私の小中学生時代は戦後30年足らずということもあって満州からの引き揚げ経験がまだ遠くない教員がいました。特に中学時代の数学の先生が授業中に語った混乱の最中の体験談は壮絶で今も記憶が残っています。中学生時代に読んだ五味川純平の『人間の條件』『戦争と人間』もその時代を描いています。後年読んだ熊本出身の山室信一氏の『キメラ 満洲国の肖像』(中公新書)や一昨年に読んだジャニス・ミムラ著の『帝国の計画とファシズム』(人文書院)も満州国の実像を理解するのに大いに役立ちました。
さて、太平洋戦争研究会が著した『写真が語る満州国』(ちくま新書、1200円+税、2024年)は先月刊行されたばかりの新書ですが、これまで満州国の歴史を知らない世代にとっては、理解が進む格好の歴史教科書的存在の本だと思いました。関東軍や日系官吏、新興財閥の中心人物「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右)をはじめ戦後の日本に大きな影響を及ぼす実力者たちは、俗に「満州人脈」と称せられます。本書では触れられていませんが、その人脈は9000人以上の開拓移民を送った熊本にも残っています。前熊本県知事の蒲島郁夫氏の父は満州で警察官でしたが、無一文で引き揚げて蒲島氏の祖母の家に転がり込みます。その家の地主は、父の同級生であった元熊本市長の星子敏雄氏でした。星子氏自身は満映理事長で敗戦時に服毒自殺した甘粕正彦(憲兵大尉時代に関東大震災が起きその混乱の中で大杉栄・伊藤野枝らを虐殺した)の妹を妻にもち、満州国警察トップを務めました。蒲島氏の父の満州行きも星子氏の誘いがあったからだそうです。
本書の内容に話を戻すと、大戦勃発で頓挫したとはいえユダヤ人定住計画があったことは、初めて知りました。それと、100万戸・500万人の農業移民計画の目的が、当時の貧困な日本の農村の人減らし対策であったことも理解できました。しかし、先住農民の土地を安く買い上げていわば追い払うようにして入植したわけですから、追い払われた側に憎しみが生まれたのは否めません。そのことが敗戦時に被害者から加害者である開拓団民が受けた悲劇を増幅させた面があります。