月別アーカイブ: 2024年8月

「馬空」つながり

8月29日の熊本日日新聞17面の「わたしを語る 高谷和生さん 第48回」で、玉名市の街角サロン「馬空」ならびにオーナーの荒木さんらお仲間のことが紹介されているのを拝読しました。
同サロンへは昨夏と今夏の2度おじゃまさせていただきました。
民間だからこそ自由に情報発信できて、世代や属性を超えた市民交流が創出されている大切な場所であることが伝わった、喜ばしい紙面でした。
高谷さんらが構想している「戦争ミュージアム」が、熊本県にもぜひとも必要です。

【関連情報1】
その記事にお名前が出ている荒尾市の松山強さんが所蔵する戦時資料の一部が、大牟田市立三池カルタ・歴史資料館で9月23日まで開催中の「平和展2024 兵士たちの記憶 戦場からのメッセージ」で展示されています。先日、観覧してきました。
同氏の所蔵する戦時資料については、31日まで玉名市立歴史博物館こころピア・エントランスホールで開催中の「夏の平和展2024子どもたちが見た戦争」の会場にも展示されています。
記事には同じく宇城市の上村真理子さんのお名前も出ていますが、同氏が所蔵する戦時資料については、今年6月に宇城市の不知火美術館で開かれた「うき 戦争の記憶展」で観覧する機会を得ました。
私がこれら戦争遺産に関心を持つきっかけは、昨夏の「馬空」訪問にあったので、感謝しています。

【関連情報2】
玉名と言えば、日本のマラソン界の先駆者・金栗四三が主人公のNHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリンピック噺~』(2019年)のご当地。「馬空」のお向かいの中華料理店「煌」には、その金栗四三を慕う反骨のランナー・川内優輝氏の色紙が飾ってあります。
その『いだてん ~東京オリンピック噺~』のオープニングタイトルバック画として山口晃さんが制作した「東京圖 1・0・4輪之段」が、現在、佐賀県立美術館で開催中の特別展「ジパング 平成を駆け抜けた現代アーティストたち」に出品されています。同作品が展示されているとは知らずに先日訪ねたのですが、同じく山口晃制作の東京パラ輪公式ポスター「馬からやヲ射る」(2019年)と「当世壁の落書き 五輪パラ輪」(2021年)と併せてじっくり鑑賞してきました。
「東京圖 1・0・4輪之段」はサイズ的にも大作で、TV画面では気付けない、図に盛り込まれた東京の過去と現代の細密な描写の豊かさには驚嘆しました。神宮外苑周辺の箇所の描き様も、今にして思えば興味深いものを覚えました。
「当世壁の落書き 五輪パラ輪」は、制作者が「毒まんじゅう=翼賛案件」とまで思い悩んで末にあえて東京パラ輪公式ポスター制作にかかわり、「真ん中で声を上げる」道を選んだ心境がマンガ仕立てで表現されています。
そういう作品を生み出す山口晃さんがかかわった『いだてん ~東京オリンピック噺~』は、やはり名作だったと改めて感じました。

【関連情報3】
山口晃制作の東京パラ輪公式ポスター「馬からやヲ射る」(2019年)を見ると、なんだか「馬空」のイメージとかぶる気がします。
天空の馬上から、口や足を使って矢を射る人物の背景には、アンダーコントロールだと誰かさんが言った福島第一原発や、5cmの段差を越えられない車椅子の人など、多くのモチーフが描き込まれています。矢が向かう先には霞が関があるのだそうです。

「兵士たちの記憶」観覧メモ

アジア太平洋戦争期の1944年11月から1945年8月にかけて5度にわたる空襲に遭った大牟田市では、これを「大牟田空襲」(※)と呼び、その記録を伝える活動が続けられています。たとえば、大牟田市立三池カルタ・歴史資料館では毎年「平和展」が開催されています。今回の「平和展2024 兵士たちの記憶 戦場からのメッセージ」では、戦地において実際に兵士が使用した武器や装備品、生活道具などが展示されていました。展示品の大半は、荒尾市の戦時資料収集家の松山強氏から借りた品々ということでした。松山氏の所蔵品については、玉名市立歴史博物館こころピアのエントランスホールで開催されている「夏の平和展2024 子どもたちが見た戦争」でも観覧する機会がありました。
※大牟田空襲
①1944年11月21日 B29、7機が爆撃。死者31人。
②1945年6月18日 B29、116機が爆撃。死者260人。
③1945年7月27日 B29、124機が爆撃。死者602人。
④1945年8月7日 B24、23機、P47、18機が爆撃。死者240人。
⑤1945年8月8日 B29、1機が爆撃。死傷者8人。
大牟田市立三池カルタ・歴史資料館については昨夏、やはり平和展開催中の時期に行きましたので、今回が2回目になります。展示品が異なれば当然知り得ることもより広くより深くなります。展示品の中に海軍の水兵帽のペンネント(ハチマキ状に帽子に巻く前章リボン)があったのですが、それに刺繍される文字が1942年10月30日の改正を境に統一されたことを初めて知りました。それまでは艦船名が入っていたのが、改正以降は防諜のため、「大日本帝國海軍」(ただし文字の並びは右から左)に統一されたそうです。いつかその改正日をまたいで水兵が登場する映画や再現ドラマを見たら、ペンネントの表記をぜひチェックしてみたいと思います。
ところで、大牟田における戦争の記録・記憶を伝える活動は、平和展にだけにはもちろん留まりません。JR大牟田駅前に「おおむた観光案内所(大牟田観光プラザ)」があるのですが、そこではこの三池地方をエリアとする地方紙「有明新報」を読むことができます。同紙を読んでみると、大牟田空襲や戦争遺構関連の記事などが載っていました。
この「有明新報」は徹底してローカルネタだけを網羅する紙面構成となっていて、なかでも「こちら110番」のコーナーは地元警察署に寄せられた通報と出動対応記録が載っている特異な紙面でした。初めて目を通した新聞でしたが、6~8面立ての小規模な日刊紙ながらたいへん存在感あるおもしろいメディアだと思いました。大牟田市立三池カルタ・歴史資料館の新マスコットの名前が「カルタン王子」というのも同紙を見たから知り得たことです。
なお、案内所では土産物も販売されています。どうしても買いたいというものはありませんでしたが、「石炭クッキー」や「せきたん飴」などは、やはり印象に残りました。

「ASIAN POP」観覧メモ

福岡アジア美術館の開館25周年記念コレクション展「アジアン・ポップ」の会場は、福岡市地下鉄・中洲川端駅6番出口からすぐに行けて、しかも観覧料は200円と常設展並みの低価格なので、スキマ時間に気軽に訪ねやすい場所と機会だと感じました。来場者も年齢的に若い世代が多く、海外からの観光客と思われる層も見受けられました。訪ねた日は佐賀市から福岡市へ向かったせいもあって、街中を行き交う人の多さを見ると、福岡市は九州では際立つ大都会だと改めて思いました。
さて、展示されている作品についてですが、南アジアのそれ(例:パキスタンのトラック塗装)は華々しい色彩のものが多く、アートというよりPOPそのもの商業広告らしい熱量の高さを感じました。一方で、偶像崇拝を禁じていない権威主義国家では権力者の大きな肖像が街中で掲げられるなど、政治的プロパガンダ要素が高い作品(?)が幅を効かせる点もあり、そうした環境下で表現者が自由に活動可能なのかという側面もあります。一口にアジアといっても政治や宗教、歴史的経緯はそれぞれ異なるので、そのあたりを合わせて理解しながら作品を鑑賞してみるとおもしろいと思いました。
最近、熊本でもさまざまな業種の経営者肖像写真入りの屋外広告を数多く見かけるようになりましたが、かつて全国展開の某ホテルの女性経営者の巨大顔写真を彷彿とさせるセンスが悪いプロパガンダに近く、かえって広告主のうさん臭さを覚えてしまいます。ついつい余計な連想をしてしまいました。

「高輪築堤」観覧メモ

「日本を拓いた鉄の道 高輪築堤」観覧メモ
佐賀県立美術館で開催中の特別展「ジパング 平成を駆け抜けた現代アーティストたち」の観覧が第一の目的で佐賀市を訪ねた旅でしたが、沿道からすると美術館に隣接して手前に位置する佐賀県立博物館が否応なく目に入りますし、観覧無料ということもあって、博物館1Fの「日本を拓いた鉄の道 高輪築堤」の展示も観てきました。高輪築堤とは、1872年に開業した日本初の鉄道である新橋-横浜間の海に築いた線路を通すための堤です。この築堤には佐賀出身の大隈重信が陣頭指揮にかかわりました。大隈の活躍を映像劇で伝えているほか、屋外には遺構の再現展示もなされています。
佐賀市中心部では明治維新の際に活躍した地元佐賀出身の人物像が設置されていてよく目にしました。こういう顕彰の仕方は九州では鹿児島市中心部でも見かけます。中でも大隈重信に対する佐賀の人たちの思いは相当の強さを感じさせられます。当展には江戸時代後期から明治時代に至る佐賀藩と全国の動きを表した年表も展示されています。その年表の中には「佐賀の七賢人」の名前と生没年が記されています。ちなみに、7人の名前は、鍋島直正(藩主)、島義勇(秋田県権令)、佐野常民(ウィーン万博副総裁、大蔵卿)、副島種臣(外務卿)、大木喬任(民部卿、文部卿、元老院議長)、江藤新平(司法卿)、大隈重信(大蔵卿)です。江藤と副島は1873年の政変で下野します。江藤や島は佐賀戦争で1874年に処刑されます。佐野は1877年の西南戦争に際してのちの日本赤十字社となる博愛社を設立しています。大隈は1881年の政変で下野します(その後、現在の早稲田大学の創設や2度の総理大臣就任もあり)。こうしてみると全員がずっと権力の中枢に居座ったわけではありません。賢人でありながら不遇な運命を辿った人物もいて、その名前を忘れまいとする愛郷精神の風土があるように思えました。わが熊本ではこういう文化はないように感じます(あるとすれば全県的なものではなく出身地周辺の狭いエリア限定?)。
それと、私もこの年表で初めて知ったのですが、佐賀県は1876~1883年の時期、長崎県に編入されていました。分離独立して141年ということですが、もしも編入されたままなら、西九州新幹線の佐賀県区間の工事がもっと進んでいたのではと勝手に想像します。
とにかく佐賀の県民性を垣間見た興味深い展示でした。

佐賀・福岡・大牟田訪問記

8月25日、「旅名人の九州満喫きっぷ」を利用して佐賀県立美術館・佐賀県立博物館、福岡アジア美術館、大牟田市立三池カルタ・歴史資料館を訪ねました。当初の予定では、佐賀の次に北九州市立美術館へ行くつもりでしたが、佐賀滞在時間が延びたため北九州行きを止め、帰路途中にある大牟田へ代わりに寄りました。なんといっても普通列車(一部西鉄特急あり)乗り継ぎの気楽な旅でしたし、車中は読書の時間もたっぷりとれて充実した気分を味わうことができました。訪問先別に観覧メモを残しておきます。

「ジパング 平成を駆け抜けた現代アーティストたち」観覧メモ

「ジパング 平成を駆け抜けた現代アーティストたち」会場の佐賀県立美術館では、さまざまな作家の作品が展示されていましたが、今回もっとも注目したのは、山口晃の東京パラ輪公式ポスター「馬からやヲ射る」の制作に参加するに至った葛藤を、マンガ仕立てで表現された「当世壁の落書き 五輪パラ輪」(2021年)でした。山口作品としては、2019年NHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリンピック噺~』のオープニングタイトルバック画として制作された「東京圖 1・0・4輪之段」が一般にも知られていると思います。私自身、東京パラ輪公式ポスター「馬からやヲ射る」については、大会そのものに関心がなかったせいかまったく記憶がありませんでした。ましてや、制作者が「毒まんじゅう=翼賛案件」とまで思い悩んでいたとは知りませんでした。結局のところ、制作に参加することで「真ん中で声を上げる」道を、作家は選びます。求められて表現する部分と求められなくとも表現したい部分がぶつかり合ったギリギリ感がありました。

ほかの作家の作品においても、当時東日本壊滅の危機に瀕した東日本大震災による東電福島第一原発事故に触発されたものが多数あり、時代が表現に与える力の大きさを感じました。そうした政治的メッセージを含む作品ほどやはり深みを覚えます。

なお、同館では、「吉岡徳仁作品特別展示」が併催されていて、同氏のデザインによる「東京2020オリンピック 聖火リレートーチ」やSAGA2024国スポ・全障スポで使用される炬火台及びトーチの写真パネルを観覧することができました。吉岡氏は佐賀県出身ということですが、こちらはどんな葛藤があったのかなかったのか気になりました。

『介護格差』読書メモ

淑徳大学総合福祉学部教授・結城康博著『介護格差』(岩波新書、1000円+税、2024年)より印象に残った点をメモしてみました。知っているのか否かで介護生活の差があるので、元気なうちからの「介活」を勧めています。
●介護と経済的側面からの格差問題→金銭的余裕の有無で状況が変わる
・裕福な高齢者ほどケチ。1円単位で請求書・明細書の問合せが多い。
・夫も妻も国民年金受給者(月10万円層)だと生活が厳しい。
・医療や介護の負担がゼロの生活保護受給者は「最下位層」ではない。
●頼れる人がいるか否かで明暗が分かれる
・家族等が面会に来る高齢者は介護生活も充実。若いときから「人付き合い」を心がける。
・身元保証人がいないことを理由に入居を法令上断れないが、空きがないと別の理由で断られる。
・成年後見人制度は限界がある。医療行為への同意に応じる権限までは法律的に付与されていない。
●医療と健康格差
・人はなかなか死なず、認知症や介護状態となって晩年を生きてから最期を迎えるのが現実。
・将来の「介護生活」を見込んでコミュニティの輪の中でうまくやっていくには現役時代の話を出さない。
(男性は職歴や学歴の話を出しがちだが、女性から煙たがられる)
・統計学的には、年齢を重るにつれ、認知症となる確率が高くなる。
(75-79歳:10.4%、80-84歳:22.4%、85-89歳:44.3%、90+歳:64.2%)
・要介護認定申請と主治医 普段から関係が深いかかりつけ医の意見書>受診歴が少ない総合病院の意見書
●介護人材不足と地域間格差 2024年改正介護保険制度の問題点と格差是正のための処方箋は?
・介護人材不足による深刻さ 介護事業所閉鎖(2023年510件が倒産・休廃業・解散と過去最多)
・訪問介護サービスの基本報酬引き下げにより在宅介護は幻想化する。
・中山間地域といった過疎地域での在宅介護はサービス供給面から困難になっている。
・離島では介護サービスが存在せず介護保険料だけが徴収されている事象も発生している。
・住む市町村による法令解釈の違いで制度も異なる。介護保険料の地域差(小笠原村3374円~大阪市8749円)
・住む市町村により要介護認定率・介護度判定に差がある。
・男性は口数が少ないため調査員が書く調査票特記事項に問題点が拾い上げられにくい。家族同席したがいい。
・介護保険以外のサービス格差が自治体でも民間市場でもある。
・尋常ではない訪問介護の人材不足の要因は給与や職場環境の格差がある。
・ケアマネジャーも不足。5年ごとの更新研修の負担や受験資格の厳格化も要因。
・市町村の財政力と首長次第という地方政治の差もある。千葉県長柄町ではヘルパー資格を無料で取得できる。
・元気高齢者の就業率上昇がボランティアや民生委員の人材不足深刻化を招いている。
・団塊ジュニア世代の介護危機
・地域包括支援センターは介護予防プランに追われ総合相談や地域ネットワーク作り、医療介護連携が疎かに。
・旧「措置制度」の評価を見直すべき! 自治体責任を低下させない。
・介護は「雇用の創出」 ヘルパーの公務員化を進めるべき  10%程度の介護報酬引き上げを!
・財源としては法人税引き上げと資産に基づく負担増を 介護は経済政策(「負担」ではなく「投資」)
●介護は情報戦→知っているか否かで違う→「介活」で格差を乗り切る
・「介活」をやってみよう!
①支えられ上手に ②ハラスメントの加害者にならない ③良し悪しは「口コミ」から
④元気なうちから親子で考えよう ⑤介護相談機関などを調べておこう ⑥「かかりつけ医」を持とう!
⑦元気なうちは働こう! ⑧避難行動要支援者名簿への登録に同意する(同意しないと要支援の対象外)

『環境とビジネス』読書メモ

現在、慶應義塾大学総合政策学部教授とアジア開発銀行研究所(ADBI)のサステナブル政策アドバイザーを務める、白井さゆり氏が著した『環境とビジネス』(岩波新書、920円+税、2024年)は、これから政治や経済の場で世界的に活躍したいと考えている若者にはぜひ手に取ってもらいたい書籍だと思いました。
白石氏によると、世界の投資家が重視しているのが、温室効果ガス排出量の測定だと言います。それなしには削減目標も立てられませんし、削減貢献量もアピールできません。企業は自社の排出量が、スコープ1(企業が事業活動から自ら直接排出した量)、2(他社から購入した電力消費や熱・蒸気使用による間接的な排出量)、3(1と2を除く、上流から・下流までの過程における排出量)のそれぞれでどれだけあるかを把握し、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)の基準に沿った開示が必要となります。企業の内部統制として、排出量の監視や評価がきちんと行われるような組織や人材の配置が重視されることとなります。
実際、米国ではカリフォルニア州(GDP世界5位に相当)を中心に、スコープ3を含む温室効果ガス排出量の開示の義務化の動きがあります。同州では2023年10月に州内で事業を行う年間売上高10億ドル以上の企業を対象に、気候関連の情報開示を義務づける法案が成立。日本企業がすべきことは進出先のくにでどのような開示要件が義務付けられようとしているのかを調査することとなります。すでにEU(GDP世界3位に相当)、豪州、カナダ、英国、ASEAN、香港、韓国、ブラジルが義務づける意向を発表していて、それが世界トレンドになっているそうです。
興味深いのは、米国共和党のトランプ大統領候補を支援するイーロン・マスクが代表の、EVメーカー最大手テスラが成長した一因に、民主党地盤のカリフォルニア州が行う自動車排ガス規制対策としてのクレジット制度があるという事実です。EVだけを製造するテスラが2022年に販売したカーボンクレジットの収入は17億8000万ドル(約2770億円)に達していて、この仕組みは他の民主党地盤の州を中心に取り入れられているとのことです。なお、テスラは世界最大のEV販売市場である中国でも生産を行っています。
著者は、「世界の大企業や大手金融機関は、気候変動・環境リスクの管理が、企業の取締役会と経営者にとって最も重要な決定になると肌で感じとっている。企業は生産・営業活動からの温室効果ガス排出量を減らしていかないと、いずれ株価や市場価値が大幅に低下したり、格付けや資金調達費用が高まっていく可能性がある」と記しています。さらに、この世界のトレンドは大企業だけでなく中小企業や上場していない企業にも影響があると示しています。それが商機と捉えられる人材を確保できた企業が利益を拡大できるのかもしれません。熊本県も半導体生産ばかりでなく環境経営に強い人材の育成にも力を入れたがいいと思います。

脳の世界モデル

8月24日の朝日新聞読書面の「売れてる本」欄において、脳科学者の毛内拡氏が補足説明しているヒトの脳のしくみの話がたいへん興味深く印象に残りました。説明によると、「脳はとにかく省エネがしたい臓器」とのこと。「過去の記憶や経験からあらかじめ『世界のモデル』を作っておき、その世界を見る」のだそうです。そのため、「私たちは脳が作った仮想世界を生きている。生の情報は使わずに、見たいと思ったものだけを見る。多くのすれ違いはここから始まる」といいます。それぞれの人が脳の中にもつ「世界のモデル」が違うのですから、そもそも分かり合えるはずもない、それよりも分かり合えないことを認め合うことが重要と書いてありました。
本稿ではありませんでしたが、もともと私たちの眼で捉えた映像情報が脳に伝わるまでは、時間差があります。地上波TVと衛星放送TVで同じライブ放送内容を視聴すると、衛星放送の映像が地上波のそれより遅れているのと同じで、常に過去しか実は見ていません。それだけではなく、脳の情報処理自体が仮想世界で実行されていると知って、ライブやリアルの世界は実は脳の外にしかないという気がして、これまた面白いと思いました。
ところで、本稿で紹介されている本は、日経BPから出ている、今井むつみ著の『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』。読んだことのない本でしたが、評者の毛内氏の上記の補足説明と提言(短絡的に答えを求める誤った効率主義ではなく、試行錯誤を許容する社会を求める)で十分満足したので、読むのはよそうと思います。
SNSに巣食う一部のレイシストや陰謀論者たちの脳の世界モデルあたりは、さぞかし最先端の省エネタイプ(※速い思考)なんでしょうけど、機知にとんだ言葉や視覚情報でもって上書きしてやるのを楽しんでみます。
※速い思考:心理学者のダニエル・カーネマンが指摘する概念。人間の脳は迅速で能率的な判断をするようにできていて、そのために一部の選択にバイアスがかかることを明らかにした。自分の脳がゆっくりと合理的に問題を考えていると自覚しても、私たちの頭は近道をし、感情に影響されている。自己中心主義(エゴセントリック)、可用性(アベイラビリティ)バイアス、確証バイアス、(快感を求め不快感を避ける)動機付け、情緒が特徴。対立概念は、意識的、論理的で、熟慮を伴う「遅い思考」。
さらに、昨夏読んだ、クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社)に載っていた「平和工学者のための十戒」を以下に示します。
1.容易な問題と厄介な問題を見分けなさい
2.壮大な構想やベストプラクティスを崇拝してはならない
3.すべての政策決定が政治的であることを忘れてはならない
4.「限界」を重視しなさい
5.目指す道を見つけるためには、多くの道を探索しなければならない
6.失敗を喜んで受け入れなさい
7.忍耐強くありなさい
8.合理的な目標を立てなければいけない
9.説明責任を負わなければならない
10.「限界」を見つけなさい
※写真は記事と関係ありません。島根県観光キャラクター「しまねっこ」。

山陰の旅

これまで足を運ぶ機会がなかった島根・鳥取の旅を先日堪能してきました。とはいっても鳥取は境港や米子といった県の西部の一部だけ、山陰全域を訪れたわけではありません。それでも、行ってみて初めて知ることやある程度の知識はあっても改めて重みを知ることがあります。ここでは、島根県安来市にある足立美術館創立者の足立全康と、鳥取県境港市にある水木しげるロード・水木しげる記念館に名を残す水木しげるという二人の人物を取り上げてみます。共通するのは、観光名所の創出に貢献した点、さまざまな職業体験を経ながら大成したのは中高年期を過ぎてからと遅咲きだった点、亡くなる間際まで好きなことを続けて悔いを残さない人生を送った点を感じます。
まず、足立全康氏(1899-1990年 享年91歳)。今でこそ庭園日本一で知られる足立美術館ですが、その基礎となるコレクションの横山大観の絵に大阪・心斎橋脇の骨董店の店先で出会ったのは48歳のときで、その頃まで本人美術品蒐集の趣味があったわけではありません。しかもその大観の絵を初めて購入したのは、58歳のとき。「いつか必ず大観の絵を買ってやるぞ」と決心してから10年後のことです。本格的に美術品蒐集に力を入れるようになったのは、自身が不動産投資事業へ進出した59歳からで、さらに美術館設立に着手するのはそのまた10年後、71歳(1970年)にして開館に至ります。しかし、入館者が伸びずに10年以上思い悩む中、施設の規模を拡大し、大観コレクションの拡充を進めます。その後、開館20周年を迎える頃には年間50万人を超える人気館となり、91歳の生涯を終えます。
出口治明編『戦前の大金持ち』(小学館新書)でも氏の生涯が取り上げられていますが、その中で印象深いのが、当人は常々「自分には学がない」と言っていたようです。そこには変なプライドよりも自分が好きなことを優先する潔さを感じます。お金が活きる使い方と笑顔も大切にしていたようです。これほど果てしなく自分の夢を追求した人物はなく、波乱万丈ではあっても幸せな人生を送ったに違いないと思います。その夢の結晶を誰もが鑑賞できる機会を提供してくれているのですから、特に若者たちには庭園や展示絵画と同時に創立者の生涯に何かを感じてみるにもいい場所だと思いました。
次に、水木しげる氏(1922-2015年 享年93歳)。幼少期に鳥取県境港市で育ちました。旧日本陸軍兵士としてアジア太平洋戦争に従軍し、1944年、22歳のとき、赴いていたニューブリテン島において受けた負傷が元で左腕を失います。記念館では、従軍中の体験の過酷さやその後の人生に与えた影響の大きさがよく理解できる展示となっていました。もともとは画家志望でしたが、貧窮のため、その道は諦めますが、絵に関係した仕事として漫画家としての生活を始めます。商業誌デビューを果たしたときには40歳代を迎えていました。
代表作は、『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』など。妖怪漫画の第一人者というだけでなく、本人の特異なキャラクターと、その数奇な人生が知られ、世間から注目を受けるようになりました。1993年(71歳)、鳥取県境港市の町おこしに協力し、水木しげるロードの建設が開始され、2003年(81歳)に水木しげる記念館の開館によって完成します。2010年(88歳)、妻の武良布枝氏(現・島根県安来市出身)の著書『ゲゲゲの女房』がテレビドラマ化され、本人は鳥取県名誉県民、文化功労者となります。同年、通称「米子空港」が愛称「米子鬼太郎空港」となります。
水木しげる氏の生き方を辿ってみると、しっかり睡眠(1日10時間)をとり、食欲が旺盛であり、来客者との会話を楽しみ、家を改築するのが好きということでした。基本的にストレスが少ない人ではなかったのではと思います。戦時中にマラリア熱で倒れ、衰弱で栄養不足になっていたときに、現地住民の助けで生活した経験があったといいます。相手に警戒されずに受け入れられる不思議な人間的魅力が若いときからあったのではないかとうかがわせるエピソードだと感じます。足立氏と同様、水木氏もたいへん興味がそそられる人生を歩みました。ぜひ若い人たちこそ記念館を訪ねてみてほしいと思います。

心配だけなら無用だ

明日(8月17日)に、水俣市の水俣病センター相思社において同法人内に事務局を置く水俣病被害者団体である水俣病患者連合と木村熊本県知事との懇談会が開かれます。患者連合からは約20人が参加して同団体側から提出した要望書について意見交換する予定となっています。
今回の懇談前日となる本日の地元紙に「県政特集」と称する広告特集もどきの別刷が折り込まれていて、その3面に水俣病問題についての知事インタビューの回答が載っており、「県としても被害者が置かれている状況に目を向け、心を配っていく必要があると改めて痛感しました。今ある制度でできることはないか、改善すべきことはないか、常にアンテナをしっかり張っていきたいです。」と発言していました。見出しには、「被害者と向き合い心を配る」とありましたが、知事には今ある制度の枠内で考えるのではなく、制度そのものの見直しに向き合ってほしいと思いました。心を配るだの、寄り添うだの、そういう上っ面の言葉を被害者は求めてはいないはずです。心配だけなら無用だと言われてしまうと思います。
今月4日にも水俣市で知事と水俣病被害者・支援者連絡会との懇談が開かれていますが、この席で知事は「(患者の)認定基準は国の事務」と述べ、認定制度の見直しに県は踏み込まない姿勢を貫きました。被害者側からは「国から言われっぱなし」「県民の命を守るのが知事の責任」と批判されました。
今も続く裁判では加害企業のチッソと同じく後から被害を訴えてきた人は一切救済しないことを求める「除斥期間」の適用を主張するなど、知事の一連の姿勢は、認定患者をこれ以上増やさないことだけに邁進しているようにしか見えません。
明日は知事が逃げずに、自分の職業的使命が何なのかしっかり理解できるまで語り合ってほしいと願っています。

論文の要件

「先端教育アウトリーチラボ(AEO)高校生研究員2024夏期集合型プログラム2024 8/2」の動画を視聴していたら、「論文の要件」として以下の3要件が示されていたので、思わずメモしてしまいました。
①独創性:これまで誰も言っていないことか? 新しいチャレンジになっているか?
②有用性:社会の何かに役立つ内容になっているか?
③論理性:誰もが納得できる形で客観的に示せるか?
この要件は、SNSのようなパーソナルメディアにおける言説の発信についても当てはまると思います。日頃、パーソナルメディアにしても一部マスメディアにしても、以上の要件から外れたプロパガンダあるいはゴミのような言葉に接することが多いだけに、読む価値を判断する基軸になると思います。
逆に言えば、この要件を満たした言説をもって世の中に発信していけば、私たちの誰もが社会をよくするメディアになり得るということにもなります。改めて学ぶことの重要性を知りました。
最後に下世話なことですが、皇位継承順位2位の高3生の方が、どこの大学へ進むにしても、このプログラムに参加したら役立ったのではと思いました。

伝説ネタの物語に流されるのは無教養

8月14日の熊本日日新聞文化面に元NHKディレクターの馬場朝子さんと京都大学名誉教授の山室信一さんとの対談記事「昭和100年語る 中」が掲載されています。そのなかで満州国を研究してきた山室さんが、国家という空間と国家(えてしてそれは専制者そのもの)が国民に求める愛国心の物語の本質を突いた発言をされているのが、目に留まりました。
やや長い引用になりますが、重要なので以下に示します。「国家とは『想像の共同体』と定義されるように、基本的に想像の所産です。(中略)国家という空間は伸縮するわけで、どこが郷土で、何が守るべきものなのかということも社会変動とともに変わっていくはずなのに、あたかも古代から同じような国家があり、ずっと守ってきたという伝統の歴史が作られ、それを信じる子どもたちを作る愛国心教育が各国で行われています。伝統と見なされるものの多くは国民国家を形成するために『想像=創造』されたことは現在の歴史学界の通説です。」「国家というものは作られるものであり、滅び、消えて無くなるものだという視点の重要性です。(中略)日本人は、国家が古くから自然にあり、永久に続いていくと思いがちですが、国民が日々作っていくのが国家だというのが近代国家の前提なのです。」。
この発言を読んで感じるのは、しばしば伝統と称されるものが、伝説ネタに起因するものであり、日本の場合は明治以降に流布されたものが多くあるという事実です。それは、子どもたち向けの愛国心教育に限らず、日常生活のなかで目にするさまざまな言説のなかにしばしば顔を出します。この対談記事の冒頭には戦前の「京大俳句事件」で弾圧逮捕された俳人・渡辺白泉のことが山室さんによって取り上げられていますが、8月8日付け同紙の文化面に寄稿していた長谷川櫂氏の「故郷の肖像④第1章 海の国の物語 天皇と『海の民』の縁」は、同じ俳人の振る舞いとしては興ざめの連載回でした。今回稿では神話(現実の変容)の話と断りつつも景行天皇(西暦71年~130年在位? 143歳で崩御?)の九州巡幸路の図まで載せて想像たくましく海の民と陸の民との権力闘争関係を描いておられるのですが、その意図が正しく読者に伝わるだろうかと思いました。神話のエピソードが荒唐無稽の、換言すればエンターテイメント性の高いネタなのでウケを狙ったのかもしれません、考察文としては失敗作なのではなかろうかと感じました。これに留まらず、昨日届いた所属団体の広報誌に仁徳天皇(西暦313年~399年在位? 142歳で崩御?)の「民のかまど」の逸話を引き合いに書かれた文章を見つけてため息が出ました。都合のいい見立てを述べたいときに実在が疑わしい人物が描かれた神話に依拠して書くというのが、それなりに社会的地位を築いている人にも見られる現象をどう考えたらいいのか悩みますが、厳しい言い方をすれば無教養のそしりを免れないのではと思います。
そうこう朝から考えていたら8月14日の朝日新聞では、「海自実習幹部、靖国神社の『遊就館』を集団見学 今年5月に研修で」の記事が載っていて、失敗を失敗として捉えることができない非科学的な学びから作戦能力は養成できない現実も見てとれて、歴史学界の通説をもっと学んだらと感じました。
写真は、『「戦前」の正体』の裏表紙。

『暴力とポピュリズムのアメリカ史』読書メモ

11月に行われる米大統領選挙に向けた運動が今展開していますが、民主党の副大統領候補の経歴に州軍(ナショナル・ガード)勤務歴が20年あるとありました。しかし、他国の国民からすれば、この州軍がいったいどういう組織なのか、米国の歴史の中でどのような経緯で存在しているのか、ほとんど知らないと思います。そうした疑問に答えてくれるのが、専門の研究者であり、実にありがたいものだと思って、中野博文著の『暴力とポピュリズムのアメリカ史 ミリシアがもたらす分断』(岩波新書、940円+税、2024年)を読み終えました。
かつての帝国日本が満州へ送り込んだ初期の開拓移民は武装移民でしたが、米国の歴史をさかのぼると独立以前から武装の歴史があり、米国陸軍の始まりは独立前にあります。いわば、武装の権利がかなり強く保障される基盤があったようです。独立戦争や南北戦争、共和党と民主党、白人と黒人をめぐる歴史も、米国における武装組織とのかかわりで見ていくと、ずいぶん現代と見え方が異なる印象を受けました。現在は大きく分けて正規軍(連邦軍)、州軍、民間ミリシア(正規軍と国内外で行動を共にする民間軍事会社もあれば、国内での政治的主張をもった民間団体もある)とがあります。意外だったのは、正規軍は現在最小限の規模に留め、その人員確保のために一定の軍歴を果たせば大学学費免除や医療などの福利厚生の優遇を図っている点でした。米国では、軍隊が低所得層にとって社会保障が充実した職場の選択肢としてあるようです。ひとつに徴兵を行うと、地域社会で排除されやすい人材が集まりやすくなるため、その手段は避ける考えが定着しているようです。いずれ日本の自衛官募集も米国のように高等教育と福祉をエサに要員確保に動く政策が出てくるのではないでしょうか。

『「戦前」の正体』読書メモ

神話に支えられた明治維新から戦前までの近代日本の国民的ナラティブを一望し理解できる著作として、辻田真佐憲氏による『「戦前」の正体』(講談社現代新書、980円+税、2023年)は、たいへん読みやすく、広く教養書として手に取ってほしいと思っています。著者の辻田氏の名前は、私の地元・熊本県の熊本日日新聞の読者であれば、月1回「くまにち論壇」欄に登場しているので、見知った方も多いのではないでしょうか。年齢的にも30代でありながら近現代史研究者として熊本にかかわりのある人物の足跡を深く掘り下げていて、いつも「お主デキるな」と、その切れ味ある論考に魅了されていました。
本書のp.268には「明治の指導者たちは、神話を一種のネタとわきまえたうえで、迅速な近代化・国民化を達成するために、あえてそれを国家の基礎に据えて、国民的動員の装置として機能させようとした。その試みはみごとに成功して、日本は幾多の戦争に勝ち抜き、列強に伍するにいたった。しかるに昭和に入り、世界恐慌やマルクス主義に向き合うなかで、神話というネタはいつの間にかベタになり、天皇や指導者たちの言動まで拘束することになってしまった。」とあります。その明治の指導者として共に熊本出身であり、やはり共に教育勅語の起草に携わった井上毅と元田永孚がいます。本書ではp.98-100で今も熊本県内の主要な神社には教育勅語の記念碑が建てられており、教育勅語に熱心な熊本県としての紹介記述もあります。井上や元田はたいへん実直な人物でありその人間性には好印象を持っていますが、後年、ネタがベタとなる利用のされ方をしてしまった点は、起草当時の両人らにとっては思いもよらないことで、今も熊本県内で続けられている顕彰をどう思っただろうと気になります。
最近、戦時下の子どもたちの周囲に存在した資料展示を観る機会があったのですが、神話国家を支えたのは「上からの統制」だけでなく「下からの参加」もあり、そのことを資料から強く感じました。本書p.284では時局に便乗して軍歌を多数世に出したレコード産業を例にとり、プロパガンダをしたい当局と、時局で儲けたい企業と、戦争の熱狂を楽しみたい消費者という3者にとってWIN・WIN・WINな利益共同体の存在を指摘しています。なお、本書の出版元の講談社の前身も子ども向けに国威発揚の教育雑誌を盛んに刊行し儲けていました。
けっきょく日本神話に登場する伝説をネタとして知ること自体は一つの教養と言えるかもしれません。しかし、南九州に金属器が存在しない時代に鏡や剣の鋳造、造船(木の切り出しを伴う)をなし得ることはできません。渡来系弥生人が伝える前の時期に稲穂が登場するのも辻褄が合いません。神話を史実だとベタに信じ込んでいる人がいたら、はなはだ失礼ながら無教養人だと言わざるをえません。
今後ルーツが異なる人々との共生が必然になる中で、どのような統合の物語が必要なのか、戦前の有り様から学ぶことは多いと思います。

熊本に設立が必要な戦争ミュージアム

8月7日、「2024年夏の街かど戦時資料展」が開かれている街角サロン「馬空」を1年ぶりに訪ねて、展示品を提供されている高谷和生さんにこれも1年ぶりにお会いし、楽しい時間を過ごすことができました。
私は、高谷さんたちが構想されている「くまもと戦争と平和のミュージアム」の設立実現を切に望んでいます。
高谷さんにも紹介させていただきましたが、7月に岩波新書から刊行された、梯久美子著『戦争ミュージアム』を最近読みました。同書で感じたのは、戦争体験者が減ってきていますので、「戦争を伝える物の展示」と「展示物がもつ意味を解説できる学芸員の存在」の重要性です。そうした機能を有するのが、まさに戦争と平和のミュージアムであり、まだそれがない熊本にぜひとも必要だと考えています。
高谷さんによれば、10月13日(日)に、隈庄飛行場や松橋空襲の戦争遺産を巡るツアーを計画されているということでしたので、そちらも参加したいと思います。
『戦争ミュージアム』では、14館のミュージアムを取り上げていますが、そのうちの一つに長野県上田市にある「戦没画学生慰霊美術館 無言館」(1997年開館)があります。そして、同館に展示されている佐久間修さんの絵や手紙のことが紹介されています。東京藝術大学美術学部の前身である東京美術学校の油画科を出て熊本県立宇土中学校教諭となった佐久間さんは、生徒を引率した勤労動員先の第21海軍航空廠(現在の長崎県大村市)で、B29の直撃弾を受け、妻と2人の子どもを残し、29歳の若さで亡くなっています。展示されている油彩画とデッサンはいずれも妻の静子さんを描いたものであり、静子さんが戦後50年間、自宅に飾っていたものが同館へ託されたのだそうです。

『写真が語る満州国』読書メモ

私の小中学生時代は戦後30年足らずということもあって満州からの引き揚げ経験がまだ遠くない教員がいました。特に中学時代の数学の先生が授業中に語った混乱の最中の体験談は壮絶で今も記憶が残っています。中学生時代に読んだ五味川純平の『人間の條件』『戦争と人間』もその時代を描いています。後年読んだ熊本出身の山室信一氏の『キメラ 満洲国の肖像』(中公新書)や一昨年に読んだジャニス・ミムラ著の『帝国の計画とファシズム』(人文書院)も満州国の実像を理解するのに大いに役立ちました。
さて、太平洋戦争研究会が著した『写真が語る満州国』(ちくま新書、1200円+税、2024年)は先月刊行されたばかりの新書ですが、これまで満州国の歴史を知らない世代にとっては、理解が進む格好の歴史教科書的存在の本だと思いました。関東軍や日系官吏、新興財閥の中心人物「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右)をはじめ戦後の日本に大きな影響を及ぼす実力者たちは、俗に「満州人脈」と称せられます。本書では触れられていませんが、その人脈は9000人以上の開拓移民を送った熊本にも残っています。前熊本県知事の蒲島郁夫氏の父は満州で警察官でしたが、無一文で引き揚げて蒲島氏の祖母の家に転がり込みます。その家の地主は、父の同級生であった元熊本市長の星子敏雄氏でした。星子氏自身は満映理事長で敗戦時に服毒自殺した甘粕正彦(憲兵大尉時代に関東大震災が起きその混乱の中で大杉栄・伊藤野枝らを虐殺した)の妹を妻にもち、満州国警察トップを務めました。蒲島氏の父の満州行きも星子氏の誘いがあったからだそうです。
本書の内容に話を戻すと、大戦勃発で頓挫したとはいえユダヤ人定住計画があったことは、初めて知りました。それと、100万戸・500万人の農業移民計画の目的が、当時の貧困な日本の農村の人減らし対策であったことも理解できました。しかし、先住農民の土地を安く買い上げていわば追い払うようにして入植したわけですから、追い払われた側に憎しみが生まれたのは否めません。そのことが敗戦時に被害者から加害者である開拓団民が受けた悲劇を増幅させた面があります。

熊本大空襲

今月は5日まで長崎県諫早市に滞在していました。熊本へ戻って感じるのは過酷な暑さ。初老の身にはこたえます。
そんななか、熊本市役所本庁舎1階ロビーで開催中の熊本大空襲「平和啓発パネル展」を観てきました。1945年7月1日深夜の「熊本大空襲」による死者は469人、罹災者は4万3千人とのことですが、私の母たちは、その空襲の前に当時住んでいた水前寺から現在の宇城市不知火町へ避難していたので、かろうじて難を逃れました。放送局勤務の親族らから軍都・熊本の中心部に留まるのは危ないので疎開するよう強い勧めを受け、私の祖母(祖父はすでに戦没)がそれを受け入れたからと聞いています。
避難した先の宇土・松橋地域もその後(1945年8月10日)に空襲を受けましたので、どこに住んでいても落命の危険はありました。じっさい現在の宇土市にあった父の実家はそのときに焼失しています。戦後、父方の私の祖母は、焼夷弾の部品を漬物石代わりに使っていたのが、今も私の記憶に強く残っています。今回のパネルで確認すると、漬物石として再利用していたのは、「M69焼夷収束弾(親焼夷弾)」の尾翼部分か先端部分にあたるドーナツ状の金属でした。私の父方の祖母はブラジル移民帰りのたくましい人でしたので、災いをもたらした敵の落とし物を生活の道具に利用して生き抜くしたたかさがあったように思います。
パネルの説明文で初めて知ったことは他にもあります。空襲があった当時、現在の熊本市役所本庁舎が建つ場所は、一面焼け野原となった花畑町や安政町一帯よりも一段低い場所であったため、瓦礫が持ち込まれて埋め立てられたとありました。つまり、現在の熊本市役所本庁舎は、戦禍の瓦礫の上に建っているというわけです。これはこれで戦後復興のシンボルなのかもしれません。

古気候学や人類学の知見

藤尾慎一郎著の『弥生人はどこから来たのか』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、1700円+税、2024年)を読み進めてみると、先史日本の姿を知るには、古気候学や人類学(しかも形質人類学から分子人類学へ)の分野の貢献が大きいことが理解できます。歴史というと、つい人文科学というイメージが強いのですが、自然科学の手法を使って解明できる点が多く、もっと学際的なものなのだなと認識を新たにできました。昭和やへたすると平成年代に先史日本の歴史教育を受けた国民の知識と令和以降に受けた国民のそれとでは大いに常識が異なることがあるかもしれません。
本書で出てくる科学用語と中身を以下にメモしてみます。
・AMS-炭素14年代測定法…炭素14という、時間の経過とともに規則的に窒素14(N14)に変化していく放射性炭素(C14)を使って年代を測定する方法。炭素14は約5700年で濃度が半分になるので、炭化米や土器に着いたススなどの炭化物中に残っている炭素14の濃度を調べることによって、何年前(ただし数十年から数百年単位)にできた炭化物なのかを知ることができる。
・酸素同位体比年輪年代法…時間の経過とともに変化することのない、安定同位体である酸素16と酸素18の比率の1年ごとの変化をもとに湿潤の変化を調べ、気温の変化を知る方法。特にその年の梅雨が空梅雨だったか、雨が多い梅雨だったのかを知ることができる。現在、約4000年前の縄文後期から現代までの酸素同位体比の標準年輪曲線が1年単位で整備されている。
・DNA分析…ミトコンドリアと核にあるDNAを使う。骨や歯の中に残っているコラーゲンからDNAを抽出し、ミトコンドリアDNA分析では母系を、核ゲノムでは母系に加えて父系とY遺伝子の関係を知ることができる。縄文人(=日本列島で最も古い約3万7000年前の後期旧石器人(※熊本の「石の本遺跡群」)はつながっていない可能性がある)のミトコンドリアDNAには、西日本型、東日本型、北海道型という3つのハプロタイプがあること、渡来系弥生人と同じミトコンドリアDNAをもつ縄文人は1人も見つかっていないことが知られている。
※DNA:アデニン・グアニン・シトシン・チミンの4つの塩基からなり、それらの配列がタンパク質の種類を決める情報となった二重螺旋状の構造体。ミトコンドリアと核にあるので、それぞれミトコンドリアDNA(約1万6500の塩基の連なりからなる:数が少ないので解析が容易)と核ゲノム(32億の塩基の連なりからなる:集団比較に効力を発揮するSNP(1塩基多型)解析が主流、全ゲノム解析はまだ費用が高く解析に長い時間がかかる)と区別して呼ぶ。
※ゲノム:ある生物がもっている遺伝子(ヒトは約2万2000からなる)の総体。
・レプリカ法…縄文土器や弥生土器の表面に見られる凹みや孔に樹脂を詰めて、樹脂に写し取られた圧着面の模様を電子顕微鏡で観察することによって、土器に着いていたのが何かを推定する方法。コメ・アワ・キビといった穀物に限らず昆虫も考察の対象になる。