日別アーカイブ: 2020年9月9日

戦争賠償なき戦後処理の歴史について

今度は写真の本を読もうと思っています。
1980年代以降、中国や韓国、台湾は、目覚ましい経済成長を遂げました。ただし、民主化については、中国はないまま、韓国と台湾は達成したという違いがあります(特に1989年6月4日の第2次天安門事件にいたっては、中国の歴史教科書には記載されておらず、中国の若者には事件そのものを知らない人が多いといいます。)。日本にとっても東アジアの経済発展は、恩恵がありました。同時に、それらの国・地域との戦後処理についての歴史をよく知っておく必要があります。それを知ることで相手にどう接するべきかという考えも変わってくると思います。
まず、アジア・太平洋戦争に敗戦した当時の中国を代表していたのは、中華民国の蔣介石でした。連合国の一員である中華民国は戦勝国でしたが、蒋介石は、日本に対して戦争賠償請求権を行使すれば、日本国民が貧しくなり、結果共産主義がはびこり、日本が社会主義化する可能性があるとの判断をもっていました。戦後の日本が民主化し、経済発展することが日本の赤化を防ぎ、東アジアを安定させると考えていました。つまり、日本は中華民国に対して戦争賠償はしませんでした。しかし、台湾に移転した中華民国は日本統治時代の経済的、社会的基盤をそのまま引き継ぎ、さらに朝鮮戦争の勃発によって米国の安全保障の範疇に入り、経済援助を受けることで経済発展をすることができました。経済成長率は、1960年代が9.6%、1970年代が9.7%、1980年代が8.3%でした。今年亡くなった李登輝総統の時代には民主化を達成しました。
台湾の蒋介石の「以徳報怨」の姿勢は、現在の大陸側の中国の歴史認識である「戦争責任二分論」にも通じるもので、1972年の日中共同声明で宣言された「戦争賠償の請求を放棄すること」は、中国側の周恩来からの大幅な譲歩によるものでした。靖国神社にA級戦犯が合祀されたことが明らかになった1985年以降、中国が日本の閣僚が参拝することを問題視するのも、国交正常化の精神を日本側が踏みにじっていると考えられているからです。戦争賠償の要求を出さなかった借りをよく考える必要はあると思います。その点をもっとも考えていたのは、A級戦犯合祀が明らかになった後は、靖国への参拝を行わなくなった、昭和天皇だったと思います。
日本の敗戦まで植民地であった韓国については、初代大統領の李承晩が大韓民国臨時政府による対日宣戦布告を理由に戦勝国として戦争賠償金を認めるよう国際社会に働きかけたことがありましたが、これは認められなかったため、やはり日本は戦争賠償をしていません。韓国は、日韓基本条約による日本からの経済援助とベトナム戦争の特需によって経済発展し、最貧国(1960年代半ばの一人当たり国民所得は日本の5分の1)から脱却して北朝鮮を経済的に追い抜くことに成功しました。民主化も1980年代後半に進展しました。日本や米国が中華人民共和国との国交正常化に伴い、中華民国と断交する中で、韓国は1992年まで中華民国との国交を維持しました。この背景には、大韓民国臨時政府が孫文と蒋介石の保護の下で活動し、カイロ会談では朝鮮の独立を強く蒋介石が支持してくれたことへの恩義があったからだとされています。こうした関係も知っていて損はありません。