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『琉球・台湾とつなげて学ぶ日中全史』読書メモ

10年前あるいは今年発生した熊本地震のような巨大地震では、地殻変動により水平方向あるいは垂直方向に地表が移動します。たとえば、法務局で熊本県内の字図を取得するとほとんどの場合、「(注)国土交通省国土地理院が公表した座標補正パラメータ(kumamoto2016_BL.par)による」という注意書きが載っているはずです。これは地震前より数10cm~1m超動いたことを示しています。すでに今年発生の熊本地震による座標補正パラメータも9月25日に公開されていているので、今から取得する字図には、上記の注釈文がkumamoto2026_BL.parとなっているかもしれません。私の自宅付近だと今度は50~60cmは動いたことになっています。
https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/sokuchikijun41012.html
そんなわけで、地球の地表の位置が永久不変ということはありません。にもかかわらず一般人が所有地の微々たる境界の違いをめぐってもめ事を起こす姿ほど醜悪なものありません。同様に国家間の境界争いも似たような側面があって、歴史的に統治の範囲・境界線には曖昧なものがあるので、グレーな部分をあえて残した方が無益な紛争にならず平和が保たれていいのではと思うことがあります。ましてや海を挟んだ近隣の国・地域と無用な争いを起こすのはバカげています。
岡本隆司著『琉球・台湾とつなげて学ぶ日中全史』(東洋経済新報社、1800円+税、2026年)を読むと、海域でつながる東アジアの歴史を振り返る大切さを感じました。現在の国家の枠組みに縛られた思考では相隣関係に禍根をもたらしかねない危うさを感じます。

本書に出てきた言葉を以下にメモします。
「独立」…「地域以上・国家未満」で表現されるそれには一般的な意味合いとは違う文脈・含意がある。例:自治、自己決定、自律性。
「両属」…近代の1872-1880年、琉球は日中の両方に属した。ただし、日中双方が了解した、コンセンサスの取れた両属とは言い切れない。
「附庸(ふよう)」…近世の1609-1871年、琉球は薩摩に従属していた。しかし、明朝や清朝に対して隠蔽していた。
「港市(こうし)」…港での貿易に従事することに特化したような国家。
「互市」…明朝の朝貢一元体制に代わって、朝貢を残しながらある程度の交易を認めた清朝のシステム。
「北虜南倭(ほくりょなんわ)」…明朝に対する北のモンゴル遊牧民による脅威と東シナ海での倭寇による朝貢貿易の秩序破壊。
「因俗而治(いんぞくじち)」…在地在来のやり方に任せる清朝の統治姿勢。
「異国」…和製漢語。江戸幕府にとって朝鮮は対等の純然たる異国だったが、琉球は従属の関係にある異国だったので附庸とした。
「外国」…「中国」と対になる言葉。「中華」に対する「外夷」の言い換え。
「冊封」…「朝貢」と対をなす。君臣の上下関係を示す。1872年の明治天皇による琉球藩王への組み入れもそう称された。
「生蕃(せいばん)」…「化外(統治範囲外)」の生粋の野蛮人という意味。中華文明を多少なりとも持ている野蛮人は「熟蕃」と清朝では呼んでいた。
「両岸三地」…大陸と台湾、香港を指す。「一国二制度」が使われるようになってから死語化した。
「光復」…すっかり元どおりになる意味。
「藩部」…チベットや新疆ウイグル、モンゴルを指す。漢人の住地・明朝の流域は直省。
「瓜分」…スイカを切り分け割るように国土が分割されるという意味。

その他のメモ。
○17世紀の日本を世界史的に見れば、秀吉による九州平定と秀吉に続いて家康が受け継いだキリスト教の禁教が重要な出来事。海外と深くつながっていた九州を秀吉も家康も警戒していた。海外からの政治的または文化的な影響を阻止しながら、経済的な利益を確保しようとした。徳川日本の凝集性・一体性はきわだって奇異。
○清朝の中国ではアヘンが通貨の役割をはたしたという仮説(p.167)。塩取引のライセンス状が株券のように売買されていた(p.168)。
○英語の中国語表記は広東語に由来するものが多い。例:マクドナルド=麦当労(広東語読み:マック・トーン・ロウ、北京語読み:マイ・ダン・ラオ)。
○中国の中央政府にとって、やっかいなのが広東人。香港人がその典型。民族的には漢民族でありながら、発想や行動がほとんど西洋人と変わらない。明朝・清朝の時代から彼らが「倭寇」の一派となり、政府非公認の貿易に従事してきた。

新聞記者のあるべき姿

岩波書店発行の『世界』(2026年10月号)に熊本日日新聞記者の植木泰士氏が、「巨悪よりも厄介な──陸自「思想調査」報道」(p.41-43)として陸自中央情報隊隷下の「現地情報隊」が民間人の思想調査活動をしていた事案報道の経緯を書いているのを読みました。この報道のきっかけは、植木記者あての電話だったと明らかにされていました。同記者の元には今回の件に限らずさまざまな組織の不正・不適切事案の情報が日頃から寄せられているとのこと。それだけ頼りにされている存在だということがうかがえます。陸自「思想調査」スクープ第1弾は今年7月23日の紙面ですが、記事にするまでの裏取りには1年かけたと別の動画では語っています。防衛大臣は報道内容について「確認されていない」の一言で済ませて文民統制の責任を果たすつもりがないありさまです。記者ならびに同紙の追及を期待しています。

関連YouTube動画(チャンネル名/配信日/タイトル/リンク先URL)
○『荻上チキ・Session』TBSラジオ 2026/8/5
植木泰士「陸上自衛隊の不適切な情報収集問題〜熊本日日新聞のスクープを取材報告」/熊本地震
https://youtu.be/AnJfrChL8ZU?si=7ENNmeGerTUV5KT1
○Dialogue for People 2026/8/19
植木泰士さん「自衛隊と『民主的統制』」Radio Dialogue 274(2026/8/19)
https://www.youtube.com/live/Oe-wLs7TPeM?si=cvX4OI849eEagetv
○SlowNews / スローニュース 2026/8/21
【18時30分より生配信 SlowNews Talk】陸自の情報隊が大学教授やNPO代表の思想信条の情報を秘密裏に調査していた! 国家を震撼させるスクープを書いた熊日の植木記者に聞く
https://www.youtube.com/live/Ht3GutGWIzc?si=AkOC4r7MlyKjpzGr
○望月いそことオッカ君チャンネル 2026/8/24
熊日の植木泰士記者が暴く!!独占スクープ「陸自、民間人の思想調査か」驚愕の41項目にわたるリストの正体とは?自衛隊の監視社会化と現代の「法の支配」崩壊の危機を望月衣塑子とオッカ君が徹底解説。
https://www.youtube.com/live/e76HZ4K9Sow?si=0LyPCatPcx1GrXJ1
○『荻上チキ・Session』TBSラジオ 2026/8/26
【特集】陸自の個人情報収集~熊本日日新聞の記者の報告とその問題点(植木泰士、木村草太)
https://youtu.be/6NvXmERi_IY?si=cwWRtr26HOMqOMY_

『世界』(2026年9月号)読後メモ

○「対談 真の名で呼ぶ 金城美幸×奈倉有理」
若者を軍に入らせやすくするために進めたロシア政府による教育制度の改変について奈倉氏が語っていました。それによると、日本でいう中学校卒業時に、特に成績のすぐれない生徒に対し、高校に進学せずに職業専門学校に入って就職するよう指導する方針がとられるようになったといいます。進学せずに就職すれば徴兵の猶予もなくなります。女性に対しては早く結婚して子どもを産むことが奨励されています。ほかにも地方から都会の大学への進学を制限して、教育の機会を減らし軍隊に入らせやすくしています。大学に進学した学生に対しても、契約兵として前線に誘導する方針がとられているとのことです。
軍隊があり、それを用いる権力があり、容認する社会があって人が殺されていることをもっと可視化すべきだという考えから、トルストイの『殺すなかれ』を紹介していました。
アルジャジーラによると、日本国籍とイスラエル国籍を持ち、イスラエル軍に従軍している人が65人、日本、イスラエルに加え3つ以上の国籍を持ち従軍している人が11人いるそうです。この情報は、金城氏が述べていました。

○武田一義「余白を胸に抱いて『ペリリュー』との10年間」
白泉社から『ペリリュー――楽園のゲルニカ――』の本編11巻、外伝4巻が刊行されているそうです。機会があれば手にしたいと思います。

○中尾知代「天皇オランダ訪問 不可視化されたデモ」
オランダの兵士慰礼塔があるダム広場へ同国訪問中の天皇が来場するということで、アジア・太平洋戦争期のインドネシアにおいて日本軍と戦ったオランダの軍人遺族たちが、サイレント・スタンディングを行う予定でしたが、現地当局はこれを許可しませんでした。代わりに、広場に面するホテルのカフェ内でサイレント・スタンディングが行われました。しかし、その撮影も現地当局は許しませんでした。過去の歴史と今回のデモの実態を双方の国民が知らなければ、和解には近づけないと、筆者の中尾氏は記しています。

○南彰「消された声 「不屈」船長性暴力問題」
悪天候の中、辺野古沖に船を出し、転覆事故により乗船していた高校生と船長の2人が亡くなる事故がありました。この船長は、北海道出身で、南城市の佐敷協会の牧師をしている人物であり、2010年に性暴力事件を起こした人物でもあったそうです。

○酒井朗「インタビュー 不登校35万人「学びの保障」と支援の市場化」
不登校支援の市場化の実態を知って驚きました。通信制高校のサポート校というものがありますが、これを利用するスクーリングを含めた学費は年間100万円前後になるのだそうです。
学習塾が朝から子どもを受け入れるフリースクールをつくりスペースを活用する動きも見られます。フリースクールから系列の通信制高校へ進学させるルートもあるといいます。
地域で学校教育そのものが成り立たないというのも十分あり得るため、オンラインでの学びが標準化・常態化すると、酒井氏はみています。

○荻上チキ「「学校に行かなくていいの」の、その先で」
不登校を選べなかった子どもだった荻上氏が、不登校児童の親になる体験を書いています。

○高坂康雅「不適応ではなく生存戦略 不登校でも人生は詰まない」
このタイトルのとおりです。

『気候紛争』読書メモ

関山健著『気候紛争 たった「2℃」が起こす戦争』(光文社新書、900円+税、2026年)は、気候紛争の研究が交流した2007年以降に国際的な学術誌に掲載された関連論文を主として参照し、その知見が分かりやすく濃縮されて解説されており、重宝する書籍でした。気候変動に伴う自然災害や社会混乱のリスクはかなりあります。例を挙げると、猛暑・熱波、日照り・干ばつ、豪雨・洪水、台風、高潮、海面上昇、水不足、食料不足、健康被害があります。雨が降らない一方、降る時は極端に集中して降るなど、その実感は確かにあります。さすがに最近はあからさまな地球温暖化懐疑の言動に接することが少なくなった気がしますが、そうした無知な勢力にあがらうためにも世界的に信頼できる最新情報に接しる機会を確保することが重要だと考えます。
本書で初めて知ったのですが、地球温暖化を防ぐために人工的に太陽放射管理を行う気候工学があるそうです。これはロケットを多数飛ばして成層圏にエアロゾルを散布(注入)するというものです。しかし、地球全体にどのような副作用をもたらすのか不明の点があり、実用には多大なリスクがあります。もしも国際的なルールやガバナンスを無視して強力にこうした施策を実現させようとする指導者がいたとしたら、たいへん怖ろしいばかりです。
他にも「風泥棒」という現象と国家間紛争の可能性についても初めて知りました。風が風車を回すと風速が下がるので、風下にある風力発電所の発電量を低下させるそうです。ノルウェーが北海に計画している100基近い洋上風力発電施設が稼働すると、約22km先の海上にデンマークが建設する発電所と風を奪い合う恐れがあるといいます。紛争を未然に防ぐ政治外交の視点が求められていることを痛感します。

惜しみなく与えよ

※本稿は「令和8年熊本地震」発生直前から書き始めて2日空けて本日脱稿したものです。
英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学教授(人類学)だった米国生まれのデヴィッド・グレーバー(1961-2020年)著『民主主義の非西洋起源について 「あいだ」の空間の民主主義』(平凡社ライブラリー、1700円+税、2026年)に所収の「【付録】惜しみなく与えよ――新しいモース派の台頭」は、魅惑的な論考です。自分と他人を同時に豊かにする贈与の「喜び」と「楽しみ」について思い起こさせてくれます。
この対極にあるのが、効率的に奪うことを良しとする自由市場一辺倒のタックスヘイブン、自由港、経済特区のような社会であり、非効率的だとみなされる民主主義がない資本主義の世界に見えます。そうしたゾーン(区)は世界のあちらこちら(後掲書によれば5400カ所)に出現しています。ボストン大学パーディー・スクール教授(歴史学)であり1978年カナダ生まれのクィン・スロボディアン著の『破壊系資本主義 民主主義から脱出するリバタリアンたち』(みすず書房、3600円+税、2026年)を読むと、香港、ロンドンのカナリーワーフ、シンガポール、南アフリカ、米国内のゲーテッド・コミュニティー、未承認国家ソマリランド、ドバイ、メタバースのクラウド国といった実例を知ることができます。
国家であれコミュニティーであれ、民主主義の手続きを捨象して物事を決める会社経営者のような人物がトップを務めるような政治がまかり通っていることに気づいて発言し行動するのが、人間の人間たる所以ではないのかなと、上記の2冊と合わせて7月27日放送の、NHK・Eテレの番組「こころの時代〜宗教・人生〜 川とひとをみつめて 〜ある河川工学者の半生〜」を視聴して感じました。この放送の40分前後では、熊本県の川辺川流水型ダム建設計画も取り上げられています。この番組に登場する河川工学者の大熊孝さんは、ダム治水に対して学問的見地から疑問を呈して行動してきたことが理解できます。
https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-X83KJR6973/ep/9L5KQJ6YVP
2020年7月に発生した球磨川流域の豪雨災害についてはダム計画に反対する市民団体から次のような見方が呈されています。この災害後、国交省は「川辺川ダムがあれば浸水は6割防げた」と主張し、当時の熊本県知事に流水型のダム建設へ舵を取らせました。しかし、この豪雨災害時に、川辺川流域に局所集中豪雨が降ったわけではありません。球磨川の中流域の山地へ局所集中豪雨が降り、人吉市街地で球磨川がまだ氾濫しない時刻に支流の山田川や万江川が氾濫して多くの命が奪われています。人吉市街地を襲った大洪水は球磨川からでも川辺川からでもなく合流点でつくりだされたものでした。合流点の直上の低地は丸太の集積場となっており、膨大な丸太が貯木されていました。洪水によってそこから流れ出した丸太が流木となって第四橋梁にたまりダム化し、その後崩壊したのが要因と考えられます。川辺川流域の地形や地質、人吉市に氾濫を起こした洪水の原因の分析を疎かにするばかりか、事実を捻じ曲げて進められようとするダム事業の姿があります。
なお、その市民団体の試算によると、川辺川のダム建設を巡る熊本県の将来負担は620億円(熊本日日新聞7月2日記事参照)に上ると見られます。実際、過去60年間の県の負担額は526億円に上っていますが、県は完成までの負担額を試算していないとしながら、木村知事は経済波及効果があるとする立場から「負担金を支払ってでもやるべき事業だ」(熊本日日新聞7月3日記事参照)と会見で述べています。治水に役立つか疑問な事業に620億円の公金を出すよりも、流域の住民へ同額を給付した方がよほど経済波及効果も復興効果もあると考える器量は感じられません。
7月9日には熊本県民交流館パレアで開かれたシンポジウム「熊本の防災・治水を考える―地域気象データ駆動型社会への展開―」があって、防災に役立つ気象予測や緑の流域治水の研究成果・活用実績が報告されました。閉会時には後援についている熊本県の知事があいさつに出てきて、「アカデミアに対するリスペクト」を口にしつつ、「川辺川の流水型ダムは(緑の流域治水にとって)うれしい社会実装」と述べ、報告の趣旨に反する見解を平然と盛り込んだ態度に、薄っぺらさを感じました。
この知事は同職に就く直前、県職員である公益通報者に対して以下のLINEメッセージを送ったことで知られています。「内情を暴露するのは逆にブーメランになって○○さん(通報者)を刺しに来るのが既得権・旧体制のやる手段です」(熊本日日新聞7月25日記事参照)。既得権・旧体制のやり口に詳しいことがうかがえますし、刺されないために既得権・旧体制におもねる処世術が知事には身についているようにも思われます。
公益通報も民主主義の手続きの一つだと思います。効率重視の既得権・旧体制の方々からすれば、民主主義の手続きを踏もうとする人は、目障りで刺したいのかと、勉強になりました。しかし、そんな仕事に「喜び」と「楽しみ」はないでしょう。哀れに思う気持ちもあります。

『エネルギーの地政学』読書メモ

東大先端研のエネルギー国際安全保障機構に所属する研究者たちが書いた『エネルギーの地政学 エネルギートランジションと日本の戦略』(勁草書房、3000円+税、2026年)を読みました。化石燃料主体のエネルギーシステムから再生可能エネルギー主体のエネルギーシステムへのシフトが、文字通りエネルギートランジションということになります。資源小国である日本にとり、脱炭素化を進めながら、エネルギー安全保障を高めていく上で、水素エネルギー関連技術の果たす役割がとりわけ重要になっていることを認識しました。
水素を燃焼したときに発生するのは水のみ、つまり温室効果ガスの排出がゼロという特性があります。カーボンニュートラル社会の実現に向けて不可欠で重要な役割を果たす次世代エネルギーキャリアと考えられています。水素エネルギーの利点は、その多様性と柔軟性にもあります。太陽光や風力といった出力の変動性が高い再生可能エネルギーによって生成された余剰電力をグリーン水素として貯蔵でき、変動電源の調整力として機能させることができます。液化水素やアンモニアに変換して輸送も可能です。蓄電池と比較すると大規模・長期間の貯蔵にも適しています。
日本は国内の化石燃料資源に乏しい国です。原油の99.7%、天然ガスの97%を海外からの供給に頼っています。これら化石燃料は、数億年から数千万年の地球の活動によって生成されたもので、ここにはコストはかかっていませんが、原油埋蔵量の47.3%(2015年時点)が中東地域と、資源の賦存(ぶぞん)が地域的に偏っていますし、現時点でもおおよそ50年前後の可採年数が確保された有限資源であるということを認識すべきです。
一方、太陽光や風力といった再生可能エネルギーは、無尽蔵かつ無料の資源です。EEZを含めた面積では日本は世界で第6位の、資源ポテンシャルがあります。転換期においては輸入水素に頼らざるを得ない課題もありますが、国産電源で安価な水素生産を実現するのは決して幻想ではないと感じました。福島県浪江町などでは水素エネルギー自立コミュニティモデルの運用が始まっており、これなどは自治体の生き残り戦略としても有為な情報かもしれません。
もちろん課題がないわけではありません。再生可能エネルギー技術の設備や機器には、化石燃料を利用する従来の技術に比べて、重要鉱物の使用量が多いという問題があります。銅やレアアース、シリコン、リチウム、コバルト、黒鉛、ニッケル、プラチナ、イリジウムの採掘・製錬において特定の国・地域のシェアが高いとか、大量の電力を必要とするとか、環境汚染や労働者・周辺住民の健康被害といった人権侵害を伴う負の側面があります。
この点については、供給源を多様化する外交努力や重要鉱物の使用量を減らす技術開発が必要となります。たとえば水素製造に際してPEM型水電解装置の触媒には高価なプラチナやイリジウムを使いますが、固体酸化物型電解の触媒は安価なペロブスカイトを使います。その主材料はヨウ素なので、これは日本国内で調達可能です。
産業のサプライチェーンのボトルネックを握る、いわば技術的覇権の追求という現実もあります。(半導体産業を例にとると、半導体製造に欠かせない化学品であるフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素については日本企業が90%近いシェアを持っており、これらの供給がなければ海外メーカーは半導体生産ができないのだそうです。)

『みんなこうして連帯してきた』読書メモ

ジェイク・ホール著の『みんなこうして連帯してきた 失敗のなかで社会は変わっていく』(柏書房、2400円+税、2026年)の内容を示すと、肌の色が異なるとか、身体の外見と性自認が異なるといったことが理由で、不当な扱いを受けている人がいれば、それは自分ひとりだけが闘うべき問題ではなく、同じ思いを持つ世界中の人と連帯して闘っていいんだという希望を持たせる書だと思います。著者自身がイギリスの労働者階級出身のクィアのジャーナリストです。クィアとは、既存の性的指向や性自認の枠に当てはまらない人々を指す総称です。かつては同性愛者に対する侮蔑語でしたが、ゲイ・アクティヴィズムが台頭するなか、当事者がこの言葉が内包する負の歴史を引き受けたうえでその意味を反転させ、みずからを名乗る言葉として使うようになったそうです。
本書で取り上げられる世界に散らばる団結の物語は、実に多彩です。表紙装丁にもその対象が以下のように列記されています。有色の人、障害のある人、肥満の人、ホームレス、先住民、気候変動活動家、労働組合員、移民、難民、セックスワーカー、フェミニスト、ゲイ、レスビアン、トランスジェンダー、ドラッグ・クイーン…。しかもそうした属性が複合し、連帯した闘いもしばしばあったことを明らかにしています。
たとえば、自分の身体の自己決定権は、人権の最たるものの一つですが、先進的な民主主義体制と見なされる国においても意外と尊重されていない例があることにも改めて気づかされます。
「権力者にとっては、悲しみによって動けなくなった世界、すなわち連帯や連帯の構築を無意味な努力とみなす社会のほうが扱いやすい。」(p.343)という指摘にもドキリとします。しかし、「最悪の状況にあるとき、希望が命綱になる。」(p.348)であり、「抵抗のなかには喜びがあるのだ。」(p.349)という言葉に救われます。
本書で取り上げられている当事者の境遇には当てはまらなくても、日々の生活において、たとえば企業や学校のなかで、悲しみによって声を上げられない人は少なくないのではないかと思います。企業や学校の内部にその声を受け止めてもらえる環境がないのなら、ぜひ外部へ発してほしいと思います。
行政組織における公益通報の窓口も内部だけでは忖度が働き機能しないものです。八代市が本日から外部窓口を開設するという報道がありました。他の自治体も見習うべきではないかと思いました。
https://kumanichi.com/articles/2008163

『曖昧な弱者の時代』読書メモ

経済的な貧困層や在日外国人などの文化的マイノリティといった、いわば社会的に公認された「明白な弱者」が救済されるのは「特別扱い」で不公平だとし、自分が救われていないと感じる「曖昧な弱者」の存在に、『曖昧な弱者の時代』(岩波新書、920円+税、2026年)の著者である伊藤昌亮氏は注目しています。「曖昧な弱者」は、「明白な弱者」に対して、憤懣を抱き、敵視し、攻撃します。彼らの反感の矛先は「明白な弱者」を救済しようとする政治家や知識人、マスメディアに及びます。もっとも彼らの反感を利用して支持を集めて伸長しようとする政治の動きもあります。社会の分断が進むだけで、なかなか厄介で醜悪な構造があることを、本書で理解することができます。
一方、本書で「曖昧な弱者」の特質を知ると、ある政党や政治家が自己啓発系の動画や競合相手の中傷動画を利用して一過性のブームを起こすことは、意外と簡単そうに思えました。もちろん、それが政治運動のやり方として考えられても、政策の担い手としての正当性を感じるかは別です。というわけで、本書を読んでも気が晴れるということはありませんでした。それどころか、ダメなところを論理的に批判しても伝わらない、皮相的な手合いの氏名が脳裏をよぎるだけでした。
先日、東大駒場リサーチキャンパスの公開イベントで政治学者の牧原出教授の話を聴く機会がありましたが、そこで高市早苗氏がかつて「政党は(政策の)道具」「発言の場が欲しい」と述べていた新聞記事を紹介し、他の党首になっていても不思議ではない人物像を語っていました。同氏は政策の中身・実現可能性よりも「やりたい」「やったる」という姿を見せることが重要なので、支持が落ちたらサバサバと辞めるのではとも見ていました。この話を聴くと、高市氏の支持層が、情報源をもっぱらSNSや動画に頼り、体系だった政治の知識に疎い情報弱者による「曖昧な支持」で成り立っているのが頷けます。まんざら悲観することもないなと後日感じました。

『地域と人口減少の経済学』読書メモ

先月刊行されたばかりの『地域と人口減少の経済学 スマート・シュリンクという選択肢』(中公新書、900円+税、2026年)の著者・小峰隆夫氏は、2001年に国土交通省の国土計画局局長(現在は国土政策局)を務めた元官僚の人物。国土行政、地域政策に携わった経験をもつ方が、今までのような国が魅力的なスローガンを打ち出せないばかりか、スローガンを見いだせる時代ではなくなったと認めていることがまず新鮮でした。
ところが、未だに国土強靭化の夢物語が語られていたり、かなり特異な地域の劇場型成功事例をもてはやそうとしたりしています。人口データには出生と死亡による自然増減と国内外の移住による社会増減があります。それらのデータは冷徹な将来予測を示します。人口という視点では、個人が見えませんが、進学・就職・結婚・出産など、いずれも個人の選択を伴いますので、人の増減や移動は自発的・自然なものであり、特定の場所に人口が集積してその場所にしか集積の利益が生まれないのは当然です。よって、それぞれの自治体の首長や議員、職員には、それらの現実を見極めてなおかつ将来世代のためを考えて政策を立案実行しなければならない能力・器量が求められます。
そこで、著者はスマート・シュリンク(賢く縮む戦略)を提唱しています。これまでの地域政策といえば、いきおい出生率の上昇を目指したり、定住人口を増やしたりすることに重点が置かれ、ばら撒き型の短期的には受けの良い政策が行われがちです。しかし、人口減少は必然ですので、将来維持管理のツケが大きくなる社会資本を増やし続けるのがはたして賢明であるかは議論があるかと思います。
自治体による面白いメッセージの伝え方の例として損失回避バイアスを利用した八王子市の大腸がん受診率向上策を示しておきます。それによると、「今年度がん検診を受診された方には、来年度検査キットをご自宅にお送りします」では受診率22.7%だったのに対し、「今年度受診されないと、来年度、ご自宅に検査キットをお送りしません」としたメッセージの受診率は29.9%だったといいます。つまり、利得を強調するよりも損失を強調した方が、効果が大きくなるというものです。モノは言いようとも取れますが、国任せでなく、住民も頭使って暮らす自治体を選べよというのが、本書から学べたことかなと思いました。

『日露戦争』読書メモ

千葉功著『日露戦争』(吉川弘文館、3000円+税、2026年)を手に取ったきっかけは、4月4日の朝日新聞読書面に載っていた吉田裕氏による書評でした。同書評の言葉を借りれば、日露戦争の全体像を解明した意欲作で、政治史・外交史の分野での通説批判が鮮やかとありました。本書の目配りは多岐にわたり、アイヌや沖縄出身を含む兵士の立ち位置から浮き彫りにした戦場の記憶、教育や文化を通じた戦争観の変遷などに触れてあります。それこそ大半の国民が「坂の上の雲」のイメージに留まっている歴史観を洗い流す、研究者の視点の広がりを存分に感じる著書でした。本書は吉川弘文館の「日本歴史叢書(新装版)」シリーズの一角ですが、巻末に当時の日本歴史学会の代表者・児玉幸多氏による同シリーズ刊行時の辞が載っています。著者の千葉氏は学習院大学教授なのですが、児玉氏はかつて学習院大学の学長を務めておられたのを思い出しました。
それはさておき、「日露戦争は日清戦争と違って、日本が西洋の帝国主義列強と本格的に戦った最初の事例」(p.4)です。だからこそ、「日本が戦争を遂行するにあたり、どのような軍事・政治・経済的施策が取られたのか」「どのような戦時国民動員が行われて、それが社会にどのような影響を与えたのか」「日本の帝国化ないし一種の大規模な異文化接触がどのような現象として表れたのか」(p.5)を知る意味は大きいと思います。
戦争のリアルさという点では、かなり無謀な戦争であったということが改めて理解できた思いがしました。とりわけ陸軍の戦死者・戦傷病者といった損耗率は高いものがありましたし、戦費の調達のため国内経済にも多大な負担を与えました。一方で、メディアの戦意高揚ぶりや兵士の日記・手紙に見られる戦地での朝鮮人や中国人に対する蔑視記述など、現代にも共通して懸念される武力重視の対外強硬思想や外国人差別感情といった醜悪な国民統合の土壌を見る思いがしました。
81年前の敗戦だけでなく120年前の戦争の実相からも学ぶべき点が多々あるのを感じます。

『日本社会と外国人』読書メモ

5月19日の朝日新聞オピニオン面に「最高裁判断を国際水準に」と題する対談記事が載っていて、その中で最高裁の調査官や事務総長などを経て最高裁判事を務めた経験のある泉徳治さんが、「裁判官は(国際)人権条約についてきちんとした教育を受けておらず、民事や刑事事件で目にすることはほとんどありません。条約は「国と国の約束」で、法的効果を国民一人ひとりに与えるものではないという誤った観念が強いのだと思います。」と率直に語っていました。裁判官ですら、そうですから、出入国管理政策を担う行政庁の水準も推して知るべきで、外国人をその労働力で役に立つ存在かどうかでしか判断せず、人権の観点からその扱いぶりはどうなのか疑問です。
その思いを、朴沙羅著の『日本社会と外国人 入管政策が照らす80年』(中公新書、1200円+税、2026年)でさらに強く感じました。一例を挙げると、第二次世界大戦以前から日本に居住し、サンフランシスコ平和条約の発効によって日本国籍を離脱した旧植民地出身者およびその子孫が保持する特別永住者という在留資格がありますが、これについて「欧州各国では、居住国生まれの三世以降が外国籍のまま参政権を所持しないことを人権侵害だとみなし、重国籍や地方参政権付与などによって問題を解消する傾向にある。それに比して、かりに、日本では民族浄化を目的とした極右排外主義団体のデマや誣告に乗せられる形で、滞在資格を「特権」として議論しようとしているとすれば、民主主義を標榜する法治国家としてあまりにも情けないことではないだろうか」(p.180 出典は金明秀の2014年の論考)という指摘もあります。日本は1995年に人種差別撤廃条約へ加入しましたが、国内に人種差別を禁じる法律はいまだありません。今年で成立して10周年(2016年5月24日)になるヘイトスピーチ解消法も、「人種差別そのものを罰したり禁じたりしたものではなく、差別的な言動を防ぐための教育や啓発に重点を置くもの」(p.184)となっています。

環境省の悪だくみが露見

4月16日に環境省職員による「水俣病は他の公害病と比べて恵まれている」発言は「あった」というのが、やはり事実だと落ち着きそうです。
この発言をめぐる水俣病患者連合発の文書は、以下の3点となっています。
(1)5月1日付け要望書…発言が「あった」。
(2)5月3日付け声明文…環境省を通じて発出。会長補佐が「発言があったとは認識していない」と否定。
(5月12日の環境相記者会見でも「事務方に確認し、不適切な発言はなかった」と石原氏が述べる。)
(3)5月13日付け声明文…発言が「あった」。3日の声明は会長の確認を得ておらず「無効」。会長補佐も謝罪。
上記(2)の文書発出の背景に環境省による被害者分断工作があったと考えるのが自然ではないでしょうか。
環境省の職員は、一時は患者連合の一部役員を手なずけてシメシメと悪だくみが成功したかに見えましたが、結果的に自分たちの親分(大臣)にもウソを言わせてしまったことが明るみに出ました。
(1)~(3)の文書は、行政が国民との向き合い方で陥りがちなミスを省みる資料として、ぜひ展示されるべきです。
https://kumanichi.com/articles/1990727

『世界』2026年6月号より

本号掲載記事から気になる情報をメモしました。

○松野誠也「日本軍毒ガス弾製造工場で何が起きていたか――新資料が示す実態」
・東京第二陸軍造兵廠曽根製造所(現在の北九州市小倉南区下吉田)では、毒ガス(広島の大久野島で製造)を充填して毒ガス弾を製造する作業(填実という)や発煙弾・焼夷弾の製造を行っていた。同製造所では計148万発の毒ガス弾を製造した。
・国立公文書館が所管する曽根製造所調製「軍需動員実施ノ概況及意見」は、1941年度の要員増強と毒ガス弾製造量の増大が確認できる唯一の資料である。
要員人数:1941年6月373名→同年9月590名→同年12月628名→1942年3月945名
毒ガス弾検査合格数:1941年4-6月103,112発→同年7-9月109,087発→同年10-12月153,517発→1942年1-3月148,447発
・曽根製造所では原始的な方法で毒ガス充填作業が行われていた。工室内の空気は蒸発したびらん剤によって汚染されていることから、排風機が設置され、風道から排風塔(陸自小倉駐屯地曽根訓練場に4本現存)から排出していた。だが、通気不完全な劣悪な労働環境であり、工員が中毒被災した事故発生の記載も上記資料にはある。さらには製造した毒ガス弾からの漏洩や噴出事故が発生していた事実も記載されている。
・慢性気管支災や肺がんなどに苦しむ元曽根製造所関係者に対する「毒ガス障害者対策」(健康診断、健康相談、医療費や各種手当の支給など)が始まったのは1993年からだった。実態把握は関係者の証言によるしかなかった。上記資料が国立公文書館へ移管されたのは2017年度であり、それまでは陸軍省・第一復員省の流れをくむ厚生労働省内で死蔵されていた。もっと早くに公開されていれば対策の実現も早まった可能性がある。
※旧軍の毒ガス弾は製造当時の国際法においても使用が禁止されていましたたが、実戦使用したことが分かっています。敗戦前後にこの国際法違反を隠ぺいするために国内外で廃棄・遺棄しました。そのため、戦後も国内外で有毒成分に暴露したことによる被災事件が発生しています。莫大な日本の税金を投じて中国国内での処理事業が続けられてきましたが、被害を受けた中国の国民へ日本政府が補償を行うことはありませんでした。曽根製造所における毒ガス弾製造については、北九州市平和のまちミュージアムの展示や江浜明徳著『九州の戦争遺跡』の記述にもなかったので、本記事に触れるまで承知していませんでした。排風塔の存在と合わせてもっと知られるべきだと思います。円筒状の排風塔はグーグルマップの航空写真で確認できます。

○吉田敏浩「ルポ戦争準備国家」
・健軍配備の長射程ミサイル「二五式地対艦誘導弾」(配備完了の3月31日に合わせ「一二式地対艦誘導弾能力向上型」から改称)と静岡県の富士配備の地対地弾道ミサイル「二五式高速滑空弾」はともに三菱重工の開発によるもの。
・戦前・戦中の軍隊直轄の国営軍需工場を工廠と称したが、三菱重工などは現代版工廠としてミサイル特需で潤う。長射程ミサイルの開発・量産などの費用は、今年度予算で約9733億円に達する。
※敵基地攻撃能力を持つことは相手にとっては脅威でしかないので、そうした兵器は保有しないというのがつい3年半前までの政府見解でした。相手にとって保有基地は最前線となるわけで、そのことからも、抑止力になるどころか、大枚をドブに捨ててまで基地周辺住民を危険に晒す愚策でしかありません。

○内田聖子「軍拡はAIからはじまる」
・「QuitGPT」(ChatGPTを解約しよう)という運動が2026年1月から始まっている。トランプ政権下のICE(移民関税執行局)による移民排除や不当逮捕にはOpenAI社が開発したChatGPT利用の監視技術が使われている。同社の社長夫妻は、トランプの支持基盤MAGAInc.へのテック業界最大2500万ドル(約40億円)の寄付者である。市民がChatGPTのサブスクに支払ったお金でOpenAIは莫大な利益を得て、それがトランプへの献金となり、同社の技術は移民の弾圧や排除に使われている。その連鎖を断ち切り、トランプとICEに対抗するために、OpenAI社が開発したChatGPTを解約しようというものだ。
・この運動は米国とイスラエルによるイラン攻撃後さらに広がった。この作戦に米国防総省がアンソロピック社のAIモデル「Claude」を使用していたので、同社が国防総省に対して自社のAIを使用することを禁じた。アンソロピック社が同省のサプライチェーンから排除された代わりに同省との契約にすかさず名乗りを上げたのがOpenAIだった。倫理よりも利益を求めるOpenAIへの批判が一気に高まった。3月初旬時点でQuitGPTに賛同し解約またはボイコットした人は400万人と推計されている。OpenAIでは社員が大量に離職し、契約を破棄する企業・団体も多数現れた。GoogleとOpenAIの従業員1046人が、アンソロピック社への連帯を示す公開書簡に署名した(4月13日現在)。
※ChatGPTに今年の東大の入試問題を解かせたら数学は満点なのに、世界史の正答率は25%と、「(AIの)知識量は豊富だが、論述を適切に構成する力がなかった」(朝日新聞東京本社版5月8日夕刊)ようです。AIには効率一辺倒の正答を求める技術はあっても歴史から何を学ぶかといった、倫理判断の力は弱いので、AIを使う人間の能力が試されると感じます。主権者による権力者に対する監視の力を日頃から養い、不当な権力の行使をさせないよう行動することが重要です。

水俣病70年と昭和100年

5月6日(水)午後10:05放送の「斎藤幸平が掘る!日本の現場 ~水俣病の70年~」が、「らじる☆らじる」で2026年5月13日(水)午後10:55まで聴けます。
特に地元紙の元論説委員長の高峰武さんが、なぜこの事件が終わらないままになっているのか、過去の流れを分かりやすく語っているので、良質の番組でした。
この放送を聴くと、先日の「昭和100年記念式典」での首相の式辞の内容がいかに薄っぺらいものだったかと改めて思います。まさに「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を伝えることが大切」です。
https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=MZNLX8Y17X_01_4314940

日本国憲法の読み方2026

祝日法第2条によれば、5月3日の憲法記念日は、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。」と定められています。したがって、憲法をめぐる学説の積み重ねや政府の解釈を振り返り、国の成長につながらない動きには抗うように心を新たにするのが、同法の定めに沿った、その日の過ごし方なのかもしれません。ちなみに同条では、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定める建国記念の日は、「政令で定める日」となっています。2月11日というのは歴史的な根拠がないばかりか、法律で定めたものではないので、政令を改正すれば変えられます。たとえば1952年の、日本国との平和条約の発効日である4月28日とかは候補の一つになると言えるでしょう。
さて、話を5月3日の過ごし方に戻すと、最近重宝しているデモカレンダーの案内で知った、第42回憲法をまもる熊本県民のつどい「日本国憲法の読み方2026」に参加しました。講師は地元国立大学の憲法学者・德永達哉氏が務められ、資料として日本国憲法全文7ページと第9条解説14ページの提供がありました。たいへん充実した内容で、ありがたく感じました。
講演の内容は、自己紹介(祖父は自民党の政治家)に始まり、憲法の前文(国民主権、平和主義)、第99条(天皇・国務大臣・国会議員・裁判官・その他の公務員の憲法尊重擁護義務)、第9条(戦争の放棄)の解説と進んでいきました。
以下は、9条をめぐる講演のポイント。
・9条が放棄したものは、「武力の行使」とその実行部隊であり、それが日本の最大の特徴。1929年の不戦条約を前提として憲法に戦争放棄条項を持つ国は約150カ国(約30カ国は軍隊を持たない非武装国家)あり、戦争の放棄を定めた憲法を持つ国が主流。同条約は当時の日本も締結していたので、日中間の戦争を「事変」と称していた。戦後の学説と政府は、9条の全体で、侵略戦争も自衛戦争もその他の戦争もすべて放棄したのだとしている。
・警察権力の範囲に留まる最小限度の実力(殺傷を目的とするのではなく妨害排除執行権限に留まる暴力)の行使は、「武力の行使」には直ちにあたらない。その発想から「自衛隊」の前身である警察予備隊が誕生した歴史がある。海上自衛隊も国境警察の規模なら許容できるという論理。「自衛隊」が違憲とならないための解釈の積み重ねがあった。
・政府の解釈では、現存の「自衛隊」を合憲であると説明しなければならない立場にある。そのため、「自衛隊」については、憲法が禁止する「戦力(敵兵の殺傷)」には至らないレベルの実力・暴力・武力の行使は、決して禁止されているわけではないと論じている(1980年政府答弁)。それが「自衛のための必要最小限度の実力」という解釈である。
・9条改憲の着地点が何かを政府は説明しなければならない。仮に、「自衛隊」を、敵兵の殺傷を業務とさせる公務員組織へと作り変えるとなれば、その公務員を担う若者をリクルートし、職務命令により、業務に服務させるために必要な手続きを構築し、その上で、暴走を制限する規範を設け、裁判制度を見直し、良心的兵役拒否など従事する公務員の尊厳を護る制度を拡充する必要が出てくる。それらの段取りも整った上で、改憲せざるを得ない旨を説明しなければならない。
こうして講演を振り返ると、いま与党が訴えていることは、とにかく9条を改憲することが目的化した歪な状況です。憲法に自衛隊を明記しないと違憲になる立法事実が何かを正直に誠実に説明すべきです。自衛隊は、本来、人命救助であるとか、国民の保護に資するよう設計されてきた公務員組織であったはずです。ハーグ条約では、敵兵の殺傷することを仕事とする公務員組織を軍隊と定義します。公務員には憲法尊重擁護義務がありますから軍隊という組織に変わるのであれば、それに属する国民は敵兵の殺傷に従事する義務を負います。そんな仕事に従事したい国民を少子高齢化が進行する国で現実的に確保できるのでしょうか。国の成長を期するのであれば、もっと賢明な道へ向かうべきです。

『球磨川流域豪雨とダム問題』読書メモ

清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会編『球磨川流域豪雨問題とダム問題』(すいれん舎、2000円+税、2025年)を、編者の会の共同代表の一人である緒方俊一郎氏から頂戴して読んでみました。同会は、発足して30年以上。川辺川ダム建設は、たとえ流水型であっても球磨川流域の豪雨災害を防ぐことはできず、川辺川沿いの脆い地質の山地の岩を崩し、川底に堆積した土石により清流を濁水化させると考え、反対しています。反対するのは流域の地形や地質、人吉市に氾濫を起こした洪水の原因分析など、専門的な検証結果の積み重ねによります。その論拠の強さや確かさは、本書を読むとよく理解できましたし、これまで国交省は説明会でも質問に答えず、時には事実の捏造を繰り返してきた歴史が明らかにされています。
たとえば、2020年7月に発生した豪雨災害後、国交省は「川辺川ダムがあれば浸水は6割防げた」と主張し、当時の熊本県知事に流水型のダム建設へ舵を取らせました。しかし、この豪雨災害時に、川辺川流域に局所集中豪雨が降ったわけではありません。球磨川の中流域の山地へ局所集中豪雨が降り、人吉市街地で球磨川がまだ氾濫しない時刻に支流の山田川や万江川が氾濫して多くの命が奪われています。人吉市街地を襲った大洪水は球磨川からでも川辺川からでもなく合流点でつくりだされたものでした。合流点の直上の低地は丸太の集積場となっており、膨大な丸太が貯木されていました。洪水によってそこから流れ出した丸太が流木となって第四橋梁にたまりダム化し、その後崩壊したのが要因と考えられます。
既存の治水ダムも豪雨時にはダムを守るために緊急放流を行い、かえって下流域に洪水災害を起こす危険性があるものです。災害を防げず清流も維持できないものに多額の税金をつぎ込んで新たに造る価値があるのか、よくよく考える必要があります。
球磨川と言えば、私が住んでいる宇土市を始め、宇城市や上天草市の上水道の水源です(水に恵まれないがゆえに半導体工場やデータセンターの立地進出がない、乱開発リスクが少ないというのがメリットではあります)。下流の八代市から上天草市までは実に122kmに及ぶ送水管でつながっており、まったく縁がないわけではありません。この水の恵みに関心を持ち続けたいと思います。
https://tewatasukai.com/
https://suirensha.co.jp/pages/56/detail=1/b_id=326/r_id=331/#block326-331

『定本 力と交換様式』読書メモ

今年3月に岩波現代文庫から出た、柄谷行人著『定本 力と交換様式』は、世界史の構造を規定する物神的な謎の力を著者独自の交換様式論で展開する骨太の著作です。その理論自体が鮮やかで魅了されると同時に、そこへ考えが到達した過程を追えるのがそれ以上に刺激的でした。本書では古今東西の先哲の思想を読み漁りかつ読み解いた軌跡が存分に示されています。それら先哲の思想には読み手である私自身も触れたものもありましたが、そうでないものも多くあります。著者の華麗な読み解きにより、すでに触れた思想に対する新しい解釈や世間一般的に未知の思想への目配りがなされ、未来への知を獲得する醍醐味を感じました。
私の読書記録で確認すると、2010年にやはり岩波書店から刊行された同氏の著書『世界史の構造』を確かに読んではいるのですが、特に読書メモを残していないところを見ると、なんかモヤモヤした読後感に終わったからなのだろうと思います。それは、著者の交換様式論にもまだモヤモヤさがあったからだったに違いないと、今回思いました。
人類は世界宗教を発明し、あの世に国家も資本もない平等な人間社会を求めてきた一方、現世にポスト資本主義社会の実現を求める思想の科学を生んできた歴史があるんだなあと思いました。そこでいくと、宗教と科学が目指すものは案外近しいのかもとこれまた面白く感じました。
さて、本書を読みながらもう一つ感じたのは、当然のことながらAIにはけっして生成できない知があるということでした。AIが生成の源にするものには本書で取り上げられた先哲の著作も含まれるかもしれませんが、AIには字面を読むことしかできません。字面を再構成してなにがしかの文章要約を論理的に発出することはできても、先哲の著作が生まれた時代背景や人的交流の影響、それらによる思考の変遷までも読み解くのは難しいのではないかと思います。AIは間違いとか失敗を犯さず瞬時に正答を出すことには長けていますが、人間のような意識や感情、つまり楽しさも苦しみもないわけなので、ズレや独自性を創造するのは不得意なんではなかろうかと思います。
というわけで、本書で展開される理論についてのメモはほとんど含めないヘンテコな投稿になりましたが、この一冊で先哲の真髄に広く接することができることだけは請け合います。1800円+税というのは、ずいぶんお得です。
https://www.iwanami.co.jp/book/b10159289.html

『独裁者の倒し方』読書メモ

独裁者の失脚のさまを見るのは、その体制で甘い汁を吸っている取り巻き以外の人にとっては痛快なのだろうと思います。ドラマの世界ならなおさらそうだと思いますが、得てして現実はそれら取り巻きを含めた新しい独裁者に取って代わられるのがオチで、なかなか民主化へ進むのは歴史的にもレアです。ことに外国に強制された政権交代の実績は惨憺たるもので、過去100年間に米国が行った政権交代作戦の11%ほどしか民主体制の確立につながらなかったと以下の書のp.237にあるくらいです。
マーセル・ディルサス著の『独裁者の倒し方 暴君たちの実は危うい権力構造』(東洋経済新報社、2200円+税、2026年)を読んでみる気になったのは、3月21日の朝日新聞に掲載された書評がきっかけです。評者は同紙文化部記者で、本書を身近な話として読める部分があるとして、「忠実に見えるという理由で無能な役人たちを独裁者が昇格させると、政権の上層部は権力にけっして近づくべきでない人だらけになる」(p.68)を引用し、「あなたの会社に、そんな社長はいませんか」と結んでいました。ひょっとしたら、評者の勤務先に対するグチなのかと勘繰りました。
確かに会社にも独裁者はいるでしょうが、権威主義国家と異なり社員の命を取る暴力装置まで備えているのはさすがにないでしょうし、私服を肥やしし過ぎると市場からも見離され、会社自体の存立が行き詰ってしまいます。私企業の独裁者を倒すのははるかに容易だと思います。
そうした中、本書で紹介している希望が持てる情報としては、抵抗運動の「3.5%ルール」というものがありました。これはハーヴァード大学のエリカ・チェノウェスが命名した法則で、「戦闘や一般大衆によるデモ、その他の大規模な非協力的行動のような、観察可能な突出した出来事に国民の3.5%が積極的に参加したときに、失敗した革命は1つもない」(p.165)というものです(ただし、1962年のブルネイでの叛乱と2011-14年のバーレーンでの抗議活動は例外的に失敗したともチェノウェス自身が指摘しています)。
ところで、一応民主主義国家である日本国内における政治参加というのは選挙での投票行動だけとは限りません。他にも手軽で楽しい方法があるものです。
https://democalendar.jp/

2026.7.10追記
Dr Marcel Dirsus出演のインタビュー動画
https://www.youtube.com/watch?v=7KIOiBYb3sA

『古代の天皇制』読書メモ

今年3月に文庫化されて出た、大津透著の『古代の天皇制』(岩波現代文庫、1600円+税、2026年)の補章の「天皇号の成立と唐風化」だけでも読んでおくと、日本史のたしなみがある人物かそうでない人物かぐらいの判別を付けられるようになるかと思います。
天皇号がいつ成立したかについての研究では、推古朝説と天武朝説が有力で、最近の教科書では、天武朝説が取り上げられることが多いそうです。
著者自身は、天皇号は、7世紀初めの推古朝に成立し、8世紀初めの大宝律令で制度化され、「スメラミコト」と読まれていたと考えています。詔書というミコトノリで読み上げる主体であり、謚号も和風でした。8世紀中葉から漢字二字の漢風謚号が成立し、同じ天皇号でも礼制を中心とする中国国制の影響を強く受けたものに変質(唐風化)していったと考えています。
古代中国には「皇帝」と「天子」の二つの君主号がありますが、日本での君主号は「天皇」で一つです。その契機となったのが607年の隋の煬帝の激怒にあります。第二回遣隋使が携えた国書の中に、倭王が「天子」と名乗った箇所があり、「天子」は世界に自分一人しかいないとする煬帝からすれば無礼と大いに不興を買ったわけです。以後の国書からは「天子」という記載が消えます。
たとえば、735年に唐から日本への国書には宛名を「日本国王主明楽美御徳」としています。これはその前に日本から唐へ送られた国書にそういう記載があったからと見られます。唐にとっては「日本国王」以外はあり得ないので、「天皇」と書いても受け入れられません。そこで、和語で王の姓名らしく「主明楽美御徳(すめらみこと)」とごまかしてみたわけです。考えようによってはかなりしたたかな外交を展開していたとも言えます。このような外交の才に恵まれた例としては、豊臣政権や江戸幕府と朝鮮王朝との間の国書偽造・改竄(はては朝鮮国王印の偽作まで)にかかわった対馬の宗氏を思い浮かべます。無用な争いを避け、通交で互恵をもたらすお家芸を、現代人はバカにはできないかもしれません。
本書の補章以外の部分の読書メモは、本投稿に加えませんでしたが、「第六章 クラとカギ――クラの思想」など、それこそ歴史教科書では目にすることができない分野の論述に触れられて奥深かったです。「大蔵省」「監物(けんもつ)」「典鑰(てんやく)」といったワードが出てきます。

ミニシンポジウム参加に際して

戦争遺跡保存全国ネットワーク・広島主催ミニシンポジウム「ヒロシマ、ABC兵器をめぐって―原爆被害と毒ガス加害―」が4月12日、広島平和記念資料館で行われるので、参加を予定しています。内容は、いずれもジャーナリストである辰巳知二氏の講演「今なお残る毒ガスの爪痕~禁止条約でも消せぬ戦争責任」と佐田尾信作氏による報告「軍都・軍港と西瀬戸内海の戦争遺跡」となっています。会場である資料館の展示についてもしっかり見てこようと思います。
https://sensekinet.jimdofree.com/
https://hpmmuseum.jp/
戦争は水や土壌、大気を汚染し、ひいてはCO2排出による気候変動をより深刻化させる、最大の環境破壊であり、同時に生命・身体・財産が奪われる人権侵害です。戦時はもちろんのこと、戦後の復興期についても言えることです。広島においては、原爆被害が象徴的ですが、旧日本陸軍が大久野島(日中戦争勃発後は地図から消されていました)で化学兵器を製造していたことによる被害はあまり知られていません。製造された化学兵器の多くは、配備された国内外の駐屯地近くの地中や川、海中に戦後遺棄されました。したがって、戦後それとは知らずに曝露しての被害も国内外で起こり、とりわけ国外における被害者救済が不十分であることも知られていません。
その大久野島には現在「大久野島毒ガス資料館」があり、その概要については、梯久美子著の『戦争ミュージアム』(岩波新書、2024年)で読んだことがあります。同書ではこの資料館が最初に紹介されています。悲惨なのは毒ガス製造のために働いた人(13~14歳の動員学徒1100人を含む)の中から慢性気管支炎、肺気腫、肺炎、肺がんといった健康被害に遭い、亡くなる人や後遺症に苦しむ人が多発したと言います。動員学徒に対して医療手帳の交付と医療費の支給が行われるようになったのは、1975年のことであり、棄てられた存在でした。
https://attempt.co.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/kakehashi.pdf
https://www.takeharakankou.jp/spot/7202/
日中戦争の時代においてすでに毒ガス兵器の使用は国際法的に禁止されていました。それを中国に配備していた旧日本軍は、国際的非難を避けるためにポツダム宣言にも違反して、終戦前後に組織的に遺棄隠匿しました。戦後になっても日本政府は被害の発生を防止するために中国へ情報提供をせず、放置してきました。そのため、たとえば川の浚渫作業中に遺棄された化学兵器を引き揚げてしまい、その作業にあたった中国国民が健康被害に遭うという事件が起こり、日本に対する国家損害賠償請求訴訟がなされたこともあります。原告の代理人を務めた南典男弁護士が実務広報学会編『実務行政訴訟法講義』(民事法研究会、2007年)の「第10章 国家賠償訴訟」やNPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金のHPで、この遺棄毒ガス訴訟を取り上げているのを読みました。原告の主張を認めた一部の判決がありますが、総じて司法も救済に後ろ向きで、つくづく戦後責任を果たそうとしてこなかった国の不正義・無情さを覚えました。
https://attempt.co.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/kokubai.pdf
https://www.miraiheiwa.org/