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歴史証拠への向き合い方

『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』は、同紙を敵視する人々による、いくつもの強弁例が紹介されています。たとえば、割と新しい出来事ですが、2018年3月28日の衆院外務委員会での外務省大臣官房参事官の「政府発見の資料に強制連行を示す記述は見当たらなかった」という趣旨の国会答弁をもってして「強制連行はなかった」と主張するケースがそうです。強制連行の事実が証拠として残る公文書は戦争裁判の中でもあるので、日本政府が持っている公文書の中に記述がなかったとしても、強いられた女性の証言という証拠もあれば、総合的に検証するのが歴史への向き合い方となるものです。なかったものにしたい気持ち優先で自らを洗脳していると言われても過言ではありません。
歴史というものは、その真実に迫り学んでおかないと、現在の行動を誤りかねないものです。『現在東アジアの政治と社会』からは、日本と国交を結ぶ前の中華人民共和国の指導者の足跡をよく学べます。中国では1953年から農業集団化が行われ、1958年8月から全国に「人民公社運動」が展開されました。これは、かえって生産を低下させ、2538万人前後の餓死者を出す毛沢東の失策となりました。今日の都市(非農戸=都市戸籍)と農村(農戸=農業戸籍)の格差問題の原因となった戸籍制度ができたのもこの時期(1958年)でした。1962年以後、農村から都市への厳しい人口移動制限がなされて、閉鎖的二元的身分社会が出現することとなりました。
毛沢東が招いた混乱は1966年に発動した文革もありますが、この時期は中ソ対立の時期でもありました。プラハの春を経て1968年8月に起きたチェコ事件はソ連による侵略行為として、ソ連を「社会帝国主義」「覇権主義」として中国共産党は激しく(今日の歴史的視点では正しく)非難していました。
一方、外交で手腕を発揮したのは周恩来です。「小異をすてて大同につく」と「外交無小事(外交ではどのような小さな事も小国も大事にする)」方針でアジア・アフリカ外交を展開して、後に米中接近、日中国交正常化を果たしていきます。
現代の中国が進める少数民族の同化政策や周辺地域への覇権行動がもたらす危機をどう回避して相互に恩恵が得られる道は何かもっと気づくべきではないかと思います。相手が気に入らないからといって強弁したり、荒々しい力で押す行動はスマートではありません。