月別アーカイブ: 2021年1月

1月も終わり

きょうで1月も終わりです。昨年1月半ばに東京へ行く機会があり、次男とは学内で会いました。ですからリアルでの対面は丸1年ありません。ときおりZOOMでネット越しに顔を合わせることはあります。この1年の行動変容には凄まじいものがあります。同時にこれまでの消費がほんとうに必要なものなのか、人類の将来にとって有益なものなのかどうか、経済を回すことの道義も問われた1年だったように思います。

人権第一に考えれば

人権を第一に考えれば、人権を侵害された人の国籍や民族で扱いを変えるべきではありません。政府同士が対立するのも不毛です。昨日の朝日新聞のオピニオン面で中国人強制労働問題で被害者と企業との和解に取り組んでいた弁護士の意見が傾聴に値すべきだと思いました。実際、日本政府は、中国人強制労働者と企業の和解では口をはさまなかったのに、韓国の元徴用工判決については国際法違反だと反発して見せ、互いに国家間対立を高める結果を招いています。国際法を持ち出すならそもそもの元徴用工が受けた人権侵害も国際法に反しており、不正義の原因を作った側が法律の手続き面のことであまり大きな顔をすべきではないと考えます。1965年の日韓国交正常化の実態でも日本側の資本でプラントを韓国側に建設してその後の利益を得たのは韓国以上に日本側ということもありました。1950年代前半に朝鮮半島の分断をもたらした朝鮮戦争の時期においても日本はずいぶん儲けさせてもらった負い目があることも忘れてはなりません。日本側も韓国の司法を判決に追い込むのではなく、和解に持ち込む知恵と贖罪が必要だと思います。

研究の方向

E・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫、1380円+税、1986年)のp.186にアインシュタインの発言(邦訳『アインシュタイン平和書簡』、原書1960年出版)を引いている箇所があります。これは原子力についての考察の中で記述ですが、紹介すると以下の通りです。「人類は自然に反しては生きられないのと同様、科学・技術なしでは生きていけない。ただし、熟考を要するのは、科学研究の方向である。この点は科学者だけに任せるわけにはいかない。アインシュタインが述べているように、「科学者の大多数は経済的にはまったく自立しておらず」、また「社会的責任感のある科学者はまれ」なので、この方向を自分たちでは決めることができない」。科学者全員がこれほどひどいとは言いませんが、たとえばある事業を行うときに技術的には正しいとか優れていても経済的な視点や環境に及ぼす影響を考えると疑問というか愚かなことというのは多々あります。人間はどうしても都合のいい部分を過大に見てしまい、あげく罠にかかることがあります。当事者だけならともかく他者へ取り返しのつかない悪影響や被害ももたらすことがないのか、天才が述べる通りそれに気づくのは容易ではありません。

そんなバナナの話

1983年11月の大学祭において社会学者の鶴見和子氏の話を聴く機会がありました。そのときも和服姿でした。同氏も不知火海総合学術調査団の一員として参加執筆された『水俣の啓示』(筑摩書房)を同年夏に読んでいた私は、その読後感(内発的発展論)も含めて講演後に質問をしました。その際に、氏から受講者の中に同書の読者がいたことを知って本日来た甲斐があったとすごく喜んでくれてずいぶん恐縮しました。同時にその講演の際に、氏は従弟の人類学者である鶴見良行氏がやはり前年8月に出した『バナナと日本人』(岩波新書)を紹介されました。また、この本に影響を受けて、バナナを食べないようにしたことを披露されました。鶴見和子氏にいたく褒められた私もその日を境にバナナを食べることを止めました。もちろん『バナナと日本人』も読みました。一日本人がバナナを食べなくなったからといって生産輸出する多国籍企業には痛くも痒くもない話ですし、フィリピンの農民が救われることにつながったか、因果関係を証明することは不可能であることは重々承知です。しかし、真実を知ってそれに対して何か行動をするという学者の信念の強さとか清々しさに当時の私は触発されたのは事実です。きょう朝から農業のことに思いを馳せる時間があって、今も食べないバナナのことを思い出しました。

たまには現物を見てみないと

ある機器を家電量販店へ見に行ったついでにPC売り場ものぞいてみました。日頃プリンターインクの購入でサプライ品コーナーには立ち寄りますが、改めて最新機種を見てみると、CPUの世代やHDDからSSDといった変化を知って、たまには現物を見て販売員の話を聴いてみる必要を感じました。

知のオープン化

たまにいろんな大学のホームページを眺めてみると、オンラインでの公開講座などの情報に接することがあります。わざわざ外出する必要がないので、かえって多くの知に触れる機会が得られている気がします。ただし、ライブだと視聴日時が自分の予定との重なりをどうしても受けてしまいます。それと、同時アクセス数の制約があり、事前登録制をとっているものが多いように感じます。大学としては、有料であってもそれだけの価値がある内容であれば、積極的に活用してみて存在を示してみてはと思います。

最後は独り

一昨日、昨日と親族の弔事に参列しました。葬儀場でのコロナ対策については見聞きしていましたが、火葬場への参列も10人前後に絞られる入場規制が設けられていました。親族の火葬の前の時間に近隣で起きた事件被害者の火葬もあっており、享年はさして違いがないのですが、最後の見送られ方の違いを感じました。一方でどのような人生であれ、最後は独りずつ逝くわけでそれはだれも同じなのを改めて感じる機会となりました。

我独恥天地

写真は地元市役所別館の一室にかかっている額です。似たような言葉で、和気清麻呂の「我獨慙天地」というのがあるようです。それだと、「我独り天地に慙ず(われひとりてんちにはず)」と読み、「国家の命運が誰と議論するでもなくただ自分の判断に懸っていて、とても畏れ多いことで不安で仕方ない」という意味があるそうです。写真の揮ごうでは「恥」の字と差し替えになっています。首長ともなると、そういう気持ちを持つのかと思います。

パブコメは重要

地方自治体等の行政が計画策定にあたり、素案を住民へ開示しパブリックコメントを求めることがあります。その素案があまりにも質が悪いものであっても、呆れて何も言わないのではなく、あえて指摘すべきだと思います。策定委員がいながらほとんどが民間のコンサルタント任せでどこかで見たようなキャッチフレーズだけの願望をとりまとめた実現性の見えない計画は単なる作文にすぎません。職員に襟を正してもらうためにパブコメは大いに活用したいと思います。

影響徐々に

16-17日の全九州高校選抜大会は無事終了した模様ですが、24日の全国高校選抜大会県予選は開催中止となりました。昨春の緊急事態宣言期間中の状況に近く徐々にさまざまな行事の予定変更が出てきています。人の往来の制限についてよりも無症状の感染者の存在にこそ要因があるので検査の充実が予防の本筋だと考えています。

次回は2月3日

本日午後は熊本市国際交流会館において行政書士による外国人のための無料相談に対応しました。といっても、さすがに緊急事態宣言が発令されている期間中のため、街中の人出も閑散としていて、相談者はありませんでした。次回は2月3日(日)午後に相談員として対応します。

明日は相談員

熊本県独自の緊急事態宣言が発令されて熊本市有施設の開館時間が短縮化されています。各種行事も中止が相次いでいます。明日午後に熊本市国際交流会館で外国人のための行政書士による相談に携わります。在留資格関係以外に生活福祉にかかわる不安もあるかと思いますから、そのあたりの支援制度の案内にも努めたいと思います。

生活福祉資金特例貸付等の支援制度

地元市の社会福祉協議会の評議員会に出席しました。その際に紹介があったのですが、社協が窓口となって新型コロナウイルス感染症による休業や失業等により一時的に収入が減少した世帯を対象にした生活福祉資金等特例貸付等の支援が実施されています。金額的には小口ですが、無利子で保証人も不要です。昨春から今年3月末までの受付となっていますが、本日までに熊本地震時並みの申請があっているということでした。

郵送対応について

一部都府県で緊急事態宣言となるなか、本県でも行政事務手続きが郵送対応となることが予定されています。たとえば建設業許可更新手続きが1月25日~3月31日の間は郵送でのみ受け付けとなり、窓口では受け付けてもらえなくなります。こうした動きは他にも広がるかと思います。

この一年の変容ぶり

一年前の今頃はまだ国内で新型コロナの感染者が確認されておらず、まだ対岸の火事という雰囲気でしたが、どこで発生しても不思議ではない感があります。とにかく密になる場所は避けていますが、医療介護現場など人と接する職場の苦労は並大抵ではないと思います。写真は昨年1月に訪れた東京国立博物館。

成人の日

本日は成人の日。今年は各自治体主催の式典が開催中止や延期となるなか、地元市では昨日開かれたようです。対象となる家族も出席予定でしたが帰省せず参加しませんでした。いろんな判断があったかと思いますが、地域の感染状況をふまえて感染対策が十分とられれば開催することはあり得たと思います。ともかく成人された皆さんはおめでとうございます。