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体育大会は嫌いだ

小中高を通じて基本学校は好きではありませんでした。今でも特にこの時期は学校周辺を通りかかると体育大会の練習の声が聞こえてきます。コロナ禍前には本番の大会に招待されて見に行ったことがありますが、行進などはどこぞの軍事パレードのようで気持ち悪くなります。当事者であった時代もこの本番に向けた練習などは、号令で一糸乱れるように子どもを調教するのがだれかのための満足だけにあるようで、まったくバカげているとしか思えず、まるでやる気が起こりませんでした。学校で唯一落ち着けるのは、昼休みの図書室だけで、小学校では毎日小学生新聞、中学校では世界、高校では朝日ジャーナルを手にすることが多かったように思います。たとえば、中学生の時にはどんな職業に関心が高かったかというと、作家でした。それもいわゆる純文学ではなく五味川純平のような戦争文学を好んで読んでいましたから、書くことよりもとにかく社会の根っこを知りたいという願望が強かったように思います。なので、作家になるためにはどうしたらいいかという方法論を考えることはありませんでした。当時の思い出として同じ中学のある生徒が将来の目標として地元の国立大学の法文学部に進んで、やはり地元の県庁に入りたいと話しているのを聞いて、相当衝撃を受けた記憶があります。まずそのような「コース」があることを当時の私は知りませんでしたし、それが優れて価値のある職業選択だという意識もありませんでした。ただただ驚いて他の人は非常に現実的な進路を考えているのだなと思いました。
写真は1989年のメーデーを迎えたときのサンクトペテルブルクで見かけたソ連兵の一団。

さてGW期間なのだが

諸事にかまけているうちに、世の中はGWになりました。コロナ禍初年の2年前は、ロシア文学の著作の再読に取り組みました。『収容所群島』を著したソルジェニーツィンといった、いわゆる反体制作家の作品は中学生時代から親しんでいて、政治に関心を高くもてるようになった遠因だろうと考えています。冷戦時代のソ連圏は閉ざされた秘境のような存在であってロシア語を学ぶ機会と言ったら大学以外にはNHKラジオのロシア語講座ぐらいしかなかったと思います。当時の講師は江川卓(※「すぐる」ではなく「たく」)さんだった記憶があります。ただ、現下のウクライナ侵略の負のイメージもあってか、今年度からNHKのそれはなくなったと聞きます。むしろ、良心のあるロシア人に向けたアプローチが大切な今の時代だからこそ、ロシア語の素養も求められるのにと思います。幸い放送大学では講座があるので、聴いてみるのもいいかと思います。キリル文字の音を読み取ることぐらいしか私の場合できないのですが、それでも読むだけでお互い人間なんだ理解できると考えます。
写真は、これから読む予定の本です。

思考能力について

初等・中等教育の公立学校経営者あるいは教員出身の教育委員会勤務職員と接すると、しばしば仕事への取り組み方に疑問を覚えることがあります。
本日、教育委員会から自宅へ届いた文書は、ある委員会への出席を求めるものでしたが、それは私を委員として委嘱することが決定していて差し出したものなのか、委員選出母体代表者宛に構成員のだれかに出席を求めて送り付けられたものなのか、はなはだ意味不明でした。前者であれば、あて名を私宛にすべきですが、そうではなく、文書中に別紙参照とある委員リストと思われる別紙自体も同封されておらず、内部の文面・送付内容物チェックが疎かである実態が浮き彫りになっていました。もともと委嘱の相談もないのですから、送付はなんでと思うばかりです。後者であれば、私の自宅へ送るのが間違いで、選出母体となる機関の事務局を通じて依頼するのが本来の手順です。
別のエピソードも記しておくと、前校長時代にいじめ重大事態が発生したことのある学校を昨年一度訪ねて懇談した際に、校内のいじめ防止対策委員会は外部委員も入れて基本方針通りに開いているか尋ねたことがありました。そしたらコロナ禍を都合良く言い訳にして外部委員を入れて開いていないことを後任校長が答えてくれました。子どもたちへは決まりは守りなさいと彼らはいうのですが、彼ら自身が行動するときに根拠法律や要項の理念を理解して動くことはありません。思考能力が欠けているのではとよく感じます。
写真は1997年9月に訪ねた中国・天津の商店街風景。ロバ肉が売られていました。

蘊奥の窮理

毎年東京大学入学式は注目されて報道で取り上げられますが、昨日午後に行われた東京大学大学院入学式のインターネット動画配信を視聴してみると、新入生の声を拾うよりは、知の最前線に立つ研究者が抱く思いに耳を傾けてみるべきだと思いました。というのも、大学院入学の対象者は修士課程学生と博士課程学生であり、人数から言っても前者の方が多いのですが、式辞を述べた研究者の発言内容は圧倒的に後者に対するものだったからです。実際、修士から博士進学率は1割を割っており研究者はたいへんな危機感を抱いているのだと思います。分かりきった正解を早く導く能力をないに越したことはないですが、この問題が非常に重要だと発見したり、問題解決の選択肢を設定したりする能力が非常に大切で、このレベルに至るには学部卒業ぐらいでは容易ではないと思います。博士号を有する人材が枯渇することは日本の地位の低下のみならず、世界への貢献度・存在感の低下にもつながります。このままではいけないとの思いを強くしました。写真は先端研が入る駒場リサーチキャンパスの風景です。

惨劇を直視しよう

ウクライナで起こった戦争犯罪の実態が次々と明らかになっています。日本国内での報道では遺体の映像が加工されていますが、死者の尊厳の議論を考慮しても加工する必要はないと考えます。惨劇だからこそありのままの蛮行の証拠を直視して知り、次にどのような行動をとるべきか人類は考えなければならないと思います。
衝撃的な映像がもたらす子どもへの影響についていえば、放送時に予告するなどの対策を講じることは必要だとは考えますが、中学生以上の学齢では戦争の現実を知ってもらうことが重要なのではないでしょうか。
私の読書体験では、中学時代から戦争文学や反体制ルポルタージュに接しました。学校の図書室にあったベトナム戦争における米軍が起こしたソンミ事件の本には虐殺された遺体写真が載っていたのを記憶しています。五味川純平の『戦争と人間』では、皇軍が中国大陸で繰り広げた戦争犯罪を描いていました。『海の城』では、軍隊内ではびこるいじめが描かれていましたし、ソルジェニーツィンの『収容所群島』では、過酷な強制労働の実態を告発していました。また、雑誌『世界』(職員室から図書室へバックナンバーが回ってきていました)で連載されていたT・K生による「韓国からの通信」では、隣国における軍事政権vs民主化の現実を知ることができました。権威主義体制が必然的にとってしまう誤った道がそこにあること、ともすればそれは繰り返えされるということを学べたと思います。
写真は1989年5月に当時ソ連のキーウを訪ねた際のものです。場所は独立広場です。右端奥の建物は、4つ星のウクライナホテルで今も同じ外観です。5月上旬はメーデーから対独戦勝記念日にいたる祝祭の時期で、街頭は飾り立てられもっとも華やいでいます。今年はこれとはまったく違った風景になっていることだと思いますが、それでもマロニエの花だけは咲いているかもしれません。

アジア5位

IMFの統計によると、一人当たりのGDPのアジアにおける日本の位置は5番目になっています。1位はシンガポール、2位はブルネイ、3位は台湾(2009年に抜かれる)、4位は韓国(2018年に抜かれる)です。中国は日本の半分ほどしかありませんが、今の互いの成長率を見ると、これも近いうちに抜かれるのは確実です。日本の今後のカギは研究開発となります。そのためにも国内はもちろんのこと、海外からも優秀な人材を集める必要があります。先端技術の情報漏洩についてはもちろん防止しなければなりませんが、これについては国籍で違いを設けるのではなくさまざまな管理体制を実効力のあるものにして対処すべきだと考えます。写真は、谷津干潟。

時間の終わりまで

先月身近な親族の死に接したところで、ブライアン・グリーン著の『時間の終わりまで』(講談社、2600円+税、2021年)を手にしています。600ページを超える著作ですが、宇宙や生命、意識といった謎を分かりやすく説明してくれています。石とウサギの違いは何なのか、その一つとっても説明できるは人間だけですが、すべての人間が説明できるわけでもないわけで、どう生きるべきか考えたいと思います。

親ガチャと格差の自動化

今年から目にするようになった用語に「親ガチャ」なるものがあります。子どもの貧困が、子どもが選べない親の経済力などの資質に起因することを受けて、自分の親の当たりはずれを揶揄する表現としてあるようです。確かにさまざまな先行研究で親の学歴や蔵書数の違いが子どもの学歴の高さと比例する関係にはあります。結論から言えば、どのような親の子どもとして生まれてきても教育や福祉の機会が受けられる社会創造に政治(立法と行政)の役割があり、その実現に向けて子どもの有無にかかわらず大人が行動する責任があります。表紙の写真は次に読む本で、サブタイトルには、「デジタル化がどのように貧困者をプロファイルし、取締り、処罰するか」とあります。米国の警察モノのTVドラマでは、犯罪発生後に市民の個人情報が捜査当局にいとも簡単に把握され、容疑者や証人の確保に役立つシーンがしばしば登場します。その点では、米国と対立する権威主義国家と同様以上の管理社会の姿が見えてきます。所得の再分配に寄与するデジタル化なら理解できますが、支配を容易にすることだけなら考えものです。

校則は主権者教育の良き教材

本日の地元紙で、昨日の地元市議会でなされた一般質問の話題が取り上げられていました。それによると、中学校の校則でツーブロックのヘアスタイルが禁止されているそうです。答弁に立った中学校長上がりの教育長は「中学校が『華美』と判断したと考えられる」と理由を学校のせいにしたうえで、「生徒が主体的に話し合う機会をつくり、PTAなどへのアンケートも実施して、時代の変化に合わせた必要な見直しをしていく」と見直しの可能性をアピールしてみせました。このツーブロック髪型禁止をめぐっては、昨年3月の都議会でも議論(このときは都立高校の校則)があり、なぜ禁止するのか問われた教育長が「外見を理由に事件や事故に遭うケースがあるため」と発言し波紋を呼んだことがありました。どのような髪型にするかは、まさにその人の個性の主張であり、人権の一つだと思います。自衛隊や警察、消防といった汗をかきやすい現場に携わる人たちにもツーブロック髪型は多いように感じるのですが、それを見て「華美だ」とか「外見を理由に事件や事故に遭うケースがある」とは到底思えません。むしろ教職員が凛々しい若者の姿に一方的なやっかみを感じてこうしたバカげた校則を設けたのではないかと思います。どのような校則が本当に必要なのかまずは生徒自身に考えてもらうことが主権者教育になるかもしれません。
写真は記事とは関係ありません。

アフガニスタンの子どもたちの教育は

アフガニスタンの政権があっけなく崩壊しました。同国と日本とのかかわりでいえば、故・中村医師のような民間での支援が思い起こされます。私も3年前に公益財団法人ジョイセフを通じて子どもが使っていたランドセル2個と未使用の文房具を同国の子どもたちへ寄付しました。子どもたちとりわけ女子の教育支援が必要とされているなかにあって見知らぬ誰かの役に少しでも立っていればと期待しましたが、これからどうなるのか憂慮しています。こうした混乱した地域への支援は、必ずしも政府間のそれが有効とは限りません。相手の政府関係者が中間搾取してしまうことがあるからです。日頃、多くの日本国民が目にすることはないと思いますが、外務省や国家公安委員会が告示しているタリバンリストというものがあります。これは、国際連合安全保障理事会決議に基づく資産凍結等の措置の対象となるタリバーン関係者等を指定する情報リストです。たとえばアルカイダと資金面でかかわりがある人物の個人名やパスポート番号等が官報に掲載されています。私たち行政書士は、こうした人物から業務の依頼は受けられません。同様に企業もそれらの人物との取引は行えません。それはともかく、これから先ますます民間同士の支援が重要になります。日本政府の出番があるとすれば、難民や留学生の受け入れを増やすことではないかと思います。

東アジアの時空を知るには

今月、地元紙・熊本日日新聞の「わたしを語る」欄において、思想史家・京都大名誉教授 山室信一「熊本発 アジアの時空を歩く」が連載中です。同氏の功績を知るには、著書を読むか、謦咳に接するかが一番です。私が大学在学中の1983年度の1年間だけ非常勤講師として政治学科の専門科目を開講されていたのを知ったのはずいぶん後のことで惜しい思いをしました(コメント写真は当時の履修要覧より)。講演でナマの姿を拝見したのは、2013年に熊本市で一度だけあります。昨日の朝日新聞には切れ味の鋭い歴史の見方が載っていて、ほんとうはこういう視点を引き出す力を地元紙にも求めたい思いました。連載の後半に期待したいものです。

徳川思想小史

昨年100歳で亡くなられた近世日本思想史が専門の源了圓著『徳川思想小史』(中公文庫、1000円+税、2021年)を読んでいるところです。もともとは2007年に中公新書から刊行された著書ですが、文庫版ではエッセー「自分と出会う」と小島康敬筆解説、人名索引が追加されていて、著者の人となりや学術書としての利便性が増しています。一読して感じるのは、著者の博識です。執筆対象は主に江戸時代の日本の思想家ですが、東洋はもとより西洋の思想の流れにも明るいことがうかがえます。それと、当時の思想家を描く文体にも漢学の素養が随所に光り、心地よい感じがします。私は、かつて著者が執筆した高校の教科書で学んだ経験がありますが、それから40年以上経って今もこうして学べることをうれしく思っています。

学校と社会の常識格差

先日、3年ぶりに開かれた地元小学校との情報交換会に参加する機会がありました。常日頃、学校での常識と社会の常識との格差を感じる点があって、意見を述べさせてもらいました。
1.法的義務を果たしているか? 例に挙げたのが、学校におけるいじめ防止対策委員会の活動についてです。いじめ防止対策推進法では、学校内だけではなく外部の専門人材も入った委員会の設置義務があるのですが、当該校ではこれが果たされていませんでした。学校内のメンバーだけでの委員会ではどうしても学校長の判断が優先され、組織的に適切な対応ができないことが多く、仮にいじめ事態が発生しても対応を誤る可能性が高くなります。コロナを理由に外部人材を入れていませんでしたが、法的義務を満たしていない点では変わりありません。
2.施策の効果を考えているか? 当該校では環境教育の一環として「無言そうじ」を取り入れているのですが、結びつき理由が不明です。この「無言そうじ」は福井県の永平寺の修行僧らが黙々と掃除を行うことにならったものですが、おそらく修行僧らは環境保護のために行っているのではないと思います。社会の常識では、たとえば10分間の時間いっぱい黙々と清掃活動を行うことに意味を見出しません。それよりは、メンバー同士でコミュニケーションをとりながら効率的に清掃を行い、10分間という時間いっぱいかけるのではなく、5分間で終わらせて残りは自由に使える時間を作ることが、メンバー全体の利益にもなります。つまり、無言そうじは、子どもたちにロボットとして動かすことでしかないように感じます。子供たちに校則を作らせようとしている熊本市のある教育委員は、この無言そうじを否定的に捉えていますが、私も同意見です。
3.現実の把握能力、説明能力があるか? 今年度から当該校の学校運営協議会の委員を外れたのですが、毎年実施されている学校評価の分析についても奇怪な点があるので指摘させてもらいました。項目ごとに「4点:そう思う、3点:ややそう思う、2点:あまりそう思わない、1点:そう思わない」で評価した点数の平均点を、0~4点の横棒グラフで示されています。この評価点方式では、平均点3点以上でプラス評価となるのですが、横棒グラフの中心値が2点となっているために、平均点が2点台のマイナス評価であってもプラス評価であると誤認させる視覚効果を持たせています。評価コメントでも合格点である3点を割った結果についてもプラス評価しています。せっかくアンケートをとっても結果を正しく捉えていなかったり、不当に高評価へ見せるのでは、意味がありません。分析力がないのか、だまそうとしているのか、不信感を持たざるをえませんでした。

グローバル経済

表紙写真の本を読み始めました。商業高校では新しい社会科として「グローバル経済」を学ぶようになったそうです。本書は、その教科書がベースになっています。仕組みがわからないことには、さまざまな情報の判断もつかないですし、高校生だけでなく大人も読んでみるといいと思います。

科学と報道と政治

私も含めて大半の国民は学者でもジャーナリストでも政治家でもありません。政策が決定し法制化されるまでには、さまざまな知見の発表・報道があり、国民よろんの後押しもあって政治判断があってのこととなります。しかし、問題なのは既存利益を得ているグループは、これまたさまざまなロビイストを使って世論操作をして巻き返します。その場合、学者の活用がなされますが、たとえ肩書が教授だろうが、研究員であろうが、中には博士号も持たずもちろん論文も書かず学会発表の実績がない人もいます。学会には属せず、実態不明な○○会議、○○研究所の肩書頼りの例もあります。そのため、ある分野の学会では常識的な見方として確定しているのを隠して、あたかも学者の意見で大きな対立があるかのような宣伝を行うことを仕事にしている人もいます。そうした人についてはメディアでの露出を控えてもらいたいものですが、外見やトーク力だけで影響を及ぼしがちです。写真の本を読み終えてエセ学者に騙されないようにしなければとつくづく思いました。

知の巨人のもしも

立花隆氏についてのけさの朝日新聞の「評伝」で興味深かったのが、科学少年だった同氏が「色弱であるために理系に進学できない」という当時の誤った指導により、文系の道に進んだというエピソードでした。「評伝」では、田中角栄を追い詰めた金脈取材で「10年は損した」と語っていたことも触れられています。後に科学分野の取材に熱意を傾けたように、誤った進路指導や金権政治家がいなければ、もっと科学分野で多大な功績を上げた研究者としての同氏の存在があったかもしれません。そもそも指導の過ちが判明したのも科学の成果とするならば、これまでの人材的損失はいかばかりかと思います。

世界的地位が低下している

たとえば入管行政や入管申請取次に携わる関係者を見渡してみると、関係法令にはうるさいけれども国際関係についてはほとんど知識がない人が結構多いように感じます。これではまっとうな難民審査は行えません。同様に安全保障にかかわる防衛関係者も装備品については詳しくても国際関係には疎いように感じます。これでは戦略を誤ってしまいます。日本の場合、いろんな組織のリーダーの学歴が意外と低いものです。もっとも学歴とはいっても名ばかりの大学の教員の資質も低いのが問題かもしれません。世界のリーダーのパスポートが博士号が標準となっている現代において学部大学の偏差値ランキングや就職先の規模の大きさで個人の能力を誤って評価しているようでは、どんどん世界に後れをとっていくように思います。写真は次に読む本です。

ユースエール認定企業について

男性が育児休業をとりやすくすことなどを目指した改正育児・介護休業法が成立する見通しになったと、けさの新聞では報じていました。今月から新卒予定の大学生の採用面接が本格化していますが、男性の育休が取りやすい企業かどうか、学生側が判別することは難しいと思います。当社が従事したことのある高校生向けの就職ガイダンスでは「ユースエール認定企業」について紹介していますが、熊本県内でこの認定を受けている企業名は残念ながら承知していません。一応、触れ込みでは「ユースエール認定企業」とは、「若者雇用促進法」に基づき、若者の採用・育成に積極的で、若者の雇用管理の状況などが優良であると厚生労働大臣が認定した企業とされています。認定基準を例示すると、「直近3事業年度の、新卒者などの離職率が20%以下」「前事業年度の、正社員の月平均の所定外労働時間が20時間以下かつ、月平均の法定時間外労働60時間以上の正社員がゼロ」「前事業年度の、正社員の有給休暇の、年平均の取得日数が年10日以上または、年平均取得率70%以上(付与日数に占める取得日数の平均)」などとなっています。その「ユースエール認定企業」を調べるには、厚生労働省が運営する「若者雇用促進総合サイト」があります。いろんな検索条件で探せるのですが、ヒット数が驚くほど少ないので、反面、希少価値はありますし、応募対象つまり就職活動先も絞りやすいかもしれません。

ミランコビッチサイクルと人新世

地球に気候変動を起こす原因としては、地球の回転運動によるものと人類の産業や消費の活動に伴うものとがあります。前者の地球の自転運動や公転運動の周期的な変化はミランコビッチサイクルと呼ばれます。過去70万年間に限ると10万年周期であって、公転軌道の離心率、自転軸の傾き、自転の歳差(自転軸の方向)といった3つの変化があり、北半球の高緯度における日射量の変動により、氷期と間氷期という寒暖の入れ替わりがもたらされるそうです。後者は、人新世と称されますが、化石燃料消費や永久凍土融解による地中有機物分解促進からくる二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガス発生があります。問題なのは、人新世の影響が、地球の回転運動の周期と氷期と間氷期という寒暖の入れ替わり周期との時間スケールにズレを生じさせることになるということと、氷期と間氷期それぞれの平均気温を変えてしまうということにあります。現在生きている人類はまだ大きな弊害を受けないうちに亡くなるかもしれませんが、遠からず人類が生きていけない地球へ変化する危機は現に存在します。こうした知識について今の学校教育では学んでいるらしいです。高齢者でも何ができるか考える必要があります。

部分的なつながり

インターネット配信で今年の東大入学式の映像を視聴しました。新総長がコロナ陽性に伴い、式辞は理事・副学長の一人が代読となっていました。聴いていて印象に残ったのは、教養学部長の式辞でした。多様性と同質性について考える内容でした。万物が同じであれば、万物は存在しないわけで、「東大生」という同質性に預かってしまっては、異質は見えてこないということだと思います。同時に「部分的なつながり」があるということは、時空を超えて「無関係」はないということです。科学技術に限らず、政治課題もそうですが、何事も関係がないということを知り、関心を寄せるということが、学問なのかなと思いました。