エッセー」カテゴリーアーカイブ

不都合な事実にほかならない

18日にミャンマーで日本人フリージャーナリストが、虚偽のニュースを広めた疑いで治安当局に逮捕されました。「国軍」と称する暴力集団が「国民」の生命を危険にさらしている事実のどこが虚偽なのか、まったく理解できません。不都合な事実という認識がある犯罪者たちにとっては、虚偽のニュースだと言い張りたいのでしょうが、その愚かさは全世界が知っています。

いつの間にか開業10周年

農地の現地確認に携わっていた先週の4月15日は、行政書士登録10周年にあたりました。今年そのことは意識していたのですが、当日はすっかり忘れていてけさ改めて実感しました。昨日は参加人数を限定して地元の認可地縁団体の総会が開かれ、議長として議事を進めさせてもらいました。日頃地元のさまざまな案件のアドバイスを行う機会があったのですが、本年度から団体の行政手続アドバイザーとして正式に顧問的立場でかかわることとなりました。所属する行政書士会の会員数が増えていますが、こうした足元の活動にかかわったみたらと思います。地域が抱える困りごとに対してうまく行政を動かしながら解決していくことは、案外楽しいものです。

監理人の負担が重い

4月16日、出入国管理法改正案が、衆議院で審議入りしました。今回の改正案は、国際的に批判されてている入管施設での長期収容を減らすために、国外退去処分の手続きが進められている外国人のうち、逃亡のおそれが低いなどの条件を満たす人は、退去するまでの間、施設に収容せず、親族などのもとで生活することを認める内容となっています。そのため、支援者や専門職に監理人に就いてもらうこととして、日本行政書士会連合会へ協力の申し入れがなされている旨の報道もありました。しかし、監理人は、対象者の生活状況、許可条件の遵守状況を監督し、その状況を国に届け出る義務を負います。これに反すれば罰則を科せられ得るとされ、大きな負担を強いる内容となっています。外国人を支援したい人に密告者(スパイ)になれと言っているようなもので、ずいぶんと人をバカにした法案です。この内容では弁護士は監理人には就任しがたいと、日弁連は反対の姿勢を示しています。いま一つの問題は、3回以上の難民認定申請者等について、原則として送還を停止する効力を解除することとしている点です。現在のミャンマー情勢を知る人なら容易に想像がつくと思いますが、ノン・ルフールマン原則(迫害を受けるおそれのある国への追放・送還を禁じる国際法上の原則)に反する恐れがあります。これにも日弁連は反対していますが、みすみす生命を失う危険に外国人をさらすことになりかねないわけで、法案の修正が求められます。

相互監視による自浄作用

昨夜放送のNHK・Eテレの番組「ズームバックオチアイ」が取り上げていた環境論に石牟礼道子さんの作品が紹介されると知って見ました。その作品のインパクトから生まれた環境運動についてはそうなのかもしれませんが、現代のSNS社会で生じる「相互監視による自浄作用」についての言明が印象に残りました。たとえばSDGsに反した企業活動を行っている企業の商品を買わないというのは大きな力です。環境汚染はつまるところ生命への危機、これは人権侵害にほかなりません。したがって環境汚染につながらなくても人権を侵害された労働者が製造している製品を利用した商品を売っている企業もなくしていかなくてはなりません。汚染水と処理水、廃水と排水のようにちょっとしたカムフラージュに国民は騙されやすいものです。相互監視といえば聞こえはよくありませんが、相互学習につながるものだと思えば効用に対する見方も変わります。
こうした用語の問題と伝統かどうかの問題もあります。婚姻カップルの氏のことを考える際も安易に「伝統」に依拠してはならないと思います。本当にそれは伝統なのか、守るべき価値があるのかどうかを、学問的に考える必要があると思います。そんなわけで、次に表紙写真の本を読む予定です。

処理水を飲んでみるとは言えないのか

東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出をめぐる、財務相と周辺国政府の発言に引き寄せられます。13日に財務相が「あの水飲んでもなんちゅうことはないそうですから」と海洋放出に問題はないとの認識を示したところ、翌日、中国外務省は「太平洋は日本の下水道ではない」「飲んでも問題ないと言うのであれば飲んでみてほしい」などと批判しました。これを受けて16日に財務相は「じゃあ(太平洋は)中国の下水道なのか。みんなの海じゃないのかね、と思うね」と答えていました。この点は応酬のように見えて海洋は人類共通の資産なので一国による勝手な汚染は許されないとの認識が示されていて、日中の違いはないとも受け取れます。ここは「飲んでみてほしい」という要望に応えて「飲んでみる」と言ってみる器量がほしいと思いました。ただ、先日の投稿にも示した通り責任ある立場の人物が本来飲んで見せるべき水を飲んでくれるとは限りません。国民をだましていないならその姿勢を2年後に示してほしいと思います。

遺言を遺す文化

遺言・遺言執行・死後事務委任等をめぐるWEB研修を受講した際に、講師の方が、日本では大まかにいえば死亡者の約1割が遺言書を作成していますが、英国では55歳以上の64%(英国弁護士会報告書、2014年10月)が遺言書を作成していると紹介していました。なんでも英国では、中世においては遺言を遺さずに死亡することは魂の救済を受けずに死亡することを意味し、聖地への埋葬ができず、財産を領主に没収されるという事態を招き得る、不名誉かつ忌むべき深刻な事態であるという伝統があるようです(『民事月報』2018年11月号)。英国流の考え方では、幸い私は昨年7月に自筆証書遺言書保管制度を利用しましたので、名誉ある死を迎えられそうだと思いました。
それはともかく先に亡くなる可能性の高い人はできるだけ遺された人へ迷惑はかけたくないものです。手間をかけずに相続ができることは、残された人の日常生活にとってどんなに楽なことかと思います。
一方、講師は付言において相続・遺贈を受けない利害関係者の感情を刺激する内容は厳に慎むようにクギを刺していました。遺言者の真意がどうであれ感情的な言葉は盛り込まないのが流儀ということになります。私の場合は、一切付言を入れませんでした。
遺言書に限らず先に逝く人は争いにならないように言葉は発したいものです。

飲んでもなんてことないそうですから

きのう政府は2年後をめどに、福島第一原発のトリチウムを含む処理水を海へ放出する方針を決定しました。財務相は会見で「科学的根拠に基づいて、なんで早めにやらないのか。よく私どもとしては、もうちょっと早くやったらと僕は思っていましたけど、いずれにしても(海洋放出)やられることになったんで、別に、あの水飲んでもなんてことないそうですから」と述べました。
それで思い出したのが、水銀を除去できないサイクレーター(浄化装置)の完成式で装置から出る廃水を飲んで見せたチッソ社長のサル芝居でした。1959年当時、水俣病の原因はチッソの工場廃水に含まれる水銀だと考えられていたので、チッソとしては水銀を除去して海洋放出していると見せかける必要がありました。しかし、完成したサイクレーターには水銀を触媒として使う工程での排水が入らない経路となっていました。完成式に出席した知事も後でだまされたと語っています。
チッソは創業者が電気工学の技術者であったことからももともと東京電力と同じく電力会社です。今も各地に水力発電所をもっていますが、その発電能力を利用して肥料成分である窒素を製造したので、電力会社から化学メーカーへ転換したわけです。
確かに原発の処理水をタンクでため続けることも電気使用者の負担になっていますが、安全な処理ができるのか、東電と政府関係者が飲料水に使ってみてくれないと信用できない気がします。

二分論

中国の指導者で周恩来は日米では評価が高い好人物として認識されています。1970年代に米中関係の基礎を共に築いたキッシンジャーは、周のことをスマートで思慮深い人物として回想録で書いています。日本にとっても周が唱えた戦争責任二分論によって日中戦争の戦争犯罪人の多くが死罪を免れました。連合国側の裁判の戦争犯罪人からは多くが極刑に処せられたのとは対照的です。1972年の日中共同声明においても中国側からの提案で「戦争賠償の請求を放棄すること」が宣言されました。台湾も以徳報怨の姿勢でいましたから、戦後処理においては大陸からも台湾からも恩恵を受けたことは否定できません。一方、中国内モンゴル自治区のモンゴル人からすれば、周は弾圧を加えた張本人ということになります。国内(漢民族)の対立による不満の矛先をモンゴル人に向けさせたと、『紅衛兵とモンゴル人大虐殺』の著者は指摘しています。まさに「夷狄」としてモンゴル人を扱っています。評価が二分されるわけです。専制国家の中で長らくナンバー2の位置に座るにはいろんな立ち振る舞いが要求されたと思います。歴史に登場する人物を見るときにいろんな側面から見る必要性を感じます。

部分的なつながり

インターネット配信で今年の東大入学式の映像を視聴しました。新総長がコロナ陽性に伴い、式辞は理事・副学長の一人が代読となっていました。聴いていて印象に残ったのは、教養学部長の式辞でした。多様性と同質性について考える内容でした。万物が同じであれば、万物は存在しないわけで、「東大生」という同質性に預かってしまっては、異質は見えてこないということだと思います。同時に「部分的なつながり」があるということは、時空を超えて「無関係」はないということです。科学技術に限らず、政治課題もそうですが、何事も関係がないということを知り、関心を寄せるということが、学問なのかなと思いました。

市庁舎起工

熊本地震で大きな損害を受けた宇土市役所の新しい庁舎の起工がようやく一昨日あったそうです。供用開始は2年後の5月ということですから、被災から実に7年もの間、不自由を強いられたということになります。大規模災害の影響が長期にわたることを実感させられます。前震のあった48時間前に震源地付近を車で通っただけにこの時期になるといろいろ当時のことを思い起こされます。

コロナ禍の街歩きの楽しみ方

表紙写真の本、江藤玲著『心とカラダが元気になる観音めぐり 巡礼・江戸三十三観音を行く』(総合法令出版、1300円+税、2010年)は、刊行当時に著者ご本人から紹介を受けていたのですが、実際手にしたのは10年以上も経ったつい昨日でした。私自身は、ご利益を求めて巡礼をする趣味はなく、仏像を観覧するとすれば、どうしても美術作品として眺めます。実をいうと、地元の県立美術館を初めて訪ねたのは、互いに大学生時代であった時の本書の著者と一緒でした。以来、国内外の美術館巡りが趣味となり、学芸員資格まで取得したきっかけを与えてくれた恩人でもあります。
さて、本書の内容ですが、観音そのものの種類や態様が意味するところの解説は、たいへん整理されていて理解するのに役立ちました。コロナ禍の今だからこそ心静かな時間を観音の前で過ごしてみるのはいいと思います。それと、本書に出てくる場所は、いずれも電車・バス・徒歩で気軽に行けます。遠距離の移動ではないので疲れることがないのがいいです。年齢を問わずに楽しめるのではないかと思いました。

機略を尽くせ

『キッシンジャー回想録 中国』を読み終えました。原書は10年前に書かれたものですが、提言は今も有効だと思いました。現代の指導者は実体験として対立の先にはどのような世界があるのかを知らないため、歴史的視点に立つ洞察力をもっているかどうかが重要です。少なくとも周囲にそうしたブレーンがいればいいのですが、気がかりです。米国の場合は、少なくとも8年に1回は政権が代わります。今回のように政党も変われば最初の9か月間は見習い期間だと、同書の著者は記していました。
以下に読書メモを示します。

中国の特異性
1.長い歴史を持つために、過去の出来事や教訓から物事を判断する。
2.自らを世界の中心であり卓越した存在と考える。
3.時間の観念が長く、長期戦略による相対的な優位を追求する。
4.西欧流の近代化は中国の文明や社会秩序を損なうと考える。
5.本能的に自立更生、自給自足の独自性を主張する。
6.侵入した異民族を中国化させるような文化力や忍耐力を持つ。
7.事物は流動的、相対的であり、矛盾や不均衡の存在は自然と考える。
8.完全な征服より調和を、直接的な勝利より心理的優位を狙う。
9.米国とは異なり自らの価値観を世界に広めようとはしない。

米中関係に求められるのは相互進化
両国ともに可能な領域では協力しながら自国の課題解決に取り組み、対立を最小限に抑えるように互いの関係を調整する。機略を尽くすのをやめ、衝突(あるいは対立)してしまえば世界はどこに行き着くのかにについて自問する必要がある。協議と相互尊重の責任がある。

表紙写真の本は、今度読む予定です。中国国内のモンゴル人に対する文化的ジェノサイドについても目を向けるべきだと思います。文革当時の中国は、文字の読み書きができない国民がかなりいましたが、現在は教育水準の高等化だけでなく、同化政策が進められています。

給付金の不正受給は詐欺罪

きのう熊本県内でも持続化給付金の不正受給で申請にかかわった人が3人逮捕されたという報道がありました。虚偽の内容の書類を作成して給付金を詐取したのですが、こうした事件の場合、どのような犯罪として裁かれるかというと、刑法の詐欺罪にあたります。詐欺罪の刑罰としては罰金はなく10年以下の懲役となりますから、実刑となれば即刑務所へということになります。文書の偽造の罪や士業違反に問われるだけと思ったら大間違いです。

受付処理中であることを確認

3月21日に熊本県のホームページより申請した事業継続・再開支援一時金の処理が進行中であることが、17日後の本日、追加提出書類の連絡があることで確認できました。申請はWEB画面から行うのですが、申請者のメールアドレスの入力が要求されず、受付確認の返信もありません。進行状態の確認も行えないため、申請者はひたすら待つことを要求される代物となっています。せめて標準処理期間の提示があってもよさそうなものですが、担当課も余裕がないのかなと思います。

三国志演義のようにいかない

昨日のJ3第4節でロアッソ熊本は勝ち点を増やせませんでした。対戦相手は今季参入した宮崎だったのですが、こうした初顔合わせのゲームを落とすイメージがあります。外交の現場では三国志演義のように「夷狄をもって、夷狄を抑え(以夷制夷)」、必要なら「夷狄に夷狄を攻撃させる(以夷攻夷)」策をとることができますが、スポーツのリーグ戦においては戦略的協力関係を築くことができません。今読んでいる『キッシンジャー回想録 中国』は米中の外交関係史であり、米中それぞれの外交手法の違いが理解でき、たいへん面白い現代版の三国志演義です。キッシンジャーの目を通じた毛沢東や周恩来、鄧小平の人物評価は、ヘタな歴史小説よりも迫力があります。

 

相手を知れ

「歴史総合」や「公共」などの新科目が2022年度の高校教科書に登場してくるのだそうです。国をまたぐ歴史や境界の問題は、日本の主張だけでなく相手方の主張も理解しなければ何が問題になっているのか、解決の方法はどこにあるのかが見えてきません。相手方の教育の在り方が自国中心であればなおさらです。相手の行動変容を促すにはどう考え動くべきか。教科書だけでなく教員の能力も気になります。新科目には「情報」もあるそうです。国際関係でいえば軍事的な力だけでなく人権や経済の面からも考える力が必要です。

うーばんぎゃーは嫌いではない

(一財)水俣病センター相思社発行の『ごんずい』(160号)の中で、ある東京生まれの方が親族も仕事のアテもなく水俣に住みつくことになったと、石牟礼道子さんに話したら、「それは、うばんぎゃあな話ですねえ」としみじみと言われたと書かれていました。久々に出合う言葉で懐かしく感じました。熊本弁の「うーばんぎゃー」には「おおざっぱだ」という意味があるとされていますが、けっして非難されるような「杜撰さ」ではなく、笑って許してもらえる愛される「緩さ」を伴った人柄の行為に評される言葉のような気がします。義侠心にかられて拙速に動く古い熊本の人々に多い気質を指しているともいえます。「うーばんぎゃー」が嫌いではない自分を感じた次第でした。

団員が消防車を出動できないなんて

当事者でないと知らないことが多いものですが、昨日の朝日新聞社会面では普通運転免許で運転できる車両総重量が2017年3月12日の取得者以降さらに少なくなったことから、同日以降に免許取得した消防団員は大方の消防車を運転できないことを取り上げていました。消防団を卒業した中高年層の人が持っている普通免許では8t未満なら運転できます。それが2007年6月2日以降の取得者から5t未満になり、その10年後には3.5t未満となったため、いわゆる2tトラックはここ4年の間に取得した人は運転できません。消防車の主流は4~7t程度になるため、火災が発生しても団員次第では現場へ向かえないということになります。これは、法律で適用除外にすることができないものでしょうか。訓練も行われることでしょうし、団員に限っては消防車を運転できると道を探ることはできそうです。たとえば、大型免許の取得は最も若くても21歳以上になりますが、自衛隊員に限っては18歳から取得ができます。自衛隊車両のトラックに限っては公道を運転できるのです。それこそ有事の際にトラックを出せないとなったら何のための自衛隊かということになりかねません。行政の知恵が問われています。

土地問題あれこれ

自衛隊基地の周辺や国境離島などの土地の規制を強化する法案が衆院に昨日提出されました。これは安全保障上の観点から外国資本等に土地を所有されたり建物を持たれたりするのを把握するためなのだと思います。ただし、攻撃対象の近くということであれば、原発施設周辺の土地もそうなりますし、取引をカムフラージュする方法はいくらでもあるでしょうから、良からぬ目的をもった土地利用者が真面目に届出するとは限りませんし、調査する側の能力も問われます。法律で縛ったから安全とはいかないような気がします。これとは別ですが、所有者不明土地の解消に向けた民事法制の見直しも進んでいます。たとえば、相続登記や住所変更登記の申請を法律上義務付けられることや相続した土地を国庫へ帰属できる制度を設けることなどが予定され、この法案も今月国会へ提出されています。これもそれによって土地が有効活用されればいいのですが、資産価値の低い土地の放置の解消がどの程度進むのかとも思います。所有者不明の土地はすべて国庫へ帰属させてそれを売っていくといった形の方が活用も促されて税収も上がると思います。