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克明な記録こそが未来への価値ある資産

7月18日の朝日新聞読書面で、日本中世史が専門の呉座勇一氏が石井妙子著『女帝 小池百合子』の書評の最後で「職業倫理や専門性を持たないタレント学者や自称歴史家のもっともらしいヨタ話が社会的影響力を持つ様を、評者は何度も目にしてきた。私たちが対峙すべきなのは、表面的な面白さを追いかける風潮そのものなのである。」と書いていました。こうした対峙を高い職業倫理と専門性をもって追究できるジャーナリストがいれば、とことん支援すべきです。写真の著者の仕事は30年近く見守っていますが、私が支援したいジャーナリストのひとりです。著者の仕事は、結局のところ人権が擁護された社会の実現につながり、その社会に暮らす多くの人々の利益にもなると考えます。裁判の記録をたどれば、アレとかソレとかテレビでコメントしている輩どもの無知と無恥ぶりが手に取るように理解できると思います。そうした輩にはとても怖い本かもしれません。

読書遍歴で政治家の資質は測れる

思想信条の違いを理由にした選考差別につながってはならないとして、採用現場では応募者の読書遍歴を聴くことがありません。そのせいか他人と書籍について話をすることは日常めったにありません。しかし、その人がどのような読書遍歴を辿ったかは、確実にその人の資質を測る材料になります。
昨日、河合秀和著『クレメント・アトリー』を読了しました。同書のなかで、イギリスの首相を務めたチャーチルとアトリーがどのような書籍に親しんだかが紹介してありました。政治家になる前のチャーチルが愛読したのは、マコーレーの『イギリス史』(全5巻、1848-1861年)とギボンの『ローマ帝国衰亡史』(全6巻、1776-1788年)でした。ギボンの6巻については、アトレーも首相就任してから読了しています。アトレーがもっとも大きな影響を受けたのは、C・D・バーンズのエッセイ「政治的理想」(1915年)とする伝記もあります。アトリーは、同じくバーンズの遺著『第一のヨーロッパ、中世キリスト教世界の成立』(1947年)からも影響を受けたようです。ある人物を理解しようとするなら、それぞれの時期にその人物を作り上げていった精神世界を発見する手法は、きわめて重要に思えます。
『クレメント・アトリー』のp.276には以下の記述があります。「歴史とは、過去を比較することによって現在を理解しようとする営みであるが、ここで引照されている過去は、(地域的にはヨーロッパに限られているが)紀元前5世紀からシャルルマーニュの帝国まで、深く、長い。このことは、古い文化との継続性を保ってきた文化を持つ国にはよく見られることで、さして驚くべきことではない。日本でも、少なくとも明治期までの知識人は漢籍を読み、古代中国の歴史や道徳、詩に照らして日本を理解しようとしていたが、日清戦争に勝った後は、中国の国力を軽視するようになった。また一つにはマルクス主義の影響によって、近代とは資本主義の発展であり、帝国主義とは――レーニンの『帝国主義論』の原題がいうように――「資本主義の最新の段階」であると考えられた。中国の古代以来の帝国と、大日本帝国を比較することはなかった。」
また、p.277-278に次の記述があります。「日本の現代史は敗戦によって断絶しており、ヒットラーとスターリンによって分断されたヨーロッパ諸国の歴史記憶についても同じ断絶がある。ついでに指摘すれば、第二次大戦では英米ソのビッグ・スリーが帝国主義としての責務を担ったが、ソ連帝国はベルリンの壁とともに崩れ、今では中国が新しい帝国として興隆して、それぞれに帝国としての責任を問われている。」
このくだりを読むと、今の日本の政治家やジャーナリストに歴史から現在を正しく理解している人物がどれほどいるのかという思いに駆られます。たとえば、社会主義や帝国主義といった用語の上っ面だけを見て実相を見て考えていないことが多いのではと感じます。
ところで、ヤルタ会談やポツダム宣言といった日本の敗戦処理との係わりでチャーチルの名前は日本でも知られていると思います。労働党のアトレーは、第二次大戦中、保守党のチャーチルを首班とする挙国一致内閣で副首相を務め、戦後の6年半はイギリスの首相として労働党政権を担った人物です。その6年半は、日本にとって米国の占領下に置かれた時期、つまり国際社会の外に置かれた時期と重なり、アトリーの業績や考えについてほとんど知られていないと思います。
アトリー政権の政策は、正真正銘の社会主義でした。ソ連型社会主義その他は看板だけは社会主義でしたが、学問的思想的視点では専制国家による帝国主義であり、現在の中国もその傾向があります。第二次大戦で勝利したとはいえ、イギリスは疲弊しており、国民の生活再建が急務でした。1945-1946年のイギリス議会の会期では、国有化、国民健康保険、社会保障関連法、労働組合活動の規制解除の修正案など重要法案を含めて70の法案を可決させていて、この年間記録は今も破られてはいません。また、この政権下ではインドなど植民地を独立させました。
また、アトリー自身は、国際連合の役割に期待していました。特に核兵器につながる原子力の管理について熱心でした。中国については、中国共産党政権を承認することがソ連の衛星国から引き離すことだと考えていましたし、中国国民党政権の台湾については国連の管理下に置くことを望んでいました。もしそうした方向に動いていたら歴史がどう動いていたか、興味がそそられます。アトリー自身は、新中国を承認しておけば、朝鮮戦争は起こらなかっただろうと考えていました。
アトリーのことからは離れますが、日露戦争の時代の「ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア皇帝ニコライ2世は、ともにイギリスのヴィクトリア女王の孫であり、互いに英語でウィリー、ニッキーと呼び交わして手紙をやり取りして」(p.280)いたのは、初めて本書でしりました。

国内の人権弾圧を見よう

香港における国家安全維持法の恣意的な運用は人権弾圧そのもので中国政府は非常に愚かな行動をとっているといえます。人権問題は国内問題ではなく、人類共通の問題ですから、思想信条の自由への侵害に対する批判について内政問題とはねつけるのは明らかに間違いです。法治国家というのなら国際法も遵守する義務があります。翻って日本政府が「黒い雨訴訟」で控訴の考えでいるとの報道が出ています。これも原爆被爆者に対する人権弾圧そのもので、香港の人権問題に対する言及の資格を危うくするくらい恥ずかしい話です。恥ずかしいと言えば、核兵器禁止条約の批准国は44か国に達し、あと6か国・地域の批准を得てその90日後には発効するところまで来ています。この条約に対しても日本政府は批准に向かわなければ、その外交姿勢は世界から嗤われてしまうでしょう。

国際水準に達していない日本

国際法の世界で国際水準に達しているかどうかの目安は、国連や加入した条約の条約機関からの勧告状況の数量にあると思います。もともと国連加盟国や条約締約国は決議や条約規定を遵守する義務があります。国際法の枠組みに入っている以上、その遵守状況の審査を受ける義務があり、審査で守られていないと判断された場合は、勧告を受けます。
日本は、現在、国連人権理事会の理事国ですが、以前から同理事会から多数の勧告を受けています。第1回審査(2007年)の勧告数26、第2回審査(2012年)の勧告数174、第3回審査(2017年)の勧告数217となっており、毎回増えています。勧告は、日本が加入している条約の条約機関からも受けています。自由権規約委員会や子どもの権利委員会、女性差別撤廃委員会、人種差別撤廃委員会、拷問禁止委員会のいずれの条約機関からも受けています。なお、障害者権利委員会からは批准時期が遅かったのでまだ審査されていません。このことを知ると、日本にオリンピックを開催する資格があったのか、大いに疑問です。
これらの勧告の中には国内人権機関の創設を求めるものが多数あります。実際、2012年11月、民主党政権は「人権委員会設置法案」を国会に提出することを閣議決定し、国会に提出されましたが、国会審議に入らないまま、同年衆議院解散により廃案となりました。同年12月に政権を奪還した自由民主党は、「民主党の『人権委員会設置法案』に断固反対」を掲げて、国内人権機関設置に関する動きはストップして現在に至っています。法案そのものはパリ原則に沿ったものであり、評価はされていますので、国際水準を率先して満たさないことには他国の人権侵害についても口出ししにくいのではないでしょうか。

国内人権機関の実現を

国際人権法の世界で日本政府が遅れをとっている一例として国内人権機関といえる組織がないことがあります。国内人権機関とは、公権力から独立した権限を有する人権救済機関です。1993年の国連総会で決議されたパリ原則(国内人権機関の地位に関する原則)の中でこの機関の設立が求められました。人権救済に対する行動が地域的に遅れているアジアにおいても大韓民国国家人権委員会(NHRCK)やインド国内人権委員会(NHRC)がすでにあり、国会等に対し、多くの勧告や意見表明がなされていたり、政府機関等に対し、人権意識向上に向けた活動とトレーニングを行っていたりします。
たとえば、いじめ防止対策推進法に基づき、いじめの重大事態の調査を学校や教育委員会の下に設置された組織が行うことがあります。第三者機関と称されますが、調査主体の選任権を調査される側が持つことになります。また、調査ごとに設置される組織では、調査の手法、技術、早さなどのレベル向上は見込めません。前述の機関もないよりはあった方がましですが、やはり常設の子どものための第三者機関による調査が期待されます。日本の地方自治体の中にも、子どもの権利条約の批准を受け、子どもの権利救済を目的とした権利救済機関を設置している自治体がわずかながらありますが、日本全国くまなくこうした機関が必要です。子どもの権利条約の条約機関、子どもの権利委員会は、日本に対し、子どもによる苦情を子どもに優しい方法で受理し、調査しかつこれに対応することができる、子どもの権利を監視するための具体的機構を含んだ、人権を監視するための独立した機構を迅速に設置するための措置とパリ原則の全面的遵守が確保されるよう、資金、任務及び免責との関連も含めて監視機関の独立を確保されるための措置を求めているところです。
在日外国人の人権救済についても日本の取り組みは、遅れています。人種差別撤廃条約の条約機関、人種差別撤廃委員会からは「技能実習法」に基づく適切な規制及び政府による監視を勧告され、アメリカからは技能実習法の執行及び実習生の保護が不十分であること、二国間取決めに抜け穴があること等の指摘がなされ、強制労働が発生し、中には性的搾取目的の人身取引の被害者になる者もいるとされており、国際的にその問題点が指摘されています。これでは、技能実習生は、じっと耐えるか逃げ出すかという状況に追い込まれるしかないのがうなずけます。
司法を通じた人権救済を図ることも確かにできるかもしれませんが、その人権侵害を受けた被害者に、時間的にも費用の面でも多大な負担を背負わせます。これでは、人権救済を求めること自体について抑制的になってしまいます。
私も委員として末端に連なる法務省による人権擁護行政については、法務省自身が「人権救済等に必要な専門性や経験を有する人権擁護委員が必ずしも十分に確保されていないため、活動の実効性にも限界がある。」と述べるとおり、パリ原則が求める国内人権機関としての要請から大きくかけ離れています。法務省には「人権委員会設置法案」の実現に向けて前進してもらいたいと思います。
人権外交を標榜する日本は、アジアでの人権の確保に向けて範を示す立場にあります。国際人権条約の活用・促進を積極的に進めることが、アジアの人権状況の改善に繋がるものでもあり、日本にはその役割が期待されています。しかし、国際人権条約に加盟しつつ、条約上の権利を実現するための個人通報制度を導入しなかったり、国内人権機関を設置しなかったりするのであれば、国際人権条約に加盟した意味がありませんし、国民への背信行為でしかありません。

核軍縮・核廃絶へ

本日は、広島原爆の日です。平和記念式典の模様をテレビ視聴しましたが、日本政府の代表者の口からは、核兵器禁止条約への参加の意思は示されませんでした。現在必要なことは、核保有国と非保有国との橋渡しというよりも、核保有国との対話や保有国間の仲介にこそ日本外交の使命があるのではないでしょうか。現実は、核兵器禁止どころか、世界にある核兵器の9割を占める米ロ間の核軍縮の枠組みも存続が危うい状況です。経済規模で米国の3分の2になってきた中国の増強も止める必要があります。
昨日、NHKの「視点・論点」という10分間の解説番組に国連事務次長の中満泉さんが登場して「戦後75年 核軍縮と安全保障の展望」と題してこの問題について熱く語っていました。現在の世界には新型コロナという危機もありますが、人命だけでなく生活や自然環境まで地球全体を滅亡させる可能性のある核兵器ほどの危険な存在はありません。SF映画の「猿の惑星」では、猿が生き残っている核戦争後の地球がエンディングで明らかにされますが、現実は猿も生き残れない惑星となる運命です。人類の賢い行動でこの危険は取り除けるものだけに、向かうべきところは決まっています。
平和記念式典には、冷戦期の1982年に一般参列者として行ったことがあります。当時の首相は不沈空母発言で知られる故中曽根康弘でしたが、軍縮を希求する世論の熱意は今以上に熱かったように思います。人類は進歩しているのか、核軍縮・核廃絶についてはたいへん疑わしく思えてしまいます。

政治の力量が問われる

2018年10月に韓国大法院(最高裁)が韓国人元徴用工に対する賠償を日本企業へ命じる判決が出てから2年近く経ちました。韓国にある日本企業の資産を差押えし、現金化へいよいよ着手するということで、日韓関係のこじれは一向に解消されません。日本政府は1965年の日韓請求権協定でこの問題は解決済みであり、国家間では国際法(条約)が国内法に優先するので、韓国大法院判決は国際法(ウィーン条約法条約)違反との立場の一点張りです。この後段の国際法が国内法に優先するという部分は正しく、それで行くと韓国政府が三権分立で行政は司法に介入できないとして、判決任せで問題を放置するのは問題があります。ただ、日本政府の前段の主張、つまり日韓請求権協定で「解決済み」というのにも無理があるともいえます。仮に国際司法裁判所へ持ち込まれた場合、1910年の韓国併合条約が合法か不法かという問題に行きつきますし、今日の国際水準からすれば植民地統治の違法性は明らかですし、「解決済み」という日本の主張を通すのは苦しいのではないでしょうか。一般論としては正義であっても歴史的経緯を振り返ると、別の方法で歩み寄る寛容さは必要だと思います。この問題によって経済関係(輸出規制)や安全保障関係(GSONIA)でもぎくしゃくしたことも忘れてはなりません。互いに冷静になって相手を知ることが求められていると思います。

人権理事会

人権擁護委員向けに隔月刊行されている小冊子『人権のひろば』の中に、外務省人権人道課による寄稿「国連人権理事会での動き」という1ページのコーナーがあります。先月発行の『人権のひろば』(134号)では、同コーナーの掲載は第42回となっており、第43回人権理事会の動きが報告されていました。おそらくこれを手にする委員のほとんどは目にも留めないかと思います。一つは、2月25日に外務政務官がスイス・ジュネーブで行った演説です。演説で触れた分野の項目名だけ紹介されていて、物足りない内容でしたので、外務省ホームページで全文を読みましたが、それでも物足りない内容でした。他国の人権侵害へ目を向けさせる一方で日本の立場の弁解やイベントのPRに熱心な印象を受けました。それと、気になったのが、アジアを向こうに置く姿勢です。あたかも日本はアジアとは別なのだという姿勢が言葉の端にうかがえました。もう一つの報告は、今会期では国別決議案が14本、テーマ別決議が25本の、計39本が提出されているけれども、新型コロナの影響で3月13日を最後に会合が中断されており、採択の時期が未定ということの紹介でした。決議が遅くなるということは、それだけ人権侵害が長引くということでもあります。何か決議の手立てがないものかと思います。なお、日本は2017年1月~2019年12月に続き、2020年1月~2012年12月の3年間は、理事国(全体で47か国、アジアで13か国)となっています。2期連続の直後は続けて理事国になることはできません。日本の場合、技能実習制度や入管施設収容における人権侵害が問題視されていますが、こうした問題に対する所見報告を出させないために理事国へ名乗りを上げているのでは思う側面もあります。外務省の動きもしっかりと見ていきたいと思います。

人権問題は国内問題ではない

各種国際人権条約における国際人権基準は普遍的に実現される人権内容を明示しています。地球上のどこにいても、人は人である限り、同等の価値を持ち、同等の取扱いを受けるのが国際人権法の理念となっています。
ところが、現実の世界は、地球上のどこにいるか、あるいはどこの国民であるかなどによって保障される人権の内容が異なっています。その理由は、それぞれの国家の国内法が異なるからです。ただし、国家は締約した国際法を遵守する義務がありますから、その国内における人権侵害について条約機関から報告があるとか、他の国家から通報を受けることで、事態が改善することがあります。いま一つは個人による条約機関への通報です。国連公用語の6か国語のいずれかで行う制度があります。
日本の場合、戦後、さまざまな国際人権条約を批准してきましたが、個人通報制度の導入を定めた各条約の選択議定書についてはすべて未批准となっていて、個人にとっては国内で救済されないと道を閉ざされることとなりかねません。その意味で、けっして日本は人権保障の点では世界をリードしていないといえます。
これがないと、日本国民が国外でその国内において人権侵害を受けたときにも同様の不利益をもたらします。かつて日本人のツアー客がマレーシアでスーツケースを交換させられて知らない間にヘロインの運び屋に仕立てられ、オーストラリアに入国したため、有罪判決を受けたメルボルン事件というものがありました。取り調べや裁判の過程で誤訳の多い通訳があてがわれたことが、不当な有罪判決につながったと、これを救済するためにオーストラリアでは導入されている個人通報制度が活用されました。通報そのものは却下されましたが、大々的に報道されるところとなり、日豪の政府が動き、4人が仮釈放されています。日本にはこうした国際法がからむ事件に対応できる法律家がほとんどいないというのが現状ですし、法務省内の人権擁護局においても専門家はほとんどいないと思われます。
もともとアジアは人権擁護後進地域ですから、日本国民が旅行をする上でもそうした事情を知っておく必要があります。ですが、アジアでは例外的に韓国では個人通報制度が導入されています。同時に日本においても法律家を自称するなら国際的に通用する人材が輩出されることを望みます。

親日家レッテルは評価を誤る

7月30日に台湾の民主化に貢献した李登輝・元総統が亡くなった報道に際してNHKがやたらと「親日家として知られる」と強調して伝えていたのに底の浅さを感じました。確かに本人は植民地下の台湾に生れ、日本語教育を受け、日本の大学に進学して学徒動員で旧日本陸軍にも属しましたが、台湾人としての悲哀を覚えざるを得ない人生だったと思います。それを「親日家」というレッテルでひとくくりにするのは、あまりにも日台関係について無知であると感じます。しいて表現するなら、「知日家」であったことは否定できません。自国民第一主義の受信者の皆様には、おそらく「親日家として知られる」と報道した方が心地よいとでもNHKは考えているのではないかと思いました。だとすれば、ずいぶんと自国民をバカにした報道姿勢です。政治家はもちろんのことですが、どこの国民であれ、親しいか・嫌いかではなく、相手を知っているか・知らないかが重要です。知っているからこそ、援助の手を差し延ばすこともあり、非を正すこともあります。無知なる上での一方的な非難は憎悪と侮蔑しかありません。

コロナ禍の人権保障が求められている

コロナ禍においてさまざまな人権相談に応じる場が減ってきています。面談となれば、会場提供する施設管理者もさまざまな感染防止対策が求められますし、対応する相談員も、相談者自身も余分な神経をとがらせなければなりません。電話だとお互い説明の意を尽くせるか、心もとない点があります。かといってメールやテレビ会議システムは敷居が高くなるようです。
もっとも、人権侵害について相談したい人は、どうしたら救済されるか、つまり保障されるのかとういう現実的な権利実現を求めているのであって、そうなると、はたしてそれを可能にする機関はあるのかというと、はなはだ貧弱というのが、現実の姿です。この点は、そうした相談に乗る側ももっと国際水準を学んでどのような仕組みが必要なのか考えてみる必要があります。

クレメント・アトリー

大学時代の恩師・河合秀和先生の最新著『クレメント・アトリー』(中公選書、2000円+税、2020年)の読書に取り組み始めました。先生は1933年生まれですので、御年87歳です。今も現役の研究者でおられることに、まず読み手の方が姿勢を正さずにはおれなくなります。
現在では、歴史に埋もれてしまったできごとですが、第二次世界大戦末期から戦後まもなくの期間、日本を支える優秀な科学者や技術者の育成を目的として「特別科学学級」という英才学級が設けられていました。IQ150以上の全国から選抜された児童・生徒が高度なエリート教育を受け、結果的に敗戦後の高度経済成長を牽引する人材として、理工系をはじめ各界で活躍しましたが、先生も京都師範学校附属国民学校(現:京都教育大附属京都小中学校)と京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高)のなかに設置された学年定員30名の特別科学学級に在学されました。映画監督として活躍した伊丹十三と同級生でした。他に湯川秀樹の長男湯川春洋や、貝塚茂樹の長男で経済学者の貝塚啓明、日本画家の上村淳之がいます。京都における設置にあたっては、京都帝国大学の湯川秀樹博士の意向が働いています。湯川がじきじきに旧制高等学校(現在の四年制大学教養課程)レベルの物理学の授業を行うこともあったようです。物理・化学の実験や、生物の実習などにも重点が置かれました。授業の内容は数学や物理学や化学はいうに及ばず、当時敵性語だった英語、さらには国語・漢文・歴史にもわたっており、当時、治安維持法下の禁書とされていた津田左右吉の『古事記及び日本書紀の新研究』を題材に用いるなど、当時の軍国主義的イデオロギーにとらわれない高度な内容の授業で進み方も速かったといわれます。特別科学学級の児童・生徒は学徒動員が免除され、学習を継続しうる特権を持つとともに、上級学校への進学が保証されてもいました。現在のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)構想には、その精神が受け継がれているといえます。
当時の国民学校の歴史教科書を紐解くと、神国日本を刷り込む教育が行われていたことが明らかですが、一方のエリート教育では科学的リアリズム重視だったわけで、この対比から統治者と被治者の教育は別立てだったということがよく理解できます。

国内法と国際法の関係について

国内法と国際法の関係について放送大学テキストの『法学入門』の記載からメモを残しておきます。私自身は仕事柄少し国際法とは縁のある、行政書士という立場にいます。たとえば、在日外国人の難民認定についていえば、当然に難民条約の規定を意識しなければなりません。それだけではなく、迫害の背景を知ることも必要になります。インターネットを利用する上での著作権侵害の問題を検討するとなれば、まさしく世界に影響しますから知的財産保護の条約の規定も意識しなければなりません。といっても、いつもすらすら頭脳から湧き出すことはないので、必要に応じて資料にあたる作業が求められます。
まず国内法は必ずしも国内だけに適用されるものではありません。日本の刑法を例にとると、日本国民または外国人が、内乱罪、通貨偽造罪などを犯した場合(すべての者の国外犯)、日本国民が殺人罪、業務上堕胎罪などを犯した場合(国民の国外犯)、そして外国人が日本国民に対して殺人罪、強制性交罪などを犯した場合(国民以外の者の国外犯)は、適用されます。ただ、立法・執行・司法の国家管轄権が競合することがあるので、それは属地主義が基本となります。次に国際法(条約と慣習国際法)はどうかというと、国家はそれを遵守する義務があります(国内法援用禁止の原則はありますが、国際法に違反する国内法はただちに無効となるわけでもありません。しかし、国際法上の国家責任は問われます)。それにとどまらず、条約についてはそれぞれの国家で一定の措置が取られた後に、慣習国際法についてはなんらの国内的措置も取られることなく、国内的効力をもつとみなされています。
そこで問題なのは、国際法の国内的効力がどう確保されるかです。第一は、条約を国家の国内的な手続きを経て公布・発表する一般的な受容方式で、日本や米国、中国など多くの国家で採用されています。第二は、条約の内容を国内法のなかに移し替える変型の受容方式で、イギリスやスカンジナビア諸国で採用されています。なお、慣習国際法は特段の措置をとることなく国内的効力が認められています。
さらに、国際法を直接に国内裁判所が適用して判決が下せるかという問題があります。これに関連して国際法の国内的序列の問題もあります。日本においては、憲法と条約とでは憲法優位説が支配的とされています。慣習国際法と法律とでは慣習国際法が優位であり、憲法とでは憲法が優位と一般に考えられています。
そこで、前記の国際法の直接適用の問題ですが、最近の裁判例として以下があります。
・受刑者接見妨害国家賠償請求事件(高松高判H9.11.25)・・・受刑者が接見を制限されていることについて「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」14条(公正な裁判を受ける権利)違反を主張した例。→監獄法施行規則という法令よりも上位にある人権条約違反にあたらないかが審査され、損害賠償が認められた。最高裁判決では逆転敗訴となった。
・大麻取締法・関税法違反事件(東京高判H5.2.3)・・・外国人の被告人が通訳料の負担を命じられたことについて同規約14条3項(f)(無料で通訳の援助を受けること)違反を主張した例。→条約の具体的規定を裁判規範として用いて、通訳料の負担を命じた国側の行為が違法と認められた。ただし、現在も刑事訴訟法第181条第1項本文の改正は行われていない。
・小樽入浴拒否事件(札幌地判H14.11.11)・・・公衆浴場への外国人の入浴を拒否されたことについて同規約26条(法の前の平等・無差別)および人種差別撤廃条約5条(f)・6条違反を主張した例。→民法1条、9条、709条の解釈にあたっての基準として人権条約を間接適用し、入浴施設に賠償支払いが命じられた(高判で確定)。市の条例制定責任は最高裁まで争われたが認められなかった。
本書ではあまり触れられていませんでしたが、国内の人権状況が各条約機関からどのようにみられているのかについて確認する必要があります。ほんとうに国際水準に達した人権先進国なのかどうか、各条約機関から勧告の対象となっている国内法が意外と多いことを知ると驚きです。その点については、私が人権擁護委員として一端を担う法務省の人権擁護行政もお粗末極まりなくパリ原則が求める人権擁護機関の水準ではありません。人権委員会設置の方向も考えられているようですが、法務局の多くの職員はふだん国際法を意識することなく仕事をしています。

人権保障をめぐるノート

放送大学テキストの『法学入門』の第14章「国内法による人権保障と国際法による人権保障」の記述内容から人権保障について考えるノートを作成してみます。ふだん読書をするときに、大半は流し読んでしまうのですが、読む時期によっては、自分の仕事や関心ある出来事に関係するテーマに出会うと、ノート代わりにブログに投稿するようにしています。ブログに投稿しておけば、後でそれを読み返すときも容易に検索できるので便利です。自分の忘れやすい頭脳を補完してくれる外付けハードディスクのようなものです。同じテーマでも新たな知見を加えることによってバージョンアップすることもできます。それと、よくあるのがノートを付けると、元データの間違いをよく発見できます。このテキストでもいくつかの間違いを発見しました。最近のブログで取り上げた山室信一氏の著書でもよく西暦表記が間違っている記述がありました。このへんは、編集者の油断だと思います。しかし、『法学入門』は共著なので、もっと共著者同士のチェックが働いても良さそうなものですが、残念ではあります。
さて、まずは人権という概念の起源です。これは17世紀から18世紀にかけての近代ヨーロッパの思想家たちによってもたらされました。しかもそれは自然権としての人権です。次いで19世紀末から20世紀初頭にかけて、国家に対して特定の政策目標達成のための施策の遂行を求める権利、つまり社会権としての人権の概念が出てきました。
ただ、人権保障について国際法(条約と慣習国際法)によって主張される歴史の始まりは、第二次世界大戦後になってからです。国連憲章(1945年)、世界人権宣言(1948年)、国際人権規約(1966年)など。しかも、人権概念が世界共通であることに対する疑念は、絶えずありました。1993年に国連主催で開かれた世界人権会議においては、最終的に「ウィーン宣言および行動計画」が採択されましたが、当時、中国やシリア、イラン、マレーシアなどは「アジア的価値ないしは伝統的価値」を主張して人権概念の普遍性に対する批判を示しました。欧州や米州には地域的人権条約もありますが、アジアでは2012年にアセアン人権宣言が採択されたのに留まり、条約ではなく法的拘束力のない宣言に過ぎないため、規定内容が国際的基準に達していないとの見方もあります。条約となると、国家報告制度(締結国→条約機関)が課せられますし、国家通報制度(条約違反した締約国情報→条約機関)や個人通報制度が規定されます。
国際人権規約は、169か国締約の自由権規約(非締約国例:サウジアラビア、シンガポール、中国)と、164か国締約の社会権規約(非締約国例:マレーシア、キューバ、米国)の2つからなります。人種差別撤廃条約の締約国は178か国ですが、死刑廃止議定書の締約国は84か国に留まっています。締約国の顔ぶれでその国家のスタンスがうかがい知れます。日本が女子差別撤廃条約の締約国となったのは1985年でした。そのための国内法整備として父系血統主義から父母両系血統主義へ変更する国籍法改正が1984年になされましたし、男女雇用機会均等法が1985年に制定されました。
そもそも人権について考え始められた時代の「人」の範囲が今と同じであったかというと、そうではありませんでした。18世紀における「人」とは、あくまでも家父長であり男性だけでした。女性や子ども、障害者、性や民族・宗教などのさまざまなマイノリティーが「人」のなかに含まれるようになった歴史も意外と新しいのが事実です。
人権保障については、歴史的な違いと共に地域的な違いがあり、国内法と国際法との関係についても留意する必要があります。ひとつは、各国家がそれぞれの国内法に基づいて人権保障を行い、どのような人権保障をするかはその国家の決定事項、つまり「国内管轄事項」という考え方があります。もう一つの国際法の条約については批准するかどうかもそれぞれの国家の判断になりますが、慣習国際法となっている人権保障規定についてはすべての国家が守らなくてなりませんし、ジェノサイドや奴隷取引の禁止はいかなる逸脱も許されない強行規範となっています。したがって、「国内管轄事項」だけを主張できないのが、国際社会の常識になっています。
2006年に国連は総会の下部機関として国連人権理事会(前身は経済社会理事会の下部組織であった人権委員会)を創設しました。その下に普遍的定期審査(UPR)という制度が設けられ、国連の全加盟国について、それぞれの国内での人権状況を4年ごとに審査されることになっています。
こうして見ると人権保障をめぐり他国に対して発言する際は、国際法について理解しなければなりませんし、他国に対して発言すれば、自ずと自国の人権保障の状況についても振り返ってみなければなりません。障害者差別解消法、有期雇用労働者特別措置法、サイバーセキュリティ基本法、特定秘密保護法、リベンジポルノ防止法、いじめ防止対策推進法、ヘイトスピーチ対策法など、さまざまな国内法が近年整備されましたが、その内容についてもっと理解する必要を感じます。

過去を見ないで今の理解はできない

昨夜はJ3ロアッソ熊本の岐阜とのアウェイゲームをネット速報観戦しました。残念ながら開幕からの5連勝とはならず、今季初敗戦となりました。順位は秋田と勝ち点3差で2位となっています。現在首位の秋田は、2017シーズンにJ3優勝したのですが、当時はJ2ライセンスを持たなかったため、そのときJ2からJ3への降格圏内にあったロアッソは辛くも残留できた恩義があります。しかし、翌シーズンに結局のところ降格し、現在2季ぶりのJ2復帰を目指しています。秋田は2018シーズンからJ2ライセンスが交付されましたから、今季秋田と熊本が共に昇格できればと思っています。それにしても、つい3年前にもならないこうしたいきさつを私たちはつい忘れがちです。
いかに普段の私たちが過去を忘れて今の状況に対して何の疑問も持たず過ごしているかということを、少し学習してみればすごく気づかされます。今読みかけなのは、放送大学テキストの『法学入門』ですが、現行法の基本概念の解説というよりは、時代や地域を広く見渡して法や権利の成立から考える組み立てとなっています。たとえば法律系の資格試験の学習となると、現行法を要件事実にあてはめてそれが妥当かどうかだけを考えてしまいます。つまり現行法を絶対視しまいがちです。しかし、本書では、今私たちが生きている社会において「あるべき法」とは何か、という視点を大切にしています。そのためには歴史的経緯、地域や民族、宗教の違いについても理解しなければなりません。すぐれて政治哲学的な問題に帰結すると思います。
一例を上げると、イスラム法(本書では「イスラーム法」と表記)について私も含めて一般の人がどの程度の知識を持ち合わせているでしょうか。イスラムとは、唯一神アッラーとその預言者であり使途であるムハンマドを信じ、聖典クルーアーンに従って生きることを説く7世紀に成立した宗教です。ユダヤ教やキリスト教の成立よりははるかに新しい宗教です。イスラム教の世界では、そこでの規範がすなわちイスラム法という宗教法であり、違反行為に対する制裁が現世のみでなく、来世にも予定されています。来世までも律せられる法があるというのは、西欧発の近代法になじんでいる現代の人から見ると、それだけで驚きだと思います。それと、イスラム教の宗派の違いはイスラム共同体の正当な統治者であるカリフの資格に係る議論から出てきますが、13世紀にはチンギス・ハーンの孫の勢力によってカリフが殺害されて、カリフが不在となる歴史があったことも知っておくことが必要だと思います。もっとも、現代のイスラム世界には、そのほとんどがヨーロッパ列強に植民地化された歴史がありますから、近代法が導入されています。したがって、宗教法がストレートに適用されているのではなく、いくつかのイスラム国家では国内法においてイスラム的価値観が反映されています。
価値観の違いは、先に挙げたイスラム以外にも歴史上いくらでもあります。清朝時代の中国がアヘン戦争でイギリスに敗北し、不平等な南京条約を結ばされ、莫大な賠償金と共に香港島が割譲されたというのが、日本の歴史教科書でも定番の記述であり、現在の国際法の枠組みではありえない中国にとっては屈辱的な歴史上の事件といえるかもしれません。ですが、その南京条約の漢語原文にあたってみると、敗北した清朝の中華思想が見え隠れするという研究者の指摘もあるそうです。言い換えると、遠路はるばるとやってくる英国の商船が往々にして損壊しその補修が必要であるため、それほどの困難に直面している英国商船を憐れみ、中華の皇帝が恩情を示す形で香港島を「給予」(与える)すると、読み取れるといいます。中華思想とは、もっとも徳の高い人物が天命を受けて世界の中心たる中華に君臨して世界を統治し、その周辺に生きる異民族はその中華の徳を慕い朝貢するものとされた、近代国際法とは何の関係もなく成立した世界観です。近代国際法を前提としない清朝と近代国際法で動いているイギリスとが向き合って結んだ条約のいびつさを注目してみると、現代の中国の思想・行動原理も残滓があるように思えます。
イスラムと中国について触れましたが、日本における法と権利の成立過程もたいへん興味深いものがあります。江戸時代の日本も公権力が私人を裁く刑法といった法はありましたが、そもそも権利、私権というものはなく、今でいう民事訴訟の制度もないに等しい時代でした。権利という訳語自体は中国経由で西欧から伝わりました。明治期にフランス民法典の翻訳作業のなかで「民権」という訳語を学者が試みたところ、政府関係者から「民に権があるとは何事か」と批判を受けたエピソードが残っているぐらいです。権利利益の実現と現代では軽く口にしますが、歴史的には権利を手にすることはここ日本においても随分新しいことということを意識します。

特定非常災害の適用へ

令和2年7月豪雨についても特定非常災害の適用となることが本日閣議決定されたというニュースが流れていました。根拠法律は平成8年施行ですが、法適用は昨年の台風19号に続いて8件めになるそうです。たとえば、民法では相続の承認または放棄は相続開始を知ってから3カ月以内ですが、政令により適用される区域や延長される期間が決まります。平成28年熊本地震のおりは熊本県全域が適用となり、相続については発災日の同年4月14日から2年間となっていました。続報を注視したいと思います。

外交成果についての評価

引き続き放送大学テキストの『日本政治外交史』を読んでいます。私が大学時代に履修した同名の科目の時代区分としては、明治・大正・昭和戦前期まででした。幕末に不平等条約を結んで国際社会にデビューした日本が不平等条約撤廃にどう動いたか、やがて第一次世界大戦後は国際連盟常任理事国5か国に仲間入りし、「一等国」に成り上がり、道を間違えていくさまが描かれるわけです。そういうわけで戦後の外交史については、あまり取り扱われていませんでしたので、本書においてそれを振り返るのは半分は同時代に生きている実感も加わりつつ新鮮でした。以下に主だった出来事を内閣ごとに示しますが、現在の安倍内閣を含めて名前を示していない内閣については、逆にいえば歴史に残る成果があまりないといえます。2015年の戦後70年の安倍談話は、村山談話を踏襲したといいながら将来世代の謝罪の否定を盛り込んだことにより、対アジア的には日本への不信を呼び込む結果になったことが否めません。この間の日本の国際社会における存在感は経済面が主であり、米国の顔色をうかがいながらの外交というか、相手国からも米国の手下という見方をされながらの外交という側面がありました。
第3次吉田茂内閣(1949.2~1952.10)対日平和条約・日米安保条約、日華平和条約
第3次鳩山一郎内閣(1955.11~1956.12)日ソ共同宣言、日本が国際連合に加盟
第2次岸信介内閣(1958.6~1960.7)日米新安保条約
第3次池田勇人内閣(1963.12~1964.11)OECDに加盟
第1次佐藤栄作内閣(1964.11~1967.2)日韓基本条約
第2次佐藤栄作内閣(1967.2~1970.1)沖縄返還合意
第3次佐藤栄作内閣(1970.1~1972.7)沖縄返還
第1次田中角栄内閣(1972.7~1972.12)日中国交正常化
福田赳夫内閣(1976.12~1978.12)日中平和友好条約
村山富市内閣(1994.6~1996.1)戦後50年の村山談話
小渕恵三内閣(1998.7~2000.4)日韓共同宣言
第1次小泉純一郎内閣(2001.4~2003.11)日朝共同宣言

読み間違い外交の犠牲

放送大学テキストの『日本政治外交史』を読んでいます。歴代首相の政治能力について冷静な分析がなされています。天皇や軍部、国内世論との関係も興味深いところですが、情報を読み間違えたあるいは無視したときの外交ほど、国民に多大な犠牲をもたらす失敗はなく、この政治能力を備えているかどうかは、歴史的評価として重要と感じました。首相の能力次第でやらなくて済んだ戦争、払わずに済んだ犠牲、信頼を壊さずに済んだ国際関係、いくつものターニングポイントがあり、本来はそこから学ばなければならないことを、知らないままでいたり目をそらしたりと、結局バカを見るのは国民だということがよく理解できます。
一つメモを付けておきますが、近年の歴史研究では、日本が参戦した先の戦争のことを「アジア・太平洋戦争」ということが多いようです。

避難受入体制の改善について

本日午前中は、地元民生委員の定例会議でした。自然と令和2年7月豪雨に際しての避難のあり方についての意見交換が盛り上がりました。新型コロナの影響で市が開設する避難所が従来の福祉センターからだだっ広い市民体育館になってから、避難者の利用が減りました。一つは体育館は床張りなので、気軽に横になれないようです。それと、利用者が少なすぎるがために寂しく心細く感じられるようです。そのため、せっかく避難所へ行ってみても、その雰囲気に萎えて戻る人がいるとのことでした。体育館を避難所として開設するならするで、間仕切りや畳、段ボールベッド、椅子を入れたりするなど、落ち着ける環境の用意がほしいと思います。どうも行政の意向として避難所利用よりも親族知人などの安全な場所に位置する個人住宅への避難を推奨しているきらいが感じられます。ただ、そうした個人住宅への行き先をもたない要支援者もいるので、一時的に受け入れ可能な介護施設やホテル旅館へのつなぎを行政がとってくれるような仕組みができると有益だと思います。