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東京大空襲から80年

本日読了。
本書p.134-135に、ルメイが指揮した東京大空襲に加わった爆撃機搭乗員による次の回想が載っています。「上昇気流は気持ちの悪くなるにおいを一緒にもたらした。鼻について離れないにおいだった――焼かれた人間の肉のにおいだ。あとになって、乗組員たちのなかにはこのにおいのために息を詰まらせたり、吐いたりした者がいたという話を聴いた。気絶した者もいたらしい」。
ルメイ自身はいかに合理的に作戦を進めるかの一点に徹底し、下界で生きたまま火あぶりにされる人間を想像することはなかったようです。味方の損失をできるだけ少なくし、いかに敵を効率的に破壊するかだけを究めて、軍人の頂点に立つ人生を送りました。こういう軍人を重宝する面が軍隊の性分としてあることを忘れてはならないと思います。

メモ:初版p.262の11行目 (誤)陸相→(正)陸将

https://www.hayakawabooks.com/n/naa07a0c95200?sub_rt=share_pw&fbclid=IwY2xjawKOpEtleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFwY2hjT1VEU3VXVHNFRlVBAR7shPHJNUvD3Ch_2lRQHLZvRws9ABmVOVUG1Byt_TNgHxPkC5OeWL986HjhPA_aem_2Ppw5ny4rdUPQ7XXNU9nmw

政治家と政党の落ちぶれ方が凄い

某党の参院議員が、現在も過去の展示説明にもない自身の妄想を根拠にした発言を行いました。ある史実に基づいてさまざまな歴史観を抱くのは自由ですが、根拠自体がありもしないことで発言するのを厭わないとなれば、当人の認知能力つまり公人たる政治家の資質そのものが欠如していると思います。当該議員は、発言6日後の記者会見の場においてもなお発言の根拠とした展示説明を過去に見たとの主張は変えておらず、そのダメさ加減は相当に重症なようです。潔く政界から身を退いてもらいたいものです。
さらに言えば、こうした資質に欠ける人物しか抱え込めない政党の側にも問題があります。複数の法務局から自身の行為が人権侵犯と認定された事実をその後も否定し続けている破廉恥な前衆院議員がいましたが、その人物にも冒頭の参院議員同様、認知能力に問題ありと感じています。ところが、夏の参院選比例代表の党公認候補に据えられているということですから、この政党の落ちぶれ方も相当重症です。こうしたポンコツを集めてはたして内外の政治課題の解決に対処できるのか、私は大いに疑問です。
もっとも、わが地元にもポンコツもどきが市議なんぞにいて、3月に人権侵犯認定の前衆院議員を呼んで講演会やら宴席を設けているのですから、やれやれと嘆息するばかりです。
https://kumanichi.com/articles/1767951

企業の新人研修テキストにこそ相応しい

4月16日の熊本日日新聞に、水俣病の原因企業チッソの事業子会社JNCの新入社員研修で、水俣病語り部の会会長の緒方正実さんが初めて講話を行ったとありました。これまでの同社の研修では、水俣市立水俣病資料館の見学はあっても、患者・被害者の講話を聴くことはなかったので、このこと自体は歓迎します。さらに言えばぜひとも水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、3500円+税、2025年)を研修テキストに採用してもらいたいものだと思います。
同書は、水俣病第一次訴訟(提訴時の被告代表者は雅子さまの祖父・江頭豊、被告代理人弁護士は民事訴訟法の兼子一元東大教授の法律事務所所属)において患者・家族を勝訴に導いた新たな過失論「安全確保義務」の理論がどのようにして生まれたかを明らかにしています。これは、現在のさまざまな環境汚染に対する「予防原則」の考え方に連なる先駆をなすものです。今や企業の社会的な影響を考えれば、その事業活動に携わる社員が当然備えるべき教養ではないでしょうか。あえていえばJNCだけでなく、原発や半導体産業の社員にも読んでもらいたいと思います。
それと、なぜチッソが水俣病を引き起こしたのか、その企業体質にどのような問題があったのかを知るにも、本書は役に立ちます。当然のことながら被害を受けた住民は、企業の内部については知りません。チッソ創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言ったのは有名ですが、労働災害が多発する工場で最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが本書で明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。じっさい水俣病の被害は社員も受けたわけです。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになります。
救いがあるとすれば、このチッソの関係者の中にも患者・家族に味方して裁判で証言した人やさまざまな資料を提供した人、理論構築の研究に参加した人がいたことです。本書を手に取って企業や行政に携わるなかでも人間性を失わない職業人生を送ってほしいと思います。
https://kumanichi.com/articles/1745646
https://sekifusha.com/11813

 

都内訪問記

2年ぶりの都内訪問、わずか1日半程度でしたが、充実した時間を過ごせましたのでメモしてみました。おかげでその間かなり歩きました。頭にも身体にもいい刺激を与えられましたので、認知症予防にも役立つ機会だったと思います。ちなみに4月15日は「遺言の日」なんだとか。
【上野編】
・国立科学博物館…特別展「古代DNA―日本人のきた道―」を見ました。ゲノムの分布状況を把握することでヒトのみならずイヌやイエネコの移動の歴史を知ることができるなんていうのは、私たち世代の学校教育にはなかったと、まず感慨深いです。渡来人がもたらした鉄器生産や馬の導入といった新技術なしには日本列島における政治の始まり国家形成もなかった。外国人ヘイトを繰り返すバカにホントは見てもらいたい展示です。
https://ancientdna2025.jp/
・東京都美術館…「ミロ展」を堪能してきました。ミロは、「芸術家とは、ほかの人々が沈黙するなかで何かを伝えるために声を上げる者であり、その声は無駄なものではなく、人々を助けるものであることを証明する義務を負う者である」と、述べています。ミロ作品のなかにはしばしば星が描かれています。どんな時代に生きる人の天空にも変わることのない星があり、その星はいつの時代に生きる人も見守っていて、人類が尊重しなければならない価値は超然として永遠に存在する象徴のように感じます。
https://miro2025.exhibit.jp/
【目白編】
・霞会館記念学習院ミュージアム…リニューアルオープン記念展「学習院コレクション 華族文化 美の玉手箱 芸術と伝統文化のパトロネージュ」を訪ねました。通常は日曜休館なのですが、当日は「オール学習院の集い」の開催日ということで開館していて幸いでした。せっかく独自のお宝コレクションが豊富にあるので、これからも惜しみなく公開して存在感を高めてほしいと期待しています。
https://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/
・馬術部厩舎…現在16頭の馬が学内で飼われています。生きものですから部員たち(みんな大学入学前は未経験者)の手によって毎日休まず餌やりが行われています。年間2000万円かかるということでした。たいへんさを感じました。
・法学部同窓会…初級・中級・上級で政治や法律にかかわる3択クイズが行われていました。全問正解者にはもれなく賞品が提供されていました。会場にはOBの岩田公雄氏がいました。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/?page_id=28155
https://www.gakushuin-ouyukai-branch.jp/hougakubu/archives/1803
・士業桜友会…士業会員による無料相談会が行われていました。学習院行政書士桜友会の唐沢博幸会長(東京会)にご挨拶してきました。
・福島桜友会…移動水族館の展示がありました。会津コシヒカリ2合のプレゼントがありました。
・剣道部…雨天ということで予定されていた野試合は中止となり、部員たちは武道場で稽古に励んでいました。
・大学新聞社同窓会(→これが都内訪問の用向き)…最年長は90歳超から現役学生まで集いました。いろいろ昔話が出てそれを聴くと、私も記憶がよみがえってくることがあって面白かったです。写真も暗室で現像していましたし、印刷も活版から写真植字への移行期でした。割り付けも手作業でしたが、卒業後、ある活動では役に立ちました。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/?page_id=28155
【新宿編】
・帰還者たちの記憶ミュージアム…企画展「おざわゆき『凍りの掌』原画展 シベリア抑留 記憶の底の青春」が開かれていました。新宿住友ビル33Fにあります。総務省委託の平和祈念展示資料館となっていて入館無料です。さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦への理解を深める施設ということです。旧軍の加害性などについては一切触れていません。
https://www.heiwakinen.go.jp/
・スンガリー新宿三丁目店…ゼミでの同級生と食事をしました。同店はロシア料理が専門です。新宿東口本店へは大学生時代から何度か行ったことがありましたが、新宿三丁目店は初めてでした。私が注文した「スンガリーコース」は、以下の通り。マリノーブナヤ・ケタとブリヌイ(ロシア式フレッシュサーモンマリネのブリヌイクレープ包み)、グリヴィー・ヴ・スミターニェ(マッシュルームのつぼ焼きクリーム煮)、ボルシチ(赤かぶと肉野菜の旨みたっぷりスープ)、ゴルブッツィ(ウクライナ風ロールキャベツの煮込み焼き、トマトクリームソース仕立て)、フレープ(自家焼きライ麦パン)、チャイ(パラジャム、季節のジャムを添えたロシアンティー)。飲み物は、エストニア産の瓶ビール「ジュビリエイニス」にしました。ずいぶん久しぶりの味でしたが大満足でした。
http://www.sungari.jp/store_sanchome.php
https://www.ikemitsu.co.jp/product/jubiliejinis/
【神保町編】
・おどりば文庫…「BOOKTOWNじんぼう」のサイトで軍事カテゴリーの書店リストに載っている店舗が3つあり、それらを訪ねてみました。まず訪ねたのはこちらです。実際に訪ねてみたら「おどりば文庫」ではなく、「西秋書店」となっていて当日は営業していませんでした。
https://jimbou.info/bookstores/ab0202/
・軍学堂…訪ねた時間のときが開店前だったようで開いていませんでした。となりは三省堂書店があったところで新ビルを建設中でした。新しい三省堂は来年1月にオープン予定とありました。
https://jimbou.info/bookstores/ab0205/
https://www.gungakudo.com/
・文華堂書店…この日唯一開いていました。いずれも藤田豊著の第三十七師団戦記出版会(山中貞則会長)発行の『春訪れし大黄河』『夕日は赤しメナム河』を購入しました。ほかにも気になる古書がありましたので、また行ってみたいと考えています。
https://jimbou.info/bookstores/ab0140/
【有楽町編】
・+DA.YO.NE.GALLERY(プラスダヨネギャラリー)…中高大を通じての先輩である米原康正氏が運営するギャラリーの1つで阪急メンズ東京7Fにあります。さまざまなアーティストの作品が展示されています。当日は、夏目らんさんの作品を紹介していました。なお、米原氏が運営するギャラリーは原宿、表参道にもあります。機会があればそちらも訪ねてみるつもりです。
https://dayonegallery.com/
・まるごと高知…朝ドラの「あんぱん」の舞台・高知県のアンテナショップです。2Fがレストラン「TOSA DINING おきゃく」で、安芸市名物御膳を食してみました。ごはんとみそ汁はおかわりできるのでボリュームもありました。1Fは特産品ショップの「とさ市」、B1は土佐酒ショップの「とさ蔵」となっています。「とさ蔵」では、高知けいばのポストカードが無料でもらえました。
https://www.marugotokochi.com/

 

専門知を無視するバカに行政は任せられない

添付のグラフ画像は、TSMC量産開始前後のPFAS汚染の推移を示した熊本県の資料です。
一見してTSMC量産開始とPFAS濃度上昇との因果関係が疑われます。
このデータについて熊本県環境モニタリング委員会の専門家は「因果関係あり」との認識ですが、驚くことに熊本県(菊陽町も)の担当者は「因果関係不明」との説明を繰り返しています。
これほどあからさまに科学データを無視するのは致命的に無知であり、破廉恥だと思います。
つまり因果関係不明ということで、なんら水質汚染を防ぐ手立てをとらないと、熊本県は宣言しているのと同じです。はっきりいってこういうバカどもに行政を任せていて良いのでしょうか。
詳しくは、4月9日の朝日新聞熊本地域面で報じられています。
https://www.asahi.com/articles/AST484VSRT48TLVB003M.html

入学式参加雑感

4月9日、地元の小学校と中学校の入学式に、それぞれ午前と午後参加しました。入学式は卒業式と比べて式典時間が短いのが通常です。集中力がない小学1年の新入生ならなおさらのことで、卒業式の3分の1程度、30分余りで終了します。今回初めての経験として卒業式においては教育委員会告辞がペーパー配布でしたが、来賓祝辞もペーパー配布となり、さらに簡素化されました。これはたいへんいい試みだと歓迎しています。
一方、今回の小学校入学式では、先月の小学校卒業式と同様、市議(※1)が来賓紹介後に式途中で退席しました。全体で30分余りの式典において閉式まで残り10分もかからない時間帯にただひとりわざわざ退席するのです。そんなことなら最初から出て来るなと思いますし、忙しそうな政治家センセイとしての大物感を出したいと、ひょっとして本人はカン違いしているのではないかと思います。他の列席者からすれば、その行動に当該人物の小物ぶりが印象付けられます。まぁ、こちらとしては、地域内での人間観察のいい機会となる楽しみもあります。
中学校の入学式で目新しかったのは、今月から導入された市立中学校標準服を着用した新入生もかなりいたことでした。ブレザーにネクタイかリボン、女子はスカートではなしにスラックス着用も可能です。選択の幅が広がったのはいいことだと思います。従来の標準服(制服)は、51年前に入学した私の時代と同じ詰襟学生服(男子)・セーラー服(女子)のタイプです。式場内の在校生(2年生・3年生)で新標準服に身を包んだ生徒は見当たりませんでした。市の社会福祉協議会が不用な制服の寄付を募り安価で販売する「制服バンク」事業を行っています。こうした事業はたいへんいいことですが、もっと根本的なことをいえば、私服通学も可とする道もあっていいのではと思います。
式の運営については、先月の卒業式ではペーパー配布だった教育委員会告辞が登壇復活し、逆に卒業式では登壇だった来賓祝辞がペーパー配布となりました。小学校と同じくどちらも登壇なしで良さそうなものだがと思いました。特に教育長が何かあったら学校へ言ってくださいと述べていましたが、せっかく登壇するのであれば(学校に言っても埒あかないこともあるので)教育委員会へも言ってくださいと呼びかけてもいいのではと思いました。
最後に、ここでも全体で45分程度の式で残り10分足らずの時間帯にただひとり途中退席の市議(※2)がいました。この人物は先月の小学校卒業式でも上記の市議(※1)と連れ立って途中退席していました。ということで、最初から出てくんなという印象の悪い市議が(※1と※2の)2人います。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1193/8595.html
http://www.utoshakyou.jp/business14.html

予防原則の基本を守れ

熊本県においてはTSMC稼働後にこれまで未検出のPFASが下流河川から検出されるなど、水質汚染への対応が問題になっています。このことに県民の生命と財産を守る責務がある知事は「住民生活の不安をあおることをしてはいけない」などと4月4日の会見で述べ、いったいどっちの方向を見て仕事をしているのか、非常にフシギな方だと感じました。
そんななか、4月7日、NHKの国会中継の参院決算委員会で、半導体企業によるPFAS(有機フッ素化合物)汚染の実態調査と規制強化の必要が議論されているのを偶然視聴しました。質問議員の事務所ホームページにパネル1~4の有益な資料もアップされていましたので、画像も借用添付してみました。
議論のポイントとして、欧州連合(EU)ではすでに「安全性が確認されていない物質は規制する」という予防原則に立ち、PFASの規制を強化していることが挙げられます。しかし、日本では、ことに経産省が「危険性が明らかでないものは規制しない」という立場をとっていて、水俣病の被害拡大に加担した前身の通産省と同じ過ちを重ねようとしています。
いわば国民・県民を人体実験の危険にさらしているわけです。国にしても熊本県にしてもトップの無能ぶりには危険性を覚えました。トップの安全性が確認されるまでその任に留まるのは願い下げです。
なお、質問した参院議員のプロフィールを拝見すると、鳥取大学農学部1982年卒とありました。同じ大学学部を1990年に卒業した人権侵犯歴のある前衆院議員が某党から今夏の参院選に出るみたいですが、政党にも公認候補の選考にあたって予防原則を働かしたらどうだいと感じてしまいました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik25/2025-04-08/2025040802_02_0.html

『核心・〈水俣病〉事件史』読書メモ

全219ページからなる富樫貞夫著『核心・〈水俣病〉事件史』(石風社、2500円+税、2025年)を、4月6日に行われたJ2第8節ロアッソ熊本vs.カターレ富山のゲーム観戦のため向かったスタジアムとの往復の時間に読了しました。富樫先生からはご著書刊行のおりにいつも頂戴しているので、文章を読みなれている点もあるかもしれませんが、論理明快、切れ味が爽快でいて人物描写も的確、つまりは読者が理解できやすい読みやすさを覚えます。実際、本書は帯にも謳っている通り「水俣病事件入門決定版」に値すると思いました。
富樫先生は、熊本大学で民事訴訟法を教授されていたのですが、私はその分野での接点はありません。専門は他にあったとしても、水俣病事件の通史を書かせれば、先生の右に出る人を私は知りません。そして、今回本書を読んで、先生を法律家という狭い枠に捉われて見るのは間違いで、実は政治学者あるいは社会思想家に近い視座を評価すべきではと思うようになりました。
本書内の記述からそれを感じる箇所を下記に引用してみます。
p.75「本来、水俣病の原因を究明し、被害の拡大を防止すべき第一次的責任が、原因者であるチッソにあることはいうまでもない。しかし、通常、疑いをかけられた原因企業が自分の責任で原因を究明することは、まず期待できない。チッソの行動が示しているように、加害企業は、例外なく、判決などで断罪されるまで原因者であることを否認し、その間、廃棄物を出しながら操業をつづける。これは、近代日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件以来一貫して変わらぬ企業の行動様式である。そうだとすれば、被害の拡大防止にあたって行政に課せられた責任は大きいといわなければならない。」
p.235「長い水俣病の歴史を通じて、チッソの責任とともに問われているのは、行政の責任である。水俣病の発生や拡大を防止するために、国はいったいその責務を果たしたといえるのかという問題だ。」
p.237「水俣病の歴史を通じて問われてきたのは、日本という国家のあり方の問題であり、人民に対する国家の責務は何かという次元の問題だからだ。」
p.244「水俣病事件は、日本の近代化が生み出したものであり、今日の経済大国日本のもうひとつの顔である。私たちは、この巨大公害事件の歴史をたどることによって、どのような犠牲のうえに現在の日本が存在し得ているかを垣間見ることができるはずだ。」
本書には学生時代に富樫先生の研究室に入り浸って「門前の小僧」を自任する朝日新聞水俣支局長の今村建二さんによるインタビューも載っていて、民事訴訟法を専攻する研究者の道へ進んだいきさつを初めて知りました。それによると、大学卒業に際して最初は企業の採用試験に臨んでいたそうですが、面接で重役にいつもかみついてしまうため企業への就職は断念し、親しい刑事訴訟法の先生に相談したそうです。しかし、相談を受けたその先生が「刑事訴訟法では飯が食えない」からと、民事訴訟法の先生を紹介されてそこの助手に雇ってもらったということでした。

『ルポ軍事優先社会』読書メモ

吉田敏浩著『ルポ軍事優先社会――暮らしの中の「戦争準備」』(岩波新書、960円+税、2025年)は、いかに我が国の安全保障政策が見当違いのであるかを理解する上で有益な情報が満載です。もっと言えば、米国に日本の主権と巨額の公金を献上し、自国民に対する棄民政策が進行しているのを知らずにいて、あまりにもおめでたいよねという警告の書だと思います。
国民一人ひとりもそうなのですが、対等である国の暴走を止めるよう地方自治体にもしっかりしろと言いたい気持ちにさせられます。
本書の内容の一部は、2024年4月~7月号の雑誌『世界』に掲載されていたので、すでに読んではいたのですが、改めてまとめて読んで良かったと思いました。つべこべ言わずに多くの方に読んでほしいと思います。
添付画像は、私が住む宇土市の広報2025年4月号p.12に掲載の「自衛隊に提供する対象者情報の除外届受付」のお知らせ。もともと自治体には自衛隊への個人情報提供の義務はないのですが、多くの自治体が本人の同意なく提供しています。この除外届すら同市では2年前からようやく制度化されました。詳しくは、本書「第2章 徴兵制はよみがえるのか 自治体が自衛隊に若者名簿を提供」を参照してみるといいです。
「第5章 対米従属の象徴・オスプレイ 危険な「欠陥機」を受け入れる唯一の国」では、有明海の海苔養殖への悪影響もさることながら、飛行の際に発生する低周波音も相当なものだと知りました。本書とは別の話になりますが、現在水俣の山間部で陸上型風力発電設置の計画があると聞いていましたので、これは考えものだなという印象を持ちました。風力発電機はせめて海上型でしか認めない方向であるべきではと思います。低周波音による被害については以下を参照ください。
https://www.soumu.go.jp/kouchoi/knowledge/faq/main2.q14.f_qanda_16.html

主要人権条約についての日本の批准状況

断片的なニュース情報や何の専門性をもたないコメンテーターの戯言だけに接していると、さまざまな事象がどうしてそのような結果をもたらしているのか、その要因まで考察することになりません。
解決へ導くため人類が築いてきた秩序や規範の多くは、大国主導で生み出されてきたのも事実ですが、そうしたものに照らして政治はいかにあるべきなのかを学ぶことは重要だと思います。
写真は、石田淳・長有紀枝・山田哲也編『国際平和論 脅威の認識と対応の模索』(有斐閣、2500円+税、2024年)のP.217にある主要人権条約についての日本の批准状況を示した表です。これにもある通り「移住労働者の権利条約」については、日本は未批准となっています。これには示されていませんが、他の先進国の多くも未批准なので、それをマネているようです。しかし、国連人種差別撤廃委員会からは批准するよう勧告を受けています。こういった部分に目を向けている政治家があまりいないので、国会で議論されているような覚えがありません。
なお、選択的夫婦別姓制度の導入や皇位継承における男女平等を保障する必要があるとして皇室典範改正を昨年勧告したのは、国連女性差別撤廃委員会です。これなんかは、「女子差別撤廃条約」を批准してから40年近く経つのに差別撤廃を実現できていない政府のダメさ加減を世界にさらす不名誉なできごとでした。

だからこそ民間の戦争ミュージアムが必要

3月20日の毎日新聞電子版で「南京大虐殺展示巡り賛否分れる 長崎原爆資料館の更新審議会」の記事を読んで、公立の戦争ミュージアムの運営の厄介さを感じるとともに、だからこそ民間の戦争ミュージアムが必要と強く感じました。
記事によると、長崎市の原爆資料館運営審議会なる議論の場があり、同館の展示内容の更新を巡る審議の中で、南京事件は「でっちあげだ」と主張する市民団体代表の委員から、同事件の記述を展示年表に含めないよう求める旨の発言があったとされます。さすがに日本近現代史の学者の委員から「『南京大虐殺は幻だ』という意見が議事録に残るのは耐えられない。従軍兵士の日記などさまざまなものの中に記録が残っている。不当に殺された市民や軍人がいれば虐殺なのであって、それを『幻だ』というのは歴史的事実として認められない」との発言があって、展示更新計画案の変更には至らなかったようです。
公立の戦争ミュージアムの運営を審議するのでさまざまな歴史観をもった人物が委員に就くことはありえるでしょうが、まともな歴史家が認めた史実を否定するような狂信的思考の持ち主が委員に入り込むのは、有害極まりないと思います。ですが、長崎市の「長崎原爆資料館条例」を確認してみると、運営審議会の委員は市長が委嘱するものとなっていて、委員の資質についての定めはありませんでした。前記の「でっちあげだ」発言をした委員は、「公益団体等を代表する者」枠の3人のうちの1人となっています。
つまり、市長の一存でエセ歴史の「有識者」も運営に携わらせることができる面が、公立施設にはあるので、よくよく監視しなければ「公益性」がない施設に成り下がる危険性があると感じます。
もっとも民間の施設とはいっても熊本県護国神社が2027年夏の開館を目指して3億円募金を始める「火の国平和祈念館」のような宗教関連施設では、戦没軍人の遺品や遺影を顕彰・慰霊するために展示するだけで、戦地での加害の歴史を振り返ることはもちろんしないミニタリー倉庫にしかならないと思われます。
必要なのは、歴史と科学の素養がある学芸員が常置し、平和構築や維持にはどう行動すべきなのかを考える材料を展示提供できる、民間の戦争ミュージアムにほかなりません。

Trumps

「財務省解体デモ」を持ち上げる方々のX投稿を見ると、結果的に国益となる国際援助や国際貢献に否定的であったり、国内で暮らす外国人に対しても不当に排外主義的な、何事も短絡的にしか物事を受け止られないTrumps的言動が多い気がします。
税制や社会保障のあり方の見直しを求めたいなら、声を伝える相手の矛先としても見当違いに思えます。

Trumpsとは、「世界に複数いるトランプ的人物」のことを指します。
a Trumpとは、Trumpsのひとりのことを指します。ポピュリズム権威主義の統治術を志向し、民主主義にとって極めて敵対的な言動をとる独裁者と評して差し支えないと考えています。

独裁者の特徴を、シグマンド・ノイマンの著書『大衆国家と独裁――恒久の革命』から借りると、「あらゆる独裁者には、友もなく同輩もいない。…彼は何者をも信頼しない。ある意味で世を捨てているのである。これこそ『超人間的指導者』となるために彼の払う代償である。彼はあまりにも大きく、あまりにも強く、そのために、またあまりにも孤独である」となります。
彼らは、一口で言うと、「お山の大将」です。彼らには、相手のために耳の痛いことでも忠告してくれる友人である「クリティカル・フレンド」がいません。近づいてくるのは利権を貪るさもしい人ばかりとなります。そして、表面上の学歴がどうであれ、トランプ氏のように歴史や科学に無知な傾向を感じます。

ピラ校登頂男のその後

「オール学習院の集い」の開催日(4/13)に合わせて学内で行われる今年の大学新聞同窓会への出席を前に、43年前と42年前に私が書いた「ピラ校登頂男」(O君、2年連続経済学科4年)のその後の情報を、当時の先輩から聞きました。
なんと現在、福島県D市の市議会議員を務めているということでした。しかも定年まで地元県警で勤め上げ、退職を機に行政書士もされているとのこと。
ビックリしたやら、同業の縁を感じるやら。
「ピラ校」とは、2008年まで存在した高さ約25メートルの四角錐の教室(1968年にウルトラセブンによって一度破壊されたという話もある)。写真は下記ページ参照。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/100th/pyramid/

無教育の責任は大きい

ミネルヴァ日本評伝選のシリーズ本として2025年1月に刊行された大石眞著『井上毅』を読了しました。井上毅(1843-1895)は、明治政府の法制官僚として活躍した人物ですが、第二次伊藤内閣では文部大臣に任命され、1年5カ月余りの在職期間でしたが、教育行政についてもスピード感をもって成果を上げたことが紹介されていました。
在職中、高等師範学校卒業生を前に「一体教育とは恐ろしいものである。教育で国を強くすることが出来る、又教育で国を弱くすることも出来る。教育で国を富ますことが出来る、又教育で国を貧乏にすることも出来る……無教育の責任は大きなものである」(p.282-283)と説示しています。教員者に対して自覚と責任を促しているわけですが、同時に大臣である自分の責務を表明したものだと受け取れます。
井上は大臣に着任してから1カ月半後には伊藤総理大臣に「文部の事務釐正(りせい)[改正]を要する件」をまとめた「施設の方案を具へて閣議を請ふの議」を提出しています。これは、総合的な教育行政方針を示したもので、「政府に於ける今日の義務」として「財政の許す所に於て教育費を国庫より補助する事」などを通じて初等教育の普及を図ること、工芸教育を充実させること、高等中学校を改正して大学の改革を行うこと、女子教育を推進すること、私立学校を含めて文部省の統率・保護監督権を徹底することなど七件を挙げ、これが中途半端に終わらないよう「内閣の決議」を望むことを伝えています(p.283-284)。そしてそれらの政策は実現に向かうこととなります。
まさに仕事ができる人物でしたが、病身のため、大臣退任の翌年53歳で生涯を閉じます。もちろん明治時代に求められた教育と現代のそれとは異なるところもありますが、政治家の資質は時代が異なっても主権者である国民は問い続けなければならないことは言うまでもありません。
なお、本書の巻末にミネルヴァ日本評伝選の既刊・未刊を含めた一覧が載っています。その中に大学同窓の杉原志啓氏が「徳富蘇峰」と「松本清張」の担当著者であることが示されていました。いずれも未刊なので、刊行されたらすぐ手に取ってみたいと思います。

これは外交でもディールでもない

きょうは米国大統領執務室での衝撃的な公開口論の映像が世界に流れました。
トランプやバンスが話し相手に人差し指を向けてまくし立てるさまは、およそ外交の場には似つかわしくなく、世界中で呆れてしまったかと思います。忠誠心の高さだけが売りの政権高官らが同じ部屋にいましたが、誰も止めようとはしません。
ですが、あまりのレベルの低さが面白過ぎて私自身何度も見入ってしまいました。プーチンもおそらくニヤつきながらこの映像を見たかと思います。
もともとトランプは不動産ディベロッパーですから、ウクライナの鉱物資源権益のことしか頭にありません。
平和構築のためにどう行動すべきか、外交について歴史から何も学んでいない人物が、世界に影響を与えていると知ると、面白がって笑っている場合でもないワケですが…。
https://www.youtube.com/watch?v=ZThLlfMvMRY

中2時代の2月26日の記憶から

きょうは2月26日だなという認識とともに、朝から中2のときのその日を思い出して、半世紀近く前のことなのに、われながら記憶力とはおもしろいものだと感じました。その日は、中学校の職員室内で金銭盗難事件が発生したとのことで、朝から警察が現場検証に入っていて、もちろん生徒は職員室周辺に立ち入るなという指示が出ていて、なんとも落ち着かない校内の雰囲気だったことを覚えています。当時生徒会長として昼休みや放課後の私の居場所であった生徒会室の行事予定表に、役員でもない同級生が事件発生を記録し、その後の捜査の経過を書き込んでいましたが、結局ホシを挙げるまでには至らなかったようです。ともかく歴史的に著名な「二・二六事件」と同じ日付に校内で発生した非日常的な出来事だったので、中学生たちはいたく興奮したのだろうと思います。
ついでながら生徒会活動の思い出としては、なんといっても全校生徒の民主的賛成決議を経てまとめた男子生徒の頭髪にかかわる校則改正案(丸刈り強制ではなく長髪選択を可とする)が、職員会議であっさり否決されて成立しなかったというのが最大です。大半の先生たちの否決理由というのが、長髪は中学生らしくないとかいう、くだらないものでした。学校教師の偽善ぶりを目の当たりにしたので、今となっては政治教育のいい経験だったと思います。強制的同姓から転換して選択的別姓を認めることを頑なに反対する大きなお世話の連中とまるで同じで、世の中の「わからんちん」の存在を、身をもって先生たちが可視化してくれたのかもしれません。
その中学校の職員室の新聞雑誌配架台には雑誌『世界』があって、そのバックナンバーが図書室にありました。私が印象に残る『世界』連載記事は、なんといってもT・K生の『韓国からの通信』でした。他には、ソルジェニーツィンの『収容所群島』に親しみました。民主化運動を弾圧する軍事政権下の韓国や収容所での強制労働が行われていたスターリン主義下のソ連とは当然比較にはなりませんが、中学生の人権なんて権威主義国家の国民と同じく軽いものだったことは否めません。
ほかに中学校時代の教師の発言として記憶に残るのは、同僚に対する蔭口です。当時は学校対抗の男性教職員のソフトボール大会があって、たまにその練習がグラウンドであっていました。映画評論については抜群であってもおよそスポーツが得意ではない国語の園村昌弘先生(退職後の1985年『スポーツという女-二本木仲之町界隈』出版)がおられて、園村先生はまったく練習に出てこられませんでした。そのことを指して実家の小川町の寺で住職を務める社会科教師が「あいつは一度も出てこない」と、生徒にも聞こえるような批判をたたいたことがあって、いけ好かないやつだなと感じた思い出が残っています。政治家はもちろん学校教師とか宗教家とかいう肩書だけで人を判断するなということが学べたと今では考えています。

競争的選挙は民主主義の基本なので

民主主義の定義にはいろいろありますが、一例を挙げると「競争的選挙」「表現や結社の自由の権利」「法の支配」から成り立っているというのが、政治学の常識といって差し支えないと思います。逆に民主主義が危機にあるかどうかを見極めるためには、「選挙が非競争的か、権利が侵害されているか、法の支配が崩壊しているか」(アダム・プシェヴォスキ『民主主義の危機 比較分析が示す変容』p.14)というチェックが必要です。
たとえば、統一教会の関連団体の役員として活動していた人物が、選挙に立候補するのは自由です。しかし、どのような信条で過去そうした活動に携わっていたのかを、有権者に対して説明する責任があるのではないかと思います。不都合な事実が隠されず公正な判断ができる状態を確保したなかでの競争的選挙は民主主義の基本です。
今月16日に投開票があった阿蘇市長選挙では、牛舎建設を巡る住民訴訟において市が市長に8359万円の賠償を請求するよう命じた地裁判決も争点になり、住民訴訟の原告らを支援してきた新人が当選し、市に多額の損害をもたらしてきた現職はタダの人になりました。同訴訟は市が控訴していて継続中ですが、一審が市側の全面的敗訴だっただけに控訴審判決の行方も自ずと分かります。新市長は「住民に利益のある道を選びたい」(地元紙19日報道)と話していました。こういう選挙は、まさに民主主義のいい例だと感じます。

近代日本の礎を築いた肥後藩校の無償教育

大石眞著の『井上毅 ―大僚を動かして、自己の意見を貫けり-』(ミネルヴァ日本評伝選、3200円+税、2025年)を昨夜から読み始めたところです。熊本に生まれ今年没後130年となる井上毅(1843-1895)は、明治憲法や教育勅語、国会開設の勅諭をはじめ、重要政策の立案・起草に中心的役割を果たし、近代日本の礎を築いた法制官僚なのですが、政治の表舞台で動いた鹿児島や山口の出身者に比べると、あまり知られていない人物です。私も中央に出てからの能吏としての足跡はある程度知っていましたが、井上毅が若いときにどのような教育を受けて、その資質を備えるに至ったのかについては承知していなかったので、本書はそれを理解するのに役立ちました。
まず注目したのが肥後細川藩の教育システムです。対象は藩士の子弟に限られますが、今でいう教育の無償化がすでに実現されているのです。毅(幼名:多久馬)は、家老・長岡監物の家臣である、たいへん貧しい藩士の家に生まれますが、幼少のころから英才であったようで、二人の兄が読書していたのを傍らで聞き覚え、いつの間にかその書物を暗誦していたとか、4、5歳頃には母から教えられた百人一首をすべて暗記していたというエピソードが残っています。10~15歳の間は、長岡家家塾「必由堂(ひつゆうどう)」で勉学に励み、ここでもたいへん優秀だったようです。15歳になると、監物の推薦で藩校「時習館」への進学塾的存在の木下犀潭(長女の鶴は毅の後妻。孫の木下道雄は昭和天皇の侍従次長。道雄の妻・静は劇作家の木下順二の異母姉)の塾に進み、木下門下の三秀才のひとりと呼ばれます。
そして、20歳のときに木下犀潭の推薦で時習館の居寮生となります。その修学費用は長岡家から支給されました。居寮生とは、「藩中の子弟より学力才幹の衆に秀で群を抜き、将来有望の目ある者を採りて之を特待し、学費を給し優遇を為して館中の寮舎に居らしめ、学問を勉強せしめ、他日之を重用して藩政の要地に立たしむる者」とされた、「藩学に於ける官費寄宿生」を指します。時習館における勉学は経史子集の四部からなる漢籍中心でしたが、後に藩からの推薦でフランス学修業のために長崎の広運館への遊学や東京の大学南校(東京大学の前身)への入学のチャンスも得ます。エリート優遇という面はあるにしても、近代以前の時代において無償教育の重要性が藩政で認識されていたのは刮目に値すると思いました。
次に、近代日本のグランドデザインを描いた法制官僚としての資質の源流について振り返ります。井上毅が初めて就いた官職は、わずか2カ月余りですが、大学南校での宿舎長を務めています。しかも、この間に「辛未学制意見」と題した大学南校学則の変更を求める意見書を書き上げ、学生や職員の賛同も得て大学当局へ提出しています。内容は、たとえば語学修業システムの改善など、大学の現状の問題点を指摘し、その要因を分析し、具体的な提案を行っています。しかし、あまりにもその献策が正鵠を射ていたためか、大学教員らの狭小な心証をすっかり害してしまい、当時29歳の井上の方から依願退官してしまう結果に終わります。
本書の副題にある「大僚を動かして、自己の意見を貫けり」は、やはり熊本出身のジャーナリスト・徳富蘇峰が井上毅を評した言葉ですが、優れた公務員つまり能吏としての資質はこのときすでに完成していたのです。それをもたらしたのは肥後藩の教育システムと言えなくはないなと感じます。

オカケンに学ぶ

まだ途中ですが、オカケンこと岡田憲治氏の近刊『言いたいことが言えないひとの政治学』(晶文社、1800円+税、2024年)を読んでいるところです。岡田氏は専修大学教授を務める政治学者の方、生まれ年は私と同じです。同氏の名前は新聞雑誌、SNSなどでこれまで見かけたことはありましたが、著書は初めて手に取りました。本書は、タイトルにもある通り通常の政治学の専門書ではありません。職場や地域社会、家庭において他者との関係に困っている人たちに、政治学の知恵を授ける読み物となっています。
「わからんちん」の上司の下で働かないといけない立場の人にはすぐに役立つと思いますし、あるいはそういう立場にある人を周囲にもつ人が読んでアドバイスのツールにしてもいいかと思います。私自身の体験に即しても本書が提示する理論と実践の内容は納得できる部分がほとんどでした。
しかし、ときたまいい歳こいた大人が、つまり私からしたら先輩諸氏や同級生といった初老以上の人たちのなかに、やれディープ・ステートがどうたらとか、すっかり陰謀論に目覚めた例に出会います。岡田氏によれば、ネトウヨは思想ではなく、彼らの言動は「自分を脅かすのではないかというものへのやや過剰な反応」のように思われる、としています(p.127)。こういう議論にならない相手を日常生活では放置するに限るのですが、それらの票を束にしたポピュリスト政党がバカにできない勢力になることもありえるので、そのへんは実に厄介です。

何がめでたいのやら

私の中学時代に出会った教師たちの記憶で残るものといえば、それぞれの専門教科以外での言葉ばかりです。中学1年のときの担任は英語の森田昌典先生でした。2月11日の前日放課後のホームルームで先生は、「明日は建国記念の日ですが、この祝日ついてはいろんな意見があるので、君たちもニュースや新聞を見て考えてみるといいよ」という趣旨の話をされました。紀元節が廃止となったのが1948年、建国記念の日が1966年の祝日法改正で祝日に加えられ、翌1967年の2月11日から適用されますから、まだ10年と経っていない時代です。
考えてみると、それからいつの間にか50年も経っています。ついでながら書くと、2年前にその中学校を訪ねた際には森田先生のご子息が教頭を務められていました。それはともかく、毎年、この日を迎えると、やはり先生の言葉を思い出します。そういうわけで本日の熊本日日新聞に目を通してみました。
同紙によると、八代宮において「八代建国記念日奉祝会」なるものがあったと、報じていました。どうも「建国記念の日」とは別モノの祝日をこしらえて神殿に向かって「万歳」を行う奇特な人々の集まりだったようです。地元首長もノコノコと宗教施設に出向いているのですが、これが公務扱いなのかどうか、記者は取材してなかったのか、記事では触れてありませんでした。
そのため、わざわざ前日の同紙の「首長の日程」を確認してみると、八代市長の公務予定は「建国記念の日奉祝会」(しっかり「の」入り)出席となっていました。
なお、本日の地元紙1面記事下には中国人留学生やクルド人に対するヘイト本の広告が載っていました。商業新聞といえばそれまでですが、カネがもらえればヘイト本広告を載せたり、勝手につくった祝日を祝う変な団体の記事を載せたりして、ずいぶんとおめでたいなあと思った次第でした。
おかげで、半世紀を経てもいろいろ考えさせられました。11日に公費の支出があっているのかどうかについては、八代市民のみなさんがお考えになればよろしいことです。
【追記】
ついでながら、八代市のホームページに掲出されている「市長スケジュール」では、参加する催事名が「建国記念日奉祝会」となっていました。したがって、2月11日の熊本日日新聞の「首長の日程」欄にある「の」入りの催事名は、新聞社側での加工(忖度?)ということになります。
選挙で選ばれたからといって首長の能力が必ずしもあるわけではありませんが、せめて役所の秘書職員は親分の行動にご注進するぐらいの器量はあってしかるべきなのではと思います。

【記録】・・・新聞社へも以下の問合せメールを送信してみました。
種類:記事の内容について
件名:「首長の日程」欄での行事名書き換えの理由について

貴紙2月12日18面掲載の「建国記念の日 県内各地で集会」の記事中、八代市長が八代宮で開かれた「建国記念日奉祝会」に参加したと載っていたので、公務で参加したのかを確認したく、11日2面掲載の「首長の日程」欄を読み返したところ、参加予定の行事名は「建国記念の日奉祝会」となっていました。
さらに、八代市ホームページ内の「市長スケジュール」も確認したところ、そこでも「建国記念日奉祝会」となっていましたので、なぜ11日の「首長の日程」欄には(12日の記事や市の公表情報通りとせず)「の」を入れて掲載されたのか、理由をお尋ねしたくメールしました。

あと別件ですが、12日1面の「ハート出版」の記事下広告についても質問いたします。東大・早稲田-有名大学が反日分子の供給機関にと決めつけた内容紹介付きで『中国の傀儡 反日留学生』というヘイトの恐れがある書籍の広告が載っています。中国人留学生全体に対する偏見を助長しかねないと懸念します。
なお、同出版社については、貴紙の昨年12月25日1面にも『埼玉クルド人問題』なるヘイトの恐れがある書籍の広告が載っており、重ねての蛮行を疑問に感じます。このような広告を掲載しても構わないとする貴紙の見解をお尋ねします。