行政機関であれ議員であれ、重要記録はこれから粘土板か石碑に残しておけよ、と本気で思いたくなるぐらい史資料が豊富に残っている古代西アジアの世界はたいへん興味深いものです。今月出版されたばかりの山田重郎著の『アッシリア 人類最古の帝国』(ちくま新書、1100円+税、2024年)を読み進めているところですが、現在のイラク南部に紀元前3500~3000年頃に粘土板に文字記録を残す都市文明が栄えていたことに、改めて驚きを感じます。その文書記録の内容は、行政や経済(生産・流通)は言うに及ばず、法、契約、書簡、祈祷、儀礼、文学、科学、建築、歴史と多岐にわたる分野からなります。古代中国では紙、古代エジプトでは羊皮が記録媒体として用いられてきましたが、粘土板文書はそれらのように朽ちることなく火災に遭っても焼き締められて残るほど極めて保存力が高い特性を持ちます。現代は電磁的記録媒体が多く用いられていますが、初期の頃の光磁気ディスクの寿命は10~30年くらいと言われていましたから、性能の良い別媒体(それでも1000年?)へ代替保存していなければ、知らない間に消失劣化しているかもしれません。ある意味、人類最古の帝国が人類最強の記録媒体である粘土板を開発したと言えるかもしれません。
それでも紀元前612年にこの王国は滅亡します。滅亡の原因としては、軍事拡大する国家経営つまり政治の行き詰まりや人口の都市一極集中による食料調達不足、紀元前675~550年頃の降雨の少なさ・干ばつの影響が考えられています。戦争、食糧サプライチェーン、気候変動となると、人類の課題は現代と大差ないとも言えます。
さらに古代西アジアの歴史といえば、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王が古代オリエント史の研究者でありました。私の学生時代に学習院大学内で同親王の古代オリエント史をテーマにした講演会があり、会場で聴講させてもらった思い出があります。
エセ歴史を信奉する無学な人たちは紀元前660年2月11日に初代天皇が即位したなどとしていますが、それは史実ではないとした歴史学者である親王にとっては断じて許しがたい思いがあって、古代オリエント史研究に打ち込まれたのだと察します。親王は2016年10月27日に亡くなられ、同年11月4日に葬儀が行われました。その日、たまたま学習院を訪ねた私は、正門前を通る柩の車列をお見送りする機会がありました。それも思い出深い記憶です。
