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生活福祉資金特例貸付等の支援制度

地元市の社会福祉協議会の評議員会に出席しました。その際に紹介があったのですが、社協が窓口となって新型コロナウイルス感染症による休業や失業等により一時的に収入が減少した世帯を対象にした生活福祉資金等特例貸付等の支援が実施されています。金額的には小口ですが、無利子で保証人も不要です。昨春から今年3月末までの受付となっていますが、本日までに熊本地震時並みの申請があっているということでした。

郵送対応について

一部都府県で緊急事態宣言となるなか、本県でも行政事務手続きが郵送対応となることが予定されています。たとえば建設業許可更新手続きが1月25日~3月31日の間は郵送でのみ受け付けとなり、窓口では受け付けてもらえなくなります。こうした動きは他にも広がるかと思います。

この一年の変容ぶり

一年前の今頃はまだ国内で新型コロナの感染者が確認されておらず、まだ対岸の火事という雰囲気でしたが、どこで発生しても不思議ではない感があります。とにかく密になる場所は避けていますが、医療介護現場など人と接する職場の苦労は並大抵ではないと思います。写真は昨年1月に訪れた東京国立博物館。

成人の日

本日は成人の日。今年は各自治体主催の式典が開催中止や延期となるなか、地元市では昨日開かれたようです。対象となる家族も出席予定でしたが帰省せず参加しませんでした。いろんな判断があったかと思いますが、地域の感染状況をふまえて感染対策が十分とられれば開催することはあり得たと思います。ともかく成人された皆さんはおめでとうございます。

健診申込

市から健診申込案内が届いていました。健康づくり市政に関連した委員を務めていますが、自身が通院する機会がないこともあり、健診をしばらく受けてませんでした。2021年度は節目の年でもあるので、申込だけしてみようと思います。過去何度かあるのですが、検査日と用事が重ならないことを期待します。

どう学ぶべきか

昨日の首相の記者会見を聴いていたら、核兵器禁止条約への日本政府の対応を質問していた記者がありました。答えは予想された通りの後ろ向きの内容でしたが、いい質問でした。コロナと同じく全人類に対する危機への向き合い方、つまりリーダーとしての資質をあぶりだすことに成功したと思いました。翻って権力を監視するジャーナリズムの資質も示されたと思います。
ところで、緊急事態宣言によって首都圏の大学では休校こそありませんが、対面での授業や課外活動が制限され、異常な大学生活がやがて1年間となります。実際、私の家族もその弊害を受けています。私が大学生当時だった1980年代前半は今よりももっと反核運動が盛んだった覚えがあります。大規模な集会や原子力空母の入港についての社会の関心も高かったと思います。関連する場所を訪れたり、冷戦時代の旧ソ連から日本へ留学していて交流したことのある大学生が米国へ亡命したこともありました。そういうナマの体験や議論の機会が減っている中で学ぶことの制約はいかがばかりかと思います。一方で、技術の進展はありましたが、人の考える能力というのは当時と今とでもそう変わりはないのではと思います。

遊休農地解消に向けて

昨日は今年最初の遊休農地の現地確認を行いました。道路に接せず水路に囲まれて浸水の恐れがあるため宅地転用には不向きの荒廃地でした。耕作できるように復元するのにも相当の手間がかかりそうですが、なんとか解消に向けてのマッチングに努力したいと思います。写真は昨日の投稿で触れた鼻ぐりです。

丑年の鼻ぐり見学

丑年生まれの家族を空港へ送る途中、菊陽町の鼻ぐり井手公園に数分立ち寄りました。ヨナが堆積しないように流水を工夫した構造はたいへん興味深いのですが、一方で水理を理解しない後世の役人によって破壊された痕跡も残されているわけで、善政と失政の両方の見本を学べる場所だと、いつも思わされます。

 

成長や美が必要か

先日NHKのEテレである学者が写真の本をお勧めしていました。今度読んでみようと思います。それにしても『胎児性水俣病患者たちはどう生きていくか』は、ずっと重いテーマをもたらしてくれました。時間をかけて考えていきたいと思います。反公害運動の中に潜む障害者を生んではならないという優生思想との指摘にははっとさせられました。成長や美を競うことを人はしがちですが、それらが必要なのかについても根本から考え直してみてもいいかもしれません。

何から手をつけるべきか

相変わらず『胎児性水俣病患者たちはどう生きていくか』を読んでいます。何度も記しますが、重たいテーマです。本書では、患者認定された胎児性患者の自立について問うていますが、同じ世代の患者であっても行政が認定しないために、司法認定を求めて今も裁判で闘っている人がいます。認定されても救いにはならないのですが、同時期に同じような生活歴がある人が認定もされず棄てられたままとなっている現実もあります。支援に順番をつけるのはできませんが、問題を提起し一人ひとりの尊厳を回復するには多くの力を必要とします。これは誰かがやらなければ永遠に棄てられる話です。

研究の動機

『胎児性水俣病患者たちはどう生きていくか』を読んでいます。考えてみれば胎児性水俣病患者の自立についての研究をして食べていけるか不安ではないかと思います。研究してもどこからか高い報酬が得られるとは限りませんし、ポストに恵まれるとも限りません。こうした書籍に触れるときに著者の研究の動機はなんだったのか気になります。

8500兆円

元旦の日本経済新聞1面トップ記事は、脱炭素の主役を目指して日米欧中で8500兆円動いているという景気のいい話でした。コロナに振り回された昨年ですが、脱炭素社会という観点では、いくらか排出ガスの削減効果があり、悪くはなかったともいえます。金額換算で良い悪いを判断するのではなく地球の生命を考えると、脱炭素は待ったなしに人類が取り組まなくてはならない課題です。

半世紀後は

来月久々に高校生向けの就職支援の仕事に携わります。彼らが定年退職の時期を迎えるのはおおよそ半世紀先になります。そのころの脱炭素社会のありようはどのようなものなのか。現在の大企業が確実に存在しているとは限りません。現在募集される職種の大半がなくなっている可能性は高いということもあります。その意味では何をもって就職が成功したとか失敗したとかいえるのかと思います。どのような会社に入りたいというよりもどのような社会に暮らしたいか、作っていきたいかを、本当は高校生に考えてもらいたいと思いますが、それを考える必要のない大人がテキストを作っているので、そこは難しいものがあります。

開催方法の工夫はある

来月の成人式が県内各地の自治体で中止が相次いでいます。私の地元では今のところ開催予定です。参加にあたりさまざまな対策を講じてその協力を求めています。県外からの帰省自粛が求められていますので、例年よりは参加者も少ないでしょうし、十分準備したうえでの開催はありえるのではないかと思います。

日常の優生思想

けさの地元紙で写真の本が紹介されていてさっそく注文しました。著者は学生時代に政治社会学者の栗原彬氏に師事したと記事中にあったのも決め手です。栗原氏の講義は、私も学生時代にモグリで聴講していましたので、懐かしく思ったせいもあります。さらに、記事には「先天性の障害のある胎児性患者に対して反公害運動がはらむ日常の優生思想を追及している」ともありました。これも気になりました。

私の3点

本日の朝日新聞読書欄には恒例の書評委員全員による各自が勧める3点の書籍が紹介されていました。残念ながら今年は1冊もこの中にある本を読んではいません。どちらかというと、書評委員が勧める書籍はそれぞれの分野の専門書であることが多く、価格も高めということもあります。限られた時間ですから、どの本を読むかという選択は重要になります。おすすめ本のエッセンスは、今後の委員の書評の中から読み取ろうと思います。ところで、私の3点は、特定の書名ではなく、今年関心を持った分野を挙げておきます。一つは、東アジアの歴史、二つめは国際人権法、三つめは、宗教と科学といったところだと思います。

来年限りの祝日の変更について

私が毎月出席している行政委員会の来年の会議日程が知らされました。その際に来年限りの祝日の変更についても案内を受けました。東京五輪の開閉式日程に合わせて、海の日、スポーツの日、山の3つの祝日が来年に限って移動します。本来の日は平日扱いとなるので要注意です。すでに入手されているカレンダーや手帳の記載は、法律改正前に印刷されたものだと思われますので、各自訂正しておかないと混乱するかと思います。さすがにネット上のカレンダーは改正内容が反映されていましたが、グーグルカレンダーだと本日現在でスポーツの日が以前の呼称の体育の日となっていました。なぜだかわかりませんが、いつ訂正されるか気になります。それと、もしも五輪自体の開催がなくなる場合はまったく間の抜けた祝日になることは確実です。写真は投稿とは関係ありません。

ブランド価値と使用価値

斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』は、たいへん新しい視座をもたらす刺激的な本でした。氏は、無限の経済成長を断念し、万人の繁栄と持続的可能性に重きを置くという自己抑制こそが、「自由の国」を拡張し、脱成長コミュニズムという未来を作り出すと主張しています。脱成長コミュニズムが世界を救うというわけです。そして、脱成長コミュニズムの柱として以下の4つを提唱しています。①使用価値経済への転換②労働時間の短縮③画一的な分業の廃止④生産過程の民主化がそうです。具体的にどういうことか、使用価値についていえば、高価格のSUVも低価格の軽自動車も人の移動手段として見るならば、大差がありません。違いはブランド価値であってそれが商品価格の違いにも大きく反映されます。消費者が考え方を変えれば、社会はかなり意味のない競争のために働いていることが多いことに気付きそうです。
同書では、エネルギーが無償の水力から移動が可能な石炭・石油といった化石資本に変わったことが、立場の弱い労働者を生み出したとの記述がありました。この部分で、水俣病の原因企業のチッソが九州各地の大型河川に水力発電設備を作り水俣まで送電してそれで化学肥料などを生産していたことを思い出しました。イギリスとは異なる日本型の資本主義形成の姿がそこにはあったと思います。