月別アーカイブ: 2024年5月

枯れない65歳の先輩

いろんな先輩がいますが、中高大を通じての先輩である、米原康正さんは、その活躍ぶりを通していつも憧れを持って見守っている存在です。昨日(5月20日)65歳の誕生日を迎えられたのですが、「これからも好奇心を枯らすことなく、新しいことにドンドン挑戦していきたい」と力強く宣言しておられました。
現在以下の4カ所にギャラリーをオープンさせて、さまざまなキャラクターのカルチャーを発信し続けています。会場へ足を運ぶ機会がなければ、それぞれのギャラリーのインスタグラムを見て楽しむこともできます。
https://dayonegallery.com/
https://shop.dayonegallery.com/
https://linktr.ee/plus_dayone_gallery

+DA.YO.NE.ブース(ラフォーレ原宿)
+DA.YO.NE.GALLERY(有楽町阪急)
tHE GALLERY HARAJUKU(原宿とんちゃん通り)
tHE GALLERY OMOTESANDO(今月オープン)

歴史と紛争解決のダイヤグラム

日頃新聞を読んでいると歳を重ねてもいろんな情報に接します。たとえば、本日(5月19日)の熊本日日新聞1面コラム「新生面」では、クレイジーケンバンドの横山剣さんの母は熊本の八代出身であることを紹介していました。同日同紙6面「くまにち論壇」で辻田真佐憲さんが触れた、海上保安庁初代長官の大久保武雄についての記述も興味深いものでした。それによると、大久保は高浜虚子に師事した俳人としても知られ、自身の俳号である「橙青(とうせい)」は、海上保安協会主催の俳句コンテストの大賞の名称の一つになっているとのことでした。昨日(5月18日)の朝日新聞別刷「be」4面掲載の原武史さんの「歴史のダイヤグラム」欄では、1945年1月26日、京都の仁和寺に隣接する陽明文庫での高松宮と近衞文麿の密談について記してありました。その密談内容とは、戦争終結をめぐり連合国が天皇の責任追及を回避するための近衞の腹案だったと言います。万一の時は天皇に退位出家を願い仁和寺に迎え入れて「裕仁法皇(ゆうじんほうおう)」とする了解を、高松宮に求めるものでした。これが実現されていれば、天皇制のあり方もかなり現代とは異なったものになっていただろうと容易に思えます。以上のような一つひとつの情報は、まさしく小ネタにそのものですが、歴史を振り返ると当事者の行動や当事者が属する組織風土に影響することが見てとれて、さまざまな事象を考察する際には疎かにできません。ネット情報では接することが困難な情報が紙媒体にはあるように思います。
それと情報源がネット頼みになると、お勧められやすい断片的な情報ばかりになり、自分の文化習俗風土と異なる情報から遠くなり、単純に好き嫌いや美醜で判断しがちになり、偏ってしまう危惧があります。たとえば、国内でふだんイスラム教徒の人と接する機会をもつ人は少ないと思いますが、イスラム教徒の女性に男性が握手を求めることは無礼になりますし、他人が頭に触れてはなりません(相手が子どもでも)。犬に身体を舐められることも忌避されます。もしも舐められたらその箇所を7回洗わなければならないとされます。断食の時期の日中はお茶を飲むよう勧めてもいけません。こうしたことは当事者から学ぶのが早道だと思います。
ただし、ある分野の体系的な知識を得たいのなら、やはり専門の書籍に接するか、その分野の教育なり研修なりを受けるべきだと思います。ここ1カ月ほどは、千葉惠美子・川上良・高原知明著『紛争類型から学ぶ応用民法Ⅱ債権総論・契約』(日本評論社、3000円+税、2023年)に取り組んでいました。正直なところ同書で取り上げられているような契約違反の紛争に巻き込まれたくはありませんが、仮にそうした事態になったときに、どのような手段(請求権)を講じたら少しでも救済(被害回復)されるのかを知識として身につけておくことは重要です。特に2017年の債権関係の民法改正部分については判例がなく解釈論が固まっていないので、実務経験豊かな専門家の執筆による本書は大きな助けとなります。履行請求権、債務不履行を原因とする損害賠償請求権、契約の解除、契約不適合責任、債権譲渡、相殺・弁済、定型約款、不法行為を原因とする損害賠償請求権、不当利得返還請求権など、争点の字面を見ただけではなんともとっつきにくいですが、紛争を引き起こした連中を思い浮かべて、これで攻め立てようなどと考えると、けっこうおもしろくもあり、理解が進むように思います。だからといって私も弁護士並みになろうとは、考えません。仮に紛争に巻き込まれたらその紛争類型の救済に強い弁護士を見つけて依頼するのに限ります。そのために弁護士職があるのであり、マジメにやればあれほどストレスがかかる仕事を自分で担いたいとは思いません。
最後に歴史家と法律家との間に共通点があるとすれば、「ダイヤグラム」についての捉え方のような気がします。上記書のP.163-164に以下のような記載があったので紹介します。「民事裁判手続きは、原告がそのように主張するのであれば被告はこのような反論をする、被告がそう反論するのであれば原告はその反論と自らの主張を補強するという当事者の対話の中で審理が進んでいく動的なものである。実際の民事裁判手続では、最初からブロック・ダイヤグラムのような精緻に整理された主張がなされているわけではなく、当事者の主張のぶつかり合いと出し入れというダイナミックな展開中で争点が形成されていく。ブロック・ダイヤグラムは、弁護士からすれば、当事者の主張・立証が出尽くした口頭弁論終結時点での総括である。証拠関係に照らして、複数存在しうる選択肢中から、自己に有利な結果を導くブロック・ダイヤグラムを如何に作成するかという動的な側面があることを忘れてはならない。」。

 

正善寺と長谷川製糸

一昨日(5月9日)の熊本日日新聞文化面(12面)に宇城市小川町出身の俳人・長谷川櫂さんのエッセー「故郷の肖像」が載っていて、同氏の実家近くの菩提寺についても触れられていました。記述内容から高校時代の同級生・ 川田 晃映 さんのところ(正善寺さん)と雰囲気的に合致する感じもあったので、もしやと思ってコメントを入れてみたら、お隣りのお寺ですと翌日返信がありました。ただ「長谷川さんの先代・先々代が仏法聴聞に熱心で仏縁深かったのです。それと長谷川さん宅には菩提寺(門徒寺)さんからも拙寺からも月参りさせて頂いています。」とのことでしたから正善寺さんとも縁がないわけではないそうです。
それと同時に、やはり一昨日(5月9日)の朝日新聞地域面に、長谷川櫂さんの実家・長谷川製糸が国の登録有形文化財になったことの紹介記事が載っていることを教えてもらいました。実はその紙面自体は目を通していたはずですが、同記事の隣りの「水俣病マイクオフ問題」関連の方に関心が集中していてすっかり読み飛ばしていました。それだけに同記事を読み直すことができ、長谷川櫂さんの実家についてより深く知ることができて、ありがたかったです。
長谷川櫂さんといえば、知る人は知っていますが、朝日新聞の「俳壇」欄の選者として長らく活躍されている小川町出身の著名人です。私には俳句や短歌の嗜みがなくて俳人・歌人の方の才能には憧憬の念を持っています。
「長谷川邸」の研究資料も見つけて読んでみたら、製糸産業の歴史も学べて視野が広がりました。
熊本県宇城市小川町における町家「長谷川邸」の建築的特徴と保存に向けての方策に関する研究

飼い犬か義勇兵か

朝ドラ「虎に翼」の本日放送回での主人公の「寅子」による「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない男か女かでふるいにかけられない社会になることを私は心から願います。」との毅然とした決意表明と、女性の服装を揶揄する司法試験の面接官に「トンチキなのはどっちだ。はっ?」と言い放った「よね」の信条の崇高さには、たいへん感動しました。司法の分野はもちろんですが、当時は女性に選挙権がありませんでしたから立法分野の国会議員、行政分野の大臣として女性が活躍できる場はなく、そのことだけでも国民の半数以上が虐げられていた時代がつい80年ほど前まであったことを思い起こさせました。しかしながら、現在の立法や行政の分野に携わる者の資質に接すると、ガッカリさせられることが多いですし、そのような資質の人物をのさばらせる国民の資質も問わなければなりません。
じっさい、水俣病患者団体と環境大臣との懇談会で、環境省職員がマイクの音声を切り団体側の発言を封じた、いわゆる「マイクオフ問題」を巡って、あろうことか患者団体側に非難の電話をかけるトンチキな方々がいることを、本日(5月10日)の熊本日日新聞が報じていました。環境大臣やその場にいて善処に動かなかった熊本県知事の「飼い犬」を自ら買って出るとは、なんとも下劣で哀れな行動としか言えません。おそらくは、水俣病の被害がいかに拡大し、多くの被害者が救済されずに死ぬのを待たされ続けている歴史に無知なのだと思います。
たとえば、3月の熊本県知事選挙を前に、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が知事選立候補表明者へ公開質問状を出したことがありました。その際の現知事の回答を要約すると、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「健康調査の実施は考えない」の「ないないづくし3点セット」でした。そのときこのような環境省の意向に沿ったゼロ回答をした候補は他にいませんでしたが、この回答が何を意味するかも先の飼い犬たちには理解する力がないのだと思います。
一方で、冒頭の「寅子」や「よね」と同様に、世の中の不条理に対して闘う人物が常にいるのも希望です。水俣病裁判闘争の初期のころ、「義によって助太刀いたす」と患者支援に行動した、水俣病を告発する会の代表だった本田啓吉先生(2006年没)を、私は思い起こします。先生とは機関紙『水俣』編集を通じて生前お会いする機会がたびたびありましたが、いつも穏やかで激しい物言いをされる方ではありませんでした。だからなのか、時折この「義勇兵宣言」が気になります。何の義理がなくても不条理な環境に置かれた出来事があれば、黙って見過ごさない人間でありたいと思います。
なお、熊本県知事の職分の名誉のために付言すると、福島譲二知事(1999年没)と本田啓吉先生は、旧制五高時代に学生寮で同室の仲でした。片や大蔵官僚、片や高校国語教師と、進まれた道は異なりましたが、大義とは何かを思索し行動に移す真のエリート知識人の気概は共有していたと思います。

よく言った

本日(5月9日)の熊本日日新聞社説より。
よく言った。「虎に翼」の笹寿司のおやじさんのセリフに、そんなのがありましたね。
「懇談には熊本県の木村敬知事ら県幹部も同席していた。だが、環境省の対応に異は唱えなかったという。国はもちろん、熊本県も水俣病問題の当事者だ。適切な対応だったとはとても言い難い。」

熊本県知事は環境大臣の飼い犬か

このところロアッソ熊本の戦績の不甲斐なさに閉口し、ローカルのスポーツ関係のニュースは見ないよう努めています。ですが、水俣病犠牲者慰霊式後に伊藤信太郎環境相と懇談した患者団体の発言が環境省職員によって打ち切られた一件については、憤りを覚える気持ちが収まらず、報道を追いかけています。今月26日に開かれる相思社(水俣病患者連合事務局を担当)の理事会にも出席しますが、本件についても議事に上ると思います。
本日(5月8日)の熊本日日新聞社会面では、本件をめぐる熊本県知事の対応について以下のように触れていました。「1日の懇談には、熊本県の木村敬知事や県幹部も出席。団体側の発言が打ち切られても、善処を求める言動は一切なかった。水俣病保健課は『環境省が運営している場に参加させてもらっている県として、何か言うことは難しい』と説明。懇談後の記者会見で木村知事は『忙しい大臣が例年通り時間をつくってくれた』と謝意を示した。」。見出しなしで記事本文の半ばに記されていましたので、大半の読者は見落とす可能性があるかもしれません。しかし、県民の権利を守ることをせず、来水した大臣に謝意を示す能しかなかった知事に阿ることなくその不甲斐なさの一端を晒してくれたように思います。
同じくけさの朝日新聞読者投稿欄(「声」)に、今春に31歳で東京都職員を早期退職した現在自営業の男性の投書が載っていて、興味深く読みました。それによると、投稿者は公務員時代の自身を「飼い犬」と評し、現在は「野良犬」としてエサは与えられなくとも本当の自由がある爽快さを語っていました。「野良犬も悪くない。」と文章は結ばれていて、25年間の会社員経験後に自由業に転じた私には共感できる内容でした。
この投稿と併せて先の地元紙の記事を読むと、まるで熊本県知事は環境大臣の「飼い犬」だなと、本当の「飼い主」である県民の一人として感じてしまいます。

議員と政府の資質を問え

「政治資金オンブズマン」代表を務めながら「政治とカネ」にかかわる告発を100件超も行っている、闘う憲法学者の上脇博之氏が、5月4日、自身のXに「長年裏金をつくり続けてきた自民党議員らによって政治資金規正法はザル法の状態のままにされてきた。そのザル法にさえ違反したのが、派閥の政治資金パーティー裏金事件。その裏金議員らがさらに暴走できるようにするために日本国憲法をザル憲法にしようとしている。そうさせないのが真の主権者国民!」とポストしていました。まさにその通りで、そうした連中には憲法は言うまでもなく、一切の法律審議を行う資格はないと考えます。
さらに、議院内閣制であるため、資質を欠く議員らの一部から成り立つ政府についても、その資質についてよく見極める必要があります。上脇氏と同じ憲法学者である長谷部恭男氏が、「世界」(2024年6月号)において集団的自衛権の行使の解釈変更にかかわる2014年の閣議決定の判断能力について正常さを失っていると指摘していました。存立危機事態の存立可能性が実に謎めいた判断となっていて、「たとえ話に即して言えば、外出先と同時に自宅にもいるという事態を想定」していて、「同様に、他国が攻撃されたにもかかわらず、日本が直接攻撃されたのと同様の深刻で重大な被害を受ける事態があり得ると想定」することとなっています。このような存立不可能な事態であれば、集団的自衛権の行使は現実的には不可能(だから先の解釈変更が明白に違憲であると断定することができないというのが2023年12月5日の安保法制違憲訴訟仙台高裁判決の結論)になるのですが、「募っているけど募集はしていない」という謎答弁ができる想定外のあるいは異次元の能力の持ち主レベルの政府だったら、集団的自衛権の行使を思い止まらないでしょう。そうした危うさに国民の生命は晒されているのだと思います。
写真は記事と関係ありません。2024年5月4日撮影。
たとえ話
個別的自衛権の行使のルール(2014年7月の閣議決定前) 牛肉麺を食べるのは日本にいるときだけ。台湾では牛肉麺を食べないことにする。
例外的に集団的自衛権を行使できるルール変更(2014年7月の閣議決定以降) 台湾にいると同時に日本にもいるという例外的な場合には、台湾でも牛肉麺を食べても良いことする。
・原告団の立場 台湾と同時に日本にもいることはできない。こんなおかしなルール変更はできない。
・判決の立場 台湾にいると同時に日本にもいることは現実的に不可能。ルール変更後も台湾では牛肉麺を食べてはならない。実はルールは変わっていない。