月別アーカイブ: 2024年7月

観覧予定の展示

来月観覧したいと考えている3つの展示です。

○夏の平和展2024 子どもたちが見た戦争
◆日時:7月23日(火)~8月31日(土)の9:00~17:00 月曜・祝日の翌日は休み
◆会場:玉名市立歴史博物館こころピア エントランスホール
◆観覧:無料

○2024年夏の街かど戦時資料展
◆日時:7月31日(水)~8月19日(月)の11:00~17:00 火曜は休み
◆会場:街角サロン「馬空(ばくう)」
◆観覧:無料
※リンク先は2023年の紹介記事

○熊本大空襲「平和啓発パネル展」
◆日時:8月5日(月)~8月16日(金)の8:15~17:15 土曜・日曜・祝日は休み
◆会場:熊本市役所本庁舎(中央区手取本町1番1号)1階ロビー (正面玄関横)
◆観覧:無料

パレスチナのガザ地区で現在も続くジェノサイドが示す通り戦争の犠牲者は、戦闘員だけでなく子どもたちも例外ではありません。たとえ命を失わなくとも心に負った傷が消えることはありません。
わが宇土市では例年4月に「戦没者合同慰霊祭」と称して軍人軍属の戦死者だけを対象にした慰霊式典が開かれています。なぜ式典の名称が「追悼式」や「平和祈念式典」ではなく「慰霊祭」であり、その開催時期が8月ではなく4月なのかというと、靖國神社の春の例大祭に合わせているからです。先の大戦では空襲などにより居住地で命を落とした民間人も多数いますが、それらの人々が追悼されることはなく、忘れられています。

『弥生人はどこから来たのか』読書メモ(巻頭部分)

藤尾慎一郎著の『弥生人はどこから来たのか』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、1700円+税、2024年)を手に取ってわずか1割程度しか読み進めていないところの投稿なので、本稿は正確には読書メモとは言えないシロモノです。ですが、初っ端から何かメモを残しておきたい衝動に駆られるほど、本書は新しい知見を示してくれて大いに刺激感を覚えさせてくれました。
本書は冒頭、2023年4月から高校で使われている日本史教科書が60年ぶりに大きく改訂されたことを明らかにしています。具体的には、土器の出現を指標とする縄文時代と水田稲作の始まりを指標とする弥生時代の開始年代が大きく引き上げられ、それぞれ約1万6000年前(約3500年古くなる)と約2800年前(約400年古くなる)となったということでした。この時代の開始年代が大幅に遡ることになった要因は、AMS-炭素14年代測定法や酸素同位体比年輪年代法、DNA分析、レプリカ法といった先端科学技術の手法の導入によるものとされます。ちなみに弥生時代の前半期は前10世紀~前4世紀の約600年間にあたりますが、わずかな青銅器の破片を除き金属器はほぼ存在せず、基本的に石器だけが利器とされた石器時代だったとされます。なお、この時代の韓半島南部社会はすでに青銅器時代でしたし、メソポタミアでは楔形文字文明で知られるアッシリア帝国が滅亡へ向かっていた時期が含まれます。
ここでふと珍妙に感じたのは、歴史学の非専門家が出版にかかわった『国史教科書 第7版』(売価税込2000円)なる書籍が、紀伊國屋書店新宿本店の7月24日調べの週間売上ランキング3位に名を連ねている現象でした。第6版までのそれは文科省の中学歴史教科書検定不合格を続けてきたようなのですが、第7版になって初めて表紙に「合格」の宣伝文句が刷り込めたようです。同書の版元によると、今のところ紀伊國屋書店とアマゾンでしか取り扱われていない同人誌扱いの出版物とのことですが、皇統譜など伝説のたぐいの資料を掲載してそれを史実と思わせることを目的とする実に変わった読み物です。しかし、まともな歴史教育に接したことがない読者には、めでたくも歴史を学べたと喜ばれているのでしょう。
すでに触れたとおり弥生時代前半期半ばの前7世紀頃の日本列島には青銅の鏡も鉄の剣もない時代です。三種の神器どころか文字もなかった時代に覇権をなした勢力が存在しようもありません。要するに国史とは呼べず先史にあたる時期を、ある方向へ無理やり導くことが果たして学問と言えるのかということです。
自称「国史」に税込2000円を捨てるような愚かなマネは止めて、2000円もしない『弥生人はどこから来たのか』を読んで、未来ある中学生が歴史学習の道を踏み誤らないよう賢明な大人が導いてあげたいものです。

『食べものから学ぶ現代社会』読書メモ(前半)

平賀緑著『食べものから学ぶ現代社会』(岩波ジュニア新書、940円+税、2024年)の副題は「私たちを動かす資本主義のカラクリ」とある通り、食べものを通じて現代社会のグローバル化、巨大企業、金融化、技術革新を解明してくれた書です。私たちの食事のありようは食料安全保障とも密接なのですが、本書を読むとそれらはなるべくしてなった、つまりそう行動させられているワケがあるのだなと思いました。
以下、本書の前半部分から印象に残った記載をメモしておきます。近代日本において軍部と財閥系総合商社や食品製造業が密接に関与していた歴史とそれに現在も連なる業界地図の風景には興味深いものがありました。本書後半についてはここには記していません。どのようなパラダイムへのシフトが望ましいかを著者は提言していますが、私自身でも答えを考えてみようと思います。
・はじめにⅵ:ジョーン・ロビンソンという有名な経済学者は、経済学を学ぶ目的は、経済を語る者にだまされないようにするためだと言った。
・はじめにⅸ:「経済学」の世界に入ったら、どうもセオリーとリアル社会との間にズレがあるように(著者は)感じている。巨大企業が圧倒的に強い、競争なんてできない社会。経済の「金融化」、取引のマネーゲーム化。
p.9:「使える」価値より「売れる」価値。
p.13:売らなくては儲からない、売り続けなくては成長できない。
p.19:需要は供給側が促し、取引はマネーゲーム化。「投機筋」が9割方動かしている。
p.20:資本主義的食料システム~食も農も資本主義のロジックで動いている。
p.31:小麦、コメ、トウモロコシという、たった3種類の作物が、世界人口のカロリー摂取の半分以上を占めている(2022年)。
小麦生産割合% 中国18,欧州連合17、インド14、ロシア11、米国7、カナダ5、パキスタン3、ウクライナ3
トウモロコシ生産割合% 米国31、中国22、ブラジル9、欧州連合6、アルゼンチン5、インド3
p.40、94:日本では1885年ごろから機械製粉の小麦粉輸入が急増。主要商品は軍用パンやビスケット。現在まで続く製パン業・製菓業の大企業が誕生。明治製糖(1906年)、森永商店(1910年)、味の素(1907年 創業時は鈴木製薬所)、日清豆粕製造(1907年 現・日清オイリオグループ)
p.41、95:日本の製粉業や製糖業、製油業(植物油)における財閥系大企業による寡占(1937年)。
製粉業% 日清製粉(三菱)38、日本製粉(三井)30、日東製粉(三菱)7
製糖業% 台湾製糖(三井)27.8、明治製糖(三菱)20.2、大日本製糖(藤山)26.4
製油業 日清製油(大倉)、豊年製油(南満州鉄道中央試験所→鈴木商店)
p.96-97:日本の食料自給率が低い要因には、日本の大企業が輸入原料を多用する食料システムを牽引していたことが影響している。輸入には総合商社が参画。
製粉業 日清製粉(←丸紅が投資)、ニップン(元・日本製粉←伊藤忠商事・三井物産が投資)
製糖業 DM三井製糖HD(←三井物産・三菱商事が投資)、日新製糖(←住友商事が投資)
製油業 日清オイリオグループ(←丸紅が投資)、J-オイルミルズ(←三井物産)
三菱商事…(三菱食品、日本食品化工、東洋冷蔵、伊藤ハム米久HD、ローソン、ライフコーポレーション、日本KFC)
三井物産…(三井食品、三井農林、DM三井製糖HD、)
伊藤忠商事…(伊藤忠食品、日本アクセス、ドール・インターナショナル、プリマハム、不二製油グループ、ファミリーマート)
p.98-99 巨大企業が求めた、原料の大量調達と商品の大量販売
明治期~帝国日本 近代化を急ぐ政府が新旧財閥を保護しながら大企業を中心に発展→帝国日本が支配していたアジア地域を含む海外から調達した原料を多用しながら築き上げる。
第二次世界大戦後 その多くが総合商社と大手食品企業として存続→主に米国産の穀物・油糧種子を輸入しながら再強化→輸入原料に依存した加工食品・畜産・外食の一体化(集積)を形成。

鬼畜同然の物言い

81年前のサントス事件など第2次世界大戦中と戦後にブラジルで日系移民が受けた迫害に対して、同国政府が初めて謝罪したことが、けさの新聞で伝えられていました。ブラジルではこれまで日系迫害について歴史教科書での記述はなかったことから、今回の謝罪が積極的な歴史教育への出発点になることが期待されているとも報じられていました。
さて、地元熊本県に目を転じると、昨日の知事の定例記者会見での発言に憤怒の念を抱きました。内容は、県が除斥期間を主張している水俣病訴訟での対応について問われた際の回答です。旧優生保護法訴訟最高裁判決で被告である国が主張した除斥期間の適用について著しく正義・公平に反するとして退けられ、判決後に首相も主張を撤回する考えを示しました。ところが、知事は、「旧優生保護法と水俣病の問題を一律に議論するのはふさわしくない」と鬼畜同然の物言いを行っています。
不法行為から20年の経過で損害賠償請求権が消滅する除斥期間の主張をするということは、後から被害を訴えた患者は一切救済せずに切り捨てると述べるのと同じです。この一点だけでも「県民に寄り添う」という日頃の知事の言葉が、いかに口先ばかりか、棄民政策の実行者に過ぎないかということを示していると考えます。付け加えて記すと、水俣病原因企業のチッソも現在進行中の訴訟で除斥期間の適用を主張しており、チッソ代理人弁護士は適用を認めない判決を「民事司法の危機」、適用を認めた判決を「信頼を回復した」「極めて正当」と表現し、加害者にもかかわらず不誠実で傲慢な態度を取り続けています。つまりは、県の姿勢はチッソと変わりないのです。まったくもって不正義です。
頑なに除斥期間の主張を続ければ、仮に将来実施する汚染地域居住歴のある住民対象の健康検査で見つかった患者は救うけれども、自ら被害を訴えて名乗り出た患者は救わないという不公平も生じかねません。逆に考えると、そうした不公平が出ないように患者を見つけない健康検査しか行わないつもりかもしれません。
冒頭歴史教育について触れましたが、本日の朝日新聞「交論」欄において、大学教養課程の年齢層の若者の歴史観を問われた歴史学者の宇田川幸大氏が次のように語っていました。「『時間切れの現代史』と言われるように、高校で戦争や植民地支配のことをあまり教えられていないので知識不足が目立ちます。何も知識がないまま、インターネットやSNSに広がる歴史修正主義にさらされるのは、あまりに危険です。その意味で、歴史教育はますます重要になっています」。
それは、いい歳した大人、たとえば知事職にある人物の資質にも言えると思います。地元紙の報道では、水俣病未認定患者の救済に国や熊本県とは対照的に積極的に対応していると、新潟県知事を評価しています。一方で、同知事は、ユネスコの世界文化遺産登録が目指されている佐渡鉱山への朝鮮人の強制連行を記述した「県史」を尊重しようとしていないと指摘する歴史学者(外村大氏)もいます。
知事の経歴は一般的に外形的には立派な人物が多いように思いますが、ときに判断を誤ることもあると思います。どのような歴史教育を受けてきたのか、今も歴史に学ぶ器量があるのかを、県民は見極める必要を感じます。
写真は記事と関係ありません。パリ・ロダン美術館(1991年12月撮影)。

山僧活計茶三畝 漁夫生涯竹一竿

高校生たちの科学研究に協力している漁協の事務所に写真の扁額が掛かっているのを見つけて意味を調べてみました。
そうすると、禅林句集が元ネタのようです。下記の通り上下一対の句となっています。
山僧活計茶三畝 漁夫生涯竹一竿
物欲に超然として清貧簡素な生活に甘んじ、悠々と自適する禅者・真の風流人の境涯を、山僧と漁夫とに託して頌じたものであり、わびの真境をよく詠じた句とされます。
その大意は、「托鉢で得た財物で正常な毎日をすごす山僧には、これといった財産もないし、またいりもしない。財産といえばわずかに、庵前の三畝歩ほどの茶畑にすぎない。漁夫もまた同様でただ一本の釣り竿でのどかに暮しをたてている。それは一見まことに貧しく不風流にみえるが、心豊かな彼らはけっこう『風流ならざるとこ処、また風流』と、その自由な境涯を楽しみ味わっている。」というようなこと、と西宮市立中央図書館のレファレンス事例にありました。
扁額を書かれたのは、半世紀以上も前に当時文部大臣だった国会議員の方ですが、いまどきの裏金議員連中には到底思いも付かない言葉だなとしみじみ思いました。

救済されていない現実

けさの熊本日日新聞1面では、水俣病患者団体との懇談に臨んだ中で熊本県知事が見せた、救済に対する消極姿勢について報じていました。一方、本日夕方のNHK熊本放送局のニュース番組では、被害を訴えて環境大臣や知事との懇談に参加した女性のことを取り上げていました。この女性は、不知火海(八代海)沿岸地域出身の62歳の方です。診察した医師からは胎児性水俣病の疑いが濃厚と言われたそうです。この方の亡き母親は鮮魚商を営んでいたこともあり、チッソがメチル水銀を含む排水を流していた頃、不知火海で獲れた魚を食べる生活を送っていました。この女性は患者認定申請を行いましたが、熊本県は因果関係を認めず救済されないままとなっています。
今から64年前の1958年9月、チッソはメチル水銀を含む工場廃水を水俣川河口に流すように変更しました。これが汚染地域を拡大する悪因となりました。翌1959年12月に浄化装置を取り付けるのですが、その装置のメチル水銀化合物の除去効果は不完全であり、1966年6月まで排水の海への排出が続きました。
汚染地域に居住し、汚染海域で獲れた魚を食べた母親から産まれた娘であり、自身もそうした魚を食べて育ったので、因果関係があるのは明白なのですが、国や県はとにかく被害者を患者と認めたくない、患者数を増やして補償をしたくないという姿勢を崩しません。これほど人権を蹂躙した不正義はありません。

キース・ヘリング展を堪能

お気楽な旅で重宝する「旅名人の九州満喫きっぷ」を利用して、現在福岡市美術館で開催中の「キース・ヘリング展」を昨日観てきました。往路の電車車中では、伊勢崎賢治著の『14歳からの非戦入門』(ビジネス社、1700円+税、2024年)を読了しました。ガザのジェノサイドその他紛争地域で日々生命が失われている愚行を一刻も早く止めるための交渉が必要です。それと、戦争が終わってからの統治がいかにたいへんかということを、本書で改めて学ばされました。有事を煽る勢力に乗せられることは危険です。在日米軍が自由に第三国へ出撃できる有事巻き込まれの危険性や自衛隊員の活動にかかわる法制の不備など、国内で論議すべき課題が多いことも指摘していました。
さて、「キース・ヘリング展」についてですが、彼は1980年代を代表するポップアーチストであり、同世代の人たちの記憶に残っている作品が多いのではないかと思います。リアルな肌の色や性別など外見の要素を取り払い、ベイビーや皮膚の下にある人間の姿を描いた作品からは、それこそ愚かな戦争や差別とは無縁の希望の力が感じられ、優しい気持ちになれます。
ニューヨークの地下鉄駅のポスター掲示板に残した初期の素描作品を紹介するコーナーでは、現地の街の音を流していて雰囲気を出していました。平日の昼間ということもあって意外と館内は空いていて、許可された写真撮影も楽しめました。
曲がりなりにも反核機運が高かった80年代初めの日本と、2000年に一度だけ訪ねたニューヨークを懐かしく思いました。

防犯電話機購入支援

熊本県警察本部より本日12:21に配信された「ゆっぴー安心メール」を転送してお知らせします。

ゆっぴー安心メール(防犯電話機購入支援キャンペーン!)

「電話で『お金』詐欺」の犯人からの電話の多くは、自宅の固定電話にかかってきており、犯人からの電話を受けないためには、防犯機能付き電話機・自動通話録音機を設置し、犯行を断念させて電話を切らせることが重要です。
熊本県警察では、本日(7月16日)から、補助用件を満たして防犯機能付き電話機・自動通話録音機を購入された方に
/  最大5,000円を  \
ギフトカードで
\補助するキャンペーン/
を実施します。
この機会に安全・安心な電話機等を購入しませんか。
詳細は以下のURLをご覧ください。
https://kumamoto-bouhandenwaki.com/

老害三原則とな

老害三原則とな。こうした老害シーンに立ち会う機会は他人と出会う以上確かにあります。
さまざまな団体・集まりにおいて高齢者でなくとも先輩諸氏が自戒したい事柄です。ベテランの振る舞い一つで若者が背を向けることもあり、組織をリードしてくれることもあります。組織の代表例としては、「職場」ということになりますが、私のブログ投稿で「職場」をキーワードに検索したら、直近の10本で以下のようなものがありました。
高齢者の自戒も大切ですが、若者のみなさんには老害をモノともしない知恵を読書や対話の中から身につけていただきたいと思います。

ネット観戦の楽しみ 2024年4月7日  ※「職場を腐らせる人たち」の15事例を紹介。
小先生にはなるな  2022年5月14日
ブルシット・ジョブの主要5類型を知る 2021年5月5日
おろよかボス宣言  2022年5月19日
対話は一人でもできる 2023年1月7日
代わりはいくらでもいるんだよ 2024年4月18日
過ちを繰り返すことなかれ 2022年4月3日
これでは働く魅力がない 2021年6月22日
長平の戦い 2021年5月2日
定住と遊動  2020年10月13日

資材置場への農転後の取扱い変更点

近年、資材置場や駐車場等に転用する目的で農地転用許可を取得し、事業完了後1か月足らずの間に太陽光発電設備が設置される事例があることから、農林水産省農村振興局長より取扱い厳格化を求める通知が本年3月28日に出されています。
宇土市農業委員会では、同通知に基づき、転用目的が資材置場や駐車場等である場合の農地転用許可を得た事業者は、工事の完了の報告があった日から3年間、6か月ごとに事業の実施状況を報告することとなりました。この運用は、本年8月20日申請締め切り分からとなります(開始時期は市町村ごとに異なります)。近く市のホームページでも取扱いの変更について周知されるようです。

『なぜ難民を受け入れるのか』読後メモ

橋本直子著の『なぜ難民を受け入れるのか――人道と国益の交差点』(岩波新書、1120円+税、2024年)は、著者が国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)での実務経験を有することもあって、難民受け入れに際して表からは見えない世界各国の論理と戦略にかかわる有益な情報が得られた良書でした。まず難民の受け入れ方式が、「待ち受け方式」と「連れて来る方式」の2つに大別されます。前者は受入国まで自力でたどり着いた難民(本国ではエリートが多い)が庇護申請を行い、受け入れ国の政府が受動的に審査したうえで、何らかの在留資格を与える方法です。後者は他国にいる難民を、受け入れ国側が選んで能動的・積極的に連れて来て、何らかの在留資格を与える方法です。後者の具体例としては、第三国定住やウクライナ避難民のような本国からの直接退避があります。
特に日本の場合、国の規模と比較しても、第三国定住難民の受け入れが少なく、国際的に批判されていることをもっと知る必要があります。量質ともに拡充することが人道的にも国益的にもメリットが高く、日本よりもはるかに人口が少ない北欧諸国が脆弱な立場に置かれた多くの難民を受け入れて定住政策を成功させている実績に学ぶべきです。
本国からの直接退避の例としては、2021年8月のアフガニスタンのタリバン制圧に伴うアフガニスタン人現地職員の退避があります。しかし、その退避要件の厳格さ(通常の短期滞在査証発給要件よりもハードルの高い条件をわざわざ新規に創り出して要求)は非人道的な理不尽なものであり、来日後も難民申請阻止や帰国強要を疑われる行為があったと、著者は憤怒の念をもって日本政府の仕打ちを批判しています。そのこともあって本書の印税は著者の知人が身元保証人となって日本になんとか退避させたアフガニスタン人難民一家の女児2名の教育資金に充てると明らかにされていました。
印象に残った言葉として「生まれの偶然性」というものがありました。これは著者が学んだオックスフォード大学難民研究所の講師陣が繰り返し言及した概念だそうです。それを受けてp.254-255には次のように記されています。「たまたま日本に生まれ、もし日本が「いい国」だと思っていらっしゃる方がいるとしたら、日本がいい国であるということを、たまたま「悪い国」に生まれた方々と分け合っていただけないでしょうか。それがまさに難民条約の前文に謳う、難民保護を世界の国々が協力して責任分担するということです」。
さらに、日本の入管法第61条の2の9第4項第2号(2023年6月成立のノン・ルフールマン原則の例外規定)は、入管庁の幅広い裁量によって難民申請中の送還停止効を解除できる条文となっており、難民条約違反と言わざるを得ないと指摘しています。実際の条文では、在留資格が無い難民認定申請者はほぼ誰でも、(改正案審議中に問題視された)3回目どころか1回目の申請中でも送還の対象となり得る文言となっています。これは、難民認定制度において可及的速やかに改訂されるべき問題です。この改訂がなければ、日本が人権や人道に後ろ向きであるイメージを拡散し続けることになり、国益に反します。
他にも知ることができて重要な情報として、難民審査参与員制度の問題点がありました。この制度は2005年に30名程度で発足し、2023年末時点で110名程度いるそうですが、参与員の意見には法的拘束力が無く、参与員(著者自身も2021年から参与員の1人)の専門性に大きな差があり、組織が法務省から独立していない、とのことでした。この点は日本には行政から完全に独立した第三者機関である国内人権委員会が存在しない状態と併せて後進性を示すものであり、国際的に不名誉であることを国民は知った方がいいと思います。
最後にUNHCRの「難民認定基準ハンドブック」に記された有名なフレーズを本書が示していたので引用します。「認定の故に難民となるのでなく、難民であるが故に難民と認定されるのである」。
なんだかんだ言って自国第一主義のポピュリストやレイシストのみなさんほど国益を損なっている可哀そうな○○はいないなと考える次第です。

孤独孤立対策の難しさ

精神医学に関して興味深い記事が、本日の朝日新聞西部本社版地域総合面にありました。写真は記事イメージ。
以下は、私の感想です。職場に親友がいるにこしたことはありませんが、「親友」というとかなりハードルが高くなるかもしれません。別に同僚に限らず上司であっても気軽に口がきける関係程度であればいいかと思います。あまりにもストレスを感じる相手なら無理せず適当に距離を置くことも必要です。自分優先でかまわないかと思いました。
ついでに、政策的な動きについても触れておきます。孤独・孤立対策推進法が本年4月1日施行となり、孤独・孤立対策地域協議会の設置に市町村は努めなければならないとなりました。昨今は「老年学」という新しい分野の研究もあって、九州大学などが1年前に発表した調査結果によると、周囲の人との交流が少ない高齢者では脳の萎縮が進みやすいのだそうです。いわば認知症予防のためにも、孤立しない、させないということが、地域福祉政策の課題となってきています。
ところで、交流や対話といった場合、かならずしもリアルな対面だけでなく、ネット上でのテキストによるものでも成立します。しかし、私と同年代の人の中にも、文章が稚拙であったり、読解力がなかったりする例を目にします。じっさい私の文章を「読影」できないと言ってきた人がいました。「読影」というのは文字通りX線撮影のような画像から影を読み取るものであって、文字の意味を読み解くことではありません。
知的能力や聞いて理解する力に問題がないにも関わらず、生まれつき文字をうまく書けない、うまく読めない学習障害である「ディスレクシア」の人が、日本では人口の7%いるとも言われます。そうした人がいることも含めて考えないと、安易に孤独・孤立の問題は扱えないなとも考えさせられます。