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『戸籍と国籍の近現代史』読書メモ

遠藤正敬著『新版 戸籍の国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店、3800円+税、2023年)の帯には、「〈日本的差別〉の深層構造」とありますが、まさしくそれを理解するには極めて重要な書籍だと思います。米国社会やインド社会における差別の構造を考察するには、イザベル・ウィルカーソン著の『カースト』(岩波書店、3800円+税、2022年)を推奨しますが、いずれも値段的に4000円を超える書籍ですので、実際に手に取る読者は少ないかもしれません。このように優れた研究成果に触れる機会が多くないことは実に惜しいものです。これを補う役割がジャーナリストには必要なのですが、そうした人材も稀少になっているように思います。
さて、近代日本の戸籍とは、どのようなものなのでしょうか。冒頭の遠藤本の終章では、「必ず一つの家=戸籍に属し、家名としての氏をもつという「日本人」の定型ができあがったのである。それは、戸籍に載らなければ「国民」にあらず、という道徳的規範を醸成し、戸籍への自発的服従を引き出す力を発した。こうした「日本人」の定型のなかに職業、家族関係、風習、価値観なども多様な人々が押し込まれ、「臣民」へと画一化された。」(p.330)とあります。そして「「家族」の純血性と一体性を保持してこそ「正統」となるという家の統合原理は、「日本人」の法的資格を決定する国籍法においても貫かれた。」(p.332)として、戸籍と国籍の主従関係を指摘しています。しかし、戸籍の証明する「血統」とは、単に戸籍を同じくするだけの記号的な「日本人」の系譜としての意味にほかならず、それは信仰に近いものだと著者は見ています。じっさい、個人の市民権を保障する世界基準の趨勢は、国籍から定住地、国民から住民を重視へ移行しているので、戸籍制度は合わなくなってきています。
それと、生物学的な親子関係(父A・母B・子C)は認められながら、法律上の親子関係(母A・母B・子C)は認められないという矛盾例も発生しています。
・女性A(2018年、戸籍上の性別を男性から変更)
・Aのパートナー女性B(Aが男性であったときに凍結保存しておいた精子提供で妊娠)
・子C(2020年、Bが出産)
なお、AB間にはAの性別変更前に生まれた子Dもおり、Dの戸籍上の父はAと控訴審で認められています。

東アジアの平和に影響を及ぼす3人

次に手にする予定の本は、大澤傑著『「個人化」する権威主義体制 侵攻決断と体制変動の条件』(明石書店、2500円+税、2023年)。世界が、とりわけ東アジアでもその思考が気になる3人について考察された著作です。この3人にどう向き合うのか、考えてみたいと思います。

どういう了見なのか

昨日(9月22日)の宇土市議会において、国に核兵器禁止条約批准を求める請願は賛成少数で不採択となったと、けさの地元紙が報じていました。請願者がどのような関係者であったか、さらには請願内容や賛否別の議員氏名については、詳細をまだ確認していませんので、今後それらの情報収集をしたいと思います。
現在地方議会における同意見書決議の状況は、原水協のサイトに載っており、9月19日現在、全国で664自治体議会が採択しています(熊本県内では上天草市、菊池市、玉名市、小国町、長洲町、錦町、苓北町の7議会)。このサイトでは請願例文・意見書例文もダウンロードできます。関連して触れると、非核宣言自治体は全国の9割、熊本県内の全市町村となっています。
ここで簡単に日本の原水爆禁止運動団体の歴史を振り返ると、1954年の第五福竜丸乗組員が「死の灰」を浴びたビキニ事件に始まります。翌年原水協が設立されますが、安保改定やソ連の核実験再開をめぐる対立を経て、1965年段階では保守系の核禁会議、共産党系の原水協、社会党系の原水禁に分裂しています。原水協と原水禁は1977~1985年の間、再統一しますが、再び分裂して現在に至っています。原水協の役員には共産党系の人が多いのは事実で、日本の原水爆禁止運動に党派性が持ち込まれた歴史は否めません。なお、原水協は2017年にノーベル平和賞を受けたICANにも加盟していません。それと、現在の原水禁のサイトを見ると、反原発のキャンペーンの方が目立つように感じます。
冒頭に戻って、仮に原水協系の請願だったとしてですが、その意見書案はICANの理念と合うものであり、よほどの屁理屈をこねない限り反対の理由は見当たらないと考えます。いったいどういう了見なのか反対議員に説明能力があるのか、追及したいものです。

競争的選挙は民主主義の基本

アダム・プシェヴォスキ著『民主主義の危機 比較分析が示す変容』(白水社、2400円+税、2023年)の第一章イントロダクションションのp.14において以下の記載があります。「ギンズバーグとヒュクのいう三つの「民主主義の基本的な述語」なるものは、競争的選挙、表現や結社の自由の権利、法の支配から成り立っている。この三位一体を民主主義の定義とすれば、民主主義が危機にあるかを見極めるための便利なチェックリストを入手できる。すなわち、選挙が非競争的か、権利が侵害されているか、法の支配が崩壊しているか、というものだ」。つまり、競争的選挙は民主主義の定義の筆頭に挙げられる基本ということになります。現代においてロシアや中国では選挙による権力交代はありませんので、民主主義が機能していないと言えます。しかし、完全な比例代表選挙が行われていても、ナチスに政権を与えるまでに至った歴史もあります。どういう道をたどってそれに至ったかは、同書を手に取ってみると理解できると思います。
さて、9月26日に任期満了を迎える市選挙管理委員としての実質的に最後の職務となる主権者教育に本日は立ち会いました。小学6年生を対象にした模擬選挙の出前授業において投票所の受付・選挙人名簿対照係を務めました。模擬選挙とはいってもかなり本格的で、候補者の選挙演説動画や選挙公報を児童に見てもらって自身の投票行動を決定してもらいます。実際の選挙で使われている記入台や投票箱を用いて投票を行ってもらい、開票結果の発表まであります。真剣にワークシートに取り組んでいるのがたいへん頼もしく感じました。
架空の十八ヶ丘市の市長選挙では、人口減少対策が争点となり、3人の候補が政策を訴えました。私は起業・雇用・進学支援を訴えた候補が課題解決に効果的に思えて当選を期待したのですが、児童たちの支持を集めたのは子育て支援を訴えた候補でした。給食無償化など児童虐待の中でも経済的ネグレクトの解消に期待する声が多く聞かれました。世代的には少数ですが、模擬投票では94.53%と極めて高い投票率でしたので、選挙権が得られる年齢になって実際に投票を行えば、選挙結果を大きく変えることになります。その力を感じ取ってもらえたのなら嬉しい限りの経験でした。

平和工学者のための十戒

クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社、3400円+税、2023年)より「平和工学者のための十戒」を引用します。
これを紹介したからと言って大方の人は何のことか分からないと思います。ですが、著者はこの原則はどんな分野にも適用できると述べています。実際にはこの原則以外にも規則が記されたマニュアルが必要になりますし、複雑で変化する状況に規則を適用させる判例的な思索の集成も必要にはなります。ただし、本書を読むとやはり思い当たることは多いので、これは役に立つとは思いました。気になった方はやはり読んでみないと伝わらないということにほかなりません。
1.容易な問題と厄介な問題を見分けなさい
2.壮大な構想やベストプラクティスを崇拝してはならない
3.すべての政策決定が政治的であることを忘れてはならない
4.「限界」を重視しなさい
5.目指す道を見つけるためには、多くの道を探索しなければならない
6.失敗を喜んで受け入れなさい
7.忍耐強くありなさい
8.合理的な目標を立てなければいけない
9.説明責任を負わなければならない
10.「限界」を見つけなさい

魚の食べ過ぎは体に悪い

東京電力福島第一原発の処理水海洋放出が始まって1週間が経ちました。中国が日本の海産物の全面禁輸に踏み切ったことにより、水産業界にも影響が出始めています。首相は東京の豊洲市場を視察してタコを食べるパフォーマンスをしたうえで、業界関係者へ販路拡大などの支援策を説明したことが報道されていました。
ですが、最大の輸出先は中国であり、大半を占めています。鮮度が求められる海産物の輸出先として中国に代わる近隣の人口大国はありません。中国以外の輸出国が拡大したとしても到底現状を超える望みはありません。国内消費の拡大もしかりです。人口減少傾向にある日本国民が急に海産物の食事を増やすことが期待できるでしょうか。ましてや日本の子どもたちをダシにして学校給食材で海産物を増やすなど過剰反応に走るのも心配です。
現実的な解決方法は、依怙地にならず海洋放出を止めれば済む話です。海洋放出を続ければ続けるほど、貿易赤字は増え、水産業界を始めほかの業界も損を被るだけですし、それらの業界の支援に必要な費用がかかります。中国政府は禁輸を続けても何も困らないですが、苦しむのは日本国民であり、新たな支援や賠償の責任が生まれる日本政府や東京電力です。
それと、国内消費の拡大が推奨されるとなると、放射能よりも魚介類に含まれる水銀の摂取の方が心配になってきます。厚生労働省のホームページには、現在においても「水銀に関する近年の研究報告において、低濃度の水銀摂取が胎児に影響を与える可能性を懸念する報告がなされていることを踏まえ、妊娠中の魚介類の摂食について以下の注意事項を公表しているところです。」との記載があり、「妊婦への魚介類の摂取と水銀に関する注意事項及びQ&A」の情報を出しています。
水俣病関係の書籍で読んだ記憶がありますが、水俣病患者が多数発生した不知火海沿岸住民よりも県外の日頃マグロを口にする機会が多い寿司職人の方が、毛髪に含まれる水銀濃度が高いという調査結果があったかと思います。
11年前に環境省の国立水俣病総合研究センターの主任研究企画官から「水銀と健康について」というテーマで話を聴く機会もありました。そのときの聴講メモもついでに載せておきます。うがった見方をすると、中国の禁輸措置は福島よりも水銀リスク回避のためかもしれません(本稿最終行参照)。
・国水研では「水銀分析マニュアル」を開発している。RI機器も使われている。
・毛髪水銀量の分析は無料で受け付けている。
・体内に取り込まれた水銀は約70日で半減するので、魚の摂取頻度が少なくなれば、毛髪水銀量(ほとんどがメチル水銀)も減る。
・金属水銀による健康への影響として、小規模金採掘の現場での水銀使用が問題になっている。金と水銀のアマルガムを作り、熱して水銀を蒸発させて金を取り出すときに、採掘労働者が水銀の蒸気を吸ってしまう危険にさらされている。
・中国における石炭燃焼から出る水銀が大気に含まれ偏西風にのって日本に飛来している。特に冬は濃度が高くなっている。
・食物連鎖によるメチル水銀濃度が高い魚として、サケ、イカ、マグロがある。クジラも高い。マグロの消費量が高い東日本、捕鯨出港地の住民の毛髪水銀量は、平均より高い。

交渉相手の頭の中を知れ

文化的背景が異なる相手と交渉するのは難しいものです。相手が気分を害することがあれば、それは言語の行き違いよりも何か歴史的な虎の尾を踏んでしまったことによるかもしれません。たとえば、先進国とか開発途上国とかいっても、何百年・何千年前となるとまったくその立ち位置が違うことがあります。
こういうときにこそ歴史の知識が役立ちます。最近目にしたいくつかの資料を示してみます。まず「東アジア年表」。これは図録『憧れの東洋陶磁』のp.114に載っています。日本では素焼きの土器しかなかった古墳時代の頃、中国や韓国においては高温焼成による硬質な製品が生産されていました。中国の王朝の歴史を振り返ると、漢族と北方遊牧民との対立と融合の歴史であり、統一王朝時代と分裂時代の繰り返しでもありました。それについては、松下憲一著の『中華を生んだ遊牧民』から「中国史の略年表:地域別・諸勢力別」(p.11)と「北魏皇帝表」(p.79)を載せてみました。中国において北魏王朝が成立した時期も日本の古墳時代とかさなりますが、すでに皇帝を擁するだけの政治体制が確立していたことを改めて感じますし、皇帝廃位の理由のほとんどが殺害であったという権力闘争の苛烈さに驚かされます。
現在の中国の絶対的な権力者は、ご承知の通り習近平氏です。彼が口にする中華民族は漢族だけのようにしか思えませんが、中国王朝の半分は異民族王朝が支配したように北方遊牧民を含むさまざまな民族の子孫から中国は成り立っており、権力に対する執着はまさに命がけだと思います。その点、日本の政治家は柔ですから、場当たり的なメンツを守ることに気がとられて実を失うことが多いように感じます。習氏が「皇帝」の地位を保つためには足元からの不平不満を解消させるしかありません。これは足元のガス抜きにつながる動きなのかどうかという見極めをしっかり行うことが大切で、日本側が過剰反応して自分の首を絞める必要はないと思います。

ついでにこれも書いておきます。
「処理水」の陸上保管を続けた方が、東京電力にとっても日本経済全体にとってもお得なのでは?
海洋放出が陸上保管より20分の1も安いと考えた小賢しさが、国益を失う結果に…。
東電も陸上保管費用を上回る新たな賠償リスクがかかってくる可能性が大きく、科学的に安全とか言って、海洋放出にこだわるのはまったくもってバカらしい。
中国に反発されて感情的になってしまい、長期的な損得勘定が合わなくなっていませんか?
逸失する中国+香港向け水産物輸出年額1626億円×?年 > 東電が新たに組んだ賠償基金800億円(1年分でさえカバーできず) > 向こう30年のタンク建設費用374億円 > 向こう30年希釈して海洋放出の費用18億円

経済人による社会科学的な知見も必要だ

あまり触れたくはないのですが、J2ロアッソ熊本が勝てません。前節は順位が20位まで下がりJ3降格圏寸前の位置にいます。こういうときは、良からぬ感情を鎮めるのに限ります。幸い先日鑑賞した「憧れの東洋陶磁」展の図録(大阪市立東洋陶磁美術館・九州国立博物館共同編集)が手元にあり、眺めているとずいぶん落ち着きました。この図録は展示品の写真と解説もさることながら、東洋陶磁全般の歴史、技法についても学ぶことができますし、コレクション充実に至った経緯を知ることもできます。大阪市立東洋陶磁美術館の収蔵品の目玉は安宅コレクションであるのはよく知られていますが、故安宅氏に限らず昔は優れたコレクターであり経済人としても秀でた人物がいて、今日の鑑賞者はその恩恵に与っています。
経済人の誰もが優れたコレクターになれるわけではありませんが、少なくとも経済人として平和をもたらす術について貢献できる可能性はあります。最近読んだ、クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社、3400円+税、2023年)においては、宗教的対立による紛争が起こりづらい都市の特徴として商業による相互依存の例を挙げていました。たとえば、ネパールの南に接するインドのアヨーディヤーという都市では1992年、ヒンドゥー教徒の暴徒がイスラム教徒に襲いかかる宗教的な暴動が起き、イスラム教徒を中心に2000人が死亡したと推計されています。しかし、同じ年に、あるいはほかの年でも、宗教的な暴動が起きなかった都市があります。インド西部の沿岸部に位置するソームナートという都市では、中世以来何百年もイスラム教徒とヒンドゥー教徒は社会的に統合され、経済的に相互依存しています。ヒンドゥー教徒が、インド洋全体とつながりがあるイスラム教徒の貿易商人に都市に定住するよう促し、そのために土地まで提供して、巨大な織物市場が生まれました。彼らは、長い間、診療所を共有し、宗教間の協力団体を作り、宗教を問わず災害や貧困に苦しむ人々を救済する組織を運営してきました。一緒にジョイントベンチャーを起ち上げたり、一方が商品を製造し、もう一方がそれを輸出したりするといった、相補的な経済活動を行ってきました。
商業が平和を促進することについては、古来さまざまな思想家も指摘していると、上記書では紹介しています。「商業は、最も破壊的な偏見に対する治療薬である」(モンテスキュー)、「(国際貿易は)戦争のシステムを根絶する」(トマス・ペイン)、「(商業は)戦争に対抗する自然な力である個人的利益を強化し、増大させることで、戦争を時代遅れにする」(ジョン・スチュワート・ミル)。宗教的対立だけでなく国家間にも言える論理となります。
経済的交流が盛んであれば必然的に人や文化といった社会的交流も促進します。今回の福島第一原発の大量希釈汚染水の海洋放出問題に関しても、政治的感情や科学的安全性論にこだわりすぎて双方が経済的損失を出すだけになっています。陸上保管を続けた方が結果的に国益になるということを冷静に考えたがいいのではないかと思います。
写真は上海市内(1997年撮影)。

海洋放出の損得勘定は?

東京電力福島第一原子力発電所から出る汚染水を大量希釈したALPS処理水を海へ排水することが問題になっています。これによって水産業界において対中輸出ができなくなる影響が出ています。
この一連の流れの損得勘定はどうなっているのか気になりましたので、いろいろデータを見てみました。
まず、日本から中国への2022年のJETRO発表の輸出額ですが、1848億3070万ドル(為替レート131.46円/ドル)となっています。品目別内訳では、ほとんどが工業製品(電気機器:構成比27.2%、製造用機器・機械類:同20.0%、自動車・部品:8.4%、光学機器等:7.5%)となっており、水産物を含む食品は1%にも達していません。中国からの日本への同年の輸入額は1,887億673万ドルで、そこでは水産物を含む加工食品が構成比1.3%となっています。エネルギーや貿易全体の政策を所管する経済産業省にとっては、水産物の輸出の重みは小さいことがうかがえます。
農水省の統計では、2022年の中国向け水産物の輸出額は871億円、香港向けが同755億円となっています。
ところが、中国へ輸出する水産食品関連企業727社の売上高に占める中国向け輸出の割合は平均で55.9%ということでかなり中国依存度が高い傾向があります。水産食品関連業界に限って言えば、かなり影響が大きいことが分かります。
一応政府も漁業者らの風評被害に対処するため800億円からなる基金を設置し、損害が出れば東電が賠償するとなっていますが、基金総額の規模は上記の農水省統計にある1年間の輸出額におよびません。
そこで、原子力市民委員会が出している陸上保管費用と汚染水処理対策委員会のもとに設置されたトリチウム水タスクフォースの報告書で示された海洋排出費用を示してみます。2022年夏から廃炉予定である2051年までに発生する汚染水の長期保管用タンクの建設費用は374.2億円となっているのに対して、海洋放出(希釈あり)費用は18.1億円となっています。
損得勘定だけからいえば、一見して海洋放出よりも費用が高い陸上保管を続けた方が、新たに発生する貿易損失や風評被害賠償の見込み額よりも安上がりのように思えます。
写真は、ウィーンの氷結したドナウ川(1993年1月撮影)。スケートを楽しんでいる市民の姿が写っています。この近くにIAEA本部があり、建物の前まで行ったことがあります。

悪魔の代弁者たらん

昨日、地元の宇土市より同市の都市計画マスタープランの策定にあたっての「まちづくり」に関するアンケート依頼がありました。せっかくなので、「悪魔の代弁者(デビルス・アドボケイト)」たらんと、自由記載欄に添付画像の意見を記して回答を送付することにしました。「悪魔の代弁者」とは、議論を活性化するために、あえて多数派に異議を唱える役割の人のことを言います。逆に似たような意見ばかりだと、計画の方向がその線に沿った極端な結果となるものです。これを「集団浅慮」といいます。地方自治体の各種審議の場の多くがただ議論の場に座っている要員だけで構成されていて、「集団浅慮」に陥りがちです。
話は飛びますが、世界の気候科学者の共通理解として、アジア太平洋地域に限っても今世紀中の近い将来、海面上昇などの影響で気候移民・難民として中国1億700万人、バングラデシュ5300万人、インド4400万人、ベトナム3800万人、インドネシア2600万人があふれ出ると推計されています。
海抜標高が低い住宅地を多く抱える本市では、2m海面上昇すれば、かなり浸水リスクがあります。おこしき海岸の砂紋も失われますし、海水温度が高まれば特産品の海苔の生産減少は避けられません。現在の在住市民がこの世からいなくなるころには「都市計画マスタープラン」を策定する必要がなくなっている可能性すら感じます。
したがって本市に必要なのは、将来、移民となっても生活力がある人材の教育、つまり「人づくり」にほかならないと考えます。

海苔にまつわるエピソード
1902年(明治35年)11月に、本市において陸軍特別大演習があり、明治天皇が行幸されています。昼食を摂られた場所は自宅の近所ですが、明治天皇が何か黒い物体を召し上がっておられる様子が、当時の住民の間で話題になりました。その後、あの黒いものは海苔だったという話になりました。ちなみに本市で海苔の養殖が本格化したのはここ60-70年前のことです(英国人の藻類学者・ドゥルー女史が糸状体の海苔を発見したのは1949年)。100年ちょっと前までの住民にとって海苔は食卓に上らない食品でした。

7月3日の大雨で発生した近隣の浸水被害
益城町の木山川の氾濫がニュースでも取り上げられましたが、自宅近隣においてもこれまで発生した記憶がない場所で内水氾濫被害がありました。遊水地機能を果たす農地が減少しているため、河川や用水路に土砂や木くずが溜まると、それがダムとなり容易に上流部で浸水被害が発生していました。

速い思考のワナ

九州内の鉄道普通列車に3日(回)乗り放題できる「旅名人きっぷ」はずいぶん重宝しました。鉄道会社が異なっても一々切符を買わずに済みますので、乗り換え時間ロスもありません。西鉄については特急にも乗車できるので、西鉄沿線については移動時間も少なくて済みます。昨日(8月20日)は、大牟田、東甘木、柳川、(二日市で乗り換え)太宰府で下車し、目当ての場所を訪ねました。それと、私の習慣として電車内では読書がはかどります。最初の勤務先時代は通勤時間が往復で2時間/日確保されましたから、これは貴重な学習の時間でした。さまざまな資格試験合格が果たせたのもこの当時の「通勤タイムスクール」のおかげです。仮にマイカー通勤だったら、こうはいかなかったと思います。
さて、昨日は車中で、クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社、3400円+税、2023年)を読んでいました。まだ、途中ですが、第6章の「誤認識」を中心に興味深い記述がありましたので、以下にメモを残しておきます。
歴史的に見ると、戦争は例外であり、通常は選択されません。争って得られる利益よりも争わずに得られる利益が確実だからです。これは国家間でもそうですし、民間のギャングの抗争のたぐいでもそうです。逆にどのような場合に、起きてしまうのか。そこには、人間ならではの「誤認識」が大きな役割を果たしています。
速い思考:心理学者のダニエル・カーネマンが指摘する概念。人間の脳は迅速で能率的な判断をするようにできていて、そのために一部の選択にバイアスがかかることを明らかにした。自分の脳がゆっくりと合理的に問題を考えていると自覚しても、私たちの頭は近道をし、感情に影響されている。自己中心主義(エゴセントリック)、可用性(アベイラビリティ)バイアス、確証バイアス、(快感を求め不快感を避ける)動機付け、情緒が特徴。対立概念は、意識的、論理的で、熟慮を伴う「遅い思考」。
新婚ゲーム実験から明らかな自分の能力の過信:行動科学者のニコラス・エブリーの実験によると、相手の好き嫌いを推測して当てるゲームでは、新婚よりも長く一緒に暮らしたカップルほど過信率が高く、カップル間の理解(推測)が低かった。(金融の世界でもトレーダーのほとんどが損を出している。自信過剰なリーダーが選ばれると、交渉領域が狭くなり、平和が脆弱になる)
知識の呪い:知識の豊富な人が、他の人が何を知っているかを気にかけない傾向。
後知恵バイアス:自分がすでに知っている結果を他人は容易に予測できないことに気付かない。
フォールス・コンセンサス(偽の合意効果):他人も自分と同じようにその難しい判断ができると考える。
レンズの問題:他人も自分と同じようにものを見ていると考える。
集団思考(集団浅慮):心理学者のアーヴィング・ジャスニスが作った用語。協調を重んじ、論争や異議を抑制し、結果的に融通が利かない間違った信念に至ってしまう組織文化。誤認識が改善されず、議論の結果が極端になる。
デビルス・アドボケイト(悪魔の代弁者):議論を活性化するために、あえて多数派に異議を唱える役割の人。

成長呪縛からの解放と希望

英国芸術家協会フェローの経済人類学者であるジェイソン・ヒッケル著の『資本主義の次に来る世界』(東洋経済新報社、2400円+税、2023年)は、これから政治に携わる世代にぜひ読んでもらいたい本です。というのも、既存の政治家の多くはGDP成長=幸福の呪縛にとらわれていて、人類と地球の破滅を止められそうにないからです。本書の前半は「多いほうが貧しい」として破滅へ向かっている現実を指し示してくれます。正直絶望にかられ暗い気持ちにさせられます。後半は「少ないほうが豊か」として破滅を止める手立てを提示してくれて希望を覚えることができます。その手立ても具体的です。たとえば、大量消費を止める5つの非常ブレーキは、次の通りです。1.計画的陳腐化を終わらせる。2.広告を減らす。3.所有権から使用権へ移行する。4.食品廃棄を終わらせる。5.生態系を破壊する産業を縮小する。
現在、脱炭素社会の実現を目指してさまざまな技術革新が進んでいますが、効率化で脱炭素が進む以上に、大量消費の増加があって、実現が遠のいているのが現実です。そこを変えなければ取り返しのつかないことになるわけで、この警告に真剣に向き合う責任があります。ちょうど本書を読み終わったのが、豊の国と称された、豊前(現在の福岡県の一部)豊後(現在の大分県)を通るJRの車中でした。古代の人たちが感じた豊かさは何だったのでしょうか。

読書メモ
サイモン・クズネッツ:ベラルーシ出身の米国の経済学者。1930年代初めの世界恐慌を受け、米政府の依頼により現在のGDPの基礎になるGNPの測定基準を開発。GDPはその生産が有益か有害かは区別しないので、クズネッツ自身はGDPを経済成長の尺度にすべきではないと警告していた。
BECCS技術:CO2回収貯留付きバイオマス発電。2001年に豪州の学者、マイケル・オーバーシュインが論文発表。グリーン成長を楽観視するIPCCの公式モデルに組み込まれたが、気候科学者のケヴィン・アンダーソンは2015年、サイエンス誌で「不当なギャンブル」と批判した。オーバーシュイン自身も大規模な導入は社会的・生態的な大惨事を招くと警告している。
リチウム1トンの採掘に50万ガロンの水が必要:採掘による水質汚染が南米では発生。
国民1人当たりのGDPは比較的低くても平均寿命の長い国や教育レベルが高い国が存在する:公共財が充実している国がそうである。公的医療保険、公衆衛生設備(飲料水と下水を分ける)、公教育、適正賃金。
内在的価値(人生の有意義さ):コスタリカのニコヤ半島の平均寿命は85歳。コミュニティの存在が長寿の理由。
木が人に与える行動の影響(健康と幸福の向上):より協力的で、親切で、寛大になる。樹木が多い地域では、暴行、強盗、薬物使用などの犯罪が著しく少ない。フィトンチッドは、免疫細胞を活性化し、ストレスホルモンのレベルを下げる。街路樹が心血管代謝の向上につながったという研究もある。

人口大国ならではの不安定要因

関山健著『気候安全保障の論理 気候変動の地政学リスク』(日本経済新聞出版、2700円+税、2023年)を昨日読了しました。最終章ではアジア太平洋地域の気候安全保障リスクにていて考察されています。まず気候変動の影響を受ける人口推計の数が非常に多い事実を突きつけられます。中国1億700万人、バングラデシュ5300万人、インド4400万人、ベトナム3800万人、インドネシア2600万人となっています。これらの一部でも海面上昇などの影響で気候移民・難民として周辺諸国へあふれ出れば、たいへん大きな不安定材料になります。日本にとって最大の貿易相手国である隣国の中国に日本の国内人口に匹敵する中国国民が影響を受けるのですから、その大きさは計り知れないものがあります。当然中国国内において不安定要因になってきます。気候変動の影響は水資源の奪い合い、食料生産の減退にも及びます。食料についていえば陸地の農産物だけでなく海の魚の回遊ルートも変化することから水産物の獲れ高も減ってくると考えられています。つまり中国やインドなど人口大国ほど国民の不安や不満は高まる恐れがあります。見方を変えればそれだけ脆弱な政体ですので、今後どのようなガバナンスを指導者が執るのか注目する必要があります。
それと、日本もただ黙って見ていればいいものではありません。著者は以下の4つを日本政府へ提言しています。
1.アジア諸国の脆弱性低減支援…地域諸国の適応力向上・脆弱性低減支援。
2.気候変動対策推進…気候変動を緩和できれば、それに起因する紛争のリスクも緩和。アジア太平洋グリーン水素ネットワークの構築等を通じて脱炭素推進を。
3.気候変動リスクに対する包括的政策対話…中国など近隣諸国と気候変動関連問題を包括的に話し合うハイレベル対話。
4.気候変動に応じた新たな国際ルールの形成…島嶼国や低海抜国と協力した領土・領海・EEZの新たなルール形成(例:沖ノ鳥島などの「低潮高地」をめぐる新たなルール)。

ところで、78年前のきょう(1945年8月10日)、わが宇土市(当時は町や村)が米軍機の空襲に遭い、300超の家屋が全半焼し、多数の死傷者が出ました。亡父の生家もその日に焼失しました。それから20数年後の、私が小学1年生の夏、戦後再建された家で父方の祖母から漬物石の代わりに使われている焼夷弾の鉄くずを見せられました。もはや錆びついて武器の痕跡は残ってはいませんでしたが、敵から贈られた厄介物をしたたかに生活の道具に組み込んだ庶民である祖母の逞しさを覚えています。

複数の中間集団に依存する強み

佐藤仁著の『争わない社会 「開かれた依存関係」をつくる』(NHKブックス、1700円+税、2023年)において身近な依存先として中間集団に着目していました。国家と個人との間をつなぐ中間集団としては実にさまざまなものがあります。自治会や会社がそうですし、同窓会組織なんていうものもあります。そういった中間集団のネガティブな面としては組織内部による専制がありますが、孤立を防ぎ社会を変える力もあります。
p.244で2003年の丸山眞男が「大衆がなぜ独裁者を熱狂的に支持してしまうのか」という問いに以下のように答えたと紹介されていました。「(原子化した個人)タイプの人間は社会的な根無し草状態の現実もしくはその幻影に悩まされ、行動の規範の喪失(アノミー)に苦しんでおり、生活環境の急激な変化が惹き起こした孤独・不安・恐怖・挫折の感情がその心理を特徴づける。原子化した個人は、ふつう公共の問題に対して無関心であるが、往々ほかならぬこの無関心が突如としてファナティックな政治参加に転化することがある。孤独と不安を逃れようと焦るまさにその故に、このタイプは権威主義的リーダーシップに全面的に帰依し、また国民共同体・人種文化の永遠不滅性といった観念に表現される神秘的「全体」のうちに没入する傾向をもつのである。」。中間集団は、国家権力にとって便利な手先ともなる一方、権力への抵抗や抑止の急先鋒としても機能する側面をもつと著者は指摘しています。国家と個人とを媒介し、依存関係を取り持ちながら、争いの激化に歯止めをかける装置として再評価すべきとも主張しています。
それと、権威主義体制のリーダーに顕著ですが、彼らはしばしば二重話法(ジョージ・オーウェル『1984年』)の巧みな使い手です(米国の前大統領は、ある団体が選考する「ダブルスピーク賞」を二度受賞する不名誉があります)。他者の言葉に対する批判的な耳をもち、自身の用いる言葉の意味や影響にも自覚的でいられる人がもっと増えなければならないと、著者は危惧しています。
次に、関山健著の『気候安全保障の論理』(日本経済新聞出版、2700円+税、2023年)を手に取っているところです。気候変動と紛争についての関係は、政府や企業のガバナンスに携わる人なら今後絶えず留意と対策が必要なテーマです。カリフォルニア学派とオスロ学派など、研究者の評価も分れている部分もありますが、気候変動についてはどちらも一致を見ています。

依存って何だ

今読みかけの本は、佐藤仁著の『争わない社会 「開かれた依存関係」をつくる』(NHKブックス、1700円+税、2023年)です。人間関係から国際関係に至るまで、「依存」について考察している著作です。国際関係における「依存」の対極は「支援」ということになりますが、これまでの「支援国」の有り様を顧みると、けっして無償の善意ということばかりではなく、しっかり実益を得てきたことがわかります。人間関係においても「支援者」の方がしばしば実益を得ることもあります。社会福祉の現場において公的支援(公助)に依存せざるを得ない立場の「要支援者」を非難することは、相互依存で成り立つ社会全体を見ていない一面的な思考にほかならないことになります。誰もがもっと依存して良い方向に考えを変えていかなければならないと思います。

レプリカ設置に意義はあるか

けさの地元紙・熊本日日新聞によると、熊本県が百間排水口の老朽化した木製樋門を取り換えてレプリカを設置して、コンクリート製足場も残す姿での、見た目そのまんま保存をすることになったようです。もっとも現在の樋門も工場廃水を流していた当時のそれではありません。樋門より上流の道路を挟んだ先にはすでに景観的には新しい排水口があります。いまさらレプリカ設置の意義がそれほど高いとは感じません。
被害拡大の歴史的視点から言えば、チッソが八幡プール近くの水俣川河口に排水路を変えていた時期があり、そちらの方が川の流れに乗って有機水銀が不知火海全域に広がる結果を招きました(その護岸からは現在も有機水銀を含む汚染物質の海への流出リスクがあります)。今回の決着の仕方は熊本県が「金持ちケンカせず」の形で体よく引き取った感があります。
しかし、小さなケンカには矛を収めても、本質的な部分ではケンカを続けているのが熊本県の実態です。水俣病の歴史と教訓に学ぶ姿勢があるのなら、現在も続けられている裁判で悪あがきをせず、被害を受けた人がいることを素直に認めることです。こういう目くらましに騙されてはなりません。
https://kumanichi.com/articles/1115298

選挙独裁の仮説

東島雅昌著『民主主義を装う権威主義』(千倉書房、5600円+税、2023年)には、権威主義体制あるいは独裁者の行動パターンにかかわる有益な情報が載っています。以下は著者が読者に示した仮説であり、いずれも根拠データに基づいて証明されています。
日本の国内政治を見る目としても役立ちますし、身近にいるボス気取りの人物の思考様式を判断するのにも役立ちそうです。

○天然資源が豊富な場合、独裁者は露骨な選挙不正をおこなう度合いが低い。
○独裁者がより強固な組織基盤をもつ場合、天然資源が選挙不正に与える負の影響はより大きくなる。
○野党の集合行為能力が高ければ高いほど、独裁者が重大な選挙不正をおこなう可能性は高くなる。
・・・財政資源や統治エリートを律する組織基盤に恵まれ、反体制勢力の脅威に晒されていない独裁体制ほど、選挙をより不正の少ないものへと「改革」する傾向にある。露骨な選挙不正の有無のみで民主化の進展を評価するのではなく、権威主義体制における民衆の支持の根本的な源泉が何であるかを綿密に調査する必要がある。(p.132)

○財政資源を豊富にもつ独裁者は、比例代表制を採用する可能性が高い。
○財政資源の豊富な独裁者が比例代表制を採用する可能性は、強力な組織基盤を有している場合に高まる。
○反体制エリートの脅威が強ければ強いほど、独裁者は小選挙区制を採用する。
・・・市民を動員する能力のある独裁者は、体制の強さを誇示するために比例代表制を採用するようになる一方、そのような動員能力をもたない独裁者は、統治エリートを効果的に取り込むために、与党に都合の良い議席バイアスをもたらす小選挙区制を採用する傾向がある。現代の独裁者の姿とは、暴力と強制に基づく選挙不正のみならず、一般市民の耳目に触れにくい選挙制度をも自らの都合の良いように戦略的に設計することで、巧妙に生き残りを図っていこうとする「民主主義的」な政治指導者である。(p.168)

○野党が参加している選挙では、野党が排除されている選挙に比べて、政治的景気循環の規模が大きくなる。
○あからさまな選挙不正の少ない独裁選挙は、大規模な選挙不正がある場合よりも政治的景気循環の規模が大きくなる。
○選挙権威主義体制における比例代表制の議会選挙は、小選挙区制の議会選挙よりも政治的景気循環の規模が大きくなる。
・・・政治的景気循環の存在は、政治指導者が長期的な政策合理性ではなく、短期的な政治的計算によって経済政策を操作している有力な証拠となる。選挙操作から経済操作へと選挙戦略を切り替えることによって、独裁者たちは選挙を自らにとって都合の良い制度的装置へと転換し、選挙のもたらす便益を最大化しようとしている。巧妙かつ資源と組織に恵まれた独裁者は、強制的手段よりもカネにものをいわせて人々の服従を買い取るようになることを示している。(p.193)

◎選挙操作をあまり行使せず、経済操作も怠った場合、選挙結果は現体制の弱さを白日のもとに晒すことになろう。(p.194)

独裁者とは? 行政とは?

今読んでいる、東島雅昌著『民主主義を装う権威主義』(千倉書房、5600円+税、2023年)のp.52で、シグマンド・ノイマン著『大衆国家と独裁――恒久の革命』(みすず書房、1960年、新装版1998年)のp.63-64にある、以下の記述が引用されていました。「あらゆる独裁者には、友もなく同輩もいない。…彼は何者をも信頼しない。ある意味で世を捨てているのである。これこそ『超人間的指導者』となるために彼の払う代償である。彼はあまりにも大きく、あまりにも強く、そのために、またあまりにも孤独である」。この記述を読んだときに権威主義国家の首領の顔を思い浮かぶこともできましたし、地域のさまざまな組織団体・一般家庭の事例がよぎることもありました。出典本では時代でしょうか、男性代名詞の「彼」となっていますが、昨年来話題になった宗教カルトの教祖のように女性の独裁者にも当然言えることです。
それと、7月8日の朝日新聞オピニオン面で政治学者の御厨貴氏がインタビューで、日本の政治の「行政化」を語っているのですが、次の発言が気になりました。「(中略)確かに安倍氏という存在はいなくなったけれど、そのまま政治は凍結されているようです。岸田文雄首相のもとで政治が奇妙に『行政化』され、躍動感が失われた結果だといえるでしょう」、「良きにつけ、あしきにつけ、安倍氏の政治は、彼なりのイデオロギーや思い入れに深く彩られていました。その根っこにあったのは、戦後体制を否定することでした。首相退任後も政治に影響力を保っていました。それに対して岸田氏は状況追従型でやらなければならないことをただ進めているようです。そこには情熱も深い思い入れも見えません。これは理想を掲げる本来の意味での政治ではなく、行政のやり方です。岸田氏自身がどこまで意識しているのかは分かりませんが、政治的な動機をむき出しにせず、まるで大きな政治課題ではなく小さなことをやっているような形で、あまり力を込めずに説明を繰り返します。安倍氏も菅義偉前首相も、思いがあるだけに、つい力を込めて言い募ってしまうんですが、岸田首相にはそれがありません。淡々と説明して打ち切りますね。秀才タイプなのかもしれません」。
政治には理念に基づく選挙や立法というダイナミックな側面がありますが、現実的には政策立案と実行の大きな役割は行政が果たしているので、行政に携わる人材は淡々と、換言すれば漫然と時間いくらの職務をやっておればいいとは思いません。政治家の小粒さを指摘しているだけでなく、行政の使命も軽く捉えかねない発言で、現場の方々はどう受け止めるだろうかと思いました。
有権者はもちろん心がけていかないといけないのですが、日頃政治家の近くにいる行政の現場の方々には、独裁者的政治家にしろ理念のない政治家にしろ、その資質の無さをあぶり出す役割を担って仕事してもらいたいものだと思います。
写真は、投稿内容と関係ありませんが、大津町の「からいもくん像」。近くに建つワンピースの「ゾロ像」が人気を集める中、「麦わらの一味」ではないのに麦わら帽子をかぶって孤高を貫いています。

個人の感想ではなく効用はあったが

地元市の選挙管理委員の任期満了まで残り3ヵ月を切りました。この任にあったおかげで、公職選挙法について学ぶ機会が多かったのが、効用でした。反面、選挙区内の候補者について思うことがあっても、よほどのことがない限り、意識して言及するのを控えました。その点では、やがてその制約から解放されるのを楽しみにしています。
さて、今月は、表紙写真の本を読んでみます。選挙管理委員会では投票率アップにつながる啓発には熱心ですが、たとえそれが実現できても民主主義が持続できるかというと、その保証はできないのが世界の実情ではないかと思います。選挙制度そのものからたえず問い直さなければ、民主主義とはかけ離れた政体に変貌する可能性が高いと思います。

国際政治学者の責務

本日(5月16日)の地元紙におそらくは共同通信配信だと思いますが、国際政治学者の羽場久美子氏の寄稿が載っていました。羽場氏の名前は、4月5日に衆院第1議員会館で、ロシアによるウクライナ侵攻の停戦を広島サミット前にG7へ訴える、記者会見の記事でも拝見しました。報道では、「停戦はどちらかの敗北や勝利ではない。人の命を救い、平和な世界秩序を構築すること」などと語られていました。こうした行動こそが、国際政治学者の責務だと思います。
個人的な思い出としても、羽場先生の講義を、40年前に受けたことがあります。当時はポーランドの軍事政権と対峙した「連帯」が世界の注目を浴びた時期であり、民主化運動への共感を覚えながら東欧の政治状況を見守っていました。何点だったかは記憶に残っていませんが、単位はいただいたと思います。履修要覧の写真もアップしておきます。