月別アーカイブ: 2020年9月

母校出身の教科書執筆者

昨日の朝日新聞社会面と本日の地元紙社会面で源了圓東北大学名誉教授(宇土市名誉市民)の訃報を知りました。享年100歳とのことでした。専門は日本思想史ですが、宇土高校時代に学んだ「倫理・社会」の教科書は、同氏の執筆によるものでした。旧制宇土中学のご出身で、この教科の教師が同氏と同級の法泉先生でした。ともにご実家はお寺で源氏のお寺は高校の正門のすぐ近くにあります。母校の先輩で誇れる方は数少ないですが、源氏はそのひとりでした。

明るい話題

昨日のロアッソ熊本のゲームは終始攻勢でしたが得点につながらず敗戦でした。団体スポーツの難しいところです。一方、大相撲は地元出身力士が優勝しました。取組直後には行政放送で市からお知らせもありました。もっとも在宅の市民はみんなテレビ観戦していたでしょうから、放送されるでもなく知っていたのでないかと思いましたが、久々に明るい話題に市内が包まれました。

スポーツ観戦日和

現在J3で昇格圏内の単独2位に付けているロアッソ熊本のゲームが午後2時からあります。リーグ後半戦の初戦となりますが、勢いを続けてぜひ勝ってもらいたいと思います。そのゲーム終了後は大相撲の結果が気になります。地元出身力士の優勝と大関昇進が期待されます。どちらもワクワクする出来事です。

イギリス史への誘い

『悪党たちの大英帝国』で知るイギリス史が新鮮です。日本の立場で知っているつもりのイギリス史というと、近代日本との出会いの関係からいって19世紀後半のことが中心になります。ことにアジアとの関係でもインドを植民地としてもっていたイギリスの中国への野望が日本の近代化を進めた要因の一つだと思いますし、現在の中国のありようについてもイギリスが関わる部分はあります。逆にイギリスがヨーロッパの中でもまだ影響力が小さかった時代のことはあまり知らないで過ごしてきました。カトリック教徒との関係やヨーロッパ大陸諸国との関係はよく承知をしないままでいました。ましてや大陸に領地をもっていたことやしばしば外国人の王を戴いたことについてです。税負担の考え方もイギリスとフランスではずいぶん異なり、イギリスでは富裕層が、フランスでは庶民が税を負担するという考え方の違いから、両者のパワーバランスも随分と違ったものになった歴史がありました。結果的にイギリスが隆盛した秘密がいろいろありそうです。

コロナ禍の国勢調査

コロナ禍の国勢調査では、回答者と調査員の対面機会をなくすことに焦点があたっていますが、ふだんの生活とは異なるため、たとえばオンライン講義ばかりで実際には通学できていない大学生の場合の回答の仕方も話題になっています。通常通りで言えば通学しているとして通学先の所在地や交通手段をその通り回答すればいいのですが、オンライン講義だと一時帰郷していることもあります。調査の趣旨から言えば現実ではなく通常の生活を想定して回答した方が良さそうです。それは統計局のQ&Aの一時的実家住まいや就活学生の項を見ても判断できます。国民のふだんの生活での通勤通学の移動人口の情報は交通インフラ政策に反映されるので、今の異常な時期の移動人口をもとにすると政策を誤ってしまうと思います。ここらあたりのPRもほんとうは必要だと思いました。

企業の名誉を保持する和解について

このところ、内田雅敏著の『元徴用工 和解への道 ――戦時被害と個人請求権』(ちくま新書、880+税、2020年)を読んでいました。著者は、戦時下の中国人強制連行・強制労働問題(花岡、西松、三菱マテリアル)など戦後補償問題に取り組んだ弁護士ですが、同書を読むと、外交関係の歴史にも明るく、非常に目配りのいい著書だと思いました。弁護士業務という観点からすれば、元徴用工の損害賠償請求事件がお金にならないことははっきりしています。国内法の知識だけでなく、国際法や国際人権基準、歴史についても深く知っておかなければ、踏み込めない分野です。しかし、花岡(旧鹿島組=鹿島建設)、西松建設広島安野(旧西松組)、三菱マテリアル(旧三菱鉱業)の和解は、被害者への謝罪・救済はもちろんですが、過去の歴史に向き合うことで、それらの企業の名誉も保持された面もあります。現在、中国人受難者数を大きく上回る韓国人の元徴用工問題の解決が問題になっていますが、これについても人権を侵害した日本企業にとって、過去の歴史に向き合い、国家とは別にでも謝罪・救済の機会を得られることは、むしろその企業にとって国際的な信頼を増す名誉を保持できる機会です。請求権協定を振りかざして日本政府が民間企業の自発的行動も妨害するとなると、日本国民の名誉をも貶めることになります。外交保護権の放棄や除斥期間などの法律論に逃げるのではなく、被害の実態があった史実がある以上、その解決を図る誠実な対応をむしろ積極的にとるべきです。
「日本は、戦後の国際情勢を巧みに利用して、本来、負わなくてはならない戦争賠償義務、植民地支配による賠償義務を免れてきた」(p.220)のは否めません。それにもかかわらず、ある歴史事件全体の中の一部の間違いを鬼の首を獲った如くに指摘し、その歴史事件全体を否定しようとする歴史ねつ造主義の残念な人々がいることも事実です。特に前政権はそれらの人々を利用した世論形成に熱心でした。このデマゴーグ手法は、ナチスがよく使った手口ですが、安全保障の観点からもたいへん危険です。

ZOOM総会体験

全国規模で活動している団体の総会が今回は会場集合型ではなく会員自宅からのZOOMを利用した形での開催となり参加しました。事前に2回、接続テストや総会リハーサルが行われました。比較的年配の参加者が多いのですが、概ね問題なく参加できました。ZOOMの良さは、なんといっても参加者全員の顔が見えるので、人柄が伝わりやすい点があります。会場だとひな壇側からしか参加者の表情をうかがい知れません。自宅からの参加ですから鬱陶しいマスク着用もありません。感染防止ストレスがないのはいいと思いました。そして、全国規模であれば、別に東京一極集中で移動するコストもありませんから参加の機会が増えます。コロナが収まっても使えるのを実感しました。

東アジアと英国のかかわり

次に読む本のタイトル『悪党たちの大英帝国』は、おどろおどろしくいささか悪趣味ですが、歴史上言い得て妙なのは事実だと思います。香港や台湾問題の遠因は英国のかかわりを抜きには語れませんし、近代日本がアジア侵略に乗り出したのには、英国の手口を学んだ側面は否定できません。日露戦争については、英国に踊らされて有頂天になった側面もあります。植民地経営のやり方は英国をモデルにしたところもあります。大英帝国の礎を築いた権力者の実行力は是非を別にして並外れたものがあり、ヒール役として引き付けられるものがあります。

先生は信用しないのに限る

日本には国際人権条約でいうところの国内人権機関がありません。法務省の法務局には人権擁護の担当部署はありますが、啓発や相談が主で、あまり救済にはタッチしていないのが実情です。同部署と連携して市民からなる人権擁護委員がいますが、全国の多くの法務支局職員が片手間で人権擁護の係の仕事をしているように、ほんとうに助けが必要な人と接するのは、ごくまれです。それと、全国そうなのかどうかわかりませんが、委員同士あるいは職員から委員への呼びかけに際して、「先生」と呼ぶ習わしがあり、いつも気持ち悪く感じています。確かに教員出身の委員が多いのかもしれませんが、国際人権基準をよく理解していないのに「先生」とは、ずいぶん「先生」の値打ちは低いものだと思います。私だったら相談したいとは思わないし、信用できないなと思います。

日本をどうしたいのか

『元徴用工 和解への道』の中で触れられている作家・高村薫氏の言葉が、日本の戦後処理の不完全さをうまく説明していることを、投稿で触れました。17日の地元紙に載った共同通信配信記事と思われる同氏の新首相に対する評価コメントもうまく言い当てていると思いました。いわく「総裁選で強調したのも携帯電話料金を引き下げるという話。国の方針についてこんなに何も語らない新首相は初めてだ。」「日本をどうしたいのか、確固たる指針を自分の言葉で語るべきだ。」。
私も同感です。新首相がビザ要件を緩和したのがインバウンド観光の増加につながったと手柄話をしていたのを耳にしましたが、あんまりビザ要件の緩和の効果は感じていなかったので、あまり出入国管理については知識がないのではと思ったことがあります。外国人の入国・在留許可については、労働者や難民への対応がしばしば人権上問題あるので、ここの是正が重要課題だと思います。世界から信任される国として人権水準の向上を高らかに示すべきだと思います。近隣の東アジアの国・地域との向き合い方もどうしたいのかがはっきりしていません。憲法問題も挑戦したいという言い方をするあたりは、内容よりも仕事を進めたかどうかに関心がある、雇われ人感覚が受け取れます。法律やら歴史の勉強をしてきたようには見えない点でも確かに前内閣を継承しているなとは思います。

建設会社の格付けを知るには

昨日は所属団体の研修で主に建設業分野について学ぶことができました。私自身は日頃そうした分野の業務は取り扱っていませんので、仕事がとれる建設会社の理由がわかって納得でした。特に公共工事については、入札する際の参加資格として経営状況の実力度を計る評点が重要視されます。経営管理能力、技術力、財務力、福利厚生などが細かく点数で表されます。この評点は、それを分析する機関のサイトでも公開されています(許可番号で検索できる仕組みになっています)。今、元徴用工問題をめぐる本を読んでいますが、かつて日本の名だたる建設会社が徴用工を酷使していた歴史があります。働く建設労働者の人権を守れる会社にしか官民問わず工事は任せられません。評点公開により業界の人権水準が上がるなら大いに活用すべきだと思いました。

正確な物言いをしているかを監視する

『元徴用工 和解への道』を読んでいます。長年、元徴用工の支援を行ってきた弁護士の著作ということで、豊富な情報に裏付けられています。ただ、世間一般の理解度は、政府の言説のミスリードや報道人の勉強不足もあり、きわめて貧弱です。その理解が進まない限り、韓国や中国との関係はおかしなものになると思います。本書で2019年2月3日号の『サンデー毎日』に載った、作家の高村薫氏の指摘がわかりやすいので、紹介します。「日本政府は、戦後賠償問題においても、正確な物言いをしていない。(中略)日本は首相も外務大臣も、1965年の日韓請求権協定により戦後賠償問題は両国間で最終的に解決済み、と声高に繰り返している。あたかも韓国の司法が国際法を無視していると言わんばかりだが、一方的な暴言は日本のほうではないだろうか。」。
まず確認しなければならないのは、日本の政府も最高裁も個人の請求権は失われていないという見解ですが、それがあまり知られていません。1965年当時のレートで金1080億円相当の無償3億ドル供与の請求権協定も、金1080億円が一括支給されたのではなく、10年の期間にわたって分割の現物支給でした。その現物というのは、日本政府が国内企業から買い上げたプラントなどであり、むしろ日本企業のアジア進出への手助けの意味が強かったといわれています。

明るい選挙啓発書道作品に接して

小・中学生・高校生に明るい選挙に関するポスターや書道、標語作品を作成してもらい、選挙に関心を持ってもらうコンクールが毎年開かれています。地元市での作品推薦選考会に参加しました。初めての参加でしたが、応募作品数が多いのにまず驚きました。秀作ぞろいでどれも選外にするのが心苦しいばかりでした。全応募者に記念品が贈呈されるので、がっかりせずに、有権者となったおりには、ぜひ投票をしてほしいと思いました。

審議会行政で見落とされがちなこと

地方自治体が地域福祉計画を策定するにあたっては、住民の意見を募る機会が設定されます。来月、地元の地区座談会に出席する予定ですが、こういう場に出てくる住民代表となる人たちは、比較的自助や共助が盛んな地区の方が多くなり、本当に福祉の支援を要する地区の意見が反映されるのかという思いがあります。そもそもそうした想像力が行政を運営する側にあるのかという思いにかられます。行政の施策にはやはり住民の意見を反映したという正当性が問われますから、審議会的な場の提供には熱心です。しかし、ただその場を提供しても、どのような人が出てくるのか、ほんとうにその当事者といえる住民なのかは、よく考える必要があります。それでないと、やってます感行政に過ぎないことになります。現役世代が移り住んでこない老人ホームのような地区、支援する住民がいない地区が、細かく見ていくとコマ切れ状にあります。そうしたところからは、各種団体の長が出てこないので、長が住む地区とそうでない地区との格差は大きいものがあります。

オンラインの良さ

コロナ禍の教育のあり方として全国的にも注目を浴びた取り組みとして熊本市のオンライン授業がありました。それに対応できない家庭のフォローは大切ですが、登校にこだわらない教育の方法として評価すべきだと考えます。コロナ禍という状況がなくてもオンラインと集合型授業を組み合わせることで高い教育効果を上げることができるのではないでしょうか。それと今一つはオンラインでの授業コンテンツをオンデマンドで視聴できる環境を用意することで、ライブでは受講できなくても補習ができる、あるいは繰り返し視聴学習ができれば、なおいいと思います。教育だけでなくさまざまな事業でもZOOM活用が進んでいますが、特に全国規模の事業であれば、時間と交通のコスト削減になり、利用者にとってはたいへんありがたいものです。不要不急の移動が少なくなることは事故リスクや二酸化炭素排出の低減にもなります。

相互理解を深める

このところ読んでいた『現代東アジアの政治と社会』からはいろいろな知識を得ました。まず重要なのは、歴史認識です。これは言い換えれば、歴史を知るということです。自国の歴史を知り、周辺国・地域の歴史を知ることが非常に大切です。たとえば、戦後50年の1995年に出された村山談話の歴史認識は、中国が現在でも高く評価されており、日中の信頼関係の基礎になっています。しかし、1990年代半ばには日本の歴史教科書から従軍慰安婦の記述の削除を求める勢力の動きがありました。旧軍の不名誉な歴史を葬り去りたいのでしょうが、これは中国の歴史教科書で第2次天安門事件について記述しない中国共産党の意向に似ているものを感じます。まず自らそして相互に歴史を理解して東アジアにおける共生を図るべきだと思います。
次に大切なことは、人権です。米国のような黒人に対する白人による肌の色の違いからの人種差別は、東アジアでは顕著ではないかもしれませんが、同じ肌の色でありながら愚かしい民族差別・出身地差別が強い風潮は感じます。歴史的にも日本の場合は、旧植民地出身者に対する賠償について放置してきました。これも同様に中国では少数民族に対する同化政策という弾圧が続いています。人権侵害については、不干渉主義を強弁するのは誤りという認識を持つべきだと考えます。国や地域という枠組みを外して互いに人として尊重して交流することから力による対立がいかにばかげているかが自明のこととなると思います。