歴史」カテゴリーアーカイブ

帝国の計画とファシズム

これから読む本は、1963年生まれの米国人の歴史学者であるジャニス・ミムラ著の『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』(人文書院、4500円+税、2021年)。現在のクレムリンの行動を帝国日本がたどった道になぞらえた言論をムキになって否定する手合いがあるようですが、振り返りたくないものを第三者の目を通じて考えることは重要です。時代や地域は変わっても権力者やオルガルヒのような取り巻きの思考や行動のパターンは似通っていて、不幸にしてその場に居合わせた人たちは騙されないようにしないと、最悪生命の危機にさらされます。15日、一部の全国紙に、千葉工業大学による「科学者へ告ぐ」という広告が載り話題になりました。科学者が生み出す先端技術が人々を不幸にする戦争に利用されないように戒める内容でした。戦争に限らず環境破壊によって人を不幸にするの技術もあります。水俣病の原因企業であるチッソ(日窒)も帝国日本統治下の朝鮮半島にあってはオルガルヒ的存在そのものだったと思います。

覇権のファンダメンタル

今月前半の読書は『ヨーロッパ覇権以前』で楽しみました。栄代から元代をはさみ明代初期まで遠くは東アフリカまで大きな海軍力を伴って交易の海洋進出を果たした中国の盛衰について考察した部分は、現在に通じるものがあって面白かったです。原書が出版されたのは1989年ですから、現在の世界に占める中国の影響の大きさとは異なる頃に書かれた点でも、興味深く思いました。ただ、著者の中国に関する記述は言語の違いもあるのか、間違いも多く訳注によってかなり補正しています。交易のグローバル化による感染症の流入により、ひどいときは中国河南地域の人口の9割近くを失う危機もあったとみられています。国内の経済危機が海洋進出どころではない事態を招き、その後、力の空白にヨーロッパのポルトガル、次いでオランダ、イギリスという具合に海洋進出があり、近代世界システムが形成されていったというのが、著者の見立てとなります。歴史上、覇権の基礎要素として海洋交易と感染症対策があったということを強く印象付けられました。
あと、昨日気になったニュースとしては、山口県においての多額の給付金誤入金事件で返金を求められた若者の所在が不明になって、町が民事訴訟に出て相手方の氏名を公表する事態となった問題です。訴えの中でこれまた多額の弁護士費用も上乗せされていましたので、行方をくらましている誤送金されたばかりか借金を無理やり追わされたようなものです。しかし、この若者のように普段手にしたことのない多額の現金を手にすると、ここまで後先の損得勘定がわからなくなるものなのでしょうか。逃げ回るというストレスを抱えているでしょうから、どんな心理状態なのか、心配です。もっとも、多額の現金を預かっているとおかしくなる例は山口の若者に限りません。たとえば、成年後見人を務める弁護士が今回の倍以上の預かり金を競馬につぎ込んでいたという事件が本県でもありました。法律の専門家でもこうした常識外れの行動をとる人は珍しくありません。いわゆる士業専門家の中には若い頃に資格取得に専念するあまり会社勤めなどの社会人経験がなく、身だしなみが疎かなことはもちろんのこと、人付き合いでも独善的な人が結構います。こういう輩は人から忠告されるとコドモのように憤慨して反論するので要注意です。たいていの大人は、こんな場合、当の本人を刺激しないように口をつぐんでいるだけですから、当の本人側は自分が周囲からどう見られているか普段気づいていないのが実態なのです。いつの世もそのように動いているものです。ともかく成年後見人も家庭裁判所からハズレの専門家をあてがわれることがあるので、それを利用しないで済む対策を講じることが重要かもしれません。
写真は、ファンダメンタルな話の投稿をしていたら、パンダメンタルな気分になったのでロンドン動物園で見たパンダです(1994年1月撮影)。海外では、このロンドンと天津で見たことがあります。

道はある

3月来、地元の遊休農地活用に際して農地中間管理事業の活用ができないか、リサーチしていました。県内の関係者に聴いたところ農振農用地以外の農地では行政上の支援措置は困難ということでしたが、愛知県の元職員の方から岩手県での事例を紹介され、地元の対象農地においてもある手順を踏めば活用可能ということが分かってきました。根拠法令の読み方一つ、使い方一つで答えがまるで異なる体験をしました。いろんな課題がありますが、道はどこかにあるわけです。このところ読んでいる『ヨーロッパ覇権以前』では、東の中国と西のヨーロッパが出会う前の時代にインド洋航路の記録がかなりあったことが記されていました。一年の中で西から東へ向かうのに適した風向きの時期があり、逆に東から西へ向かうのに適した風向きの時期があります。これらの時期を外すと、数か月から1年間、船を留め置かれるロスがあったといいます。先の例でいえば、いかにいい風を吹かせる人を掴むかで道は開けるということなのかもしれません。写真は、ロシアのレニングラード空港(現・サンクトペテルブルク)に降り立った時に見かけた路上のチョーク描き。子どものロシア版ケンケンパなのではと思いました。撮影当時の1989年は空港施設でカメラを向けるのは憚られる時代でしたが、たいへん興味深かったのでどうしても撮ってしまいました。

国際交易の歴史

このところ1章ずつ読み進めている『ヨーロッパ覇権以前』にすっかり魅了されています。つい1000年足らず前、東(中国)の商品と西(ヨーロッパ)の商品の交易はありましたが、ムスリム商人が中継していたこともあってそれぞれの地域に住む人にとってお互いは未知の存在であり、絹にしても綿にしてもそれらの原材料がどのようなものから産出されるのかさえ知られてなかったといいます。侵略や略奪から得る一時的な富よりも国際交易から得る継続的な富が価値が高いことを学ぶにはかなりの年数がかかりますし、現代においてもその価値を判断できない資質の人が権力者の位置に収まってしまうことがあることに気づかされます。写真は、パリのアラブ世界研究所(1991年12月撮影)。窓がカメラの絞り機能で採光できる仕組みになっていることで有名です。当時から入館する際にセキュリティチェックがかなり厳しかった覚えがあります。

野蛮人の歴史を知る

またしても『ヨーロッパ覇権以前』の記述についての投稿となります。「第4章 ジェノヴァとヴェネツィアの海洋商人たち」で描かれる約1000年足らず前のヨーロッパ人の野蛮人ぶりが凄まじく、人道も何もない時代があったことを知ります。おそらく現代の当事国の歴史教科書には載っていない出来事だと思います。たとえば、11世紀末に十字軍のヨーロッパ人たち(ムスリム側の書物ではフランク人)がイスラム文化の地を破壊したのちに異教徒の人肉や犬肉を食べる行為があったことが紹介されています。こうした「特別軍事作戦」には市民殺害や略奪を伴うことは言うまでもないことです。もっとも、こののちには東から別の野蛮人であるモンゴル人が登場するので、ヨーロッパ人だけが野蛮人ではなかったこともよく知られていることです。
イタリアが海洋国家として繁栄を極めた時代の輸送コスト比較でいえば、陸上輸送は海上輸送の20倍だったという考察があり、さまざまな商品を運び莫大な富を得ます。その商品の中にはコーカサスから積み込む奴隷の存在もありました。一方、イタリアが衰退した背景にはガレー船に紛れ込んだネズミを介した黒死病の流行もあります。こうして見るとまさに歴史は繰り返すので、たとえ祖先が野蛮人であっても歴史は直視する必要があると感じます。
写真は、パリのロダン美術館(1991年12月撮影)。

嫌韓プロパガンダに乗るな

先月読んだ『侵食される民主主義』にもありましたが、いったん民主化の道を進んだ国が権威主義陣営の策略によって揺り戻しの道を辿ることがままあります。往々にして権力者が権威主義陣営の儲け話に乗って私腹を肥やす一方、国を獲られるといった具合です。ロシアを非難する決議に反対もしくは棄権する国々にアフリカや中東、アジアの国々がありますが、とりわけアジアの動向には注意する必要があります。人口が多いインドや今まさに大統領選の行方が懸念されるフィリピンなどはそうです。その意味でも民主主義の価値観を共有できる韓国や台湾については地理的にも近く緊密な友好関係を保つ必要があります。しかし、残念ながら日本国内で心ない嫌韓プロパガンダに踊らされる愚かな人々がいるのも事実です。中には近隣の権威主義陣営が裏で流布している言説もあるという指摘が上記書にあります。さて、写真の建物は日帝時代の旧・総督府だったため今では解体されて現存しない韓国の国立博物館です。初めてソウルを旅行した1991年9月のときのものです。当時は民主化して5年も経っていないころです。気軽な一人旅でしたが、パゴダ公園を散策していたときに、日本語を話す年配の男性が、三・一運動を始めとした韓国の歴史を勝手に解説ガイドしてくれたのを思い出します。

シャンパーニュ大市の姿から

またしても『ヨーロッパ覇権以前』についての投稿となりますが、13世紀のフランスに出現したシャンパーニュ大市の姿に、現在の経済安全保障や取引の安全の起源を見るようで、たいへん面白く読めています。市の中には、文字を読み書きできない人のために手紙を書いたり、契約文書を作成したりする代書人も登場します。これなどは、現代日本でいうところの行政書士を連想する仕事で、勝手に親しみを覚えました。この当時、活躍したのはイタリア商人で、彼らの交易の安全を確保するために、市が立つ領主は手数料をとって保障しました。取引のトラブル防止のためさまざまな経済刑法も発展したようです。ちなみに銀行(バンク)の語源は、イタリア語ということも本書で知りました。日本銀行のホームページにある解説文を借りると、以下の通りとなります。「『Bank』の語源は、12世紀頃、当時世界の貿易、文化の中心地であった北イタリアに生まれた両替商(銀行の原型といわれている)が、両替のために使用した『BANCO(バンコ)』(長机、腰掛け)とする説があります。」。写真は、イタリア・ナポリで見かけた移動販売車(1990年12月撮影)。

たかが入国禁止対象者リストだが

昨日ロシア外務省が公表したロシア入国禁止対象者の中に、大学のゼミでの先輩にあたる中村逸郎氏の名前がありました。ただし、所属は4月に別の大学に転任したにもかかわらず前任大学の教授職となっていました。禁止対象者の所在をフォローしていないとも受け取れるリスト表示に情報機関の能力低下を垣間見る思いを持ちました。ところで、写真はイギリス・ロンドンのテートギャラリーからテムズ川越しに見えるMI6の建物(1993年12月撮影)。今、読んでいる『ヨーロッパ覇権以前』で描かれている13世紀のイギリスは、世界システムでは周縁もいいところの場所です。歴史をさかのぼると、まだまだ若い国家に見えてくるので不思議です。

アーチだけが残った

写真左奥(1989年5月撮影)は、ウクライナの首都キーウにある「人民友好アーチ」の一部。ソ連の60周年とキーウの1500周年の記念碑公園として一帯は1982年11月7日にオープンしました。眼下にドニエプル川を臨めます。とにかく巨大なこのアーチの下には、ウクライナ人労働者とロシア人労働者が一緒に立っている様子を描いた彫刻があったのですが、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻を受けてキーウ市の手により今年4月に解体されてしまいました。人民友好アーチ記念碑の一部であったアーチは、名前が変更され、新しい記念碑になる予定です。

ヨーロッパ覇権以前

昨夜からジャネット・アブー=ルゴド著の『ヨーロッパ覇権以前』(岩波現代文庫、上・下各1400円+税、2022年)を読み始めています。原書は1989年に出版されていて、著者も2013年になくなっています。本書は13世紀のユーラシア大陸における世界システムについて書かれているので、海洋国家として覇権をなした英国はもちろん日本については登場しません。序文の記述の中で歴史専門家の役割の大きさというかその仕事の厳しさについて触れた点が印象に残りました。たとえば、「彼らが研究のために必要とする言語を修得し、重視する文脈理解のための技術を磨くのには一生を要するであろう。」「必要な言語にもっと精通し、歴史のよりよい訓練を受け、そして私が描こうとした絵画を改善するために所与の諸地域についてより深い理解をもつ人びとを刺激してほしいものである。」などがそうです。歴史を学ぶ際には、その誘い手の資質が重要で、訓練を受けていない著述家の話は聞くに値しないどころか有害ということが分かります。海外のことはその地域の過去の言語についても知らなければ理解につながらないとも言えます。
写真は1993年に行ったロンドンの蠟人形の館にあったゴルバチョフとエリツィン。今、かの国の大統領の像があったら無事ではない気がします。

受賞に値するかは別モノ

先日、春の叙勲の発表があり、お世話になった関係先へ祝電を送らせてもらいました。そうしたおりにたまに見聞することですが、今上天皇を名(おくりな)で称する方がいて、ほんとうにその方が受賞に値する常識人かどうかは別モノだなと考えさせられます。天皇といえば、これも先日、ウクライナ政府がファシズムの象徴として枢軸国であった日独の当時の元首の写真をサイトに掲載して日本国内で、これを問題視する反応が一部にありました。しかし、戦勝国、つまり連合国側にとっては至極当然の歴史認識であって、現在の皇室の役割の感覚だけで反応するのは、どうなのかなと思いました。それこそ昭和末期の1988年に、ハワイのアリゾナ祈念館を訪れた経験があるのですが、館内でアジア系は私一人、他は白人ばかりという完全アウェイ状態の中で、真珠湾攻撃から太平洋戦争を勝ち抜くまでの米軍の歴戦ぶりを描くビデオを30分近く見せられた経験があります。そのビデオには軍服姿で白馬に跨り閲兵する天皇の映像も入っていて、憎らしい敵の象徴として登場していました。何を言いたかったかというと、本人の資質は気づかないうちに表出するということと、日本の内外でイメージは結構異なることが多いということです。写真は沈没した戦艦アリゾナの砲塔残骸。

メーデー

このところニュースで取り上げられることの多いロシアやウクライナにかかわる経験を思い出すことが多くなりました。あんまりモノにはならなかったロシア語学習の最初の気づきは、動詞の変化で出てくるのが「働く」であることでした。フランス語の初級テキストだと、動詞の変化で出てくるのが「愛する」なので、ずいぶん違うなあと感じたことがあります。働くといえば、5月1日はメーデーです。ソ連時代末期のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)でその日を迎えたことがあります。街中が華やかに飾られ、通りに掲げられた横断幕に「平和(ミール)」の文字があったのが今も印象に強く残っています。同じく広場で見かけた市民が掲げる旗には「民主主義(デモクラシー)」の文字があって、これも意外なことで興味深い体験でした。ということで、それぞれの言葉を理解するというのは、重要なことで、相手に対する訴求力を持ちます。その点、中国だと中国語を学んだ経験はありませんが、漢字である程度の意味はわかります。たとえば、通信会社のHUAWEIを漢語表記は「華為」です。これは、文字通り中国の為にある会社ということが、社名からも明らかで、どう接するべきか考える起点になります。
あと5月1日は水俣病にとっては公式発見の象徴的な日であることも忘れてはなりません。

開業11周年

本日は行政書士開業11周年にあたります。地域住民と地方行政をつなぎ、双方の利益実現に貢献できる点では、かなり意義のある役目を担っている自負があります。明・清代の中国には、「郷紳」と称する存在がありました。ここの良い面にならってみるのもいいかなと常々思っています。
写真は、香港が中国へ返還された年の1997年の上海。

惨劇を直視しよう

ウクライナで起こった戦争犯罪の実態が次々と明らかになっています。日本国内での報道では遺体の映像が加工されていますが、死者の尊厳の議論を考慮しても加工する必要はないと考えます。惨劇だからこそありのままの蛮行の証拠を直視して知り、次にどのような行動をとるべきか人類は考えなければならないと思います。
衝撃的な映像がもたらす子どもへの影響についていえば、放送時に予告するなどの対策を講じることは必要だとは考えますが、中学生以上の学齢では戦争の現実を知ってもらうことが重要なのではないでしょうか。
私の読書体験では、中学時代から戦争文学や反体制ルポルタージュに接しました。学校の図書室にあったベトナム戦争における米軍が起こしたソンミ事件の本には虐殺された遺体写真が載っていたのを記憶しています。五味川純平の『戦争と人間』では、皇軍が中国大陸で繰り広げた戦争犯罪を描いていました。『海の城』では、軍隊内ではびこるいじめが描かれていましたし、ソルジェニーツィンの『収容所群島』では、過酷な強制労働の実態を告発していました。また、雑誌『世界』(職員室から図書室へバックナンバーが回ってきていました)で連載されていたT・K生による「韓国からの通信」では、隣国における軍事政権vs民主化の現実を知ることができました。権威主義体制が必然的にとってしまう誤った道がそこにあること、ともすればそれは繰り返えされるということを学べたと思います。
写真は1989年5月に当時ソ連のキーウを訪ねた際のものです。場所は独立広場です。右端奥の建物は、4つ星のウクライナホテルで今も同じ外観です。5月上旬はメーデーから対独戦勝記念日にいたる祝祭の時期で、街頭は飾り立てられもっとも華やいでいます。今年はこれとはまったく違った風景になっていることだと思いますが、それでもマロニエの花だけは咲いているかもしれません。

クスクス

まだソ連時代だったころの30余年あまり前にウクライナのキエフを旅行したことがあります。宿泊したホテルのバーでキエフ大学で日本語を学んでいる学生たちと高価なペプシコーラを飲みながら会話する機会がありました。ロシア語圏ではネコを呼ぶ際に「クスクス」と声をかけることを教えられました。実際、キエフの空港でウクライナの人がネコに「クスクス」と呼び掛けて招く場面を見ました。その体験が印象深かったので、帰国後に飼い始めたネコの名前をさっそく「クスクス」と付けました。あのときの学生は今頃どうしているのか、空港の被害はどうなのかと気になります。写真の本を読むと、すべては粒子の配置の話になります。侵略者の彼も膨大な粒子からなる一つの袋に過ぎないのですが、どこか粒子の配置が違っています。ロシア国内外の人の声で変えるしかありません。

時間の終わりまで

先月身近な親族の死に接したところで、ブライアン・グリーン著の『時間の終わりまで』(講談社、2600円+税、2021年)を手にしています。600ページを超える著作ですが、宇宙や生命、意識といった謎を分かりやすく説明してくれています。石とウサギの違いは何なのか、その一つとっても説明できるは人間だけですが、すべての人間が説明できるわけでもないわけで、どう生きるべきか考えたいと思います。

暁の宇品

先日、堀川惠子著の『暁の宇品』(講談社、1900円+税、2021年)を一気読みしました。陸軍船舶司令官の足跡を描いたものですが、旧日本軍の組織体質のみならず現代の経済安全保障について大いに考えさせられる著作でした。戦没した母方の祖父は商船会社の社員でしたが、陸軍軍属として海上輸送の任にあたっていましたので、身近に感じるところもありました。戦没率でいえば、陸海軍の軍人よりも民間人である船員の方が高かったという情報にも触れることができました。

100分deパンデミック論

昨夜放送のNHK Eテレの「100分deパンデミック論」には共感することの多い評論が展開されて飽きませんでした。新型コロナ禍の暮らしで得たものは、立ち止まって現実を見て過去に学ぶことにほかならない気がします。私自身がそうでしたが、読書時間が増えました。国際社会の取り組みが遅れているとはいえ、SDGsや気候変動、脱炭素化社会という言葉が日常会話に登場してきたことは歓迎すべきことだと思います。不都合な事実がそこにあるのに見ようとしてこなかった人々が少しずつではありますが、見えてきたと実感する人々へ変化してきていると思います。そのことは、政治体制や経済体制についての認識についてもいえるのではないかと思います。政治体制についていえば、大きく民主主義と権威主義の2つに分かれます。権威主義の体制下では、どうしても抑圧される側の人々が生まれるのですが、その外に民主主義がある限り権威主義の不都合な事実は浮き彫りにされ、いつか権威主義を崩壊に導くことは可能だと思います。経済体制についていえば、現在、社会主義や共産主義を標榜している国家においても、学問的にいえば資本主義で運営しているのが現状です。ただ資本主義というものは、放任していれば自滅するシステムなので、そこを政治で修正することをしています。それこそ社会主義も「新しい資本主義」の一つの理論として登場してきたのが歴史なのではないかと思いますし、戦後まもなくの英国が社会主義志向の政権であったことを現代人は忘れているか知らないのではないでしょうか。

100分de名著

今月のNHK Eテレ番組「100分de名著」は斎藤幸平氏をナビゲーターに迎えた『資本論』です。今年1月のアンコール放送なのだそうですが、もともと同番組はいつも視聴しているわけではなく、扱われる作品と解説者に興味があるときだけなので、今月出合ったのはたまたまでした。まだ1回目と2回目しか見てませんが、資本主義の実相を分析した点については、その洞察力は現在にも十分通用しるもので、名著にふさわしいと改めて感じました。ブルシットな仕事を続けて精神を病んだり、極端な場合自死に追い込まれたりする現実を見ると、何のための成長なのかと思いますし、気候変動によって地球自体を自死に追いやる人間の暮らしは、どこか間違っている気がします。

リベラルという用語から

このところ続けて2冊、米国の学者の著書を読んでみて、二つのことを感じました。一つは、報道で接する断片的な見解にとらわれるのではなく、歴史的事実や当事者現場の情報などを踏まえた丁寧な検証による著書に接して、自分の立ち位置・意見を醸成する大切さです。もう一つは、日本で流通している言葉とそれが持つイメージをうのみにしないことで、世界共通認識を確認してから自分の立ち位置・意見を組み立てることの大切さです。たとえば、日本でのリベラルという用語は、世界共通認識からかけ離れている感じがします。資本主義や社会主義、共産主義という用語も実態に即して正しく使わないと、見方を誤ってしまうかもしれません。今度読む本は、ブランコ・ミラノヴィッチ著『資本主義だけ残った 世界を制するシステムの未来』(みすず書房、3600円+税、2021年)です。