政治」カテゴリーアーカイブ

みなが知る必要のあること

最近立て続けにオックスフォード大学出版局が手掛ける「みなが知る必要のあること(What Everyone Needs to Know)」シリーズの翻訳書を2冊読みました。1冊は、ブルース・W・ジェントルスン著『制裁 国家による外交戦略の謎』。もう1冊は、ジェイムズ・カー=リンゼイとミクラス・ファブリーとの共著による『分離独立と国家創設 係争国家と失敗国家の生態』。どちらも2024年に白水社から刊行されています。
書籍の内容をここでは詳しく記しませんが、国際情勢や国際関係の報道に接したときにその背景を理解して動向の成否を考えるうえで役立つ貴重な知見を示してくれます。先を読むには豊富な歴史の知識・教訓を知らなければならないとつくづく思わされます。
ネットユーザーにとっては大変ありがたいことに、『分離独立と国家創設』の筆頭著者のジェイムズ・カー=リンゼイ氏(英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス欧州研究所研究員)は、国際関係の時事問題を短時間で解説したユーチューブ動画チャンネルの配信を行っています。無料で視聴できるので興味を持たれた方は、この動画へアクセスしてみるのもいいと思います。
https://www.youtube.com/c/JamesKerLindsay/Join

所有者不明土地を動かすには

所有者不明土地を得たいときの手段として従来は「不在者財産管理制度」がありました。私も司法書士の協力を得て同制度を使って依頼者の希望を実現したことがあります。この制度では家庭裁判所へ申し立てて専門職を管理人に選任してもらい、申立人へ権利移動の許可を得て手に入れることになります。しかし所有者不明のすべての財産を管理人は管理し続けなければなりませんから、特定の土地だけの取得に終わる場合、管理人としてはいつまでも残りの土地を管理し続けなければならない面がありました(幸い私がかかわった案件ではすべての土地の行き先が定まり管理人の管理は無事終了しました)。
今なら2023年4月から導入された「所有者不明土地管理制度」を活用することにより、特定の土地だけの購入希望者が申立人となり、地方裁判所から選任された管理人から買収の許可を得ることが可能になりました。このあたりの活用事例が1月7日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第5回」で紹介されており、たいへん興味深く読みました。
そして、この制度は一般の方だけでなく市町村長による活用も可能です。詳しくは1月8日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第6回」で紹介されていますが、行政が所有者不明の空き地や空き家を解消するため、「所有者不明土地対策協議会」を設けて対策を進める動きも始まっています。同協議会には専門職等から構成される「所有者不明土地利用円滑化等推進法人」(あらかじめ指定を受ける必要があります)が加わりますが、このような対応力のある行政をもたらすか否かも住民の声次第なのかとも思います。これもたいへん興味深く読みました。

介護難民続出への道は近い

1月10日の報道で気になったのは介護事業者倒産が過去最多となった記事。物価高と人手不足が要因とされていますが、最も倒産が多かった訪問介護については、介護報酬の引き下げという政策的な悪手が元凶といって差し支えないと思います。いわゆる団塊の世代(1947-1949年生まれ)が後期高齢者となり、これからますます要介護の人口は増えていきますが、介護難民も増えてくると考えられます。もはや稼げる国ではないので、海外から介護人材を入れるのもそう簡単にはいきません。介護保険料を払い込みする一方で、将来介護サービスを受けるのは無理かもしれないと考えて生きるしかありません。

能登の被災から学ぶこと

1月8日の熊本日日新聞(21面)に宇土市から石川県輪島市へ支援のため1年間派遣されている職員さんのことが紹介されていました。私も以前から知る職員さんで昨秋石川県まで激励に赴きました。
能登の震災と水害の状況に接すると、公助の先細りが共助・自助の弱体化を招いてきたと思います。これから人口減少社会になっていく地方において、優良農地を開発して新築住宅を過剰に供給するのは考えものです。いざ発災となれば、既存住宅地の空家が復興の障害となりますし、老朽化によって維持管理しなければならない道路や上下水道といったインフラ設備が増えることは、確実に公助の原資を圧迫します。
新興住宅地ではコミュニティが育ちにくく、自分で自分を守れるどころではないため、ましてや他人様を助ける余裕はありません。
能登の被災状況からこれからの地域づくりを学ぶ点は多いと思います。

関さんは悶々としている

昨年は「虎に翼」や「光る君へ」といった国内のテレビドラマに親しむ数少ない機会がありましたが、いまはそれがないので、無料のネット動画でロシアのテレビドラマをもっぱら視聴しています。大学生のときに少しロシア語を学習した経験があるので、いまでもキリル文字の字面から発音を読み取る程度はできますが、さすがにロシア語字幕では筋を追うのは困難なので、基本は英語字幕に頼っています。
自動生成のおかげでロシア語音声によるドラマであっても、英語変換だと割と正しく翻訳されますが、これが日本語変換だとちょっと使い物にならなくて、ドラマの本筋から離れてすっかり空耳アワーに陥ってしまいます。
自動生成といっても翻訳対象がテキスト(文字)データであれば、なんとかなります。しかし、対象が音声データであれば、AIくんが空耳状態に陥ると、変換された原語テキスト自体のスペルが別のものになるので、当然のことながら外国語の変換テキストも空耳翻訳になってしまうのだろうと思います。
下記に空耳翻訳事例を示してみます。
ロシア語:Секи за ней кулис фраерсуется
英語:Seki behind her in the wings is being a jerk
日本語:関さんは楽屋裏で悶々としている
このように音声言語に関してAIくんが本領を発揮してくれるのはどうしても英語中心なのだろうとは思いますが、海外のテレビドラマを見ると、その土地の歴史や文化、国民性の深い部分がつかめるので、新鮮です。
ところで、特にソ連時代のロシア社会では家庭内で市民が政治的な活動をしないためにテレビでは盛んに娯楽番組(市民が良からぬことを考える時間を奪うため)を流していました。私もその当時、宿泊先のホテルでそうした番組(写真=右下は現在のウクライナ、キーウのホテルのテレビ 1989年)を見た覚えがあります。
現在は海外各地の英語ニュース番組が視聴できますので、国の権力がテレビでいくら娯楽番組を流しても市民がそれに釘付けとなるのは難しい時代になったのではとも思います。

新聞広告雑感

昨日の地元紙1面の記事下広告の内容と配置には、ちょっと考えされられました。
写真左側には「外国人ヘイトではない!」というコピー入りで、特定の外国人を排斥する出版物の広告が載っています。
この出版社の経営者は、さまざまな陰謀論を信奉するずいぶん奇特な人物のようで、同社ではもっぱら怪しい健康学やスピリチュアル関係の書籍を好んで出版しています。それら出版物の著者もアカデミックな言論界では無名の人が多いようです。
https://note.com/inbouron666/n/ndcdd031a3685
思想信条の自由、出版や表現の自由はありますが、ヘイトスピーチの自由というものがあってはなりません。人権侵害を赦してはならない新聞社がこのような破廉恥な広告を載せることに、疑問を感じました。
一方、写真右側には、岩波書店の『論理的思考とは何か』や『学力喪失』の新書広告が載っています。岩波書店が発行する雑誌「世界」では今年5回に分けてノンフィクションライターの安田浩一氏による「ルポ 埼玉クルド人コミュニティ」が連載され、在日クルド人がいかに不当な差別を受けているかを告発しています。神奈川の川崎で在日コリアンの人たちに対して不当な差別デモを繰り返している連中が、わざわざ埼玉の川口や蕨まで出向いて外国人ヘイトの活動を続けていることなどを記事では明らかにしています。
私たちの社会に、ネット上のヘイトデマやヘイト本に易々と騙されるような、論理的思考ができない、学力がなくて無知な層が一定数いるのもまた事実です。それだけに、岩波新書の広告が、左隣りの出版物の読者層を揶揄しているようで、これはこれで一種の皮肉を込めた広告配置として見なければならないのかなと感じました。

世界2025年1月号メモ

ブルース・W・ジェントルスン『制裁 国家による外交戦略の謎』(白水社、3000円+税、2024年)を読む合間に、2025年1月号の『世界』の記事を何本かまとめて読む進めたので、記憶にとどめたい記述の抜き書きは以下のように、まとめてのメモとなりました。その前に、『制裁』のP.37から次の記述を示します。「国家を維持し、反乱を未然に防ぎ、……臣民の善意を維持するための最良の手段は、敵を持つことである」。元は古典哲学者のジャン・ボダンの格言。
○「悪法と戦争 ロシア政府がチャイルドフリーを弾圧する背景」奈倉有里(ロシア文学研究者)…ロシアでは前代未聞の法が増加している。2024年9月末には、特殊軍事作戦参加者の刑事責任を免除する法律が採択された。刑事責任を免除されるだけでなく、訴訟手続きの司法段階での処罰も免除される。なんらかの罪状で逮捕された場合「被告」の状態ですでに契約兵になるかどうかの選択が可能で、戦争に参加するとなれば罪を犯した事実自体が帳消しになる。戦争参加時の勲章の授与いかんでは過去の犯罪歴までが抹消される。
○「地域社会の疲弊、マルチハザード化する災害 能登半島地震が問う災害対策の視座」廣井悠(東京大学)…自分で自分を守れない自助、コミュニティが崩壊して助ける人もいない共助、そして老朽化するのに防災投資どころではない公助という社会変化が今後は予想され、自助・公助・共助の隙間が増加して地域としての「対応力」が著しく低下する。
○「対談『光る君へ』の時代と政治」宇野重規(東京大学)×山本淳子(京都先端科学大学)…1000年前後の時代は、「怨霊」がもたらした平和な時代(山本):内戦がほとんどない時代。死刑制度がありながら、数百年の間、死刑の執行がなされなかった。暴力に対する忌避感とか嫌悪感があった。恨みを抱いて亡くなった人は死ぬと怨霊になって、強大な力をもって仕返しするという「負の連鎖」を知っていた。恋愛力が政治を変える?(宇野):政治の只中にあった人が、武力とか暴力を使って政治権力を得るのではなくて、恋愛の力で既存の秩序をひっくり返してしまう痛快さ。源氏物語が示す人徳・調整力(山本)・政治的なアート=技(宇野):異なるものの見方とか、利害を持っている人たちが共存するためにどうやって知恵を出し合っていくかが、本来の政治。敵対した相手を殲滅するとか、否定することを目的にしている政治は本来の政治ではない。日本型組織と摂関政治(山本):名前のある長を、お飾りのように置いて、実質的にやっていくのは番頭さんたちという、中心の空洞化が日本の組織の特徴=摂関政治(自分の娘を魅力的にする必要があるので文化的あるいは美的に素晴らしい娘に育て上げることを実行)。
○リレー連載「隣のジャーナリズム」欄「戦争を書く 自分を疑う」前田啓介(読売新聞記者)…2025年は終戦から80年にもなる。戦争の時代を再現するという営みは、今を生きる体験者の証言から、記録された証言の丹念な渉猟へと変えていくべき時期に来ているのではないか。
○「夜店」欄「変化のなかの『本の街』 神保町という現象」スーザン・テイラー(人類学者)…大学院レベルの研究では、しばしば❝So what?❞つまり「だから何なのか」という問いが投げかけられる。

たかが読者だが

読売新聞については新年号だけ購入するぐらいで、普段は同紙から敵視される朝日新聞のたかが読者を永年続けている私ですら、昨日亡くなったナベツネ氏の存在は良く知っています。40年以上前になりますが、実物は一度だけ見たことがあります。青山学院大学で開かれた読売新聞のマスコミセミナーの挨拶かなんかで、当時専務だった氏が登壇した覚えがあります。当時は中曾根康弘政権で、その頃から氏が首相と昵懇だったのは公然の事実でしたので、「社会の公器」と言われる新聞社幹部でいながら、いわば権力の走狗となっている人物のツラだけ見てやろうという気持ちがあったのだろうと思います。
それとこれも同時期の読書遍歴からの記憶ですが、在日朝鮮人二世の小説家である高史明の著書『生きることの意味』のなかで、共に戦後日本共産党に入党歴のある高史明とナベツネとの接点が書かれていて、路線対立から高らが属していた山村工作隊にナベツネが拘束されて謀殺されかかったところを、高が救った逸話もあって、何かと印象が強い人物です。
本日の朝日や共同通信の評論を読むと、権力者・独裁者という側面に焦点が多くあたっています。資質的にそういう面があったのだろうと思います。逆にその源泉はなんなのだろうと考えます。氏も東京大学在学中に従軍経験があって旧軍内での初年兵いじめを受けています。開戦から敗戦にいたる政治指導者の責任に対する氏の厳しい言葉からも、エリートの知性に対する強烈な期待感、渇望がうかがえます。これもよく知られる逸話ですが、国立国会図書館を最も利用した中曾根康弘氏とナベツネ氏は、毎週読書会を行う仲でした。そのこともあって、他の政治家や新聞記者、ましてや読者がバカばかりに思えて仕方がなかったのだろうと思います。その結果が、たかが読者連中への憲法改正草案を示す驕りだったのではないかという気がします。読売新聞にとっては、今回ナベツネの重しがとれていくらかでも論調が自由になることを期待します。
それと、憲法改正草案を作成したエリートとして現在の自衛隊トップ・吉田圭秀統合幕僚長についても注目したがいいと思います。『世界』2024年12月号の水島朝穂早稲田大学名誉教授による論考「『軍事オタク』首相の思考法を読み解く」は、2004年の石破茂防衛庁長官時代に、現在の中谷元防衛大臣が、当時陸幕防衛班長の吉田圭秀二等陸佐に改憲案を起草させたことがあると指摘しています。その案には、軍隊の設置と権限が明記され、「集団的自衛権を行使することができる」という文言も含み、国家緊急事態の規定のほか、軍刑法や軍事裁判所、国民の国防義務まで明記されていたとあります。水島氏は条文としては未熟と評していますが、単なる軍事オタクの防大出にはできない、東大出の吉田氏だからこそできた芸当だと思います。幕僚監部の防衛班長(二佐)、防衛課長(一佐)、防衛部長(陸将補)とキャリアを積む幕僚長候補の超エリートを指して「三防」という言葉が自衛隊にはあるそうですが、吉田氏はまさにその後「三防」のコースを歩んでいます。
自衛隊については前防衛大臣が指示した特別防衛監察の結果がうやむやのままです。新聞が果たす使命は、そうした権力や組織への不断の監視しかないのだろうと、たかが読者、されど読者は考えています。

データつまみ食いの陥穽

エマニュエル・ドットの『西洋の敗北』を読み終わりました。本書の前に読んだピーター・ゼイハンの『「世界の終わり」の地政学』と比較すると、米国とロシアについての見方が対照的なので、その点がもっとも印象的でした。結論が異なるには必ずワケがあります。結論を補強する指標の集め方に違いがあるのか、同じ指標でも重視するポイントに違いがあるのかです。政治や経済、社会については、自然科学の実験とは異なり、再現して証明することができません。どうしても既存の指標をどう読み取るかで、対象の見え方が違ってきます。
トッドは、米国の実態を弱く捉え、ロシアのしぶとさ、したたかさを強く考えていますが、ゼイハンはまったく逆です。でも、どちらも首肯できる点があります。トッドは、実体経済、ことに工業生産やそれを支えるエンジニア人材の層の指標を重視しているように思えます。ロシアの人口は日本よりちょっと多いぐらいですが、2倍以上の人口を持つ米国よりエンジニア人口の絶対数は多いので、意外と工業生産力はあり、継戦能力が高いと、トッドは見ています。一方、米国内の政治家や弁護士、銀行家といった人材は、およそ生産性のない寄生虫集団呼ばわりしています。
しかし、ロシアのネックは人口の割に国土が広すぎる点です。領土を広げても安定的な統治管理は困難を極めます。その点、米国にはエリートの移民を引き付ける力があります。トッドの著書によれば、米ハーバード大学に占める学生の属性はかつてユダヤ系が高かったのですが、現在はアジア系が最も多くを占めています。米国人の学生がロースクールやビジネススクールへ向かう一方で、米国での2001~2020年の博士号取得者数のベスト10には①中国②インド③韓国④台湾⑤カナダ⑥トルコ⑦イラン⑧タイ⑨日本⑩メキシコとなっており、隣国のカナダとメキシコを除くとアジアの出身者が多いことがわかります(p.303)。しかもアジアの出身者は工学系あるいは科学系の博士号の取得比率が高いのが特長です。トッドが示す指標からむしろゼイハンの主張がより納得できる思いがしました。
ちょうどけさの新聞では経産省試算による2040年の発電コストを報じていて、それでは二酸化炭素対策コストがかさむLNG火力が原発より割高とされていましたが、核のごみ処理コストなどは考慮されていないようで、見掛け倒しの数字の疑念も抱きました。
同じように判決文も読み方次第でいかような主張もできます。やはりけさの新聞で、首相は八幡製鉄事件最高裁判決を引き合いに企業献金全面廃止は違憲だといっていますが、ある憲法学者は用途限定ない企業献金は禁止可能と判決文から読み取った旨を寄稿していました。
データつまみ食いの陥穽とならないよう気をつけたいものです。

AI、原発、避難計画の無理

最近はリアルなタレントではスキャンダルリスクもあるため、AIタレントの起用が増えてきているそうです。日頃、いろんな方の情報に触れますが、一つの情報だけではなくて周辺情報を含めて判断しないと、安易にその人物を信用してはならないなと、思うことが多々あります。またそうした判断はなかなかAIには難しいのではないかと思います。
いくつか今月出合った事例を挙げます。ひとつめは市の広報紙で秋の叙勲者を紹介していたのですが、その方が居住している地域ではリサイクルゴミを分別せずに収集場所へ毎度持参するトラブルメーカーとして有名なので、せっかく受賞されたけど、周囲で祝ってくれる人がいるのかなと思いました。二つめは地元紙の読者投稿欄に小学校で戦争講話をしているとか、平和が大事と訴えた方の例。その方は地方議員もしているのですが、核兵器禁止条約の批准を求める意見書採択には反対票を投じていたことを知っているので、非戦・不戦の本気度がどの程度か疑問でした。
三つめは全国紙のインタビューで原発の新増設を主張していた早稲田大学教授の例。この方はある経済誌勤務時代に他の全国経済紙の記事を盗用したほか、勤務先に無断で自分が代表を務める競合会社を作り、そこを受け皿として勤務先の取引先(その後取締役に就任し総務行政との仲立ちにも活躍)から報酬を得ていました。経済誌を退社後は、東電管内利用者と東電福島第一原発事故被害者をいがみ合わせる原子力損害賠償制度のスキームを構築した経産官僚を高く評価する本を出版して原子力ムラへ食い込み、以降、原子力推進の論陣を食い扶持にしているようです。
12月7日に半径30km圏内に約45万人が居住する島根原発2号機が再稼働しましたが、避難の指揮をとる県庁自体がわずか10km圏内にあるのですから、事故発生となれば避難対応ができるとは限りません。たとえ避難ができても原発事故により放射能汚染を受けた元の居住地へ帰還を果たすことはできません。このように再稼働さえリスクは高いのに、わざわざ新増設まで主張するとは、その発言の先には人の命も財産もまったくありません。
12月7日に放送された下記の番組は良質だとおもいました。
ETV特集 生誕100年 映画監督 岡本喜八が遺(のこ)したもの
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/EMXM874P3P/
NHKスペシャル “国境の島” 密着500日 防衛の最前線はいま
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/P2GLM241J5/

地獄の戦場参千粁

先月菊池市内で開催された「空襲・戦跡九州ネットワーク」の集まりに参加した際に、事務局の高谷和生さんから歩兵第二二五聯隊歩兵砲中隊初年兵戦友会が私家本として編集出版した『地獄の戦場参千粁』を頂戴し、さっそく読ませていただきました。同連隊は、旧日本陸軍の第三十七師団(本拠地は山西省に置く通称「冬兵団」、1944年4月からの大陸打通作戦参加時より防諜名「光兵団」)に属し、主に熊本県出身者からなる部隊です。記録をまとめた初年兵たちは1944年11月に熊本で入営し、中国に渡った後は先行して南下する本隊を追いかける形で行軍を続けます。最終的に初年兵たちは編入を果たせず、終戦をベトナムで迎えます(本隊はタイで迎えたので延べ8000km、日本一歩いた部隊の一つです)。ベトナムやタイからは終戦翌年に復員しますが、戦死者以上に戦病死者が多く合わせて1629名が命を落とすほど損耗が過酷だったと記録されています。
本書を読んで身近だった2人の人物を思い浮かべました。ひとりは6年前に亡くなった伯父です。亡伯父は、本書執筆者と同じく歩兵第二二五聯隊の通信中隊に所属していましたが、この方々より入営が早かったので終戦時はタイにいたようです。復員してみて終戦直前に実家が空襲で焼失していたことを知ったと聞いています。こうした例は本書に登場する初年兵の郷里でもあり、八代の王子製紙や水俣の日本窒素(初年兵の父が従業員で機関砲を受け亡くなったことも書かれていました)の空襲被害の話が触れられています。
そして、もう一人は、私と交流があった故・松浦豊敏氏。本書内に参考文献として同氏著の『越南ルート』が紹介されています。現在の宇城市松橋町出身の松浦氏は、私の伯父と同じく1925年(T14)5月生まれですが、入営したのは上記書執筆者の歩兵砲中隊の方々と同じ1944年11月でした。所属はやはり冬兵団の山砲兵第三十七連隊の初年兵で、終戦はベトナムで迎えられました。そのため、歩兵砲中隊の初年兵らと同じ船で復員されていたことを本書で知りました。松浦氏の場合は、入営までの経歴が特異です。旧制宇土中学卒業してすぐに山西省太原に渡り、山西産業に入社します。同社は鉄鉱・軽工業製品を扱う国策会社で、諸勢力の動静を探る特務機関でもあり、松浦氏は同社の特務課に所属していました。なお、同社の社長は張作霖爆殺事件の首謀者とされた河本大作です。『越南ルート』の初出は1973年刊の同人誌「暗河」ですが、2011年に石風社から出した同名の単行本に所収の自伝的小説「別れ」においてこの山西産業時代のことを描いています。
復員当時20歳前後の青年たちにとって「死」はすぐ傍にあり、しかもそれが国策で強いられたものであったことを命がけで日々体感したと思います。それだけにこの世代の方々のその後の人生の歩みを見ると、分野の違いはあっても、物事を所与のものとして捉えない精神が強靭だと思える面があります。いまさらですが、もっともっと学べることがあったのだろうと思います。

研究と実践

先日自宅火災で政治学者の猪口孝さんが亡くなられた報道に接してお悔やみ申し上げる次第です。同氏の配偶者であり現参議院議員の猪口邦子さんももともと政治学者でしたし、両氏の著書を読んだこともあります。特に当時40代前半の東京大学東洋文化研究所助教授の孝氏が編者として1988年から刊行された現代政治学叢書は、最終的に全20巻の完結はみませんでしたが、当時の各分野のスタンダードテキストとして世に出された優れた業績だったのではないかと思います。
叢書の執筆者の顔ぶれを眺めると、現在も活躍中の方もおられますし、そうした研究者との交流を形成された人徳がうかがえます。前熊本県知事の蒲島郁夫が東京大学に迎えられたのも、氏の後押しがあったからではないかと推察します。
その蒲島氏と同じく政治の実践の世界に入ったのが、叢書の著書で不戦構造の構築を研究した邦子氏ですが、残念ながらたとえば日本外交で力を発揮されているようには思われません。米国にはできない外交など日本ならではの役割に目を開いて活動してほしいという思いがあります。
昨日、宮田律氏の講演会を視聴する機会がありました。そのなかで、「(ネタニヤフらは)イスラエルによる全面的な支配を目指しているが、他方でこれには重大なリスクが伴うことに、彼らは気づいていない。」「イスラエルの一国支配の下、アラブ人たちを差別し、多数派のパレスチナ人をアパルトヘイトの下に置くのは、かつての南アフリカのように、世界中から強い非難を浴びることになる。」「イスラエルが生存を望むのであれば、パレスチナとの2国家共存のほうが理にかなっている。」と指摘しておられました。これは、一例ですが、日本がパレスチナ国家承認に向けて動くことは、外交的パワーを持つことであり、これも抑止力になることにつながります(多くの政治家が抑止力=軍事力と考えているのは、政治学的に大間違いです)。
宮田氏の講演資料の中に、1981年のアラファト初来日の写真があって、宇都宮徳馬参議院議員(元自民党衆議院議員)の姿がありました。不慮の事故で親族を亡くされたばかりの邦子氏に望むのは甚だ無礼だと承知で書いていますが、政治学者としての素養を備えた方であるからこそ、かつての宇都宮議員の見識にならった仕事に向かってもらいたいと願います。

『日本史の現在1考古』読書メモ

このところ歴史学関連の書籍を手に取ることが多いのですが、それはかつて学んだ内容(といっても大学入試のときは受験科目として選択しなかったので10代のころはあまり学習していません)から変化しているため、新しい知識を得る楽しみがあるからです。設楽博己編『日本史の現在1考古』(山川出版社、3300円+税、2024年)を読むと、世界史的位置づけでは新石器時代にあたる縄文時代と弥生時代の区分について学ぶ内容が、現在の高校生以下と大学生以上においてでさえ異なることが分かります(その時代は、文字がありませんから文献はありません。日本の土壌は酸性なので、縄文時代以前の人骨は残りにくいとされます。貝塚から人骨が発掘できるのは、貝殻がアルカリ性であるためです)。しかし、現在の考古学では自然科学の手法を用いた分析が可能なので、それによって従来考えられてきた区分よりは遡らせる必要が生じてきました。具体的には、最新の高校日本史の教科書では、縄文時代に始まりは1万6500年前、弥生時代の始まりは約2800年前と書かれているそうです。ただし、縄文時代が日本列島内できっかり約2800年前に終わりを迎えたわけではありません。朝鮮半島や大陸に系譜を持つ稲作農耕を例にとると、その始まりは北部九州から始まったわけで、東日本まで反映されるには数世代、数百年の移行期があります。つまり、地域差があります。指導者やエリートが登場し、武器型青銅器や銅鐸が広まるのは弥生時代中期、鏡や鉄製品、金属製の腕輪が広まるのは後期とされます。もちろんそれらをもたらしたのは中国という先進世界があり、そことの交流があったからです。言うなれば最初の国際秩序は中国が主導していました。
時代が下って古墳時代になると、倭が朝鮮半島南部の鉄資源を確保するために、加耶と密接な関係がありました。おおむね5世紀ころ、倭は百済や加耶からさまざまな技術を学び、多くの渡来人が海を渡って、多様な技術や文化を日本列島に伝えました。乗馬の風習も朝鮮半島から学んだもので、日本列島の古墳に馬具が副葬されようになったのも5世紀になってからです。より進んだ鉄器・須恵器の生産、機織り・金属工芸・土木などの諸技術、漢字の使用や水筒・外交文書の作成、6世紀以降の儒教や仏教の伝来など、渡来人の役割は大きいものがあります。実際、山川出版社発行の高校の日本史教科書には、「日本列島の中での人々の歩み」は、「様々な地域との交流の中で、その影響を受けつつ展開してきたもの」であり、「日本史を学ぶ場合、いつの時代についても、周辺の国々をはじめとする各地域の歴史や、日本と諸外国との関係に目を向けていく必要がある」(p.161)と本書で紹介している点は、重要な箇所だと捉えました。
このように、日本史一つとっても、学ぶ内容は研究の進展で変化しているので、実は年配者ほど学び直しが必要ですし、地理による時代進行の差や、逆に国境や国籍によらないボーダーレスな人的流れに対する視座が重要だと考えます。つい1世紀前の1930年代を振り返ると、記紀神話を前提とした皇国史観が日本の歴史学界の主流でした。そのことをもってしてもいかに歴史学は日々発展してきたのかが分かりますし、学習の成果がなくエセ歴史に嵌ったまま大人になった皇国史観国民が多数現存している知の貧困状況があります。もしも政治に携わる者が、こうした国民の後進性を憂いていないとすれば、それは騙しやすく管理しやすい対象として国民をバカにしているのか、本人自体がバカかのどちらかになるかと考えています。

『象徴天皇の実像』読書メモ

原武史著の『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』(岩波新書、960円+税、2024年)を昨日購入して翌日すぐに読了しました。それだけ読みやすくまるでサスペンス小説のように先を知りたくなる題材だったからなのだろうと思います。意外にも原武史さんの著書を手に取ったのは今回が初めてです。ですが、放送大学のラジオ放送で「日本政治思想史」を講義されていたことで、語り口や同世代の時代体験に以前から親しみを感じていましたし、毎週土曜日の朝日新聞に連載されている「歴史のダイヤグラム」で披露される豊富な鉄道の知識にいつもワクワクさせられる楽しさを覚えていました。
さて、本書は、タイトルの通り昭和天皇という人物の考えやふるまいなどを、その発言記録から明らかにしています。国民が抱くイメージは、とにかく歴史に翻弄された人物であり、本音がまったく不明、生身さが感じられないというものではなかったかと思います。国民の前に感情をむき出しにされることはありませんでした。私が生の昭和天皇を初めて見たのは、高校1年生のときに青森県で開催された国民体育大会での開会式でした。その翌年の長野県での国体開会式でも目にするのですが、とにかく著名人を見たということと、訥々とした口調のお言葉を聴いたというだけで、地方の高校生からすれば感動というより物珍しい体験をした思いで終わっています。ちなみに、天皇が戦後地方巡幸する出席行事としては、この国民体育大会(現・国民スポーツ大会)や植樹祭(現・全国植樹祭)がありますが、戦前は陸軍特別大演習がそれにあたりました。ただ、この大演習がいずれも三重県で予定されていた1923年と1937年は、それぞれ関東大震災と日中戦争とが原因で中止となっています。昭和天皇は、平和の神であるアマテラスを皇大神宮が伊勢に鎮座しているのに、そこで戦勝を願ったので神罰が下った旨の考えを後年述べています。
ところが、本書では、側近が話し相手ということもあって、昭和天皇は周囲の人物評から政治や社会情勢、歴史、宗教と幅広く饒舌に語っています。とりわけ、母親や弟たちとの関係は概してよくなく、側近に批判や不満をしばしば漏らしています。宮中祭祀に際しては、「血のケガレ」が今でも存在して、生理中の女性職員は祭祀に出られないそうです。これは皇后についても同様で、そのために皇后の極めてプライベートな情報が天皇と側近に共有されていたという情報には驚きました。現在の上皇后が皇太子妃の時期に精神的な不安があったのも、宮中祭祀に出られない日があることで、その情報が宮中で広く共有されることに悩んだためと見られます。このように女性にとっては、かなりストレスがかかる環境です。
一方、昭和天皇自身は、三笠宮のように公言はしませんでしたが、神武天皇は史実に反するし、歴代天皇の式年祭も史実に基づいたものではないと考えていたことが、史料からはうかがえます。なお、昭和天皇が考えてもいないことを公表しているのが、自民党という政党で、2024年4月26日の「安定的な皇位継承の在り方に関する所見」には、「神武天皇以来、今上陛下までの126代にわたり、歴代の皇位は一度の例外もなく男系で継承されており」というくだりがあるそうです。ちなみに1926年10月21日の詔書で南朝の長慶天皇が正式に第98代天皇としてカウントされたので、それまで大正は第122代とされていたものが第123代に繰り下がりました。関連して付け加えると、天皇家が北朝の系統であるにもかかわらず南朝が正統とされたのは、南朝が皇位の象徴である三種の神器を所持していたからだそうです。明治から戦前まで、1泊以上の行幸では天皇とともに剣爾を動かす剣爾動座が行われていたそうです。お召列車の中で天皇が乗る御料車に持ち込まれていました。1974年に天皇が伊勢神宮を参拝したときに剣爾動座が復活したとも書かれていました。
あと、政治家・学者に対する評価や共産党やソ連への警戒感、再軍備志向、憲法に対する理解度、宗教観など、興味深い情報が豊富に載っていて、どれも初めて知ることばかりでした。これ以上はあまりにもネタバレで長くなって著者に申し訳ないので控えますが、これほど新しい発見がある史料はないということは伝わったかと思います。

ベルリンの壁崩壊から35年

11月9日は1989年のベルリンの壁崩壊から35年の日にあたりました。壁の設置が始まった1961年でしたから、壁が存在した期間は28年間あったのですが、今となっては崩壊してからの年数が長くなったことを改めて感じます。一方でこの頃から日本は次第に元気を失い、すっかり冷笑主義がはびこる、つまらない時代になったように思います。
私がベルリンを訪ねたのは、1992年の暮れでしたから、その当時は壁崩壊がわずか3年前のできごとでした。まだ取り壊されていない壁や犠牲者追悼碑も多くあり、境界のかつてのシンボル、ブランデンブルク門周辺には出所不明のコンクリート片や旧東ドイツ軍の帽章などが土産物として売られていました。チェックポイント・チャーリーの検問所跡地のすぐ脇には1963年に開館した民間の博物館、壁博物館があって、東ベルリンから西へ越境する際に使用された自動車・飛行船などが展示されていて、まさに命がけの脱出の凄まじさが伝わりました。
こうして振り返ってみると、時代は変化するものです。それだけに分断と統合の歴史を記録し続ける博物館の存在価値には非常に高いものがあります。

無秩序の4年間の始まり

日本で言えば後期高齢者、日本国民男性の平均寿命まで4年を要しない78歳の右派ポピュリスト政治家が、世界随一の大国アメリカの大統領となりました。この人物は、自国第一主義を掲げていて、気候変動や核兵器の脅威への対処といった、人類共通の課題解決には興味も関心もないようで、国際秩序の価値を尊重してきた先進国を困惑させています。
しかし、アメリカ国民の大半は、生まれ故郷から一生離れることなく、ウクライナやガザの生活も知らずに過ごしています。ましてや海面上昇によって気候難民となりかねない人々が世界には多数存在することを考えたこともないに違いありません。
当のアメリカの地政学ストラテジストであるピーター・ゼイハン氏は、著書『「世界の終り」の地政学』のはしがきで、「アメリカがこれまでも試練を生き延びて繫栄してきたのは、地理的に見て大半の世界から隔絶されており、人口統計学的に見て大半の世界より人口構成が際立って若かったからだ。アメリカは現在も将来も同様の理由で生き延び、繁栄していくことだろう。アメリカの強みから見れば、現在の論争などつまらないものに見える。こうした論争が、アメリカの強みに影響を及ぼすことはまずない。」と書いています。
つまり、あの78歳の人物が大統領になろうがなるまいが、アメリカだけは世界の中でしぶとく生き延びていくというのです。アメリカは、エネルギーや食料を始めほとんど自給可能です。そのための広大な土地や豊富な人材と技術があります。資源というものは、そこにあっても採掘や精製の技術がなければ商品にはなりませんし、地理的あるいは国際関係的な要因で輸送できなければ、ただそこに眠っているだけということになります。
戦闘機のF35に使用されている7ナノの先端半導体こそ今までは台湾でしか製造できませんでしたが、それもアメリカ国内で製造する体制へ向かっています。たとえば、中国のGDPがいずれアメリカを抜くとしても、また仮に先端半導体の設計図を手に入れたとしても製造装置を手に入れられない以上、それを製造するのは無理な話です。
ところで、あの78歳の人物は、なぜこれほど大統領になりたかったのでしょうか。それは自国第一以前に自分第一だったからに尽きます。連邦法違反で起訴された事件については大統領に恩赦の権限があるため、自らを恩赦することができます。州法違反で起訴された事件については大統領に恩赦の権限がないものの、決着が先延ばしされる可能性が高くなると見られます。これで資産上の危機もしのげるのでしょう。あと、選挙運動期間中、当人が医師の診断情報を公開しないのは、頭髪の自毛疑惑が露になるからというのも、現地ニュースで見た覚えがありましたが、それも当分話題に上らなくなるでしょう。
とにかくアメリカの民意は、あの78歳の人物を選んだのですから、少なくとも4年、国際秩序をどう保つか、あるいはどう構築し直していくのか、日本もこの新しい環境にしっかり対応していく必要があります。

 

戦争遺産から何を学ぶか

水俣病センター相思社が設立されて50年。11月3-4日に記念の集会が開かれました。4日は、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが記念講演を行い、国内や世界の貧困、差別、暴力について語ったうえで、「大きな力には、つながる力であらがっていくことが大切」と呼びかけたと、6日の朝日新聞熊本地域面記事にはありました。
相思社を初めて訪ねたのは設立10周年の年の頃でしたから、かれこれ40年の付き合いになるので、今回のイベントには大いに関心があったのですが、その催しの案内を受ける前に計画していた旅行に参加するため、残念ながら参加者の報告を通じて思いを共有することとします。
それで、同時期に訪ねた場所としては、長崎市の長崎原爆資料館や佐世保市の無窮洞がありますので、その訪問記を記しておきます。ちょうど訪ねた1週間前には私の地元校区の小学6年生たちが、修学旅行で長崎市の平和公園や佐世保市のハウステンボスを訪ねたと、聞いていました。自身にとっても、50年ぶりの長崎県方面への修学旅行のようなものとなりました。
まず、長崎原爆資料館ですが、こちらの建物は28年前に建てられたもので、私が小学生当時に訪ねた施設とは異なりますが、被爆した展示物の数々にはかつて見覚えのあるものが多くありました。被曝後に若くして亡くなった生徒・学生の日記の展示からは、今もガザその他世界各地で突然命を奪い去る戦争の愚かさを痛切に感じます。今年、被団協がノーベル平和賞を受賞しましたが、それに関連した展示はまだ見当たりませんでしたが、先に受賞したICANのメッセージビデオを視聴できるコーナーはありました。核兵器開発の歴史とそれに抗う核兵器廃絶の歴史を対比して見せるコーナーでは、核実験回数が最も多かった年は、キューバ危機が起きた1962年、自分の生年と同じ年だと知り、憂いを大いに感じました。その後も核兵器は存在し続けているわけです。人類が自ら滅亡する兵器を携えたままでいられるのは、どう考えても狂気の沙汰でしかありません。
これに関連して触れると、小学生が修学旅行で核兵器がもたらす悲惨さについて学ぶ一方で、地元の市議たちは、本年の9月定例会に提案された「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」を、賛成1対反対15の圧倒的差で不採択の議決をしています。請願者が共産党の支持者と目される人物だったので、ほとんどの市議はそこだけを賛否判断根拠をしてしまったのかもしれません。しかし、それならそれで、この請願の内容に反対票を投じるということは、自分が核兵器廃絶に対しても反対している立場を示すことになることを、どれほど理解できているのかと思います。どうやら、請願紹介議員の顔をつぶすのを目的とした、うわべの判断しかできず、自分の政治的信念に基づく政策判断ができない資質(=政治家としての志)の低さを感じます。
次に、無窮洞についてですが、これは1943年から1945年8月まで旧宮村国民学校の裏手に掘られた防空壕跡です。掘ったのは、現在の中学生の学齢に相当する当時の子どもたちで、洞窟には教室や書類室、台所・かまど、食糧庫、トイレ、非常階段が造られています。侵略戦争を是とする当時の教育内容にも問題がありましたが、戦時中は教育を受ける機会すら満足に得られない歴史があったわけで、当時の子どもたちが置かれた教育環境の劣悪さには哀しさしか覚えられません。しつこいようですが、不勉強な地元市議たちには、こうした戦争遺産を見学してもらいたいものです。
戦争遺産から学ぶのは戦争の愚かさだけではありません。いかにして戦争が始まらないようにするか、今起きている戦争はいかにして停めるかです。冒頭に触れた水俣病センター相思社の現理事長の緒方俊一郎氏は、球磨郡相良村において江戸時代末期から続く医院の6代目です。同氏の父は、太平洋戦争の前、陸軍菊池飛行場に併設された陸軍病院を建設する際にかかわられたそうです。そのため、同氏も菊池で1941年春に生まれ、幼少期は同地で暮らしていたと聞きました。そのこともあって、菊池の陸軍病院について詳しい話を聴くほか、関連資料を残しておられないか、改めてお話を伺ってみたいと考えているところです。

よりによって

イギリスの経済学者、ジョーン・ロビンソン(1903~1983)は、「経済学を学ぶ目的は、経済を語る者にだまされないようにするためだ」と言ったと、3カ月前に読んだ本(平賀緑『食べものから学ぶ現代社会』)に書かれていました。その論法で行けば、社会学の研究者には、社会を語る者にだまされない国民をひとりでも多く養成する使命があるのではと、勝手に考えます。
10月27日に水俣病センター相思社の理事会があり、翌朝、宿泊先の朝食会場で、理事のお連れ合いの社会学者と1時間ほど原発や戦争ミュージアム、歴史認識を中心に話をしていて、自然と話題は教育の役割や読解・言論リテラシシーへ移っていきました。その社会学者が語られるには、今の大学生は新聞を読まないし、事実は言えても自分の意見が語れず、教員が言葉を選ばないと学生に理解してもらえないなど、教員と学生の間での対話が成立しにくいということでした。いわゆる団塊の世代を頂点としてリテラシーは世代が若くなるほどに下がっているという見方をされました。私の周囲を見渡しても、たとえ難関大学卒の学歴を有する方や難関資格合格の専門職に従事する方であってもエセ歴史やエセ科学信仰に篤い例は多く見受けられます。文章を読む力がないとか、まともな文章を書く能力がないと感じる例によく出合います。
このことからも教育の果たす役割は非常に大きいと感じるのですが、来月、地元市主催で開かれる「こどもどまんなかの日」なるイベントの基調講演の講師に予定されている人物が、かつて「親学」を推進する「TOSS熊本」の中心メンバーであったフリースクールの経営者とあって、このような人物を講師として選ぶ市の思慮の欠如をたいへん残念に思いました。「親学」の提唱者や「TOSS熊本」のメンバーは、熊本県が全国に先駆けて2013年に制定した家庭教育支援条例に影響を及ぼしました。同条例は、親に対して「親としての学び」により「自ら成長していく」ことを義務付けるほか、(育児不安の解消や児童虐待の防止は、家庭教育のみで解決できる問題ではないのですが)公権力による保護者に対する過干渉というべき異様な内容が含まれています。TOSS は、科学的・学問的根拠はないヨタ話(「水からの伝言」「江戸しぐさ」)を教材として取り上げ、道徳教育にかかわっていたことでも知られます。加えて、同条例制定の「成功」に目を付けた旧統一教会の関連団体が、青少年健全育成基本法や家庭教育支援法の制定を求める意見書提出の請願運動を行い、本市議の一部が取り込まれたこともありました。
地元市の残念ついでにもう一つ事象を紹介すると、本年9月の定例市議会において「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」が、賛成1・反対15で不採択となっていました(「うと市議会だより第87号」p.15より)。昨年は賛成4・反対13での不採択でしたから、核兵器廃絶を希求しない不見識な議員がさらに増えたことになります。なんとも情けない限りです。
写真は宿泊先からの風景(湯の児温泉)。

金沢・敦賀雑感

10月20日に石川県金沢市、同月21日に福井県敦賀市を訪ねました。北陸方面はこれまで縁遠い地で両県へは初めて足を運びました。より正確に言えば、1979年の夏に山形県鶴岡市で開催された全国高校総体参加のため、国鉄の昼行特急(おそらく「雷鳥」)で大阪―鶴岡間を往復通過したことはあります。ついでに言えば、鶴岡滞在中に気温40度超えの経験に見舞われ、ずいぶん難儀した覚えがあります。
それでなんでまた金沢へかというと、能登地震に伴う災害復興支援で輪島市へ派遣されている地元市の職員を激励するために計画したものです。計画後さらに豪雨災害が発生し、心労を心配していましたが、無事に会うことができて、そちらはたいへん有意義な時間を過ごすことができました。
わずか5時ほどでしたが、金沢市で観光したところは以下の通りです。
①金沢21世紀美術館・・・2004年10月9日の開業以来いつかは行ってみたいと思っていましたが、実際行くまでは20年もかかってしまいました。当日の有料展はコレクション展で国内外の作家による造形作品が中心でした。ですが、個人的に楽しめたのは、たまたま同館の市民ギャラリーで開催されていた入場無料の「KOGEI TIDE 縁煌15周年展」でした。縁煌(えにしら)は、ひがし茶屋街に本社を置く美術商のようです。同展では若手作家70名超の作品が並び、特に陶芸では繊細な文様の作品が印象に残りました。今月は有田焼に薩摩焼、そして九谷焼に連なる焼き物まで鑑賞できて、ずいぶんと贅沢な体験をしました。
https://www.enishira.co.jp/artist/
②兼六園・・・さすが加賀百万石の前田さんちの庭だけに細川さんちの水前寺公園に比べると広いなというのがまず実感でした。ですが、これもまったく個人的な経験になるのですが、今年8月に島根県の足立美術館へ行ってしまったがために、見る庭園としては雑然とした造りに思えてしまいます。だれでも園内を歩ける庭園としてこれからも観光名所として君臨することは間違いなさそうです。
③金沢城公園・・・ここも広いなというのが最初の印象。本丸は復元されておらず、跡地は森となっていますので、そこまで足を運ぶ観光客は少なそうだと思いました。金沢市中心部で能登半島地震の被害の痕跡を感じる場所はありませんでしたが、唯一、金沢城の石垣では崩れたところがあるを知りました。復元された建造物の中に「菱櫓」がありますが、櫓の角が80°あるいは110°になっていて、その昔にそうした軸組を可能にした建築工法があったことがたいへん興味深く思いました。
④ひがし茶屋街・・・ここは街並みを眺めただけです。和服姿で散策する観光客が目立ちました。
⑤金沢市立安江金箔工芸館・・・金沢城を訪ねたときに豊臣秀吉が築城させた名護屋城跡の雰囲気(眼下に海は見えませんが)に似た感じを抱いていたところに、金箔の沿革を示す年表に「当地における箔打ちは、加賀藩祖・前田利家が文禄2年(1593)豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋(現在の佐賀県)の陣中から、七尾で金箔を、金沢で銀箔を打つように命じたことから、16世紀末には行われていたことが明らかになっています。」とあったことから、頭の中で、黄金の茶室や名護屋城とのつながりを勝手に感じました。同館を訪ねたときは、館のガイドがフランス語で団体観光客へ展示内容を説明していましたので、かなり海外からの入館者も多いのだろうと思いました。ホームページも8か国語対応となっています。それと、購入はしませんでしたが、センスのいい金箔のポストカードが土産物として販売されていました。
なお、同館の始まりは、金箔職人であった安江孝明氏(1898~1997)が、「金箔職人の誇りとその証」を後世に残したいとの思いから、私財を投じ金箔にちなむ美術品や道具類を収集し、北安江の金箔工芸館で展示したことにあります。そして、この安江孝明氏の息子が、「世界」編集長や岩波書店社長を務めた、安江良介氏(1935~1998)。つまり、良介氏の実家は金箔職人ということになります。「世界」編集長時代の同氏の文章で今も心に刺さっているのは、「若者は、タクシーを利用せずにそのお金で月に1冊でも岩波新書を買って読み、社会を知ろう」という趣旨の呼びかけです(当方はすっかり若者ではなりましたが…)。良介氏は1958年金沢大学法文学部法学科卒業ですが、金沢大学の法文・教育・理学部キャンパスは1949年から1989年まで金沢城内にあり、全国的にも珍しい「お城の中の大学」として親しまれました。熊本で言えば、開校当初の熊本県立第二高等学校が熊本城二の丸にあったのと同じです。この安江良介氏の金沢大学法文学部での後輩にあたるのが元大阪地検検事正の北川健太郎(1959年生)です。安江親子と異なり、石川県人および金沢大学の名誉を大いに汚しました。
https://www.kanazawa-museum.jp/kinpaku/index.html
※食事の方は、ゴーゴーカレー、8番らーめん、金沢おでんを賞味しました。
続いて敦賀市で観光したところは以下の通りです。
①人道の港 敦賀ムゼウム・・・敦賀港は、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であるという歴史をもちます。ムゼウムとは、ポーランド語で資料館の意です。開館は2008年3月29日といいますから、最初の史実から90年近く経ってからの記憶継承活動だったと言えます。現在の建物は2020年11月にリニューアルオープンした二代目ということで、さらに新しい施設です。今回金沢を訪問するまでこの館の存在を知らなかったのも無理ありません。それにしても今から100年前あるいは80年前の当時者の子孫との交流が続いているは、感慨深いものがあります。難民救済の善行は後の代まで永く伝えられる証しとも言えます。
https://tsuruga-museum.jp/
②敦賀鉄道資料館・・・旧敦賀港駅舎を再現して建物となっていて入館は無料でした。欧亜国際連絡列車など初めて知る鉄道史がありました。小ぶりな施設でしたが、鉄道ファンには必見の場所なのではと思います。それと、敦賀市内には「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターのモニュメントが随所に展示されていました。「鉄道の町」「港の町」で売り出し中であることを、行ってみて初めて知りました。鳥取県境港市の水木しげるロードが妖怪のモニュメントでいっぱいでしたが、モニュメントの大きさでは敦賀の方が大きめでした。
③その他もろもろ(赤レンガ倉庫、五木ひろしの洋鐘、魚問屋街、敦賀水産卸売市場、下着窃盗歴のある人物のポスター、晴明神社、気比神宮・・・)・・・日本海さかな街にも最初は寄ってみるつもりでしたが、食事には中途半端な時間帯でしたので、そこは寄らずに2時間程度で切り上げて帰途につきました。晴明神社は特に呪詛したい相手もなかったので前を通っただけです。気比神宮の大鳥居も周遊バスの窓越しに見ただけです。
※行きに大阪市内で「モータープール」の表示を見かけました。全国的には「駐車場」や「パーキング」を意味する言葉です。宮本輝の『流転の海』にはよく登場する言葉だったので妙に感動しました。

この1か月ほどの読書傾向

欲があるとすれば、そこいらの政治家よりは、世界のことを普段から知っておきたいと考えています。それと、職業柄、取り扱う可能性のある分野の事情にも精通しておきたいという欲だけはある方だと思います。言わば、厄介な相手がいると分かっていれば、いかにその危険を回避するかが最優先ですし、やむなく相手が切りかかってくればいつでも返り討ちできるよう、常に刃を研いでおく心境です。
それで、実際にどんな本をここ1か月ほどの間に読んだかというと、以下の通りとなりました。
①鈴木一人『資源と経済の世界地図』(PHP研究所)
②中西寛・飯田敬輔・安井明彦・川瀬剛志・岩間陽子・刀祢館久雄・日本経済研究センター『漂流するリベラル国際秩序』(日本経済新聞出版)
③ピーター・ゼイハン『「世界の終わり」の地政学』(集英社) ※上・下巻
④本山敦・岩井勝弘『人生100年時代の家族と法』(放送大学教材)
分野としては、①②③が地政学(地経学)やリベラル国際秩序について考えるもの、④は家族法や社会保障・福祉について考えるものとなっています。もし①②③でどれか1冊を人に勧めるとすれば、③(実際には上下巻なので2冊ですが)を選びます。①は日本の読者向けに書かれている本なので、世界について語るとしてもどうしても日本と密接な関係にある国・地域に絞った記載となります。自国優先志向で頭がいっぱい、手がいっぱいになる政治家には十分かもしれません。②は外交や国際社会のあり方について俯瞰したい方にはいいかと思います。特に日本からすると、EC諸国それぞれの志向するところについて疎いので、便利かと思います。それで結局のところ③が世界の歴史も振り返りながら、地理と人口統計学の知見データも豊富で、かなり説得力のある世界の未来像を示してくれるので、現代の巷間の議論を目利きする上で役に立つと思いました。著者のピーター・ゼイハンは、読者向けに本書内に掲載された図表のカラー化データや無料の週刊ニュースレターも提供していますので、それも利用すれば、知識のアップデートも図れます。
https://zeihan.com/end-of-the-world-maps/
④は、2023年開講の放送大学テキストです(2024年施行法の補足資料が別冊子で付いています)。購入するきっかけは、たまたま同講座の第1回放送を視聴しておもしろかったからという単純な理由です。民法の家族法分野に留まらず家事事件の手続法や社会福祉制度についても解説されています。一口に相続と言っても家族法だけ理解していれば済む話ではなく、保険や年金、税制の知識も必要となります。婚姻・離婚についても国内外・ジェンダーにおいて多様化したカップルが現実にはあるので、それに伴う講義が盛り込まれている点でも新鮮でした。「人生100年時代」という言い回しはあまり好きではありませんが、コンパクトで分かりやすいテキストだと思いました。