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『ルポ軍事優先社会』読書メモ

吉田敏浩著『ルポ軍事優先社会――暮らしの中の「戦争準備」』(岩波新書、960円+税、2025年)は、いかに我が国の安全保障政策が見当違いのであるかを理解する上で有益な情報が満載です。もっと言えば、米国に日本の主権と巨額の公金を献上し、自国民に対する棄民政策が進行しているのを知らずにいて、あまりにもおめでたいよねという警告の書だと思います。
国民一人ひとりもそうなのですが、対等である国の暴走を止めるよう地方自治体にもしっかりしろと言いたい気持ちにさせられます。
本書の内容の一部は、2024年4月~7月号の雑誌『世界』に掲載されていたので、すでに読んではいたのですが、改めてまとめて読んで良かったと思いました。つべこべ言わずに多くの方に読んでほしいと思います。
添付画像は、私が住む宇土市の広報2025年4月号p.12に掲載の「自衛隊に提供する対象者情報の除外届受付」のお知らせ。もともと自治体には自衛隊への個人情報提供の義務はないのですが、多くの自治体が本人の同意なく提供しています。この除外届すら同市では2年前からようやく制度化されました。詳しくは、本書「第2章 徴兵制はよみがえるのか 自治体が自衛隊に若者名簿を提供」を参照してみるといいです。
「第5章 対米従属の象徴・オスプレイ 危険な「欠陥機」を受け入れる唯一の国」では、有明海の海苔養殖への悪影響もさることながら、飛行の際に発生する低周波音も相当なものだと知りました。本書とは別の話になりますが、現在水俣の山間部で陸上型風力発電設置の計画があると聞いていましたので、これは考えものだなという印象を持ちました。風力発電機はせめて海上型でしか認めない方向であるべきではと思います。低周波音による被害については以下を参照ください。
https://www.soumu.go.jp/kouchoi/knowledge/faq/main2.q14.f_qanda_16.html

対応の中身を言わないとはだらしねえ

昨日(4月5日)の地元紙面に載っていた、TSMC工場量産開始後のPFAS上昇についての熊本県知事の定例記者会見での発言が、ずいぶんとのんきなものではっきり言って残念でした。口では、「専門家の意見を踏まえて対応する」と述べていますが、その中身が判然としません。
この知事の会見より前の3月26日に開かれた、熊本県環境モニタリング委員会において委員長は「(PFASを)少しでも減らす努力をすることが大事だ」「十分すぎるぐらい下げるのが良い」「何らかの企業努力を促すよう行政が求めていくべき」などと述べたとされます。
ところが、会見での知事は、委員会で出た「(PFBSやPFBAは)毒性が低い」「諸外国の飲料水目標値と比較しても低い」という見解だけをつまみ食いする形で、これが「専門家」の評価の大勢という印象操作を行い、TSMCへ物申すという姿勢はまったく見せていないようです。
PFASによる健康被害は、日本人だろうが台湾人だろうがTSMC関係者だろうがそうでなかろうが人を選びません。今回これまで未検出だった物質も出てきたわけで、TSMC操業開始との因果関係は濃厚だと思います。第3工場進出までは音沙汰なしというのではあまりにもだらしないと思います。コチョウラン回収で見せたような素早いフットワークを期待しています。

あんぱんで目を洗う

銀座木村家によると、昨日4月4日は「あんぱんの日」なのだそうです。今から150年前の1875年(明治8年)4月4日に創業者木村安兵衛が明治天皇へ「桜あんぱん」を献上したことを記念したからだと、そのサイトに由来が記してありました。NHK朝ドラの「あんぱん」が今週放送スタートしたこともあって、パンが人々へもたらす幸せ感に心が癒されます。
しかし、日本の近代化と製パン業・製菓業などの大企業の発展過程を見てみると、軍部との結びつきが強固だったことが意外と知られていません。平賀緑著『食べものから学ぶ現代社会 私たちを動かす資本主義のカラクリ』(岩波ジュニア新書)を読むと、日本では1885年ごろから機械製粉の小麦粉輸入が急増し、その主要商品は軍用パンやビスケットだったとされています。現在まで続く製パン業・製菓業の大企業の多くが帝国日本の海外進出に伴って誕生しています。具体的には、明治製糖(1906年)、森永商店(1910年)、味の素(1907年 創業時は鈴木製薬所)、日清豆粕製造(1907年 現・日清オイリオグループ)など。
しかも、日本の製粉業や製糖業、製油業(植物油)のみならず、原料を輸入する商社は、財閥系大企業による寡占でしたし、近代化を急ぐ政府はこれら新旧財閥を保護してきました。戦後の食料システムも基本的に同じです。現在の世界人口のカロリー摂取の半分以上は、小麦、コメ、トウモロコシという、たった3種類の作物で占められていますが、巨大企業と取引のマネーゲーム化の下で生産加工流通されているのが実情です。
それはともかく、朝ドラの「あんぱん」は、花粉症の時期ということもありますが、格好の洗眼剤となっています。主人公の朝田のぶちゃんが、長期の海外出張に赴く商社マンの父を駅まで見送って、その父が帰郷の最中に亡くなったという知らせが届く展開は、戦時中の私の母が体験した父親(私にとっては祖父)との思い出と重なり切なく思いました。
私の母の両親(私の母方の祖父母)は1930年に結婚、神戸港に近い西宮市甲風園に居を構え暮らしていましたが、開戦後、商船会社勤務の祖父は日本と南方を結ぶ軍の輸送傭船に乗務することもあって、家族は熊本市国府に留守宅を移すこととなりました。母と生前の祖父との別れは1943年の秋でした。1週間ほどの休暇を留守宅で家族と過ごしたのち、幼い子どもたち(私の母たち)だけで戦地に戻る父親を国府電停で見送ったといいます。祖父は1944年1月15日にフィリピン・マニラから台湾・基隆への途上バシー海峡で最期を迎えたので遺骨も家族の元へは帰ってきませんでした。
当時、国府の自宅は現在の宇土内科胃腸科医院の付近にありました。電車通り沿いに宇土屋旅館とその旅館の貸家数軒が並んでおり、その貸家の一軒で母たちは暮らしていました。1945年7月1日の熊本大空襲で一帯は焼失、多くの犠牲者が出ます。母たちは、その半月前に同地から祖父の実家がある不知火町へ移ったために、その難は逃れましたが、続く同月27日の松橋空襲を間近で体験しています。命を失う危険は当時だれにでもあったのです。
写真は現在の国府電停(2025年3月21日撮影)と基隆港(2018年7月28日撮影)。

『ルポ国威発揚』読書メモ

辻田真佐憲著の『ルポ国威発揚 「再プロパガンダ化」する世界を歩く』(中央公論新社、2400円+税、2024年)を読むと、国内外の約35カ所もの愛国スポットが紹介されています。私はそのいずれの地も訪ねたことがなかっただけに、新しい世界があるものだと視野が広がりました。なかにはサブカルチャー要素を取り入れた萌えミニタリー的な珍妙な場所もあり、それははたして戦没者慰霊として相応しいのかと疑問に思いましたが、管理関係者の声は、いたって大真面目であり、これはこれで愛国岩盤層の信念の逞しさを感じました。
著者によれば、国威発揚には「偉大さをつくる」「われわれをつくる」「敵をつくる」「永遠をつくる」「自発性をつくる」という5つの要素が存在するといいます。本書を読んで私なら実際に取材地を訪ねてみたいかというと、そこまでは思いませんでしたが、何ものかを伝えたいという熱意は感じました。この使命感的な部分は、確かな歴史研究の上に成り立つ戦争ミュージアムにも重要なことだと考えます。
せっかくですから、本書の取材地で熊本県と縁のあるところを列記します。
・台湾高雄市鳳山区「紅毛港保安堂」…日本海軍の第三八哨戒艇(旧駆逐艦「蓬」よもぎ)の熊本出身の艇長・高田又男海軍大尉以下145名の戦没乗組員を祀る廟であり、高田艇長は神(海府大元帥)とされている。この廟には安倍晋三元首相像や安倍氏揮毫の石碑もあり、安倍支持者の聖地ともなっている。
・岐阜護国神社内「青年日本の歌史料館」…「青年日本の歌」とは、1932年に五・一五事件を引き起こした海軍青年将校のひとり、三上卓が事件の2年前に作詞した右翼民族派にとって自らの気概を示す歌(そのため「昭和維新の歌」とも呼ばれる)なのだそうだ。史料館は三上の遺品を保存する修養施設「大夢舘」(岐阜市)と護国神社が共同で設立した一般財団法人「昭和維新顕彰財団」によって運営されており2023年にオープンした。大夢舘の現舘主である鈴木田遵澄氏(取材時35歳)は熊本県在住。20歳のときに現役自衛官ながら国会議事堂で割腹自殺をはかり逮捕された過去を持つ。そのときに決起文に「青年日本の歌」の一節を引用していたとされる。
・人吉市桃李温泉いわくらの杜内「高木惣吉記念館」…アジア・太平洋戦争末期に米内光政海軍大臣をサポートして終戦工作に奔走した人吉市出身の高木惣吉海軍少将の遺品や資料を収めた記念館で2010年にオープンした。同館がある温泉旅館は高木の親族が経営している。さらに記念館は上記の紅毛港保安堂と連携している。
・球磨郡湯前町里宮神社内「軽巡洋艦球磨記念館」…日本海軍には艦名にゆかりのある神社より守護神を迎える伝統があり、軽巡洋艦球磨の艦内神社には市房山神宮の祭神が祀られていた。そのことが2015年に明らかになり、市房山神宮の里宮である地に2018年記念館は建った。展示内容は球磨に関するものより海軍全体に関するものあるいは「艦これ」関連のものがあり、カオス的らしい。本書では触れてないが、昨年7月に「艦これグッズ盗難事件があり一時閉鎖されたことがあった(その後盗品は戻り再開)。

頑固なのか単なる惰性か

わが人生のなかで7割方を占めて続けている習慣について2つばかり披露してみたいと思います。いずれもスタート日が後記の通り確定日付となっていまして、それらの習慣が続くというのは、頑固さによるものなのか、単なる惰性によるものなのか、これは自分でも定まっていません。他人からはきっちりしていると誤解されますが、自分ではけっこう怠け者だと思っています。手を抜ける部分は極力手を抜いて楽な暮らしをしたいと日々過ごしています。
さて、習慣の一つ目は、読書カードの作成です。きっかけは、1981年6月21日に読み終えた梅棹忠夫著の『知的生産の技術』(岩波新書)による影響です。同書で紹介されている「京大カード」(情報カードとも称される)に読んだ本の著者名・書名・発行年月日・出版社名・ページ数・入手先名・販売正価・入手価格・読了日・処分先・処分価格を記入してファイリングしています。カードは本1冊につき1枚作成します。法律専門書などは何回か読み直すことがありますが、カードを作成するのは1回限りです。したがって、ここ44年間については年間何冊の本を読んだのかも正確に把握できています。
問題は、B6サイズ横の「京大カード」やそれをファイリングできるバインダーの製品が割と大きな老舗の文房具店へ行かないと手に入らないことです。カードはネット上の情報によると、百均店で売っているともありますが、近隣店舗の売り場では見かけません。実際、読書メモを残したいときは、すべてデジタル情報で保管していますので、上記の製品が手に入らなくなったら、それはそれでしょうがないかなと思います。
梅棹忠夫さん(1920-2010年)についての思い出も言及すると、その姿を一度だけ拝見したことがあります。1990年8月に国立民族学博物館を訪問したときに当時館長の梅棹さんが側近を伴って館内に入られたシーンでした。その感激も習慣の継続に寄与しているのかもしれません。
そして、長く続いている習慣の二つ目は、バナナを食べないことです。このきっかけは、1983年11月5日に社会学者の鶴見和子さん(1918-2006年)の講演を聴いたあとの懇談会で、和子さんが父方の従弟・鶴見良行さん(1926-1994年)の『バナナと日本人』(岩波新書)を読んでからバナナを食べないと決めたと話されたことに触発されたからです。同書は、フィリピン産バナナの栽培から日本への流通を通じて多国籍企業によって開発途上国の人々が受ける苦しみを描いています。バナナ栽培に危険な農薬が大量に使用されていることも明らかにされました。
鶴見和子さんは、色川大吉さんを団長とする不知火海総合学術調査団の一員として『水俣の啓示』(筑摩書房)の執筆にかかわられていることもあり、水俣病患者が受けた苦しみをフィリピンのバナナ農園労働者のそれと重ねられて、バナナを食べないと決意されたと記憶しています。
私は、『バナナと日本人』を北区赤羽図書館から借りて1983年1月26日に読了してはいましたが、そこまで考えが及ぶまでは至っていませんでした。鶴見和子さんの講演を聴こうと思ったのは、『水俣の啓示』(上巻:芳林堂書店池袋西口店で購入し1983年8月19日読了、下巻:福岡金文堂本店で購入し1983年8月20日読了)を読んでお名前を承知していたので会ってみたいと思ったからでした。しかし、同書を読んで講演会に参加したことを懇談会で和子さんに話したら、たいへん喜んでいただいた面映ゆさがあって、それで私も調子に乗って以来バナナを食べない暮らしを始めました。
ちなみに、『バナナと日本人』の著者の鶴見良行さん自身は、1995年に「(自分は)バナナを買って食べる。現場を歩いてものを書く調査マンは、そのモノにつきあうのが職務上の義理だからであり、また、自分は上に立って人に指令を与えるような形の(社会)運動はあまり好きではない。自分の提供した情報によって読者が判断すべきであり、それはある種の民主主義の問題だ」と別の著作『東南アジアを知る─私の方法』(岩波新書、未読)で書いておられるようです。つまりは、読者それぞれが自分の頭で考えろというワケです。
おかげでたまに胃がん検診でバナナ味のバリウムを飲み込むたびにこの習慣の始まりを思い出します。

いかにも一般大衆が喜びそうな

NHK朝ドラの「あんぱん」初回放送の見ようと張り切ってNHKBSの番組表を朝イチで確認したところ、「あんぱん」の前の時間に再放送される朝ドラ「チョッちゃん」の舞台が北海道滝川市であることをついでに見知ってしまいました。「チョッちゃん」は、黒柳徹子さんの母・黒柳朝さんの自伝『チョッちゃんが行くわよ』を原作としているそうですが、初回放送された1987年4-10月当時は会社員時代で一度も作品を視聴したことがありませんでした。しかし、滝川は私にとって小学1年の1学期まで住んでいた土地であり、さっそく第7話を視聴しました。
そして、たくさんの拾い物をしました。まず、ナレーションが昨年鹿児島旅行中に訃報を聞いた西田敏行さん(養父の祖は薩摩藩士)。主人公の高等女学校での担任役として役所広司さん(出身地の長崎県諫早市を近年3回訪ねる機会がありました)。脇役でレオナルド熊さん(出身地が石狩川を挟んで滝川の西隣りの新十津川町)。といった親しみを覚える顔ぶれがかかわっています。しかも、レオナルド熊さんの墓所についてはたまたま昨夜グーグルマップを開いているときに明治大学和泉キャンパスの近くにあるんだというのも知りました(ほかにも著名人としては佐藤栄作や瀬島龍三、樋口一葉、中村汀女の墓が近くにあり)。熊さんについては、時事ネタを不条理コントで嗤わせる高度な芸風が秀逸でしたし、サントリービールのCMで発した「いかにも一般大衆が喜びそうな」という表現は1983年の流行語となりました。大量消費社会の薄っぺらな雰囲気をよく掴んだ印象に残る言葉です。
ところで、本日の「あんぱん」ですが、都会から地方の学校へ転校してきた子どもが受ける疎外感のシーンに自分を重ねてしまいました。前述の通り、私の場合も、言葉も気候もまったく異なる土地への転校体験でしたので、今でも私の心のどこかにここが嫌いだという思いがあります。転校初日に担任の河野幹子先生が学級の児童に教室に貼ってある日本地図を指しながら北海道から(異国の樺太よりも遠い!)九州へ渡ってきたということを説明したのをよく覚えています。まるで外国人が突然学級に加わったようなわけですから受け入れ側の児童にもまったく心の準備がなかっただろうと今では考えます。
多文化共生社会とか、いかにも一般大衆が喜びそうな言葉が、行政の啓発文書に載っていても、住民のふだんの振る舞いには、それと反する言動が多々あるという気付きは、マイノリティー体験の有無によるのかもしれません。
【追記】私の母から聞いたところでは、驚くことに、北海道滝川市一の坂町にあった朝さん(1910-2006年)の実家跡の医院で私が何度か診てもらったことがあるとのことでした。ただし、当時はそのことを私の母も知らず、後年テレビで写真が紹介されたなかで、行ったことがあると気づいたそうです。確かに、朝さんの父・門山周通氏は1908年に開業し1944年に亡くなられた方ですし、1965年ごろの住宅地図で確認する限りでも、門山の名の入った医院は見当たりませんでしたので、別姓の方が医院を継いだのだろうと思われます。

主要人権条約についての日本の批准状況

断片的なニュース情報や何の専門性をもたないコメンテーターの戯言だけに接していると、さまざまな事象がどうしてそのような結果をもたらしているのか、その要因まで考察することになりません。
解決へ導くため人類が築いてきた秩序や規範の多くは、大国主導で生み出されてきたのも事実ですが、そうしたものに照らして政治はいかにあるべきなのかを学ぶことは重要だと思います。
写真は、石田淳・長有紀枝・山田哲也編『国際平和論 脅威の認識と対応の模索』(有斐閣、2500円+税、2024年)のP.217にある主要人権条約についての日本の批准状況を示した表です。これにもある通り「移住労働者の権利条約」については、日本は未批准となっています。これには示されていませんが、他の先進国の多くも未批准なので、それをマネているようです。しかし、国連人種差別撤廃委員会からは批准するよう勧告を受けています。こういった部分に目を向けている政治家があまりいないので、国会で議論されているような覚えがありません。
なお、選択的夫婦別姓制度の導入や皇位継承における男女平等を保障する必要があるとして皇室典範改正を昨年勧告したのは、国連女性差別撤廃委員会です。これなんかは、「女子差別撤廃条約」を批准してから40年近く経つのに差別撤廃を実現できていない政府のダメさ加減を世界にさらす不名誉なできごとでした。

役者って凄い

最近ネット広告に表出する某求人情報サイトCMで見かける、東京タワーの上から地上の人間を見守る役所広司さんの構図から、いつもヴィム・ヴェンダース監督の映画「ベルリン天使の詩」(1987年公開)のシーンを連想します。天使役の主演、ブルーノ・ガンツが天空から眼下の人間の暮らしを見守る姿のそれです。
役所広司さんと言えば、やはりヴィム・ヴェンダース監督作品の「PERFECT DAYS」(2023年公開)に公共トイレ清掃員という市井の人物役で出演していますから、CM制作サイドで「ベルリン…」へのオマージュがあるのかなと思って、上記求人情報サイトのリリース情報も確認してみましたが、そうした記述は見当たりませんでしたので、今のところ私だけの勝手なイメージです。
話は少しそれますが、ブルーノ・ガンツといえば、2004年の「ヒトラー 〜最期の12日間〜」におけるアドルフ・ヒトラー役の印象が一般には強烈に残っていると思います。ネット上では、いまでも不祥事が起こるたびに別ネタの日本語字幕をかぶせて権力者を批判する素材にもよく使われているのを目にします。
そうこう考えると、天使役・普通の市民役・独裁者役のいずれの顔もこなせる役者さんって凄い才能だなと思います。まぁ社会人生活でもいろんな関係先で演じることがうまい人もいますから、騙されないようにしたいと思います。

くまもとの戦争遺産を未来につたえる!!

けさの熊本日日新聞1面には、4月1日より同紙の「わたしを語る」欄に旅行会社「旅のよろこび」社の社長・宮川和夫さんが登場するとの予告が載っていました。内容を期待しています。
同社は障がい者に参加しやすい旅行サービスを提供されていて、宮川さんの活躍ぶりは設立創生期ごろから知るところです。
宮川さんは近年、高谷和生さんがガイドを務める県内の戦争遺産を巡る旅も企画されていて、私も一昨年、昨年と参加させてもらい、お世話になりました。
ちなみに、その高谷さんも昨年6月から8月にかけて熊本日日新聞「わたしを語る」欄に登場されました。今年は戦後80年ということで、例年より多くの「くまもとの戦争遺産を未来につたえる!!」取り組みを企画されておられるようです。私も都合がつく限り参加してみたいと思います。
https://kumamoto-senseki.net/images/2025/25031801.pdf

石風社の本

石風社の書籍広告が本日(2025年3月27日)の朝日新聞1面記事下に載っていました。広告で紹介されている『企業の責任』発刊前のクラウドファンディングに応じていたので、出版社から22日に同書が返礼品として送られてきていました。そして、きょうは、水俣病研究会からも同書と『核心・〈水俣病〉事件史』の2冊の贈呈送付を受けました。
というわけで、手元に『企業の責任』が2冊あります。1冊はどこかへ差し上げようと考えています。

だからこそ民間の戦争ミュージアムが必要

3月20日の毎日新聞電子版で「南京大虐殺展示巡り賛否分れる 長崎原爆資料館の更新審議会」の記事を読んで、公立の戦争ミュージアムの運営の厄介さを感じるとともに、だからこそ民間の戦争ミュージアムが必要と強く感じました。
記事によると、長崎市の原爆資料館運営審議会なる議論の場があり、同館の展示内容の更新を巡る審議の中で、南京事件は「でっちあげだ」と主張する市民団体代表の委員から、同事件の記述を展示年表に含めないよう求める旨の発言があったとされます。さすがに日本近現代史の学者の委員から「『南京大虐殺は幻だ』という意見が議事録に残るのは耐えられない。従軍兵士の日記などさまざまなものの中に記録が残っている。不当に殺された市民や軍人がいれば虐殺なのであって、それを『幻だ』というのは歴史的事実として認められない」との発言があって、展示更新計画案の変更には至らなかったようです。
公立の戦争ミュージアムの運営を審議するのでさまざまな歴史観をもった人物が委員に就くことはありえるでしょうが、まともな歴史家が認めた史実を否定するような狂信的思考の持ち主が委員に入り込むのは、有害極まりないと思います。ですが、長崎市の「長崎原爆資料館条例」を確認してみると、運営審議会の委員は市長が委嘱するものとなっていて、委員の資質についての定めはありませんでした。前記の「でっちあげだ」発言をした委員は、「公益団体等を代表する者」枠の3人のうちの1人となっています。
つまり、市長の一存でエセ歴史の「有識者」も運営に携わらせることができる面が、公立施設にはあるので、よくよく監視しなければ「公益性」がない施設に成り下がる危険性があると感じます。
もっとも民間の施設とはいっても熊本県護国神社が2027年夏の開館を目指して3億円募金を始める「火の国平和祈念館」のような宗教関連施設では、戦没軍人の遺品や遺影を顕彰・慰霊するために展示するだけで、戦地での加害の歴史を振り返ることはもちろんしないミニタリー倉庫にしかならないと思われます。
必要なのは、歴史と科学の素養がある学芸員が常置し、平和構築や維持にはどう行動すべきなのかを考える材料を展示提供できる、民間の戦争ミュージアムにほかなりません。

Trumps

「財務省解体デモ」を持ち上げる方々のX投稿を見ると、結果的に国益となる国際援助や国際貢献に否定的であったり、国内で暮らす外国人に対しても不当に排外主義的な、何事も短絡的にしか物事を受け止られないTrumps的言動が多い気がします。
税制や社会保障のあり方の見直しを求めたいなら、声を伝える相手の矛先としても見当違いに思えます。

Trumpsとは、「世界に複数いるトランプ的人物」のことを指します。
a Trumpとは、Trumpsのひとりのことを指します。ポピュリズム権威主義の統治術を志向し、民主主義にとって極めて敵対的な言動をとる独裁者と評して差し支えないと考えています。

独裁者の特徴を、シグマンド・ノイマンの著書『大衆国家と独裁――恒久の革命』から借りると、「あらゆる独裁者には、友もなく同輩もいない。…彼は何者をも信頼しない。ある意味で世を捨てているのである。これこそ『超人間的指導者』となるために彼の払う代償である。彼はあまりにも大きく、あまりにも強く、そのために、またあまりにも孤独である」となります。
彼らは、一口で言うと、「お山の大将」です。彼らには、相手のために耳の痛いことでも忠告してくれる友人である「クリティカル・フレンド」がいません。近づいてくるのは利権を貪るさもしい人ばかりとなります。そして、表面上の学歴がどうであれ、トランプ氏のように歴史や科学に無知な傾向を感じます。

ピラ校登頂男のその後

「オール学習院の集い」の開催日(4/13)に合わせて学内で行われる今年の大学新聞同窓会への出席を前に、43年前と42年前に私が書いた「ピラ校登頂男」(O君、2年連続経済学科4年)のその後の情報を、当時の先輩から聞きました。
なんと現在、福島県D市の市議会議員を務めているということでした。しかも定年まで地元県警で勤め上げ、退職を機に行政書士もされているとのこと。
ビックリしたやら、同業の縁を感じるやら。
「ピラ校」とは、2008年まで存在した高さ約25メートルの四角錐の教室(1968年にウルトラセブンによって一度破壊されたという話もある)。写真は下記ページ参照。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/100th/pyramid/

無教育の責任は大きい

ミネルヴァ日本評伝選のシリーズ本として2025年1月に刊行された大石眞著『井上毅』を読了しました。井上毅(1843-1895)は、明治政府の法制官僚として活躍した人物ですが、第二次伊藤内閣では文部大臣に任命され、1年5カ月余りの在職期間でしたが、教育行政についてもスピード感をもって成果を上げたことが紹介されていました。
在職中、高等師範学校卒業生を前に「一体教育とは恐ろしいものである。教育で国を強くすることが出来る、又教育で国を弱くすることも出来る。教育で国を富ますことが出来る、又教育で国を貧乏にすることも出来る……無教育の責任は大きなものである」(p.282-283)と説示しています。教員者に対して自覚と責任を促しているわけですが、同時に大臣である自分の責務を表明したものだと受け取れます。
井上は大臣に着任してから1カ月半後には伊藤総理大臣に「文部の事務釐正(りせい)[改正]を要する件」をまとめた「施設の方案を具へて閣議を請ふの議」を提出しています。これは、総合的な教育行政方針を示したもので、「政府に於ける今日の義務」として「財政の許す所に於て教育費を国庫より補助する事」などを通じて初等教育の普及を図ること、工芸教育を充実させること、高等中学校を改正して大学の改革を行うこと、女子教育を推進すること、私立学校を含めて文部省の統率・保護監督権を徹底することなど七件を挙げ、これが中途半端に終わらないよう「内閣の決議」を望むことを伝えています(p.283-284)。そしてそれらの政策は実現に向かうこととなります。
まさに仕事ができる人物でしたが、病身のため、大臣退任の翌年53歳で生涯を閉じます。もちろん明治時代に求められた教育と現代のそれとは異なるところもありますが、政治家の資質は時代が異なっても主権者である国民は問い続けなければならないことは言うまでもありません。
なお、本書の巻末にミネルヴァ日本評伝選の既刊・未刊を含めた一覧が載っています。その中に大学同窓の杉原志啓氏が「徳富蘇峰」と「松本清張」の担当著者であることが示されていました。いずれも未刊なので、刊行されたらすぐ手に取ってみたいと思います。

藤原氏はワイルドだろ

佐藤信くまもと文学・歴史館長による講演「藤原広嗣の乱」を昨日聴講してきました。8世紀の藤原氏族によるワイルドな政権奪取闘争をめぐる期待通りの痛快な内容でした。昨年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は藤原道長が権勢をふるいつつも「女性活躍」の先触れ的な優美な平安時代を描いていましたが、今回の講演はそれより前の奈良時代の世界ということになります。広嗣が排除しようとした玄昉や吉備真備の人物像を含め、大河ドラマに相応しいもっと絵になる事件が豊富です。NHKさんももっとこの時代に目を向けたらいいのにと思います。講演を聴いていると現代に通じるトピックがいくつもあるものです。
以下はランダムなメモなので、テキトーに読み流してください。

・乱の背景には感染症流行…広嗣の親世代の藤原四兄弟は、九州から畿内へ広がった天然痘により、全員同じ737年に没しています。そのことが、次世代の焦燥・危機感を生みました。
※以下は講演とは別の話です。ゲノム人類学でわかってきたこと。
・これまでにゲノムが調査された縄文人骨のDNAは、みんな飲めるタイプで、飲めないタイプは、大陸で生まれた人々に分かれる。
・お酒に弱い遺伝子変異は、中国南部の揚子江下流あたりから同心円状で広がっていて、ちょうど水田農耕が広がった地域とほぼ一致する。東アジアではたまたまお酒が弱い方が有利になり、お酒に弱い人が増えた?
・農耕の開始によって食料の供給が以前より良くなると、生き残る人の数も増えて人口が増加し、人口が増えると感染症が蔓延しやすくなる。感染症に対する抵抗性とお酒に弱いことの関連が考えられる。
・お酒を飲んだ後にアセトアルデヒドが血中にできて、顔を赤くしたり、気持ちが悪くなったりする。アセトアルデヒドは人間にとって毒だが、血液に感染する原虫と呼ばれる寄生生物にも毒だという説がある。
・現時点のゲノム全体でわかっていることは、畿内(京都に近い、かつての山城・大和・河内・和泉・摂津の5か国のこと)の人が一番大陸に近いDNAを持っている。

・最新の通信手段と情報操作・心理戦の登場…7世紀の白村江の戦いでの敗戦により大宰府管内での軍団兵士動員の通信手段として烽火(のろし)が整備されましたが、これを実戦で初めて利用したのは広嗣の乱。官軍が広嗣を「逆人」と指摘する情報ビラ(伝単)を使用して心理戦を仕掛けました。
※広嗣は敗れて済州島へ逃れ、さらに西の唐を目指しますが、風に戻され五島列島へ漂着。捕らえられ斬刑に処せられます。8世紀から怨霊説が登場し、陰謀論者界隈の信仰対象となります。

・唐留学組の玄昉や吉備真備を重用した聖武天皇は異国大好きで「国家仏教」推し?…741年「国分寺建立の詔」、743年「大仏造立の詔」
※744年、聖武天皇唯一の男子として有力な皇位継承候補であった安積親王(外戚に橘氏をもち、大伴氏・佐伯氏が後見した)が死去。藤原仲麻呂による暗殺説もある。

佐藤信館長連続講演会は拾い物

間もなく展示終了の「くまもとを拓く 熊本県公文書類纂展」の会期を確認しようと、くまもと文学・歴史館のホームページへ昨日アクセスしていたら、「佐藤信館長連続講演会」の情報に出合い、いい拾い物をしました。
というか、佐藤信氏という古代史の専門家が同館の館長に2021年から就いていること自体初めて知ったのです。実は、同氏の名前は、BSテレビの放送大学で2020年に「日本の古代中世」の講義をされているのを視聴して知っていて、その講義内容がたいへん面白かったのは、記憶にありました。
しかし、まさか地方の県立施設の館長に就いているとは思いもよらないことでした。館長着任がコロナ禍のイベントが少ない時期だったということと、これまで同館長の席は地元新聞社OBの指定席的色合いがありましたから、その反動・反感(?)とで地元報道での露出が少なかったのかもしれません。
それで、まだ受講が間に合う第4回「藤原広嗣の乱」への申し込みをさっそく行いました。幸い第1回から第3回までは、YouTubeで下記の通り動画配信されており、これも昨晩一気見しました。古代の話ですが、天皇制、女性天皇、東アジア国際関係、渡来人・移民文化など、近代日本のみならず現代にも通じるテーマが含まれ、視聴していてワクワクしました。勝者の歴史・伝説と敗者の歴史・伝説の違いも感じ取れます。歴史家が史料にどう向き合っているか、その考え方自体は、私たちの普段の生活にも大いに参考になります。
【佐藤信館長 連続講演】人と事件でたどる古代九州①「筑紫君磐井の戦い」
https://www.youtube.com/watch?v=uBpuMTDll60
【佐藤信館長 連続講演】人と事件でたどる古代九州②「斉明天皇と白村江の戦い」
https://www.youtube.com/watch?v=U-vwuj03wJI
【佐藤信館長 連続講演】人と事件でたどる古代九州③「大伴旅人と大宰府」
https://www.youtube.com/watch?v=raTcmt9H-WQ

大課長やコンサルがはびこる企業に未来はない?

きょうの朝日新聞くらし面に、企業にはびこる「大課長」問題の記事が載っていて面白く読ませてもらいました。会社員を14年前に卒業した私からすると、社内の階層にまつわる話は無縁でどうでもいいように思えます。しいて言えば、大企業だろうが、零細企業だろうが、あるいは官公庁でも、社長マインドをもった人がいなければ、事業の継続もままならないだろうし、内部の社員が仕事に携わっていても楽しさや誇りは感じられないのではないかと思います。
記事中では、社長の役割にも触れてあって、それによると次の4点となっていました。
(1)会社の中期重要推進テーマの策定・決定
(2)中期的重要テーマの推進を役員にミッションとして渡す
(3)中期的重要テーマの進捗モニタリングをする
(4)中期的な重要テーマを推進できる人を登用する
私が注目するのは、上記(1)と(4)です。(4)の前提として、社内に仕事ができる人材を養成しておかなければなりません。ところが、(1)のテーマ策定や(4)の人材養成を安易に外部のコンサルに投げてお任せの企業はうまく事業が回っていかない気がします。大課長上がりの大部長の社長であれば、コンサルを入れればそれで自分の仕事が終わったと勘違いしてしまうのかもしれません。
逆に言えば、こうした重要な役割を内製化できないようでは、ろくな計画も立案できないし、事業を推進できるスキルをもった集団にはいつまで経ってもなれないと思います。最近は地方の行政の計画づくりにもそうした傾向が見られますし、先行きに不安を感じる若手の自治体職員の退職も目立ちます。
結局社長にとって代わる人材が育っていない企業(地方自治体も)に未来はないのではと考えます。
https://digital.asahi.com/articles/AST1P3V1BT1PULLI004M.html

これは外交でもディールでもない

きょうは米国大統領執務室での衝撃的な公開口論の映像が世界に流れました。
トランプやバンスが話し相手に人差し指を向けてまくし立てるさまは、およそ外交の場には似つかわしくなく、世界中で呆れてしまったかと思います。忠誠心の高さだけが売りの政権高官らが同じ部屋にいましたが、誰も止めようとはしません。
ですが、あまりのレベルの低さが面白過ぎて私自身何度も見入ってしまいました。プーチンもおそらくニヤつきながらこの映像を見たかと思います。
もともとトランプは不動産ディベロッパーですから、ウクライナの鉱物資源権益のことしか頭にありません。
平和構築のためにどう行動すべきか、外交について歴史から何も学んでいない人物が、世界に影響を与えていると知ると、面白がって笑っている場合でもないワケですが…。
https://www.youtube.com/watch?v=ZThLlfMvMRY

中2時代の2月26日の記憶から

きょうは2月26日だなという認識とともに、朝から中2のときのその日を思い出して、半世紀近く前のことなのに、われながら記憶力とはおもしろいものだと感じました。その日は、中学校の職員室内で金銭盗難事件が発生したとのことで、朝から警察が現場検証に入っていて、もちろん生徒は職員室周辺に立ち入るなという指示が出ていて、なんとも落ち着かない校内の雰囲気だったことを覚えています。当時生徒会長として昼休みや放課後の私の居場所であった生徒会室の行事予定表に、役員でもない同級生が事件発生を記録し、その後の捜査の経過を書き込んでいましたが、結局ホシを挙げるまでには至らなかったようです。ともかく歴史的に著名な「二・二六事件」と同じ日付に校内で発生した非日常的な出来事だったので、中学生たちはいたく興奮したのだろうと思います。
ついでながら生徒会活動の思い出としては、なんといっても全校生徒の民主的賛成決議を経てまとめた男子生徒の頭髪にかかわる校則改正案(丸刈り強制ではなく長髪選択を可とする)が、職員会議であっさり否決されて成立しなかったというのが最大です。大半の先生たちの否決理由というのが、長髪は中学生らしくないとかいう、くだらないものでした。学校教師の偽善ぶりを目の当たりにしたので、今となっては政治教育のいい経験だったと思います。強制的同姓から転換して選択的別姓を認めることを頑なに反対する大きなお世話の連中とまるで同じで、世の中の「わからんちん」の存在を、身をもって先生たちが可視化してくれたのかもしれません。
その中学校の職員室の新聞雑誌配架台には雑誌『世界』があって、そのバックナンバーが図書室にありました。私が印象に残る『世界』連載記事は、なんといってもT・K生の『韓国からの通信』でした。他には、ソルジェニーツィンの『収容所群島』に親しみました。民主化運動を弾圧する軍事政権下の韓国や収容所での強制労働が行われていたスターリン主義下のソ連とは当然比較にはなりませんが、中学生の人権なんて権威主義国家の国民と同じく軽いものだったことは否めません。
ほかに中学校時代の教師の発言として記憶に残るのは、同僚に対する蔭口です。当時は学校対抗の男性教職員のソフトボール大会があって、たまにその練習がグラウンドであっていました。映画評論については抜群であってもおよそスポーツが得意ではない国語の園村昌弘先生(退職後の1985年『スポーツという女-二本木仲之町界隈』出版)がおられて、園村先生はまったく練習に出てこられませんでした。そのことを指して実家の小川町の寺で住職を務める社会科教師が「あいつは一度も出てこない」と、生徒にも聞こえるような批判をたたいたことがあって、いけ好かないやつだなと感じた思い出が残っています。政治家はもちろん学校教師とか宗教家とかいう肩書だけで人を判断するなということが学べたと今では考えています。

猫の目に劣る

2月22日は「猫の日」です。その前日、1時間ほど役所内での学校や地域の関係者らからなる会合に参加しました。その会合の終わり方に、学校ボランティア代表の人物が、外国人の観光地におけるマナーを問題視する意見を場違いにも述べていました。確かに一部に観光公害もあるかもしれませんが、マナーが悪いのはすべて外国人と言わんばかりで、ヘイト思考を苦々しく感じました。
一方で、この会議中に次のような迷惑行為に遭遇しました。私の隣り席の小学校長上がりの人物が、一度ならず二度も腕時計から電子音を長々と鳴り響かせたのです。その都度、私が制止を求めるまで止めなかったものですから、これを無視しての外国人ヘイト発言が余計に一方的な偏見と感じました。
「猫の目が変わるように発言が変わる」などと、ふつうは「猫の目」の変化を否定的に捉えます。しかし、目の前のマナーが悪い日本人は見ないで、どこかの外国人観光客全体を嫌悪する自説を会議の場で披露する見苦しさに接して、人の目はつくづく見たいものだけ見ているものだなと思いました。猫に失礼だ、猫に謝れと、吾輩は呪っています。
写真はローマの「トレビの泉」(1990年12月撮影)。改修工事中のため張られたテントに観光客が投げ入れるコインを追い回して、猫たちが戯れていました。これがイタリア版「猫に小判」というやつ?