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歴史書の読み方

先に読んだ松下憲一著『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(講談社選書メチエ、1700円+税、2023年)で印象に残ったのは北魏の国史事件です。北魏の太武帝のときに、華北を征服していく過程で、429年と439年の2度にわたり、国史が編纂されます。編纂の中心を担ったのは漢人の、宰相としても力をふるった崔浩であり、2回目の編纂に際しては太武帝からも「努めて実録に従え」と命じられたそうです。ところが、完成した国史の内容を刻んだ石碑を道路に並べて公開したところ、碑文が北魏の先世の国悪を暴露しているとして、北人が憤慨して事件となり、崔浩は処刑されます。
著者は、史官として筆を曲げず、権力者におもねらず、正しいと思ったことを書いた点を、その務めとして評価していますが、公開したことで皇帝批判として読まれて大逆罪として成立したのではと考えています。
ただ、後の時代の唐の人は、漢族とは異なる胡族の習俗があからさまに書かれていたので、それを野蛮な習俗として北人が恥じたのではないかと、誤って解釈したとも著者は指摘しています。
なお、当時の北人にとっては恥じる気持ちがない、国書に書かれた習俗としては以下の項目があります。またそれとは別に初代の道武帝が作った子貴母死(皇太子候補の後継者が選ばれたらその生母は死を賜る)や金人鋳造(金属製の人形を自ら鋳造できた皇帝夫人しか皇后になれない)といった独自のルールもあります。
・若者を尊敬し、老人を軽蔑する。
・性質は乱暴で、怒れば父や兄を殺すが、母は決して殺さない。
・文書はない。
・結婚はまず恋仲になって男は女をさらい、半年か100日たってから仲人を立てて馬・牛・羊を贈って結納する。
・みな頭を剃っている(辮髪)。
・父や兄が死ぬと継母や兄嫁と結婚する(レビレート)。
・人が死ぬと死んですぐは泣くが、葬式では歌ったり踊ったりして送り出す。
この事件があってから北魏における国史編纂はなくなります。
後世の人が歴史書を読むとき、なぜそれが残っているのかという背景も同時に考える必要があると感じました。

まだ知らない中国史がある

松下憲一著の『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(講談社選書メチエ、1700円+税、2023年)は、知的刺激をそそられる歴史研究の著作でした。現在からだと中国の歴史を漢族中心で捉えがちですが、遊牧社会の流れをくむ胡族の融合というか影響がかなりあったことを知ることができました。当然そこから生まれた文化は少なからず日本の成り立ちにも影響があったと言えます。皇帝の座をめぐる興亡や歴史書の残り方にも凄まじいものがあります。少し気になったのは、日本の研究者はもちろん中国国内の研究者の研究環境は近年どうなっているのか、実地訪問なども含めて学問の自由はどの程度確保されるのか気になりました。ここ数日の前外相の存在の痕跡の消し方あたりを見るとそう思います。

レプリカ設置に意義はあるか

けさの地元紙・熊本日日新聞によると、熊本県が百間排水口の老朽化した木製樋門を取り換えてレプリカを設置して、コンクリート製足場も残す姿での、見た目そのまんま保存をすることになったようです。もっとも現在の樋門も工場廃水を流していた当時のそれではありません。樋門より上流の道路を挟んだ先にはすでに景観的には新しい排水口があります。いまさらレプリカ設置の意義がそれほど高いとは感じません。
被害拡大の歴史的視点から言えば、チッソが八幡プール近くの水俣川河口に排水路を変えていた時期があり、そちらの方が川の流れに乗って有機水銀が不知火海全域に広がる結果を招きました(その護岸からは現在も有機水銀を含む汚染物質の海への流出リスクがあります)。今回の決着の仕方は熊本県が「金持ちケンカせず」の形で体よく引き取った感があります。
しかし、小さなケンカには矛を収めても、本質的な部分ではケンカを続けているのが熊本県の実態です。水俣病の歴史と教訓に学ぶ姿勢があるのなら、現在も続けられている裁判で悪あがきをせず、被害を受けた人がいることを素直に認めることです。こういう目くらましに騙されてはなりません。
https://kumanichi.com/articles/1115298

ホモサピエンスたる所以

川幡穂高著『気候変動と「日本人」20万年史』(岩波書店、2000円+税、2022年)は、古気候学や古環境学という学問分野があるということを知り、たいへん刺激的な本でした。海岸からさほど離れておらず、過去に浚渫や埋め立てが行われていない海底の表層堆積物を試料として酸素同位体比の化学分析を行い、過去の水温そして気温データ復元が可能となり、気候変動の歴史を知ることができるということでした。この同位体比分析の手法は、たとえば三角縁神獣鏡に含まれる鉛のそれを分析することで、出土品の産地の推定にも役立っています。日本人の由来については、ミトコンドリアやY染色体のDNA系統を追跡することで、その地理的起源が推定できます。文字記録が少ない時代の真実、つまり歴史の考証にいかに科学の知見が重要かという思いを持ちました。

現在の日本では移民・難民政策が大きな課題になっていますが、歴史をちょっと遡ると、移民や難民の存在が過去にもあったことがわかります。彼らの存在があってこそ、日本の存続に寄与した側面もあるといえます。水稲の遺伝子を追跡すると、弥生時代に来日して水稲栽培を伝えた人たちの故郷は、朝鮮半島よりも中国長江河口地域とみられます。日本の文明に貢献した人たちとしては奈良時代の渡来人(亡命者)たちが上げられ、今でいう高度人材といえます。

さらに歴史をさかのぼって出自を追っていくと、すべてはアフリカに通じます。現代の日本人も中国人もロシア人もホモサピエンスであることには変わりありません。著者は、ホモサピエンスの所以は「知恵」と「試行錯誤」と「協力と共有」と称しています。「試行錯誤」の最悪は戦争=環境破壊=人権蹂躙にほかなりません。大いに知恵を出し合う協力と平和の共有に努めたいと思います。

上記書のp.59には、「日本最古のホモ・サピエンスの遺跡は熊本県の石の本遺跡群で、年代は約3万7500年前を示す。」とあります。著者は、この最初のホモ・サピエンスは対馬ルートを経由して、日本に到達した可能性が高いと指摘しています。つまり、最初の「日本人」も、日本列島から湧いて出た生物ではなく、地続きだったアジア大陸からの移民でした。
同様に約2万3000年前までは日本列島にナウマンゾウが生息していたのも、氷期で海面が現在よりもずっと低く、大陸と列島が地続きだったからです。
それで、この石の本遺跡群はどこにあったのかというと、まさに熊本県立総合運動公園内にあります。発見のきっかけは第54回国民体育大会秋季主会場整備事業となっています。1999年の「くまもと未来国体」開催計画がなければ、これがわからなかったというのが、おもしろいですね。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/15587

Jリーグのスタジアムでは、千葉や徳島が海面上昇(2050年までに24センチ!)により浸水リスクがあるそうです。
片や熊本は、日本最古のホモ・サピエンス遺跡の上に建つホームスタジアムを売りにしてみますか? 日本最古の移民タウン!?
https://www.asahi.com/articles/DA3S15647897.html

胡散臭い人を見破るために

川幡穂高著『気候変動と「日本人」20万年史』(岩波書店、2000円+税、2022年)の第3刷発行(2023年)が手元にあって読んでいます。ニセ科学やニセ歴史に頭脳が侵された手合いにこそ読んでもらいたい本ですが、不幸にしてそうならないのが、世の中です。本書にある内容は、中学生レベルの学力があれば、理解できると思います。なので、胡散臭い人に遭遇した際に、相手方は中学生レベルの学力もなく、不幸にもニセ科学やニセ歴史に頭脳が侵された手合いかどうかを見破るために、本書を大いに活用したいものです。

国際政治学者の責務

本日(5月16日)の地元紙におそらくは共同通信配信だと思いますが、国際政治学者の羽場久美子氏の寄稿が載っていました。羽場氏の名前は、4月5日に衆院第1議員会館で、ロシアによるウクライナ侵攻の停戦を広島サミット前にG7へ訴える、記者会見の記事でも拝見しました。報道では、「停戦はどちらかの敗北や勝利ではない。人の命を救い、平和な世界秩序を構築すること」などと語られていました。こうした行動こそが、国際政治学者の責務だと思います。
個人的な思い出としても、羽場先生の講義を、40年前に受けたことがあります。当時はポーランドの軍事政権と対峙した「連帯」が世界の注目を浴びた時期であり、民主化運動への共感を覚えながら東欧の政治状況を見守っていました。何点だったかは記憶に残っていませんが、単位はいただいたと思います。履修要覧の写真もアップしておきます。

122歳現役の自助社製レンガ

宇土市築籠町の船場川に架かるJR三角線鉄橋の橋梁は、西南戦争の戦禍から遠くない1880年(明治13年)に旧宇土藩の士族らが設立した自助株式会社製の鉄道用煉瓦で建造されています。詳しくは今月の市広報紙の記載で知りました。
三角線の開業は1899年(明治32年)12月ということですから、実に122年(歳)の長きにわたって支えてきたことになります。この鉄橋の北隣りには国道57号の築籠橋が架かっていて、こちらは1962年(昭和37年)3月竣工とありましたから、供用後61年(歳)となります。三角線の橋が国道57号の橋よりもダブルスコアで先輩というわけです。
ところで、自助社自体は1904年(明治37年)に残念ながら解散してしまいます。公けの禄を食んでいた武士たちが、体制の大変革により否応なく民間ビジネスへ進出しなければならなくなったときに、どのような心意気で「自助」という名を付けたのか。その当時に「自助」という言葉があったことを知った、その強い印象とともに気になりました。

それは個人の問題か

河合優子著の『日本の人種主義』(青弓社、1800円+税、2023年)を読んでいるところです。人種差別(レイシズム)に係る著作としては、これ以外に最近では平野千果子著の『人種主義の歴史』(岩波新書、940円+税、2022年)やイザベル・ウィルカーソン著の『カースト』(岩波書店、3800円+税、2022年)を読みました。後の2作は、世界の、あるいは米国・インド・ナチスドイツにおける人種差別の歴史を理解するのにたいへん役立ちました。冒頭の著作はこうした世界の流れも押さえつつ日本における差別に焦点を合わせたものとなっています。
特に日本における差別の実態を見るには、「人種なき人種主義」について注目する必要があると思いました。それを理解すると、他の差別の構造についても同じものを感じます。以下は、p.131からの引用です。
「まとめると、人種なき人種主義とは以下のような人種主義である。まず、人種平等とはこれから実現する「人種は平等であるべき」という理念であるのに、人種主義に基づいて歴史的に作られてきた社会的制度や構造を根本的に変革せずに「人種は平等である」という現実と見なす。いまや人種主義は否定され、みな同じ機会を与えられているのに、異人種間に社会経済的な格差があるならば、それは人種主義の問題ではなく個人の問題、としてしまう考え方である。その結果、人種主義を解決するための政策を導入できなくなることで、既存の人種主義的な社会のあり方が維持される。つまり、人種なき人種主義とは、人種をみえにくくすることで人種主義が不可視化されるような人種主義である。」
外国人や女性、性的マイノリティ、貧困など、差別の構造には、差別する側が自身の特権を見てないことで、特権を持たない側の個人の能力や努力のせいにして差別することを正当化してしまい、差別的な社会が維持される側面もあると思います。「差別はしていない」とか「差別されていない」と言い切って社会改革に後ろ向きな人物は、はたしてそれは声を上げることもできないでいる個人の問題か疑ってみることが必要だと思います。

江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし

現在、明治神宮前の太田記念美術館で開催中の「江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし」。一昨日用件が終わって立ち寄ったら、館内は若いお客さんが多くいました。閉館時間30分前の入館だったこともあって、実物はさらーっと見て、あとは図録を入手して堪能することにしました。展示作品のメインの浮世絵師・歌川国芳が活躍した時代には、奢侈禁止で役者似顔や遊女を描いた錦絵の出版が禁じられた天保の改革(1842年~)もあって、動物の戯画が盛んに制作されたようです。現代では新聞でしか見かけることのない風刺画の源流に近しいものを感じます。描かれた江戸時代の猫の表情から人間を思い浮かべられるなんて画を制作する相当の腕がなければと思いますが、これについてもAIはできるのか、にゃんか気になりました。

根道核藝

永青文庫の館内に「根道核藝」と隷書で書かれた扁額があります。清朝末期の学者である羅振玉が、辛亥革命後、亡命するような形で来日した時期に揮毫したようです。その後、満洲国建国に関わったこともあって、現在の中国では評価が分れる人物とのことですが、書は味わい深く魅了されました(鑑定に出したら相当の値打ちモノ?)。道をもって根をなし、芸をもって核とする。芸術に限らず、学問や仕事の専門性を究めたい人には刺さりそうな言葉に感じました。写真は季刊誌。

訳者あとがきより

イザベル・ウィルカーソン著『カースト』の日本語版は、著者と同時代の米国社会を知る良き翻訳者(秋元由紀氏)に恵まれたと思います。訳者あとがき(p.448-449)においてカーストの本質を以下のように書いています。「カーストは、人間が知らないうちに社会からインストールされるプログラムで、人間に序列をつけ、支配カーストの人を上に、従属カーストの人を下に保つためにあらゆる局面で起動する。米国の場合、カーストはアフリカ系アメリカ人を貧しく、教育がなく、出世できず、力のない状態にとどめておこうとする、非常に強い、しかし目に見えない力である。カースト制度のもとでは、一見その標的となった集団だけが被害を受けるようだが、実際には社会全体が損なわれ、その国の他国との関係にも影響を及ぼす。」。
また原書の表現と日本語訳からも、カーストの本質がはっきり伝わります。それは、slave(奴隷)ではなくenslaved person(奴隷にされた人)であり、slaveholder(奴隷所有者)ではなくenslaver(奴隷にした人)という表現に、非人間化された側と非人間化する側のどちらも人間ということが突きつけられる思いがします。

カースト制度の基盤

これでもか、これでもかと、米国社会における醜いカースト制度の基盤を、イザベル・ウィルカーソン著の『カースト』(岩波書店、3800円+税、2022年)はあぶりだしていて、読むには正直ストレスを覚える本です。カースト制度、それは本書の舞台であるアメリカでもインドでもナチスドイツでも構築され、それを機能させるために、文化の奥深く、そこに暮らす人全員の集団としての潜在意識に刷り込まれてきました。一例を上げれば、支配カーストが従属カーストである人間を非人間として対応することにあります。アメリカにおける医学の発展の陰には支配カーストが従属カーストを生体実験の材料として利用した歴史もあるということでした。本書(原書)を読んだオバマ元米国大統領は激賞したと言いますが、言うまでもなくトランプ前大統領やその支持者たちが同書を読むはずもありませんし、仮に読んで理解していればあのような異形のトップは誕生しなかったことと思います。米国の暗い歴史に触れた著書として私が親しんだものとしては、ほかに後年ハードボイルド作家として活躍する「船戸与一」が、「豊浦志朗」のペンネームで書いた『叛アメリカ史』(ちくま文庫)を思い浮かべます。世界を見渡すと非人間扱いのまま死を迎えた人間がなんと多いことか、その愚が現在もなぜ繰り返されているのか、果たしてそのようなことが私たちの身近にもないのか、絶えず内省する必要を感じます。
船戸作品との出会いエピソードは下記。
https://attempt.co.jp/?p=3471

カースト

イザベル・ウィルカーソン著の『カースト アメリカに渦巻く不満の根源』(岩波書店、3800円+税、2022年)をまだ読み始めたばかりのところですが、米国建国以前からのカースト制度に焦点を当てたお勧め本です。インドではないのになぜ「カースト」なのかと思われるかもしれませんが、現在用語として「人種」はふさわしくはありません。生物学的には、地球上に現存するすべての人間は、アフリカ起源です。そのアフリカでは、イボ人、ヨルバ人、エウェ人、アカン人、ンデベレ人などはいても「黒人」は存在しませんし、加えていえばヨーロッパにはチェコ人、ハンガリー人、ポーランド人などはいますが「白人」は存在しません。いずれも用語として米国社会の歴史の中で不幸にしてできたものです。「歪んだ優越意識」が日常的にはびこる社会構造は、まさに「カースト」となります。それは果たして米国社会だけの問題なのか、日本国内でも外見を問わずさまざまなカーストがまん延しているのではないかと思わされます。

主権の検証

「『主権者教育』という倒錯」という小見出しが目次紹介にあるのに惹かれて、嘉戸一将著の『法の近代』(岩波新書、940円+税、2023年)を読んでみました。ローマ法から明治憲法制定に至る主権の成り立ちを振り返る作業なんて、フツーの現代人なら生活に関係ないことですし、よほどの物好きしかやらないと思います。ですが、そうした知的作業を緻密に積み上げて実際これまた物好きな地方の読者の手元に届けてくれる奇特な学者がいてくれることはずいぶんありがたい気持ちになります。
読んでみると、出だしはヨーロッパ政治思想史の教科書に必ずや出てくる思想家のオンパレードで正直咀嚼するには脳にも重い負担でした。しかし、近代日本における井上毅に関する記述を迎えると、同じ熊本県出身という馴染みが以前から強いこともあって、主権というものをどうとらえるべきか、著者の考えが理解できるようになってきました。また、著者の井上毅に対する評価を通じて、地元における顕彰のあり方がきわめてご都合主義的であり当人の思いとはかけ離れているという思いを新たにしました。
以下は読書メモ。
p.163「たしかに、明治憲法の起草者たちが憲法制定会議において、議会の権限を保障する重要性を説くことに尽力したことはよく知られている。しかし、憲法が発布され議会が開設されたところで、議会が国民を代表し国民の利害を反映するという理念が、言い換えれば、フィクションがただちに定着したことを必ずしも意味しない。例えば、第二議会後の伊藤博文と井上毅との認識の相違は、そのことを物語っている。すなわち、1891年11月26日に始まった第二議会では、第一次松方正義内閣と議会が、軍艦製造費などの予算案をめぐって対立し、議会が解散されることになるが、伊藤は内閣を支えるための新党結成を主張したのに対し、井上は政党そのものへの不信感を吐露することになる。」
p.164「井上の不信感は、単に現実の議会を目の当たりにしたことによるものと言うよりも、19世紀ドイツにおける議会主義批判や社会王政のイデオロギーにもとづいた原理的な政党批判だった。すなわち、多数決原理にもとづく議会制は必ずしも民衆の意思を反映しえず、むしろ多数者の圧制をもたらす恐れがあり、まして高額納税者のみ選挙権を有する制限選挙制度下では、政党が代表するのは資本家の利害でしかなく、真に国益を実現しうるのは「全能の君主」しかない、と井上は言う(「非議院制内閣論」)。」
「帝国議会開設当初においては、国民を代表しうるのは天皇か政党かという、代表観念をめぐるフィクションの争いが繰り広げられたのである。(中略)代表観念がフィクションにもとづいている以上、科学的理論とは異なり、私益であれ公益であれ、利益の実現などという物理的な事実がフィクションの正しさを証明するなどなく、代表をめぐる論議はその正しさをめぐって、絶えず再燃することが運命づけられているのである。」
p.183「一見すると、この政策(投稿者注:主権者教育)は、投票権者としての適切な知識と判断力を育成し、それらにもとづく積極的な政治参加を促す理念にささえられているかのように見える。しかし、実際には、その理念の背後にあるのは、主権者という言葉を遮蔽幕として用いることで、一方で、本来権力の客体であるはずの投票者を、権力の主体にすり替え、他方で、真の権力の所在を見えなくするトリックだ。それは、あえて言えば、主権者概念の非-主権論的な使用をもたらすことになる。」

政治家はヒロシマノートを読め

来月、東京・目白へ行く用があるので、ついでに永青文庫の「令和4年度早春展 揃い踏み 細川の名刀たち―永青文庫の国宝登場―」を観覧する計画でいます。それもあって、昨夜NHKBSPで放送された「英雄たちの選択」の「和歌と刀 細川幽斎・乱世を生き抜く」を視聴しました。結果、これはいい予習になりました。関ケ原の戦いの直前、家康側に付いていた細川幽斎が三成側の西軍に攻め込まれ籠城抗戦を続けるのですが、和歌の弟子である智仁親王の働きかけで、後陽成天皇による勅命講和が成立し、生きながらえたいきさつが、番組では取り上げられていました。当時の幽斎は、唯一の古今伝授の伝承者であり、彼ほどの文化人の命を失わせてはならないという思いが、天皇にあったからだといえます。
永青文庫の法人の評議員には、番組司会を務める歴史学者の磯田道史氏の名前がありますし、その他役員の顔ぶれもなかなかなものです。
それにしても乱世の時代の政治に携わる人物が当代随一の教養人だったことを踏まえると、現在の政治家を見渡して無教養な人があまりにも多いのにがっかりさせられます。今月亡くなった大江健三郎さんを悼む声が政治家から聞こえてこないのもその証しではないかと思います。スポーツで好成績を上げると、これ見よがしに電話する広島選出のあの方も『ヒロシマノート』を読んだことあるのかなと思ったりしました。

1792年の記憶も重要

宇土市の住吉海岸公園内に昨夏設置されたジンベエ像を昨日初めて見に行きました。特にイベントも開かれていない日曜日の昼前の時間帯でしたが、訪れている人が多くて駐車場もほぼ埋まっていました。公園内敷地には地元海藻店の直売販売所が建設中で、5月上旬に完成とありましたので、一層足を止める人が増えるかもしれません。駐車場の一角に1792年の「島原大変肥後迷惑」(※)の説明看板があるのも見つけました。麦わらの一味の像は、2016年の熊本地震からの復興プロジェクトの一環として設置されているわけですが、宇土市の設置場所は唯一海に面しており、231年前に津波被害も受けた土地でもあるわけで、地震と津波の両方の歴史的記憶を留めるのにふさわしいと思えました。せっかくですから、1792年の歴史説明表示をもっと目立つ形での設置を考えたがいいのではと思います。
※雲仙普賢岳は1791-92年に寛政噴火を起こし、噴火の最末期の1792年5月21日夜、四月朔地震(M6.4)によって、島原城下町の西側にそびえる眉山が大規模な山体崩壊を起こしました。崩壊した岩石や土砂は、島原城下町南部と付近の農村を埋め尽くしただけでなく、有明海に流入して大津波を発生させました。肥後熊本側の津波の遡上高は、(現在熊本市西区の)河内、塩屋、近津付近で15-20メートル、(現在の宇城市三角町の)大田尾で22.5メートルに達したと見られています。死者・行方不明者は合計15,000人(うち約3分の1が肥後熊本領側)にも達したということです。

出生数低下に慌てるな

厚労省の発表によると、昨年生まれた子どもの数は、79万9728人なのだそうです。統計のある1899年以降で初めて80万人を割り込んだと、話題になりました。さらにこの人数から日本にいる外国人や海外在住の日本人を除けば、76万人台になると見られています。少子化と人口減少に歯止めがかからないことが、悪いことのように騒がれていますが、果たしてそうなのかという疑問を覚えます。
地球人口の視点から考えると、ここ100~150年ばかり、だいたい5世代の人口爆発が異常な時代でした。食糧や環境、エネルギー資源のことを考えると、かえって憂慮しなければならない状況にあります。それと、経済発展につれて、出生率の低下は、どの地域にも見られる傾向です。いろんな争奪戦をしなくても良くなると考えれば、むしろ歓迎すべきことだと思います。
少子化対策を結婚・出産の促進に向かわせるのは、方向違いだと思います。結婚するかしないか、産むか産まないかという、個人の生き方の選択に公が関与するのはどうかと思います。生まれてきた子どもが安心安全に成長できる、福祉や教育の環境づくりに対しての公的支援の充実こそが、先にあるべきだと考えます。

※西原村にあるナミ像の写真は記事と関係ありません。

都合のいい与えられた条件をまず問い直せ

2月18日の朝日新聞読書面の「ひもとく」欄で山室信一氏が、写真の新書を紹介していましたので、これから読んでみます。山室氏は、ともすれば権力者側が望む「疑似環境」が情報提供され、国民がそれに基づいて議論させられてきた歴史を示して、慎重な検証と熟議の必要を呼び掛けています。日本の安全保障の最前線にいた著者らの見立ては参考になると思います。

国会議員に対する要求基準

北海道知事や衆院議長を務めた横路孝弘氏が今月2日に死去されていたことが6日、メディアで報じられていました。同氏については、白川勝彦氏(2019年11月18日没)、江田五月氏(2021年7月28日没)と共に、最初にナマで見た国会議員の一人であったので、ずっと気にしていた政治家でした。初見の機会は1981年の東大・五月祭での「連合政治」をテーマにしたシンポジウムでした。都内の大学進学で上京間もない頃ですし、東大構内に足を踏み入れたのもその時が初めてでした。当時、横路孝弘氏は社会党所属の衆議院議員、白川勝彦氏は自民党所属の衆議院議員、江田五月氏は社民連所属の参議院議員でした。壇上に居並ぶパネリストの3人はいずれも東大OBですが、在学中から政治に目覚めた活動家出身でありながら、特定の利益団体の代弁者というわけでもなく、法曹資格を有して実社会の問題にも精通する共通点がありました。聴講の印象として政党は異なっても政治に対する熱情と知性の深さを、3人に感じました。つまり、国会議員に対する要求基準が42年前に出会ったこの3人になってしまったのです。その後の国政の道のりをこの基準で見ていくと、ずいぶん不幸に付き合わされたなという思いもあります。初見の国会議員がだれかというのも案外重要かもしれません。

スローダウンを受け入れられるか

昨日から読み始めた本は、オックスフォード大学の地理学者であるダニー・ドーリング著の『Slowdown 減速する素晴らしき世界』(東洋経済新報社、2800円+税、2022年)です。なんとも挑戦的な書名だと思います。本書の指摘は、「あらゆることがスローダウンしている。そしてスローダウンはとてもよいことである。」ということに尽きます。その事実証明が539ページのボリュームで繰り出されるのですから、読む側の気分としてはゲンナリしそうです。ですが、根拠のないバラ色の話を聴かされるよりも、厳然としてある事実を学者の導きで知ることが大切です。的確な現状認識によらなければ未来を見据えたこれまた的確な政策判断はできないのですから、まずは虚心坦懐の構えで読んでみることにします。