8月14日の熊本日日新聞文化面に元NHKディレクターの馬場朝子さんと京都大学名誉教授の山室信一さんとの対談記事「昭和100年語る 中」が掲載されています。そのなかで満州国を研究してきた山室さんが、国家という空間と国家(えてしてそれは専制者そのもの)が国民に求める愛国心の物語の本質を突いた発言をされているのが、目に留まりました。
やや長い引用になりますが、重要なので以下に示します。「国家とは『想像の共同体』と定義されるように、基本的に想像の所産です。(中略)国家という空間は伸縮するわけで、どこが郷土で、何が守るべきものなのかということも社会変動とともに変わっていくはずなのに、あたかも古代から同じような国家があり、ずっと守ってきたという伝統の歴史が作られ、それを信じる子どもたちを作る愛国心教育が各国で行われています。伝統と見なされるものの多くは国民国家を形成するために『想像=創造』されたことは現在の歴史学界の通説です。」「国家というものは作られるものであり、滅び、消えて無くなるものだという視点の重要性です。(中略)日本人は、国家が古くから自然にあり、永久に続いていくと思いがちですが、国民が日々作っていくのが国家だというのが近代国家の前提なのです。」。
この発言を読んで感じるのは、しばしば伝統と称されるものが、伝説ネタに起因するものであり、日本の場合は明治以降に流布されたものが多くあるという事実です。それは、子どもたち向けの愛国心教育に限らず、日常生活のなかで目にするさまざまな言説のなかにしばしば顔を出します。この対談記事の冒頭には戦前の「京大俳句事件」で弾圧逮捕された俳人・渡辺白泉のことが山室さんによって取り上げられていますが、8月8日付け同紙の文化面に寄稿していた長谷川櫂氏の「故郷の肖像④第1章 海の国の物語 天皇と『海の民』の縁」は、同じ俳人の振る舞いとしては興ざめの連載回でした。今回稿では神話(現実の変容)の話と断りつつも景行天皇(西暦71年~130年在位? 143歳で崩御?)の九州巡幸路の図まで載せて想像たくましく海の民と陸の民との権力闘争関係を描いておられるのですが、その意図が正しく読者に伝わるだろうかと思いました。神話のエピソードが荒唐無稽の、換言すればエンターテイメント性の高いネタなのでウケを狙ったのかもしれません、考察文としては失敗作なのではなかろうかと感じました。これに留まらず、昨日届いた所属団体の広報誌に仁徳天皇(西暦313年~399年在位? 142歳で崩御?)の「民のかまど」の逸話を引き合いに書かれた文章を見つけてため息が出ました。都合のいい見立てを述べたいときに実在が疑わしい人物が描かれた神話に依拠して書くというのが、それなりに社会的地位を築いている人にも見られる現象をどう考えたらいいのか悩みますが、厳しい言い方をすれば無教養のそしりを免れないのではと思います。
そうこう朝から考えていたら8月14日の朝日新聞では、「海自実習幹部、靖国神社の『遊就館』を集団見学 今年5月に研修で」の記事が載っていて、失敗を失敗として捉えることができない非科学的な学びから作戦能力は養成できない現実も見てとれて、歴史学界の通説をもっと学んだらと感じました。
写真は、『「戦前」の正体』の裏表紙。