設楽博己編『日本史の現在1考古』(山川出版社、3300円+税、2024年)は、タイトル通り考古学研究の最前線を教えてくれる本なのですが、20本からなる章立てのなかに、菊池実氏による「近代日本の戦争遺跡を考える」論考が掲載されています。近代日本の戦争遺跡が、考古学的な発掘調査によって国内で初めて確認されたのは、2008年から2011年にかけて調査実施された熊本市山頭遺跡だそうです。これは1877年に勃発した西南戦争の遺構で、政府軍陣地跡からはスナイドル銃薬莢、薩摩軍陣地跡からは雷管といった遺物が出土しています。熊本県西南戦争遺跡は2013年に国指定史跡にもなっています。このように遺構や遺物は近代ですが、調査手法において考古学も活用されるので、本編に掲載されたようです。
近代日本の戦争遺跡の中でもとりわけ旧日本軍施設は、戦災による消滅だけでなく、敗戦時における意図的な破壊や関連資料の焼却、毒ガス弾に代表される砲弾類の処分など、証拠隠滅が徹底的に行われました(特に国外で多い。例:満州第731部隊跡)。そのような特殊な残存状況もあるので、考古学的調査研究の対象となりえる面があります。
本書では触れられていませんが、執筆者の菊池実氏は、「戦争遺跡保存全国ネットワーク」の共同代表を務めておられます。同会の目的は、「日本近代史における戦争の実相を調査研究して記録し、戦争遺跡を史跡、文化財として保存し、もって平和の実現に寄与しようとする団体・個人の連絡・協議を推進すること」とあります。本書p.241においても「戦争遺跡は過去の文化における負の遺産、しかも忘れてはならない事実の厳粛なる遺構でありモニュメントである。さらに地域が戦争で失った貴重なもの(それは人命であり、地域の自然や文化である)、そして地域が戦災のあと復興し生きてきた歴史(地域の開拓など)を考えるうえからも、戦争遺跡の調査研究・保存活用は重要なのである。」と書いておられます。
上記の全国ネットワークの運営委員の一員である高谷和生氏が実行委員を務める「空襲・戦跡九州ネットワーク」の第11回菊池集会が11月23-24日に開かれましたので、受講参加しました。率直な感想として発表者のレベルがまちまちでした。軍事史研究に傾倒している報告や発表者の問いが何で結局何を伝えたいのか分かりにくい報告もありました。いろんな調査研究の切り口があるのですが、単に調べましたで終わって歴史の中にその事実をどう位置づけるのかまで至っていないと感じるものもありました。たとえば発表スタイルをフォーム化したり、要約を事前提供してもらい査読修正の機会を設けたりするだけでも、質が高まるように思いました。
もっとも発表者のすべてがアカデミア出身ではありませんし、そういう発表の体裁に対して意見するよりも、まず活動を行っていることに対して敬意を払うべきという考えもあります。今回の開催地の菊池(花房)飛行場ミュージアムの運営を行っている団体では、地元の方のボランティアでその活動が成り立っています。ミュージアムの建物は菊池市の所有ですが、光熱費その他経費はすべて団体からの支出と聞いてなかなか継続できることではないと感心しました。
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『日本史の現在1考古』読書メモ
このところ歴史学関連の書籍を手に取ることが多いのですが、それはかつて学んだ内容(といっても大学入試のときは受験科目として選択しなかったので10代のころはあまり学習していません)から変化しているため、新しい知識を得る楽しみがあるからです。設楽博己編『日本史の現在1考古』(山川出版社、3300円+税、2024年)を読むと、世界史的位置づけでは新石器時代にあたる縄文時代と弥生時代の区分について学ぶ内容が、現在の高校生以下と大学生以上においてでさえ異なることが分かります(その時代は、文字がありませんから文献はありません。日本の土壌は酸性なので、縄文時代以前の人骨は残りにくいとされます。貝塚から人骨が発掘できるのは、貝殻がアルカリ性であるためです)。しかし、現在の考古学では自然科学の手法を用いた分析が可能なので、それによって従来考えられてきた区分よりは遡らせる必要が生じてきました。具体的には、最新の高校日本史の教科書では、縄文時代に始まりは1万6500年前、弥生時代の始まりは約2800年前と書かれているそうです。ただし、縄文時代が日本列島内できっかり約2800年前に終わりを迎えたわけではありません。朝鮮半島や大陸に系譜を持つ稲作農耕を例にとると、その始まりは北部九州から始まったわけで、東日本まで反映されるには数世代、数百年の移行期があります。つまり、地域差があります。指導者やエリートが登場し、武器型青銅器や銅鐸が広まるのは弥生時代中期、鏡や鉄製品、金属製の腕輪が広まるのは後期とされます。もちろんそれらをもたらしたのは中国という先進世界があり、そことの交流があったからです。言うなれば最初の国際秩序は中国が主導していました。
時代が下って古墳時代になると、倭が朝鮮半島南部の鉄資源を確保するために、加耶と密接な関係がありました。おおむね5世紀ころ、倭は百済や加耶からさまざまな技術を学び、多くの渡来人が海を渡って、多様な技術や文化を日本列島に伝えました。乗馬の風習も朝鮮半島から学んだもので、日本列島の古墳に馬具が副葬されようになったのも5世紀になってからです。より進んだ鉄器・須恵器の生産、機織り・金属工芸・土木などの諸技術、漢字の使用や水筒・外交文書の作成、6世紀以降の儒教や仏教の伝来など、渡来人の役割は大きいものがあります。実際、山川出版社発行の高校の日本史教科書には、「日本列島の中での人々の歩み」は、「様々な地域との交流の中で、その影響を受けつつ展開してきたもの」であり、「日本史を学ぶ場合、いつの時代についても、周辺の国々をはじめとする各地域の歴史や、日本と諸外国との関係に目を向けていく必要がある」(p.161)と本書で紹介している点は、重要な箇所だと捉えました。
このように、日本史一つとっても、学ぶ内容は研究の進展で変化しているので、実は年配者ほど学び直しが必要ですし、地理による時代進行の差や、逆に国境や国籍によらないボーダーレスな人的流れに対する視座が重要だと考えます。つい1世紀前の1930年代を振り返ると、記紀神話を前提とした皇国史観が日本の歴史学界の主流でした。そのことをもってしてもいかに歴史学は日々発展してきたのかが分かりますし、学習の成果がなくエセ歴史に嵌ったまま大人になった皇国史観国民が多数現存している知の貧困状況があります。もしも政治に携わる者が、こうした国民の後進性を憂いていないとすれば、それは騙しやすく管理しやすい対象として国民をバカにしているのか、本人自体がバカかのどちらかになるかと考えています。
戦争遺産と著作権
日頃意識することはほとんどないのですが、私は日本行政書士会連合会が実施する著作権相談員養成研修を履修し、その効果測定に合格した者に付与される「著作権相談員(日本行政書士会連合会)」の一員となっています。その名簿は、公開されていて本年10月15日現在のものを確認すると、熊本県内においては35名の会員氏名が載っています。先日、この名簿情報のグレードアップ化に向けたアンケート回答を求める連絡が、単位会を通じて日行連から届きましたので、久々に著作権について、にわか学習の機会がありました。
とはいえ、著作権は、出願・登録することなく著作物の創作によって自然に発生します。それもあって、著作権を文化庁に登録できる制度がありますが、これを活用する例はあまりありません。ただし、著作権は譲渡も可能です。したがって、著作者が必ずしも著作権者とは限りません。そうした権利関係を対外的に明らかにしておきたいときは、登録の意味はあるかもしれません。
それでは、著作権者が不明な場合の著作物をたとえば複製利用したいときには、どうしたら良いかというと、これは文化庁の裁定制度を利用する手があります。相当の努力を払っても権利者と連絡がとれないことを明らかにしないといけない点に手間がかかりますが、利用が認められれば、しかるべき補償金を支払って利用ができます。大学入試の模擬試験教材を作成する受験産業の企業がこの制度を活用していたりします。
もっとも一般の個人が、著作権登録を行うことはまれですので、著作物の公表後70年を経ていれば、著作権の保護期間はないものと考えていいと思います。保護期間の間であっても、著作権を相続する人がいなかった場合は、保護期間が終了します。間違ってならないのは、著作物は無体物ですが、著作物が印刷された書籍・プリント等の紙は有体物であり、それには所有権があります。著作者が亡くなっていてもさらには著作権の保護期間が終了していても相続人がいれば、書籍等の所有権は存続しています。
最近、戦争ミュージアムの役割に関心があり、そうした場所で戦前・戦中に書かれた文章や撮られた写真に出会うことがたびたびあります。それで思うのは、あくまでも著作権法上の観点だけで言えば、それらおよそ80年以上前に公表された文章・写真等を複製して資料展示することは問題ないと考えます。歴史から得られる教訓は人類共有の財産として広く目に触れることが有益だと思います。
加えて今回のにわか学習では、教育現場での著作物利用に際してかなり注意を要する点が多いと感じました。著作権法第35条には、「教育」における著作権の権利制限が規定されています。「学校」の正規の「授業」での利用目的なら、著作物の複製や公衆送信(注:補償金必要)が認められます。そこで、注意したいのは「学校」に当たらないものとして、営利目的の会社や個人経営の教育施設、専修学校または各種学校の認可を受けていない予備校・塾、カルチャーセンター、企業や団体等の研修施設があります。それと、「授業」に当たらないものとして、入学志願者に対する学校説明会、オープンキャンパスでの模擬授業等、教職員会議、高等教育での課外活動(サークル活動等)、自主的なボランティア活動(単位認定がされないもの)、保護者会、学校その他の教育機関の施設で行われる自治会主催の講演会、PTA主催の親子向け講座等があります。コロナ禍で活用が増した公衆送信においては、教育委員会(公立)や学校法人(私立)が、一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SA RTRAS)に授業目的公衆送信補償金を支払って著作物の利用ができる方法もできています(著作権法第104条の11)。
これらの点は、戦争ミュージアムが実施する平和学習において留意すべきだと思いました。私の気まぐれ取得資格の中に学芸員というのもあるのですが、学習当時にこういった知財関係の法律知識を学んだ記憶がなく、現在の履修課程ではどうなっているのか、このへんもいずれ確認してみたいと思います。
戦争遺産から何を学ぶか
水俣病センター相思社が設立されて50年。11月3-4日に記念の集会が開かれました。4日は、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが記念講演を行い、国内や世界の貧困、差別、暴力について語ったうえで、「大きな力には、つながる力であらがっていくことが大切」と呼びかけたと、6日の朝日新聞熊本地域面記事にはありました。
相思社を初めて訪ねたのは設立10周年の年の頃でしたから、かれこれ40年の付き合いになるので、今回のイベントには大いに関心があったのですが、その催しの案内を受ける前に計画していた旅行に参加するため、残念ながら参加者の報告を通じて思いを共有することとします。
それで、同時期に訪ねた場所としては、長崎市の長崎原爆資料館や佐世保市の無窮洞がありますので、その訪問記を記しておきます。ちょうど訪ねた1週間前には私の地元校区の小学6年生たちが、修学旅行で長崎市の平和公園や佐世保市のハウステンボスを訪ねたと、聞いていました。自身にとっても、50年ぶりの長崎県方面への修学旅行のようなものとなりました。
まず、長崎原爆資料館ですが、こちらの建物は28年前に建てられたもので、私が小学生当時に訪ねた施設とは異なりますが、被爆した展示物の数々にはかつて見覚えのあるものが多くありました。被曝後に若くして亡くなった生徒・学生の日記の展示からは、今もガザその他世界各地で突然命を奪い去る戦争の愚かさを痛切に感じます。今年、被団協がノーベル平和賞を受賞しましたが、それに関連した展示はまだ見当たりませんでしたが、先に受賞したICANのメッセージビデオを視聴できるコーナーはありました。核兵器開発の歴史とそれに抗う核兵器廃絶の歴史を対比して見せるコーナーでは、核実験回数が最も多かった年は、キューバ危機が起きた1962年、自分の生年と同じ年だと知り、憂いを大いに感じました。その後も核兵器は存在し続けているわけです。人類が自ら滅亡する兵器を携えたままでいられるのは、どう考えても狂気の沙汰でしかありません。
これに関連して触れると、小学生が修学旅行で核兵器がもたらす悲惨さについて学ぶ一方で、地元の市議たちは、本年の9月定例会に提案された「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」を、賛成1対反対15の圧倒的差で不採択の議決をしています。請願者が共産党の支持者と目される人物だったので、ほとんどの市議はそこだけを賛否判断根拠をしてしまったのかもしれません。しかし、それならそれで、この請願の内容に反対票を投じるということは、自分が核兵器廃絶に対しても反対している立場を示すことになることを、どれほど理解できているのかと思います。どうやら、請願紹介議員の顔をつぶすのを目的とした、うわべの判断しかできず、自分の政治的信念に基づく政策判断ができない資質(=政治家としての志)の低さを感じます。
次に、無窮洞についてですが、これは1943年から1945年8月まで旧宮村国民学校の裏手に掘られた防空壕跡です。掘ったのは、現在の中学生の学齢に相当する当時の子どもたちで、洞窟には教室や書類室、台所・かまど、食糧庫、トイレ、非常階段が造られています。侵略戦争を是とする当時の教育内容にも問題がありましたが、戦時中は教育を受ける機会すら満足に得られない歴史があったわけで、当時の子どもたちが置かれた教育環境の劣悪さには哀しさしか覚えられません。しつこいようですが、不勉強な地元市議たちには、こうした戦争遺産を見学してもらいたいものです。
戦争遺産から学ぶのは戦争の愚かさだけではありません。いかにして戦争が始まらないようにするか、今起きている戦争はいかにして停めるかです。冒頭に触れた水俣病センター相思社の現理事長の緒方俊一郎氏は、球磨郡相良村において江戸時代末期から続く医院の6代目です。同氏の父は、太平洋戦争の前、陸軍菊池飛行場に併設された陸軍病院を建設する際にかかわられたそうです。そのため、同氏も菊池で1941年春に生まれ、幼少期は同地で暮らしていたと聞きました。そのこともあって、菊池の陸軍病院について詳しい話を聴くほか、関連資料を残しておられないか、改めてお話を伺ってみたいと考えているところです。
よりによって
イギリスの経済学者、ジョーン・ロビンソン(1903~1983)は、「経済学を学ぶ目的は、経済を語る者にだまされないようにするためだ」と言ったと、3カ月前に読んだ本(平賀緑『食べものから学ぶ現代社会』)に書かれていました。その論法で行けば、社会学の研究者には、社会を語る者にだまされない国民をひとりでも多く養成する使命があるのではと、勝手に考えます。
10月27日に水俣病センター相思社の理事会があり、翌朝、宿泊先の朝食会場で、理事のお連れ合いの社会学者と1時間ほど原発や戦争ミュージアム、歴史認識を中心に話をしていて、自然と話題は教育の役割や読解・言論リテラシシーへ移っていきました。その社会学者が語られるには、今の大学生は新聞を読まないし、事実は言えても自分の意見が語れず、教員が言葉を選ばないと学生に理解してもらえないなど、教員と学生の間での対話が成立しにくいということでした。いわゆる団塊の世代を頂点としてリテラシーは世代が若くなるほどに下がっているという見方をされました。私の周囲を見渡しても、たとえ難関大学卒の学歴を有する方や難関資格合格の専門職に従事する方であってもエセ歴史やエセ科学信仰に篤い例は多く見受けられます。文章を読む力がないとか、まともな文章を書く能力がないと感じる例によく出合います。
このことからも教育の果たす役割は非常に大きいと感じるのですが、来月、地元市主催で開かれる「こどもどまんなかの日」なるイベントの基調講演の講師に予定されている人物が、かつて「親学」を推進する「TOSS熊本」の中心メンバーであったフリースクールの経営者とあって、このような人物を講師として選ぶ市の思慮の欠如をたいへん残念に思いました。「親学」の提唱者や「TOSS熊本」のメンバーは、熊本県が全国に先駆けて2013年に制定した家庭教育支援条例に影響を及ぼしました。同条例は、親に対して「親としての学び」により「自ら成長していく」ことを義務付けるほか、(育児不安の解消や児童虐待の防止は、家庭教育のみで解決できる問題ではないのですが)公権力による保護者に対する過干渉というべき異様な内容が含まれています。TOSS は、科学的・学問的根拠はないヨタ話(「水からの伝言」「江戸しぐさ」)を教材として取り上げ、道徳教育にかかわっていたことでも知られます。加えて、同条例制定の「成功」に目を付けた旧統一教会の関連団体が、青少年健全育成基本法や家庭教育支援法の制定を求める意見書提出の請願運動を行い、本市議の一部が取り込まれたこともありました。
地元市の残念ついでにもう一つ事象を紹介すると、本年9月の定例市議会において「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」が、賛成1・反対15で不採択となっていました(「うと市議会だより第87号」p.15より)。昨年は賛成4・反対13での不採択でしたから、核兵器廃絶を希求しない不見識な議員がさらに増えたことになります。なんとも情けない限りです。
写真は宿泊先からの風景(湯の児温泉)。
金沢・敦賀雑感
10月20日に石川県金沢市、同月21日に福井県敦賀市を訪ねました。北陸方面はこれまで縁遠い地で両県へは初めて足を運びました。より正確に言えば、1979年の夏に山形県鶴岡市で開催された全国高校総体参加のため、国鉄の昼行特急(おそらく「雷鳥」)で大阪―鶴岡間を往復通過したことはあります。ついでに言えば、鶴岡滞在中に気温40度超えの経験に見舞われ、ずいぶん難儀した覚えがあります。
それでなんでまた金沢へかというと、能登地震に伴う災害復興支援で輪島市へ派遣されている地元市の職員を激励するために計画したものです。計画後さらに豪雨災害が発生し、心労を心配していましたが、無事に会うことができて、そちらはたいへん有意義な時間を過ごすことができました。
わずか5時ほどでしたが、金沢市で観光したところは以下の通りです。
①金沢21世紀美術館・・・2004年10月9日の開業以来いつかは行ってみたいと思っていましたが、実際行くまでは20年もかかってしまいました。当日の有料展はコレクション展で国内外の作家による造形作品が中心でした。ですが、個人的に楽しめたのは、たまたま同館の市民ギャラリーで開催されていた入場無料の「KOGEI TIDE 縁煌15周年展」でした。縁煌(えにしら)は、ひがし茶屋街に本社を置く美術商のようです。同展では若手作家70名超の作品が並び、特に陶芸では繊細な文様の作品が印象に残りました。今月は有田焼に薩摩焼、そして九谷焼に連なる焼き物まで鑑賞できて、ずいぶんと贅沢な体験をしました。
https://www.enishira.co.jp/artist/
②兼六園・・・さすが加賀百万石の前田さんちの庭だけに細川さんちの水前寺公園に比べると広いなというのがまず実感でした。ですが、これもまったく個人的な経験になるのですが、今年8月に島根県の足立美術館へ行ってしまったがために、見る庭園としては雑然とした造りに思えてしまいます。だれでも園内を歩ける庭園としてこれからも観光名所として君臨することは間違いなさそうです。
③金沢城公園・・・ここも広いなというのが最初の印象。本丸は復元されておらず、跡地は森となっていますので、そこまで足を運ぶ観光客は少なそうだと思いました。金沢市中心部で能登半島地震の被害の痕跡を感じる場所はありませんでしたが、唯一、金沢城の石垣では崩れたところがあるを知りました。復元された建造物の中に「菱櫓」がありますが、櫓の角が80°あるいは110°になっていて、その昔にそうした軸組を可能にした建築工法があったことがたいへん興味深く思いました。
④ひがし茶屋街・・・ここは街並みを眺めただけです。和服姿で散策する観光客が目立ちました。
⑤金沢市立安江金箔工芸館・・・金沢城を訪ねたときに豊臣秀吉が築城させた名護屋城跡の雰囲気(眼下に海は見えませんが)に似た感じを抱いていたところに、金箔の沿革を示す年表に「当地における箔打ちは、加賀藩祖・前田利家が文禄2年(1593)豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋(現在の佐賀県)の陣中から、七尾で金箔を、金沢で銀箔を打つように命じたことから、16世紀末には行われていたことが明らかになっています。」とあったことから、頭の中で、黄金の茶室や名護屋城とのつながりを勝手に感じました。同館を訪ねたときは、館のガイドがフランス語で団体観光客へ展示内容を説明していましたので、かなり海外からの入館者も多いのだろうと思いました。ホームページも8か国語対応となっています。それと、購入はしませんでしたが、センスのいい金箔のポストカードが土産物として販売されていました。
なお、同館の始まりは、金箔職人であった安江孝明氏(1898~1997)が、「金箔職人の誇りとその証」を後世に残したいとの思いから、私財を投じ金箔にちなむ美術品や道具類を収集し、北安江の金箔工芸館で展示したことにあります。そして、この安江孝明氏の息子が、「世界」編集長や岩波書店社長を務めた、安江良介氏(1935~1998)。つまり、良介氏の実家は金箔職人ということになります。「世界」編集長時代の同氏の文章で今も心に刺さっているのは、「若者は、タクシーを利用せずにそのお金で月に1冊でも岩波新書を買って読み、社会を知ろう」という趣旨の呼びかけです(当方はすっかり若者ではなりましたが…)。良介氏は1958年金沢大学法文学部法学科卒業ですが、金沢大学の法文・教育・理学部キャンパスは1949年から1989年まで金沢城内にあり、全国的にも珍しい「お城の中の大学」として親しまれました。熊本で言えば、開校当初の熊本県立第二高等学校が熊本城二の丸にあったのと同じです。この安江良介氏の金沢大学法文学部での後輩にあたるのが元大阪地検検事正の北川健太郎(1959年生)です。安江親子と異なり、石川県人および金沢大学の名誉を大いに汚しました。
https://www.kanazawa-museum.jp/kinpaku/index.html
※食事の方は、ゴーゴーカレー、8番らーめん、金沢おでんを賞味しました。
続いて敦賀市で観光したところは以下の通りです。
①人道の港 敦賀ムゼウム・・・敦賀港は、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であるという歴史をもちます。ムゼウムとは、ポーランド語で資料館の意です。開館は2008年3月29日といいますから、最初の史実から90年近く経ってからの記憶継承活動だったと言えます。現在の建物は2020年11月にリニューアルオープンした二代目ということで、さらに新しい施設です。今回金沢を訪問するまでこの館の存在を知らなかったのも無理ありません。それにしても今から100年前あるいは80年前の当時者の子孫との交流が続いているは、感慨深いものがあります。難民救済の善行は後の代まで永く伝えられる証しとも言えます。
https://tsuruga-museum.jp/
②敦賀鉄道資料館・・・旧敦賀港駅舎を再現して建物となっていて入館は無料でした。欧亜国際連絡列車など初めて知る鉄道史がありました。小ぶりな施設でしたが、鉄道ファンには必見の場所なのではと思います。それと、敦賀市内には「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターのモニュメントが随所に展示されていました。「鉄道の町」「港の町」で売り出し中であることを、行ってみて初めて知りました。鳥取県境港市の水木しげるロードが妖怪のモニュメントでいっぱいでしたが、モニュメントの大きさでは敦賀の方が大きめでした。
③その他もろもろ(赤レンガ倉庫、五木ひろしの洋鐘、魚問屋街、敦賀水産卸売市場、下着窃盗歴のある人物のポスター、晴明神社、気比神宮・・・)・・・日本海さかな街にも最初は寄ってみるつもりでしたが、食事には中途半端な時間帯でしたので、そこは寄らずに2時間程度で切り上げて帰途につきました。晴明神社は特に呪詛したい相手もなかったので前を通っただけです。気比神宮の大鳥居も周遊バスの窓越しに見ただけです。
※行きに大阪市内で「モータープール」の表示を見かけました。全国的には「駐車場」や「パーキング」を意味する言葉です。宮本輝の『流転の海』にはよく登場する言葉だったので妙に感動しました。
県立高等学校あり方検討会に係る地域意見交換会
「県立高等学校あり方検討会に係る地域意見交換会」の宇土市会場は、10月24日(木)18-20時の開催とあります。
「10年後、この地域にあって欲しい高校の姿」をテーマとしたワークショップとなるので、宇土市会場の場合は宇土高校の未来像を語ることになりそうですね。
参加を検討される方は、「県立高等学校あり方検討会」で交わされた議論も目を通しておかれると良いと思います。2007年度までは通学区が8学区だったのが、以後は3学区になりました。以来、宇土市は熊本市と同一学区になりましたから、わざわざ熊本市内の高校へ進学する生徒が増加した影響は大きいと思います。
個人的な意見としては、現在の併設型の中高一貫ではなく、都立の中高一貫校で向かっているように高校入学の募集停止に舵を切るべきではないかと考えています。
先生の資質は熊本市内の進学校と郡部の学校とで差はないです。若い時期の大切な時間を長い通学時間に費やすのはバカらしい限りです。
もっとも私がいま中学生なら時間の融通が利く通信制高校を選んでしまうかもしれません。じっさい中学生のときに宇土高校へ進んだ理由は、自宅から近いから以外にありませんでした。
「県立高等学校あり方検討会」
https://www.pref.kumamoto.jp/site/kyouiku/215119.html
『環境とビジネス』読書メモ
現在、慶應義塾大学総合政策学部教授とアジア開発銀行研究所(ADBI)のサステナブル政策アドバイザーを務める、白井さゆり氏が著した『環境とビジネス』(岩波新書、920円+税、2024年)は、これから政治や経済の場で世界的に活躍したいと考えている若者にはぜひ手に取ってもらいたい書籍だと思いました。
白石氏によると、世界の投資家が重視しているのが、温室効果ガス排出量の測定だと言います。それなしには削減目標も立てられませんし、削減貢献量もアピールできません。企業は自社の排出量が、スコープ1(企業が事業活動から自ら直接排出した量)、2(他社から購入した電力消費や熱・蒸気使用による間接的な排出量)、3(1と2を除く、上流から・下流までの過程における排出量)のそれぞれでどれだけあるかを把握し、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)の基準に沿った開示が必要となります。企業の内部統制として、排出量の監視や評価がきちんと行われるような組織や人材の配置が重視されることとなります。
実際、米国ではカリフォルニア州(GDP世界5位に相当)を中心に、スコープ3を含む温室効果ガス排出量の開示の義務化の動きがあります。同州では2023年10月に州内で事業を行う年間売上高10億ドル以上の企業を対象に、気候関連の情報開示を義務づける法案が成立。日本企業がすべきことは進出先のくにでどのような開示要件が義務付けられようとしているのかを調査することとなります。すでにEU(GDP世界3位に相当)、豪州、カナダ、英国、ASEAN、香港、韓国、ブラジルが義務づける意向を発表していて、それが世界トレンドになっているそうです。
興味深いのは、米国共和党のトランプ大統領候補を支援するイーロン・マスクが代表の、EVメーカー最大手テスラが成長した一因に、民主党地盤のカリフォルニア州が行う自動車排ガス規制対策としてのクレジット制度があるという事実です。EVだけを製造するテスラが2022年に販売したカーボンクレジットの収入は17億8000万ドル(約2770億円)に達していて、この仕組みは他の民主党地盤の州を中心に取り入れられているとのことです。なお、テスラは世界最大のEV販売市場である中国でも生産を行っています。
著者は、「世界の大企業や大手金融機関は、気候変動・環境リスクの管理が、企業の取締役会と経営者にとって最も重要な決定になると肌で感じとっている。企業は生産・営業活動からの温室効果ガス排出量を減らしていかないと、いずれ株価や市場価値が大幅に低下したり、格付けや資金調達費用が高まっていく可能性がある」と記しています。さらに、この世界のトレンドは大企業だけでなく中小企業や上場していない企業にも影響があると示しています。それが商機と捉えられる人材を確保できた企業が利益を拡大できるのかもしれません。熊本県も半導体生産ばかりでなく環境経営に強い人材の育成にも力を入れたがいいと思います。
論文の要件
「先端教育アウトリーチラボ(AEO)高校生研究員2024夏期集合型プログラム2024 8/2」の動画を視聴していたら、「論文の要件」として以下の3要件が示されていたので、思わずメモしてしまいました。
①独創性:これまで誰も言っていないことか? 新しいチャレンジになっているか?
②有用性:社会の何かに役立つ内容になっているか?
③論理性:誰もが納得できる形で客観的に示せるか?
この要件は、SNSのようなパーソナルメディアにおける言説の発信についても当てはまると思います。日頃、パーソナルメディアにしても一部マスメディアにしても、以上の要件から外れたプロパガンダあるいはゴミのような言葉に接することが多いだけに、読む価値を判断する基軸になると思います。
逆に言えば、この要件を満たした言説をもって世の中に発信していけば、私たちの誰もが社会をよくするメディアになり得るということにもなります。改めて学ぶことの重要性を知りました。
最後に下世話なことですが、皇位継承順位2位の高3生の方が、どこの大学へ進むにしても、このプログラムに参加したら役立ったのではと思いました。
伝説ネタの物語に流されるのは無教養
8月14日の熊本日日新聞文化面に元NHKディレクターの馬場朝子さんと京都大学名誉教授の山室信一さんとの対談記事「昭和100年語る 中」が掲載されています。そのなかで満州国を研究してきた山室さんが、国家という空間と国家(えてしてそれは専制者そのもの)が国民に求める愛国心の物語の本質を突いた発言をされているのが、目に留まりました。
やや長い引用になりますが、重要なので以下に示します。「国家とは『想像の共同体』と定義されるように、基本的に想像の所産です。(中略)国家という空間は伸縮するわけで、どこが郷土で、何が守るべきものなのかということも社会変動とともに変わっていくはずなのに、あたかも古代から同じような国家があり、ずっと守ってきたという伝統の歴史が作られ、それを信じる子どもたちを作る愛国心教育が各国で行われています。伝統と見なされるものの多くは国民国家を形成するために『想像=創造』されたことは現在の歴史学界の通説です。」「国家というものは作られるものであり、滅び、消えて無くなるものだという視点の重要性です。(中略)日本人は、国家が古くから自然にあり、永久に続いていくと思いがちですが、国民が日々作っていくのが国家だというのが近代国家の前提なのです。」。
この発言を読んで感じるのは、しばしば伝統と称されるものが、伝説ネタに起因するものであり、日本の場合は明治以降に流布されたものが多くあるという事実です。それは、子どもたち向けの愛国心教育に限らず、日常生活のなかで目にするさまざまな言説のなかにしばしば顔を出します。この対談記事の冒頭には戦前の「京大俳句事件」で弾圧逮捕された俳人・渡辺白泉のことが山室さんによって取り上げられていますが、8月8日付け同紙の文化面に寄稿していた長谷川櫂氏の「故郷の肖像④第1章 海の国の物語 天皇と『海の民』の縁」は、同じ俳人の振る舞いとしては興ざめの連載回でした。今回稿では神話(現実の変容)の話と断りつつも景行天皇(西暦71年~130年在位? 143歳で崩御?)の九州巡幸路の図まで載せて想像たくましく海の民と陸の民との権力闘争関係を描いておられるのですが、その意図が正しく読者に伝わるだろうかと思いました。神話のエピソードが荒唐無稽の、換言すればエンターテイメント性の高いネタなのでウケを狙ったのかもしれません、考察文としては失敗作なのではなかろうかと感じました。これに留まらず、昨日届いた所属団体の広報誌に仁徳天皇(西暦313年~399年在位? 142歳で崩御?)の「民のかまど」の逸話を引き合いに書かれた文章を見つけてため息が出ました。都合のいい見立てを述べたいときに実在が疑わしい人物が描かれた神話に依拠して書くというのが、それなりに社会的地位を築いている人にも見られる現象をどう考えたらいいのか悩みますが、厳しい言い方をすれば無教養のそしりを免れないのではと思います。
そうこう朝から考えていたら8月14日の朝日新聞では、「海自実習幹部、靖国神社の『遊就館』を集団見学 今年5月に研修で」の記事が載っていて、失敗を失敗として捉えることができない非科学的な学びから作戦能力は養成できない現実も見てとれて、歴史学界の通説をもっと学んだらと感じました。
写真は、『「戦前」の正体』の裏表紙。
『暴力とポピュリズムのアメリカ史』読書メモ
11月に行われる米大統領選挙に向けた運動が今展開していますが、民主党の副大統領候補の経歴に州軍(ナショナル・ガード)勤務歴が20年あるとありました。しかし、他国の国民からすれば、この州軍がいったいどういう組織なのか、米国の歴史の中でどのような経緯で存在しているのか、ほとんど知らないと思います。そうした疑問に答えてくれるのが、専門の研究者であり、実にありがたいものだと思って、中野博文著の『暴力とポピュリズムのアメリカ史 ミリシアがもたらす分断』(岩波新書、940円+税、2024年)を読み終えました。
かつての帝国日本が満州へ送り込んだ初期の開拓移民は武装移民でしたが、米国の歴史をさかのぼると独立以前から武装の歴史があり、米国陸軍の始まりは独立前にあります。いわば、武装の権利がかなり強く保障される基盤があったようです。独立戦争や南北戦争、共和党と民主党、白人と黒人をめぐる歴史も、米国における武装組織とのかかわりで見ていくと、ずいぶん現代と見え方が異なる印象を受けました。現在は大きく分けて正規軍(連邦軍)、州軍、民間ミリシア(正規軍と国内外で行動を共にする民間軍事会社もあれば、国内での政治的主張をもった民間団体もある)とがあります。意外だったのは、正規軍は現在最小限の規模に留め、その人員確保のために一定の軍歴を果たせば大学学費免除や医療などの福利厚生の優遇を図っている点でした。米国では、軍隊が低所得層にとって社会保障が充実した職場の選択肢としてあるようです。ひとつに徴兵を行うと、地域社会で排除されやすい人材が集まりやすくなるため、その手段は避ける考えが定着しているようです。いずれ日本の自衛官募集も米国のように高等教育と福祉をエサに要員確保に動く政策が出てくるのではないでしょうか。
『弥生人はどこから来たのか』読書メモ(巻頭部分)
藤尾慎一郎著の『弥生人はどこから来たのか』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、1700円+税、2024年)を手に取ってわずか1割程度しか読み進めていないところの投稿なので、本稿は正確には読書メモとは言えないシロモノです。ですが、初っ端から何かメモを残しておきたい衝動に駆られるほど、本書は新しい知見を示してくれて大いに刺激感を覚えさせてくれました。
本書は冒頭、2023年4月から高校で使われている日本史教科書が60年ぶりに大きく改訂されたことを明らかにしています。具体的には、土器の出現を指標とする縄文時代と水田稲作の始まりを指標とする弥生時代の開始年代が大きく引き上げられ、それぞれ約1万6000年前(約3500年古くなる)と約2800年前(約400年古くなる)となったということでした。この時代の開始年代が大幅に遡ることになった要因は、AMS-炭素14年代測定法や酸素同位体比年輪年代法、DNA分析、レプリカ法といった先端科学技術の手法の導入によるものとされます。ちなみに弥生時代の前半期は前10世紀~前4世紀の約600年間にあたりますが、わずかな青銅器の破片を除き金属器はほぼ存在せず、基本的に石器だけが利器とされた石器時代だったとされます。なお、この時代の韓半島南部社会はすでに青銅器時代でしたし、メソポタミアでは楔形文字文明で知られるアッシリア帝国が滅亡へ向かっていた時期が含まれます。
ここでふと珍妙に感じたのは、歴史学の非専門家が出版にかかわった『国史教科書 第7版』(売価税込2000円)なる書籍が、紀伊國屋書店新宿本店の7月24日調べの週間売上ランキング3位に名を連ねている現象でした。第6版までのそれは文科省の中学歴史教科書検定不合格を続けてきたようなのですが、第7版になって初めて表紙に「合格」の宣伝文句が刷り込めたようです。同書の版元によると、今のところ紀伊國屋書店とアマゾンでしか取り扱われていない同人誌扱いの出版物とのことですが、皇統譜など伝説のたぐいの資料を掲載してそれを史実と思わせることを目的とする実に変わった読み物です。しかし、まともな歴史教育に接したことがない読者には、めでたくも歴史を学べたと喜ばれているのでしょう。
すでに触れたとおり弥生時代前半期半ばの前7世紀頃の日本列島には青銅の鏡も鉄の剣もない時代です。三種の神器どころか文字もなかった時代に覇権をなした勢力が存在しようもありません。要するに国史とは呼べず先史にあたる時期を、ある方向へ無理やり導くことが果たして学問と言えるのかということです。
自称「国史」に税込2000円を捨てるような愚かなマネは止めて、2000円もしない『弥生人はどこから来たのか』を読んで、未来ある中学生が歴史学習の道を踏み誤らないよう賢明な大人が導いてあげたいものです。
鬼畜同然の物言い
81年前のサントス事件など第2次世界大戦中と戦後にブラジルで日系移民が受けた迫害に対して、同国政府が初めて謝罪したことが、けさの新聞で伝えられていました。ブラジルではこれまで日系迫害について歴史教科書での記述はなかったことから、今回の謝罪が積極的な歴史教育への出発点になることが期待されているとも報じられていました。
さて、地元熊本県に目を転じると、昨日の知事の定例記者会見での発言に憤怒の念を抱きました。内容は、県が除斥期間を主張している水俣病訴訟での対応について問われた際の回答です。旧優生保護法訴訟最高裁判決で被告である国が主張した除斥期間の適用について著しく正義・公平に反するとして退けられ、判決後に首相も主張を撤回する考えを示しました。ところが、知事は、「旧優生保護法と水俣病の問題を一律に議論するのはふさわしくない」と鬼畜同然の物言いを行っています。
不法行為から20年の経過で損害賠償請求権が消滅する除斥期間の主張をするということは、後から被害を訴えた患者は一切救済せずに切り捨てると述べるのと同じです。この一点だけでも「県民に寄り添う」という日頃の知事の言葉が、いかに口先ばかりか、棄民政策の実行者に過ぎないかということを示していると考えます。付け加えて記すと、水俣病原因企業のチッソも現在進行中の訴訟で除斥期間の適用を主張しており、チッソ代理人弁護士は適用を認めない判決を「民事司法の危機」、適用を認めた判決を「信頼を回復した」「極めて正当」と表現し、加害者にもかかわらず不誠実で傲慢な態度を取り続けています。つまりは、県の姿勢はチッソと変わりないのです。まったくもって不正義です。
頑なに除斥期間の主張を続ければ、仮に将来実施する汚染地域居住歴のある住民対象の健康検査で見つかった患者は救うけれども、自ら被害を訴えて名乗り出た患者は救わないという不公平も生じかねません。逆に考えると、そうした不公平が出ないように患者を見つけない健康検査しか行わないつもりかもしれません。
冒頭歴史教育について触れましたが、本日の朝日新聞「交論」欄において、大学教養課程の年齢層の若者の歴史観を問われた歴史学者の宇田川幸大氏が次のように語っていました。「『時間切れの現代史』と言われるように、高校で戦争や植民地支配のことをあまり教えられていないので知識不足が目立ちます。何も知識がないまま、インターネットやSNSに広がる歴史修正主義にさらされるのは、あまりに危険です。その意味で、歴史教育はますます重要になっています」。
それは、いい歳した大人、たとえば知事職にある人物の資質にも言えると思います。地元紙の報道では、水俣病未認定患者の救済に国や熊本県とは対照的に積極的に対応していると、新潟県知事を評価しています。一方で、同知事は、ユネスコの世界文化遺産登録が目指されている佐渡鉱山への朝鮮人の強制連行を記述した「県史」を尊重しようとしていないと指摘する歴史学者(外村大氏)もいます。
知事の経歴は一般的に外形的には立派な人物が多いように思いますが、ときに判断を誤ることもあると思います。どのような歴史教育を受けてきたのか、今も歴史に学ぶ器量があるのかを、県民は見極める必要を感じます。
写真は記事と関係ありません。パリ・ロダン美術館(1991年12月撮影)。
孤独孤立対策の難しさ
精神医学に関して興味深い記事が、本日の朝日新聞西部本社版地域総合面にありました。写真は記事イメージ。
以下は、私の感想です。職場に親友がいるにこしたことはありませんが、「親友」というとかなりハードルが高くなるかもしれません。別に同僚に限らず上司であっても気軽に口がきける関係程度であればいいかと思います。あまりにもストレスを感じる相手なら無理せず適当に距離を置くことも必要です。自分優先でかまわないかと思いました。
ついでに、政策的な動きについても触れておきます。孤独・孤立対策推進法が本年4月1日施行となり、孤独・孤立対策地域協議会の設置に市町村は努めなければならないとなりました。昨今は「老年学」という新しい分野の研究もあって、九州大学などが1年前に発表した調査結果によると、周囲の人との交流が少ない高齢者では脳の萎縮が進みやすいのだそうです。いわば認知症予防のためにも、孤立しない、させないということが、地域福祉政策の課題となってきています。
ところで、交流や対話といった場合、かならずしもリアルな対面だけでなく、ネット上でのテキストによるものでも成立します。しかし、私と同年代の人の中にも、文章が稚拙であったり、読解力がなかったりする例を目にします。じっさい私の文章を「読影」できないと言ってきた人がいました。「読影」というのは文字通りX線撮影のような画像から影を読み取るものであって、文字の意味を読み解くことではありません。
知的能力や聞いて理解する力に問題がないにも関わらず、生まれつき文字をうまく書けない、うまく読めない学習障害である「ディスレクシア」の人が、日本では人口の7%いるとも言われます。そうした人がいることも含めて考えないと、安易に孤独・孤立の問題は扱えないなとも考えさせられます。
飼い犬か義勇兵か
朝ドラ「虎に翼」の本日放送回での主人公の「寅子」による「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない男か女かでふるいにかけられない社会になることを私は心から願います。」との毅然とした決意表明と、女性の服装を揶揄する司法試験の面接官に「トンチキなのはどっちだ。はっ?」と言い放った「よね」の信条の崇高さには、たいへん感動しました。司法の分野はもちろんですが、当時は女性に選挙権がありませんでしたから立法分野の国会議員、行政分野の大臣として女性が活躍できる場はなく、そのことだけでも国民の半数以上が虐げられていた時代がつい80年ほど前まであったことを思い起こさせました。しかしながら、現在の立法や行政の分野に携わる者の資質に接すると、ガッカリさせられることが多いですし、そのような資質の人物をのさばらせる国民の資質も問わなければなりません。
じっさい、水俣病患者団体と環境大臣との懇談会で、環境省職員がマイクの音声を切り団体側の発言を封じた、いわゆる「マイクオフ問題」を巡って、あろうことか患者団体側に非難の電話をかけるトンチキな方々がいることを、本日(5月10日)の熊本日日新聞が報じていました。環境大臣やその場にいて善処に動かなかった熊本県知事の「飼い犬」を自ら買って出るとは、なんとも下劣で哀れな行動としか言えません。おそらくは、水俣病の被害がいかに拡大し、多くの被害者が救済されずに死ぬのを待たされ続けている歴史に無知なのだと思います。
たとえば、3月の熊本県知事選挙を前に、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が知事選立候補表明者へ公開質問状を出したことがありました。その際の現知事の回答を要約すると、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「健康調査の実施は考えない」の「ないないづくし3点セット」でした。そのときこのような環境省の意向に沿ったゼロ回答をした候補は他にいませんでしたが、この回答が何を意味するかも先の飼い犬たちには理解する力がないのだと思います。
一方で、冒頭の「寅子」や「よね」と同様に、世の中の不条理に対して闘う人物が常にいるのも希望です。水俣病裁判闘争の初期のころ、「義によって助太刀いたす」と患者支援に行動した、水俣病を告発する会の代表だった本田啓吉先生(2006年没)を、私は思い起こします。先生とは機関紙『水俣』編集を通じて生前お会いする機会がたびたびありましたが、いつも穏やかで激しい物言いをされる方ではありませんでした。だからなのか、時折この「義勇兵宣言」が気になります。何の義理がなくても不条理な環境に置かれた出来事があれば、黙って見過ごさない人間でありたいと思います。
なお、熊本県知事の職分の名誉のために付言すると、福島譲二知事(1999年没)と本田啓吉先生は、旧制五高時代に学生寮で同室の仲でした。片や大蔵官僚、片や高校国語教師と、進まれた道は異なりましたが、大義とは何かを思索し行動に移す真のエリート知識人の気概は共有していたと思います。
5年ぶりの入学式参加
地元校区の小学校・中学校の入学式に5年ぶりに参加しました。公立の義務教育学校だけにさまざまな家庭環境に育った子どもたちが学ぶこととなります。将来どのような大人に成長するのか、はたしてその頃の社会はどのような姿になっているのか。見守る側の世代の人間としては、いろいろ複雑な心境で式を迎えました。
それぞれの学校長が新入生に贈った言葉を紹介してみます。まず、小学校では、3つの守ってほしいお願いの話がありました。「1.命を大切にする」「2.仲良くする」「3.あいさつをする」ということでした。次に、中学校では、「自分で考えて自分で決めて自分で行動する」という呼びかけでした。現在、この中学校では、校則も生徒たちが決めていると紹介がありました。実は、私はこの中学校の卒業生(しかも生徒会長のなれの果てでもある)なのですが、在学時に校則改正を生徒で決議しても職員会議で否決(まるで機能不全の国連安保理みたいなもの)されて、あまりいい思い出がなかったものですから、隔世の感に驚きました。ただし、LGBTQの生徒にも配慮した標準服がせっかく今年決まったのに、導入が新1年生に間に合わなかったのは残念に感じました。
あと、それぞれの式の番外編の話題として2つ記しておきます。小学校では、元相棒に違法賭博の賭け金を盗まれたプロ野球選手から全国の小学校に6万個進呈されたうちのグローブ3個を見ることができました。大量発注によって単価1.1万円として推定コストが、6億6000万円ですから、彼はこの代金と誤解して口座からカネが減っても気付かなかったのではないかというのは、まったくのシロウト推理です、はい…。中学校の会場は市の体育館であり、その敷地入口付近には戦没者慰霊塔があるので、改めてその碑文を確認してみました。気になったのは「英霊」の部分。靖国神社に祀られた戦没者を指す用語であり、この慰霊塔で慰霊の対象となっているのは、軍人・軍属のみとなっています。たとえば、アジア太平洋戦争末期の1945年8月10日、米軍機の空襲により現在の宇土市内では300超の家屋が全半焼し、多数の死傷者が出ましたが、こうした民間人の死者の存在は忘れられて慰霊されることもありません。子どもたちには、「集団浅慮」(心理学者のアーヴィング・ジャスニスが作った用語。協調を重んじ、論争や異議を抑制し、結果的に融通が利かない間違った信念に至ってしまう組織文化。誤認識が改善されず、議論の結果が極端になる)のワナに嵌らず、学校の内外で学んでほしいと思います。
自分の国語力を省みろ
昨日(3月5日)と本日(3月6日)の朝日新聞紙面に、国語力について参考になる記事があり、印象に残りました。
まず昨日の方は、私より少し若い方だと知ってその驚きもありましたが、TVでもロシア問題の解説で顔を見る機会が多い、駒木明義論説委員が「新聞記者の文章術」欄で書かれた記事です。そこでは、「自分が書いている文章がわかりやすいかどうか自信が持てないときに、時々私が試してみることがある。それは、外国語に移してみるという方法だ。」とありました。確かにネット上の自動翻訳を利用してみると、原文の言わんとするところが不明瞭であれば、変てこな訳文しか返ってきません。このように、自分の国語力の検証方法として有益だと感じた経験が、私にもあります。加えて、大学時代の所属ゼミの教授も同じようなことを言われていた覚えがあります。その教授は、日本語訳本で意味が通らない箇所を原書で当たってみると、だいたい原文そのものに問題があるものだと、言われていました。言いたいことが多すぎて一文が長すぎると、結局何を伝えたいのかわかりませんし、トランプ流に短く断言しすぎても、前提や周辺の情報が伴っていないと、単なる遠吠え的な発言に終わってしまうかもしれません。トランプの言葉は単純で平易であり、その言葉を信奉者らと共に口にさせることで、一体感に酔わせるだけが目的のように思います。バイデンではなく、あえてオバマを例に取り上げると、彼の言葉は含蓄に富み論理的ですが、あまり理知的ではない国民が大勢を占める社会では通じないのかもしれません。
次いで本日の記事の方ですが、内田伸子お茶の水女子大学名誉教授に聞いた、シリーズ「早期教育へのギモン」の5回目の見出しには「英語読解 日本語の読み書きが土台」とありました。「早く英語に取りかかればいいというのは誤解だと考えています。カナダ・トロント大の言語心理学者らがかつて、日本からカナダに移住した子どもを10年間、追跡調査したことがあります。」として、「学業成績が一番高かったのは中学から行った子どもたちでした。」と紹介していました。つまり、国語力が「考える力」の土台というわけです。
どの言語であれ、自分の国語力を公開する行為というのは、自分の「考える力」の度合いを晒しているのと等しいということになりますから、SNS投稿もリスクがあるかもしれません。かといって国語力に自信がないからと、むやみに写真や動画をアップすると他人の権利を侵害することもありえますから、とにかく用心することです。
写真はワシントンD.C.のホワイトハウス。2000年5月撮影。
本と美術の楽しみ
どのような社会づくりを私たちは目指すのか。それには技術発展の基礎となる理工系の学問は重要ですが、それとともに新しい価値を作り出す人文・社会科学系の学問も重要です。異文化が交錯するところ、多様な文化的背景をもつ人や土地との出会いから視野が広がり、さまざまな価値に気づくことがあります。その手っ取り早い方法は、旅行であるとか留学などがそうです。時間や金銭的制約を考慮すると、本や美術に接するのもいいと思います。食事は人が生きるために必要不可欠ですが、私にとっては読書や美術鑑賞もアタマのための食事です。つまり本や美術は食べ物です。
そんなこともあって他人がどんな食事をしているかよりも、どんな本を読んでいるのか、どんな美術作品に接しているのかという方に興味が湧きます。だいたいそれでその人となりが知れます。
昨日のBSフジの番組で、中国・南京出身のエコノミスト、柯隆さんが、都内にリベラルな中国関連書籍を扱う書店があって、中国出身の知識人が日本に呼び寄せられる要因になっているというようなことを言っていました。これまでそうした書店はロンドンやニューヨークにはありましたが、東京にも新しい華人ネットワークが形成されることは、むしろ望ましいことだと思います。
一方、ついこの前まで副知事を務めていた方の10代の頃の読書遍歴の記述を目にしたのですが、野村克也の『裏読み』と川北隆雄の『大蔵省』を挙げていて、ちょっとどうかなと思いました。対戦相手を出し抜く技量や財政を握って権勢(県政?)を振るうことへ憧れを感じて官僚を目指されたように感じました。
ちなみに私の10代の頃の読書遍歴で印象が強い作品としては、ソルジェニーツィンの『収容所群島』であるとか、五味川純平の『戦争と人間』あたりでしょうか。お互いヒネたガキだった点では似ているともいえますかね。
写真はロンドンのウィンストン・チャーチル像。1993年12月撮影。
高2時代の担任の訃報に際して
けさの地元紙で高2時代の担任の原田榮作先生の訃報に接しました。ご冥福を祈ります。
最後にお目にかかったのは、先生の2冊目のご著書『シルバー夫婦の「日本百名山」物語』を出版された直後の6年前でした。日本百名山踏破の信念の強さに驚きましたし、専門の国語教師として嗜んでおられた短歌作品も文中に織り込まれていて、心の懐の深さを感じました。1冊目のご著書『反故にするまえに』は新任高校教師時代から校長時代に至る教育に対する日々の思いを記されたものですが、そちらもいただいて読ませていただきました。この2冊は私の手元だけに眠らせておくのは惜しいと、共に母校の宇土高校図書館へ贈呈していますので、興味のある方はご覧になれると思います。
学校で縁があった先生でもその後も何かと交流がある方とそうでない方がやはりいます。教え子からすると、先生の生き方を学べるに値する大人かどうかの違いの気がします。先生は間違いなく前者の一人でした。ありがとうございました。
「世界」2024年3月号読後メモ
例年この時期は大学入試の真っ盛りです。来年度から大学入学共通テストの制度が変更されることもあって浪人回避の意識行動がいつもよりも強いようです。ですが、受験の根本にあるのは、将来どのような分野の世界に進みたいか、その準備としてどのような分野の理を学びたいかについてです。そのきっかけは何か、それは人さまざまだと思います。
私の場合は、当初社会学に関心があって現役生のときはそうした学科へ進みたいと考えていましたが、浪人生のときに大江健三郎さんの作品と出会ってから氏の同時代に対する発言に共感を抱くようになりました。それと同じころに共同通信配信の論壇時評を後に恩師となる河合秀和先生が書いておられ、社会の実態を知るだけでなく社会そのものを変えていく政治学に関心を覚えるようになってきました。
そんなこともあって大学は河合先生が所属する政治学科のある学習院へ進みましたし、入学当初から岩波書店の「世界」は欠かさず購読していました。実はここ10年ほど深い理由もなく定期購読をやめていましたが、リニューアルした2024年1月号を手に取り、同号で伝えていたガザにおけるジェノサイドは人道の危機というよりも「人類の危機」という思いを持ちましたし、やはり同号で再録されていた大江健三郎さんが大切にしている「持続する志」の必要を感じて購読を再開することとしました。
もともとこの「世界」の成り立ちには、安倍能成や清水幾太郎、久野収ら学習院関係者らがかかわっています。そのあたりのいきさつは2024年2月号の石川健治氏の「『世界』の起源」で明らかにされていますが、この部分でも今にして思えばつながるべくした縁かもしれません。
写真は「世界」とは関係ありませんが、博士号取得率の国際比較を載せておきます。人文・社会科学系の博士号取得者は人口100万人に対してわずかに10人程度。しかも減少しています。率でこそ中国を上回っていますが、人口規模が日本の10倍以上ですから絶対数では少ないのは明らかです。こんなありさまなので政治にかかわる人材の知的レベルが国際的にも劣っていると思われます。当然社会は良くなりません。博士号を取得する人材を増やすと同時に、そこまでは求めないにしても国民の学びが必要です。
さて、本題の最新号3月号の読後メモを記しておきます。
・コンスタンチン・ソーニンとゲオルギー・エゴーロフによる論文「独裁者と高官たち」によれば…「独裁の権力が個人に集中すればするほど、有能で機転のきく人間よりも無能で忠実な人間が高官になる。」
・日本は二流国へなりさがった。2023年、日本の名目GDPは、人口が日本より少ないドイツに抜かれて4位に下落。一人当たりGDPも24位(2020年)→27位(2021年)→32位(2022年)へと低下。労働生産性は、OECD38カ国中28位(2021年)→30位(2022年)へ低下。正社員の男女賃金格差は35位。世界経済フォーラムによるジェンダー・ギャップ指数は世界120位(2021年)→116位(2022年)→125位(2023年)と低迷。男性の平均賃金が韓国に抜かれ、ベトナムにも抜かれそうになった。日本は移民受け入れ国どころか、移民送出国になるかもしれない。
・TSMCは正式発表していないが、熊本進出に際して第四工場までは建設が既定路線で進んでいる。熊本の第一工場で製造される半導体は12ナノのオールド世代、第二工場では6ナノを生産する可能性がある。TSMCは最先端の2ナノの開発に成功しているとされるが、その製造はいま台湾高雄市(本誌中では「高尾市」と誤り?)で建設中の最新工場で量産化の計画。優秀な台湾人エンジニアがいる台湾でしか最先端の半導体製造ができない実情がある。台湾の新卒就職市場では、一流が平均年収2000万円超のTSMC、二流がその他の半導体メーカー、三流がシャープを買収した鴻海(ホンハイ)に行くといわれる。
・TSMCの生みの親は、蒋介石の息子で二代目総統の蒋経国。若いときは父親に反抗し、共産主義に傾倒しモスクワ留学した。結婚相手はロシア人。留学中に鄧小平と出会い親交があった。鄧小平が台湾の「一国二制度」を唱えていたのも、相手のトップが蒋経国だったため。蒋経国が、台湾が韓国のように高成長を続けるためにハイテク産業育成の号令をかけたのは1974年。工業技術院を作り、院長にテキサス・インスツルメンツ副社長の張忠謀(モリス・チャン)を招いた。
・TSMC創業者のモリス・チャン氏は浙江省寧波市生まれ。国共内戦中の1948年頃に香港に逃れ、米国留学した。ハーバード大学に進んだが、マサチュ-セッツ工科大学へ編入し、学士号および修士号を取得。テキサス・インスツルメンツ在職中にスタンフォード大学で博士号を取得。TSMCは官製プロジェクトから民間企業として1987年に起業された。製造受注型(ファウンドリー)としては初だが、第2号にあたる。第1号は半導体メーカーの聯華電子。TSMC躍進の要因は、製品の不良化率の低さにあった。委託元のAMD(CEOのリサ・スーは台湾系米国人)が一貫生産のインテルを脅かすまでになった。
・2023年11月に中国のファーウェイ製スマートフォンに7ナノの半導体が搭載されていることが判明した。それを製造したのは中国の中芯国際、開発したのはTSMCの元技師長・梁孟松。米国のF-35戦闘機には7ナノ半導体が搭載されている。米国が台湾へ中国への先端技術漏出阻止を求めるとともに、生産を米国内にするよう求めると考えられる。
・文化人類学者のD・グレーバーは『ブルシット・ジョブ』で、仕事の社会的価値と支払われる報酬の間は「倒錯した関係」があると指摘している。実際に日本でも、エッセンシャルワーカーであるほど、」給与水準が低い状況が30年以上続いている。ドイツでは、日本のような正規・非正規といった処遇の区別がない、非正規雇用がそもそもない。何時間働くか、どの時間帯で働くかなど、働く側の希望で決められる。働く側の意に反した転勤を強いることも違法とされる。