教育」カテゴリーアーカイブ

「少子化と教育格差」特集読後メモ

 岩波書店発行の『世界』2026年4月号の[特集2]は、「少子化と教育格差」。そのねらいについて、発行元のサイトには次のように記されていました(▶は改行を示す)。「2025年の国内出生数は、68万人を下回る見込みとなった。▶ベビーブーム期の3分の1以下という急激な少子化が進行する一方、子育ての負担や保育・教育に関わる課題は噴出している。▶日本の公教育は、場所を問わず「教育の機会均等」を保障しようとしてきた。だが、少子化・人口減少下で綻びが広がり、その隙間に入り込む私教育では経済・文化・地域の格差が拡大しつつある。▶急激に進行する少子化は、子どもに、そして社会に何をもたらすのか。」。
 この特集では、いくつか興味深いデータが示されていましたので、紹介してみます。
 米国の家族人口学者であるサラ・マクラナハンが導いた指摘(2004年発表)によると、母親の晩産化や就業率の上昇、親の離婚の増加といった行動変化のうち、晩産化と母の就業は子どもの生活を安定させるが、離婚はウェルビーイングを低下させる傾向にあり、母親が高学歴で安定した生活を送る子どもと、母親が低学歴で資源の乏しいひとり親世帯で育つ子どもという、子どもの生い立ちとその帰結が二極化していく「分岐する運命」の顕在があるそうです。
 実際、日本の子どもについてもそれは言えるようです。1995~99年出生児では90%以上が34歳以下の母親から生まれていましたが、2015~19年出生児ではその割合は69%にまで低下し、母親が35歳以上だった割合が30%を超えています。この20年間で母親の年齢が確実に高年齢化しています。続いて、父母の学歴の組み合わせ別の構成変化を見ると、父母ともに非大卒が減り、父母ともに大卒の出生児の割合が上昇しています。母親が大卒の割合は、1995~99年出生児の37%から2015~19年出生児の50%に達していて、今後は母親が大卒である子どもがマジョリティとなると見られます。さらに、子どもが1歳時に母親が正規の職員として就業していた割合は、1995~99年出生児では16.8%ですが、2015~19年出生児では36.8%に達します。子どもが6歳時の母親の配偶関係構成の変化について見ると、1995年以降、母親がシングルマザーである割合は低下傾向にあり、2人親のもとで育つ子どもの割合が上昇しています。離婚理由にはさまざまなものがあり、その状態をもって非難するのは大間違いです。資源に恵まれた子どもとそうではない子どもとの格差があることに政治が目を向けて低所得やひとり親世帯の子どもに手を差し伸べることが重要です。
 もう一つ知っておきたいデータとしては、多様な文化的・言語的背景をもつ子どもが増加しているということです。2024年に日本国内で生まれた子どもは71万人ですが、そのうち父母が日本人の子どもは67万人、父母の一方が外国人の子どもは1万6千人、父母が外国人の子どもは2万3千人であり、出生総数の5.4%が両親のレベルで外国にルーツをもつ子どもとなっています(2024年の日本国籍出生児の2.3%は父母の一方が外国人です)。外国の文化的・言語的背景をもつ子どもについても特に母親が高学歴、正規職員である割合が高まっているそうですが、やはりその背景を考慮した支援は求められると思います。
 以上が、国立社会保障・人口問題研究所の岩澤美帆氏の「「子どもが減る社会」の実相 データで捉える子どもとその環境」からの読後メモでした。以下は、ハーバード大学アカデミー・スカラーの打越文弥氏の「「手に職」系学部の増大とジェンダー格差」からの読後メモになります。
 近年の日本の大学では、看護系や薬学系、保育系、社会福祉系といったケア領域の「手に職」系の学部が増えているそうです。それがどのような大学で増えているかと言うと、入学難易度が比較的容易な非銘柄大学、比較的歴史の浅い私立大学に多いようです。しかも定員割れに苦しみ生き残りを迫られた地方の私立大学に偏在する傾向にあります。女性資格職と結びついていた短大が四大へ昇格した背景もあります。
 私立大学のタイプ別にみた「手に職」系学部に在籍する学生が占める割合(注:数値はグラフからの読み取りのため大まかです):私立大学A群(早慶GMARCH旧設8医科大など)7%、私立大学B群(1960年以前設置)13%、私立大学C群(1960年以降設置)25%
 地域別にみた「手に職」系学部に在籍する学生の割合:北海道・東北25.1%、関東15.9%、中部24.3%、近畿17.9%、中国・四国27.3%、九州・沖縄25.4%
 選択肢が豊富な(潰しが効く)難関大学は都市部にあり、それら遠方の大学に進学するには高校生自身に周囲の大人を納得させるような合理的理由を提示する必要が哀しいかな求められています。このことから、進路選択を通じた男女の分離が強まらないか、大都市圏に比べて職業的な多様性に限りがある地方においては、高校生女子の将来の選択が、より制約されてしまうのではないかと考えられます。
 入学前に専門を決める入試制度と私的負担に加えて、日本の企業特殊的なスキル形成もとりわけ女性には足かせとなっています。日本では、企業特殊的スキルのレジーム下で得られたスキルは、その企業に特殊的である(と信じられている)ため、同業他社であっても通用しないと考えられて、出産・育児によって就業中断を経験しやすい女性には不利な労働市場となっています。その意味では「手に職」に対する志向性は「合理的」ですが、やはりジェンダー格差という問題は残ります。
 高学歴高所得の親なら子どもの教育環境と将来を考え、やはり都市部で居住したがるでしょう。「手に職」系の学部設置で生き残り戦略をとってきた地方の大学も、先行きは暗いようです。そこの卒業生も生活のことを考えればやがては都市部へ出て行くでしょう。高度なスキルを要する企業であればあるほど人材確保のため都市部に留まり続けるのではないかなと思います。

『ナショナリズムとは何か』読書メモ

1月23日から動画がネット公開されている「先端研クロストーク」(2025年11月7日実施)の中で、登壇者の一人である中井遼氏(東大先端研教授)の存在を知り、同氏近著の『ナショナリズムとは何か 帰属、愛国、排外主義の正体』(中公新書、1100円+税、2025年)に興味を覚えて読んでみました。
https://www.youtube.com/watch?v=_3swK2zGynA
これだけ大きなテーマを新書1冊で解き明かせるものなのかという疑いをもって最初は手に取りました。ですが、読み進める中で、国内外の膨大な先行研究を狩猟し咀嚼したうえで論述した労作というのが伝わり、疑念はきれいに晴れました。著者も「科学とは人類によるチーム戦である」(p.229)と書いています。何がわかっていて、何がわかっていないのかを、知っていないと、社会は貧困になり、さまざまな争い(最悪は戦争)が生まれるということを、本書で感じました。そのためにも本書で紹介されている実証研究の成果が社会一般に共有されることが重要です。
時に帰属意識や愛国心、排外主義をくすぐるナショナリズムは、政府や政治家にとって都合にいい武器になります。これはファシズムだけでなくてリベラリズムや環境保護運動との相性の良さもあり、多面的です。皮肉なことにナショナリズムは、学校や軍隊、鉄道、出版印刷文化が発達した時代から登場した面もあります。
本書で紹介されていた実証研究やデータの中で知っていて損はないトリビア的なものをピックアップしてみます。
・デンマークやアメリカでは、国への帰属意識が強い人ほど、同時に排外意識が強いが、カナダやイタリアでは逆の相関関係で帰属意識が弱い人ほど、同時に排外意識が強い。
・サッカーW杯の予選をギリギリ勝ち抜いた国とギリギリ敗退した国では、前者のほうが2~3年後に戦争を開始する確率が有意に高い。
・イギリスのサッカーのクラブチームの地元回答者を対象にした分析では、中東にルーツを持つ選手の入団後、体系的にイスラム教徒への偏見が減ずる現象が確認されている。
・バルト三国の「歌う革命」。「歌うことは抵抗すること」であり、1990-91年にソ連からの独立を回復した。エストニアで1988年に行われたイレギュラーな祭典では全人口の役5分の1が1か所に結集した。「太陽・雷・ダウガワ川」が歌われた。
・アメリカにおいてはアイルランド系移民やイタリア系移民が歴史的にはしばしば非白人グループに属するとみなされてきた。
・日本では、高学歴層のあいだで、表立って回答する際には一定の反中反韓的な態度を表明することが規範的なふるまいになっている傾向にある。
・19世紀、プロイセンに敗北したフランスが下士官の指揮と意思疎通能力を高めるために急速に言語統一を推し進めた。日本も黒船襲来やアヘン戦争による国際危機認識のもとでの近代化(明治維新)の中で学校教育と共通言語教育を普及させた。
・インドのヒンドゥー教徒を対象にした実験で、ヒンドゥー教徒の多い地域の災害情報とイスラム教徒の多い地域の災害情報を見せてそれぞれの寄付額を聞くと前者が多くなるが、インドの国土と国旗の情報を先に見せてから両方の地域の災害情報を見せると寄付額が同じ程度になった。
・第二次大戦終結後から1999年までに発生した国家間戦争の死者数は約330万人である一方、同じ期間に発生した内戦の死者数は約1620万人であり、およそ5倍である。
・かつてリトアニアの最大都市のビリニュスは北のエルサレムと呼ばれ19世紀頃まで同地最大の民族集団はユダヤ人であったが、現在は同地にユダヤ人はいない。第二次世界大戦の際に、約20万人前後のほとんどのユダヤ人がナチスドイツの侵攻前後に現地協力者とナチスの手によって殺された。当時のリトアニア住民は、ユダヤ系住民をリトアニアの独立を奪ったソ連の味方だと観念し、敵に通じていると想定していたからである。現在、リトアニアではこの経緯が高度な歴史認識問題となっている。
・国民の祝日の30日後に国家間紛争に至るリスクはそれ以外の時期より2~3割高くなっている。
・国外に同民族問題を抱える国において、比例代表制をとる国が失地回復戦争を起こす確率は1.2%であるのに対し、小選挙区制をとる国では5.8%となる。軍事独裁国家のある国がある年に同様の紛争を起こす確率4.5%よりも高い。

『無敵化する若者たち』読書メモ

日本総合研究所会長・多摩大学学長の寺島実郎氏が配信している動画「寺島実郎の世界を知る力#65」(2026年2月15日放送)を、先日たまたまネット視聴しました。その中で、紹介していた金間大介著『無敵化する若者たち』(東洋経済新報社、1600円+税、2026年)の内容に興味を覚えてさっそく読んでみました。
著者の金間大介氏は、イノベーション論を専門とする大学教員。1995年以降生まれのいわゆるZ世代の若者と接する機会が多い環境にあり、若者の価値観の特徴を詳しく紹介しています。彼ら若者との接し方に困っている上司世代に対しては、その価値観を変えるのではなく行動支援をすることを勧めています。また、おそらくこの本を手に取らないであろう若者たちに対しても、チャンスへ飛び込んでみる勇気を呼びかけています。
ところで、Z世代の価値観を一口で言えば、とにかくいい子症候群の安定志向。タイパ優先で、常に先に正解を求め、失敗することを恐れます。結婚したくない子どもを持ちたくない若者の率が多いのも失敗を恐れてなのかと思います。彼らの親世代が社会人となった時代が経済的にも不景気で将来の生活不安が大きく感じられることもあって、我が子が失敗の人生を送らないよう正解を教え続けてきた結果でもあります。職場でも優しく何でも教えてくれる、まるで塾講師のような上司が歓迎されているそうです。
昔からいい大学に入って安定した大企業に就職するのが勝ち組というので、安定志向の若者が一定数いたとは感じますが、現在は若者人口も減り、浪人してまで進学する大学は一部に限られています。あんまり努力する必要もありません。就職もずいぶん売り手市場になってきました。
読んでみて私がこれまで感じていた若者の価値観の大勢と違和感がなく、納得する点が多かったです。役に立ったのは、本書で紹介していた「大学生に通じないネタ・トップ5」。第1位:テレビコマーシャルネタ、第2位:ドラマネタ、第3位:サッカーネタ、第4位:相撲ネタ、第5位:野球ネタ、となっています。要するに若者は、テレビ見ないし、新聞・雑誌読まないし、努力嫌いだし、ということなのでしょうか。

それはミュージアムかを判別する

ミュージアムといっても分類すると、総合系、歴史系、美術系、自然科学系とさまざまです。展示に力を入れているところもあれば、資料の保存や研究に重点を置いているところもあります。一般の人はその展示を通じて何かを感じるなり学ぶなり刺激を求めに訪ねていくのでしょうし、実際私もあちこちへ伺う機会があります。ですが、ミュージアムと名乗っていてもそのレベルはまちまちです。中にはこういうものを収集したので、陳列しましたと言っているだけの、勝手に眺めて楽しんでくださいという、ギャラリーショップ的なところもあります。でも、それでミュージアムと称していいのだろうかと思います。
高木徳郎編著『文化財を未来につなぐ 博物館と学芸員の仕事――学芸員をめざす人へ』(勉誠社、2800円+税、2025年)を読んでみると、ホンモノのミュージアムにはホンモノのキュレーターがいて、その判別に役立つ書籍だなと思いました。逆に日本における「博物館」とか「学芸員」とかいうのが、その呼称だけではレベルを保証するものではなく、国際基準からもかけ離れていることが理解できました。
まず、2021年に国が行った「社会教育調査」によれば、日本国内には、5771の「博物館」があり、次の3種類に分かれます。①登録博物館(911館、約16%)、②指定施設(旧・博物館相当施設、394館、約7%)、③博物館類似施設(4466館、約77%)。①・②は博物館法に規定され、その適用を受ける社会教育施設となりますが、③は博物館法の適用を受けない施設です。①は都道府県や政令指定都市の教育委員会による審査を受けて登録された「博物館」であり、学芸員がおり、年間150日以上開館し、公立施設では博物館協議会設置が定められ、原則入館無料となっています。②は国または都道府県・政令指定都市の教育委員会が登録博物館に類する事業を行う施設で、意外にも東京・京都・奈良・九州の国立博物館や国立科学博物館もこれに位置付けられている。学芸員に相当する職員を置くことが定められているに過ぎず、年間100日以上開館でいいそうです。③では学芸員の配置は義務でないこともあり、86%の施設で専任の学芸員がいないとされます。利潤の追求や観光施設のとしての集客、経営母体の情報発信が目的とするものもあります。
ところで、博物館法で規定されている「学芸員」の資格取得者のほとんどは四年制大学の所定の単位取得となっています。2007年度の数字では、全国で322の四年制大学が学芸員資格取得講座を設置し、8588人が学芸員の資格を取得して卒業していて、今もそれくらいの規模のようです。しかし、私もその資格を有しているので、わかるのですが、保存科学や修理にかかわる技術、展示や資料梱包にかかわる技法まで学ぶ機会はありませんでした。あくまでも準備教育ないしは基礎教育を受けたに過ぎません。それでも、博物館等に就職できる人が年間200人ほどあるようです。
この日本の学芸員制度は海外と比較すると特異です。たとえば米国の場合、学芸員の業務は、専門分野の調査・研究を行うcurator、資料の保存にかかわる技術者conservator、資料の修復にあたる技術者をrestorer、展示技術や演出を担当するexhibition designer、教育普及活動を行うeducator、資料の登録と管理を行うregistrarなど、専門分野に分化しているとのことです。欧米のcuratorは、大学で言えば教授に匹敵する研究実績と実務経験があり、博士号をもつのが一般的で、curatorの職に就くまでには、assistant curator、associate curatorなど、業績審査の過程を経て徐々に昇任することから、もしも図録や名刺でcuratorと肩書を英文表記している日本の学芸員がいたら、その経歴をよく確認してみる必要がありそうです。

ステレオタイプな台湾理解に陥らない

専修大学図書館の「図書・雑誌無料頒布会」で入手した、1972年生まれの台湾在住の作家・甘耀明著の『鬼殺し』(白水社、2017年)を読み終えました。著者の甘耀明が6歳まで3世代で暮らしたのは、新竹と台中の中間に位置する苗栗(ミャオリ)県獅潭(シータン)郷は先住民族のタイヤル族やサイシャット族が隣接して住む客家の山村でした。その地では、祖母からそれら先住民族の民間説話を聞いて育ちましたし、大学院時代はアミ族が多く住む花蓮で暮らした経歴を持ちます。この作品の舞台は、日本統治下で太平洋戦争が開戦した1941年12月から戦後の国民党軍による二・二八事件(1947年)までの台湾の架空の客家の村。そこで生きる元日本兵の少年(彼の義父はタイヤル族)と日本の台湾領有(1895年)に抵抗して独立を宣言した台湾民主国の義勇軍に参加したのち隠遁生活を続ける祖父との物語となっています。
特攻隊に対する風刺が上巻p.212にありましたので、一つ紹介しておきますと、客家の人たちが話す閩南語(びんなんご=台湾語)で「うどの大木」を意味する大箍呆の発音は、「トァクゥタイ」。本書で知り得たマメ知識です。(小説のあらすじを開陳するヤボなことはしたくないのでここまでにします。)
本書の魅力として知らしめたいのは、下巻巻末に掲載された訳者の白水紀子氏による解説にもあります。ここでは台湾における皇民化や戦後の国民党支配下での混乱といった歴史の流れ、多民族多言語(=多文化でもある)といった台湾の社会構造について概観できるようになっています。ちなみに2010-2011年の行政院客家委員会調べによると、大きく4つの言語グループがあります。古く福建など中国南方から台湾に移住した漢族で閩南語を話すホーロー人(福佬人)が67.5%、客家語を話す客家人が13.6%、戦後台湾にやって来て北京語を話す人が17.1%、16の先住民族が1.8%という具合。日本で受け入れやすい親日的な台湾人像でひとくくりにできない複雑な面を理解することができて有益でした。
明治大学平和教育登戸研究所資料館館長の山田朗氏が、著書の『兵士たちの戦場 体験と記憶の歴史化』(岩波現代文庫、2025年)で書いていることですが、歴史の記憶の継承において、ことに虐殺を伴う戦争の記憶においては、戦争の〈栄光〉や〈被害〉の部分といった〈表の記憶〉は比較的語りつがれやすいのですが、戦争の〈秘匿〉すべき部分や〈加害〉の部分といった〈裏の記憶〉は断絶しやすいと指摘していたのを思い起こします。加えて、〈戦争の記憶〉の継承が、ヒト(体験者)からヒト(非体験者)への時代が終わりつつあり、ヒト(非体験者)からヒト(非体験者)へ、モノ(書物・映像・遺跡・博物館など)からヒト(非体験者)へ移行してきているとも書かれていました。
それが、台湾のように多民族多言語で成り立つ社会であればなおさら消えていく記憶が多いと考えるのが当然だと思います。小説の手法で伝える力をもった作家が存在するのは、台湾にとって資産だと思います。
一方で、これは地元の動きなのですが、ノンフィクションを装ったフィクション記述のある出版物に寄りかかって地元と縁がある台湾人を英雄に仕立て上げて顕彰することが性懲りもなく続けられています。熊本県教育委員会が制作した高校生向けの「半導体理解促進ハンドブック」でも感じたことですが、とかく行政や報道は〈表〉や〈正〉については何度も伝えますが、半導体産業における地下水保全や排水処理など〈裏〉や〈負〉の情報については触れたがらないものです。地元の英雄伝説拡散についても、そういう話でもこしらえないと公職者らが公費で訪台し続けられない事情があったのでしょうか。そうだとしたら、なんとも嘆かわしい次第です。
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/life/230153_650958_misc.pdf
https://gkbn.kumagaku.ac.jp/minamata/wp-content/uploads/2025/08/e6e9d12972cf1ee954f680ed4d62fee9.pdf
https://jats.gr.jp/cp-bin/wordpress5/wp-content/uploads/journal/gakkaiho020_09.pdf
https://kumanichi.com/articles/1935853

科学と歴史からの学び

昨日、グランメッセ熊本で開催されていた「県立高校 学びの祭典」と「県科学展」を見てきて、科学的思考に親しんだ高校生たちの展示や発表に接しました。主に宇土高校のそれを中心に見て回りましたが、いずれも主体的に答えを導き出した努力が感じられ頼もしく思いました。同高生徒の研究に際しては私の居住行政区が連携協力していることもあって、当区の地域課題に向き合った発表もありました。
たとえば、「学びの祭典」のステージ発表の最初に登場した、宇土高校の「山のやっかいものを海の資源に~竹炭を使った赤潮対策~」もその一つです。リーダーの生徒は中高で剣道部に所属し、使えなくなった竹刀から出る竹材を何か有効活用できないかと思ったのが、研究のきっかけと言っていましたが、当区の里山にとっても増え過ぎた竹林が土砂崩れを誘発しかねないやっかいものであるため、材料は豊富に提供できたのも後押しになったかもしれません。竹が多孔質であることに着目して赤潮の原因となるプランクトンを凝集・除去することを提起していました。同高からは他にも竹から竹油を抽出して香水を作るとか、夏場に区内のため池が白濁する原因が硫化水素にあると考えた発表もあり、興味をひきました。
なお、同会場入り口では、出展パンフレットとは別に熊本県教育委員会が制作した高校生向けの「半導体理解促進ハンドブック」が配布されましたので、これも読んでみました。半導体そのものの解説に始まり、製造工程の説明、半導体産業が必要とする人材などについて学べる内容となっています。反面、地下水保全や排水処理など負の課題については一切触れない徹底ぶりも感じました。
午後からは、くまもと文学・歴史館で開催中の「書籍に見る小泉八雲の世界」の展示をまず観覧しました。熊本在住時代の小泉八雲は、帰化前でしたので、ラフカディオ・ハーンであったわけですが、彼は宇土の「雨乞い」についても関心を示し、記したことが紹介されていました。関連の熊本県の保管文書として1875年8月16日の牧文四郎区長名の「雩(あまごい)願」が展示されていました。偶然ですが、牧文四郎といえば、藤沢周平作品の『蟬しぐれ』の主人公と同姓同名です。
その後、隣接する熊本県立図書館で開かれた「くまもと文学・歴史館長佐藤信講演会 遣唐使の交流」を受講しました。講演では、佐藤信氏が井真成、平群広成、阿倍仲麻呂、羽栗吉麻呂、大伴古麻呂、吉備真備、行賀といった遣唐使として東シナ海を渡った古代の日本人を紹介しながら、「古代の日本文化は、外の世界から文化を取り入れながら形成されてきた。閉鎖的な島国で排他的に文化を固守してきたのではなく、常に大陸・朝鮮半島や北方・南方の世界に対して交流の道を開いて、国際的文化を積極的に導入しながら、文化形成を行ってきた」と述べられました。
当時の航海はまさに命がけでした。平群広成の場合は、帰国に際して現在のベトナム南部の崑崙国へ漂着しその後唐国へ戻り中国東北部・朝鮮半島北部に位置する渤海国を経て帰国を果たすまで5年もの歳月の間、アジアの東方諸国をさまよっていました。ちなみに「平群」姓は「へぐり」と読みます。水俣病被害者互助会弁護団事務局にいる平郡真也行政書士の姓も「へぐり」と読みますので、なんだか勝手に親近感を覚えながら聴講していました。平郡さんは、溝口訴訟最高裁判決勝訴の影の立役者であり、熊本学園大学水俣学研究センター客員研究員としても活躍されています。
遣唐使が停止されたのちは商人たちによって伝えられるようになりましたし、現在の歴史教科書では江戸時代が「鎖国」とは記載されなくなったそうです。遣唐使の中には唐の女性と結婚した人もいて、その子女が海を渡った例もあります。たとえば藤原清河の娘である喜娘(778年天草に漂着)や羽栗吉麻呂の息子の翼(つばさ)と翔(かける)がそうです。「翼」や「翔」という名前は今時のイメージがありましたが、8世紀にはすでに登場していたのを知ったのも新鮮でした。吉備真備の母は渡来系の楊貴氏と言われます。そして、日本に大陸の先進文明をもたらした玄昉や吉備真備は、聖武天皇から重用されていました。
無知ならまだしも大のおとながエセ科学やエセ歴史の言説に乗せられてみっともない発言をしているのに接すると、哀れに思うことがしばしばあります。歳を重ねると経験値が増えます。それ自体ないよりはマシでしょうが、ある一人の経験は狭くそれだけを過信するのは禁物です。学校教育においても生涯教育においても科学と歴史からの学びは重要だなと改めて感じた日でした。それこそエセ科学やエセ歴史に騙されない、カモにされないためにも。
カモの写真は、くまもと文学・歴史館付近の加勢川にかかる砂取橋の上から撮ったものです。

ばけばけ関連展をハシゴ

NHK朝ドラで現在放映中の「ばけばけ」はあんまり視聴していないのですが、たまたまラフカディオ・ハーン(小泉八雲)関連の企画展が熊本市で2つ開催中なので、観覧してきました。昨夏、松江を訪ねる機会があり、当初は同地の小泉八雲記念館へも立ち寄る予定でしたが、松江城の堀を舟で巡ったり、天守閣まで昇ったりで、入館の時間がなくて記念館の前を素通りしただけでした。そんなこともあって、一種のリベンジの意味もあって足を運んでみた次第です。

まずは、熊本博物館の特別展「八雲とセツ 家族の物語」から見てみました。JR上熊本駅で降り、そこから熊本市電に乗り、杉塘電停で下車。城内へ向かって歩いていくと上り坂ですが、割とすぐ着きました。同館へ行くのは約20年ぶり。そのときは子どもらを連れてプラネタリウムや屋外展示のSL見学が主目的でした。その後、リニューアルもありましたし、今回の入館は初に近い印象でした。
特別展の内容は、小泉セツの回想を裏付ける八雲の書簡が中心となっていました。その書簡を通じて、八雲の家族に対する思いが伝わりました。なんといっても当時では国際結婚自体が稀有なことでしたので、家族とどのような関係を築いていくかいろいろ工夫しなくてはならないことが多かったとようにうかがえました。長男が生まれた頃は正式な婚姻ではなかった(八雲の帰化はその後)ため、セツにすべての財産を遺贈する旨の遺言を当時作成していたことも展示で知ることができました。先着1000人限定の特別展プレゼントのクリアファイルもまだ開催2日目ということでもらえました。
せっかくの機会なので、常設展もひと通り観覧しました。細川家の参勤交代に際しては現在の大分の鶴崎から大坂までは海路であり、そのために川尻の大工たちに御座船「波奈之(なみなし)丸」を造らせました。展示室にはこの船の御座所部分があります。参勤交代の経費は、現在の価格に換算すると12億円ということでしたから、相当な負担だったことが改めて理解できました。旧石器時代の出土品の展示では、この施設が熊本市立ということもあって熊本県が発掘を行った熊本市の「石の本遺跡」のものの展示がないのかなと思いました。一方、縄文時代の出土品の展示では、現在の宇土市の轟貝塚や曽畑貝塚のものがあって、そうした運営自治体と遺跡出土自治体との関係がどうなのか気になりました。なお、貝塚があった時代の海岸線の図も展示されていたので、その写真も示しておきます。時代が下って近代の熊本は軍都という面がありましたので、戦争関連の展示の割合をもっと多くあってもよいのではと思いました。アンケートに回答すると熊本城のポストカードをもらえました。
さらに、熊本博物館の近くにある護国神社の境内に、戦後復員した伯父が所属していた第三十七師団の「歩兵第二二五聯隊慰霊碑」があることを知っていましたので、こちらも見てきました。その隣に建つ同じく熊本編成の第二十三師団(ノモンハン事件の主力部隊)の碑には坂田道太氏の揮毫がありました。
https://kumamoto-city-museum.jp/

次に熊本大学黒髪北地区内にある五高記念館の企画展「五高教師ラフカディオ・ハーン」も観覧してきました。熊本大学のキャンパス敷地内に入ったことはこれまで何度もありましたが、五高記念館の館内に入るのは実は初めてでした。1階が常設展示室となっているため、そちらから見て回りました。五高の成り立ちから理解できるようになっています。ラフカディオ・ハーンは、五高教師としては夏目漱石(金之助)とともに著名ですので、常設展示でもハーンのことを多く取り上げていました。企画展示は、2階の2室を占めていました。ハーンが出題した英語の試験問題文を読むと、英会話的な試験ではなく、英文で書く論文試験の印象を受けました。嘉納治五郎とハーンがサインした雇用契約書が展示の目玉という気がしました。
ついでに、ここも初めての入館でしたが、やはり五高時代の化学実験場を会場とする「明治の地質学掛図と描かれている化石」の展示も見てきました。ここには、階段教室も保存されています。展示室には理学部地球環境科学コースの現役教授のコレクションの化石が多数展示されていました。大学自体が保有するアンモナイト化石の大きさには驚きました。化石が発掘実習を行った北海道では漬物石代わりに使われていたエピソードも紹介されていて、父方の祖母が戦後焼夷弾の残骸鉄くずをやはり漬物石代わりに使っていたことを思い出しました。
帰りに赤門と正門間の歩道で500円硬貨1枚と10円硬貨2枚を拾ったのですが、子飼交番までは距離もあり届けるのも面倒なので、少額でもあるので、五高記念館の募金箱に入れてきました。おそらく防犯カメラにも記録されていると思います。
https://www.goko.kumamoto-u.ac.jp/

2025年12月4日の熊本日日新聞2面「射程」欄にも同紙記者によるハーン展はしご記が載っていました。
https://kumanichi.com/articles/1932266

図書無料頒布会の恩恵に与かる

専修大学大学院の科目等履修生で良かった点として、11月11~18日の「図書・雑誌無料頒布会」の恩恵に与かれたことでした。これは、専修大学図書館所蔵の図書・雑誌のうち登録抹消したものを、学生や教職員に限って無料で入手できるというものです。大学側の案内によると、生田キャンパスで700冊、神田キャンパスで500冊が対象になっていました。そこで、頒布会最終日の夕刻に神田キャンパスを訪ねて、以下の書籍をいただいてきました。
■神田分館
実務公法学会編『実務行政訴訟法講義』(民事法研究会、6700円+税、2007年) ※カバーなし
■Knowledge Base
松浦寿輝『名誉と恍惚』(新潮社、5000円+税、2017年) ※カバーなし
甘耀明『鬼殺し 上・下』(白水社、各2800円+税、2017年)

上記のように新刊本で入手しようとすれば計2万円相当もする書籍ですから、たいへんありがたい機会でした。歳を重ねてくると、専門書はともかく、どうしても未知なる作家の文学作品を手にとるのは、ふだんないものです。このように無料で入手できるのであれば、あえて読んでみようかというきっかけにもなります。

すでに『名誉と恍惚』は、読み終えました。765ページにわたる長編ですが、ぐいぐい読ませる力を持った作品です。舞台は1937~1939年の上海。日中戦争が泥沼化していく時代の、ある日本人青年が謀略戦に巻き込まれ転落していくさまと、その後の結末が描かれています。著者の松浦寿輝は、1952年生まれのフランス文学者、東京大学で教授をしていた人です。
作品中で一つ気になったのは、p.71の記述で、「韮菜炒牛肝」に「ニラレバ」ではなく、天才バカボンのパパが広めた「レバニラ」という振り仮名があったことです。「豚肝」ではなく「牛肝」というのも引っ掛かりましたが、1937年の上海租界の日本人同士の会話では、時代考証的に果たしてどうだったのかと、気になりました。
なお、本作品は、昨年2月に文庫化され、現在は岩波現代文庫から上下2巻で刊行されています。作者が昨今の新潮社のスタンスに何かわだかまりを持っていたのかどうか、いきさつも多少気になりました。

そして、今読んでいるのは、1972年生まれの台湾在住の作家・甘耀明著の『鬼殺し』です。この作品の舞台は、日本統治時代の1941年12月から戦後の国民党軍による二・二八事件までの台湾の架空の客家の村。そこで生きる怪力の少年と祖父の物語となっています。どちらも日中関係の歴史を考える際の一助になるかもしれません。

『草の根のファシズム』読後メモ

2022年8月に岩波現代文庫から文庫化出版された吉見義明著の『草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験』は、もともと1987年7月にシリーズ「新しい世界史」の一冊として東京大学出版会より刊行されています。1946年生まれの著者は、もともと日本の社会運動に関する歴史を研究対象としていましたが、日本ファシズムと戦争の問題に関心を持つようになり、次第に視線を低くし、ファシズムや戦争に対する普通の人々の反応や意識の問題をさぐることに、強い興味を感じるようになったと、本書あとがきで明らかにしています。同時に1970年代に入ってから膨大な量の戦争体験記類(その多くは日記または敗戦直後にまとめられた記録、現役を退いてからまとめられた回想記)が、私家版などの形で刊行された時期にあたったこともそれを後押しすることとなりました。こうした記録はそれまでの現代史学で対象とならなかったのですが、当時30代の若手研究者であった著者は、それら生存記録者や故人記録者の関係者に対する追加取材(インタビュー証言・書簡交換など)を加えて本書を完成させるに至りました。
ですが、史料はそれだけに留まりません。軍部を批判した政党政治家の斎藤隆夫のもとに人々が寄せた激励や感謝の書簡、国民の手紙を検閲から得た司法省刑事局の分析報告、戦後のアメリカ戦略爆撃調査団戦意部の日本国民に対する聴取データもあります。
さらに、登場する民衆も内地人に限られません。沖縄県人、アイヌ、ウィルタとチャモロ人、朝鮮人、台湾人にも目を向けています。在外邦人についても滞在した土地や立場(兵士か商人など)で体験は異なりますから、それについても広く目を向けられています。
その中でも熊本県出身の新美彰(にいみ・あや)さんの体験についての記述は、印象に強く残りました。タイプと速記の技能があった彼女は、1943年5月にマニラ日本人会の職員募集に応じて単身フィリピンへ渡りました。同年9月、マニラに進出していた日本企業に勤める同郷の男性と結婚し、翌年7月には長女を出産します。しかし、1944年9月に米軍によるマニラ初空襲があり、同年10月には夫が現地召集されます。母子は帰国することもできず、ルソン島の山野を避難放浪することになります。生きるためにフィリピン住民の家から食料を盗んだり、逆に日本軍兵士から食料を盗まれたりすることもありました。厳しい食料事情の中、長女は1945年8月上旬、1歳あまりで命を失い、亡骸を山中に埋める悲惨な体験をします。敗戦は米軍機のまくビラで知り、その後、米軍の捕虜収容所を経て帰国できたのは11月、翌年に夫の戦死公報を受け取ります。熊本帰還後の1946年、栄養失調の療養中、石鹸の行商や線路に落ちている石炭拾いの間に手記をまとめ、1976年に私家版として『わたしのフィリッピンものがたり』を出版しています。
なお、新美彰さんの体験については、今年8月に放送された「NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 1945 終戦」「NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 最終回 忘れられた悲しみ」でも取り上げられています。戦後は、たびたびフィリピンへ通い、亡き家族の慰霊を続けるとともに、同じく家族を亡くしたフィリピンの人々とも交流しました。
https://gendai.media/articles/-/156213?page=2
戦争体験の継承としては、新美彰さんと吉見義明氏との共著である『フィリピン戦逃避行』(岩波ブックレット、1993年)もあります。戦争の悲惨を繰り返さないことと、長女の鎮魂を願って、紙芝居をつくり、若者たちに語り続ける活動をしていることが書かれています。
https://www.iwanami.co.jp/book/b253846.html
『草の根のファシズム』に取り上げられた記録を読むと、戦中・戦後を通じて意識・態度が変化した人もいれば、戦争を体験しながら「聖戦」観が残存したままの人や戦争協力に対する反省が中断したままの人、主体的な戦争責任の点検・検証が欠如したままの人、アジアに対する「帝国」意識が持続したままの人も登場します。戦争を体験したことのない現代人においてもそうした人がいるのを感じます。
戦争という過ちは、歴史上たびたび繰り返されているわけですが、歴史が過ちを繰り返しているわけではありません。歴史から学べない人が戦争という最大の過ちを繰り返しているわけです。
そうした過ちを繰り返さないためには、一人ひとりが常日頃からファクトチェックされた情報を進んで摂取して自ら考えを書き、集合知として共有していくことが有効だと考えています。肌の色や国籍・居住地その他が異なる人にとって共通の価値とならない主張はだいたいどこか間違っているものです。切り取り動画にたやすく騙される思慮のない人に成り下がらないようになりたいものです。
きのう読み書き習慣と読解力・思考力との関係についての興味深い考察が発表されていましたので、それも紹介しておきます。
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20250901140000.html

同級生の近況映像に接しました

NHKプラスで、北海道スペシャル「極北ラジオ 樺太・豊原放送局」を視聴していたら、学習院大学在学時に同級生だった兎内君が出てました。ネットで近況写真を見たことはありましたが、映像でお目にかかるのは実に卒業以来初めてです。番組では、終戦直前からのソ連侵攻により南樺太に残された日本人の処遇について、日本政府が「現地定着方針」を終戦後示したねらいを解説していました。
彼は、大学時代、馬術部に属し史学科に学びました。当時の史学科に日露関係が専門の教授がいた覚えはないのですが、後年同じく学習院大学史学科を出ている麻田雅文氏(岩手大学准教授)が『日ソ戦争』(中公新書、2024年)の著者として活躍しているように、ユニークな研究者を輩出しているところでもあります。
麻田氏の『日ソ戦争』も遅ればせながら近く読んでみます。
なお、ロシア政治が専門の中村逸郎筑波大学名誉教授も学習院大学を出てますが、政治学科に学んでいて、私が属した河合秀和ゼミの先輩です。

『兵士たちの戦場』読後メモ(3)

山田朗著『兵士たちの戦場 体験と記憶の歴史化』(岩波現代文庫)は、書名の通り主に個人としての選択もできずに死を強いられた兵士たちの回想を構成した記録ですが、戦争指導者やそれに近い立場の人物の言葉も掲載されています。
爆装した航空機による組織的体当たり攻撃、特攻作戦が始まったのは1944年10月からです。レイテ沖海戦に際して、日本海軍の水上部隊のレイテ湾突入を支援するため、米空母の飛行甲板の使用を不可能にし、艦上機の離発着を阻止することで米側航空戦力の活動を減殺しようとする、一時的な非常の策として始まったとされます。特攻隊の編成を命じたのは第一航空艦隊司令長官の大西瀧治郎中将でした。その大西から特攻に込めた「真意」を直接以下のように聞いたと、第一航空艦隊参謀長の小田原俊彦大佐が、部下のベテラン搭乗員・角田和男少尉へ話しています。「(特攻によるレイテ防衛)これは九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では、何故見込みのないのにこのような強行をするのか、信じてよいことが二つある。一つは……天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、……必ずや日本民族は再興するであろう、ということである」(p.168)。
この話を角田少尉から聞かされた角田とは予科練同期の搭乗員・浜田徳夫少尉は次のように反論しています。「今、特攻以外に勝つ手はないという。敗けると分かったならば潔く降伏すべきだ。そうして開戦責任者は全部腹を切って責任をとるべきだ。(角田は)特攻が有利な講和のために最後の手段というが、こんなことをしていれば講和の時期は延びるばかりで、犠牲はますます多くなる。貴様のような馬鹿がいるから搭乗員も志願するようになるのだ」(p.169)。
しかし、第一次の特攻出撃の翌日、戦果の上奏を受けた裕仁天皇は「そのようにまでせねばならなかったか、しかしよくやった」(p.166)と及川古志郎軍令部総長に語ったとされています。大西の思惑通りにはならず、浜田の見込み通り戦争の犠牲者はさらに増加の一途をたどりました。翌年の東京大空襲、沖縄地上戦、広島と長崎における原爆だけでもそれぞれ10万人以上の人が殺される結果となりました。浜田は沖縄戦で戦死し、その後徹底抗戦に執念を燃やした大西は終戦翌日に自決しています。
そして、当時の統治構造に問題があったとしても天皇が絶対的権力者であったのは事実です。その戦争責任について考えなければ、いつまで経っても歴史を直視したことにはならないと言えます。

落ちぶれた日本人

ちょうど1年前(2024年6月19日)の地元市議会の質疑・一般質問で、ワクチンの有効性について自らの根拠を示さずに「全くのでたらめ」「うそ」呼ばわりし、市の接種補助事業に反対した珍妙な議員がいたのを思い出しました。こういう議員はおそらく本記事も読んでないだろうし、読んだとしても理解できないかもしれません。
ついでに触れると、上記議員の同じ日の別の質問テーマでは、市議会が教育行政への不当な介入になりかねない、中学歴史教科書の採択を取り上げる不見識ぶりを披露していました。これもおそらく自国の憲法や教育基本法の中身を知らないからこそできる荒業で、呆れさせられます。古代史料に書かれていたからといってすべてが史実ではないのが、常識です。しかし、同議員の話しぶりからすると、神話・伝承と歴史の区別がついておらず、しきりに神話・伝承を歴史の授業で教えることを、当時の教育長へ求めていました。
もしも私が教育長なら丁寧に議員の資質の無さを浮き彫りにしてあげて、神話・伝承のたぐいしか自慢することがないほど日本人は落ちぶれたのかと言ってしまいそうです。
エセ科学やエセ歴史を信じ込むような人物に議席を与えていることに嫌気がさします。

企業の新人研修テキストにこそ相応しい

4月16日の熊本日日新聞に、水俣病の原因企業チッソの事業子会社JNCの新入社員研修で、水俣病語り部の会会長の緒方正実さんが初めて講話を行ったとありました。これまでの同社の研修では、水俣市立水俣病資料館の見学はあっても、患者・被害者の講話を聴くことはなかったので、このこと自体は歓迎します。さらに言えばぜひとも水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、3500円+税、2025年)を研修テキストに採用してもらいたいものだと思います。
同書は、水俣病第一次訴訟(提訴時の被告代表者は雅子さまの祖父・江頭豊、被告代理人弁護士は民事訴訟法の兼子一元東大教授の法律事務所所属)において患者・家族を勝訴に導いた新たな過失論「安全確保義務」の理論がどのようにして生まれたかを明らかにしています。これは、現在のさまざまな環境汚染に対する「予防原則」の考え方に連なる先駆をなすものです。今や企業の社会的な影響を考えれば、その事業活動に携わる社員が当然備えるべき教養ではないでしょうか。あえていえばJNCだけでなく、原発や半導体産業の社員にも読んでもらいたいと思います。
それと、なぜチッソが水俣病を引き起こしたのか、その企業体質にどのような問題があったのかを知るにも、本書は役に立ちます。当然のことながら被害を受けた住民は、企業の内部については知りません。チッソ創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言ったのは有名ですが、労働災害が多発する工場で最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが本書で明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。じっさい水俣病の被害は社員も受けたわけです。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになります。
救いがあるとすれば、このチッソの関係者の中にも患者・家族に味方して裁判で証言した人やさまざまな資料を提供した人、理論構築の研究に参加した人がいたことです。本書を手に取って企業や行政に携わるなかでも人間性を失わない職業人生を送ってほしいと思います。
https://kumanichi.com/articles/1745646
https://sekifusha.com/11813

 

都内訪問記

2年ぶりの都内訪問、わずか1日半程度でしたが、充実した時間を過ごせましたのでメモしてみました。おかげでその間かなり歩きました。頭にも身体にもいい刺激を与えられましたので、認知症予防にも役立つ機会だったと思います。ちなみに4月15日は「遺言の日」なんだとか。
【上野編】
・国立科学博物館…特別展「古代DNA―日本人のきた道―」を見ました。ゲノムの分布状況を把握することでヒトのみならずイヌやイエネコの移動の歴史を知ることができるなんていうのは、私たち世代の学校教育にはなかったと、まず感慨深いです。渡来人がもたらした鉄器生産や馬の導入といった新技術なしには日本列島における政治の始まり国家形成もなかった。外国人ヘイトを繰り返すバカにホントは見てもらいたい展示です。
https://ancientdna2025.jp/
・東京都美術館…「ミロ展」を堪能してきました。ミロは、「芸術家とは、ほかの人々が沈黙するなかで何かを伝えるために声を上げる者であり、その声は無駄なものではなく、人々を助けるものであることを証明する義務を負う者である」と、述べています。ミロ作品のなかにはしばしば星が描かれています。どんな時代に生きる人の天空にも変わることのない星があり、その星はいつの時代に生きる人も見守っていて、人類が尊重しなければならない価値は超然として永遠に存在する象徴のように感じます。
https://miro2025.exhibit.jp/
【目白編】
・霞会館記念学習院ミュージアム…リニューアルオープン記念展「学習院コレクション 華族文化 美の玉手箱 芸術と伝統文化のパトロネージュ」を訪ねました。通常は日曜休館なのですが、当日は「オール学習院の集い」の開催日ということで開館していて幸いでした。せっかく独自のお宝コレクションが豊富にあるので、これからも惜しみなく公開して存在感を高めてほしいと期待しています。
https://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/
・馬術部厩舎…現在16頭の馬が学内で飼われています。生きものですから部員たち(みんな大学入学前は未経験者)の手によって毎日休まず餌やりが行われています。年間2000万円かかるということでした。たいへんさを感じました。
・法学部同窓会…初級・中級・上級で政治や法律にかかわる3択クイズが行われていました。全問正解者にはもれなく賞品が提供されていました。会場にはOBの岩田公雄氏がいました。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/?page_id=28155
https://www.gakushuin-ouyukai-branch.jp/hougakubu/archives/1803
・士業桜友会…士業会員による無料相談会が行われていました。学習院行政書士桜友会の唐沢博幸会長(東京会)にご挨拶してきました。
・福島桜友会…移動水族館の展示がありました。会津コシヒカリ2合のプレゼントがありました。
・剣道部…雨天ということで予定されていた野試合は中止となり、部員たちは武道場で稽古に励んでいました。
・大学新聞社同窓会(→これが都内訪問の用向き)…最年長は90歳超から現役学生まで集いました。いろいろ昔話が出てそれを聴くと、私も記憶がよみがえってくることがあって面白かったです。写真も暗室で現像していましたし、印刷も活版から写真植字への移行期でした。割り付けも手作業でしたが、卒業後、ある活動では役に立ちました。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/?page_id=28155
【新宿編】
・帰還者たちの記憶ミュージアム…企画展「おざわゆき『凍りの掌』原画展 シベリア抑留 記憶の底の青春」が開かれていました。新宿住友ビル33Fにあります。総務省委託の平和祈念展示資料館となっていて入館無料です。さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦への理解を深める施設ということです。旧軍の加害性などについては一切触れていません。
https://www.heiwakinen.go.jp/
・スンガリー新宿三丁目店…ゼミでの同級生と食事をしました。同店はロシア料理が専門です。新宿東口本店へは大学生時代から何度か行ったことがありましたが、新宿三丁目店は初めてでした。私が注文した「スンガリーコース」は、以下の通り。マリノーブナヤ・ケタとブリヌイ(ロシア式フレッシュサーモンマリネのブリヌイクレープ包み)、グリヴィー・ヴ・スミターニェ(マッシュルームのつぼ焼きクリーム煮)、ボルシチ(赤かぶと肉野菜の旨みたっぷりスープ)、ゴルブッツィ(ウクライナ風ロールキャベツの煮込み焼き、トマトクリームソース仕立て)、フレープ(自家焼きライ麦パン)、チャイ(パラジャム、季節のジャムを添えたロシアンティー)。飲み物は、エストニア産の瓶ビール「ジュビリエイニス」にしました。ずいぶん久しぶりの味でしたが大満足でした。
http://www.sungari.jp/store_sanchome.php
https://www.ikemitsu.co.jp/product/jubiliejinis/
【神保町編】
・おどりば文庫…「BOOKTOWNじんぼう」のサイトで軍事カテゴリーの書店リストに載っている店舗が3つあり、それらを訪ねてみました。まず訪ねたのはこちらです。実際に訪ねてみたら「おどりば文庫」ではなく、「西秋書店」となっていて当日は営業していませんでした。
https://jimbou.info/bookstores/ab0202/
・軍学堂…訪ねた時間のときが開店前だったようで開いていませんでした。となりは三省堂書店があったところで新ビルを建設中でした。新しい三省堂は来年1月にオープン予定とありました。
https://jimbou.info/bookstores/ab0205/
https://www.gungakudo.com/
・文華堂書店…この日唯一開いていました。いずれも藤田豊著の第三十七師団戦記出版会(山中貞則会長)発行の『春訪れし大黄河』『夕日は赤しメナム河』を購入しました。ほかにも気になる古書がありましたので、また行ってみたいと考えています。
https://jimbou.info/bookstores/ab0140/
【有楽町編】
・+DA.YO.NE.GALLERY(プラスダヨネギャラリー)…中高大を通じての先輩である米原康正氏が運営するギャラリーの1つで阪急メンズ東京7Fにあります。さまざまなアーティストの作品が展示されています。当日は、夏目らんさんの作品を紹介していました。なお、米原氏が運営するギャラリーは原宿、表参道にもあります。機会があればそちらも訪ねてみるつもりです。
https://dayonegallery.com/
・まるごと高知…朝ドラの「あんぱん」の舞台・高知県のアンテナショップです。2Fがレストラン「TOSA DINING おきゃく」で、安芸市名物御膳を食してみました。ごはんとみそ汁はおかわりできるのでボリュームもありました。1Fは特産品ショップの「とさ市」、B1は土佐酒ショップの「とさ蔵」となっています。「とさ蔵」では、高知けいばのポストカードが無料でもらえました。
https://www.marugotokochi.com/

 

入学式参加雑感

4月9日、地元の小学校と中学校の入学式に、それぞれ午前と午後参加しました。入学式は卒業式と比べて式典時間が短いのが通常です。集中力がない小学1年の新入生ならなおさらのことで、卒業式の3分の1程度、30分余りで終了します。今回初めての経験として卒業式においては教育委員会告辞がペーパー配布でしたが、来賓祝辞もペーパー配布となり、さらに簡素化されました。これはたいへんいい試みだと歓迎しています。
一方、今回の小学校入学式では、先月の小学校卒業式と同様、市議(※1)が来賓紹介後に式途中で退席しました。全体で30分余りの式典において閉式まで残り10分もかからない時間帯にただひとりわざわざ退席するのです。そんなことなら最初から出て来るなと思いますし、忙しそうな政治家センセイとしての大物感を出したいと、ひょっとして本人はカン違いしているのではないかと思います。他の列席者からすれば、その行動に当該人物の小物ぶりが印象付けられます。まぁ、こちらとしては、地域内での人間観察のいい機会となる楽しみもあります。
中学校の入学式で目新しかったのは、今月から導入された市立中学校標準服を着用した新入生もかなりいたことでした。ブレザーにネクタイかリボン、女子はスカートではなしにスラックス着用も可能です。選択の幅が広がったのはいいことだと思います。従来の標準服(制服)は、51年前に入学した私の時代と同じ詰襟学生服(男子)・セーラー服(女子)のタイプです。式場内の在校生(2年生・3年生)で新標準服に身を包んだ生徒は見当たりませんでした。市の社会福祉協議会が不用な制服の寄付を募り安価で販売する「制服バンク」事業を行っています。こうした事業はたいへんいいことですが、もっと根本的なことをいえば、私服通学も可とする道もあっていいのではと思います。
式の運営については、先月の卒業式ではペーパー配布だった教育委員会告辞が登壇復活し、逆に卒業式では登壇だった来賓祝辞がペーパー配布となりました。小学校と同じくどちらも登壇なしで良さそうなものだがと思いました。特に教育長が何かあったら学校へ言ってくださいと述べていましたが、せっかく登壇するのであれば(学校に言っても埒あかないこともあるので)教育委員会へも言ってくださいと呼びかけてもいいのではと思いました。
最後に、ここでも全体で45分程度の式で残り10分足らずの時間帯にただひとり途中退席の市議(※2)がいました。この人物は先月の小学校卒業式でも上記の市議(※1)と連れ立って途中退席していました。ということで、最初から出てくんなという印象の悪い市議が(※1と※2の)2人います。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1193/8595.html
http://www.utoshakyou.jp/business14.html

頑固なのか単なる惰性か

わが人生のなかで7割方を占めて続けている習慣について2つばかり披露してみたいと思います。いずれもスタート日が後記の通り確定日付となっていまして、それらの習慣が続くというのは、頑固さによるものなのか、単なる惰性によるものなのか、これは自分でも定まっていません。他人からはきっちりしていると誤解されますが、自分ではけっこう怠け者だと思っています。手を抜ける部分は極力手を抜いて楽な暮らしをしたいと日々過ごしています。
さて、習慣の一つ目は、読書カードの作成です。きっかけは、1981年6月21日に読み終えた梅棹忠夫著の『知的生産の技術』(岩波新書)による影響です。同書で紹介されている「京大カード」(情報カードとも称される)に読んだ本の著者名・書名・発行年月日・出版社名・ページ数・入手先名・販売正価・入手価格・読了日・処分先・処分価格を記入してファイリングしています。カードは本1冊につき1枚作成します。法律専門書などは何回か読み直すことがありますが、カードを作成するのは1回限りです。したがって、ここ44年間については年間何冊の本を読んだのかも正確に把握できています。
問題は、B6サイズ横の「京大カード」やそれをファイリングできるバインダーの製品が割と大きな老舗の文房具店へ行かないと手に入らないことです。カードはネット上の情報によると、百均店で売っているともありますが、近隣店舗の売り場では見かけません。実際、読書メモを残したいときは、すべてデジタル情報で保管していますので、上記の製品が手に入らなくなったら、それはそれでしょうがないかなと思います。
梅棹忠夫さん(1920-2010年)についての思い出も言及すると、その姿を一度だけ拝見したことがあります。1990年8月に国立民族学博物館を訪問したときに当時館長の梅棹さんが側近を伴って館内に入られたシーンでした。その感激も習慣の継続に寄与しているのかもしれません。
そして、長く続いている習慣の二つ目は、バナナを食べないことです。このきっかけは、1983年11月5日に社会学者の鶴見和子さん(1918-2006年)の講演を聴いたあとの懇談会で、和子さんが父方の従弟・鶴見良行さん(1926-1994年)の『バナナと日本人』(岩波新書)を読んでからバナナを食べないと決めたと話されたことに触発されたからです。同書は、フィリピン産バナナの栽培から日本への流通を通じて多国籍企業によって開発途上国の人々が受ける苦しみを描いています。バナナ栽培に危険な農薬が大量に使用されていることも明らかにされました。
鶴見和子さんは、色川大吉さんを団長とする不知火海総合学術調査団の一員として『水俣の啓示』(筑摩書房)の執筆にかかわられていることもあり、水俣病患者が受けた苦しみをフィリピンのバナナ農園労働者のそれと重ねられて、バナナを食べないと決意されたと記憶しています。
私は、『バナナと日本人』を北区赤羽図書館から借りて1983年1月26日に読了してはいましたが、そこまで考えが及ぶまでは至っていませんでした。鶴見和子さんの講演を聴こうと思ったのは、『水俣の啓示』(上巻:芳林堂書店池袋西口店で購入し1983年8月19日読了、下巻:福岡金文堂本店で購入し1983年8月20日読了)を読んでお名前を承知していたので会ってみたいと思ったからでした。しかし、同書を読んで講演会に参加したことを懇談会で和子さんに話したら、たいへん喜んでいただいた面映ゆさがあって、それで私も調子に乗って以来バナナを食べない暮らしを始めました。
ちなみに、『バナナと日本人』の著者の鶴見良行さん自身は、1995年に「(自分は)バナナを買って食べる。現場を歩いてものを書く調査マンは、そのモノにつきあうのが職務上の義理だからであり、また、自分は上に立って人に指令を与えるような形の(社会)運動はあまり好きではない。自分の提供した情報によって読者が判断すべきであり、それはある種の民主主義の問題だ」と別の著作『東南アジアを知る─私の方法』(岩波新書、未読)で書いておられるようです。つまりは、読者それぞれが自分の頭で考えろというワケです。
おかげでたまに胃がん検診でバナナ味のバリウムを飲み込むたびにこの習慣の始まりを思い出します。

いかにも一般大衆が喜びそうな

NHK朝ドラの「あんぱん」初回放送の見ようと張り切ってNHKBSの番組表を朝イチで確認したところ、「あんぱん」の前の時間に再放送される朝ドラ「チョッちゃん」の舞台が北海道滝川市であることをついでに見知ってしまいました。「チョッちゃん」は、黒柳徹子さんの母・黒柳朝さんの自伝『チョッちゃんが行くわよ』を原作としているそうですが、初回放送された1987年4-10月当時は会社員時代で一度も作品を視聴したことがありませんでした。しかし、滝川は私にとって小学1年の1学期まで住んでいた土地であり、さっそく第7話を視聴しました。
そして、たくさんの拾い物をしました。まず、ナレーションが昨年鹿児島旅行中に訃報を聞いた西田敏行さん(養父の祖は薩摩藩士)。主人公の高等女学校での担任役として役所広司さん(出身地の長崎県諫早市を近年3回訪ねる機会がありました)。脇役でレオナルド熊さん(出身地が石狩川を挟んで滝川の西隣りの新十津川町)。といった親しみを覚える顔ぶれがかかわっています。しかも、レオナルド熊さんの墓所についてはたまたま昨夜グーグルマップを開いているときに明治大学和泉キャンパスの近くにあるんだというのも知りました(ほかにも著名人としては佐藤栄作や瀬島龍三、樋口一葉、中村汀女の墓が近くにあり)。熊さんについては、時事ネタを不条理コントで嗤わせる高度な芸風が秀逸でしたし、サントリービールのCMで発した「いかにも一般大衆が喜びそうな」という表現は1983年の流行語となりました。大量消費社会の薄っぺらな雰囲気をよく掴んだ印象に残る言葉です。
ところで、本日の「あんぱん」ですが、都会から地方の学校へ転校してきた子どもが受ける疎外感のシーンに自分を重ねてしまいました。前述の通り、私の場合も、言葉も気候もまったく異なる土地への転校体験でしたので、今でも私の心のどこかにここが嫌いだという思いがあります。転校初日に担任の河野幹子先生が学級の児童に教室に貼ってある日本地図を指しながら北海道から(異国の樺太よりも遠い!)九州へ渡ってきたということを説明したのをよく覚えています。まるで外国人が突然学級に加わったようなわけですから受け入れ側の児童にもまったく心の準備がなかっただろうと今では考えます。
多文化共生社会とか、いかにも一般大衆が喜びそうな言葉が、行政の啓発文書に載っていても、住民のふだんの振る舞いには、それと反する言動が多々あるという気付きは、マイノリティー体験の有無によるのかもしれません。
【追記】私の母から聞いたところでは、驚くことに、北海道滝川市一の坂町にあった朝さん(1910-2006年)の実家跡の医院で私が何度か診てもらったことがあるとのことでした。ただし、当時はそのことを私の母も知らず、後年テレビで写真が紹介されたなかで、行ったことがあると気づいたそうです。確かに、朝さんの父・門山周通氏は1908年に開業し1944年に亡くなられた方ですし、1965年ごろの住宅地図で確認する限りでも、門山の名の入った医院は見当たりませんでしたので、別姓の方が医院を継いだのだろうと思われます。

ピラ校登頂男のその後

「オール学習院の集い」の開催日(4/13)に合わせて学内で行われる今年の大学新聞同窓会への出席を前に、43年前と42年前に私が書いた「ピラ校登頂男」(O君、2年連続経済学科4年)のその後の情報を、当時の先輩から聞きました。
なんと現在、福島県D市の市議会議員を務めているということでした。しかも定年まで地元県警で勤め上げ、退職を機に行政書士もされているとのこと。
ビックリしたやら、同業の縁を感じるやら。
「ピラ校」とは、2008年まで存在した高さ約25メートルの四角錐の教室(1968年にウルトラセブンによって一度破壊されたという話もある)。写真は下記ページ参照。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/100th/pyramid/

無教育の責任は大きい

ミネルヴァ日本評伝選のシリーズ本として2025年1月に刊行された大石眞著『井上毅』を読了しました。井上毅(1843-1895)は、明治政府の法制官僚として活躍した人物ですが、第二次伊藤内閣では文部大臣に任命され、1年5カ月余りの在職期間でしたが、教育行政についてもスピード感をもって成果を上げたことが紹介されていました。
在職中、高等師範学校卒業生を前に「一体教育とは恐ろしいものである。教育で国を強くすることが出来る、又教育で国を弱くすることも出来る。教育で国を富ますことが出来る、又教育で国を貧乏にすることも出来る……無教育の責任は大きなものである」(p.282-283)と説示しています。教員者に対して自覚と責任を促しているわけですが、同時に大臣である自分の責務を表明したものだと受け取れます。
井上は大臣に着任してから1カ月半後には伊藤総理大臣に「文部の事務釐正(りせい)[改正]を要する件」をまとめた「施設の方案を具へて閣議を請ふの議」を提出しています。これは、総合的な教育行政方針を示したもので、「政府に於ける今日の義務」として「財政の許す所に於て教育費を国庫より補助する事」などを通じて初等教育の普及を図ること、工芸教育を充実させること、高等中学校を改正して大学の改革を行うこと、女子教育を推進すること、私立学校を含めて文部省の統率・保護監督権を徹底することなど七件を挙げ、これが中途半端に終わらないよう「内閣の決議」を望むことを伝えています(p.283-284)。そしてそれらの政策は実現に向かうこととなります。
まさに仕事ができる人物でしたが、病身のため、大臣退任の翌年53歳で生涯を閉じます。もちろん明治時代に求められた教育と現代のそれとは異なるところもありますが、政治家の資質は時代が異なっても主権者である国民は問い続けなければならないことは言うまでもありません。
なお、本書の巻末にミネルヴァ日本評伝選の既刊・未刊を含めた一覧が載っています。その中に大学同窓の杉原志啓氏が「徳富蘇峰」と「松本清張」の担当著者であることが示されていました。いずれも未刊なので、刊行されたらすぐ手に取ってみたいと思います。