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ZOOM総会体験

全国規模で活動している団体の総会が今回は会場集合型ではなく会員自宅からのZOOMを利用した形での開催となり参加しました。事前に2回、接続テストや総会リハーサルが行われました。比較的年配の参加者が多いのですが、概ね問題なく参加できました。ZOOMの良さは、なんといっても参加者全員の顔が見えるので、人柄が伝わりやすい点があります。会場だとひな壇側からしか参加者の表情をうかがい知れません。自宅からの参加ですから鬱陶しいマスク着用もありません。感染防止ストレスがないのはいいと思いました。そして、全国規模であれば、別に東京一極集中で移動するコストもありませんから参加の機会が増えます。コロナが収まっても使えるのを実感しました。

東アジアと英国のかかわり

次に読む本のタイトル『悪党たちの大英帝国』は、おどろおどろしくいささか悪趣味ですが、歴史上言い得て妙なのは事実だと思います。香港や台湾問題の遠因は英国のかかわりを抜きには語れませんし、近代日本がアジア侵略に乗り出したのには、英国の手口を学んだ側面は否定できません。日露戦争については、英国に踊らされて有頂天になった側面もあります。植民地経営のやり方は英国をモデルにしたところもあります。大英帝国の礎を築いた権力者の実行力は是非を別にして並外れたものがあり、ヒール役として引き付けられるものがあります。

先生は信用しないのに限る

日本には国際人権条約でいうところの国内人権機関がありません。法務省の法務局には人権擁護の担当部署はありますが、啓発や相談が主で、あまり救済にはタッチしていないのが実情です。同部署と連携して市民からなる人権擁護委員がいますが、全国の多くの法務支局職員が片手間で人権擁護の係の仕事をしているように、ほんとうに助けが必要な人と接するのは、ごくまれです。それと、全国そうなのかどうかわかりませんが、委員同士あるいは職員から委員への呼びかけに際して、「先生」と呼ぶ習わしがあり、いつも気持ち悪く感じています。確かに教員出身の委員が多いのかもしれませんが、国際人権基準をよく理解していないのに「先生」とは、ずいぶん「先生」の値打ちは低いものだと思います。私だったら相談したいとは思わないし、信用できないなと思います。

日本をどうしたいのか

『元徴用工 和解への道』の中で触れられている作家・高村薫氏の言葉が、日本の戦後処理の不完全さをうまく説明していることを、投稿で触れました。17日の地元紙に載った共同通信配信記事と思われる同氏の新首相に対する評価コメントもうまく言い当てていると思いました。いわく「総裁選で強調したのも携帯電話料金を引き下げるという話。国の方針についてこんなに何も語らない新首相は初めてだ。」「日本をどうしたいのか、確固たる指針を自分の言葉で語るべきだ。」。
私も同感です。新首相がビザ要件を緩和したのがインバウンド観光の増加につながったと手柄話をしていたのを耳にしましたが、あんまりビザ要件の緩和の効果は感じていなかったので、あまり出入国管理については知識がないのではと思ったことがあります。外国人の入国・在留許可については、労働者や難民への対応がしばしば人権上問題あるので、ここの是正が重要課題だと思います。世界から信任される国として人権水準の向上を高らかに示すべきだと思います。近隣の東アジアの国・地域との向き合い方もどうしたいのかがはっきりしていません。憲法問題も挑戦したいという言い方をするあたりは、内容よりも仕事を進めたかどうかに関心がある、雇われ人感覚が受け取れます。法律やら歴史の勉強をしてきたようには見えない点でも確かに前内閣を継承しているなとは思います。

建設会社の格付けを知るには

昨日は所属団体の研修で主に建設業分野について学ぶことができました。私自身は日頃そうした分野の業務は取り扱っていませんので、仕事がとれる建設会社の理由がわかって納得でした。特に公共工事については、入札する際の参加資格として経営状況の実力度を計る評点が重要視されます。経営管理能力、技術力、財務力、福利厚生などが細かく点数で表されます。この評点は、それを分析する機関のサイトでも公開されています(許可番号で検索できる仕組みになっています)。今、元徴用工問題をめぐる本を読んでいますが、かつて日本の名だたる建設会社が徴用工を酷使していた歴史があります。働く建設労働者の人権を守れる会社にしか官民問わず工事は任せられません。評点公開により業界の人権水準が上がるなら大いに活用すべきだと思いました。

正確な物言いをしているかを監視する

『元徴用工 和解への道』を読んでいます。長年、元徴用工の支援を行ってきた弁護士の著作ということで、豊富な情報に裏付けられています。ただ、世間一般の理解度は、政府の言説のミスリードや報道人の勉強不足もあり、きわめて貧弱です。その理解が進まない限り、韓国や中国との関係はおかしなものになると思います。本書で2019年2月3日号の『サンデー毎日』に載った、作家の高村薫氏の指摘がわかりやすいので、紹介します。「日本政府は、戦後賠償問題においても、正確な物言いをしていない。(中略)日本は首相も外務大臣も、1965年の日韓請求権協定により戦後賠償問題は両国間で最終的に解決済み、と声高に繰り返している。あたかも韓国の司法が国際法を無視していると言わんばかりだが、一方的な暴言は日本のほうではないだろうか。」。
まず確認しなければならないのは、日本の政府も最高裁も個人の請求権は失われていないという見解ですが、それがあまり知られていません。1965年当時のレートで金1080億円相当の無償3億ドル供与の請求権協定も、金1080億円が一括支給されたのではなく、10年の期間にわたって分割の現物支給でした。その現物というのは、日本政府が国内企業から買い上げたプラントなどであり、むしろ日本企業のアジア進出への手助けの意味が強かったといわれています。

明るい選挙啓発書道作品に接して

小・中学生・高校生に明るい選挙に関するポスターや書道、標語作品を作成してもらい、選挙に関心を持ってもらうコンクールが毎年開かれています。地元市での作品推薦選考会に参加しました。初めての参加でしたが、応募作品数が多いのにまず驚きました。秀作ぞろいでどれも選外にするのが心苦しいばかりでした。全応募者に記念品が贈呈されるので、がっかりせずに、有権者となったおりには、ぜひ投票をしてほしいと思いました。

審議会行政で見落とされがちなこと

地方自治体が地域福祉計画を策定するにあたっては、住民の意見を募る機会が設定されます。来月、地元の地区座談会に出席する予定ですが、こういう場に出てくる住民代表となる人たちは、比較的自助や共助が盛んな地区の方が多くなり、本当に福祉の支援を要する地区の意見が反映されるのかという思いがあります。そもそもそうした想像力が行政を運営する側にあるのかという思いにかられます。行政の施策にはやはり住民の意見を反映したという正当性が問われますから、審議会的な場の提供には熱心です。しかし、ただその場を提供しても、どのような人が出てくるのか、ほんとうにその当事者といえる住民なのかは、よく考える必要があります。それでないと、やってます感行政に過ぎないことになります。現役世代が移り住んでこない老人ホームのような地区、支援する住民がいない地区が、細かく見ていくとコマ切れ状にあります。そうしたところからは、各種団体の長が出てこないので、長が住む地区とそうでない地区との格差は大きいものがあります。

オンラインの良さ

コロナ禍の教育のあり方として全国的にも注目を浴びた取り組みとして熊本市のオンライン授業がありました。それに対応できない家庭のフォローは大切ですが、登校にこだわらない教育の方法として評価すべきだと考えます。コロナ禍という状況がなくてもオンラインと集合型授業を組み合わせることで高い教育効果を上げることができるのではないでしょうか。それと今一つはオンラインでの授業コンテンツをオンデマンドで視聴できる環境を用意することで、ライブでは受講できなくても補習ができる、あるいは繰り返し視聴学習ができれば、なおいいと思います。教育だけでなくさまざまな事業でもZOOM活用が進んでいますが、特に全国規模の事業であれば、時間と交通のコスト削減になり、利用者にとってはたいへんありがたいものです。不要不急の移動が少なくなることは事故リスクや二酸化炭素排出の低減にもなります。

相互理解を深める

このところ読んでいた『現代東アジアの政治と社会』からはいろいろな知識を得ました。まず重要なのは、歴史認識です。これは言い換えれば、歴史を知るということです。自国の歴史を知り、周辺国・地域の歴史を知ることが非常に大切です。たとえば、戦後50年の1995年に出された村山談話の歴史認識は、中国が現在でも高く評価されており、日中の信頼関係の基礎になっています。しかし、1990年代半ばには日本の歴史教科書から従軍慰安婦の記述の削除を求める勢力の動きがありました。旧軍の不名誉な歴史を葬り去りたいのでしょうが、これは中国の歴史教科書で第2次天安門事件について記述しない中国共産党の意向に似ているものを感じます。まず自らそして相互に歴史を理解して東アジアにおける共生を図るべきだと思います。
次に大切なことは、人権です。米国のような黒人に対する白人による肌の色の違いからの人種差別は、東アジアでは顕著ではないかもしれませんが、同じ肌の色でありながら愚かしい民族差別・出身地差別が強い風潮は感じます。歴史的にも日本の場合は、旧植民地出身者に対する賠償について放置してきました。これも同様に中国では少数民族に対する同化政策という弾圧が続いています。人権侵害については、不干渉主義を強弁するのは誤りという認識を持つべきだと考えます。国や地域という枠組みを外して互いに人として尊重して交流することから力による対立がいかにばかげているかが自明のこととなると思います。

東アジアの人口問題

人口問題は、そこに暮らす人々の将来社会を左右する重要な要素です。『現代東アジアの政治と社会』に記載のデータから触れてみたいと思います。まず世界全体の人口は飛躍的に増加しています。1800年:約10億人→1930年:約20億人→1975年:約40億人→1999年:約60億人→2019年:約75億人→2030年予測:約86億人→2050年予測:約98億人→2050年予測:約98億人→2100年予測:約112億人という具合です。当然地球の生態系に深刻な影響を及ぼすと考えられます。地域別には、アフリカとアジアではインドとパキスタンが人口増加の中心になるとみられています。一方で、東アジアでは少子高齢化が進むと見られています。
日本は、2004年をピークに人口自然減少へ転じていて、人口構成で65歳以上の高齢者率が21%を超える超高齢社会となりました。東アジアでは、2022年過ぎに韓国、台湾、香港が、2030年前後には中国が超高齢社会に突入すると予測されています。生産年齢人口の増加率が人口増加率よりも高くなる、いわゆる人口ボーナスの状態であれば、自然と高度な経済成長が望めますが、この逆である人口オーナスの状態であれば、GDPは下がり、国民は貧困化し、高齢者に対する医療費と年金の負担が生産年齢人口を直撃することとなります。
東アジアでは非婚率の向上と晩婚化現象により少子化が加速していますが、それへの対策が貧困です。これには旧態依然とした家族主義から脱却できていない未成熟な社会という側面もあります。先進国は概ね少子化に悩んでいますが、フランスは「子どもは社会が育てる」という思想と支援による少子化対策が進んでおり、先進国の中では出生率が高いとされています。
もう一つ考えなければならないのが、格差問題です。特に教育の格差は社会的な格差につながります。東アジアにおいて日本の高等教育機関への進学率(2017年度大学短大進学率57.9%)は、台湾の約90%、韓国の約93%と比較すると低い位置にあります。台湾では仕事に就いている女性は90%超ですし、会社の幹部に昇進している数も多い特長があります。
これらのことを考えると、これから先、どういう社会を作っていくべきなのか、たいへん悩ましく思います。近隣の超高齢社会の国・地域でお互い覇権主義的行動をとるのはまずたいへん愚かしいといわざるを得ません。子育て負担を軽くしないことには生産人口の増加は望めません。そのためには保育に始まり高等教育まで含めた完全無償化を進めるしかありません。無駄な軍事的な力の負担を減らせば、それはすぐにでも可能ですし、教育の無償化は子どもの人権のためにも実現しなければならない、もともと国際基準です。

戦争賠償なき戦後処理の歴史について

今度は写真の本を読もうと思っています。
1980年代以降、中国や韓国、台湾は、目覚ましい経済成長を遂げました。ただし、民主化については、中国はないまま、韓国と台湾は達成したという違いがあります(特に1989年6月4日の第2次天安門事件にいたっては、中国の歴史教科書には記載されておらず、中国の若者には事件そのものを知らない人が多いといいます。)。日本にとっても東アジアの経済発展は、恩恵がありました。同時に、それらの国・地域との戦後処理についての歴史をよく知っておく必要があります。それを知ることで相手にどう接するべきかという考えも変わってくると思います。
まず、アジア・太平洋戦争に敗戦した当時の中国を代表していたのは、中華民国の蔣介石でした。連合国の一員である中華民国は戦勝国でしたが、蒋介石は、日本に対して戦争賠償請求権を行使すれば、日本国民が貧しくなり、結果共産主義がはびこり、日本が社会主義化する可能性があるとの判断をもっていました。戦後の日本が民主化し、経済発展することが日本の赤化を防ぎ、東アジアを安定させると考えていました。つまり、日本は中華民国に対して戦争賠償はしませんでした。しかし、台湾に移転した中華民国は日本統治時代の経済的、社会的基盤をそのまま引き継ぎ、さらに朝鮮戦争の勃発によって米国の安全保障の範疇に入り、経済援助を受けることで経済発展をすることができました。経済成長率は、1960年代が9.6%、1970年代が9.7%、1980年代が8.3%でした。今年亡くなった李登輝総統の時代には民主化を達成しました。
台湾の蒋介石の「以徳報怨」の姿勢は、現在の大陸側の中国の歴史認識である「戦争責任二分論」にも通じるもので、1972年の日中共同声明で宣言された「戦争賠償の請求を放棄すること」は、中国側の周恩来からの大幅な譲歩によるものでした。靖国神社にA級戦犯が合祀されたことが明らかになった1985年以降、中国が日本の閣僚が参拝することを問題視するのも、国交正常化の精神を日本側が踏みにじっていると考えられているからです。戦争賠償の要求を出さなかった借りをよく考える必要はあると思います。その点をもっとも考えていたのは、A級戦犯合祀が明らかになった後は、靖国への参拝を行わなくなった、昭和天皇だったと思います。
日本の敗戦まで植民地であった韓国については、初代大統領の李承晩が大韓民国臨時政府による対日宣戦布告を理由に戦勝国として戦争賠償金を認めるよう国際社会に働きかけたことがありましたが、これは認められなかったため、やはり日本は戦争賠償をしていません。韓国は、日韓基本条約による日本からの経済援助とベトナム戦争の特需によって経済発展し、最貧国(1960年代半ばの一人当たり国民所得は日本の5分の1)から脱却して北朝鮮を経済的に追い抜くことに成功しました。民主化も1980年代後半に進展しました。日本や米国が中華人民共和国との国交正常化に伴い、中華民国と断交する中で、韓国は1992年まで中華民国との国交を維持しました。この背景には、大韓民国臨時政府が孫文と蒋介石の保護の下で活動し、カイロ会談では朝鮮の独立を強く蒋介石が支持してくれたことへの恩義があったからだとされています。こうした関係も知っていて損はありません。

本日は自重生活

本日未明の6時間ほど台風10号の暴風域にありましたが、被害もなく離れていき、まずは安堵しました。とはいえ、月曜日ですが地域の社会生活は休業モードですので、きょう一日は自重して過ごすことになりそうです。県行政書士会の「なりわい再建支援補助金」の電話相談受付が本日から始まります。事務局は休みですが、相談員が転送で受け付けてくれるようです。

施設と設備の復旧整備で再建できるか

令和2年7月豪雨で被災した事業者の施設や設備の復旧整備を支援する「なりわい再建支援補助金」の申請が始まりました。私が所属する熊本県行政書士会では申請支援を行っています。同補助金の内容についての説明を昨日受けましたが、これを利用してもほんとうに再建ができるのか、経営者の立場で考えると、かなり悩ましいと思いました。店や工場の構えだけを整えても商品や製品についてはほぼ一からのスタートになります。後継者がいるならまだしも高齢の経営者なら廃業を考えるかもしれません。後継者がいても後の代に負担を残すぐらいなら事業を畳もうと思うかもしれません。安易な気持ちで申請の手伝いはできないと思いました。

占領期の歴史メモ

『現代東アジアの政治と社会』を読み進めると、アジア・太平洋戦争の敗戦から国際連合に加盟するまでの占領期、国際社会の外にいたときの日本の(特に東アジアの)周辺環境の変化の史実についてあまり学んでいなかったことを改めて思い知らされます。当時は多くの国民が内向きで自身の戦後復興が第一だったので、国民的記憶が薄いのもわかります。確か評論家の渡辺京二氏が故・石牟礼道子氏と思われる人物について彼女は朝鮮戦争があったことを知らなかったということをどこかで書いていたのを覚えています。
その朝鮮戦争、これは現在も休戦状態にあるわけですが、1950年の開戦後の日本には戦争特需景気が起きたことは事実です。国連軍が日本を基地として出兵し、その物資の調達をドルで支払ったため、日本には1953年までの戦争時期に都合11億ドルが流入し、日本経済の早期の回復を可能にしました。つい最近、新潟県某市の教育長が「コロナ禍を解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することではないか」と発言して辞任することになったという報道がありました。人の血が流れても経済優先という思いの至らなさは教育行政に携わる者として決定的に資質が欠落していますが、戦争の悲惨さに無自覚なおめでたい日本国民が案外多いのではとも思いました。
戦後日本が国際連合へ加盟するまでの東アジアの国際環境を知らないと、今日の枠組みの成り立ちも理解できませんし、相手に何を言えば反発を招き、どのような態度で接すれば理解や協力が得られるかもわかるはずです。本書から当時の姿をメモしてみます。
・1945年の国際連合成立時、中華民国は5大国の一つとして常任理事国入りを果たした。しかし、中国国内は、国民政府支配区、中国共産党の革命根拠地、親日政権支配区、日本の占領区に分かれ、複合国家の様相を呈していた。華北などの親日政権区もしくは東北部では日本軍の武器や戦略物資の接収で国共は激しい攻防戦を展開していた。米ソも戦後間もない中国に介入することで東アジアの勢力図を自らに有利に再構築しようとした。1949年の中国の分断化は、どちらの中国が正当であるか、どちらを承認するかという問題を国際社会に提起した。中華民国政府は、1949年、南京から広州、重慶、一部が台湾へ移動を開始した。米国は、国民政府は腐敗による経済破綻で自壊したと断定して中国国民党とこの時点で決別した。その年の中華人民共和国の成立にあたってソ連はただちに承認し、米国は不承認とした。中華民国政府は重慶から成都へ移転し、台北へ遷都した。なお、国民政府は故宮博物院の宝物を中国の正統政府の「一つのシンボル」と考え、1931年から南京、上海などへの移送を開始して、1949年半ばまでに台北へ移送を終えている。そのため、早い時期から台湾への移転を計画していたといえる。1947年には台北市民が国民党政府の警察・憲兵隊によって武力鎮圧される、いわゆる二・二八事件が起きている。
※国共内戦において共産党が戦いを有利に進めた理由の一つとして日本軍から接収した武器の存在を指摘する歴史家もいる。蔣介石が抗日戦後直後の日本および日本人へアピールした「以徳報怨」(戦争責任及び敵を軍閥のみに限定し、日本人民を敵とせず)の演説や中国の軍艦による日本軍捕虜・民間人200万人帰還事業の実行については、現在あまり知られていない。また、抗日戦争中に蔣介石朝鮮臨時政府の指導者たちを保護して朝鮮独立を支援していたことも現在はあまり知られていない。
・カイロ会談以前から蔣介石(中華民国)とチャーチル(英国)の香港回収をめぐる確執があった。一方、毛沢東は、外モンゴル(1945年独立)・新疆問題や香港問題(英国による再占領・防衛)・チベット問題を「副次的」問題として、英国とソ連との関係を優先し、内戦を有利に戦う戦略をとっていた。1950年頭に英国は中華人民共和国を承認する協議に入ったため、中華民国は英国との断交を決定した。
※戦時中に毛沢東が進めた減租運動や整風運動は中国共産党に対して清廉な印象を国内外に与えることに成功した。蔣介石と国民党は独裁者とファシスト党という共産党によるネガティブ・キャンペーンに悩まされていた。英国が香港の返還先を台湾にしなかったのは、チャーチルと蔣介石との確執があったためである。蒋介石の「中華の回復」を実現するという「夢」は当時の大国の論理の前でもろくも消え去ったが、今日の中国共産党が引き継いでいるともいえる。
※1943年のカイロ宣言は、東アジアの戦後の国際関係を決定づけるものになったが、会談での英中の対立により、中国はその後戦後構想から疎外される場面が多く見られた。1943年のテヘラン会談、1944年のダンバートン・オークス会議(ワシントン郊外)、1945年のヤルタ密約はいずれも英(チャーチル)・米(ルーズヴェルト)・ソ(スターリン)の三者だけで戦後構想は決定された。ヤルタ密約の内容は中国の主権にかかわるものが多いが、それが中国に知らされたのは1カ月以上も経ってからであった。
・1950年頭時点では、米国は台湾問題には不介入宣言をしていたが、朝鮮戦争勃発後にはそれを破棄し、中立化宣言を出し、台湾防衛の姿勢を示した。蒋介石も朝鮮戦争の戦場へ陸軍精鋭部隊33000人派遣を表明した。
・1951年のサンフランシスコ平和条約で戦後処理を済ませたことが日本の国際社会への復帰の節目とされている。サンフランシスコ講和会議には対日参戦をした55か国のうちの51か国が参加し、中国・インド・ビルマ(ミャンマー)・ユーゴスラビアの4か国が不参加であった。日本と参加国中48か国の間で条約が締結されたが、ソ連・ポーランド・チェコの3か国は調印を拒否した。調印と同じ日に日米安全保障条約も締結された。サンフランシスコ平和条約が発効した1952年で連合国による日本占領は終了することとなった。1952年に自衛隊ができ、1954年に米国とMSA協定(日本国と米国との間の相互防衛援助協定)が締結された。
※1951年の時点では、中華人民共和国と中華民国のどちらの政府と日本は戦後処理を行うかという課題が残された。講和会議には対立を避けるためどちらの政府も招聘しないことを米国が決定していた。会議の前年、英国(アトリー政権)とソ連は中華人民共和国を参加させるよう主張していた。
・戦後の日中関係のスタートとなった1952年の「日華平和条約」締結時、米国追随の外交路線を選択せざるを得なかった日本は、中華人民共和国との国家間関係の樹立を断念するしかなかった。そこで、国交がないながらも、人民共和国との貿易に強い関心を抱き、人的交流と民間貿易を再開させる道を模索した。国共内戦末期の1949年、日本は人民共和国との間に「中日貿易促進会」、「中日貿易促進議員連盟」、「中日貿易協会」が成立した。1950年、「日本中国友好協会」が発足した。しかし、これら4団体の活動は朝鮮戦争勃発後GHQによって弾圧を受けるようになり、「日華平和条約」締結後はさらに厳しい監視下におかれるようになった。「友好協会」は『人民日報』を香港経由で輸入していたが、その活動が「占領を誹謗する文書配布による占領目的阻害」の罪に問われて逮捕者まで出した。
※三権分立がない現代の香港における中国中央政府の存在は、占領期日本におけるGHQの存在と重ね合わせることができて興味深い。
・中華人民共和国は成立当初、社会主義ではなく新民主主義、連合政府論を反映した国家建設を行った。社会主義移行へは長ければ15年から20年かかると指導者は考えていた。1949年に決定した臨時憲法による連合政府の最高権力機関の人事では、共産党44%、各民主諸党派30%、労働者農民各界無党派26%から構成された。
・毛沢東は抗日期にはソ連の「民族自治」政策に倣い、連邦制を模索したが、建国後は内モンゴル、新疆、チベットを「中華民族の自治区」とする政策をとった。1951年春には台湾を攻略し、国家統一を完成させる計画を立てていたが、その計画を中止させたのは朝鮮戦争であったし、計画よりも早く社会主義への道を選択せざるを得なくなった。共産党一党による指導体制の確立が加速していくのは1953年からである。1954年憲法で民主諸党派は共産党の領導下に組み入れられ「野党」ではなく「疑似政党」となっていった。
※朝鮮戦争が起こらなければ、大陸による台湾の「解放」という名の統一は早期になされていたかもしれない。1950年に40万の中国人民志願軍が出兵し、朝鮮戦争では米軍との交戦があった。台湾海峡に米第七艦隊が停泊していた。
・日本が国際連合へ加盟したのは1956年。それまではソ連が拒否権を発動していた。

貶めるとはどういうことか

本日(9月2日)の地元紙文化面に『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』の紹介記事が載っていました。共同通信による配信記事と思われますが、この記事の最後の方で、最初に「朝日新聞を糺す国民会議」による提訴があった際に原告団が開いた記者会見において、ある外国人記者が行った質問が紹介されていました。それは、「私の理解では、朝日新聞の報道のほうが国際社会でポジティブ(肯定的)に受け入れられている。「朝日新聞の報道が日本の評判を貶めた」というみなさんのメッセージのほうが、国際社会がネガティブ(否定的)に受けとめているが、それはなぜだと思うか。」(p.190)の部分からの引用でした。
この質問に対して原告側は「ここに来ているアメリカ、ヨーロッパの記者の方も、日本についてまったく無知で不勉強です。」と、無礼な返答をしたほか、「日本人は野蛮でも残酷でもない。女性を不当に扱っているわけでもない。(中略)実際の日本人の家庭をコントロールしているのはむしろ奥様である。女性である。そういった独特の文化を持っている国であります。」と、戦時の慰安婦の人権侵害にはまったく思慮を欠いて、原告の家庭生活における女性の地位の話にすり替えたりしていました。そのため、「外国人記者らの中には不快な表情を見せ、「聞いていられない」とばかりに耳をふさいだり、手を振ったりする格好をしながら退席する人もいた。」(p.192)そうです。この記者会見のやりとりについて知るだけでも、日本国と日本国民を貶めているのは一体どちらであるかが容易にわかると思います。
先の外国人記者の質問の前に、筆頭原告の口から「私はやはり国連の人権問題のところに行って、朝日の社長が腹をかっぱさいてですね」という発言もありましたが、国際社会の人権基準では朝日新聞の報道や女性の出身地に関わりなく慰安婦制度があったこと自体がアウトなわけで、あまりにも不見識な人たちから裁判が起こされていたことがわかります。

民意の指標

『現代東アジアの政治と社会』の中に、日本における選挙権の広がりのデータが載っていましたので、興味をいだきました。言い換えれば、この国における物を言ってもいいとされた国民の資格の歴史です。過半数を超えるようになったのは、戦後のことということがよくわかります。ただし、現在においても実際に国政選挙が行われたときの投票率からいえば、国民の半数以上が政治に白紙委任状態になっていて、属性の違いはありますが、政治的市民の意思の反映は戦前並みなのかもしれません。
(施行年/条件(直接国税)/性別/人口比/備考)
1889年(M22)/15円以上/男25歳以上/1.1%/制限選挙
1900年(M33)/10円以上/男25歳以上/2.2%/制限選挙
1919年(T8)/3円以上/男25歳以上/5.5%/制限選挙
1925年(T14)/制限なし/男25歳以上/20.8%/男子のみ普通選挙
1946年(S21)/制限なし/男女20歳以上/48.7%/男女平等の普通選挙
2016年(H28)/制限なし/男女18歳以上/83.3%/男女平等の普通選挙