関輝明行政書士事務所」カテゴリーアーカイブ

『象徴天皇の実像』読書メモ

原武史著の『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』(岩波新書、960円+税、2024年)を昨日購入して翌日すぐに読了しました。それだけ読みやすくまるでサスペンス小説のように先を知りたくなる題材だったからなのだろうと思います。意外にも原武史さんの著書を手に取ったのは今回が初めてです。ですが、放送大学のラジオ放送で「日本政治思想史」を講義されていたことで、語り口や同世代の時代体験に以前から親しみを感じていましたし、毎週土曜日の朝日新聞に連載されている「歴史のダイヤグラム」で披露される豊富な鉄道の知識にいつもワクワクさせられる楽しさを覚えていました。
さて、本書は、タイトルの通り昭和天皇という人物の考えやふるまいなどを、その発言記録から明らかにしています。国民が抱くイメージは、とにかく歴史に翻弄された人物であり、本音がまったく不明、生身さが感じられないというものではなかったかと思います。国民の前に感情をむき出しにされることはありませんでした。私が生の昭和天皇を初めて見たのは、高校1年生のときに青森県で開催された国民体育大会での開会式でした。その翌年の長野県での国体開会式でも目にするのですが、とにかく著名人を見たということと、訥々とした口調のお言葉を聴いたというだけで、地方の高校生からすれば感動というより物珍しい体験をした思いで終わっています。ちなみに、天皇が戦後地方巡幸する出席行事としては、この国民体育大会(現・国民スポーツ大会)や植樹祭(現・全国植樹祭)がありますが、戦前は陸軍特別大演習がそれにあたりました。ただ、この大演習がいずれも三重県で予定されていた1923年と1937年は、それぞれ関東大震災と日中戦争とが原因で中止となっています。昭和天皇は、平和の神であるアマテラスを皇大神宮が伊勢に鎮座しているのに、そこで戦勝を願ったので神罰が下った旨の考えを後年述べています。
ところが、本書では、側近が話し相手ということもあって、昭和天皇は周囲の人物評から政治や社会情勢、歴史、宗教と幅広く饒舌に語っています。とりわけ、母親や弟たちとの関係は概してよくなく、側近に批判や不満をしばしば漏らしています。宮中祭祀に際しては、「血のケガレ」が今でも存在して、生理中の女性職員は祭祀に出られないそうです。これは皇后についても同様で、そのために皇后の極めてプライベートな情報が天皇と側近に共有されていたという情報には驚きました。現在の上皇后が皇太子妃の時期に精神的な不安があったのも、宮中祭祀に出られない日があることで、その情報が宮中で広く共有されることに悩んだためと見られます。このように女性にとっては、かなりストレスがかかる環境です。
一方、昭和天皇自身は、三笠宮のように公言はしませんでしたが、神武天皇は史実に反するし、歴代天皇の式年祭も史実に基づいたものではないと考えていたことが、史料からはうかがえます。なお、昭和天皇が考えてもいないことを公表しているのが、自民党という政党で、2024年4月26日の「安定的な皇位継承の在り方に関する所見」には、「神武天皇以来、今上陛下までの126代にわたり、歴代の皇位は一度の例外もなく男系で継承されており」というくだりがあるそうです。ちなみに1926年10月21日の詔書で南朝の長慶天皇が正式に第98代天皇としてカウントされたので、それまで大正は第122代とされていたものが第123代に繰り下がりました。関連して付け加えると、天皇家が北朝の系統であるにもかかわらず南朝が正統とされたのは、南朝が皇位の象徴である三種の神器を所持していたからだそうです。明治から戦前まで、1泊以上の行幸では天皇とともに剣爾を動かす剣爾動座が行われていたそうです。お召列車の中で天皇が乗る御料車に持ち込まれていました。1974年に天皇が伊勢神宮を参拝したときに剣爾動座が復活したとも書かれていました。
あと、政治家・学者に対する評価や共産党やソ連への警戒感、再軍備志向、憲法に対する理解度、宗教観など、興味深い情報が豊富に載っていて、どれも初めて知ることばかりでした。これ以上はあまりにもネタバレで長くなって著者に申し訳ないので控えますが、これほど新しい発見がある史料はないということは伝わったかと思います。

視えない中国

『世界』2024年12月号の特集1は「視えない中国」。この特集寄稿の中では、現在の中国社会を象徴する言葉が多数紹介されていたので、メモを取ってみました。27年前の夏に一度中国へは旅行したことがありますが、その当時は都市でも男性だと上半身下着か裸の人がかなりいましたので、ずいぶん変わったとは思います。
これらの言葉を一つひとつ追ってみると、序列化された生きにくい社会で懸命に生きる中国の若者たちの姿が見えてきます。日中両国の若者同士では理解し合える部分も多いのではという気がします。
献忠…社会に不満を持ち、無差別に攻撃したり殺したりする報復行為の隠語として近年ネット上で用いられているという。明末の農民蜂起軍のリーダーの一人で大規模な殺戮を好んだとされる張献忠の名に由来する。なお、中国の代表的な検索エンジン百度では禁句扱いのため隠語としての説明は表示されない。
焦慮…文字通り、焦っておもんばかるという意味。熾烈な進学競争が続く教育分野で頻繁に使われるという。中学生の親の64%が子どもの教育に関して焦慮していると回答している国の報告がある。
関鍵的時刻…この進学勝ち抜きレースを走る人生を若者たちが振り返って風刺した言い方で、重要な時を意味する。人民日報健康アプリによると、中国のうつ病患者数は9500万人に上るが、うち24歳以下が65%を占め、若者のうつ病増加が深刻な問題となっている。
i人…内向的な人を意味する新語。英語のintrovert(内向型)が語源。都市部で働くホワイトカラーの若者たちは仕事に疲弊して日本の若者同様に繊細だという。
社恐…社交恐怖症。i人よりもこちらはマイナス感や少数派感が高い。
社畜…過労死とともに日本発の言葉が近年中国でも使われている。24時間対応の激務と、どんな要求にも笑顔での対応を強要される尊厳のなさも加わった表現とされる。
九九六…朝9時から夜9時まで週6日間の長時間勤務を意味する。
碼農…デジタル小作農の意味でプログラマーを指す。英語ではcording peasantsとなるが、類語でIT農民工もある。
打工人…ホワイトカラー(中国語では白領:白い襟の人)が使われるだけの労働者(=雇われワーカー)の意味を込めて自嘲的に付けた呼び方。
内巻…競争で他に遅れをとるまいと焦燥感にかられた受け身の努力の意味。効果のない過度の競争を表現したものでもある。
牛馬…牛や馬のように従順に黙々と働く若者が自分たちのことを指して使っている新語。
新業態労働者…ライドシェア運転手(1300万人)やフードデリバリー(1200万人)のようなギグワーカー(8400万人)のこと。中国語では霊活就業とも言われる。
鉄人三項…ギグワークを代表する、フードデリバリー、宅配員、ライドシェアの3業種をトライアスロン(鉄人)3種目になぞらえている。
中年失業三件套…フードデリバリー、宅配員、ライドシェアの3業種は、解雇されたアラフォー男性が従事することが多いため、中年失業3点セットと言われる。
作自己…自分らしく生きるの意。
找回自己…本当の自分に帰るの意。

空襲・戦跡九州ネットワーク菊池集会

第11回空襲・戦跡九州ネットワーク菊池集会
2024年11月23日(土)~24日(日) 菊池市中央公民館(開場12時半)
空襲・戦跡九州ネットワークの第11回大会が熊本県菊池市で開催されます。

一口に戦争ミュージアムと言っても、戦争や戦争遺跡を美化したり、東アジアからの視点が欠如するなど歴史事実の歪曲・矮小化を危惧される施設が一部にあるのも事実です。ネット上では、そうした軍事マニアによる訪問ブログ・動画も目にします(ある動画では銃撃による損傷ではないにもかかわらず、勝手に銃撃の痕跡と決めつけて投稿されているものもあったりします)。
こちらのネットワークについては、それらとは一線を隔した研究を続けておられるようなので、参加申し込み済みです。

案内ページに掲載されている「花房飛行場給水塔」は、太平洋戦争期の戦争遺跡としては熊本県内初となる2010年9月に菊池市指定文化財となった陸軍菊池飛行場高架水槽です。菊池市作成の説明文によると、この給水塔は主に陸軍飛行学校(菊池教育隊)に併設された陸軍菊池病院の給水施設として設置されたものであり、戦後は入植してきた開拓団の生活用水をまかなうなど、2007年まで使用されてきたそうです。なお、陸軍菊池病院は戦後、国立菊池病院として再スタートを切り、現在は合志市に場所を移して続いています。

ベルリンの壁崩壊から35年

11月9日は1989年のベルリンの壁崩壊から35年の日にあたりました。壁の設置が始まった1961年でしたから、壁が存在した期間は28年間あったのですが、今となっては崩壊してからの年数が長くなったことを改めて感じます。一方でこの頃から日本は次第に元気を失い、すっかり冷笑主義がはびこる、つまらない時代になったように思います。
私がベルリンを訪ねたのは、1992年の暮れでしたから、その当時は壁崩壊がわずか3年前のできごとでした。まだ取り壊されていない壁や犠牲者追悼碑も多くあり、境界のかつてのシンボル、ブランデンブルク門周辺には出所不明のコンクリート片や旧東ドイツ軍の帽章などが土産物として売られていました。チェックポイント・チャーリーの検問所跡地のすぐ脇には1963年に開館した民間の博物館、壁博物館があって、東ベルリンから西へ越境する際に使用された自動車・飛行船などが展示されていて、まさに命がけの脱出の凄まじさが伝わりました。
こうして振り返ってみると、時代は変化するものです。それだけに分断と統合の歴史を記録し続ける博物館の存在価値には非常に高いものがあります。

戦争遺産と著作権

日頃意識することはほとんどないのですが、私は日本行政書士会連合会が実施する著作権相談員養成研修を履修し、その効果測定に合格した者に付与される「著作権相談員(日本行政書士会連合会)」の一員となっています。その名簿は、公開されていて本年10月15日現在のものを確認すると、熊本県内においては35名の会員氏名が載っています。先日、この名簿情報のグレードアップ化に向けたアンケート回答を求める連絡が、単位会を通じて日行連から届きましたので、久々に著作権について、にわか学習の機会がありました。
とはいえ、著作権は、出願・登録することなく著作物の創作によって自然に発生します。それもあって、著作権を文化庁に登録できる制度がありますが、これを活用する例はあまりありません。ただし、著作権は譲渡も可能です。したがって、著作者が必ずしも著作権者とは限りません。そうした権利関係を対外的に明らかにしておきたいときは、登録の意味はあるかもしれません。
それでは、著作権者が不明な場合の著作物をたとえば複製利用したいときには、どうしたら良いかというと、これは文化庁の裁定制度を利用する手があります。相当の努力を払っても権利者と連絡がとれないことを明らかにしないといけない点に手間がかかりますが、利用が認められれば、しかるべき補償金を支払って利用ができます。大学入試の模擬試験教材を作成する受験産業の企業がこの制度を活用していたりします。
もっとも一般の個人が、著作権登録を行うことはまれですので、著作物の公表後70年を経ていれば、著作権の保護期間はないものと考えていいと思います。保護期間の間であっても、著作権を相続する人がいなかった場合は、保護期間が終了します。間違ってならないのは、著作物は無体物ですが、著作物が印刷された書籍・プリント等の紙は有体物であり、それには所有権があります。著作者が亡くなっていてもさらには著作権の保護期間が終了していても相続人がいれば、書籍等の所有権は存続しています。
最近、戦争ミュージアムの役割に関心があり、そうした場所で戦前・戦中に書かれた文章や撮られた写真に出会うことがたびたびあります。それで思うのは、あくまでも著作権法上の観点だけで言えば、それらおよそ80年以上前に公表された文章・写真等を複製して資料展示することは問題ないと考えます。歴史から得られる教訓は人類共有の財産として広く目に触れることが有益だと思います。
加えて今回のにわか学習では、教育現場での著作物利用に際してかなり注意を要する点が多いと感じました。著作権法第35条には、「教育」における著作権の権利制限が規定されています。「学校」の正規の「授業」での利用目的なら、著作物の複製や公衆送信(注:補償金必要)が認められます。そこで、注意したいのは「学校」に当たらないものとして、営利目的の会社や個人経営の教育施設、専修学校または各種学校の認可を受けていない予備校・塾、カルチャーセンター、企業や団体等の研修施設があります。それと、「授業」に当たらないものとして、入学志願者に対する学校説明会、オープンキャンパスでの模擬授業等、教職員会議、高等教育での課外活動(サークル活動等)、自主的なボランティア活動(単位認定がされないもの)、保護者会、学校その他の教育機関の施設で行われる自治会主催の講演会、PTA主催の親子向け講座等があります。コロナ禍で活用が増した公衆送信においては、教育委員会(公立)や学校法人(私立)が、一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SA RTRAS)に授業目的公衆送信補償金を支払って著作物の利用ができる方法もできています(著作権法第104条の11)。
これらの点は、戦争ミュージアムが実施する平和学習において留意すべきだと思いました。私の気まぐれ取得資格の中に学芸員というのもあるのですが、学習当時にこういった知財関係の法律知識を学んだ記憶がなく、現在の履修課程ではどうなっているのか、このへんもいずれ確認してみたいと思います。

無秩序の4年間の始まり

日本で言えば後期高齢者、日本国民男性の平均寿命まで4年を要しない78歳の右派ポピュリスト政治家が、世界随一の大国アメリカの大統領となりました。この人物は、自国第一主義を掲げていて、気候変動や核兵器の脅威への対処といった、人類共通の課題解決には興味も関心もないようで、国際秩序の価値を尊重してきた先進国を困惑させています。
しかし、アメリカ国民の大半は、生まれ故郷から一生離れることなく、ウクライナやガザの生活も知らずに過ごしています。ましてや海面上昇によって気候難民となりかねない人々が世界には多数存在することを考えたこともないに違いありません。
当のアメリカの地政学ストラテジストであるピーター・ゼイハン氏は、著書『「世界の終り」の地政学』のはしがきで、「アメリカがこれまでも試練を生き延びて繫栄してきたのは、地理的に見て大半の世界から隔絶されており、人口統計学的に見て大半の世界より人口構成が際立って若かったからだ。アメリカは現在も将来も同様の理由で生き延び、繁栄していくことだろう。アメリカの強みから見れば、現在の論争などつまらないものに見える。こうした論争が、アメリカの強みに影響を及ぼすことはまずない。」と書いています。
つまり、あの78歳の人物が大統領になろうがなるまいが、アメリカだけは世界の中でしぶとく生き延びていくというのです。アメリカは、エネルギーや食料を始めほとんど自給可能です。そのための広大な土地や豊富な人材と技術があります。資源というものは、そこにあっても採掘や精製の技術がなければ商品にはなりませんし、地理的あるいは国際関係的な要因で輸送できなければ、ただそこに眠っているだけということになります。
戦闘機のF35に使用されている7ナノの先端半導体こそ今までは台湾でしか製造できませんでしたが、それもアメリカ国内で製造する体制へ向かっています。たとえば、中国のGDPがいずれアメリカを抜くとしても、また仮に先端半導体の設計図を手に入れたとしても製造装置を手に入れられない以上、それを製造するのは無理な話です。
ところで、あの78歳の人物は、なぜこれほど大統領になりたかったのでしょうか。それは自国第一以前に自分第一だったからに尽きます。連邦法違反で起訴された事件については大統領に恩赦の権限があるため、自らを恩赦することができます。州法違反で起訴された事件については大統領に恩赦の権限がないものの、決着が先延ばしされる可能性が高くなると見られます。これで資産上の危機もしのげるのでしょう。あと、選挙運動期間中、当人が医師の診断情報を公開しないのは、頭髪の自毛疑惑が露になるからというのも、現地ニュースで見た覚えがありましたが、それも当分話題に上らなくなるでしょう。
とにかくアメリカの民意は、あの78歳の人物を選んだのですから、少なくとも4年、国際秩序をどう保つか、あるいはどう構築し直していくのか、日本もこの新しい環境にしっかり対応していく必要があります。

 

戦争遺産から何を学ぶか

水俣病センター相思社が設立されて50年。11月3-4日に記念の集会が開かれました。4日は、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが記念講演を行い、国内や世界の貧困、差別、暴力について語ったうえで、「大きな力には、つながる力であらがっていくことが大切」と呼びかけたと、6日の朝日新聞熊本地域面記事にはありました。
相思社を初めて訪ねたのは設立10周年の年の頃でしたから、かれこれ40年の付き合いになるので、今回のイベントには大いに関心があったのですが、その催しの案内を受ける前に計画していた旅行に参加するため、残念ながら参加者の報告を通じて思いを共有することとします。
それで、同時期に訪ねた場所としては、長崎市の長崎原爆資料館や佐世保市の無窮洞がありますので、その訪問記を記しておきます。ちょうど訪ねた1週間前には私の地元校区の小学6年生たちが、修学旅行で長崎市の平和公園や佐世保市のハウステンボスを訪ねたと、聞いていました。自身にとっても、50年ぶりの長崎県方面への修学旅行のようなものとなりました。
まず、長崎原爆資料館ですが、こちらの建物は28年前に建てられたもので、私が小学生当時に訪ねた施設とは異なりますが、被爆した展示物の数々にはかつて見覚えのあるものが多くありました。被曝後に若くして亡くなった生徒・学生の日記の展示からは、今もガザその他世界各地で突然命を奪い去る戦争の愚かさを痛切に感じます。今年、被団協がノーベル平和賞を受賞しましたが、それに関連した展示はまだ見当たりませんでしたが、先に受賞したICANのメッセージビデオを視聴できるコーナーはありました。核兵器開発の歴史とそれに抗う核兵器廃絶の歴史を対比して見せるコーナーでは、核実験回数が最も多かった年は、キューバ危機が起きた1962年、自分の生年と同じ年だと知り、憂いを大いに感じました。その後も核兵器は存在し続けているわけです。人類が自ら滅亡する兵器を携えたままでいられるのは、どう考えても狂気の沙汰でしかありません。
これに関連して触れると、小学生が修学旅行で核兵器がもたらす悲惨さについて学ぶ一方で、地元の市議たちは、本年の9月定例会に提案された「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」を、賛成1対反対15の圧倒的差で不採択の議決をしています。請願者が共産党の支持者と目される人物だったので、ほとんどの市議はそこだけを賛否判断根拠をしてしまったのかもしれません。しかし、それならそれで、この請願の内容に反対票を投じるということは、自分が核兵器廃絶に対しても反対している立場を示すことになることを、どれほど理解できているのかと思います。どうやら、請願紹介議員の顔をつぶすのを目的とした、うわべの判断しかできず、自分の政治的信念に基づく政策判断ができない資質(=政治家としての志)の低さを感じます。
次に、無窮洞についてですが、これは1943年から1945年8月まで旧宮村国民学校の裏手に掘られた防空壕跡です。掘ったのは、現在の中学生の学齢に相当する当時の子どもたちで、洞窟には教室や書類室、台所・かまど、食糧庫、トイレ、非常階段が造られています。侵略戦争を是とする当時の教育内容にも問題がありましたが、戦時中は教育を受ける機会すら満足に得られない歴史があったわけで、当時の子どもたちが置かれた教育環境の劣悪さには哀しさしか覚えられません。しつこいようですが、不勉強な地元市議たちには、こうした戦争遺産を見学してもらいたいものです。
戦争遺産から学ぶのは戦争の愚かさだけではありません。いかにして戦争が始まらないようにするか、今起きている戦争はいかにして停めるかです。冒頭に触れた水俣病センター相思社の現理事長の緒方俊一郎氏は、球磨郡相良村において江戸時代末期から続く医院の6代目です。同氏の父は、太平洋戦争の前、陸軍菊池飛行場に併設された陸軍病院を建設する際にかかわられたそうです。そのため、同氏も菊池で1941年春に生まれ、幼少期は同地で暮らしていたと聞きました。そのこともあって、菊池の陸軍病院について詳しい話を聴くほか、関連資料を残しておられないか、改めてお話を伺ってみたいと考えているところです。

フリーランス新法が2024年11月1日施行

「フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)」が、本日から施行となりました。この法律で保護の対象となるフリーランスとは、「実店舗がなく、雇人もいない自営業主や一人社長であって、自身の経験や知識、スキルを活用して収入を得る者」と定義されています。
ところで欧米では、スマホやタブレット端末の専用アプリを通じて、単発の仕事を請け負う就労者である「ギグワーカー」はフリーランスにあたるのかが議論になっているようです。具体的にはウーバーなどの自家用車を用いたタクシー(ライドシェア)の運転手やフードデリバリーの配達員がそれにあたります。しかもこれら「ギグワーカー」は、使用者から直接的に労働指令を受けるのではなく、プラットフォームを通じたアルゴリズムによる管理を受けて働いています。日本でも今年4月から限定的にライドシェアが解禁されましたが、現在のところ、運転手は、既存のタクシー会社に雇用されることになっているので、今後、自営の運転手も認められるようになれば議論の対象となります。
その他、新法の目的などについて手っ取り早く知りたければ、『世界』2024年11月号の橋本陽子学習院大学法学部教授の「労働者・自営業者・フリーランス 労働者性をめぐって」を読むと参考になります。私の同業者にとっても密接なかかわりがある法律ではないかと思います。
もともと上記号の第2特集は、「フリーランスを生きる」となっています。ジャーナリストの北健一氏の「生身の働き手としての権利 四つの現場から」も、印象に残るルポでした。その記事ではフリーランスの凄まじい実態が描かれています。たとえば、九州の久留米市と佐賀市に2店ずつあるラーメン店「ふくの家」の「経営パートナー契約書」の悪質さを知ると、同店へは絶対に足を運んではならないと思わされました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b653708.html?_gl=1*fmqxos*_ga*MTk5MDU0Nzk5MS4xNzI5MDAwMDcy*_ga_L95Q1BL1G0*MTczMDQyNzczMC4yLjAuMTczMDQyNzczMC4wLjAuMA..

よりによって

イギリスの経済学者、ジョーン・ロビンソン(1903~1983)は、「経済学を学ぶ目的は、経済を語る者にだまされないようにするためだ」と言ったと、3カ月前に読んだ本(平賀緑『食べものから学ぶ現代社会』)に書かれていました。その論法で行けば、社会学の研究者には、社会を語る者にだまされない国民をひとりでも多く養成する使命があるのではと、勝手に考えます。
10月27日に水俣病センター相思社の理事会があり、翌朝、宿泊先の朝食会場で、理事のお連れ合いの社会学者と1時間ほど原発や戦争ミュージアム、歴史認識を中心に話をしていて、自然と話題は教育の役割や読解・言論リテラシシーへ移っていきました。その社会学者が語られるには、今の大学生は新聞を読まないし、事実は言えても自分の意見が語れず、教員が言葉を選ばないと学生に理解してもらえないなど、教員と学生の間での対話が成立しにくいということでした。いわゆる団塊の世代を頂点としてリテラシーは世代が若くなるほどに下がっているという見方をされました。私の周囲を見渡しても、たとえ難関大学卒の学歴を有する方や難関資格合格の専門職に従事する方であってもエセ歴史やエセ科学信仰に篤い例は多く見受けられます。文章を読む力がないとか、まともな文章を書く能力がないと感じる例によく出合います。
このことからも教育の果たす役割は非常に大きいと感じるのですが、来月、地元市主催で開かれる「こどもどまんなかの日」なるイベントの基調講演の講師に予定されている人物が、かつて「親学」を推進する「TOSS熊本」の中心メンバーであったフリースクールの経営者とあって、このような人物を講師として選ぶ市の思慮の欠如をたいへん残念に思いました。「親学」の提唱者や「TOSS熊本」のメンバーは、熊本県が全国に先駆けて2013年に制定した家庭教育支援条例に影響を及ぼしました。同条例は、親に対して「親としての学び」により「自ら成長していく」ことを義務付けるほか、(育児不安の解消や児童虐待の防止は、家庭教育のみで解決できる問題ではないのですが)公権力による保護者に対する過干渉というべき異様な内容が含まれています。TOSS は、科学的・学問的根拠はないヨタ話(「水からの伝言」「江戸しぐさ」)を教材として取り上げ、道徳教育にかかわっていたことでも知られます。加えて、同条例制定の「成功」に目を付けた旧統一教会の関連団体が、青少年健全育成基本法や家庭教育支援法の制定を求める意見書提出の請願運動を行い、本市議の一部が取り込まれたこともありました。
地元市の残念ついでにもう一つ事象を紹介すると、本年9月の定例市議会において「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」が、賛成1・反対15で不採択となっていました(「うと市議会だより第87号」p.15より)。昨年は賛成4・反対13での不採択でしたから、核兵器廃絶を希求しない不見識な議員がさらに増えたことになります。なんとも情けない限りです。
写真は宿泊先からの風景(湯の児温泉)。

金沢・敦賀雑感

10月20日に石川県金沢市、同月21日に福井県敦賀市を訪ねました。北陸方面はこれまで縁遠い地で両県へは初めて足を運びました。より正確に言えば、1979年の夏に山形県鶴岡市で開催された全国高校総体参加のため、国鉄の昼行特急(おそらく「雷鳥」)で大阪―鶴岡間を往復通過したことはあります。ついでに言えば、鶴岡滞在中に気温40度超えの経験に見舞われ、ずいぶん難儀した覚えがあります。
それでなんでまた金沢へかというと、能登地震に伴う災害復興支援で輪島市へ派遣されている地元市の職員を激励するために計画したものです。計画後さらに豪雨災害が発生し、心労を心配していましたが、無事に会うことができて、そちらはたいへん有意義な時間を過ごすことができました。
わずか5時ほどでしたが、金沢市で観光したところは以下の通りです。
①金沢21世紀美術館・・・2004年10月9日の開業以来いつかは行ってみたいと思っていましたが、実際行くまでは20年もかかってしまいました。当日の有料展はコレクション展で国内外の作家による造形作品が中心でした。ですが、個人的に楽しめたのは、たまたま同館の市民ギャラリーで開催されていた入場無料の「KOGEI TIDE 縁煌15周年展」でした。縁煌(えにしら)は、ひがし茶屋街に本社を置く美術商のようです。同展では若手作家70名超の作品が並び、特に陶芸では繊細な文様の作品が印象に残りました。今月は有田焼に薩摩焼、そして九谷焼に連なる焼き物まで鑑賞できて、ずいぶんと贅沢な体験をしました。
https://www.enishira.co.jp/artist/
②兼六園・・・さすが加賀百万石の前田さんちの庭だけに細川さんちの水前寺公園に比べると広いなというのがまず実感でした。ですが、これもまったく個人的な経験になるのですが、今年8月に島根県の足立美術館へ行ってしまったがために、見る庭園としては雑然とした造りに思えてしまいます。だれでも園内を歩ける庭園としてこれからも観光名所として君臨することは間違いなさそうです。
③金沢城公園・・・ここも広いなというのが最初の印象。本丸は復元されておらず、跡地は森となっていますので、そこまで足を運ぶ観光客は少なそうだと思いました。金沢市中心部で能登半島地震の被害の痕跡を感じる場所はありませんでしたが、唯一、金沢城の石垣では崩れたところがあるを知りました。復元された建造物の中に「菱櫓」がありますが、櫓の角が80°あるいは110°になっていて、その昔にそうした軸組を可能にした建築工法があったことがたいへん興味深く思いました。
④ひがし茶屋街・・・ここは街並みを眺めただけです。和服姿で散策する観光客が目立ちました。
⑤金沢市立安江金箔工芸館・・・金沢城を訪ねたときに豊臣秀吉が築城させた名護屋城跡の雰囲気(眼下に海は見えませんが)に似た感じを抱いていたところに、金箔の沿革を示す年表に「当地における箔打ちは、加賀藩祖・前田利家が文禄2年(1593)豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋(現在の佐賀県)の陣中から、七尾で金箔を、金沢で銀箔を打つように命じたことから、16世紀末には行われていたことが明らかになっています。」とあったことから、頭の中で、黄金の茶室や名護屋城とのつながりを勝手に感じました。同館を訪ねたときは、館のガイドがフランス語で団体観光客へ展示内容を説明していましたので、かなり海外からの入館者も多いのだろうと思いました。ホームページも8か国語対応となっています。それと、購入はしませんでしたが、センスのいい金箔のポストカードが土産物として販売されていました。
なお、同館の始まりは、金箔職人であった安江孝明氏(1898~1997)が、「金箔職人の誇りとその証」を後世に残したいとの思いから、私財を投じ金箔にちなむ美術品や道具類を収集し、北安江の金箔工芸館で展示したことにあります。そして、この安江孝明氏の息子が、「世界」編集長や岩波書店社長を務めた、安江良介氏(1935~1998)。つまり、良介氏の実家は金箔職人ということになります。「世界」編集長時代の同氏の文章で今も心に刺さっているのは、「若者は、タクシーを利用せずにそのお金で月に1冊でも岩波新書を買って読み、社会を知ろう」という趣旨の呼びかけです(当方はすっかり若者ではなりましたが…)。良介氏は1958年金沢大学法文学部法学科卒業ですが、金沢大学の法文・教育・理学部キャンパスは1949年から1989年まで金沢城内にあり、全国的にも珍しい「お城の中の大学」として親しまれました。熊本で言えば、開校当初の熊本県立第二高等学校が熊本城二の丸にあったのと同じです。この安江良介氏の金沢大学法文学部での後輩にあたるのが元大阪地検検事正の北川健太郎(1959年生)です。安江親子と異なり、石川県人および金沢大学の名誉を大いに汚しました。
https://www.kanazawa-museum.jp/kinpaku/index.html
※食事の方は、ゴーゴーカレー、8番らーめん、金沢おでんを賞味しました。
続いて敦賀市で観光したところは以下の通りです。
①人道の港 敦賀ムゼウム・・・敦賀港は、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であるという歴史をもちます。ムゼウムとは、ポーランド語で資料館の意です。開館は2008年3月29日といいますから、最初の史実から90年近く経ってからの記憶継承活動だったと言えます。現在の建物は2020年11月にリニューアルオープンした二代目ということで、さらに新しい施設です。今回金沢を訪問するまでこの館の存在を知らなかったのも無理ありません。それにしても今から100年前あるいは80年前の当時者の子孫との交流が続いているは、感慨深いものがあります。難民救済の善行は後の代まで永く伝えられる証しとも言えます。
https://tsuruga-museum.jp/
②敦賀鉄道資料館・・・旧敦賀港駅舎を再現して建物となっていて入館は無料でした。欧亜国際連絡列車など初めて知る鉄道史がありました。小ぶりな施設でしたが、鉄道ファンには必見の場所なのではと思います。それと、敦賀市内には「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターのモニュメントが随所に展示されていました。「鉄道の町」「港の町」で売り出し中であることを、行ってみて初めて知りました。鳥取県境港市の水木しげるロードが妖怪のモニュメントでいっぱいでしたが、モニュメントの大きさでは敦賀の方が大きめでした。
③その他もろもろ(赤レンガ倉庫、五木ひろしの洋鐘、魚問屋街、敦賀水産卸売市場、下着窃盗歴のある人物のポスター、晴明神社、気比神宮・・・)・・・日本海さかな街にも最初は寄ってみるつもりでしたが、食事には中途半端な時間帯でしたので、そこは寄らずに2時間程度で切り上げて帰途につきました。晴明神社は特に呪詛したい相手もなかったので前を通っただけです。気比神宮の大鳥居も周遊バスの窓越しに見ただけです。
※行きに大阪市内で「モータープール」の表示を見かけました。全国的には「駐車場」や「パーキング」を意味する言葉です。宮本輝の『流転の海』にはよく登場する言葉だったので妙に感動しました。

この1か月ほどの読書傾向

欲があるとすれば、そこいらの政治家よりは、世界のことを普段から知っておきたいと考えています。それと、職業柄、取り扱う可能性のある分野の事情にも精通しておきたいという欲だけはある方だと思います。言わば、厄介な相手がいると分かっていれば、いかにその危険を回避するかが最優先ですし、やむなく相手が切りかかってくればいつでも返り討ちできるよう、常に刃を研いでおく心境です。
それで、実際にどんな本をここ1か月ほどの間に読んだかというと、以下の通りとなりました。
①鈴木一人『資源と経済の世界地図』(PHP研究所)
②中西寛・飯田敬輔・安井明彦・川瀬剛志・岩間陽子・刀祢館久雄・日本経済研究センター『漂流するリベラル国際秩序』(日本経済新聞出版)
③ピーター・ゼイハン『「世界の終わり」の地政学』(集英社) ※上・下巻
④本山敦・岩井勝弘『人生100年時代の家族と法』(放送大学教材)
分野としては、①②③が地政学(地経学)やリベラル国際秩序について考えるもの、④は家族法や社会保障・福祉について考えるものとなっています。もし①②③でどれか1冊を人に勧めるとすれば、③(実際には上下巻なので2冊ですが)を選びます。①は日本の読者向けに書かれている本なので、世界について語るとしてもどうしても日本と密接な関係にある国・地域に絞った記載となります。自国優先志向で頭がいっぱい、手がいっぱいになる政治家には十分かもしれません。②は外交や国際社会のあり方について俯瞰したい方にはいいかと思います。特に日本からすると、EC諸国それぞれの志向するところについて疎いので、便利かと思います。それで結局のところ③が世界の歴史も振り返りながら、地理と人口統計学の知見データも豊富で、かなり説得力のある世界の未来像を示してくれるので、現代の巷間の議論を目利きする上で役に立つと思いました。著者のピーター・ゼイハンは、読者向けに本書内に掲載された図表のカラー化データや無料の週刊ニュースレターも提供していますので、それも利用すれば、知識のアップデートも図れます。
https://zeihan.com/end-of-the-world-maps/
④は、2023年開講の放送大学テキストです(2024年施行法の補足資料が別冊子で付いています)。購入するきっかけは、たまたま同講座の第1回放送を視聴しておもしろかったからという単純な理由です。民法の家族法分野に留まらず家事事件の手続法や社会福祉制度についても解説されています。一口に相続と言っても家族法だけ理解していれば済む話ではなく、保険や年金、税制の知識も必要となります。婚姻・離婚についても国内外・ジェンダーにおいて多様化したカップルが現実にはあるので、それに伴う講義が盛り込まれている点でも新鮮でした。「人生100年時代」という言い回しはあまり好きではありませんが、コンパクトで分かりやすいテキストだと思いました。

鹿児島雑感

昨年の鹿児島特別国体以来、1年ぶりに鹿児島県を訪ねる機会がありました。初めて行ったところでは、「沈壽官窯」や「奄美の里」がありましたが、2度目(17、18年ぶり?)となるところでは「維新ふるさと館」があります。
今月は、有田焼の産地・佐賀県有田町を訪ねたばかりなので、同じ朝鮮陶工由来の薩摩焼とそれぞれの技法の発展を比べて鑑賞する楽しみがありました。作品収蔵庫やギャラリー売店だけでなく、窯の近くにある陶片だけを見ても味わい深いものがあります。門には日韓の国旗が掲げられ、建物入口には韓国名誉総領事館の看板があるのも見ました。現当主は2021年1月15日より大韓民国名誉総領事に就任して、日韓の親善交流に貢献されているとのことです。
またこれも佐賀(肥前)と同じ印象を感じるのですが、鹿児島(薩摩)における明治初期前後の郷土の偉人愛の強さには圧倒されます。「維新ふるさと館」ではこれでもかこれどもかと、近代日本の礎を築いた人物を顕彰しています。熊本への帰路に立ち寄った桜島SA上り線でもそうですが、郷土の偉人をあしらった土産物が断然多いと感じます。熊本では、今年新1000円紙幣の肖像に採用された北里柴三郎が注目されましたが、全県的な盛り上がりがそこまであるとは思えません。生地の小国や医療業界などに限られているのではないかと思います。なんといっても、歴史上の評価に左右されない「くまモン」という万人受けする当たり障りのないキャラクターがいますから、今さら歴史上のスターをもてはやす必要もないのかもしれないですし、あまり群れることを嫌う熊本人の心性には神輿担ぎは響かないのかもしれません。
ちょうど鹿児島滞在中の10月17日の南日本新聞「かお」欄には、ノーベル賞の登竜門とされるクラリベイト引用栄誉賞を受賞した堂免一成氏(鹿児島県南さつま市出身)が載っていました。同記事の結びに「いずれは故郷に戻るつもりだ」とあって、世界的に活躍している現代の方であっても、どんだけ薩摩人なんだと思いました。

不都合なことほど覚えています

1年前、日本が核兵器禁止条約に参加・署名・批准することに反対する、つまりは核兵器廃絶にたいへん後ろ向きな地元市議会議員さんらが、ずいぶんといたわけだが…。😞
日本被団協がノーベル平和賞を受賞した今、どんな顔をしてお過ごしなのでしょうかね。😤
市議会だよりで市民へ公開された永久保存版の情報だから、今さら自分の見識のなさを棚に上げて文句言ってこないよね。😅

以前は市庁舎敷地内に「非核平和都市宣言」の標柱がありましたが、新庁舎になってからはそれがなくなり、市公式ホームページ内にひっそり掲載されているばかりです。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1125/3269.html

心平気和

心平気和。「心(こころ)平(たい)らかに気(き)和(わ)す」と読むそうで、心が落ち着いていて、争いを起こす気が全くない様子を指す言葉のようです。この扁額をどこで見かけたかというと、現在は温泉が休業中ですが、不知火温泉センター内の大広間でした。10月13日に参加した、旅のよろこび主催の「第6回くまもと戦争遺産を巡る旅」の昼食会場がそこだったからです。1999年に亡くなられた福島知事の書による味わい深いいい言葉ですから、あまり人目につかないのはなんとももったいないなと感じました。
さて、この旅で訪ねた中から3カ所を取り上げ、メモを記しておきます。

1.旧陸軍隈庄飛行場跡(熊本市南区城南町)
祈念碑(裏の碑文部分のプレートが割れているのは熊本地震で倒れたため)がある火の君文化センターやアイシン九州も当時の飛行場敷地内にあるというのを初めて知りました。当時の痕跡がまったく確認できない場所がある一方、くまもと南部広域病院職員駐車場のように機体の待機所(エプロン)をそのまま利用しているため、舗装が当時のままというところがありました。同様に飛行機格納庫の基礎部分をそのまま利用して住宅を囲む塀が設置されているところがありました。なお、後年映画俳優となる三船敏郎さんは敗戦を同飛行場で迎えました。
2.旧国鉄永代橋梁(宇城市松橋町)
鹿児島本線複線化に伴う付け替えにより現在は廃線となっている鉄橋跡です。1945年の松橋(宇土・川尻も一部含む)の空襲による爆弾痕跡と機銃弾跡が橋脚に確認できます。橋脚に使われている煉瓦は、明治時代に旧宇土藩士族らが設立した自助社で製造したものである可能性が高いと思います。(宇土市築籠町の船場川にかかる三角線の橋梁に使用されている煉瓦が自助社製です。その橋梁は開業から125年経った現在も使われています)
3.旧陸軍船舶部隊物資壕(宇城市三角町)
旧陸軍船舶部隊は通称「暁部隊」。この部隊については、2021年7月に出版された、堀川惠子著『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』が詳しいです。この壕には軍隊被服や食糧(乾パン、牛缶、砂糖等)が収められていたようです。戦後は向かいの醤油製造会社が道具類の保管倉庫として利用したそうです。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000354870

「くまもと戦争と平和のミュージアム」の設立がぜひとも必要です。できる限り応援します。

有田雑感

10月5~10日、11カ月ぶりに佐賀県有田町を訪ねる機会がありました。本来の訪問目的は国民スポーツ大会の競技役員に従事することでしたので、スキマ時間はわずかでしたが、それでも少しだけ有田焼の世界を楽しむことができました。

初めて訪ねてみたのは、有田焼卸団地協同組合が運営する「アリタセラ」。ここには日用食器、贈答品、業務用食器、高級美術品などの陶磁器を扱う22の店舗のほか、カフェやレストランがありました。伝統的な有田焼だけでなく、工業デザイン的な雰囲気で最近人気を博している長崎の波佐見焼に近い焼き物も販売されていました。とにかく値段的にも工芸的にもバラエティーに富んでいるので、一通り品定めしてから買い求める場合には便利な施設だと感じました。

有田焼の歴史を知るには、佐賀県立九州陶磁文化館がやはりお勧めです。同館へはずいぶん久しぶりに行きました(たぶん4回目?)。コレクションの質と量が秀逸です。保有資産を計算すればいったいいくらになるのか、ついつい想像をかき立てられます。人口的には少ない佐賀県ですが、県民一人当たりでの資産はかなり裕福なんではなかろうかと思います。

特別企画展「江戸大皿百物語」は、文字通り有田焼の大皿100枚の展示なのですが、緻密な文様の絵付けの技は人間離れした感があり、見事としか言いようがない、大したものばかりでした。

https://www.arita.gr.jp/

https://saga-museum.jp/ceramic/

佐世保雑感

10月5~10日、11カ月ぶりに佐世保市に滞在する機会がありました。とはいえ、昼間の用向きは隣りの佐賀県で開かれていた国民スポーツ大会でしたので、佐世保市内を見聞した時間はわずかです。今回初めての遭遇した体験としては、クルーズ船寄港がありましたので、それについてのメモを記しておきます。
佐世保市港湾部の公式インスタによると、中国国産初の大型クルーズ船「アドラ・マジック・シティ」(愛達・魔都号)が、10月9日(水)11:35~21:00の入出港ということで、佐世保港国際ターミナル(三浦岸壁)に寄港とありました。済州(前港)→佐世保→上海(次港)となっていますが、神戸観光局港湾振興部のホームページには10月3日に神戸港へ初入港したとあり、その後も5日に高知港へ入港した情報もあります。前日の8日にも別の中国のクルーズ船「ピアノ・ランド」が佐世保港へ入っていました。
それにしても間近で見ると、クルーズ船は巨大です。「アドラ・マジック・シティ」の総トン数は136,201tあります。全長323.6m、37.2mあります。船客定員は5,246人。しかも、2024年1月から商業航海を開始したばかりですから、新しい船です。
1983年3月に佐世保湾内に停泊中の米海軍の原子力空母「エンタープライズ」を針尾の高台から見たことがあります。これが全長342.3mありましたが、クルーズ船になると客室が上にそびえていますので、カサがある分、やはり「アドラ・マジック・シティ」の方がよけい大きく感じました。
港周辺をクルーズ船の乗客と思われる観光客が多数散策して買い物や食事を楽しまれていました。年齢層はさまざまで比較的若い層が多い印象を受けました。大型バス100台分の観光客が立ち寄ってくれるわけですから、寄港地からすればかなりの経済効果をもたらされると思います。ちなみに2024年の佐世保港へのクルーズ船の入港は今回の「アドラ・マジック・シティ」で60隻目ということでした。
https://www.instagram.com/sasebokouwan/

金森通倫に恥ずかしくないか

迫害されている仲間を守るために変節しなかった曾祖父の金森通倫。
※2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」では柄本時生さん演。
裏金議員を守るために変節しまくりの曾孫の石破茂さん。
注:NHK報道では「不記載議員」だってよ。

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009121146_00000&fbclid=IwY2xjawFtay9leHRuA2FlbQIxMAABHQk1oQ4HeJTuIWKYmhE0umGlTRWwAwqnVhzmYnO1VapQleHtsVovoz8RWw_aem_IwY755MUlKe6gU6mQ5sY9g

「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関する意見

せっかくのパブコメ機会だから、物好きな県民の一人として以下の意見を提出しました。ぜひ皆さんも関心あるテーマの基本方針や総合戦略の素案とやらをご覧ください。
別に文章が長ければいいってもんではありませんが、「水俣病問題への対応」についての「基本方針」が279字、同じく「総合戦略」が468字。しかも、ちょっと言い回しを変えて双方の内容は重なっています。要するに400字詰め原稿用紙1枚程度のことしか仕事しませんと宣言しておられるわけです。オタクら大丈夫なんかと思います。

「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関する意見

「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関して「水俣病問題への対応」に絞って以下の意見を提出します。
①「水俣病問題への対応」にかかわる「基本方針及び総合戦略」(素案)を読むと、「新時代共創」の看板を掲げながら、非常に中身が薄い印象をまず持ちました。たとえば施策の中で県が主体性をもって取り組む事業として書き込まれているのは、公健法に基づく認定審査業務と、水俣病に対する偏見・差別解消事業ぐらいしか読み取れませんでした。患者やその家族に寄り添った生活支援をするとの表現はあってもどのような機会を具体的に設けて行うかが見えません。国が限定的に実施する健康調査に県が協力するとあっても、その実は国任せであって、その調査方法の問題点に目を向ける姿勢がありません。水俣・芦北の地域振興も大切ですが、被害者救済には直接関係しない県政課題であり、本項目に書き込むのは「やってる感」を出すための文字数稼ぎにほかならないと感じました。
②上記①で指摘するように中身の薄さは、「水俣病問題への対応」にかかわる「重要業績評価指標(KPI)」が何ら示されていない点にも表れています。施策推進の進捗状況が可視化される指標の公表予定が何もないということは、最初から成果評価もせず、改善に向けた見直しの予定もないとしか受け取れません。「公健法に基づく認定審査については、平成25年の最高裁判決を最大限尊重し、申請者の個別事情に配慮しつつ、丁寧に対応しながら、着実に進めます」と、もっともらしい記述で済ませていますが、被害の実情や疫学の知見を正しく反映した判例が出ているのもふまえると、公健法の改正や、特措法での救済からもれた被害者に向き合った施策の推進こそが必要であり、その進捗状況を可視化公表すべきです。何も改善しないことや、被害者を救済しないままでいることを、わざわざ「基本方針及び総合戦略」に掲げるのは、きわめて不誠実・不当だと思います。
③「水俣病問題への対応」として書き込むべきことは、認定と未認定と問わず患者団体との継続的な直接協議の場を設けて、共に諸課題を解決していくことと、不知火海沿岸全域の住民の健康被害調査を実施することにほかならないと考えます。それへ向かってこそ、共に熊本県の新時代を創れるのではないでしょうか。
以上
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/18/213169.html

能登半島豪雨に関するお知らせ

「能登半島豪雨に関するお知らせ」について、【出入国在留管理庁からのお知らせ】メールマガジン(20241003)より引用してお知らせします。

【出入国在留管理庁からのお知らせ】(20241003)

外国人生活支援ポータルサイトの大事なお知らせに「能登半島豪雨に関するお知らせ」を掲載しました。
https://www.moj.go.jp/isa/support/portal/index.html

来年4月以降の盛土規制について

10/3熊日3面にも記事が出ていましたが、来年4月から盛土規制法に基づく規制区域が指定されます(改正法の施行は昨年5月)。
https://kumanichi.com/articles/1561800
簡単に言えば、一定規模以上の盛土や切土を行う場合、平野部では届出、山間部では許可が、それぞれ必要となります。許可は市長ではなく県知事が行います。
農地改良や転用許可の際には規制対象に該当するかどうか留意する必要が出てきます。