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明るい選挙啓発書道作品に接して

小・中学生・高校生に明るい選挙に関するポスターや書道、標語作品を作成してもらい、選挙に関心を持ってもらうコンクールが毎年開かれています。地元市での作品推薦選考会に参加しました。初めての参加でしたが、応募作品数が多いのにまず驚きました。秀作ぞろいでどれも選外にするのが心苦しいばかりでした。全応募者に記念品が贈呈されるので、がっかりせずに、有権者となったおりには、ぜひ投票をしてほしいと思いました。

オンラインの良さ

コロナ禍の教育のあり方として全国的にも注目を浴びた取り組みとして熊本市のオンライン授業がありました。それに対応できない家庭のフォローは大切ですが、登校にこだわらない教育の方法として評価すべきだと考えます。コロナ禍という状況がなくてもオンラインと集合型授業を組み合わせることで高い教育効果を上げることができるのではないでしょうか。それと今一つはオンラインでの授業コンテンツをオンデマンドで視聴できる環境を用意することで、ライブでは受講できなくても補習ができる、あるいは繰り返し視聴学習ができれば、なおいいと思います。教育だけでなくさまざまな事業でもZOOM活用が進んでいますが、特に全国規模の事業であれば、時間と交通のコスト削減になり、利用者にとってはたいへんありがたいものです。不要不急の移動が少なくなることは事故リスクや二酸化炭素排出の低減にもなります。

相互理解を深める

このところ読んでいた『現代東アジアの政治と社会』からはいろいろな知識を得ました。まず重要なのは、歴史認識です。これは言い換えれば、歴史を知るということです。自国の歴史を知り、周辺国・地域の歴史を知ることが非常に大切です。たとえば、戦後50年の1995年に出された村山談話の歴史認識は、中国が現在でも高く評価されており、日中の信頼関係の基礎になっています。しかし、1990年代半ばには日本の歴史教科書から従軍慰安婦の記述の削除を求める勢力の動きがありました。旧軍の不名誉な歴史を葬り去りたいのでしょうが、これは中国の歴史教科書で第2次天安門事件について記述しない中国共産党の意向に似ているものを感じます。まず自らそして相互に歴史を理解して東アジアにおける共生を図るべきだと思います。
次に大切なことは、人権です。米国のような黒人に対する白人による肌の色の違いからの人種差別は、東アジアでは顕著ではないかもしれませんが、同じ肌の色でありながら愚かしい民族差別・出身地差別が強い風潮は感じます。歴史的にも日本の場合は、旧植民地出身者に対する賠償について放置してきました。これも同様に中国では少数民族に対する同化政策という弾圧が続いています。人権侵害については、不干渉主義を強弁するのは誤りという認識を持つべきだと考えます。国や地域という枠組みを外して互いに人として尊重して交流することから力による対立がいかにばかげているかが自明のこととなると思います。

東アジアの人口問題

人口問題は、そこに暮らす人々の将来社会を左右する重要な要素です。『現代東アジアの政治と社会』に記載のデータから触れてみたいと思います。まず世界全体の人口は飛躍的に増加しています。1800年:約10億人→1930年:約20億人→1975年:約40億人→1999年:約60億人→2019年:約75億人→2030年予測:約86億人→2050年予測:約98億人→2050年予測:約98億人→2100年予測:約112億人という具合です。当然地球の生態系に深刻な影響を及ぼすと考えられます。地域別には、アフリカとアジアではインドとパキスタンが人口増加の中心になるとみられています。一方で、東アジアでは少子高齢化が進むと見られています。
日本は、2004年をピークに人口自然減少へ転じていて、人口構成で65歳以上の高齢者率が21%を超える超高齢社会となりました。東アジアでは、2022年過ぎに韓国、台湾、香港が、2030年前後には中国が超高齢社会に突入すると予測されています。生産年齢人口の増加率が人口増加率よりも高くなる、いわゆる人口ボーナスの状態であれば、自然と高度な経済成長が望めますが、この逆である人口オーナスの状態であれば、GDPは下がり、国民は貧困化し、高齢者に対する医療費と年金の負担が生産年齢人口を直撃することとなります。
東アジアでは非婚率の向上と晩婚化現象により少子化が加速していますが、それへの対策が貧困です。これには旧態依然とした家族主義から脱却できていない未成熟な社会という側面もあります。先進国は概ね少子化に悩んでいますが、フランスは「子どもは社会が育てる」という思想と支援による少子化対策が進んでおり、先進国の中では出生率が高いとされています。
もう一つ考えなければならないのが、格差問題です。特に教育の格差は社会的な格差につながります。東アジアにおいて日本の高等教育機関への進学率(2017年度大学短大進学率57.9%)は、台湾の約90%、韓国の約93%と比較すると低い位置にあります。台湾では仕事に就いている女性は90%超ですし、会社の幹部に昇進している数も多い特長があります。
これらのことを考えると、これから先、どういう社会を作っていくべきなのか、たいへん悩ましく思います。近隣の超高齢社会の国・地域でお互い覇権主義的行動をとるのはまずたいへん愚かしいといわざるを得ません。子育て負担を軽くしないことには生産人口の増加は望めません。そのためには保育に始まり高等教育まで含めた完全無償化を進めるしかありません。無駄な軍事的な力の負担を減らせば、それはすぐにでも可能ですし、教育の無償化は子どもの人権のためにも実現しなければならない、もともと国際基準です。

教育の無償化という国際人権問題

何度も繰り返しますが、『国際人権入門』では、さまざまなことを学びました。条約機関の審査において協議資格をもつ国際NGOが活躍していることもその一つでした。条約機関へ寄せられる締約国の政府による報告というのはどうしても甘口になります。その報告内容が実態を正しくとらえていないことには、条約機関も適正な審査が行えません。ここに国際NGOの出番があるわけです。条約機関からの勧告を締約国は尊重しなければなりません。たとえば、かつての日本政府は、国内には少数民族がいないとしていたのですが、今ではアイヌの人々や朝鮮半島にルーツをもつ人々の存在を認め、少数民族の存在を認めています。
さて、昨日は連続在任日数の最長記録を立てた日本の首相が辞任を表明しましたが、自らの実績の中に「不完全な」高等教育の無償化を上げていました。実は、教育の無償化も国際人権問題となっています。日本では貸与型の給付金も「奨学金」と称されていますが、金融機関が扱う同様のサービスが「学資ローン」あるいは「教育ローン」と称しているとおり、国際基準では「奨学金」には当たらず、あくまでも「借金」です。本当の「奨学金」である2018年度の給付制奨学金(毎年2万人)の予算は105億円とされていますが、これは米国から買わされる(?)最新鋭戦闘機F35Aの1機約116億円に満たない額です(空母に離着できるF35Bはさらに高額)。
国際人権規約の一つである社会権規約は13条で、「教育についてのすべての者の権利」を認め、教育が人格の完成と人格の尊厳についての意識の発達を指向するものだということに締約国は同意するとしています(1項)。そして、2項では、この権利の完全な実現を達成するため締約国は次のことを認める、として、初等教育については義務的かつすべての者に無償とすること((a))、中等教育(中学・高校)については「すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものにすること」((b))、高等教育については「すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」((c))と規定しています。子どもの権利条約の28条でもほぼ同様の規定が置かれていますが、社会権規約2条1項は、「締約国は、立法措置などのすべての適当な方法によりこの規約で認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な資源(左記は著者訳。日本公定訳は「手段」)を最大限に用いることにより(中略)措置を取る」としています。
ところが、日本で2020年4月から実施されている「高等教育無償化」は、世帯の年収で支援率が異なり、大学院生は対象とはしていません。低水準で不完全な導入に留まっています。
こうして見ると、国内向けには「施し」として「高等教育無償化」が実施されていますが、国際的には完全実施しなければならない義務があることを国民の目から隠しているといってもいいかもしれません。教育を受ける権利が家庭の所得の違いによる自己責任とされるのは間違っています。

クレメント・アトリー

大学時代の恩師・河合秀和先生の最新著『クレメント・アトリー』(中公選書、2000円+税、2020年)の読書に取り組み始めました。先生は1933年生まれですので、御年87歳です。今も現役の研究者でおられることに、まず読み手の方が姿勢を正さずにはおれなくなります。
現在では、歴史に埋もれてしまったできごとですが、第二次世界大戦末期から戦後まもなくの期間、日本を支える優秀な科学者や技術者の育成を目的として「特別科学学級」という英才学級が設けられていました。IQ150以上の全国から選抜された児童・生徒が高度なエリート教育を受け、結果的に敗戦後の高度経済成長を牽引する人材として、理工系をはじめ各界で活躍しましたが、先生も京都師範学校附属国民学校(現:京都教育大附属京都小中学校)と京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高)のなかに設置された学年定員30名の特別科学学級に在学されました。映画監督として活躍した伊丹十三と同級生でした。他に湯川秀樹の長男湯川春洋や、貝塚茂樹の長男で経済学者の貝塚啓明、日本画家の上村淳之がいます。京都における設置にあたっては、京都帝国大学の湯川秀樹博士の意向が働いています。湯川がじきじきに旧制高等学校(現在の四年制大学教養課程)レベルの物理学の授業を行うこともあったようです。物理・化学の実験や、生物の実習などにも重点が置かれました。授業の内容は数学や物理学や化学はいうに及ばず、当時敵性語だった英語、さらには国語・漢文・歴史にもわたっており、当時、治安維持法下の禁書とされていた津田左右吉の『古事記及び日本書紀の新研究』を題材に用いるなど、当時の軍国主義的イデオロギーにとらわれない高度な内容の授業で進み方も速かったといわれます。特別科学学級の児童・生徒は学徒動員が免除され、学習を継続しうる特権を持つとともに、上級学校への進学が保証されてもいました。現在のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)構想には、その精神が受け継がれているといえます。
当時の国民学校の歴史教科書を紐解くと、神国日本を刷り込む教育が行われていたことが明らかですが、一方のエリート教育では科学的リアリズム重視だったわけで、この対比から統治者と被治者の教育は別立てだったということがよく理解できます。

歴史認識に誠実さが求められている

中国や韓国・北朝鮮、ロシアとの関係を語るときに、ここ150年間足らずの史実を知らずに語っていれば、これほど無知をさらけ出すみっともなさはないという思いを最近強くしています。
たとえば、日清戦争(1894-1895年)は、清朝の冊封体制にあった朝鮮を、日清のいずれかが支配するのかという覇権争いにほかならない戦争でした。その朝鮮支配をめぐる覇権争いにおいて、清朝に代わる競争相手がロシアであり、日露戦争(1904-1905年)は、日露のいずれの領土でもない朝鮮(当時:大韓帝国)や満洲(当時:清)を戦場とした戦争です。こうした基本的な関係を押さえただけでも中国や南北朝鮮の今に連なる人たちの記憶がどのようなものかを認識すべきだと思います。
戦争だけでなく、現代では大半の日本人が忘れている事件も数多くあります。日清戦争後に清から日本へ割譲された台湾では、日本の領有に反対し、さらには清朝からの独立を目指して台湾民主国が樹立されましたが、日本は台湾に5万人派兵して「消滅」させています。同じ年に清に独立を認めさせた朝鮮において親露派の国母・閔妃を殺害する事件が民間日本人(熊本県出身者が多数を占めています)の関与により起きています。1900年に起きたブラゴヴェシチェンスク事件は、最大2万5000人まで諸説ありますが、清国人がロシア軍によって大量虐殺され、黒竜江(ロシア名:アムール河)に葬り去られた事件です。当時、世界最大の陸軍国であるロシア戦に備えて現地で諜報活動を行っていた石光真清は、「老若男女を問わぬ惨殺死体が筏のように黒竜江の濁流に流された」(『曠野の花』)で語っています。旧制一高寮歌「アムール河の流血や」として当時の日本の人々の心をとらえました。
日露戦争に際して、国力と軍事装備において劣っていた日本がとった戦略は、援軍が到着しない前にロシア軍に大打撃を与えて外債を獲得し、戦況が有利な段階で英米などに講話斡旋を依頼して早期に戦争を終結させるものでした。その外債の募集には高橋是清が渡英して動き、それに応じたのがニューヨークの投資銀行経営者であったヤコブ・シフでした。ユダヤ人であるシフがなぜ日本を援助したかというと、当時の帝政ロシアでは世界の約3分の1に当たるユダヤ人が強制移住や改宗強要、虐殺などの迫害にあっていたからでした。
日本で持たれた恐露感の一方、ロシアでも東方の民族である日本に対する潜在的な恐怖感が13世紀のモンゴルの支配に起因してあります。ヨーロッパではモンゴル系の人々を、ギリシャ語で「地獄の住人」を意味するタルタロスに重ね合わせて、タタールと呼びました。15世紀末まで続いたモンゴルによるロシア支配を指して「タタールの軛」と称しています。野蛮な黄色人種が白色人種のキリスト教文明国の脅威となるという黄禍論については、ドイツのヴィルヘルム2世が、ドイツが東アジアにおいて軍事的な拠点を得るために日本の進出を牽制するとともに、ロシア皇帝ニコライ2世に日本と対抗させて東アジアに目を向けさせ、ドイツへの軍事的圧力を避けさせるためにも大いに利用されました。
歴史、特に戦争は、憤怒と侮蔑の連鎖から起きます。理解と敬愛の連鎖からしか、非戦平和の歴史は築かれないものです。日清戦争・日露戦争の時代に生きてこのことを理解していた日本人も少なからずいました。当初、日清戦争を義戦と唱えた内村鑑三は、戦後(1905年)、それを「略奪戦」だったと考えを変えます。さらに日露戦争後の演説で「日清戦争はその名は東洋平和のためでありました。然るにこの戦争は更に大なる日露戦争を生みました。日露戦争も東洋平和のためでありました。然しこれまた更に更に大なる東洋平和のための戦争を生むのであろうと思います。戦争は飽き足らざる野獣であります。彼は人間の血を飲めば飲むほど、更に多く飲まんと欲するものであります」と、覇権主義の暴走を批判しています。日本最初の社会主義政党を結成した安部磯雄も「日清戦争といい、日露戦争といい、その裏面にはいかなる野心の包蔵せられあるにせよ、その表面の主張は韓国の独立扶植であったではないか。しからば戦勝の余威を借りて韓国を属国視し、その農民を小作人化せんとするが如きは、ただに中外に信を失うのみならず、また我が日本の利益という点より見るも大いなる失策である」と、1904年記しています。歴史認識に対する誠実さをもつ深い賢さが必要な気がします。

子ども人権SOSミニレター炎上をあえて歓迎したい

今月、大阪府の人権擁護委員が回答した「子ども人権SOSミニレター」の内容を批判するSNS投稿がニュースとなりました。確かにコロナ感染を怖がる子どもに対して「あきらめて」通学を勧めるのは、思慮を欠いていました。学校や教育委員会の判断を無批判に受け入れがちな大人の考えではそうなります。そもそも人権保障にかかわる唯一の正答はないと思います。ただ、今回、逆説的な効果として子ども宛の回答を読んだ母親がその内容に疑問を感じてSNS投稿を行った結果、レベルはまちまちでしょうが、1日で5万件超の反響があったそうですから、その中にはおそらく子どもが受容できる回答もあったのではないかと思います。いろんな意見に接するきっかけに「子ども人権SOSミニレター」がなった点は、思わぬ副産物効果でした。今回のニュースは、先日の地元の人権擁護委員の研修会でも取り上げられ、こういう批判の的になるなら回答執筆を避けたいと委縮する委員の声もありました。しかし、今回の回答がなければ、SOSを発した母親の行動がなければ、その子どもの人権侵害が握りつぶされていたことでしょう。人権擁護委員は全国でたかだか14000人です。しかも質的に高い人材とは限りません。社会の集合知や委員の知見の向上につながるのならどんどんSNS投稿炎上してもらいたいと思います。

学び直しの機会

昨夜のBS放送大学の日本政治外交史では、戦後日本の領土問題を扱っていてついつい見入ってしまいました。もちろん大学時代に同名の講座は履修しましたが、時代区分としてはせいぜい第二次世界大戦前期までだったろうと思います。なんせ担当教授自身が学徒出陣で神宮競技場を行進された世代でしたから、戦後はまさに現代もいいところで歴史的資料に基づいた研究の対象ではなかったといえます。そのこともあって21世紀となって20年も経った今だからこそ見えてくる戦後の歴史があるのだろうと思います。まだ学んでいない時代に向き合いたいと思います。

進化論の誤用についての覚え書き

最近とある政党がSNSに掲載したイラストでダーウィンの進化論を誤用した表現があったことが話題になりました。同様のことは私も見聞した経験があり、昨年3月22日の本投稿でも指摘していますが、地元の小学校長が卒業式でこの誤用論を取り入れた式辞を卒業生へ贈っていました。その場に出席した私は、この無知な学校長に閉口させられました。いずれ卒業生へ対して当時の式辞について誤りを認めて撤回し、謝罪してもらう必要があると思っていますが、往々にして自称教育者にはこうした器量がないので、困難かなとは思っています。
そこで、この誤用問題のまとめを記して永く記憶に留めたいと思います。まず、1859年、ダーウィンが発表した「種の起源」の要点は、環境に適応したものが生き残る「自然選択」で生物が進化するという理論の提唱でした。ところが、1963年、米ルイジアナ州立大学の経営学の教授が、「種の起源によると、最も強いものが生き残るのでもなく、最も賢いものが生き残るのでもない。生き残ることが出来るのは変化できるものである」という誤った解釈を論文に書いたとされています。この誤用の始まりを指摘している、英ケンブリッジ大などの研究チームは、「変化するものではなく、たまたまある環境に適応したものが生き残る」「変化しない方が有利な時や、生き残りに不利な変化もある」「個人や組織の進歩や改善と、生物が世代を重ねる中で起きる進化は全く別の現象」が正しい解釈と示しています。進化論は障害者を抹殺したナチズムの優生思想においても悪用されてきた歴史もあり、人権教育を推進しなければならない学校現場における誤用はなおさらあってはならないことです。

オンライン研修も工夫次第

オンライン研修が所属団体でも開始されています。本日午後も全国版のセミナーを受講予定です。ただ、プログラムや事前の資料を見ると、90分超の講演が2コマあり、少し重たいなという印象です。これがビデオオンデマンドで休み休み視聴できるのならまだしも、ライブ配信では受講者の集中力が続かない構成です。それぞれ半分の時間で言いたいことは2つ3つ程度にして、興味のある方は資料をご覧くださいの方が効果は高いのではないかと思います。講師が中央省庁のお偉いさんということで主催者が体裁重視になるのもわかりますが、運用方法には工夫が必要です。地元単位会でも研修会のVOD配信を行いますが、企画段階からそのあたりを意識したいと思います。

オンライン授業の効用

昨日、ある国立大学の父母向け説明会をオンラインで視聴しました。例年は学内で実施されているものですが、今年は新型コロナの影響で初めてネット越しに開かれました。ZOOM映像をユーチューブ配信される形式でしたが、終始テンポよく進められ1時間強という時間の割には内容豊富という印象を受けました。時節柄オンライン授業導入の効果についての説明に時間が割かれました。概ね効果が高いようには思えました。まず教室移動のロスがないため、他学部の学生も受講しやすくなり、講義によっては受講者数が倍増したそうです。大教室よりも講義が見やすい聴きやすい効果があり、学生からの質問が増えたという声も多いということでした。講義途中で写真画像や動画といったメディアの併用ができるメリットもあります。またリモートで外部の実務家や海外の研究者の講義参加も可能とあってずいぶん幅が広がった印象があります。もちろんデメリットとしては、学生同士の交流ができづらいとか、実習型の触って学ぶことができない点はあります。その点についても研究室で朝礼やランチ会、飲み会をいずれもオンラインで行う工夫がなされていました。

学問は大事

先日ある政党の広報素材でダーウィンが記したという有名なフェイク格言が使用されているとして話題になりました。こうしたファクトチェックがなされることは歓迎です。このフェイク格言については昨年3月の地元小学校卒業式における学校長式辞でも引用されており、その無知さに当時出席した私も閉口した思い出があります。また、あるメディアの世論調査で再委託先の調査会社がデータをねつ造していたという報道がありました。いずれも真実の追求という意味では学問的手法に通じる出来事でした。

県高校総体の代替大会実施へ

今年度開催中止となった熊本県高校総体の代替大会をウエイトリフティング競技においては7月18日に実施する計画が決まりました。参加対象は3年生中心に2年生までとなります。本競技に限らずスポーツ選手としての活躍を夢見て進路を考えてきた高校生には大幅な見直しが迫られていると思います。たとえそうでなくてもいろんな仕事に栄枯盛衰があります。こういう分野にはこのようなリスクがあると知るのも経験です。じっくり将来を考えて対策してほしいと思います。

オンライン検定試験を増やしたい

このところオンライン申請やオンラインセミナーが社会に浸透しつつありますが、もっと充実させる必要があるのが、オンライン検定試験です。以前職業訓練の受託運営に携わっていたときには日本商工会議所や弥生会計のネット検定を訓練生に受けてもらってました。検定というのはその実力が最も高いときに受験した方が合格の可能性は高まります。年数回の会場集合型の試験では、当日の気象条件にも左右され、中止や代替日開催設定が難しいですが、ネット検定であれば受験日時の移動の融通は利きます。問題は、時々で変えることも容易です。受験者ごとに変えることも可能ですので、カンニング防止対策にもなります。行政書士試験も法律上は年1回以上実施しなさいということになっていますので、毎月行えば受験者数を分散化できますし、同一日程で時間差別に実施することもできます。会場や情報端末の規模も抑えることができます。それと合否結果が瞬時に出ますので、開業も再チャレンジへの行動も早く行えます。国家試験において導入を進めるべきだと思います。

責任は問わなくてはならない

今年3月、一昨年度に市内小学校で発生したいじめ重大事態に関する、市いじめ防止等対策委員会による調査報告がまとまり、答申が出ました。この事件については、周辺情報を知る立場にあり、市教育委員会へ対応を求めてきました。そこで、このたびの答申書の情報開示請求を行い、情報開示が認められ、本日その内容を確認することができました。学識経験者、弁護士、社会福祉士の3名の委員による事実調査と提言は、公正的確な内容と受け止めました。なぜ防げなかったのか、対策に失敗したのかが、冷静に分析されています。広く教育関係者に読んでもらいたい教材となっています。そして当然のことですが、この重大事態をもたらした当時の学校や教育行政関係者の責任もあると思います。この答申では、そうした責任について直接的な記載はありませんが、全体としてはそれが浮き彫りになる構成になっています。私としては、市としてなんらかの処分を下すべきだと考えます。

考え方まで横並びでは困る

新しい生活様式の中に、家庭内での対面ではなく横並びでの食事というのがあって、昔日の映画「家族ゲーム」を思い浮かべました。しかし、横並びというやつは、すでに思考様式には入っていて感染者がまったくいない地方のへき地校でも休校させる意味があるのかと思いますし、逆にオンライン授業コンテンツが優れていて無理に能力の低い教師を使わなくて済むなら平常時からもっと登校コストを減らす学校運営の推進があってもいいのではと思っています。世界的パンデミックといいながら近隣では台湾や韓国のように対策が優れていた例もあります。ついつい無責任を生み出す横並び意識を転換する新しい思考様式が求められています。

いじめと闘えるか

昨夜放映の「NHKスペシャル いじめと闘う熱血先生」を視聴しました。10年前に川崎市で起きた中学生のいじめ自死事件の調査報告を教育委員会で担当した経験のある教師が、それを繰り返させまいと、今年度担任となった小学5年生の子どもたちと向き合う記録映像となっています。子どもが大人を変えることが可能と理解させる授業を通じて、教師と児童という関係そのものから見直す真剣さが伝わりました。自死した中学生の両親を事件から10年経った命日に、当時の教育長と共に訪ねる場面もなかなかできることではないと思いました。事件や子どもから学べる大人にしか教師は務まらないと思いました。今年、市や各学校のいじめ防止等対策の基本方針が見直されますが、その内容をじっくり見てみたいと考えています。犯人が法律を作ることにならないようにしたいものです。

読書に親しむ

近年は文学作品を手にすることは少なくなっていましたが、中高生時代は多読していたと思います。幸い今は時間に余裕があるので、昨日も中学生のときに読んだザミャーチンとブルガーコフの作品を読み返しました。いずれもロシアの作家です。作品にはスターリズムの負の影が反映されていて、資本主義にしてもソ連型社会主義にしても発展と隠された奴隷制はセットではないのか、常に今日的課題なのではという思いがします。ずいぶん前に読んだ作品ですが、自分の市民感覚の素地が養われた過程を振り返られてそれも面白い体験でした。

9月入学をさわる時期ではない

学校の休校時間が長引いていることから9月入学の導入議論が降ってわいています。現在でも盛んに留学提携の制度がある中でそれに合わせるメリットは感じられません。入試の季節のことをいうなら夏の時期も台風とかで日程変更を余儀なくされるリスクはあります。学習の遅れを埋め合わせる方法も時間もまだ11カ月あります。今その議論が必要だとは全く思えません。軽々しく口にする首長の思慮の無さの方が危ないように思えます。