関輝明行政書士事務所」カテゴリーアーカイブ

不寛容論

次に読む本は『不寛容論』。これは米国内の政治思想史の著作となりますが、これを理解することは米国の対外関係の方向を知ることにも役立つかもしれません。この本の前に『中国vsアメリカ』を読んだこともあり、たとえ国外のことであっても人権あるいは法の支配を無視する行動に対してそれらを尊重する政治思想を共有する側がどう行動したらいいのかを考える機会になるかもしれません。

資金調達セミナーを受けてみて

所属士業者向けの資金調達・銀行取引アドバイスに関するオンラインセミナーに参加してみました。考えてみると、他人様のそれ(資金調達・銀行取引)のお手伝いをその経験のない士業者が行うのは、非常にハードルが高いと思います。私自身も企業勤務時代に事業計画書作成に携わった経験がありますし、自社創業後、なんどか日本公庫から融資を受けた経験があります。ストレスという点では、やはり経営者として返済する期間は、一社員としての期間の比ではありません。士業者としてもし金融支援で携わるなら自身にその経験がないと怖いと思います。あと今は金融機関によってはそちらの将来性自体が不透明でその不安もあります。

一時支援金の申請が近く始まります

中小機構による一時支援金の申請が近く始まります。申請要件を満たしている事業者かどうかの確認が必要です。2019年と2020年の確定申告も済ませておく必要があります。支援の対象業種が飲食や旅行・イベント中心で、それ以外の事業への目配りが足りない気はしています。

受け身でいいのか

表紙写真の本はまだ読んでいる途中ですが、中国と米国の国交正常化以降の史実は同時代人として経験しているだけに、特に新しく感じる見方はありませんでした。要は相手をよく知ること、それと受け身だけではなくてどうこの2つの大国に働きかけるべきかということが問われています。人権と核兵器については、日本も含めて当事者の問題としてあるので、もっと多角的に動く役割があると思います。

ワクチン外交はありなのか

新型コロナのワクチン供給のあり方が現在の国際関係を表しています。先進国と発展途上国との格差がそのまま供給量に反映しています。供給国の外交戦略をどう見るか、日本の選択はどうあるべきなのか。いろいろ考えたいと思います。今度読む表紙写真の本の著者は、けっして米中の専門家ではありません。しかし、著者が整理した課題に沿って考えてみるのは意義がありそうです。

言葉は残る

柳美里さんの著書を初めて読みました。氏名の読みが「ゆうみり」さんということも初めて知りました。2002年4月から朝日新聞で長編小説『8月の果て』の連載をしていたことも記憶にないですし、その前に1994年9月号の『新潮』に掲載された『石に泳ぐ魚』がもとで出版差し止め請求の訴訟となったことも覚えがありません。不思議なほどに接点のない作家の一人でした。
今回読んだ作品も小説ではなく、著者の人生史となっていて、辿ってきた生活環境があまりにも違い過ぎるので、なんで記されたような言動をとるのかと、付いていけない部分もありました。
そんななかで、著者とかかわりのあった人物の言動においては、覚えておきたい部分がありました。一人は、著者がミッション系中高一貫校に在学していた中学3年の卒業間際のとき、素行不良を理由に高校への進学が認められそうにないところを止めた化学教師がいました。長くなりますが、著者が当時、担任教師から聞いた話を引用します。「結論から言うと、なんとか高校に進学できることになりました。今日の職員会議では、柳さんには高校でどこか他に転校してもらいましょうっていう先生方が多かったんだけど、木田先生が抗議をされたの。『聖書にはある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出掛けないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる99匹のためよりも、むしろその1匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父の御心ではないとあります。聖書の教えを生徒たちに伝えるミッションスクールが、群れからはずれて苦しんでいる柳さんを退学にするのはおかしい』と温和な木田先生が珍しく強い口調でおっしゃって、それで職員会議の流れが変わったのよ」。
しかし、著者が高校1年の1学期に家出をして警察に補導され停学処分を受けます。このときも前述の木田先生が退学に反対しますが、もう誰も味方をする教師はおらず、校長室で退学の手続きをするよう告げられます。その翌日、著者が父親と校長を訪ねたとき、カーネル・サンダース人形そっくりの校長は、次のように言ったそうです。「お父様のお気持ちは良く解りますがね、娘さんは他の生徒に毒をばらまいているんですよ。段ボールの中に腐った林檎がひとつあると、他のなんでもない林檎まで腐り始めます。だから、腐った林檎は取り除かなければならないんです」。
3.5%の力をもつ化学教師と実は腐った林檎は校長かもしれないというところが、実に印象深いエピソードでした。

3.5%の力という希望

『人新世の資本論』の著者・斎藤幸平氏が以下のことを最近語っていました。「ハーバード大学のエリカ・チェノウェスという研究者が、ガンディーにも言及しながら、3.5%の人々が非暴力的な手法で、本気で動き出せば、システムを変えられるということを実証的に示しています。現代のグレタのアクションは、3.5%の運動を呼び起こしつつあるのではないでしょうか。」。少し希望が持てる研究の情報といえます。
昨日も総務省幹部の接待問題が国会で取り上げられていました。首相の長男が勤める衛星放送事業者から会食の案内だったので、誘いを断れなかった官僚側を気の毒だとする向きがありますが、私はそうは思いません。公正な行政を担うべき公務員が一部の利害関係者からの接待に応じるなど、その根性の劣化ぶりはみっともないとしかいいようがありません。相手方の事業者が利害関係者である認識はなかったのかと問われて、官僚側は知らなかったと答えていて、それが事実ならそんなことも知らなくて務まる仕事のレベルは何だと思いました。また、音声データの公表があるまで、会食時の話で衛星放送などの話題は出なかったとか、記憶にないとか答えていましたが、これも最近では昨年12月のことですから、すぐ話したことを忘れるぐらいの頭脳でこれまた仕事ができるのかと思わされました。
この問題の発端となったのは、おそらくは省内からのリークだと思います。幹部職員が公務員倫理に反することを繰り返し部署を通じて行っていたわけですから、当然まともな公務員の耳にも入るだろうと思います。どんな組織にでも3.5%ぐらいは声を上げる人はいるのではないでしょうか。こうした形であれ不公正なものを正していければと思います。

行政書士制度70周年

本日2月22日は1951年の行政書士法施行にちなんで行政書士記念日となっています。今年は制度70周年にあたります。私自身が行政書士登録したのはこの10年近くにしかなりませんが、主権者である国民が行政と向き合う際の支援者でありたいと願っています。

https://www.gyosei.or.jp/news/info/ni-20201201.html

避難行動要支援者名簿について

災害対策基本法の規定により、市町村によって避難行動要支援者名簿の作成、名簿情報の避難支援等関係者への提供等が求められています。この規定の施行は2014年4月からで、消防庁の調査によると、熊本県下の全市町村において2019年6月1日現在、名簿の作成等は行われています。ただし、これらの名簿の更新(追加・変更・削除)が重要で、これはほとんどの市町村で民生委員が行っているようです。登録にあたって要支援者の要件は限定されていません。単身世帯でなくとも登録できます。高齢者や障碍者でなくとも登録できます。普段元気に暮らしていてもまったく身寄りがない人こそ災害時の安否確認は困難ですから、そうした場合でも本人の希望があれば、登録可能です。

明日は熊本県行政書士会の市民公開講座

明日、私の所属団体の熊本県行政書士会主催による、行政書士制度70周年記念の市民公開講座が、下記の通り開かれます。参加無料・予約不要です。

日程:令和3年2月20日(土)
時間:13:00~受付開始 開会13:30
内容
第一部 【遺言のすすめ】講師:橋本修明公証人
第二部 【自分の人生をもっと楽しむライフデザイン】講師:村上美香氏
終了後 行政書士による無料相談会
会場:熊本城ホール内シビックホール
*コロナ対策に万全を期して開催されます。

不正署名は住民への冒涜行為

愛知県知事の解職請求にかかわる署名の大半が組織的不正だったことは、同県民の意思を偽造する重大な犯罪行為であり、看過することはできません。そうした不正にかかわった連中は、住民に対する冒涜行為であることを理解できてなかったわけで、政治を語る資格以前の知的水準しかないのではと思わされました。
ある目的を達するためには、その過程も正当でなければなりません。五輪組織委員会の後任会長選びもしかり、新型コロナ対策のアプリ開発もしかりです。これが後任にふさわしい資質・過去の言動の検証や開発費用や手法が適正か、批判に耐えうるものなのか、判断できる人材で進めてほしいものですが、アスリートにしても官僚にしても大丈夫なのかと思わされる出来事が多いように感じます。

自動化が困難な受任前の鑑定

依頼者が求める結果を出すために私たち士業者は受任前に鑑定を行います。許可の可否可能性の評価はもちろんのこと、どのような手順で業務を進めた方が時間や費用が軽くなるかということも含めて提案を行います。場合によっては、依頼者が当初考えていた結果よりも他の結果を求めた方が得ということもあります。他の士業分野にかかるものであれば、その扱いについての判断も必要になります。したがって、自動的に見積もりを出しても込み入った依頼内容であればあまり的を射ていないことになります。私の場合は、この金額で収まりますという見積もりではなく、最低この金額はかかりますということになります。

株価3万円台と聞いても

東証株価が30年ぶりに3万円台を回復したそうです。4万円台に迫るバブル当時の雰囲気を知る者としては、一方でそれがどうしたという思いもあります。確かに景気が良く普通の人でも錬金術に走ることができたかもしれませんが、有効なお金の使い方まではできたとは思えません。虚飾や浪費、徒花という言葉がしっくりくる時代でした。マンションが続々立ち並びましたし、若者が高級車を買って乗る感じでした。ただ何となく熱は帯びていた覚えはあります。帰宅するときも毎日のようにタクシーを使っていました。今にしてみると、何か残ったというのはなく、ただただ消費したとしかいいようがありません。そうした時代を体験したのが逆に意味があるだけという気がします。思索するには今の時代が向いているように思います。

在宅研修がスタンダードに

昨日、パソコンを新調しました。セットアップは当日中に行う気力はなく本日の午前中ひと段落してから取り掛かり昼過ぎに終わりました。使う人の能力低下ぶりとは違ってとにかくパソコンの反応が速くくなったのと、音も静かなのに驚きました。デスクトップながらWebカメラも内蔵で付いているので、そのままオンラインセミナーの受講参加にも使えます。最近はこうしたオンラインでの受講機会も増えてきました。主催者からすれば会場を用意しなくて済みますし、受ける側も往復の時間と費用がかからず助かります。学校での外部講師を招いての研修もオンラインで実施してくれると講師も感染リスクがなくていいと思うのですが。

時間感覚

昨夜の福島沖を震源とする地震は10年前の東日本大震災の余震とみられるそうです。プレートの動きからすれば、10年という時間は短時間ということなのだなと実感しました。モンゴル人の居住地域が南北に分断されたのも70年前の話ですから、今の状態を当然ととらえる方が不自然なのだと思わされます。

中央ユーラシアからの視点

日本側から日中関係を考えるときにどうしても方向的に日本海側から見てしまうと思いますが、中央ユーラシア側から見ると、まったく違ったものが見えてきます。モンゴル人とウイグル人との関係とかあるいはチベット人との関係、さらにはインドやロシア、モンゴル国、その他中央アジア諸国との関係を通じて中国を見てみると、国際関係について新しい思考もあることがわかります。単純なことですが、インドのムガール朝のムガールとはモンゴルのペルシャ読みということすら知りませんでした。

弥生時代の硯とmRNAワクチン

弥生時代中期初め(紀元前180年ごろ)までさかのぼって西日本では文字が使われていたのではないかとみられる遺物=硯?が見つかっているといいます。朝鮮半島と北部九州・山陰・北陸を結ぶ交易ルートでは紀元前1世紀の石の重りも見つかっていますから、当然計量結果を文字で記録していた可能性があるとみられています。なかなか興味ある世界です。
これとはまったく別の話ですが、ファイザーやモデルナが開発した新型コロナ感染抑止のワクチンはmRNAと呼ばれる新しいタイプのものです。mRNAとは、細胞内で「たんぱく質を作れ」という指示書のようなっものです。つまり体内に送り込まれる文字のようなものです。
紀元前の硯とmRNAワクチンの開発元が、文字を生み出すものとしては共通しているものに思えて不思議です。

 

スポーツ界って何だ

東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長発言をめぐっていろんな論議が出ています。スポーツ界の各種組織の長の資質についてはこれまでにもいろんなケースがありました。たとえば国内の競技団体でいえばボクシングやテコンドーでのパワハラなども近年の記憶としてあります。公開の場で出てくる言動を見聞してもおよそ人格者とはほど遠い人物と感じられました。ですが、他の組織でもよくあるようにも思います。いってみれば、スポーツは道楽の世界ですから、実施する側も観戦する側もお金がかかります。競技関連の団体の長として好まれるのは、お金を出して口を出さない方か口を出す代わりに外からお金を引っ張ってきてくれる方のどちらかが多いと思います。これを能力というのかは別に組織では重宝されます。始末が悪いのは、お金を出さず(あるいは引っ張ってこない)に口だけを出して対外的な信用を汚す方となりますが、さすがにこれは長続きはしません。幸いオーナー組織ではないのですから、利用価値のない長はさっさと追い出すのが賢明だと思います。

パブコメ回答を受けて

市政のさまざまな計画素案のパブリックコメント募集に際してときおり応じるようにしています。それは当局と住民それぞれが計画の正否を確認するために有効だからと考えるからです。コメントがあると後日その回答が公表されます。参考にされるもの修正に応じられるものと、これもさまざまあります。公表結果でもある程度は策定者の意識がわかりますが、実際にコメントをした側からすると、コメントの一部が削られて公表されることがあるのがわかります。つまり本当に痛い指摘は隠したいのだなというのは、コメントした本人にしかわかりません。特に計画策定手法において策定者側が楽した部分とか、見当違いの分析をした部分とかは、割愛されるものです。もし議員がパブコメ結果について本当に受け止めたいのであれば、コメント原文と照らし合わせて考えてみることを勧めます。