃絶へ本気で立ち向かおうとはしませんでした。現首相の後任の座を狙う連中も同様のようで、だれひとりとして批准すべきだとは口に出しません。それどころか、数だけはいる裏金議員や声だけは大きい岩盤保守だか極右思想に染まった支持票の獲得で脳内がいっぱいなようで、党内選挙とは言え有権者平均の意識からかなりズレた政党に落ちぶれた体を示しています。結局、去り行く人もトップの座に登りつめたい人も、何をやりたいのかよく見えない人たちのレースになっている感じがします。ここまで政治の世界で人材が貧困になったのかと嘆息せざるを得ません。
写真は、福山市人権平和資料館の建物南側に植えられている被爆アオギリ二世(広島市)と被爆クスノキ二世(長崎市)。2023年11月撮影。

環境省はどこを向いて仕事をしているのか

8月30日に環境省が2025年度予算に向けての概算要求を発表しました。主に水俣病対策関係の内容を報道で追ってみましたが、患者団体側からの要望とは大いにズレがありました。
たとえば、離島の患者の交通費などの手当の加算については、患者の要望を取り次いだ熊本県からの環境省への要求は月1千円から月1万円への増額だったのですが、結果1千円増額(総額1200万円)の月2千円に留まり、都合8千円も値切られました。子どもの使い扱いされた県もこれだけ国から軽く見られていることをどう考えているのか、聞いてみたいものです。それでも見た目は月1千円から月2千円と「倍額」になりましたと、手柄話にしてしまうかもしれません。なんとも情けない話です。
不知火海沿岸の住民健康調査の実施についてももともと数をこなせないやり方なのに、わずか500人未満を対象に2026年度試験的に行うとあります。被害者が死ぬまで大規模な調査はやらないと言っているようなものです。しかも国水研の脳磁計(同調査に使用するとしている)の更新などに4億4000万円も充てるというのですから、呆れます。それよりも、増額要求が盛り込まれなかった療養手当の拡充の方が断然意味がありました。
今回の概算要求の内容を通じて環境省の役人たちはいったいどういう脳で仕事をしているのかと疑問に思いました。水俣病被害者救済については、まだ課題がたくさん残っています。地元の首長や議員が率先して動かないのも非常に残念ですが、これからも一つ一つ追及していくしかありません。
写真は8月31日の朝日新聞熊本地域面のイメージ。