歴史」カテゴリーアーカイブ

民主主義の後退サインを見落とさない

エリカ・フランツ著の『権威主義』は、民主主義の後退サインを知るうえでたいへん役に立つテキストでした。第二次世界大戦後から今日にいたるまでに登場した世界の権威主義政体を分析してその登場形態から生き残り戦略、崩壊形態について解き明かしています。権威主義体制の政体としては、中国のような支配政党独裁、北朝鮮のような個人独裁、ミャンマーがさらされている軍事独裁などがあります。その独裁体制の継続期間の平均は前述の順となっています。体制の維持には抑圧と抱き込みの両面があります。抑圧一辺倒では体制を転覆させたい人々が多くなるのは当然になります。政党幹部・党員やリーダー親族への恩恵を与えることが抱き込みになりますが、軍事独裁の場合は抱き込み手段が限られ内部に派閥ができやすく、クーデターでさらに体制が変わることが多いようです。天然資源に恵まれた産油国では国民への経済的恩恵が高いため、王族独裁体制が安定している例もあります。権威主義体制ではとても公正とはいえない選挙制度や議会制度を採り入れ民主主義の擬態を見せることが好まれます。まやかしなのですが公正な選挙への参加の権利を奪っている点でそれは人権を蔑ろにしていて支配者と被治者という不平等状態にあると考えるべきです。世界の人口の多くが実はこの権威主義体制下に置かれています。そして、民主主義体制はいつでも後退する危うさもあります。それは抑圧ではないか、それは抱き込みではないかと、一つひとつの事象を丹念に判断する必要があります。

長平の戦い

数は力であるのは確かですが、中国古代史上最大の戦いとして知られる、長平の戦いを振り返ると必ずしもそうではありません。紀元前3世紀の戦国時代、全国制覇を競った大国・秦と趙との戦いでは、数で劣った秦軍側による地形を生かした知略により、補給路を断たれた趙軍側が40万人の戦死者(その大半が餓死者)を出したとされています。現代のミャンマー国軍の勢力がやはり40万人といいますが、彼らの補給路は軍幹部を据えている多くの国有企業からの利益です。多くの公務員が職場放棄を行い行政が停滞していますが、それだけでは国軍の横暴を止めることはできません。軍へ資金を送っている企業との取引を止める国際的な制裁が必要ですし、それを抜け駆けしようとする者への監視も求められます。

まだ再建途上

昨日、地元市の仮庁舎へ立ち寄った帰りに新庁舎建設工事現場の脇を通りました。くい打ち機が備えられていました。今日も大津町の江藤家住宅(ここも最近主屋が解体組直しで再建が完了)の前を通って阿蘇へ向かいました。初めて大津と阿蘇とを結ぶ北回り復旧道路を走行しました。阿蘇神社では拝殿がこれまた再建中でまだ白い木材や光る銅板屋根を見ることができました。

時代考証力の判断材料になる研究

尾脇秀和著『氏名の誕生』(ちくま新書、940円+税、2021年)は、日本国民の氏名の形が実は150年足らずの歴史しかない固有の伝統でもないものだということを明かしている学術研究の成果を示してくれます。江戸時代における武家社会と朝廷社会の人名の成り立ちの違いが明治の新政府の時代になってぶつかり合い、国民管理の都合上、現在の形に決めた過程が丁寧に実証されています。江戸時代の一般の人たちにとっては、苗字がなくても何ら差しさわりがなかったのですが、極端に言えば兵籍簿を備えるにあたってなんかあった方が管理上便利だったということに過ぎません。
江戸時代は一生の間に幼名・成人名・当主名・隠居名のように名前を変えることがむしろ自然でした。今のように親に付けられた名前に縛られる必要はありません。位が高い武士は官名由来のかっこいい名前を通称として使用していて、それがために本来の職名、たとえばどこそこの地域の長官という意味とは関係ない名前で普段は呼ばれていて、実名は手紙で使うなどして周囲の人から呼ばれる名前としては使われていません。位の低い武士や一般の人も官名由来の字を名前に取り入れていますが、勝手に使ってはならない表記もあるので、そうした決まり事を知っていないと時代小説・ドラマでありえない人物名が登場するハメになります。たとえば「必殺仕事人」の「中村主水」は時代考証的にはアウトになるようです。
氏名で国民管理を行う必要はあると思いますが、どう名乗るかという点については本人に決めさせることをもっと緩やかにしてもいいのではと思わせる本でした。それでいくと、家族で苗字が異なっていても関係そのものには変わりはありませんし、さらに言えば苗字は不要という選択があってもいいという議論さえ考えられます。

相互監視による自浄作用

昨夜放送のNHK・Eテレの番組「ズームバックオチアイ」が取り上げていた環境論に石牟礼道子さんの作品が紹介されると知って見ました。その作品のインパクトから生まれた環境運動についてはそうなのかもしれませんが、現代のSNS社会で生じる「相互監視による自浄作用」についての言明が印象に残りました。たとえばSDGsに反した企業活動を行っている企業の商品を買わないというのは大きな力です。環境汚染はつまるところ生命への危機、これは人権侵害にほかなりません。したがって環境汚染につながらなくても人権を侵害された労働者が製造している製品を利用した商品を売っている企業もなくしていかなくてはなりません。汚染水と処理水、廃水と排水のようにちょっとしたカムフラージュに国民は騙されやすいものです。相互監視といえば聞こえはよくありませんが、相互学習につながるものだと思えば効用に対する見方も変わります。
こうした用語の問題と伝統かどうかの問題もあります。婚姻カップルの氏のことを考える際も安易に「伝統」に依拠してはならないと思います。本当にそれは伝統なのか、守るべき価値があるのかどうかを、学問的に考える必要があると思います。そんなわけで、次に表紙写真の本を読む予定です。

処理水を飲んでみるとは言えないのか

東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出をめぐる、財務相と周辺国政府の発言に引き寄せられます。13日に財務相が「あの水飲んでもなんちゅうことはないそうですから」と海洋放出に問題はないとの認識を示したところ、翌日、中国外務省は「太平洋は日本の下水道ではない」「飲んでも問題ないと言うのであれば飲んでみてほしい」などと批判しました。これを受けて16日に財務相は「じゃあ(太平洋は)中国の下水道なのか。みんなの海じゃないのかね、と思うね」と答えていました。この点は応酬のように見えて海洋は人類共通の資産なので一国による勝手な汚染は許されないとの認識が示されていて、日中の違いはないとも受け取れます。ここは「飲んでみてほしい」という要望に応えて「飲んでみる」と言ってみる器量がほしいと思いました。ただ、先日の投稿にも示した通り責任ある立場の人物が本来飲んで見せるべき水を飲んでくれるとは限りません。国民をだましていないならその姿勢を2年後に示してほしいと思います。

飲んでもなんてことないそうですから

きのう政府は2年後をめどに、福島第一原発のトリチウムを含む処理水を海へ放出する方針を決定しました。財務相は会見で「科学的根拠に基づいて、なんで早めにやらないのか。よく私どもとしては、もうちょっと早くやったらと僕は思っていましたけど、いずれにしても(海洋放出)やられることになったんで、別に、あの水飲んでもなんてことないそうですから」と述べました。
それで思い出したのが、水銀を除去できないサイクレーター(浄化装置)の完成式で装置から出る廃水を飲んで見せたチッソ社長のサル芝居でした。1959年当時、水俣病の原因はチッソの工場廃水に含まれる水銀だと考えられていたので、チッソとしては水銀を除去して海洋放出していると見せかける必要がありました。しかし、完成したサイクレーターには水銀を触媒として使う工程での排水が入らない経路となっていました。完成式に出席した知事も後でだまされたと語っています。
チッソは創業者が電気工学の技術者であったことからももともと東京電力と同じく電力会社です。今も各地に水力発電所をもっていますが、その発電能力を利用して肥料成分である窒素を製造したので、電力会社から化学メーカーへ転換したわけです。
確かに原発の処理水をタンクでため続けることも電気使用者の負担になっていますが、安全な処理ができるのか、東電と政府関係者が飲料水に使ってみてくれないと信用できない気がします。

二分論

中国の指導者で周恩来は日米では評価が高い好人物として認識されています。1970年代に米中関係の基礎を共に築いたキッシンジャーは、周のことをスマートで思慮深い人物として回想録で書いています。日本にとっても周が唱えた戦争責任二分論によって日中戦争の戦争犯罪人の多くが死罪を免れました。連合国側の裁判の戦争犯罪人からは多くが極刑に処せられたのとは対照的です。1972年の日中共同声明においても中国側からの提案で「戦争賠償の請求を放棄すること」が宣言されました。台湾も以徳報怨の姿勢でいましたから、戦後処理においては大陸からも台湾からも恩恵を受けたことは否定できません。一方、中国内モンゴル自治区のモンゴル人からすれば、周は弾圧を加えた張本人ということになります。国内(漢民族)の対立による不満の矛先をモンゴル人に向けさせたと、『紅衛兵とモンゴル人大虐殺』の著者は指摘しています。まさに「夷狄」としてモンゴル人を扱っています。評価が二分されるわけです。専制国家の中で長らくナンバー2の位置に座るにはいろんな立ち振る舞いが要求されたと思います。歴史に登場する人物を見るときにいろんな側面から見る必要性を感じます。

部分的なつながり

インターネット配信で今年の東大入学式の映像を視聴しました。新総長がコロナ陽性に伴い、式辞は理事・副学長の一人が代読となっていました。聴いていて印象に残ったのは、教養学部長の式辞でした。多様性と同質性について考える内容でした。万物が同じであれば、万物は存在しないわけで、「東大生」という同質性に預かってしまっては、異質は見えてこないということだと思います。同時に「部分的なつながり」があるということは、時空を超えて「無関係」はないということです。科学技術に限らず、政治課題もそうですが、何事も関係がないということを知り、関心を寄せるということが、学問なのかなと思いました。

機略を尽くせ

『キッシンジャー回想録 中国』を読み終えました。原書は10年前に書かれたものですが、提言は今も有効だと思いました。現代の指導者は実体験として対立の先にはどのような世界があるのかを知らないため、歴史的視点に立つ洞察力をもっているかどうかが重要です。少なくとも周囲にそうしたブレーンがいればいいのですが、気がかりです。米国の場合は、少なくとも8年に1回は政権が代わります。今回のように政党も変われば最初の9か月間は見習い期間だと、同書の著者は記していました。
以下に読書メモを示します。

中国の特異性
1.長い歴史を持つために、過去の出来事や教訓から物事を判断する。
2.自らを世界の中心であり卓越した存在と考える。
3.時間の観念が長く、長期戦略による相対的な優位を追求する。
4.西欧流の近代化は中国の文明や社会秩序を損なうと考える。
5.本能的に自立更生、自給自足の独自性を主張する。
6.侵入した異民族を中国化させるような文化力や忍耐力を持つ。
7.事物は流動的、相対的であり、矛盾や不均衡の存在は自然と考える。
8.完全な征服より調和を、直接的な勝利より心理的優位を狙う。
9.米国とは異なり自らの価値観を世界に広めようとはしない。

米中関係に求められるのは相互進化
両国ともに可能な領域では協力しながら自国の課題解決に取り組み、対立を最小限に抑えるように互いの関係を調整する。機略を尽くすのをやめ、衝突(あるいは対立)してしまえば世界はどこに行き着くのかにについて自問する必要がある。協議と相互尊重の責任がある。

表紙写真の本は、今度読む予定です。中国国内のモンゴル人に対する文化的ジェノサイドについても目を向けるべきだと思います。文革当時の中国は、文字の読み書きができない国民がかなりいましたが、現在は教育水準の高等化だけでなく、同化政策が進められています。

三国志演義のようにいかない

昨日のJ3第4節でロアッソ熊本は勝ち点を増やせませんでした。対戦相手は今季参入した宮崎だったのですが、こうした初顔合わせのゲームを落とすイメージがあります。外交の現場では三国志演義のように「夷狄をもって、夷狄を抑え(以夷制夷)」、必要なら「夷狄に夷狄を攻撃させる(以夷攻夷)」策をとることができますが、スポーツのリーグ戦においては戦略的協力関係を築くことができません。今読んでいる『キッシンジャー回想録 中国』は米中の外交関係史であり、米中それぞれの外交手法の違いが理解でき、たいへん面白い現代版の三国志演義です。キッシンジャーの目を通じた毛沢東や周恩来、鄧小平の人物評価は、ヘタな歴史小説よりも迫力があります。

 

相手を知れ

「歴史総合」や「公共」などの新科目が2022年度の高校教科書に登場してくるのだそうです。国をまたぐ歴史や境界の問題は、日本の主張だけでなく相手方の主張も理解しなければ何が問題になっているのか、解決の方法はどこにあるのかが見えてきません。相手方の教育の在り方が自国中心であればなおさらです。相手の行動変容を促すにはどう考え動くべきか。教科書だけでなく教員の能力も気になります。新科目には「情報」もあるそうです。国際関係でいえば軍事的な力だけでなく人権や経済の面からも考える力が必要です。

うーばんぎゃーは嫌いではない

(一財)水俣病センター相思社発行の『ごんずい』(160号)の中で、ある東京生まれの方が親族も仕事のアテもなく水俣に住みつくことになったと、石牟礼道子さんに話したら、「それは、うばんぎゃあな話ですねえ」としみじみと言われたと書かれていました。久々に出合う言葉で懐かしく感じました。熊本弁の「うーばんぎゃー」には「おおざっぱだ」という意味があるとされていますが、けっして非難されるような「杜撰さ」ではなく、笑って許してもらえる愛される「緩さ」を伴った人柄の行為に評される言葉のような気がします。義侠心にかられて拙速に動く古い熊本の人々に多い気質を指しているともいえます。「うーばんぎゃー」が嫌いではない自分を感じた次第でした。

人権問題に向き合う度量が試される

他国の人権問題を指摘すれば、指摘された側が指摘をした側の人権問題についても引き合いに出してくることがあります。それを内政干渉だとか過去の問題だとかといって逃げてしまっては、今問われなければならない側と同じ穴のムジナになってしまいます。人権問題に国の内外や時代の今昔の違いはありません。お互いに足元の問題にも相手の問題にも向き合う必要があります。たとえば私たちが使用している衣料品の中にはひょっとして強制的に収容されて働かされている人によって製造されているものがあるかもしれません。事実を知ること人権を擁護することにためらいがあってはなりません。

誰でも立候補できる社会がいい

今、行われている千葉県知事選挙には8人の候補者が立っています。ネット動画にアップされている政見放送の内容がいろいろと話題にも上がっています。それだけ選挙への関心が高いとも言えます。候補者の識見はともかくこれだけ投票の選択肢があるという社会は歓迎です。世界に目を転じると、こうしたことができない地域もあります。えてしてこうした地域では、国際関係や歴史に疎い指導者が多いようにも感じます。またそうした民主社会の実現が難しい地域の支援のためにも実現ができている地域からの支援が必要です。

外交力に厚みはあるか

過去の外交当事者の回顧録だから最初読むべきか迷いましたが、著者の学者としての相手の見方、それも歴史的に捉える思考について理解したくて手にすることを決めました。外交に厚みをもたせること、さまざまなチャンネルを利用することが重要だと思います。相手自身以上に相手を研究することで違う体制でも信頼関係は築けるのではと思います。

不自由から生まれるもの

ちょっと書名がおどろおどろしいのが嫌味ですが、けっして一枚岩ではない中国の人々のことを知りたくて表紙写真の本を今度は手にします。現代中国の政治権力は中国共産党が一手に握っているわけですが、これも発足当時は秘密結社的な存在でした。信教の自由や結社の自由が保障される社会とそうでない社会とがありますが、自由がない社会の方がより強力な結社が生まれる歴史が多いのではと思います。

政教分離の起源

那覇市が孔子廟の敷地使用料を取らないのは違憲であるとの最高裁判決が先月出たのを受けて同市では請求するようになったそうです。琉球が歴史的に儒教の祖・孔子との縁が深いのは納得ですが、米国でも意外な場所で孔子の姿を見ることができます。それはなんと首都ワシントンDCにある連邦最高裁判所の東側背面の破風装飾部分です。ここには、孔子の像のみならず、ソロンと十戒の2枚の板をもつモーセの計3人の像があります。宗教間のバランスを取りつつ「法の授与者」としていずれも東方からの知恵を象徴しているのだそうです。なお、イスラム教徒にとっては預言者であるモーセの像(しかも廷内にも刻まれている)を作るのは不快で無礼なことなので除去する請願がかつて出されたこともありますが、却下されて今日も残っています。
さて、上記のネタ元の『不寛容論』には、米国における史上初の政教分離文書についても触れられています。それは、現在のロードアイランド州の北部にあるプロヴィデンス植民地への入植者に署名を求めた際(1638年頃)の誓約文です。起草者は、同植民地を拓いたピューリタンのロジャー・ウィリアムズ(1603頃-1683)という人物です。この文書には政治権力の適用範囲が「世俗的な事柄」に限定され、人間の内面=「宗教的な事柄(信教の自由)」には及ばないことを明記した世界初の公文書とされています。当時の常識では、書面の中に内容の保証者として神の名が用いられるのが普通なのですが、同文書には「神の名において」「神よ助け給え」「アーメン」といった、もっともらしい荘重さを与える宗教的言辞が一切出てこないといいます。逆に言えば、宗教的寛容を見てとることができます。
こうした背景をもつ米国なら中国におけるモンゴル人やウイグル人、チベット人への対応をどう考えるか察しがつきそうです。冒頭の孔子が開祖である儒教の性格も宗教とみるか学問体系とみるかで結果が違ったと思います。もしも私が関係者なら米最高裁のように法の授与者として顕彰している施設への変更で乗り切るかもしれません。

愚行権を考える

今読んでいる『不寛容論』のなかに愚行権という用語が出てきます。他人に迷惑をかけない酩酊といった個人の愚行については寛容であるべきだという考えが独立前の米国でありました。ただし、よほど他人との接触を断って孤立して暮らさない限り愚行の実現が難しいのも事実です。ましてや国家に愚行権はありません。人権侵害という愚行への批判を内政干渉というのは間違っていると思います。一方、宗教文化によって許されるものと許されないものというのもあります。多宗教文化の共同体において法律を定めるというのはたいへん難しいことです。いわば宗教文化の違いによる愚行観の違いもあると思います。違いがあるからこそ寛容・不寛容の問題が生じてくるわけで、本書は米国のみならずどの地域の問題を考えるうえでも避けられない視点だと思います。

石牟礼展から

作家・石牟礼道子さんの足跡を辿る展示が、くまもと歴史・文学館で開かれていて、先日近くに用があった際に見てきました。石牟礼作品についてはもちろん評価する人は多いと思いますが、私にとってはかなり苦手な作家です。とてもではないですが、私だったら書き尽くせない表現力をもっていて、それこそ現世を超えたところがあるためです。かつてそれを評して石牟礼巫女説もあったのを記憶しています。石牟礼氏の功績として水俣病被害の実態に衆目を集めたこともありますが、その後の行政や司法との関係でどれほどの力があったかというと、評価はまた別だと思います。とにかくシステム社会で通用する言葉を繰る方ではないので、被害者救済の旗手として何かを求めるのはもともと無理な話だと思います。
今、森本あんり著の『不寛容論』を読んでいるのですが、日本にとって最も関係性の深い国家である米国の歴史についてどれほど知っているかというと、黒船来航以来がほとんどで、せいぜいが独立宣言以後だと思います。英国の植民地時代の入植者たちにどのような思想があったのか、考えたことのある日本国民は少ないと思います。
石牟礼作品では、水俣の漁村民の暮らしを描いていますが、米国建国前の入植者たちの世界と同じで、水俣に暮らす人たちの世界観を初めて言葉にした衝撃を感じます。語弊があるとは思いますが、どの時代、どの地域の民衆にも思想があるということすら、現代人は知らないし、驚きなのかもしれません。