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不寛容論

次に読む本は『不寛容論』。これは米国内の政治思想史の著作となりますが、これを理解することは米国の対外関係の方向を知ることにも役立つかもしれません。この本の前に『中国vsアメリカ』を読んだこともあり、たとえ国外のことであっても人権あるいは法の支配を無視する行動に対してそれらを尊重する政治思想を共有する側がどう行動したらいいのかを考える機会になるかもしれません。

どんなメッセージを出せるか

橋爪大三郎著『中国vsアメリカ』(河出新書、900円+税、2020年)を読み終えました。中国という相手の考えを見越して適切なメッセージを出すことが、重要なことだと改めて思いました。日本と中国との関係においては、アジア・太平洋戦争の歴史がありますから、そのことを踏まえて国際社会のルールに沿った行動を求めていかねばならないですし、それがいかに双方に実益があるかを主張しなければなりません。確かに事象によっては抗議も必要ですが、相手が聞く耳をもたないとか、双方のナショナリズムに火をつけるだけでは効果がありません。支配層と被支配層の構造、民族や宗教の状況もよく承知してアプローチをして引き寄せることも必要です。もちろん、日本側の内部の問題や対米関係もあります。いろいろ頭を働かせないとまずいことになります。

株価3万円台と聞いても

東証株価が30年ぶりに3万円台を回復したそうです。4万円台に迫るバブル当時の雰囲気を知る者としては、一方でそれがどうしたという思いもあります。確かに景気が良く普通の人でも錬金術に走ることができたかもしれませんが、有効なお金の使い方まではできたとは思えません。虚飾や浪費、徒花という言葉がしっくりくる時代でした。マンションが続々立ち並びましたし、若者が高級車を買って乗る感じでした。ただ何となく熱は帯びていた覚えはあります。帰宅するときも毎日のようにタクシーを使っていました。今にしてみると、何か残ったというのはなく、ただただ消費したとしかいいようがありません。そうした時代を体験したのが逆に意味があるだけという気がします。思索するには今の時代が向いているように思います。

時間感覚

昨夜の福島沖を震源とする地震は10年前の東日本大震災の余震とみられるそうです。プレートの動きからすれば、10年という時間は短時間ということなのだなと実感しました。モンゴル人の居住地域が南北に分断されたのも70年前の話ですから、今の状態を当然ととらえる方が不自然なのだと思わされます。

中央ユーラシアからの視点

日本側から日中関係を考えるときにどうしても方向的に日本海側から見てしまうと思いますが、中央ユーラシア側から見ると、まったく違ったものが見えてきます。モンゴル人とウイグル人との関係とかあるいはチベット人との関係、さらにはインドやロシア、モンゴル国、その他中央アジア諸国との関係を通じて中国を見てみると、国際関係について新しい思考もあることがわかります。単純なことですが、インドのムガール朝のムガールとはモンゴルのペルシャ読みということすら知りませんでした。

弥生時代の硯とmRNAワクチン

弥生時代中期初め(紀元前180年ごろ)までさかのぼって西日本では文字が使われていたのではないかとみられる遺物=硯?が見つかっているといいます。朝鮮半島と北部九州・山陰・北陸を結ぶ交易ルートでは紀元前1世紀の石の重りも見つかっていますから、当然計量結果を文字で記録していた可能性があるとみられています。なかなか興味ある世界です。
これとはまったく別の話ですが、ファイザーやモデルナが開発した新型コロナ感染抑止のワクチンはmRNAと呼ばれる新しいタイプのものです。mRNAとは、細胞内で「たんぱく質を作れ」という指示書のようなっものです。つまり体内に送り込まれる文字のようなものです。
紀元前の硯とmRNAワクチンの開発元が、文字を生み出すものとしては共通しているものに思えて不思議です。

 

内政と内省

写真表紙の新書を次に読む予定です。日本にも中国籍のモンゴル人は在留しています。それらの人々の背景を知ることは重要です。しばしば内政問題から自国民の目をそらさすために、他国との権益が絡む領土・領海問題を利用することもあるのではないかと思います。

今年の節分を経て

つい数日前まで節分は2月3日だと思っていましたが、今年は2月2日ということを知って、まだまだ知らないことが多いし、思い込みというものにこうして陥るのだと体験させられました。常識がほんとうに常識なのかを確かめてみる心掛けがなにごとにつけ必要です。

人権第一に考えれば

人権を第一に考えれば、人権を侵害された人の国籍や民族で扱いを変えるべきではありません。政府同士が対立するのも不毛です。昨日の朝日新聞のオピニオン面で中国人強制労働問題で被害者と企業との和解に取り組んでいた弁護士の意見が傾聴に値すべきだと思いました。実際、日本政府は、中国人強制労働者と企業の和解では口をはさまなかったのに、韓国の元徴用工判決については国際法違反だと反発して見せ、互いに国家間対立を高める結果を招いています。国際法を持ち出すならそもそもの元徴用工が受けた人権侵害も国際法に反しており、不正義の原因を作った側が法律の手続き面のことであまり大きな顔をすべきではないと考えます。1965年の日韓国交正常化の実態でも日本側の資本でプラントを韓国側に建設してその後の利益を得たのは韓国以上に日本側ということもありました。1950年代前半に朝鮮半島の分断をもたらした朝鮮戦争の時期においても日本はずいぶん儲けさせてもらった負い目があることも忘れてはなりません。日本側も韓国の司法を判決に追い込むのではなく、和解に持ち込む知恵と贖罪が必要だと思います。

研究の方向

E・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫、1380円+税、1986年)のp.186にアインシュタインの発言(邦訳『アインシュタイン平和書簡』、原書1960年出版)を引いている箇所があります。これは原子力についての考察の中で記述ですが、紹介すると以下の通りです。「人類は自然に反しては生きられないのと同様、科学・技術なしでは生きていけない。ただし、熟考を要するのは、科学研究の方向である。この点は科学者だけに任せるわけにはいかない。アインシュタインが述べているように、「科学者の大多数は経済的にはまったく自立しておらず」、また「社会的責任感のある科学者はまれ」なので、この方向を自分たちでは決めることができない」。科学者全員がこれほどひどいとは言いませんが、たとえばある事業を行うときに技術的には正しいとか優れていても経済的な視点や環境に及ぼす影響を考えると疑問というか愚かなことというのは多々あります。人間はどうしても都合のいい部分を過大に見てしまい、あげく罠にかかることがあります。当事者だけならともかく他者へ取り返しのつかない悪影響や被害ももたらすことがないのか、天才が述べる通りそれに気づくのは容易ではありません。

どう学ぶべきか

昨日の首相の記者会見を聴いていたら、核兵器禁止条約への日本政府の対応を質問していた記者がありました。答えは予想された通りの後ろ向きの内容でしたが、いい質問でした。コロナと同じく全人類に対する危機への向き合い方、つまりリーダーとしての資質をあぶりだすことに成功したと思いました。翻って権力を監視するジャーナリズムの資質も示されたと思います。
ところで、緊急事態宣言によって首都圏の大学では休校こそありませんが、対面での授業や課外活動が制限され、異常な大学生活がやがて1年間となります。実際、私の家族もその弊害を受けています。私が大学生当時だった1980年代前半は今よりももっと反核運動が盛んだった覚えがあります。大規模な集会や原子力空母の入港についての社会の関心も高かったと思います。関連する場所を訪れたり、冷戦時代の旧ソ連から日本へ留学していて交流したことのある大学生が米国へ亡命したこともありました。そういうナマの体験や議論の機会が減っている中で学ぶことの制約はいかがばかりかと思います。一方で、技術の進展はありましたが、人の考える能力というのは当時と今とでもそう変わりはないのではと思います。

丑年の鼻ぐり見学

丑年生まれの家族を空港へ送る途中、菊陽町の鼻ぐり井手公園に数分立ち寄りました。ヨナが堆積しないように流水を工夫した構造はたいへん興味深いのですが、一方で水理を理解しない後世の役人によって破壊された痕跡も残されているわけで、善政と失政の両方の見本を学べる場所だと、いつも思わされます。

 

成長や美が必要か

先日NHKのEテレである学者が写真の本をお勧めしていました。今度読んでみようと思います。それにしても『胎児性水俣病患者たちはどう生きていくか』は、ずっと重いテーマをもたらしてくれました。時間をかけて考えていきたいと思います。反公害運動の中に潜む障害者を生んではならないという優生思想との指摘にははっとさせられました。成長や美を競うことを人はしがちですが、それらが必要なのかについても根本から考え直してみてもいいかもしれません。

ウェーバーの主張

宇野重規著『民主主義とは何か』のp.180~p.181にドイツの社会学者マックス・ウェーバーが政治家に対して求めたことがコンパクトにまとめられています。ウェーバー自身はワイマール憲法の起草にも影響を及ぼした人物でしたが、ナチスの台頭を見る前に当時流行していたスペイン風邪で亡くなっています。彼は、政治家に3つの資質を求めます。それは、情熱と責任感と判断力です。政治家は他人を動かす権力をもっていることを自覚し、それに溺れることなく、責任を果たさなければならないと考えました。政治家には、自らの職務に対する献身を求めています。政治家は、自分の行為の結果に対して責任をもつ必要があるとしています。自分の信じていることは正しかったが、結果がたまたまうまくいかなかった、という言い訳は、政治家には通用せず、重要なのは結果であるとしています。主観的に自分が正しいと思う信条(心情)倫理だけではなく、結果に対して責任をもつ責任倫理が不可欠だと強調しています。政治によって生きる、つまり生活の糧として政治に携わる職業政治家ではなく、政治のために生きる、政治を使命として政治にかかわること自体を目的とする政治家を重視しています。やはり著者は日本学術会議会員としてふさわしいのではないでしょうか。

人新世の次の時代は

今月読む予定の本に斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書、1020円+税、2020年)があります。この書名の一部にある「人新世」という用語ですが、知るようになったのは割と新しく放送大学の講座「人新世時代の文化人類学」でした。ところで、この用語の意味は、地球の地質区分の名称で、人類の存在が生態系や気候に影響を与えるようになった新しい時代のことを指します。日本でも脱炭素社会が叫ばれ2035年にはガソリン車の新規販売はなくなるのではと見られます。ですが、影響を与える最大の要素は核兵器という気もします。全世界的に使用されたら地球上の人類自体の存続にもかかわりますから、その後の時代区分はまた新しい名称が必要になるかもしれませんが、その用語を使う機会のある人類がそのときに存在し得るのかという問題もあります。

レイシズム政策としての入管法

『レイシズムとは何か』でいう「1952年体制」について読書メモとしてまとめてみました。日本政府による在日コリアンへ対するレイシズム政策としての入管法制としての視点に立っています。
まず戦後日本がGHQ占領下から独立したのは、サンフランシスコ講和条約の発効日である1952年4月28日です。この日をもって在日コリアンや台湾出身の漢民族は、日本国籍を喪失しました。しかし、本書の著者はこの1952年からの体制は、それ以前の植民地支配時代のレイシズム体制の継続と考えます。
植民地支配時代の朝鮮人支配の法的枠組みは次の3つになります。1.1910年の韓国併合を根拠にした帝国臣民への包含。2.朝鮮に国籍法を施行しないことによる朝鮮人の日本国籍離脱防止。3.朝鮮人戸籍と日本人戸籍とを峻別することによる被支配民族と支配民族との差異づけ。国籍の壁に囲い込むことで義務は押し付けながら戸籍の壁によって権利ははく奪して差別するやり方をとったというのです。戦後の1945年12月の選挙法改正で戸籍法の適用を受けない者は参政権が停止されます。旧植民地出身者(沖縄も)は排除されることになりました。新憲法施行前日の1947年5月2日に天皇最後の勅令として制定された外国人登録令は、朝鮮戸籍令の適用を受けるべきものを当分の間外国人とみなすとされました。
サンフランシスコ講和条約発効時に日本政府は外地戸籍者を一律日本国籍喪失させたことは、冒頭触れた通りですが、その根拠は1952年4月19日付の法務府民事局長通達によるものです。通達は条約が朝鮮の独立を認めているから原状復帰の必要があり国籍も元に戻すとしていますが、そもそも条約にはなんら在日コリアンの国籍規定がありませんし、講話会議に一人の朝鮮人も出席しておらず意思の反映はありませんでした。国籍選択権が一切認められていませんし、法律で国籍を定めるとした憲法10条にも違反するものでした。
結果、在日コリアンは無国籍者扱いの外国人となり、在留すれば指紋押捺と外国人登録証常時携帯が強制され、些細な口実で強制送還を強いられる難民以下の法的地位に落とされました。国籍と戸籍を恣意的に使い分けられ、官憲の広範な裁量に依拠した不安定な立場に置かれ続けることとなりました。2009年の改正で外登法が廃止となり、入管法に一本化されました。現在、指紋押捺はありません。特別永住者という在留資格をもつ外国人ということになります。

1952年体制の問題について

『レイシズムとは何か』は、私たちがいかに反レイシズムを行ってこなかったを知る好著だと思います。常日頃入管法を意識する行政書士ならば、在留資格についていくらか明るいかもしれませんが、その成立の背景やレイシズムに連なる問題点についてはあまりにも無知です。ましてや法務行政に係る職員や民間人でも人権擁護委員でもそうかもしれません。本書で紹介されていますが、1949年に当時の首相がGHQの最高幹部へ送った書簡には、たいへん驚くべき記述があります。当時はまだ日本国民であった朝鮮半島出身者を全員強制送還させたい旨を進言しているのです。全員強制送還こそありませんでしたが、1952年には個人の選択なしに一方的に日本国籍を奪い、事実上の国内難民化を実行しています。入管法の仮面を被ったレイシズム政策の歴史が残っています。

15分の1と考えてみると

国内有数の企業グループである三菱が創業150年を迎えたと先日の朝日新聞経済面に載っていました。約600社で構成されており、中でも三菱商事と三菱UFJ銀行と三菱重工業が御三家なのだそうです。かたや当方は創業してやがて10年となります。売上や社員数などでは宇宙史における人類史の割合ぐらいにまるで比較にならない存在ですが、15分の1の歴史を持つと考えれば、なあんだと思います。GAFAに至っては2分の1の域に達するので、時間軸ではだれが何をしてもせいぜいとかたかだかとかの世界なのかもしれないと思います。

レイシズムとは何か

次に読む本は、ちくま新書から出ている『レイシズムとは何か』。人種という概念や民族という概念で人間を区別することにも歴史的な変遷があり、それにとらわれるあまりさまざまな差別が起きています。少なくともホモサピエンスというくくりで言えば、人種なるものはありません。肌の色は身体的特徴の一つですが、生物種としては単一です。