政治」カテゴリーアーカイブ

ファシズム・メーター

科学史が専門の隠岐さや香氏が、フランスの社会運動家兼デザイナーのジェフリー・ドルヌ氏が作成している「ファシズム・メーター」を朝日新聞コメントプラスで紹介していました。社会の危険な兆候をランキングした表となっていて、下に行くほど深刻度が上がっていきます。国政に限らず企業や学校などさまざまな組織の病気の重さを計測する指標にも応用できそうですね。

自由と参加(=ファシズムから遠い、安全な状態)
1.多元主義(複数の違う立場が見える状態)と権力抑制の尊重
2.自由で独立した報道がある
3.集会・デモの権利の保障がある
4.文化と教育への公平なアクセスがある
5.独立した司法がある

警戒すべき段階
6.治安・安全保障言説が恒常化する
7.「あなたの安全のため」という名目の大規模監視
8.偽情報の流布と穏健なプロパガンダ
9.労働組合・市民団体の権利縮小
10.文化的・学問的検閲が起きる

露骨な権威主義段階
11.内なる敵を指定する言説がある
12.国民史の書き換えが試みられる
13.少数者・ジャーナリストに抑圧がある
14.警察が暴力を奮っても処罰されない
15.日常的な排外的アイデンティティ・ナショナリズムの主張
16.権力の個人化が起きる

能動的ファシズム段階
17.民兵組織、政治的な暴力、指導者崇拝の横行
18.批判的組織の禁止が起きる
19.司法とメディアの統制が起きる
20.反対派の逮捕が起きる
21.「純化」や「道徳的立て直し」への呼びかけ
22.反対派の国外追放・排除

https://hckr.fr/fascismometre/

鬼として彷徨ってみるか

甘耀明著の『鬼殺し』(白水社、2017年)のタイトルにも出てくる「鬼」について理解するには、同書下巻の巻末にある訳者の白水紀子氏による解説が役に立ちました。やや長いですが、引用してみます。「中国語で鬼(グィ)は死者の霊魂を指す。人は誰しも死ぬと鬼となって冥界(あの世)に行き、その霊魂は墓・位牌・冥界に一つずつ宿るとされている。鬼は目に見える鬼(生前と同じ顔かたちをしているのが普通)もいれば姿形が見えない鬼もおり、必ずしも人に危害を加えるとは限らない。祀る人がいる鬼でも死後に一度この世に戻ってくるし、この世で供養してもらえず墓や位牌がない鬼も、冥界からたびたび抜け出て「この世」をさまよう。今日でも、鬼も一緒に出てくる月とされる旧暦の七月は、冥界の門が開いて先祖の鬼だけでなく、普段供養されていない鬼も一緒に出てくる月とされる。「あの世」といいながら決して別世界ではなく「この世」の一部であるかのように、鬼はあちらこちらを行ったり来たりできるのだ。また、神と鬼は非常に近い関係にあり、たとえば本書にも名前がでてくる鍾馗のように立派な行ないをした鬼は神様(人格神)になり、弔う者のない野鬼(狐魂)でさえ有應公という神様に「昇格」して祀られることがある。つまり、神、人、死者(鬼)はそれぞれ天、地、地下の三つの世界をつくっているが、これらの断絶感は希薄で、帰るべきところが定まらず(まだ転生せずに)この世とあの世をさまよっているのが鬼なのだ。」(下巻p.350-351)
この「鬼」の概念が台湾人読者には自然と備わっているでしょうから、本書に鬼王として苗栗出身の客家の抗日英雄である呉湯興が登場しても違和感がなく、物語の世界へ入り込みやすいと思われました。逆にその概念を理解していない読者にとっては奇想天外過ぎて追い付いていけない思いも正直ありました。この呉湯興とは、1895年、日本の台湾領有に抵抗して独立を宣言した台湾民主国の義勇軍総統領です。圧倒的な日本の軍事力を前に民主国は5か月で崩壊し、呉湯興は彰化の八卦山の戦いで死亡(妻も後を追って自殺)しましたが、その死体は見つからず鬼になってさまよっているという言い伝えがあるそうです。
台湾の19世紀末ころからの歴史を振り返ると、清朝から捨てられ、日本から捨てられ、国民党政府からも見放された孤児のようであり、帰るところがなくあの世とこの世の間をさまよう鬼たちの住む島が台湾であるという心象風景が台湾人にあるのではないかと感じました。
戦争犠牲者の存在を忘れたかのように「核兵器保有すべき」と発言した官邸幹部が日本にはいるそうですが、死者はさまよいつつも残るという信念をもつ台湾の人たちからすると、これはどうなのだろうかと思いました。私なんぞは墓も位牌もなくていいと考えていますが、反戦平和の鬼として彷徨ってみるのは面白しろそうなので、たまにこの世に出てみようかしらんと思ってしまいます。

ルメイの人物像をどう考えるか

空襲・戦災を記録する会が主催する「第44回空襲オンライン学習会」に初めて参加しました。今回は、今年ハヤカワ新書から出た『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』の著者・上岡伸雄学習院大学教授が報告者として自著について語る合評会となっていて、主催者の工藤洋三氏がコメンテーター、東京女子大学の柳原伸洋氏が司会を務める形で進行しました。上記著作は今年5月に読んでいましたが、やはり著者からネットを通じての対面ですが、肉声で伝えたかったことを聴けるのは貴重な機会でした。
書名にもある通り、ルメイはアジア・太平洋戦争期において民間人が多数犠牲となった数々の無差別空爆を指揮した米空軍の将軍です。著者が語るところでは、非常にまじめで合理的、「有能」な人物でした。部下には厳しい訓練を強いましたが、それも部下の命を守るためということが伝わり、部下からの信頼も厚い人でした。爆撃の精度を上げ、味方の損失を少なくした「成果」は、軍上層部や政府からも高く評価されました。戦争の論理では、味方の犠牲を極力出さずに戦争を早く終わらせる戦い方が望まれ、ルメイはその期待に「誠実」に応えたとも言えます。ルメイの前任者・ハンセルの「人道的」な爆撃ではあまり「成果」が出なかったので、ルメイの残虐性のイメージが日本では強いですが、どちらも民間人の死者を出したことには変わりはありません。著者自身もコメンテーターも、ルメイだけを非道な人物として特別視できないのではと考えているように受け止めました。
司会の柳原氏からも民主政の国家である米国だったからこそ、自国民を納得させるために、無差別爆撃や核兵器の使用を許容したのではないかという旨の指摘もありました。確かに現代においても石油産油国として裕福な国家では、教育や医療がタダであるために、国民の不満がほとんどないという例があります。政治的な自由が制約されていて、選挙がなくて政権交代が起こらずに権威主義的な政府が継続していても、まさに金持ちケンカせずの倣いで、戦争がなく安心して暮らせるならそれでいいじゃないかという国もあります。つまり、民主主義政体の国がポピュリズムで道を誤ることがありますし、権威主義政体の国民だから必ずしも軍事一色で苦しんでいるわけではないので、政体だけで判断すると間違うこともあります。
政府と国民の関係、政府や職業軍人が考える「正義」とはなんなのかと、思考がぐるぐるしました。
参加者からの質問では、対日爆撃のフォーメーションについてありました。学習会では明確な回答がありませんでしたが、基本は上岡氏が示した12機編隊のコンバット・ボックスだったと考えていいと思います。写真は1944年11月21日の2度目の大村第21海軍廠爆撃のときの米軍報告書の一部ですが、それをうかがわせる編成が記録されています。本拠地のインドからヒマラヤを越えて前進基地の中国・成都まで移動する間に機体の不調で欠落があるので、前進基地離陸時点では12機未満ということもあったと考えられます。

先端研クロストーク受講メモ

#先端研クロストーク #戦争と交渉の経済学 #渡来人とは誰か #3か月でマスターする古代文明 #岡本太郎
2025年11月28日開催の第20回先端研クロストーク第1部「Why war? ひとはなぜ戦争をするのか?」をオンライン受講しました。以下は、受講メモです。聴きながら脳裏に浮かんだ情報(それらはトークでは触れられたものではありません)も記しています。研究分野や世代、育った文化環境がそれぞれ違う登壇者間の対話自体がすごく刺激的で、たいへん実り多いトークイベントでした。

「ひとはなぜ戦争をするのか?」という根源的な問いについて、主催者の先端研はこれまでに何度もそれを考えるイベント「高野山会議」を行っています。今年8月16日の朝日新聞社説欄でも取り上げられていますし、「高野山会議」のアーカイブ配信を私自身視聴したこともあります。
この「なぜ戦争をするのか」という問いは、「どうしたら戦争を起こさせずに済むのか(非戦)」、「どうしたら戦争を止めさせられるか(終結)」、「世界は一つになれるのか」、「世界政府をつくることはできるのか」という問いにもつながってきています。1932年の、フロイトとアインシュタインの往復書簡対話におけるテーマでもありました。
答えやヒントとなるものが、いくつかありました。
まず、「グローバルリズム」と「ナショナリズム」との間に位置する「インターナショナリズム」です。もっとも、歴史的に見ると、インターナショナリズムの考えは共産主義を標榜する国家の出発点にあったはずですが、それらの国家は権威主義体制へ変質しましたし、民主主義体制をとった国家からも権威主義体制へと転落し、戦争を始めた例を見てきています。したがって、口先だけで唱えればいいというものではありません。
次に、航空ネットワークの研究者から、欧米の路線は「メッシュ型」なのに対して、アジアでは「ハブ型」であることが紹介されました。米国のような多民族国家では他国に親類が住んでいて往来が多く、その交流の度合いの多さが国の強さ、国益でもあります。現政権下の米国はそれをわざわざ捨てる方向へ行っているようです。
そうした経済合理性の重視が非戦の選択にもなり、政治外交でどのような行動をとるべきかということになりますが、たとえばアートを通じた対話には、言語や宗教、民族を超える影響力がありますから、多様なチャンネルを閉ざさないことが重要だと思いました。トークでは、長崎の原爆被災者の子孫と原爆を投下した米軍爆撃機搭乗員の子孫同士との交流についても紹介されていました。

思い出した知識・経験など。
・台湾有事発言後に長崎の中国人墓地を日中共同で清掃活動するニュースがありました。長崎の総領事が冷静な挨拶を行っていました。
・渡来人が倭にさまざまな文化をもたらしたことが脳裏に浮かびました。
・イースター島のモアイの巨石文化のルーツは1万5000km先の台湾にあるのが通説なんだそうです。NHK「3か月でマスターする古代文明 第9回オセアニア海を渡った人類と謎の巨石」より。他にも同様の石文化があるミクロネシア、メラネシア、ポリネシアは、台湾の先住民が起源と考えられるオーストロネシア語族といいます。たとえば、数字の「5」は、「リマ」で共通。
・28年前に上海へ旅行したとき高層ビル建設現場で竹材の足場が組まれ命綱なしの作業員が働いているのを見て驚きました。先日の香港の火災のニュースでそれを思い起こしました。台湾先住民の巨石文化に対して大陸の竹利用というのが興味深いです。
・岡本太郎は、戦前、パリ大学で人類学者のマルセル・モース(暴力革命を否定してロシア革命の国際主義を批判)に学び、オセアニアの民族学にも明るかったのではないかと思います。反戦や民族差別反対の信念は一貫しています。

まだ履修途中ですが…

#日行連研修 #専修大学大学院 #行政救済法 #行政不服審査法 #行政事件訴訟法 #国家賠償法 #災害対策基本法 #地方自治法 #国民保護法 #長射程ミサイル配備 #原発訴訟

 このたび、日行連の企画による専修大学大学院における令和7年度司法研修「法律学応用特論(高リスク到来社会に対応する行政救済法の研究)」を受講する機会を得ました。受講してみての感想などを記してみます。
 まず受講にあたっては出願動機についての課題文や最終学歴の卒業証明書などの用意と提出が必要で、その審査があり許可されます。そのうえ募集要項には「申込者が30名に満たない場合には開講されません」とあります。しかも、受講料48,000円を負担して都合5回もキャンパスへ足を運ばないといけません。いかに6万人近い会員を有するとはいえ、全国に30名もこんな物好きな行政書士がいるのかと、ちょっと気をもんでいました。
 しかし、全国から15名(うち九州からも3名)もの会員が集い、無事開講。おまけに年度末までは大学図書館も利用できるので、ライブ講義と合わせて担当講師の著作(例:山下竜一先生『行政裁量と原発政策』5500円+税)を読んだりすれば十分受講料は回収でき、安いどころかおつりが来る思いでした。
 次に、講義内容についてですが、最初は山下竜一教授による行政救済法分野の行審法と行訴法が6コマあり、続いて山田健吾教授によるやはり行政救済法分野の国賠法、加えて災害対策基本法とで9コマありました。最終回は「テスト」となっていますが、これは感想文の提出のようなもので受講者はそう心配する内容ではありません。
 講義のねらいとしては、現在の災害対策基本法なるものが十分なものなのか、その関連で地方自治法第14章の規定は役に立つのか、憲法に合うのかを考えるところにあったと思います。それと、学究の場からずいぶん遠ざかっている受講者のために、毎回詳細な講義資料が配布されて理解を助けてくれました。中には熊本地震後の熊本市の災害弔慰金不支給事件の認容裁決や水俣病被害者の国賠訴訟の最高裁勝訴判決など、熊本にも縁がある資料があり、なおのこと受講意欲がそそられました。
 受講を終えての感想としては、行審法、行訴法、国賠法のいずれをとってみても公権力を相手にした国民の権利実現にかかわるものであり、行政書士であれ、弁護士であれ、代理報酬で食べている専門職としてはやはりコスパ、タイパを考えてしまいます。現状、本研修を受講すること以上に奇特な法律専門家でなければ公権力相手の国民救済の仕事に手を出さないのではないでしょうか。
 たとえば現在、熊本では長射程ミサイル配備計画が注目となっています。仮にこれに異議を申し立てたい住民を支援するとした場合、配備の段階に応じてどのような手立てを講じることができるかは学びました。ですが、それを支援する法律専門家が見つけられるかはまったく別モノの話だなという思いもしました。
 長射程ミサイル配備についてもう一つ述べておくと、有事の際に発射部隊は駐屯地を離れて動くと、だから駐屯地周辺住民は安心してろと言わんばかりに、地元選出の元防衛大臣が先々月地元紙取材に答えていました。言い換えると、攻撃される可能性があるのは、駐屯地(弾薬庫)に限らないわけです。行政訴訟提起の際の原告適格については、駐屯地周辺住民に限らず部隊が動いた遠く離れた先(おそらく九州・沖縄のどこかの陸上部)の周辺住民まで広く含められるのではないかと考えます。そこのところはどう想定して政府関係者は、これからものを言っていくのか注目してみます。

『ニッポンの移民』読書メモ

銀座の「単向街書店」(英文表記店名:One Way Street Tokyo)で購入した、是川夕『ニッポンの移民』(ちくま新書、920円+税、2025年)は、日本の移民政策の現状を理解し、移民受け入れに伴う懸念(=デマ)を払拭するには、適した書籍だと感じて読了しました。
まずここは政府が「日本は移民政策をとらない」と国民へ言い続ける不誠実な態度を取ってきたがために多くの日本国民が誤解していることですが、日本はすでに先進国でも上位の「移民国家」の道を進んでいます(p.58)。最長5年間の中長期在留資格(特定技能を含む)は更新こそありますが、国際基準で言えば、永住型移民に該当し、日本は2023年時点で先進国中第10位に位置しますし、留学や企業内転勤などの一時滞在型も併せると7位になるそうです(p.47)。とりわけ外国人の受け入れが進んでいる介護分野では、現在、「EPA」、「留学などを経た在留資格「介護」の取得」、「技能実習」(今後「育成就労」に変わる)および「特定技能」とスキームが4つもあります(p.115)。
著者によると、「これまでの移民研究に基づけば、移民の受け入れ自体が新たな貧困や格差を生み出し、社会的な分断を生むことはほぼない」と断言しています(p.202)。「排外主義は民主主義を破壊する」ものでしかありません。
著者は、たとえば、在日外国人による健康保険「タダ乗り」の懸念は間違いとも指摘しています。具体的には「国民健康保険制度に加入する外国人は、留学生、自営業、フリーランスなど企業に雇用されていない者に限られる。実際、国民健康保険に加入する外国人は約90万人程度であり、在日コリアンなどの特別永住者を除く中長期在留外国人約350万人の1/3にも満たない」と書いてありました(p.211)。
「日本への移民は今後ますます増加する」(p.159)上、「アジアの堅調な経済成長とそこにおける新中間層の若者の移住先として日本が位置づけられる中で、個人レベル、送り出し受け入れ双方の国レベルのいずれにおいても、好循環を生みつつある」と力強く論じていました(p.225)。
ところで、最近、神保町界隈を散策する機会に恵まれました。神保町は本の街でもありますが、カレー店激戦区でもあります。せっかくなので、努めてカレー店で食事をして味比べをしてみました。それで店舗ごとに、そこで働く人たちがまちまちでした。日本人、インド人、パキスタン人、ネパール人…。混在で運営している店もありました。彼らの出身国同士の関係はいろいろですが、ここニッポンで仲良く住めることは外交的な強みにもなり、素晴らしいことだなと思います。このようにリベラルで開放的な方向へ国柄の舵をとるべきです。

行政の相場観を正すツール

10月9日の朝日新聞熊本地域面に、胎児性水俣病患者が水俣市に対して行った行政不服審査請求で、市の却下処分を取り消す裁決が出たと載っていました(翌10日の熊本日日新聞でも報道)。認容裁決が出たとはいえ、申請人に対する却下理由の説明が不十分だったとし、市の行政手続条例に違反したという手続きの不備が、その根拠とされました。そのため、今後改めて申請をしても却下理由を書き直した上で再び市が却下するような形式的対応をとられる恐れもないわけではありません。
このように申請人からすればまだ手放しで喜べる状況にはありませんが、行政の相場観を正すためにも行政不服審査請求を行った意義は大きいと思います。市に限らず行政機関はさまざま行政処分を行いますが、ほとんどの住民はその処分結果を受け入れますので、ついつい行政側はこれぐらいで仕事を進めればいいだろうと、あぐらをかきがちです。行政機関といっても仕事は一人ひとりの職員の判断で進められるわけですから、誤った法令理解・運用による仕事ぶりがないともいえません。今回の審査請求には弁護士が保佐人に就いたということですが、認容裁決により得られる経済的利益やサービス受益が大きければ、専門家の支援を受けて請求に踏み切る価値はあります。
それと今回の請求とは直接関係はありませんが、まだ前世紀仕様の地方自治気分でいる地方公共団体があるかもしれない点に目を向けるべきです。ジャーナリストの中村一成氏が、『世界』2025年11月号掲載の寄稿(p.72)で、次の通り記していました。「1995年に地方分権推進法が、2000年には地方分権一括推進法が施行された。国と地方は上下ではない対等・協力関係となり、従来の通知通達行政は過去となった。片山善博総務大臣(当時)は2011年3月、同法施行により、それ以前の通知や通達は失効し、場合によっては違法となったと答弁している」。この視点で地方自治の現場を点検してみることもありだと考えます。

やれやれだぜ

移民政策に詳しい小井土彰宏氏が、インターネット時代に起こりがちな不毛な「論争」状況について『世界』2025年11月号掲載の寄稿(p.31)で触れていました。長くなりますが、引用してみます。「インターネットをはじめとする新しい情報ツール・情報環境は、情報の効率的な拡散・共有ではなく、全く基礎的な知識を持たない人々による、唐突な意見表明を可能にし、「議論」に参入する条件をつくり出してきた。ネット上へのにわか「論客」、疑似「専門家」のご登場である。基礎的用語や関連法制のリテラシーにも欠け、身近な事象と自分の実感こそがリアリティと信じ、海外の断片的なルポもどきとリンクすることでフォロワーを獲得する新たな発信者の出現とかれらの起こす「論争」は、事実の検証と政策論理の構築・精緻化をさまたげ、もともと脆弱な論争空間を破砕しかねない」。
たとえば、先々家族帯同の定住も可能な「特定技能」という新概念を導入することで、ブルーカラー労働者を日本に入国させ就労させることが初めて法的に承認されたのは、安倍晋三政権下の2018年12月の入管法改正でした。これは、少子高齢化とその帰結としての持続的な人口減と労働力不足という構造的な問題を乗り越えるためにとられた、国際的にも見ても真っ当な「移民」政策判断だったと言えます。
このおかげで、予想では毎年35万人以上外国人が増え続け、2040年に国内人口の10%が外国ルーツになるといいます。介護や建設、製造、物流などさまざまな分野(当然税金や保険料納付を含む)で日本を支えてもらっているのが現実で、この流れは続きます。
ただし、面白いことに立役者の安倍さんは、「移民」という言葉をタブー視し、公式用語としては頑なにつかいませんでした。安倍さんは「自分の内閣では移民政策は、これをとらない」と国会で答弁を繰り返していました。なお、この「移民政策をとらない」という芸風は、以後の首相も、先の自民党総裁選に立候補した5人も全員が踏襲しています。
このように、表向きの言葉と現実の政策とが乖離している事象を見破れないようでは、不毛な「論争」に陥ることが必定になります。それでも、冒頭に登場の、にわか「論客」や疑似「専門家」のたぐいを支持層に引き込める能力があってこその政治家であり、それが政治の世界なのかと思うと、やれやれだぜという気持ちにもなります。

意見書反対議員名を全員報じよ

熊本への長射程ミサイル配備に慎重判断を求める意見書の採択が、昨日の熊本県議会で否決されたと、本日の地元紙で報じられていました。記事によると、「(意見書には)立憲民主連合と新社会党の計4人が賛成し、最大会派の自民党県議団など42人が反対した」とありました。
現在防衛省が配備を予定している長射程ミサイルという武器は、専守防衛を逸脱し他国領土への攻撃が可能となる能力を有するものです。事態を見誤って他国領土へ向けた攻撃の動きをすれば、それこそ反撃される口実を相手国に与えてしまいます。長射程ミサイルの配備は抑止力になりえないどころか、攻撃されるリスクが高まるからこそ、自衛隊基地をせっせと地下基地化したり、より堅牢な弾薬庫をあちこちに造ろうとしたりしているのではないでしょうか。余計な軍拡予算が膨らむばかりです。
一方で、このたび自身の傀儡総裁誕生に成功したマンガオタクの老人なんかにすれば、家業のセメントがバカ売れしますから、ずいぶんと喜んでいるとは思います。意見書反対議員は自身の行動が県民の生命と財産を本当に守る方向に寄与しているのか冷静に省みてほしいと思います。
意見書反対議員の数があまりにも多くて報道記事には個別の氏名が載っていませんでしたが、このような場合は、反対理由とともにすべて報じてほしいものです。しょうがないので、県議会議員名簿を画像で示します。もしも意見書反対議員の地元にミサイルが運ばれて何かあったらそのときは、コイツらがだらしなかったからだったんだと、思い出してください。
8月に田川を訪ねたときの写真も付けておきます。

人を牛馬扱いするのが今もいるんだ

自民党の新総裁に選出された方が、選出直後のあいさつで「馬車馬のように働いていただく」「私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく」と述べていました。目の前の仲間内の国会議員に向けた発言でしたが、報道で伝わるわけですから霞が関の官僚はもちろんのこと、広く国民がこの言葉をどう受け止めるか思いを寄せる器量はないのだなと思いました。
総裁の座を渡すことになった方もさすがに気になったみたいで、「あそこまではっきり『ワーク・ライフ・バランスをやめた』と言われると大丈夫かという気がしないではない」と指摘していましたが、水俣病を引き起こしたチッソの創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言っていた有名な逸話を私はつい連想しました。
野口遵は、1944年1月15日に死没していますが、公害病を引き起した企業体質はその組織のトップの考えに起因していると思います。水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、2025年)によれば、チッソ水俣工場における労働災害は非常に多く、最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが同書では明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社工場から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。漁民に限らず魚介類を食べる生活をした社員とその家族も水俣病の被害を受けました。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになったことは歴史が示しているところです。
人を牛馬扱いするのを厭わないトップが今もいるのが驚きでもあり、そういう組織が向かう先は…という気がします。

人新世は条件という認識はあるか

元環境大臣の経歴をもつ政治家が、今回の自民党総裁選挙の有力候補者として注目されているようですが、選挙中の発言を追ってみると目先の話ばかりで、たとえば気候変動対策についてどのような外交を展開していくのかという大きな政策ビジョンが聞こえてきません。その人物が現在所管する食料の安定生産についても実際のところは気候変動が大いに関係しています。現在米国大統領を務める老人の場合は、任期が残り3年もないので、地球に暮らす将来世代に禍根が残ろうとも関係ないのかもしれませんが、まだ数十年くらいは政治家を続ける可能性のある40歳代なら少しは頭を使えよと言いたくもなります。
アドリアン・エステーヴ著『環境地政学』(白水社文庫クセジュ、1400円+税、2025年)を最近読んでみました。経済成長至上主義、資源の収奪、植民地支配、自然の支配、男性中心の社会といった近現代の人間の活動が、気候変動をもたらした流れを理解できます。これはグローバルノースの国家に限らずグローバルサウスの国家にも共通する課題ですし、人新世そのものなのだと思います。本書では、さまざまな人物が警鐘を鳴らしてきた歴史、国際的に対応している動きについての情報も紹介しています。コンパクトな著作ながら、人新世の見取り図・現在地を掴むには適した本だと思いました。
これからの地球人にとって必要なことは、領土的枠組みにとらわれず人類共通という考えで、歴史と科学を学び、人新世は条件であるという認識に立つことが重要だと思います。その認識で国際的にリードできる人物の活躍を期待したいと考えます。

なんとかなるって旧軍じゃあるまいし

山口智美氏がX投稿で紹介していた、某県の「ウェルビーイング」資料が確かにすごい。
こんな目くらましの話で県民が幸福になって感謝されると考えたのだとしたら、ホントおめでたい行政機関ですね。
これで「なんとかなる」だろうってのは、とても施策と呼べる仕事ではないと感じました。
自称「成長戦略室」というのも、厚顔無恥の極みだねぇ。地元のいいクスリを飲んで目を覚ましたらと思いました。

「4年生大学」の誘致って何だよ

一昨日告示の県南の市長選挙の選挙公報をわざわざ閲覧したのですが、誤記をさっそく見つけてしまいました。「4年制大学」とあるべきところが、「4年生大学」となっています。
これとは別の話ですが、昨日財布の落とし物を見つけて交番に届けました。係の方から拾得物件預り書を受け取りました。後でよく読んでみると、物件リストに「運転免許証 ○○○○名義 熊本県公安委員会甲府」と印刷されていました。こっちは珍しい公文書なのでそのまま保管しています。

『「あの戦争」は何だったのか』読後メモ

近現代史研究者の辻田真佐憲氏が7月に出版したばかりの新著『「あの戦争」は何だったのか』(講談社現代新書、1050円+税、2025年)を読了しました。同氏の著書を手に取ったのは、『「戦前」の正体』(講談社現代新書、980円+税、2023年)、『ルポ国威発揚』(中央公論新社、2400円+税、2024年)に続いて3冊目になります。近現代史研究者というと、史料読み込みや当事者・関係者取材が主な手法になるかと思います。ですが、辻田氏自身が最近「週刊文春電子版」で告白していたように、歴史をA面(表)からだけでなくB面(裏)からも探求することを大切にしていて、その姿勢が著書では存分に発揮されています。
※「辻」:正しくは辺の「しんにょう」の「点」の数は1点。
前に読んだ『ルポ国威発揚』では、「偉大さをつくる」「われわれをつくる」「敵をつくる」「永遠をつくる」「自発性をつくる」という5つの国威発揚要素が存在する、国内外の約35カ所もの愛国スポットを紹介していました。今度の『「あの戦争」は何だったのか』では、東条英機が首相時代に繰り広げた「大東亜外交」で巡回した以下のアジア各地を著者もたどり、同地にある歴史博物館において、戦争の記憶がどのように継承されているのか、それぞれの「国民の物語」を明らかにしてくれています。
いずれの場所も日本から行けないことはありませんが。パック旅行で気軽に立ち寄れる観光施設ではありません。時間も経費もかかるので、よほど変わり者の個人でない限りおいそれと行けないところばかりです。それだけに、本書に書かれていた情報は貴重でした。
■シンガポール/シンガポール・ディスカバリー・センター
■インドネシア・ジャカルタ/国立歴史博物館
■インドネシア・バレンバン/モンペラ ※この地への侵攻作戦は高木東六作曲の軍歌「空の神兵」や鶴田吾郎の戦争画「神兵、パレンバンに降下す」としてプロパガンダの材料となった(p.172-173

■マレーシア・クチン/ボルネオ文化博物館
■マレーシア・ラブアン/ラブアン博物館 ※日本占領期の初代ボルネオ守備隊司令官を務めたのは、加賀藩主の家系を継ぐ侯爵・前田利為(駒場公園に今も邸宅が残る。陸士で東条と同期)。1942年9月、ラブアン飛行場開場式に向かう途上で搭乗機が墜落し死亡。事故後、ラブアン島が「前田島」と改称された(p.180)。戦争末期には2434名の英軍・豪軍捕虜を虐待した「サンダカン死の行進」があった。生き残れた者は途中で逃亡した6名のみだったという(p.195-196)。
■タイ・アユタヤ(東条が訪問した地はバンコク)/アユタヤ歴史研究センター別館
■中国・長春(新京)/偽満皇宮博物院
■中国・瀋陽(奉天)/九・一八歴史博物館
■中国・南京/侵華日軍南京大屠遇難同胞紀念館 ※資料掲示には、第一一軍司令官、北支那方面軍司令官、支那派遣軍総司令官などを歴任した岡村寧次の記録「派遣軍第一戦は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺するの悪弊あり、南京攻略時に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪強姦多数ありしことは事実なるか如し」(『岡村寧次大将陣中感想録』1938年7月13日)など、日本側の資料も積極的に用いられている(p.216-217)。南京事件の生存者の李秀英の言葉「歴史をしっかり銘記しなければならないが、恨みは記憶すべきではない」も展示されている(p.221)。
■フィリピン・マニラ/サンチャゴ要塞 ※フィリピンでは「許そう、だが忘れない」が戦争の記憶と継承を考えるうえで重要なキーワードとなっている(p.223)。「忘れない」という「物語」を共有し、そのことばを介して手を握るほうが、より健全な関係の構築につながる(p.226)
■ベトナム・ホーチミン、台湾・台北、台湾・屏東 ※これらも東条の訪問地だが本書では割愛。『ルポ国威発揚』に詳しい。
上記に限らず世界の多くの国々には大規模な国立の近現代史博物館があり、それぞれの国の「国民の物語」が明確に展示されていますが、日本においては国立近現代史博物館が「不存在」となっています。つまり、「あの戦争」をいかに描くべきかについて、いまだ社会的合意が成立していないと、本書は指摘しています。そのため、日本では民間の歴史博物館が公的な博物館に代わってはっきりとした歴史観を提示することが多いとも指摘しています。例として「靖国神社遊就館」と「東京大空襲・戦災資料センター」について触れられていますが、後者の展示構成は小規模ながら公立の機関のモデルになると受け取れました。著者は「あえて65点くらいを目標とする」(p.271)という言い方もしています。
本書を読むと、書名にある「あの戦争」は何だったのかということがA面テーマで、実は公立の歴史博物館と私立の歴史博物館の存在意義・役割を考えることがB面テーマだったのではと思います。どちらかといえば、このB面テーマについての考察の方が関心をそそられました。
ところで、本書p.213には、展示説明に接して「きたな」と思い、苦笑するというくだりがあります。ミュージアムフリークには必ずそういう沸点の瞬間があるものですから、案外そんな性分の面で著者とシュミが合うのかなという思いも受けました。

『みんなの政治六法』読後メモ

全国霊感商法対策弁護士連絡会のメンバーとして著名な紀藤正樹氏のX(旧ツイッター)投稿はフォローしていてよく目にしていましたが、同氏の著書を手にしたのは、今回読後メモを残す『みんなの政治六法』(青春新書、1100円+税、2025年)が初めてです。まず、「政治六法」なる用語自体が目新しいので、何なのかと単純に興味が湧きました。それもそのはず、著者独自の造語で、本書によれば「政治にまつわる法律(公職選挙法、政治資金規正法、政党助成法、刑法、国会法、地方自治法)と、これらの法律の大前提となる日本国憲法」の呼称とのことです。でも、これ数えたら七法になるのではと、突っ込んでみたくなりましたが、しっかり「ある分野に関する複数の重要な法律をあつめたもの」(p.6)は一般名詞として「6つでなくても六法とよぶ」(p.6)とありましたので、この丁寧な書きぶりにすっかり好感を抱き、「好感商法」を受容してみることにしました。
さて、本書の中心をなすのは、政治家の政治活動や選挙運動に絡んだ事件・疑惑と密接な法律でありながら、国民・有権者にとってなじみが薄い公職選挙法や政治資金規正法の解説です。私自身は、地元市の選挙管理委員を務めた経験がありますので、いくらかは公職選挙法や地方自治法については親しんだことがありますが、それらの法律については『ポケット六法』程度では全条文収録されていませんし、条文だけを読んだとしても内容が理解しづらいと思います。公職選挙法は、立候補予定者あるいは投票管理者向けに提供される詳細な手引き書を読み込んで初めて分かることが多いものです。
しかし、本書でも触れてあることですが、たとえば公選法違反の疑いで問われるのは「故意か過失か」がです。立候補にあたっては書類の事前審査もありますから選挙運動のルールは知っているのが前提となります。知らなかった、うっかりミスの場合は、単純なウソなのか、本当に知らなかったのかのレベルが問われ、許されるとしても初回だけです(それでも政治責任は問われます)。近年事件や疑惑となったニュースを例にして何が問題だったのか書かれていますので、すごく短時間で読み終えることができました。
以上のことからもしも立候補に興味のある方がいれば、本書を先に読んでいれば、陥りがちなうっかりミスはなくせると思いました。実際のところ著者のねらいは、政治を良くするために立候補を決意する人が多く出てくることへの期待です。そのこともあって、選挙運動にかかわる公費負担の仕組みの解説もページが割かれています。3カ月間以上の住民要件不要の選挙に資質がない人物が立候補を繰り返す弊害も現実にはありますが…。最後に、それとは逆に選挙区内の推している政治家・立候補予定者に寄付を求めたりしていないか、住民側の注意も必要です。

核廃絶の道しかない

昨夜のNHK「クローズアップ現代」では長崎出身の福山雅治さん、そしてけさの朝日新聞オピニオン面には広島出身の吉川晃司さんが登場していました。2人は共に被爆2世です。歌手である彼らが、それぞれどのような心境を経て反核・反戦メッセージを込めた作品を発表するに至ったかを語っていました。まず共通するのは、訴えたい思いや使命感は前から抱いていても、それを言葉と行動にするまでは相当の時間を要したということでした。歌手・俳優として活躍する稀有な才能をもつ2人にとっても生半可な考えでは言葉で表現できない重要なテーマだったのが理解できます。それだけにその結晶である、福山さんの「クスノキ」と吉川さんの「リトルボーイズ」は、長崎や広島を始め多くの人々の心に響くのだと思いました。
核廃絶へ向かうためには思慮深い言葉による政治が求められます。ところが、周囲の政治家を見渡すと、福山さんや吉川さんとは比較にならない軽い言動をとる者をしばしば確認します。
昨年9月の地元市議会の例とはなりますが、「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」に不採択の意思表示を行う者がほとんどでした。不採択とした者たちは、請願者の支持政党だけを判別し、請願内容が意味する言葉を理解できる能力すらないのかもしれません。なお、その翌月に日本被団協がノーベル平和賞に選ばれたことが報道されました。
自身の認知症予防のためにも、身近な所で起きているみっともない例を絶対に忘れず、福山さんや吉川さんの言動に学ぼうという思いを強くしました。

看板に騙されない目を養える企画展かも

2025年8月6日(水)~8月11日(月)、イオンモール熊本 2階中央 イオンホールにおいて、熊本県社会福祉課援護恩給班の仕切りによる「戦後80年 未来へつなぐ戦争の記憶展」が開催されます。この企画展は、表向きは同課の主催ですが、実際は以下の9つの民間団体が参加出展するもので、それぞれ各団体の取組紹介パネル、遺品等の展示、関連DVD上映、語り部による講話等があるようです。
●一般財団法人熊本県遺族連合会【熊本市中央区】
●全国強制抑留者協会熊本県連合会【熊本市中央区】
●荒尾二造市民の会(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所平和資料館)【荒尾市】
https://araonizou-rikugunkayaku.localinfo.jp/
●くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク【玉名市】
https://kumamoto-senseki.net/
●菊池飛行場の戦争遺産を未来につたえる会(菊池飛行場ミュージアム)【菊池市】
●一般社団法人くまもと戦争と平和のミュージアム設立準備会【熊本市中央区】
●火の国平和祈念さくら館を建設する熊本県民の会【熊本市中央区】
●社会福祉法人天草市社会福祉協議会牛深支所(軍艦長良記念館)【天草市】
https://amakusa-shakyo.jp/
●山の中の海軍の町 にしきひみつ基地ミュージアム(錦町立人吉海軍航空基地資料館)【錦町】
https://132base.jp/
県のホームページにおいては、これら参加団体について「戦争の悲惨さや平和や命の尊さを次の世代に語り継いでいく活動を行っている民間団体等」と紹介していましたが、果たしてすべてそう断言していいものなのか、大いに疑問に感じます。一例を挙げると、上記参加団体の上から7番目にある団体の事務局長には、極右団体である日本会議熊本の副会長が就いていて、本企画展プログラムを確認すると、同人物も講話を行うようです。彼らが建設を意図する「平和祈念」施設とは、靖国神社遊就館の熊本地方版であることが明白です。団体発足にあたり「後世に英霊のご事績を正しく遺し、英霊の偉業を歴史に刻む」と、自身のSNSで露にしています。なお、同団体の特別顧問には蒲島前知事が就いていて、憲法改正発議研究会メンバーの法律家(消費者トラブル・多重債務が専門らしい)らとともに発会式で挨拶しています。ついでにこれも書いておくと憲法改正発議研究会サイト掲載名簿の最先頭には旧統一教会関連団体の代表理事をしていた法律家の名を確認できます。
さらに8月17日には極右政党シンパのライターを招いた発会記念講演会を開催企画し、「国の為に命を捧げられた英霊の記憶を永遠に」残したいようですから、本企画展をその宣伝に利用することも予想されます。講演会の後援には、熊本県、熊本県教育委員会、NHK熊本放送局、RKK、FM791、(熊本では流通稀少な)産経新聞社がついているのも注目です。
団体名に「平和」の文字が入っていても実際の活動が真っ当ではない例として、旧統一教会を思い浮かべますが、物が言えない戦没者を利用して侵略戦争の歴史を美化したい願望いっぱいの団体も「平和」の文字を表看板にしています。県民はもちろんのこと、行政や地元報道機関もそうした勢力に騙されないように思慮深くあってほしいと思います。
それを見極める機会として玉石混交の本企画展を訪ねてみるのもいいかもしれません。
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/34/234735.html

それは体裁ビジネスによる体裁行政

2025年8月3日の熊本日日新聞読書面に載っていた香山リカさんよる『過疎ビジネス』の書評が読ませる内容でした。書評対象の本は、河北新報記者の横山勲氏の手によるものですが、地方の弱小自治体を「食いもの」にしているコンサルのやり口を明らかにしているとのことです。「行政機能をぶんどる」「議会も制圧できる」といったコンサルの自惚れた発言記録もあるとか…。自治体の首長・職員、議員、ましてや住民なんてハナからコケにされているのがありありです。貧困な人々につけいる貧困ビジネスがあるように、過疎に悩む自治体につけ入る過疎ビジネスが跋扈していることに、なんとも暗澹たる気持ちになります。
ですが、現在、市レベルのある程度の規模の自治体でもコンサルが入り込んでいるように感じています。非正規の職員比率が高く、専門性を兼ね備えた政策立案能力のある職員はごくわずかというのが実感です。さまざまな分野の地域計画の原案作成にコンサルの関与があり、住民参加のワークショップの仕切り役がコンサル関係者ということもあります。これでは茶番ではないかと思えることが実際あります。それは、字面だけを整えることに長けた体裁ビジネスのコンサルに丸投げのあげく、やってる感だけを発信することに汲々とした体裁行政しかできない自治体へ成り下がる道にほかなりません。それを止められるか(→カネをドブに捨てさせないことにもなります)は、住民の資質次第でもあります。

カスハラ対策と自動通話録音装置導入

宇土市役所本庁舎における電話対応に、8月1日から自動通話録音装置が導入されると、市HPで25日周知されていました。
昨今、官民問わずあらゆる事業所でカスタマーハラスメントといわれる迷惑行為、犯罪行為の被害が問題になっています。
電話対応トラブルが職員の心身を傷つけ、有為な人材の離職につながっているとも言われます。
残念ながらそのような職場環境ですから、今回の運用は一市民として理解し、支持します。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1126/13165.html

住民訴訟と損害賠償責任の一部免責

2025年7月26日の熊本日日新聞社会面において、阿蘇市の住民訴訟控訴が福岡高裁で棄却され、市が前市長に対して損害賠償金8359万円を請求するよう命じた熊本地裁の一審判決が支持されたことから、その請求額や手法についての解説記事が載っていて、興味深く読みました。
同記事の中では、阿蘇市が2021年に制定した、市長等の損害賠償責任の一部免責に関する条例の存在についても触れてあります。そのような条例の制定が可能になったのは、2017年6月地方自治法改正の施行によります。これにより都道府県や市町村は予め条例で一定額以上の賠償について免責することが可能になりました(法243条の2)。ただし、条例であまり減免をしすぎることのないよう、政令で最低限支払わなければならない限度(賠償責任額)が決まっています。
記事によると、阿蘇市の市長の負担額について「重大な過失がないとき」は、年収の6倍を上限とするとありましたので、政令が定める最低限度額の通りのようでした。私が居住する宇土市においても同様の条例が1年前の2024年7月2日施行で制定されていて、いずれも基準給与年額の乗数は政令の最低ラインとなっていました。具体的には、市長…6、副市長、教育長・委員、選管、監査委員…4、公平、農業、固定資産評価委員…2、職員…1となっています。なお、減免される可能性があるのは、その執行が「善意でかつ重過失がないとき」に限られます。
住民の中には自治体の各種の委員に選任される機会があります。そうなったときは、当該の自治体の条例を事前に確認することを勧めます。個人賠償責任補償保険加入という手もあるかと思いますが、どの程度効果があるのかは正直分かりません。公金支出を巡る住民訴訟では、首長らに数十億円規模の賠償を命じる判決が出たこともあります。実際に賠償責任を果たせず首が飛んだり首が回らなくなったりした例もあるようです。
もっとも住民訴訟は地方公共団体の財務会計行為の適正化を目的として起こされるものです(ただし、監査請求前置。法242条)。前市長の財務会計行為に過失があったために、巨額の損害を市へ与えたのですから、納税者である住民はただ指をくわえて見過ごす必要はなく、正当な権利を行使するまでです(正確には住民訴訟の原告の要件は当該住民であるということだけで、住民税非課税の住民でも原告にはなれます。法242条の2 1項)。
https://kumanichi.com/articles/1842014