関輝明行政書士事務所」カテゴリーアーカイブ

著作権相談員養成研修

行政書士の登録団体が実施している著作権相談員養成研修をインターネット受講してみました。人権擁護委員として最初で最後のスマホ・ケータイ安全教室の予習の一環にもなりえると、急に思いついて学習しなおしているところです。社会人となって最初の勤務会社の事業が出版関係でしたので、もともとなじみがないわけではない分野ですが、今もこうしてネット配信を行っていることからも、あらゆる人にとって必要不可欠な法的知識になってきていると思います。

年賀状準備

昨年の今頃は急いで喪中はがきの準備をしたのですが、今年は2年ぶりの年賀状となります。ただし、全世界的にコロナの影響があるなかで迎える新年を祝う気分は薄そうな感じを受けます。先週土曜日に桜町ターミナルでバスから降車したのですが、写真のクリスマスツリーがやたら大きく無理している印象を受けました。熊本ゆかりのアマビエなんかの方が場に合う気がしました。

人権侵害の上に立つ経済成長はいらない

昨日の地元紙で、弱い立場にある外国人技能実習生が相談もできずに不利益を被っている現状が紹介されていました。その記事において外国人支援に取り組んでいる行政書士のコメントも紹介されていました。技能実習制度は人材派遣業と同じく人を商品として扱うため、どうしても人権がないがしろにされます。いわゆる非正規労働者の不当に低い労働コストの上に立つ事業活動が社会的に意義が認められるのか、考えてみる必要があります。写真は、昨日訪ねた熊本市民会館のマスコットのポスターです。

国民の権利保障は行政の義務

昨日の投稿でHACCP導入の義務化について触れました。そこで、地元の飲食業組合の幹部に小規模飲食店での導入状況について聞いてみたのですが、多くの店主の反応はというと、導入の義務化について知ってはいるものの現下のコロナ対策で手いっぱいで、HACCPどころではないという空気が大勢ということでした。食品製造業であれば、販売先から導入が取引条件として求められることがあるかもしれません。しかし、小規模飲食店のお客にしてみれば、HACCPという単語自体を知りませんし、実際に取り組まれているのか知るよしもありません。つまり消費者アピールとしては弱い面があります。店側にとって毎日の業務の中でしかも限られた従事者にとって衛生管理の記録を付けることは煩雑ということもあります。記録方法については、IT化もあるかと思いますが、コストやリテラシーの課題もあります。さらには、行政現場の問題もあります。食品衛生管理については保健所がその最前線となりますが、こちらもコロナ対応で手いっぱいなのではないでしょうか。
法律は、国民に法律を守る義務を求めますが、国民の権利を保障するために行政に義務を課してもいます。話は変わりますが、現在、女子差別撤廃条約を批准していながら、個人通報制度の導入を定めた条約議定書の批准をしないままの政府に対して批准を迫る動きがあります。これなどは、表向きは女子差別撤廃をうたいながら、女性の権利を実際に保障する仕組みは働かせていないことになり、法律はあるけど守らないといっているようなものです。国民に義務を求める以前に行政が義務を果たさなければならない問題は、ずいぶんあります。

食品衛生管理が変わりました

すでに半年近く経過していますが、実は今年の6月1日の改正食品衛生法施行によるHACCP(ハサップ)制度化のため、すべての飲食店においてHACCP導入が法的義務となりました。ただし、現在は1年間の経過措置となっています。新型コロナ感染防止が必須である今だからこそHACCP導入の意義が高まっているともいえます。その導入支援にあたれる専門士業者は行政書士です。
私自身の衛生管理に関する経験といえば、第一種衛生管理者免許を有していることもあってどちらかといえば労働安全衛生の観点から従事したことがあります。しかし、これからは食品衛生管理の点でもお役に立てるよう研鑽に努めていきたいと考えています。
ところで、HACCPとは、食品等事業者自らが食中毒菌汚染や異物混入等の危害要因(ハザード)を把握した上で、原材料の入荷から製品の出荷に至る全工程の中で、それらの危害要因を除去または低減させるために特に重要な工程を管理し、製品の安全性を確保しようとする衛生管理の手法のことをいいます。Hazard Analysis and Critical Control Point(危害・分析・重要・管理・工程)の頭文字をとったものです。

人権感覚が問われている

ある外国人留学生が認められた就労時間をオーバーしていたために、在留資格延長が不許可となり学校も中退せざるを得なくなり、内定していた就職先への入社もかなわなくなりました。本人の人柄を知る日本人関係者も支援していますが、たいへん気の毒な状況に置かれています。そのことが、地元紙に取り上げられていました。入管行政が一度出した処分を取り消させるのはよほどの処分の不当性がない限り至難の業というのが実情です。一方、帰国もできない環境の外国人元留学生に就労も認めずどうやって生活しろというのかという問題になってくると、これは入管申請の枠を超えた人権問題にもなります。外国人とか日本人とかということの関係なしに、読者の人権感覚が問われていると思いました。

https://this.kiji.is/701952885799011425?c=92619697908483575

元法相名のレアな委嘱状が記念に

現在は小菅に身柄が置かれている元法相名で昨年10月1日、人権擁護委員を委嘱されてきましたが、今年末をもっての辞任意向の届けを出しました。実際に委員に就任してから感じることは、この制度自体が国民の人権擁護のためには実効性に欠けた存在であるということでした。
日弁連が昨年10月に開いたシンポジウム資料からの参照になりますが、まず法務省の人権擁護活動を担う体制は、以下の通りになっています。法務省設置法第2条は「人権の擁護に関する事項」を法務省の任務とし、同省にあっては人権擁護局がその職務を担当しています。法務大臣の下に人権擁護局、全国8法務局に人権擁護部、その下に42地方法務局の人権擁護課があり、職員定数は約220名(2018年度)です。人権擁護行政は「人権侵犯事件の調査及び情報の収集」「民間における人権擁護運動の助長」「人権擁護委員に関する事項」を法務局及び地方法務局の所掌事務としています。本省から地方法務局を通じ、人権擁護行政に従事する職員はその人事キャリアの一過程として人権擁護部門に配置され、ローテーションにより他の部門に異動するのが通例です。地方法務局・支局・出張所では人権擁護課の職員は他の部門の職務と兼任していることも稀ではありません。そういうこともあって、人権委員会設置法案の動きを知っている職員はいても、国際人権法では常識である国内人権機関については知らない職員も多いようです。人権擁護委員の選任についても同様のことがいえます。法務大臣が人権擁護委員法に基づき委嘱する人権擁護委員は、「人権侵犯事件につき、その救済のため調査及び情報の収集をなし、法務大臣への報告、関係機関への勧告等適切な処置を講じること」を職務とし、各市町村から推薦を受けた民間人が委嘱されます。定員は1万9,844人(2018年度)、実員は約1万4,000人であり、給与の支給はない名誉職です。出身は定年退職した学校長や行政従事者、僧侶などが多く、社会階層的にも人権侵害を認知する立場の人から遠い人が多いようです。
法務省の人権擁護活動は、人権侵犯が認められた場合でも、措置は加害者の説得、指導にとどまり、侵害行為を直接停止・是正させる権限はありません。また、現に行われている法律、行政などに関し、政策提言する権限は当初から有しません。現在の人権擁護行政について、法務省自身も、「人権救済等に必要な専門性や経験を有する人権擁護委員が必ずしも十分に確保されていないため、活動の実効性にも限界がある。」と認めている記録がある通り、パリ原則が設置を求める国内人権機関と比較すると、現行の体制・制度は人権を擁護するには無能無用と評価せざるを得ないのが現状です。

里山の今

地元紙で昨日と本日の2日間、私が住む地区の里山の課題について報じられている。かつては、日常の煮炊きに使う薪を集めるための山としてあったのですが、今は電気やガスの生活ですから、雑木は伸び放題となっています。山の土地の権利も周辺住民の共有地であったり、境界確定ができない状態で、しかも未相続の状態になっている筆も多数あります。所有者が不明となっている状況で土地の使用者は住民ではなく、イノシシという有り様です。住宅地はというと、里山を利用してこなかった新しい住民が大勢を占めていますので、地区で私有地の問題に対処するという面でも難しいところです。

レイシズムとは何か

次に読む本は、ちくま新書から出ている『レイシズムとは何か』。人種という概念や民族という概念で人間を区別することにも歴史的な変遷があり、それにとらわれるあまりさまざまな差別が起きています。少なくともホモサピエンスというくくりで言えば、人種なるものはありません。肌の色は身体的特徴の一つですが、生物種としては単一です。

一周忌と認知症予防

亡父の一周忌を家族で執り行いました。寺から来てもらい読経に合わせて教本の文字を目で追いました。内容はともかくこうして毎日多くの文字を口に出す作業を続けることは、認知症予防には役に立つかもしれないと思いました。宗教に携わる人の発症率や症状の進行ぐあいを他の職業の人と比較してみるとおもしろい結果が得られるかもしれないと思いました。信仰心の厚い人が認知症になりくいという結論は科学的には間違った分析となるとは思いますが、そんなことを考えて過ごしていました。

不快な童話作品

学校現場で実施される人権教室の教材に「こねこのしろちゃん」という紙芝居童話作品があるのを知りました。あらすじとしては、黒毛の母ネコから産まれた5匹の子ネコのうち4匹が黒毛で1匹だけ白毛だったのですが、その白毛の子ネコが黒ペンキを塗ったりしてなんとか黒毛になろうと努力するのですが、最後は白毛の父ネコと出会って自身が白毛であることを誇らしく思うという内容です。これこそは人の肌の色の違いを連想させ、黒人の母から産まれた子どもが白人で良かったと言っているようで、たいへん不快な話だと思いました。昨今では、国内の化粧品のCMでも美白効果をうたうことはなくなりました。ましてやこの童話作品をいまなお人種差別が激しい米国などで知られたら国際的な批判を浴びることは必定だと思います。ながらくこうした作品が人権教室で使用されていたことに、またそれにかかわる関係者の無感覚さにたいへん驚きました。
もう一つ、やはり人権教室で使用されるアニメ作品に「とべないホタル」というのがあるのですが、こちらは羽根が短くて飛べないホタルが擬人化されて、仲間のホタルの助けを借りて天敵にも捕食されない一方、身代わりで仲間のホタルが子どもに捕獲されます。ある小学校長経験者が原作者らしいですが、これなどは、自然淘汰の原則を完全に無視しています。ホタルが仲間同士で助け合うことなどはしません。子どもに人権のことを考えさせるなら人間以外の生物で示すのではなく、人間でその事例を示すべきだと思います。人間は身体的不自由があっても、医療や介護、合理的配慮を受けられますが、昆虫がそれを受けることはありません。自然の生態を無視して事例を示すまさに子ども騙しの手法は子どもにたいへん失礼だと思います。それこそが子ども扱いする人権侵害なのではないかと思います。私も子ども時代に学校現場でこのような馬鹿げた教育をさんざんバカな大人から受けさせられた無駄な経験を思い出しました。
けさの朝日新聞天声人語で一昨日亡くなられた、物理学者の小柴昌俊さんが一時期教えた中学校で「この世に摩擦というものがなくなったらどうなるか記せ」という試験問題を出した逸話を紹介していました。正解は「白紙答案」。なぜなら、摩擦がなければ紙に鉛筆で字が書けないからだそうです。科学とは、子どもの人権とはを考える際に、最高の教育の一例ではないかと思います。

 

古地図で知る熊本

細川藩時代や明治期の熊本の古地図の展示が「くまもと文学・歴史館」であってたので寄ってみました。かつて川だった場所が現代では市街地になっていた地図からは、震災の記憶と結びつくものを感じました。西南戦争後に熊本城周辺の家屋焼失被害状況を記録した地図もありました。焼失の原因は、薩軍が家屋に潜むのを防ぐために官軍が火をつけたことによるものという説明があり、驚きました。軍隊は住民を護るためにあるのではなく、軍自身を護るためにあるのが、国内戦でも明治期からあったわけで、それでいて熊本が軍都として栄えていった不思議さも感じました。

人権後進国の汚名をそそげ

11月7日の朝日新聞によると、国際人権機関から批判を浴びている日本の入管施設での外国人の長期収容の短縮を図るため、出入国管理法改正案の提出に動いているとのことです。さまざまな規定見直しが進んでいるようですが、根本はあまりにも難民認定が厳格であることに問題があります。なぜ帰国することができないのか、その実情を受け止めることなくいたずらに送還することは、人権弾圧そのものです。

コロナ禍の葬儀

コロナ禍の葬儀に参列しました。正確には赴いただけでした。故人の足跡を知る機会もなく、残念でしたが、昨今の葬儀運営はこうしたものなのかもしれません。葬儀場でも感染防止にばかりにとらわれるのではなく、もっと工夫をしないと遺族にも気の毒だと思いました。

慌ただしい一年

きょうは亡父の誕生日です。1年前は迎えることができましたが、その10日後に亡くなりましたので、やがて一周忌となります。昨年末はそれに伴う慌ただしさの渦中から今年1月後半以降のコロナ禍でずっと落ち着かない1年でした。

米国の不思議

米国の大統領選挙の州ごとの勝敗色分けを見てみると、驚くほど地域や都市規模の違いを鮮明にしています。東部や西部の海岸に面する州は民主党が強く、中部や南部といった内陸の農村を抱える地域は共和党が優勢です。支持者の宗教勢力にも違いが見られます。一口に聖書を絶対視する人々は、おおざっぱに言えば科学的に無知な人々です。聖書の記述の中には、時代考証的にさまざまな矛盾が含まれています。実際米国にある聖書を信奉する人々が設立した博物館では展示の中に進化の考え方ではありえない生物も登場させています。文化の多様性を尊重することも政治では重要ですが、その社会で生まれた子どもがどのような価値観を身に着けていくか、それを親が強いるとなれば、個人の権利の侵害となります。中国国内における同化政策のように強権的に行うと、この問題が発生します。しかし、米国では個人の権利を尊重するように見えてある社会の内部での同化が頑なに継続されているのだとすれば、それは個人の選択を潰すことになり、果たして人権擁護の観点からどうなのかと思ってしまいます。宗教を必要としない気楽さについては日本は比較的ある方なのかもしれません。

 

Goodbye God

高橋和夫著『国際理解のために』を読んでからリチャード・ドーキンス著の『さらば、神よ 科学こそが道を作る』を読むと、後者の主張の歴史的・文化的背景が前者によって解説を受けているために、理解しやすい効果を生んでいます。読んでいてこれが読者に受け入れられるかどうかという問題があります。それはある教徒の家庭に生まれた子はどうしてもその宗教の影響を受けて育つので、科学的真実を受け入れることへの反感が起こりえると思います。こうした部分は本来は公教育でなされるべきですが、世界の経済的な先進国においてもかなり難しいとも思いました。かなり宗教について寛容な社会からの発信が重要だと思います。