政治」カテゴリーアーカイブ

総合知・共同プロジェクト・当事者意識

最近国会に提出される法案において条文間違いがたびたび発生しているようです。この問題について官僚出身で現在は政令指定都市の市長を務める人物が自身がかかわった条文間違いを引き合いに法案作成過程の実態と予防策について本人のブログで書いていました。このように当事者経験のある人の提言は重要だと思います。ミスが起こりえる環境については当事者しか知りませんし、立場上なかなか外へ出にくい情報だと思います。それで、予防策については、国会提出前にホームページ等で一般の人に見てもらうことを提言しています。一般の人といってもその法案の分野に明るい学者や研究している学生が含まれるかもしれません。私らのようなもの好きな実務家がひまつぶしに目にするかもしれません。実際、私が所属する団体の規則改正案でも間違ったままの状態で会議に上がってくることがありますから、できるだけ総合知や共同プロジェクトの形をとった方が完成度が高いものに仕上がると思います。それと、そうした法案にかかわる人の当事者意識の醸成が必要です。いわれて作業するものにはどうしてもほころびが出ます。たとえ決まりごとが成立しても思ったような政策効果が出ないことにもなります。

民主主義の後退サインを見落とさない

エリカ・フランツ著の『権威主義』は、民主主義の後退サインを知るうえでたいへん役に立つテキストでした。第二次世界大戦後から今日にいたるまでに登場した世界の権威主義政体を分析してその登場形態から生き残り戦略、崩壊形態について解き明かしています。権威主義体制の政体としては、中国のような支配政党独裁、北朝鮮のような個人独裁、ミャンマーがさらされている軍事独裁などがあります。その独裁体制の継続期間の平均は前述の順となっています。体制の維持には抑圧と抱き込みの両面があります。抑圧一辺倒では体制を転覆させたい人々が多くなるのは当然になります。政党幹部・党員やリーダー親族への恩恵を与えることが抱き込みになりますが、軍事独裁の場合は抱き込み手段が限られ内部に派閥ができやすく、クーデターでさらに体制が変わることが多いようです。天然資源に恵まれた産油国では国民への経済的恩恵が高いため、王族独裁体制が安定している例もあります。権威主義体制ではとても公正とはいえない選挙制度や議会制度を採り入れ民主主義の擬態を見せることが好まれます。まやかしなのですが公正な選挙への参加の権利を奪っている点でそれは人権を蔑ろにしていて支配者と被治者という不平等状態にあると考えるべきです。世界の人口の多くが実はこの権威主義体制下に置かれています。そして、民主主義体制はいつでも後退する危うさもあります。それは抑圧ではないか、それは抱き込みではないかと、一つひとつの事象を丹念に判断する必要があります。

権威主義から見えるもの

今読んでいる『権威主義』はたいへん読みやすい政治学のテキストだと思いました。特に権威主義体制にある最高権力者とエリート層との関係は体制の維持・崩壊の両面で影響します。忠節を尽くすエリート層か、競争相手の可能性があるために排除すべきエリート層なのか、権力者というやつの心持は常に不安をかかえており、つくづく不幸せな役回りだと思います。

考える力を養いたい

他国の人権問題も大切ですが、自国内の外国人をはじめとする人権問題についても関心を払いたいと思います。国際法や条約などの順守も大切ですが、歴史的に戦後処理が適切に行われてきたかを振り返ることも重要です。一面だけを取り上げて主張しても相手に耳を傾けてくれる信頼関係という前提がないと何も解決へは進みません。最近そう思うことが多くてメディアに登場する識者の層が薄いと感じます。

一時金交付までに1カ月は所要か

「熊本県事業継続・再開支援一時金」の申請期間が当初の4月末から5月末まで延長されているところですが、申請者が気になるのはいつ交付されるのかだと思います。当事務所が個人事業主として3月21日に県ホームページから申請したケースでは、1カ月後の4月22日に交付通知決定が出て翌23日に入金されていました。この間、何も照会もなく状況確認もできないので、もどかしい思いでした。なお、当社の法人としての申請も同じく3月21日に県ホームページから申請していますが、こちらは一度4月7日に添付書類についての照会があり、その翌日に解決したところですが、まだ交付決定通知は着信していません。ほどなく届くのではと期待しています。

不都合な事実にほかならない

18日にミャンマーで日本人フリージャーナリストが、虚偽のニュースを広めた疑いで治安当局に逮捕されました。「国軍」と称する暴力集団が「国民」の生命を危険にさらしている事実のどこが虚偽なのか、まったく理解できません。不都合な事実という認識がある犯罪者たちにとっては、虚偽のニュースだと言い張りたいのでしょうが、その愚かさは全世界が知っています。

いつの間にか開業10周年

農地の現地確認に携わっていた先週の4月15日は、行政書士登録10周年にあたりました。今年そのことは意識していたのですが、当日はすっかり忘れていてけさ改めて実感しました。昨日は参加人数を限定して地元の認可地縁団体の総会が開かれ、議長として議事を進めさせてもらいました。日頃地元のさまざまな案件のアドバイスを行う機会があったのですが、本年度から団体の行政手続アドバイザーとして正式に顧問的立場でかかわることとなりました。所属する行政書士会の会員数が増えていますが、こうした足元の活動にかかわったみたらと思います。地域が抱える困りごとに対してうまく行政を動かしながら解決していくことは、案外楽しいものです。

監理人の負担が重い

4月16日、出入国管理法改正案が、衆議院で審議入りしました。今回の改正案は、国際的に批判されてている入管施設での長期収容を減らすために、国外退去処分の手続きが進められている外国人のうち、逃亡のおそれが低いなどの条件を満たす人は、退去するまでの間、施設に収容せず、親族などのもとで生活することを認める内容となっています。そのため、支援者や専門職に監理人に就いてもらうこととして、日本行政書士会連合会へ協力の申し入れがなされている旨の報道もありました。しかし、監理人は、対象者の生活状況、許可条件の遵守状況を監督し、その状況を国に届け出る義務を負います。これに反すれば罰則を科せられ得るとされ、大きな負担を強いる内容となっています。外国人を支援したい人に密告者(スパイ)になれと言っているようなもので、ずいぶんと人をバカにした法案です。この内容では弁護士は監理人には就任しがたいと、日弁連は反対の姿勢を示しています。いま一つの問題は、3回以上の難民認定申請者等について、原則として送還を停止する効力を解除することとしている点です。現在のミャンマー情勢を知る人なら容易に想像がつくと思いますが、ノン・ルフールマン原則(迫害を受けるおそれのある国への追放・送還を禁じる国際法上の原則)に反する恐れがあります。これにも日弁連は反対していますが、みすみす生命を失う危険に外国人をさらすことになりかねないわけで、法案の修正が求められます。

処理水を飲んでみるとは言えないのか

東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出をめぐる、財務相と周辺国政府の発言に引き寄せられます。13日に財務相が「あの水飲んでもなんちゅうことはないそうですから」と海洋放出に問題はないとの認識を示したところ、翌日、中国外務省は「太平洋は日本の下水道ではない」「飲んでも問題ないと言うのであれば飲んでみてほしい」などと批判しました。これを受けて16日に財務相は「じゃあ(太平洋は)中国の下水道なのか。みんなの海じゃないのかね、と思うね」と答えていました。この点は応酬のように見えて海洋は人類共通の資産なので一国による勝手な汚染は許されないとの認識が示されていて、日中の違いはないとも受け取れます。ここは「飲んでみてほしい」という要望に応えて「飲んでみる」と言ってみる器量がほしいと思いました。ただ、先日の投稿にも示した通り責任ある立場の人物が本来飲んで見せるべき水を飲んでくれるとは限りません。国民をだましていないならその姿勢を2年後に示してほしいと思います。

飲んでもなんてことないそうですから

きのう政府は2年後をめどに、福島第一原発のトリチウムを含む処理水を海へ放出する方針を決定しました。財務相は会見で「科学的根拠に基づいて、なんで早めにやらないのか。よく私どもとしては、もうちょっと早くやったらと僕は思っていましたけど、いずれにしても(海洋放出)やられることになったんで、別に、あの水飲んでもなんてことないそうですから」と述べました。
それで思い出したのが、水銀を除去できないサイクレーター(浄化装置)の完成式で装置から出る廃水を飲んで見せたチッソ社長のサル芝居でした。1959年当時、水俣病の原因はチッソの工場廃水に含まれる水銀だと考えられていたので、チッソとしては水銀を除去して海洋放出していると見せかける必要がありました。しかし、完成したサイクレーターには水銀を触媒として使う工程での排水が入らない経路となっていました。完成式に出席した知事も後でだまされたと語っています。
チッソは創業者が電気工学の技術者であったことからももともと東京電力と同じく電力会社です。今も各地に水力発電所をもっていますが、その発電能力を利用して肥料成分である窒素を製造したので、電力会社から化学メーカーへ転換したわけです。
確かに原発の処理水をタンクでため続けることも電気使用者の負担になっていますが、安全な処理ができるのか、東電と政府関係者が飲料水に使ってみてくれないと信用できない気がします。

二分論

中国の指導者で周恩来は日米では評価が高い好人物として認識されています。1970年代に米中関係の基礎を共に築いたキッシンジャーは、周のことをスマートで思慮深い人物として回想録で書いています。日本にとっても周が唱えた戦争責任二分論によって日中戦争の戦争犯罪人の多くが死罪を免れました。連合国側の裁判の戦争犯罪人からは多くが極刑に処せられたのとは対照的です。1972年の日中共同声明においても中国側からの提案で「戦争賠償の請求を放棄すること」が宣言されました。台湾も以徳報怨の姿勢でいましたから、戦後処理においては大陸からも台湾からも恩恵を受けたことは否定できません。一方、中国内モンゴル自治区のモンゴル人からすれば、周は弾圧を加えた張本人ということになります。国内(漢民族)の対立による不満の矛先をモンゴル人に向けさせたと、『紅衛兵とモンゴル人大虐殺』の著者は指摘しています。まさに「夷狄」としてモンゴル人を扱っています。評価が二分されるわけです。専制国家の中で長らくナンバー2の位置に座るにはいろんな立ち振る舞いが要求されたと思います。歴史に登場する人物を見るときにいろんな側面から見る必要性を感じます。

部分的なつながり

インターネット配信で今年の東大入学式の映像を視聴しました。新総長がコロナ陽性に伴い、式辞は理事・副学長の一人が代読となっていました。聴いていて印象に残ったのは、教養学部長の式辞でした。多様性と同質性について考える内容でした。万物が同じであれば、万物は存在しないわけで、「東大生」という同質性に預かってしまっては、異質は見えてこないということだと思います。同時に「部分的なつながり」があるということは、時空を超えて「無関係」はないということです。科学技術に限らず、政治課題もそうですが、何事も関係がないということを知り、関心を寄せるということが、学問なのかなと思いました。

機略を尽くせ

『キッシンジャー回想録 中国』を読み終えました。原書は10年前に書かれたものですが、提言は今も有効だと思いました。現代の指導者は実体験として対立の先にはどのような世界があるのかを知らないため、歴史的視点に立つ洞察力をもっているかどうかが重要です。少なくとも周囲にそうしたブレーンがいればいいのですが、気がかりです。米国の場合は、少なくとも8年に1回は政権が代わります。今回のように政党も変われば最初の9か月間は見習い期間だと、同書の著者は記していました。
以下に読書メモを示します。

中国の特異性
1.長い歴史を持つために、過去の出来事や教訓から物事を判断する。
2.自らを世界の中心であり卓越した存在と考える。
3.時間の観念が長く、長期戦略による相対的な優位を追求する。
4.西欧流の近代化は中国の文明や社会秩序を損なうと考える。
5.本能的に自立更生、自給自足の独自性を主張する。
6.侵入した異民族を中国化させるような文化力や忍耐力を持つ。
7.事物は流動的、相対的であり、矛盾や不均衡の存在は自然と考える。
8.完全な征服より調和を、直接的な勝利より心理的優位を狙う。
9.米国とは異なり自らの価値観を世界に広めようとはしない。

米中関係に求められるのは相互進化
両国ともに可能な領域では協力しながら自国の課題解決に取り組み、対立を最小限に抑えるように互いの関係を調整する。機略を尽くすのをやめ、衝突(あるいは対立)してしまえば世界はどこに行き着くのかにについて自問する必要がある。協議と相互尊重の責任がある。

表紙写真の本は、今度読む予定です。中国国内のモンゴル人に対する文化的ジェノサイドについても目を向けるべきだと思います。文革当時の中国は、文字の読み書きができない国民がかなりいましたが、現在は教育水準の高等化だけでなく、同化政策が進められています。

三国志演義のようにいかない

昨日のJ3第4節でロアッソ熊本は勝ち点を増やせませんでした。対戦相手は今季参入した宮崎だったのですが、こうした初顔合わせのゲームを落とすイメージがあります。外交の現場では三国志演義のように「夷狄をもって、夷狄を抑え(以夷制夷)」、必要なら「夷狄に夷狄を攻撃させる(以夷攻夷)」策をとることができますが、スポーツのリーグ戦においては戦略的協力関係を築くことができません。今読んでいる『キッシンジャー回想録 中国』は米中の外交関係史であり、米中それぞれの外交手法の違いが理解でき、たいへん面白い現代版の三国志演義です。キッシンジャーの目を通じた毛沢東や周恩来、鄧小平の人物評価は、ヘタな歴史小説よりも迫力があります。

 

相手を知れ

「歴史総合」や「公共」などの新科目が2022年度の高校教科書に登場してくるのだそうです。国をまたぐ歴史や境界の問題は、日本の主張だけでなく相手方の主張も理解しなければ何が問題になっているのか、解決の方法はどこにあるのかが見えてきません。相手方の教育の在り方が自国中心であればなおさらです。相手の行動変容を促すにはどう考え動くべきか。教科書だけでなく教員の能力も気になります。新科目には「情報」もあるそうです。国際関係でいえば軍事的な力だけでなく人権や経済の面からも考える力が必要です。

土地問題あれこれ

自衛隊基地の周辺や国境離島などの土地の規制を強化する法案が衆院に昨日提出されました。これは安全保障上の観点から外国資本等に土地を所有されたり建物を持たれたりするのを把握するためなのだと思います。ただし、攻撃対象の近くということであれば、原発施設周辺の土地もそうなりますし、取引をカムフラージュする方法はいくらでもあるでしょうから、良からぬ目的をもった土地利用者が真面目に届出するとは限りませんし、調査する側の能力も問われます。法律で縛ったから安全とはいかないような気がします。これとは別ですが、所有者不明土地の解消に向けた民事法制の見直しも進んでいます。たとえば、相続登記や住所変更登記の申請を法律上義務付けられることや相続した土地を国庫へ帰属できる制度を設けることなどが予定され、この法案も今月国会へ提出されています。これもそれによって土地が有効活用されればいいのですが、資産価値の低い土地の放置の解消がどの程度進むのかとも思います。所有者不明の土地はすべて国庫へ帰属させてそれを売っていくといった形の方が活用も促されて税収も上がると思います。

人権問題に向き合う度量が試される

他国の人権問題を指摘すれば、指摘された側が指摘をした側の人権問題についても引き合いに出してくることがあります。それを内政干渉だとか過去の問題だとかといって逃げてしまっては、今問われなければならない側と同じ穴のムジナになってしまいます。人権問題に国の内外や時代の今昔の違いはありません。お互いに足元の問題にも相手の問題にも向き合う必要があります。たとえば私たちが使用している衣料品の中にはひょっとして強制的に収容されて働かされている人によって製造されているものがあるかもしれません。事実を知ること人権を擁護することにためらいがあってはなりません。

県からのたより

けさの新聞に熊本県広報紙「県からのたより」増刊号が折り込まれていてコロナ禍の影響を受けた個人や事業者向けの支援策の案内が紹介されていました。必要なことですが、新聞非購読世帯への情報伝達がどうなっているか気になりました。

言葉の誤用は恥をかく

昨日テレビを見ていたらタレント同士のトークで「神々しい(こうごうしい)」というべきところを「かみがみしい」、「素性(すじょう)」というべきところを「そせい」という発言があってあれれと思いました。一方で、「他山の石」という表現をふさわしくない意味で発言したニュースもあって、なんともこういうレベルでテレビ放送や国政が動いているのが嘆かわしいと思いました。