月別アーカイブ: 2024年6月

『結婚の社会学』読後メモ

阪井裕一郎著の『結婚の社会学』(ちくま新書、1000円+税、2024年)を読み終えました。振り返ると、今月、ちくま新書から刊行された本を3冊連続で手にしました。手ごろなボリュームなので気楽に読めるのが強い動機になったのかもしれません。
さて、「結婚」についてですが、民法では「婚姻」と称します。これにかかわる問題として、同性婚法制化や選択的夫婦別姓制度導入についての論議が出ていますし、少子化対策と結び付けて結婚を促す論調もあります。
そのようなことに関心を持って手に取るであろう読者に対して、著者は「本書の基本的な姿勢は、『結婚をめぐる常識を疑う』というものです。」と、序章で宣言しています。さらに、「社会のあり方や人間の行動を解明するために常識を疑うのが社会学である」と定義づけして見せます。また、「本書は少子化対策について論じた書ではない」ともあらかじめ断りを入れています。
まずこの点に好感を持ちました。政治家や行政に携わる人でなくても、だれしも社会政策に対する意見は持ち合わせていると思います。しかし、その意見を形作る上で各人が有する結婚や家族の姿・価値観はさまざまです。特定の理想像に固執すれば、それに引きずられた意見に当然なってしまいます。極端な例で言うと、特定のカルト宗教の教祖が示す結婚や家族の形態だけしかその存在を認めないと考える人たちは、どうしてもそれに沿った社会政策を求めようとします。
ただし、現実の社会にあっては、多くの国民の利益になるのかどうかを考えなければなりません。結婚や家族の現実の姿を知ったうえでないと、有益な政策にはならないということです。
海外との比較データを見ると、晩婚化や晩産化は必ずしも少子化の要因とは言えません。女性の就労が普及した国ほど出生率が相対的に高いデータもあります。結婚の規定は最小限にとどめたうえで、結婚を中心に据えるのではなく、それも人間の支え合いの関係のひとつの選択肢として位置づけなおす必要を著者は提言しています。
本書から紹介したいデータや論点はさまざまあるのですが、キリがないので、p.284から最後にひとつだけ紹介しておきます。「社会学者のジェニファー・グラスらは、OECD22カ国の分析から、子育て支援などワークライフバランス施策が充実している国ほど、子どもを持つ親の幸福度が高いことはもちろんのこと、子どもを持たない人たちの幸福度も高くなることを明らかにしています。」「ケアを幅広く対等に分担できる社会制度を構築することによって、はじめて個々人の自由なライフスタイルが可能になるという視点が重要です。」。
こうした視点を踏まえると、同性婚法制化や選択的夫婦別姓制度導入によって幸福度が高まる国民がいることがあっても、それで幸福度が低くなる国民はいないと思います。社会学は実に気持ちが明るくなる学問です。

『アッシリア 人類最古の帝国』読書メモ

山田重郎著の『アッシリア 人類最古の帝国』(ちくま新書、1100円+税、2024年)は、実に痛快な読み物でした。紀元前3000年頃から栄えた楔形文字文明が残した遺物や文書は空前の規模であり、研究によって解明された古代の事実にはさまざまな興味深いものがあります。117人の王名と統治年数が判明しています。旧約聖書の歴史書と預言書には、前8世紀から前7世紀のアッシリア帝国によるイスラエル・ユダ王国への侵攻の一側面が伝えられているとされます。
本書で知った史実のなかでも、「身代わり王」の儀礼はたいへん衝撃的な厄払いなので、メモしておきます。紀元前680年から前666年の間に8回の日蝕・月蝕が起きたそうですが、日蝕・月蝕はアッシリアとバビロニアの王の死を予見する最も深刻な凶兆とされていたそうです。通常の厄払いでは粘土の小像に厄を移す方法がとられていましたが、最悪の凶兆に対しては邪悪なものを王の代わりに引き受ける人物が用意されました。身代わりには、戦争捕虜、死刑囚、王の敵対者などが選ばれ、王の装備品を一通り持たされて、身代わり王妃に付き添われ、玉座に座らされます。天体蝕の程度により最長100日間、本物の王は、公の場から退き、「王」の称号を使うことを控え、「農夫」と自称して仮小屋に住み一介の農夫を装います。かといって、「身代わり王」に実際の王権はなく、本物の王である「農夫」が行政の実権を握ります。
やがて天体蝕の期間が明けると、身代わり王と身代わり王妃は殺され、本物の王と王妃のように扱われるとともに、玉座と装備品も燃やされます。凶兆は身代わり王らと共に消え去るというわけです。
現代人から見るとこのようなオカルト的な振る舞いは滑稽に感じるかもしれません。しかし、当時の為政者からすれば、自身の生命を脅かしかねない国の中枢での反乱や背信行為も警戒すべき事態であり、その予兆を知るために天体運行や天候変化を観察し、卜占を重視して、呪術・祈禱で念入りに対策を施しました。
そのため、帝国の王たちは、卜占や呪術に長けた知識人たちの意見を頻繁に求めました。その一方で、政治や軍事に優れた有能な在地エリートを政権内部から排除して、その代わりに王権に無批判で忠実な宦官を重用していきました。結果、有能な人材が王の周囲から離れていったことが帝国滅亡の流れを導いた可能性もあると、著者は考えています。
オカルトは別にしても政治のリーダーとブレーンとの関係については古代メソポタニアと現代に共通するものを感じます。現実の政治家やコメンテーター連中を指して「身代わり王(妃)」や「呪術師」呼ばわりしてしまわないかと内心ヒヤヒヤです。
写真はアッシリア帝国時代の粘土板や浮彫石板を多数所蔵する大英博物館。1993年撮影。

政治の原点は水俣にある

6月26日の朝日新聞オピニオン面見開き右側の「社説」欄には「ハンセン病 『負の歴史』徹底検証を」とあり、左側の「耕論」欄には「水俣病 切られたマイク」とありました。いずれも熊本県内の出来事についての記事が、全国紙の紙面で大きく取り上げられていました。蒲島前知事がかねがね水俣病問題は「私の政治の原点」と語っていましたが、いまもってハンセン病と水俣病は、政治とは何かを考えるうえで大きな歴史的テーマであり、政治の原点は熊本にあるかもしれないとさえ感じます。
「耕論」欄に掲載されたひとりは元環境事務次官の小林光氏でした。同氏は、現在の環境大臣や特殊疾病対策室長と同じく慶應義塾大学卒業の方です。慶応出の大臣や室長には患者の気持ちは分からないという報道も一部で目にはしましたが、小林氏の退官後の行動もフォローしている私の目から見ると、学歴で人物を評価するのは間違っていると思います。試しに興味のある方は、東大先端研の「小林光・研究顧問の部屋」に所収の論文・コラムを読んでみられるといいかと思います。環境問題にかかわる熱い想いが伝わります。
なかなか今の環境省には水俣病問題について理解している官僚は少ないのかもしれません。しかし、1990年12月に自ら命を絶たれた、当時の環境庁企画調整局長(事務方のナンバー2)だった山内豊徳氏のような存在を忘れることはありません。個人の気持ちは常に患者側にあるのに、権力を有する組織の一員としては苦悩された方でした。この方が遺された詩が生命誌研究者の中村桂子氏のコラムで読めますので、こちらもご覧ください。映画監督の是枝裕和氏の初著書『雲は答えなかった 高級官僚 その生と死』でも山内氏について描かれています。
環境省(庁)の歴史を振り返ると、親分として最も水俣病問題解決に理解があったのは、実質的に初代長官を務めた大石武一氏だっただろうと考えています。1971年からのわずか1年間の任期に終わりましたが、現在の環境疫学の常識的知見に沿った患者認定を進めました。大石氏という政治家は、地球環境保護や国際軍縮平和運動にも積極的にかかわった先進的な人物でもありました。
してみると、国民にとっても官僚にとってもその人権を護れる政治家こそを政治の舞台へ送り出すことが、結局のところ最重要なんだよなあと思わされます。

生まれながらの戦争協力者という悲しみ

6月25~30日という短い期間ですが、一般社団法人くまもと戦争と平和のミュージアム設立準備会主催による「うき 戦争の記憶展」が宇城市不知火美術館で開かれています。本日の熊本日日新聞紙面で知り、準備会幹事の高谷和生氏(現在同紙「私を語る」連載中)の講話には間に合いませんでしたが、さっそく会場を訪ねてみました。1945年の宇土・松橋空襲といった宇城地方の戦禍を伝える展示のほか、特に私が注目したのは現在の講談社が子ども向けに発行していた戦意高揚を目的とする出版物の展示でした。
それで、それら出版物は、準備会事務局補佐の上村真理子氏の収集したものなのだそうです。その内容は現代のほとんどの国民からすれば狂気としか言いようがないものでした。しかし、生まれたときから国家に忠誠を求められ侵略戦争も厭わないことが是とされていれば、子どもたちにとっては狂気ではなく、当たり前の常識であり、疑うことなく育っていったのだろうと思います。戦争協力者・遂行者として死ぬことが美徳ですらあると、信じ込まされていたわけです。もちろん当時の大人の一部は、子どもたちにそうした洗脳教育を行うことに反対したかもしれませんが、大勢としては多くの大人が非戦・反戦に立ち上がることなく戦争に順応・協力したのだと思います。
なぜこの狂気に気付けなかったのか、なぜ止められなかったのか。さらに言えば、ただいま今日においても戦争へ向かう狂気のサインを見落としていないか、知らずに加担していないか、過ちを止めさせる行動を起こしているかと、展示は問いかけてきます。
関連企画が下記の通りありますので、併せて紹介します。
○第16回熊本空襲を語り継ぐ集い~空襲の記憶を次世代へ~
◆主催:平和憲法を活かす熊本県民の会 くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク
◆日時:7月1日(月)13:30~15:30
◆会場:くまもと県民交流会館パレア 10F会議室7
◆資料代:500円
○夏の平和展2024 子どもたちが見た戦争
◆日時:7月23日(火)~8月31日(土)の9:00~17:00 月曜・祝日の翌日は休み
◆会場:玉名市立歴史博物館こころピア エントランスホール
◆観覧:無料
○第5回くまもと戦争遺産の旅~天草海軍航空隊、本渡空襲と軍人像をめぐる旅~
◆旅行企画実施・申込先:旅のよろこび株式会社 TEL096-345-0811 月-金・9-18時営業
◆日時:8月6日(火)8:15~19:00 熊本駅新幹線口発着 貸切バス
◆案内ガイド:くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク代表 高谷和生氏
◆旅行代金:10800円 7/26申込締切り 24名募集 最少催行人員15名
※昨年実施の第4回の旅には私も参加しました。お薦めします。

重要記録は粘土板か石碑に残せ!?

行政機関であれ議員であれ、重要記録はこれから粘土板か石碑に残しておけよ、と本気で思いたくなるぐらい史資料が豊富に残っている古代西アジアの世界はたいへん興味深いものです。今月出版されたばかりの山田重郎著の『アッシリア 人類最古の帝国』(ちくま新書、1100円+税、2024年)を読み進めているところですが、現在のイラク南部に紀元前3500~3000年頃に粘土板に文字記録を残す都市文明が栄えていたことに、改めて驚きを感じます。その文書記録の内容は、行政や経済(生産・流通)は言うに及ばず、法、契約、書簡、祈祷、儀礼、文学、科学、建築、歴史と多岐にわたる分野からなります。古代中国では紙、古代エジプトでは羊皮が記録媒体として用いられてきましたが、粘土板文書はそれらのように朽ちることなく火災に遭っても焼き締められて残るほど極めて保存力が高い特性を持ちます。現代は電磁的記録媒体が多く用いられていますが、初期の頃の光磁気ディスクの寿命は10~30年くらいと言われていましたから、性能の良い別媒体(それでも1000年?)へ代替保存していなければ、知らない間に消失劣化しているかもしれません。ある意味、人類最古の帝国が人類最強の記録媒体である粘土板を開発したと言えるかもしれません。
それでも紀元前612年にこの王国は滅亡します。滅亡の原因としては、軍事拡大する国家経営つまり政治の行き詰まりや人口の都市一極集中による食料調達不足、紀元前675~550年頃の降雨の少なさ・干ばつの影響が考えられています。戦争、食糧サプライチェーン、気候変動となると、人類の課題は現代と大差ないとも言えます。
さらに古代西アジアの歴史といえば、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王が古代オリエント史の研究者でありました。私の学生時代に学習院大学内で同親王の古代オリエント史をテーマにした講演会があり、会場で聴講させてもらった思い出があります。
エセ歴史を信奉する無学な人たちは紀元前660年2月11日に初代天皇が即位したなどとしていますが、それは史実ではないとした歴史学者である親王にとっては断じて許しがたい思いがあって、古代オリエント史研究に打ち込まれたのだと察します。親王は2016年10月27日に亡くなられ、同年11月4日に葬儀が行われました。その日、たまたま学習院を訪ねた私は、正門前を通る柩の車列をお見送りする機会がありました。それも思い出深い記憶です。

それは科学か歴史かの思考と行動

一昨日(6月19日)は「東京大学先端物流科学寄付研究部門設置5周年記念シンポジウム サプライチェーン全体最適へのアカデミアの貢献」のオンライン受講、そして昨日(6月20日)は熊本県防災センター見学会参加とともに「共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)拠点連携シンポジウム2024~豪雨から学ぶ気候変動時代の『地域気象データ活用』と『緑の流域治水』」の会場受講と、いずれも東京大学先端科学技術センター主催のシンポジウムに参加する機会を得ました。参加して共通して感じたことは、後者のシンポジウム会場で配布されたパンフレットに記載されていた「過去を識り、今を理解し、未来を共に創る。」の思考と行動の大切さでした。これは換言すると、温故知新ということですし、さまざまな事象を捉えて「それは科学か」あるいは「それは歴史か」と問うことに始まると思います。
先端科学技術の発展により、さまざまなデータを観測蓄積し、それを再解析することで、予測再現することが可能になってきています。それらの精度は高まってきています。そのようなデータを全体共有し利活用することが、大げさに言えば人類の共通課題に対処するうえで必要不可欠で利益となります。
もちろん先端科学技術を悪用すれば、私的な経済的利益を得ることも不可能とは言えません。一例を挙げると、港での自動車の輸出入状況を人工衛星でリモートセンシングすると、自動車メーカーの業績の先行指標を得られますから、それによって株式売買で稼ぐことも可能であるという研究もあるぐらいです。一方、低価格なIoT技術を活用した水位モニタリングが人の顔まで識別してしまうとプライバシー侵害になるリスクもあります。公正さや正義を保全するためには法や慣習、人権の歴史的積み重ねに通じていなければなりません。
最後に伝えておきたいのは、こうした催しで必ず場違いな言動を行う人を発見できるのも特典です。「緑の流域治水」においては、ダムやコンクリート堤防に重きを置かない治水が思想の根底にあり、昨日のシンポジウムで登壇した講師はだれもダム治水について有用性を言いませんでした。唯一ビデオメッセージを寄せた前知事が「緑の流域治水」の転換として「流水型ダムで守る」と口にしていました。プログラム最後のパネルディスカッションになってから土木部長上がりの副知事が登壇したのですが、その副知事の自己紹介の後に他の講師から「緑の話がない」と突っ込みを受けていました。さらに閉会のときだけ知事が、くまモンを伴ってあいさつしましたが、これもどちらかというと「くまモン」の人気に頼ってお茶を濁したような内容でした。県議会中でもあり、あまり見識がないのなら無理に出てこなくても良かったのではと思いました。
写真は、防災センターの指揮台付近の本部室長席の背もたれ。

町内会と政治参加

ふだんさまざまな地域団体の担い手と顔を会わせる機会が多いのですが、年々感じることはそうした担い手の層が薄くなり、地区によっては団体そのものが解散した例をたびたび耳にしています。そのなかにあって町内会(私の地元では行政区と称しています)がいわば最後の砦的存在になっています。
玉野和志著『町内会――コミュニティからみる日本近代』(ちくま新書、840円+税、2024年)を最近読み終わったところですが、同書の「第5章 町内会と市民団体――新しい共助のかたち」で展開される戦後政治と住民の政治参加とのかかわりの部分の著者の見立てが、私の実感値と近くしっくりきました。かつての中選挙区制時代の自民党は、各候補者が個人後援会組織をもつ必要があり、この組織を支えていたのが、町内会を支えていた自営業者層だったので、その意味で大衆政党とも言えました。しかし、大店法の規制緩和による自営業者の衰退、食管法撤廃による農家の衰退とともに、小選挙区制導入もあり、自民党は大企業・グローバル企業の経営者層と被雇用者層からの支持を重視する政党に変貌していきました。同時に町内会を支えてきた自営業者層の中心世代の高齢化も弱体化の理由に挙げられます。
著者の町内会に対する意見は、このままでは消滅可能性が高いが、潰すには惜しく、役割を絞り込んで住民による政治参加・協議の場に徹することに持続可能性を見出しているように思えました。活動時間の融通が利く自営業者層がほとんどいない地区もありますし、被雇用者層のリタイア年齢はこれからますます高齢化します。行政の下請け的な仕事を担う余裕はないと思います。
本書では取り上げてはいませんが、介護報酬の引き下げにより全国で4分の1の訪問介護事業者がここ5年間で廃業しているのだそうです。世帯に介護が必要な人がいれば、町内会どころではないという声も聞きます。負担感が軽い共助でなければ機能しない状況にあると思います。

難民とともに

明日6月20日は「世界難民の日」だそうです。今月13日に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が出した報告書によると、2023年末時点での難民の人数は世界で1億1730万人(前年比880万人増)となっています。2024年4月末時点ではさらに増えて、UNHCRの推計では世界で1億2000万人に達し過去最多といわれます。戦争紛争が原因の最たるものですが、権威主義体制下の人権弾圧やこれからは気候変動による難民の増加も見越す必要があります。
日本国民が身近に考えて支援できることといえば、やはり難民を社会的に包摂するということにほかならないと思います。『世界』(2024年7月号)掲載の橋本直子氏による「『難民を受け入れる』ということ――線と面で考える」は、課題の理解に寄与するコンパクトな論考でお勧めです。
「世界難民の日」に岩波新書から刊行される同氏の著書『なぜ難民を受け入れるのか 人道と国益の交差点』も読んでみたいと思います。
それにしてもレイシストのデマを鵜呑みにするようなバカに議員報酬を与えて養っている現実が周囲にあったりしてやり切れません。

権威主義体制下の人権弾圧から逃れる難民もいますが、近年は中国から日本へ経営や就労の在留資格を得て移住する「潤」と呼ばれる人たちの存在も注目されています。難民申請に至らない富裕層や知識人らからなりますが、中国の体制に疑問を持って逃げてきた点では、変わりないとも言えます。
じっさい「潤」の中国語の発音のローマ字表記は、「run」なのだそうですが、これが「(生活が)潤う」とともに「(国外に)逃げる」という意味と重なるといいます。
これらの生活自立した中国の中間層の移住は、日本の国益にとっても損にはならないのではないでしょうか。
写真は上海の高層ビル建設現場。1997年撮影。

相思社が日本平和学会平和賞を受賞

6月16日開催の一般財団法人水俣病センター相思社評議員会に出席したおりに、このたび、同法人が日本平和学会第9回平和賞を受賞したことが報告され、表彰状が披露されましたので、写真撮影させていただきました。文面を拝見すると、学会の表彰理由が詳細に記されており、ありきたりの表彰状ではない重みを感じました。
以下に、文面を紹介します。
「貴団体は半世紀にわたり強い使命感をもって患者支援 裁判支援 教育支援を継続されてきました 患者と家族とともに在って 世代と地域を架橋し 国内外に広く影響を与える環境平和創造の担い手として 深い対話を通じて「拠り所」であり「根拠地」となってこられました 「もう一つのこの世」をつくる精神と活動に敬意を表し 連帯の志の下 第九回日本平和学会平和賞を授与いたします」
なお、平和賞式典は、6月1日、学習院大学で行われ、水俣病センター相思社理事の緒方俊一郎氏が法人を代表して表彰状を受け取り、スピーチを行いました。
■2024年春季研究大会プログラム 2024年6月1-2日 会場:学習院大学
テーマ「戦争と平和の根底に交差するレイシズム、セクシズム、ナショナリズム」
※2024年春季研究大会開催校責任者 青井未帆学習院大学教授(憲法)
■日本平和学会第9回平和賞受賞理由 2023年11月24日 第9回学会賞選考委員会
■第9回平和賞受賞スピーチ 2024年6月1日 水俣病センター相思社 理事 緒方俊一郎
※緒方俊一郎氏は2024年6月16日より理事長(代表理事)に就任しました。
https://drive.google.com/file/d/1_CgXCBS2Of9-fYj04dXLFP57ENNOvaeo/view

どちらの記憶が信じられるか

6月13日の熊本日日新聞文化面に宇城市小川町出身で現在は神奈川県藤沢市在住の俳人・長谷川櫂さんのエッセー「故郷の肖像② 第1章 海の国の物語」が掲載されていました。熊本県の北を阿蘇山の地下水が潤す「泉の国」阿蘇国、南は九州山地をえぐるように海を取り巻く「海の国」不知火国と、風土や地名由来からユニークな見方を示していました。
ですが、私がもっとも印象深かったのは、文章の結びに読まれた句の中に織り込まれている「海ほほづき」(ある種の巻貝の卵嚢だそうです)を子ども時代の長谷川氏へくれた、行商人についての思い出の部分です。「子どものころ、松合から行商のおばさんがバスを乗り継いで小川町まで魚を売りに来ていた。」とありましたから、1954年生まれの長谷川氏にとっては60年ほど前の話なのだろうと思います。松合というのは、不知火海沿岸部の北端にある地域です。その当時の不知火海沿岸部の南端に近い水俣では、チッソがメチル水銀を海へ垂れ流していました。この時代、漁民ではない普通の生活者が食卓に出す魚を行商人から買うことは、ごくありふれた行為だったことが、長谷川氏の記憶からうかがえます。
そこで思い出すのが、水俣病特措法の救済から漏れた被害者たちの存在です。不知火海沿岸部から離れた山間部地域で暮らす人たちのなかにもメチル水銀曝露による症状が多数見られました。この方々は、水俣・芦北地域からやって来る行商人から魚を買い求めていたのです。しかし、60年前の行商人からの魚購入の領収証がないことを理由に、熊本県は山間部地域の申請者を被害者だと認めませんでした。魚の行商に限らず一般個人の現金取引において領収証を発行する商習慣自体が60年前はなかったと思います。それより確実に残っているのは、長谷川氏のように子どもの記憶であり、その証明力が高いと思います。さらに言えば、水俣の魚の行商人の子にあたる人でさえ被害者として認められていない例があると聞きます。行商人の家庭内で商品である魚を自家消費することは十分ありえますし、自家消費であればなおさら領収証を出すということは、某政党国会議員たちによる自己の政治団体への政治資金付け替えでもない限りありえません。シンプルに考えて、魚の行商人の子どもの記憶が確かであり、証明力が高いと思います。
以上のことを考えていたところに、昨日(6月14日)の熊本日日新聞において、わが熊本県知事が講演を行った記事が載っており、その中の「木村知事はTSMCの『誘致』に自身も関わった経緯に触れ、」というくだりを見つけて、「はて?」と思いました。『進出』には関わっているかもしれませんが、『誘致』に関わったとは、初耳だったからです。
記者の捉え方で『誘致』と書かれたのか、木村知事の発言で『誘致』という言葉が発せられたのか、今一つ不明ですが、仮に後者であれば、自らの手柄話として神話化を始めたことになり、その記憶の信頼性をちょっと疑いたくなります。
私の理解では、TSMCの『誘致』には経産省と東大が大きな役割を果たしており、熊本県はTSMCの『進出』が方向づけられた後から動き回っているに過ぎません。一般論として書きますが、ドサクサ紛れに他人の手柄を自分の手柄話にすり替えるような人物を私は信用していません。
参照記事 朝日新聞電子版2024年2月27日

a Trump

経歴詐称疑惑の都知事の出馬のニュースが話題になる一方で、パワハラ・おねだり体質が元県幹部から告発された兵庫県知事の資質が、百条委員会設置の動きもあって、昨日から報道で問われ始めているようです。同県知事は総務省官僚出身の46歳、経歴的に本県知事と似通っていることもあり、興味を引きました。
報道によると、たとえば以下のような疑惑があるそうです。「訪問先の20m手前で公用車から歩かされたことに激怒し、知事が職員を怒鳴りつけた」、「政治学者の五百旗頭真氏が理事長を務める法人の副理事長2人を解任すると、副知事に通告させた。その仕打ちに憤慨した五百旗頭氏は翌日倒れて急逝した」などなど…。これが事実であれば、なんと器の小さい人物かと思いますし、熊本県とも縁が深かった五百旗頭氏を亡くす仕打ちには憤怒の気持ちを抱きました。
これは、まさしく「a Trump」(「Trumps(=世界に複数いるトランプ的人物)」のひとり)の典型的な人物なのではないかと思います。「a Trump」は、ポピュリズム権威主義の統治術を志向し、民主主義にとって極めて敵対的な言動をとる独裁者と評して差し支えないと考えています。独裁者の特徴を、シグマンド・ノイマンの著書『大衆国家と独裁――恒久の革命』から借りると、「あらゆる独裁者には、友もなく同輩もいない。…彼は何者をも信頼しない。ある意味で世を捨てているのである。これこそ『超人間的指導者』となるために彼の払う代償である。彼はあまりにも大きく、あまりにも強く、そのために、またあまりにも孤独である」となります。
彼らは、一口で言うと、「お山の大将」でもあります。彼らには、相手のために耳の痛いことでも忠告してくれる友人である「クリティカル・フレンド」がいません。近づいてくるのは利権を貪るさもしい人ばかりとなります。そして、表面上の学歴がどうであれ、トランプ氏のように歴史や科学に無知な傾向を感じます。
こうした人物の存在は、けっして首長だけにいるのではなく、地方議員のなかにもいくらでも確認することができます。つい最近も気候変動や生物多様性喪失の大きな原因となる温室効果ガス排出削減に背を向ける論者や神話上の天皇の存在を歴史と謳う教科書作成者に賛意を示す不勉強な人物の投稿を見かけて嘆かわしく思いました。幸い選挙区が異なるので、資質を追及することは当該選挙区の市民にお任せします。
写真は記事と直接関係ありません。ソ連時代のモスクワ。クレムリン宮殿。

神宮外苑再開発の闇

坂本龍一さんが生前に都知事に神宮外苑再開発の見直しを訴える手紙を出したことで、外苑のいちょう並木が危機に瀕していることが広く知られるようになりました。それでも、地方に住む者からすると、都内の一角の環境問題とだけしか正直捉えていませんでした。
しかし、『世界』(2024年7月号)の大方潤一郎氏・佐々木実氏による対談記事「神宮外苑再開発とスポーツ利権を問う」を読むと、事業には森喜朗氏や同氏の名代である萩生田光一氏が暗躍していたことが明らかになっています。東京都幹部、三井不動産、日建設計とのつながり、文科省(萩生田文科相時代の事務次官は元JSC理事)やその所管下にある日本スポーツ振興センター(JSC)への影響力、地代が入るようになる明治神宮(2012年当時の三井不動産会長が総代に就任)・JSC・伊藤忠商事の目論見。三井不動産へは行政手続きの骨抜きに関与した都幹部が多く天下りしており、公共空間の私財化に向かった蜜月関係も指摘されています。
詳しくは『世界』の記事を読むことを勧めますが、「貴重な歴史と緑の公共空間を劣化させ、営利企業や宗教法人を儲けさせる事業を東京都が主導している事態を見過ごすわけにはいきません。」と結ばれています。来月の都知事選で「緑のタヌキ」を萩生田氏が推すのも10年以上前から進めていた利権案件があればこそというワケで、この動きはもっと関心をもって見ていく必要を感じました。

分がらない奴は分がらない

地域の会合で地元市議の説明資料による活動報告や懇談の機会に接しました。
まず説明資料では地区の広がりを持つ農地の宅地開発等を行うことで、税収と人口が増えることが示され、増えた財源で独自の子ども手当や給食費無償化、子ども医療費の拡充にあてると書かれていました。しかし、収入は人口増で試算していながら、支出は対象の子どもの増加を見込まず現在の人口に基づく試算となっていました。そこで、子どもの人口増を加味した支出額で差し引きしてみると、収入増を支出増が上回りかえって赤字になる内容となっていました。いったいどのようなアタマの構造でこうしたプランを出してくるのか疑問に思いました。
さらに懇談の場で、ある市議と在日外国人のことが話題になったのですが、ネトウヨ界隈のデマを真に受けた認識に侵されているようで、閉口させられました。同市議が言うには「埼玉でハングルの人たちが暴動を起こしている」とのことでした。おそらくクルド人のことを言っているのだと思いましたがデマです。他にも健康保険や年金保険料、生活保護、犯罪に関して間違った情報を次から次へ語ってくれたので、呆れるしかありませんでした。いわゆる「在日特権」なるものは、日本人以上に誠実に義務を果たして日本に在留資格を有する外国人にはありません。だいいち、在留資格を取得・更新するためには納税義務・社会保険料納付義務を果たしていなければなりません。年金保険料の未納率について在日外国人よりも日本人が断然高いことは最近の国会答弁でも明らかにされたところです。「在日特権」なるものがあるとすれば、在日米軍にしかないというのが、外国人と接する機会がある日本人の常識だと思います。
朝ドラの「虎に翼」に婦人代議士の立花幸恵役で出ている伊勢志摩さんが、11年前に放送された「あまちゃん」(1年前に再放送あり)で漁協事務員の花巻珠子役で出ていて、「分がる奴だけ分がればいい」とたびたび名ゼリフを吐いていました。その逆で「分がらない奴は分がらない」のだなとつくづく感じました。一方、昨日放送回の「虎に翼」では、立花代議士から「あなたもお偉い先生方にビシッと言っておやりなさいな!」というセリフがあったので、いつか「ビシッと」言ってやろうかとも思わないでもありません。
写真はネットからの拾い物です。あしからず。

「差別」のしくみ第13章再読

憲法学者の木村草太さんの5月31日のX投稿に、朝ドラ「虎に翼」を巡り以下の記載がありました。「新憲法ができて、いよいよ来週は、戦後家族法改正の話になりそうですね。私の考える家族法改正ハイライトは、『差別の仕組み』(朝日選書)第10章から13章「憲法24条と家制度」をご覧いただければ幸いです。」。それを受けてせっかく蔵書にもあるので、『「差別」のしくみ』(←これが正確な書名です)の「第13章 憲法24条と家制度(その4)――新民法と家事審判」の部分を読み直してみました。
印象に残った2点についてメモをしておきます。
まず、1点目は、「入籍」という用語を婚姻の意味で今日においても使うのはやはりふさわしくないということです。よく芸能人の結婚報告でこの用語が使用され、報道機関でもそのまま流されることがありますが、私はかねてから違和感を覚えていましたし、本書初読ならびに今回の再読でもますますその思いを強くしました。実際、同書p.151においても「なお、旧民法では、嫁入り(婿入り)する妻(夫)が相手の家の戸籍に「入る」ので、婚姻のことを「入籍」と言った。しかし、新民法では、婚姻する際には、新しい核家族を形成し、新しい戸籍を創ることになる。こうした現象を正確に表現したければ、「創籍」とでも言うべきだろう。」。新民法になってやがて80年近くも経つのに旧民法下の現象を指す用語が生きているのがなんとも不思議です。不思議と言えば、戸籍や夫婦同姓強制の制度があること自体、世界では珍しいのですが、そんな制度がない国でも家族は成立しているのに、その制度がないと家族が離散するかのような物言いをする人がいるのがそうです。家族が離散する可能性が高いのは、旧民法下においても戦争がもっとも高い原因であったことは間違いありません。
次に、2点目は、再読によって注目することになった、初の女性高裁長官を務めた野田愛子氏の思い出話です。この方は1947年に司法試験に合格するとともに明治大学を卒業しています。本書p.160に野田氏が先輩の立石芳枝先生(日本女性初の法学博士号取得者)に試験合格の報告をした際にかけられた、立石先生の言葉が紹介されています。それは、「憲法が変わって男女平等になったのよ。素晴らしいわね。」というものでした。野田氏は自著『家庭裁判所とともに』にも「家族制度のもとでの女性の劣悪な法律上の地位について、毎日のように講義をしておられた立石先生にとって、憲法改正に続いて改正民法が宣言した家族法上の男女の平等が、どれほどの解放感と感動をもたらしたか、痛いほどよくわかるのである。」と記しています。初読は、「虎に翼」の放送スタート前の時期でしたので、再読によって野田愛子氏や立石芳枝先生をモデルにした登場人物が現れないかと、楽しみが増えました。反面、皮肉なことに、当時の法律家にとってこれだけの感動をもたらした憲法を、今の自民党改憲案では徴兵制導入合憲と読めるように劣悪なものに変えようという動きすらあり、複雑な気持ちもあります。