日別アーカイブ: 2024年8月6日

熊本大空襲

今月は5日まで長崎県諫早市に滞在していました。熊本へ戻って感じるのは過酷な暑さ。初老の身にはこたえます。
そんななか、熊本市役所本庁舎1階ロビーで開催中の熊本大空襲「平和啓発パネル展」を観てきました。1945年7月1日深夜の「熊本大空襲」による死者は469人、罹災者は4万3千人とのことですが、私の母たちは、その空襲の前に当時住んでいた水前寺から現在の宇城市不知火町へ避難していたので、かろうじて難を逃れました。放送局勤務の親族らから軍都・熊本の中心部に留まるのは危ないので疎開するよう強い勧めを受け、私の祖母(祖父はすでに戦没)がそれを受け入れたからと聞いています。
避難した先の宇土・松橋地域もその後(1945年8月10日)に空襲を受けましたので、どこに住んでいても落命の危険はありました。じっさい現在の宇土市にあった父の実家はそのときに焼失しています。戦後、父方の私の祖母は、焼夷弾の部品を漬物石代わりに使っていたのが、今も私の記憶に強く残っています。今回のパネルで確認すると、漬物石として再利用していたのは、「M69焼夷収束弾(親焼夷弾)」の尾翼部分か先端部分にあたるドーナツ状の金属でした。私の父方の祖母はブラジル移民帰りのたくましい人でしたので、災いをもたらした敵の落とし物を生活の道具に利用して生き抜くしたたかさがあったように思います。
パネルの説明文で初めて知ったことは他にもあります。空襲があった当時、現在の熊本市役所本庁舎が建つ場所は、一面焼け野原となった花畑町や安政町一帯よりも一段低い場所であったため、瓦礫が持ち込まれて埋め立てられたとありました。つまり、現在の熊本市役所本庁舎は、戦禍の瓦礫の上に建っているというわけです。これはこれで戦後復興のシンボルなのかもしれません。