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『エネルギーの地政学』読書メモ

東大先端研のエネルギー国際安全保障機構に所属する研究者たちが書いた『エネルギーの地政学 エネルギートランジションと日本の戦略』(勁草書房、3000円+税、2026年)を読みました。化石燃料主体のエネルギーシステムから再生可能エネルギー主体のエネルギーシステムへのシフトが、文字通りエネルギートランジションということになります。資源小国である日本にとり、脱炭素化を進めながら、エネルギー安全保障を高めていく上で、水素エネルギー関連技術の果たす役割がとりわけ重要になっていることを認識しました。
水素を燃焼したときに発生するのは水のみ、つまり温室効果ガスの排出がゼロという特性があります。カーボンニュートラル社会の実現に向けて不可欠で重要な役割を果たす次世代エネルギーキャリアと考えられています。水素エネルギーの利点は、その多様性と柔軟性にもあります。太陽光や風力といった出力の変動性が高い再生可能エネルギーによって生成された余剰電力をグリーン水素として貯蔵でき、変動電源の調整力として機能させることができます。液化水素やアンモニアに変換して輸送も可能です。蓄電池と比較すると大規模・長期間の貯蔵にも適しています。
日本は国内の化石燃料資源に乏しい国です。原油の99.7%、天然ガスの97%を海外からの供給に頼っています。これら化石燃料は、数億年から数千万年の地球の活動によって生成されたもので、ここにはコストはかかっていませんが、原油埋蔵量の47.3%(2015年時点)が中東地域と、資源の賦存(ぶぞん)が地域的に偏っていますし、現時点でもおおよそ50年前後の可採年数が確保された有限資源であるということを認識すべきです。
一方、太陽光や風力といった再生可能エネルギーは、無尽蔵かつ無料の資源です。EEZを含めた面積では日本は世界で第6位の、資源ポテンシャルがあります。転換期においては輸入水素に頼らざるを得ない課題もありますが、国産電源で安価な水素生産を実現するのは決して幻想ではないと感じました。福島県浪江町などでは水素エネルギー自立コミュニティモデルの運用が始まっており、これなどは自治体の生き残り戦略としても有為な情報かもしれません。
もちろん課題がないわけではありません。再生可能エネルギー技術の設備や機器には、化石燃料を利用する従来の技術に比べて、重要鉱物の使用量が多いという問題があります。銅やレアアース、シリコン、リチウム、コバルト、黒鉛、ニッケル、プラチナ、イリジウムの採掘・製錬において特定の国・地域のシェアが高いとか、大量の電力を必要とするとか、環境汚染や労働者・周辺住民の健康被害といった人権侵害を伴う負の側面があります。
この点については、供給源を多様化する外交努力や重要鉱物の使用量を減らす技術開発が必要となります。たとえば水素製造に際してPEM型水電解装置の触媒には高価なプラチナやイリジウムを使いますが、固体酸化物型電解の触媒は安価なペロブスカイトを使います。その主材料はヨウ素なので、これは日本国内で調達可能です。
産業のサプライチェーンのボトルネックを握る、いわば技術的覇権の追求という現実もあります。(半導体産業を例にとると、半導体製造に欠かせない化学品であるフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素については日本企業が90%近いシェアを持っており、これらの供給がなければ海外メーカーは半導体生産ができないのだそうです。)

「生研・先端研」訪問メモ

6月5-6日に開かれた「東大駒場リサーチキャンパス公開」に初めて参加しました。これは同キャンパスにある生産技術研究所(生研)と先端科学技術研究センター(先端研)の研究者による講演会や、120以上の研究室の一般公開、関連企業・団体による産学連携研究の成果紹介など、最新の研究成果に触れられる年1回開催の貴重なイベントとなっています。会場内には一般人はもちろんですが、中高生の団体参加の姿が多数ありました。
オープニングイベントでは両研究所長のあいさつがありました。まず、生研の所長は、日本における博士課程学生数の減少を危惧され、その不人気な理由を仮定に上げ、一つずつ解決策を回答して、博士号の魅力を伝えていました。次いで、「異能の掛け算により時代が求める先端を創造し社会につなぐ研究所」を標榜する先端研の所長は、異分野をつなぐアート、「響創」の役割、その挑戦の場としてこのキャンパスがあることを語っていました。両所長にとって、この思いを受け止めてほしい存在とは、次の博士学生・大学教授・研究者となる中高生以下の世代だと感じます。2日間の公開イベントはその一環ですし、生研の「次世代育成オフィス」や先端研の「先端教育アウトリーチ」など、年間を通じて次世代向けのSTEAM教育が、実施されています。
「STEAM」とは、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、芸術等(Art)と数学(Mathematics)を総合的かつ横断的に学び、課題発見と解決能力を養う教育手法のこと指します。現代の課題のすべてが、科学だけでは答えることができないと言って差し支えないと思います。知識的な能力だけでなく社会的な能力も身につけて自分で考える力を持った人材の育成が求められますし、そうした後進の人材を育成できる教育人材が求められます。何もこれは子どもに限ったことではなく、生涯にわたって学び続けられる主体的な大人を育成することにつながります。それこそが国益、国民にとっての受益になります。
先端研については、熊本県も連携自治体として全国で2番目に協定締結しています。そのこともあって例年、「せんたん研究員」である「くまモン」がキャンパスに登場したり、特産品販売(マルシェ)への出店もあったりしています。ですが、せっかくなら熊本県内の中高生からも多数参加して視野を広げてもらう機会を増やしたらどうなんだいと思います。限られた時間で見どころがたくさんありすぎて逆に撮った写真は少なくなりました。それでも東京帝大航空研究所時代に建設された「3m風洞」の写真はしっかり撮りました。

「明治大学博物館」訪問メモ

大学が運営するミュージアムは日祝日休館の所が多いですが、一般に無料見学できることも多く、何よりも解説が充実していて結構見応えがあるものです。昨年10月には川崎市の生田にある明治大学平和教育登戸研究所資料館を訪ねて同館が考察対象とする「第九陸軍技術研究所」(秘匿名「登戸研究所」)が研究・開発していた秘密戦兵器・器材の記憶をじっくり受け止めてきました。とりわけ戦争の歴史については、被害や戦功は表の記憶としてまだしも語りつがれやすいのですが、加害の部分に加えて秘匿すべきとされた裏の記憶はどうしても消されやすいので、それを継承する意義は大きいと言えます。
さて、今回は神田駿河台にある明治大学が運営するミュージアム「明治大学史資料センター大学史展示室」「明治大学博物館」「明治大学阿久悠記念館」「明治大学米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館」の4施設を初めて訪ねてみました。
以下は各展示の一口メモです。
・大学史展示室…卒業生の紹介コーナーなどがあります。しおりの表紙にはNHK朝ドラ「虎に翼」の主人公モデルで日本初の女性弁護士となった三淵嘉子さんが載っていて今も力が入っているなと思いました。総理大臣経験者の三木武夫氏については在学中の弁論写真も展示されていましたが、昨年亡くなった村山富市氏の紹介がないのは少し残念に思いました。1936年のベルリン五輪の金メダリスト・孫基禎氏に関連して日章旗抹消事件は承知していましたが、同氏が翌年明治大学に進学したことや卒業生だったことはここの展示で初めて知りました。
https://www.meiji.ac.jp/museum/university/daigaku.html
・明治大学博物館…商品部門、刑事部門、考古部門の3つの展示コーナーに区分されています。商品部門では午年にちなみ、ことわざの「瓢箪から駒」を表した縁起物のコレクションが特集展示されていました。「瓢箪から駒」の語源は、驢馬に乗って移動していた中国の仙人が、乗らないときは瓢箪の中に驢馬をしまっていたいたという昔話だと言われているそうです。「現実には起こりえない、ありえないこと」あるいは「思いがけない出来事が実際に起こること」の例えとして用いられ、転じて「思いがけない幸運に恵まれる」という縁起物が生まれたというわけです。刑事部門では拷問具や死刑罰具のゾッとする展示が目を引きました。考古部門の特集展示では中国鏡のコレクションが見られました。常設展示では関東地域から出土した収蔵品が多い印象を受けました。
https://www.meiji.ac.jp/museum/
・阿久悠記念館…5000曲以上の作詞を手掛けた稀代のヒットメーカーのメモリアル施設です。受賞トロフィーや年表を眺めると1970年代は阿久悠氏の30-40歳代の働き盛りであり、人の出来不出来はだいたいこの年齢で決まるよなと感じました。特に注目した展示は、氏が執筆には「ぺんてる社」のサインペンを愛用していたということと、作品を納品する際の原稿用紙には絶対に推敲修正の跡を残さないということと必ずタイトルをデザインした表紙を付けていたという仕事の完璧さです。父親は淡路島内を転勤する警察官で、元々は宮崎県の出身だったそうです。そのため一時期は宮崎県での教員を目指したそうですが、大学卒業後は広告会社に就職しています。また、戦争では兄が19歳で戦死しています。
https://www.meiji.ac.jp/akuyou/
・米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館…明治大学博物館や阿久悠記念館が入るビル「アカデミーコモン」の裏手には明治大学が所有する「山の上ホテル」があり、改装工事中でした。そこから近いところに当館はあります。ここは火・水・木が休館なので、明治大学博物館とハシゴして訪問したいと場合は注意が必要です。それに開館時間も午後以降と遅めです。展示室は無料ですが、図書閲覧室利用は有料です。訪問したときは「コミケ50周年展」が開かれていて、入館者数は明治大学博物館よりも多かったです。館名にその名を冠する米沢嘉博氏は1953年、熊本市に生まれ、明治大学理工学部を卒業しています。1980年から亡くなる2006年までコミックマーケット準備会代表を務めました。コミックマーケット(略称:コミケ)とは、世界最大の同人誌即売会です。直近(2025年12月、東京ビッグサイト開催)の「C107」の2日間の入場者数は30万人、海外からの参加者は少なくとも75カ国といいますから、相当なものです。普段は縁遠い世界ですが、これがこれからも続けられることを切に望みます。
https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/
※番外:今年3月にリニューアルオープンした三省堂書店神田神保町本店ものぞいてみました。オープン記念のノベルティグッズ欲しさに、小島和男著『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』(幻冬舎新書、960円+税、2026年)を買い求めました。
https://jinbocho.books-sanseido.co.jp/
https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344988057/

「漱石山房記念館」訪問メモ

夏目漱石(1867-1916)が亡くなるまでの9年間を過ごした旧居は「漱石山房」と呼ばれ、1945年5月25日の空襲で焼失するまで早稲田南町の地にありました。2017年、その地に「新宿区立漱石山房記念館」が開館しました。一度ぜひ訪ねてみたいと思っていましたが、最近初めて観に行きました。館内の展示は有料ですが、図書室やブックカフェだけの利用も可能ですし、建物の周囲の植栽や裏手の「猫の墓」(猫の名前は「福猫」)がある漱石公園、あるいは早稲田駅からそこへ至る「漱石通り」、夏目坂、生誕の地碑など、見どころがたくさんあり、楽しめること請け合いです。近くには予約制になりますが、草間彌生美術館もあります。
https://soseki-museum.jp/
さて、訪ねたときには企画展「夏目先生 漱石の教師時代」が開催中でした。漱石の孫にあたる夏目房之介氏が2008~2021年、学習院大学教授を務めていましたが、漱石自身も学習院へ英語講師としての就職を希望し、一高時代の同輩で先に学習院教授を務めていた立花銃三郎(三池藩家老の三男)宛に送った書簡が展示されていました。ですが、残念ながら不採用になってしまいます。このときのいきさつは下記の論考が参考になります。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/12070/p001.pdf
熊本の五高教師時代にやはり立花銃三郎へ出した書簡も展示されていました。ここでは、腸チフスにかかり学費も払えずに退学処分となった漱石の教え子を、学習院へ転入学させてほしいという内容でした。かなり教え子思いだった漱石の人柄がうかがえました。
漱石は五高勤務、英国留学を経て東京帝大と一高の英語教師に転じますが、一高での教え子に後に学習院長を務める安倍能成がいます。夏目坂通りに「夏目漱石誕生之地」の石碑が建っていますが、これを揮毫したのが安倍能成です。「遺弟子安倍能成書」と刻まれています。このように漱石と学習院の縁を感じました。

『日露戦争』読書メモ

千葉功著『日露戦争』(吉川弘文館、3000円+税、2026年)を手に取ったきっかけは、4月4日の朝日新聞読書面に載っていた吉田裕氏による書評でした。同書評の言葉を借りれば、日露戦争の全体像を解明した意欲作で、政治史・外交史の分野での通説批判が鮮やかとありました。本書の目配りは多岐にわたり、アイヌや沖縄出身を含む兵士の立ち位置から浮き彫りにした戦場の記憶、教育や文化を通じた戦争観の変遷などに触れてあります。それこそ大半の国民が「坂の上の雲」のイメージに留まっている歴史観を洗い流す、研究者の視点の広がりを存分に感じる著書でした。本書は吉川弘文館の「日本歴史叢書(新装版)」シリーズの一角ですが、巻末に当時の日本歴史学会の代表者・児玉幸多氏による同シリーズ刊行時の辞が載っています。著者の千葉氏は学習院大学教授なのですが、児玉氏はかつて学習院大学の学長を務めておられたのを思い出しました。
それはさておき、「日露戦争は日清戦争と違って、日本が西洋の帝国主義列強と本格的に戦った最初の事例」(p.4)です。だからこそ、「日本が戦争を遂行するにあたり、どのような軍事・政治・経済的施策が取られたのか」「どのような戦時国民動員が行われて、それが社会にどのような影響を与えたのか」「日本の帝国化ないし一種の大規模な異文化接触がどのような現象として表れたのか」(p.5)を知る意味は大きいと思います。
戦争のリアルさという点では、かなり無謀な戦争であったということが改めて理解できた思いがしました。とりわけ陸軍の戦死者・戦傷病者といった損耗率は高いものがありましたし、戦費の調達のため国内経済にも多大な負担を与えました。一方で、メディアの戦意高揚ぶりや兵士の日記・手紙に見られる戦地での朝鮮人や中国人に対する蔑視記述など、現代にも共通して懸念される武力重視の対外強硬思想や外国人差別感情といった醜悪な国民統合の土壌を見る思いがしました。
81年前の敗戦だけでなく120年前の戦争の実相からも学ぶべき点が多々あるのを感じます。

肥後の猛婦

NHKの朝ドラ「風、薫る」に出てくる、伊勢志摩さんが演じる梅岡女学校校長兼看護婦養成所長についてですが、史実では熊本県出身であり、女子学院初代院長や日本キリスト教婦人矯風会初代会頭となった矢嶋楫子(やじま かじこ)です。大宅壮一がかつて「肥後の猛婦」あるいは「四賢婦人」と称した矢嶋姉妹の一人です。矢嶋家は、幕末の思想家・横井小楠との関係が深く、楫子の姉の子に徳富蘇峰、蘆花がいます。出身地の熊本県益城町には四賢婦人記念館もあります。
「風、薫る」の主役2人のモチーフとなった大関和と鈴木雅の実際の経歴は、共に子を2人ずつ抱えるシングルマザーという境遇にあって、英語力を使って看護学を学んだそうですが、矢嶋楫子はDV夫と断髪して離婚し、末娘とともに長崎から船で上京、船上で自ら改名、後に教育者へ転じたという経歴を持っています。彼女を主役に据えた朝ドラを創ってもいいぐらい波乱万丈の人生を送っています。
今週から登場シーンは見られませんが、地元熊本のNHKや新聞もあんまり話題にした様子はなく惜しいなあと思います。
https://kumamoto-museum.net/shikenfujin/
https://www.joshigakuin.ed.jp/ozekichika_specialsite/
https://news.yahoo.co.jp/articles/f29cfb935eea43f10a253eb528ebf4605f02138b?source=fb&fbclid=IwY2xjawRxALpleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFCaEVraUxjVkJMZm51d29Vc3J0YwZhcHBfaWQQMjIyMDM5MTc4ODIwMDg5MgABHqWUtJIxccB4egsLDFu6vLSnDtmxv-W-EWO0gOjHmUgwSD_erlDbLFpmTeEg_aem_YQG7Ku26gnRY70-uBGJCWQ

「少子化と教育格差」特集読後メモ

 岩波書店発行の『世界』2026年4月号の[特集2]は、「少子化と教育格差」。そのねらいについて、発行元のサイトには次のように記されていました(▶は改行を示す)。「2025年の国内出生数は、68万人を下回る見込みとなった。▶ベビーブーム期の3分の1以下という急激な少子化が進行する一方、子育ての負担や保育・教育に関わる課題は噴出している。▶日本の公教育は、場所を問わず「教育の機会均等」を保障しようとしてきた。だが、少子化・人口減少下で綻びが広がり、その隙間に入り込む私教育では経済・文化・地域の格差が拡大しつつある。▶急激に進行する少子化は、子どもに、そして社会に何をもたらすのか。」。
 この特集では、いくつか興味深いデータが示されていましたので、紹介してみます。
 米国の家族人口学者であるサラ・マクラナハンが導いた指摘(2004年発表)によると、母親の晩産化や就業率の上昇、親の離婚の増加といった行動変化のうち、晩産化と母の就業は子どもの生活を安定させるが、離婚はウェルビーイングを低下させる傾向にあり、母親が高学歴で安定した生活を送る子どもと、母親が低学歴で資源の乏しいひとり親世帯で育つ子どもという、子どもの生い立ちとその帰結が二極化していく「分岐する運命」の顕在があるそうです。
 実際、日本の子どもについてもそれは言えるようです。1995~99年出生児では90%以上が34歳以下の母親から生まれていましたが、2015~19年出生児ではその割合は69%にまで低下し、母親が35歳以上だった割合が30%を超えています。この20年間で母親の年齢が確実に高年齢化しています。続いて、父母の学歴の組み合わせ別の構成変化を見ると、父母ともに非大卒が減り、父母ともに大卒の出生児の割合が上昇しています。母親が大卒の割合は、1995~99年出生児の37%から2015~19年出生児の50%に達していて、今後は母親が大卒である子どもがマジョリティとなると見られます。さらに、子どもが1歳時に母親が正規の職員として就業していた割合は、1995~99年出生児では16.8%ですが、2015~19年出生児では36.8%に達します。子どもが6歳時の母親の配偶関係構成の変化について見ると、1995年以降、母親がシングルマザーである割合は低下傾向にあり、2人親のもとで育つ子どもの割合が上昇しています。離婚理由にはさまざまなものがあり、その状態をもって非難するのは大間違いです。資源に恵まれた子どもとそうではない子どもとの格差があることに政治が目を向けて低所得やひとり親世帯の子どもに手を差し伸べることが重要です。
 もう一つ知っておきたいデータとしては、多様な文化的・言語的背景をもつ子どもが増加しているということです。2024年に日本国内で生まれた子どもは71万人ですが、そのうち父母が日本人の子どもは67万人、父母の一方が外国人の子どもは1万6千人、父母が外国人の子どもは2万3千人であり、出生総数の5.4%が両親のレベルで外国にルーツをもつ子どもとなっています(2024年の日本国籍出生児の2.3%は父母の一方が外国人です)。外国の文化的・言語的背景をもつ子どもについても特に母親が高学歴、正規職員である割合が高まっているそうですが、やはりその背景を考慮した支援は求められると思います。
 以上が、国立社会保障・人口問題研究所の岩澤美帆氏の「「子どもが減る社会」の実相 データで捉える子どもとその環境」からの読後メモでした。以下は、ハーバード大学アカデミー・スカラーの打越文弥氏の「「手に職」系学部の増大とジェンダー格差」からの読後メモになります。
 近年の日本の大学では、看護系や薬学系、保育系、社会福祉系といったケア領域の「手に職」系の学部が増えているそうです。それがどのような大学で増えているかと言うと、入学難易度が比較的容易な非銘柄大学、比較的歴史の浅い私立大学に多いようです。しかも定員割れに苦しみ生き残りを迫られた地方の私立大学に偏在する傾向にあります。女性資格職と結びついていた短大が四大へ昇格した背景もあります。
 私立大学のタイプ別にみた「手に職」系学部に在籍する学生が占める割合(注:数値はグラフからの読み取りのため大まかです):私立大学A群(早慶GMARCH旧設8医科大など)7%、私立大学B群(1960年以前設置)13%、私立大学C群(1960年以降設置)25%
 地域別にみた「手に職」系学部に在籍する学生の割合:北海道・東北25.1%、関東15.9%、中部24.3%、近畿17.9%、中国・四国27.3%、九州・沖縄25.4%
 選択肢が豊富な(潰しが効く)難関大学は都市部にあり、それら遠方の大学に進学するには高校生自身に周囲の大人を納得させるような合理的理由を提示する必要が哀しいかな求められています。このことから、進路選択を通じた男女の分離が強まらないか、大都市圏に比べて職業的な多様性に限りがある地方においては、高校生女子の将来の選択が、より制約されてしまうのではないかと考えられます。
 入学前に専門を決める入試制度と私的負担に加えて、日本の企業特殊的なスキル形成もとりわけ女性には足かせとなっています。日本では、企業特殊的スキルのレジーム下で得られたスキルは、その企業に特殊的である(と信じられている)ため、同業他社であっても通用しないと考えられて、出産・育児によって就業中断を経験しやすい女性には不利な労働市場となっています。その意味では「手に職」に対する志向性は「合理的」ですが、やはりジェンダー格差という問題は残ります。
 高学歴高所得の親なら子どもの教育環境と将来を考え、やはり都市部で居住したがるでしょう。「手に職」系の学部設置で生き残り戦略をとってきた地方の大学も、先行きは暗いようです。そこの卒業生も生活のことを考えればやがては都市部へ出て行くでしょう。高度なスキルを要する企業であればあるほど人材確保のため都市部に留まり続けるのではないかなと思います。

『ナショナリズムとは何か』読書メモ

1月23日から動画がネット公開されている「先端研クロストーク」(2025年11月7日実施)の中で、登壇者の一人である中井遼氏(東大先端研教授)の存在を知り、同氏近著の『ナショナリズムとは何か 帰属、愛国、排外主義の正体』(中公新書、1100円+税、2025年)に興味を覚えて読んでみました。
https://www.youtube.com/watch?v=_3swK2zGynA
これだけ大きなテーマを新書1冊で解き明かせるものなのかという疑いをもって最初は手に取りました。ですが、読み進める中で、国内外の膨大な先行研究を狩猟し咀嚼したうえで論述した労作というのが伝わり、疑念はきれいに晴れました。著者も「科学とは人類によるチーム戦である」(p.229)と書いています。何がわかっていて、何がわかっていないのかを、知っていないと、社会は貧困になり、さまざまな争い(最悪は戦争)が生まれるということを、本書で感じました。そのためにも本書で紹介されている実証研究の成果が社会一般に共有されることが重要です。
時に帰属意識や愛国心、排外主義をくすぐるナショナリズムは、政府や政治家にとって都合にいい武器になります。これはファシズムだけでなくてリベラリズムや環境保護運動との相性の良さもあり、多面的です。皮肉なことにナショナリズムは、学校や軍隊、鉄道、出版印刷文化が発達した時代から登場した面もあります。
本書で紹介されていた実証研究やデータの中で知っていて損はないトリビア的なものをピックアップしてみます。
・デンマークやアメリカでは、国への帰属意識が強い人ほど、同時に排外意識が強いが、カナダやイタリアでは逆の相関関係で帰属意識が弱い人ほど、同時に排外意識が強い。
・サッカーW杯の予選をギリギリ勝ち抜いた国とギリギリ敗退した国では、前者のほうが2~3年後に戦争を開始する確率が有意に高い。
・イギリスのサッカーのクラブチームの地元回答者を対象にした分析では、中東にルーツを持つ選手の入団後、体系的にイスラム教徒への偏見が減ずる現象が確認されている。
・バルト三国の「歌う革命」。「歌うことは抵抗すること」であり、1990-91年にソ連からの独立を回復した。エストニアで1988年に行われたイレギュラーな祭典では全人口の役5分の1が1か所に結集した。「太陽・雷・ダウガワ川」が歌われた。
・アメリカにおいてはアイルランド系移民やイタリア系移民が歴史的にはしばしば非白人グループに属するとみなされてきた。
・日本では、高学歴層のあいだで、表立って回答する際には一定の反中反韓的な態度を表明することが規範的なふるまいになっている傾向にある。
・19世紀、プロイセンに敗北したフランスが下士官の指揮と意思疎通能力を高めるために急速に言語統一を推し進めた。日本も黒船襲来やアヘン戦争による国際危機認識のもとでの近代化(明治維新)の中で学校教育と共通言語教育を普及させた。
・インドのヒンドゥー教徒を対象にした実験で、ヒンドゥー教徒の多い地域の災害情報とイスラム教徒の多い地域の災害情報を見せてそれぞれの寄付額を聞くと前者が多くなるが、インドの国土と国旗の情報を先に見せてから両方の地域の災害情報を見せると寄付額が同じ程度になった。
・第二次大戦終結後から1999年までに発生した国家間戦争の死者数は約330万人である一方、同じ期間に発生した内戦の死者数は約1620万人であり、およそ5倍である。
・かつてリトアニアの最大都市のビリニュスは北のエルサレムと呼ばれ19世紀頃まで同地最大の民族集団はユダヤ人であったが、現在は同地にユダヤ人はいない。第二次世界大戦の際に、約20万人前後のほとんどのユダヤ人がナチスドイツの侵攻前後に現地協力者とナチスの手によって殺された。当時のリトアニア住民は、ユダヤ系住民をリトアニアの独立を奪ったソ連の味方だと観念し、敵に通じていると想定していたからである。現在、リトアニアではこの経緯が高度な歴史認識問題となっている。
・国民の祝日の30日後に国家間紛争に至るリスクはそれ以外の時期より2~3割高くなっている。
・国外に同民族問題を抱える国において、比例代表制をとる国が失地回復戦争を起こす確率は1.2%であるのに対し、小選挙区制をとる国では5.8%となる。軍事独裁国家のある国がある年に同様の紛争を起こす確率4.5%よりも高い。

『無敵化する若者たち』読書メモ

日本総合研究所会長・多摩大学学長の寺島実郎氏が配信している動画「寺島実郎の世界を知る力#65」(2026年2月15日放送)を、先日たまたまネット視聴しました。その中で、紹介していた金間大介著『無敵化する若者たち』(東洋経済新報社、1600円+税、2026年)の内容に興味を覚えてさっそく読んでみました。
著者の金間大介氏は、イノベーション論を専門とする大学教員。1995年以降生まれのいわゆるZ世代の若者と接する機会が多い環境にあり、若者の価値観の特徴を詳しく紹介しています。彼ら若者との接し方に困っている上司世代に対しては、その価値観を変えるのではなく行動支援をすることを勧めています。また、おそらくこの本を手に取らないであろう若者たちに対しても、チャンスへ飛び込んでみる勇気を呼びかけています。
ところで、Z世代の価値観を一口で言えば、とにかくいい子症候群の安定志向。タイパ優先で、常に先に正解を求め、失敗することを恐れます。結婚したくない子どもを持ちたくない若者の率が多いのも失敗を恐れてなのかと思います。彼らの親世代が社会人となった時代が経済的にも不景気で将来の生活不安が大きく感じられることもあって、我が子が失敗の人生を送らないよう正解を教え続けてきた結果でもあります。職場でも優しく何でも教えてくれる、まるで塾講師のような上司が歓迎されているそうです。
昔からいい大学に入って安定した大企業に就職するのが勝ち組というので、安定志向の若者が一定数いたとは感じますが、現在は若者人口も減り、浪人してまで進学する大学は一部に限られています。あんまり努力する必要もありません。就職もずいぶん売り手市場になってきました。
読んでみて私がこれまで感じていた若者の価値観の大勢と違和感がなく、納得する点が多かったです。役に立ったのは、本書で紹介していた「大学生に通じないネタ・トップ5」。第1位:テレビコマーシャルネタ、第2位:ドラマネタ、第3位:サッカーネタ、第4位:相撲ネタ、第5位:野球ネタ、となっています。要するに若者は、テレビ見ないし、新聞・雑誌読まないし、努力嫌いだし、ということなのでしょうか。

それはミュージアムかを判別する

ミュージアムといっても分類すると、総合系、歴史系、美術系、自然科学系とさまざまです。展示に力を入れているところもあれば、資料の保存や研究に重点を置いているところもあります。一般の人はその展示を通じて何かを感じるなり学ぶなり刺激を求めに訪ねていくのでしょうし、実際私もあちこちへ伺う機会があります。ですが、ミュージアムと名乗っていてもそのレベルはまちまちです。中にはこういうものを収集したので、陳列しましたと言っているだけの、勝手に眺めて楽しんでくださいという、ギャラリーショップ的なところもあります。でも、それでミュージアムと称していいのだろうかと思います。
高木徳郎編著『文化財を未来につなぐ 博物館と学芸員の仕事――学芸員をめざす人へ』(勉誠社、2800円+税、2025年)を読んでみると、ホンモノのミュージアムにはホンモノのキュレーターがいて、その判別に役立つ書籍だなと思いました。逆に日本における「博物館」とか「学芸員」とかいうのが、その呼称だけではレベルを保証するものではなく、国際基準からもかけ離れていることが理解できました。
まず、2021年に国が行った「社会教育調査」によれば、日本国内には、5771の「博物館」があり、次の3種類に分かれます。①登録博物館(911館、約16%)、②指定施設(旧・博物館相当施設、394館、約7%)、③博物館類似施設(4466館、約77%)。①・②は博物館法に規定され、その適用を受ける社会教育施設となりますが、③は博物館法の適用を受けない施設です。①は都道府県や政令指定都市の教育委員会による審査を受けて登録された「博物館」であり、学芸員がおり、年間150日以上開館し、公立施設では博物館協議会設置が定められ、原則入館無料となっています。②は国または都道府県・政令指定都市の教育委員会が登録博物館に類する事業を行う施設で、意外にも東京・京都・奈良・九州の国立博物館や国立科学博物館もこれに位置付けられている。学芸員に相当する職員を置くことが定められているに過ぎず、年間100日以上開館でいいそうです。③では学芸員の配置は義務でないこともあり、86%の施設で専任の学芸員がいないとされます。利潤の追求や観光施設のとしての集客、経営母体の情報発信が目的とするものもあります。
ところで、博物館法で規定されている「学芸員」の資格取得者のほとんどは四年制大学の所定の単位取得となっています。2007年度の数字では、全国で322の四年制大学が学芸員資格取得講座を設置し、8588人が学芸員の資格を取得して卒業していて、今もそれくらいの規模のようです。しかし、私もその資格を有しているので、わかるのですが、保存科学や修理にかかわる技術、展示や資料梱包にかかわる技法まで学ぶ機会はありませんでした。あくまでも準備教育ないしは基礎教育を受けたに過ぎません。それでも、博物館等に就職できる人が年間200人ほどあるようです。
この日本の学芸員制度は海外と比較すると特異です。たとえば米国の場合、学芸員の業務は、専門分野の調査・研究を行うcurator、資料の保存にかかわる技術者conservator、資料の修復にあたる技術者をrestorer、展示技術や演出を担当するexhibition designer、教育普及活動を行うeducator、資料の登録と管理を行うregistrarなど、専門分野に分化しているとのことです。欧米のcuratorは、大学で言えば教授に匹敵する研究実績と実務経験があり、博士号をもつのが一般的で、curatorの職に就くまでには、assistant curator、associate curatorなど、業績審査の過程を経て徐々に昇任することから、もしも図録や名刺でcuratorと肩書を英文表記している日本の学芸員がいたら、その経歴をよく確認してみる必要がありそうです。

ステレオタイプな台湾理解に陥らない

専修大学図書館の「図書・雑誌無料頒布会」で入手した、1972年生まれの台湾在住の作家・甘耀明著の『鬼殺し』(白水社、2017年)を読み終えました。著者の甘耀明が6歳まで3世代で暮らしたのは、新竹と台中の中間に位置する苗栗(ミャオリ)県獅潭(シータン)郷は先住民族のタイヤル族やサイシャット族が隣接して住む客家の山村でした。その地では、祖母からそれら先住民族の民間説話を聞いて育ちましたし、大学院時代はアミ族が多く住む花蓮で暮らした経歴を持ちます。この作品の舞台は、日本統治下で太平洋戦争が開戦した1941年12月から戦後の国民党軍による二・二八事件(1947年)までの台湾の架空の客家の村。そこで生きる元日本兵の少年(彼の義父はタイヤル族)と日本の台湾領有(1895年)に抵抗して独立を宣言した台湾民主国の義勇軍に参加したのち隠遁生活を続ける祖父との物語となっています。
特攻隊に対する風刺が上巻p.212にありましたので、一つ紹介しておきますと、客家の人たちが話す閩南語(びんなんご=台湾語)で「うどの大木」を意味する大箍呆の発音は、「トァクゥタイ」。本書で知り得たマメ知識です。(小説のあらすじを開陳するヤボなことはしたくないのでここまでにします。)
本書の魅力として知らしめたいのは、下巻巻末に掲載された訳者の白水紀子氏による解説にもあります。ここでは台湾における皇民化や戦後の国民党支配下での混乱といった歴史の流れ、多民族多言語(=多文化でもある)といった台湾の社会構造について概観できるようになっています。ちなみに2010-2011年の行政院客家委員会調べによると、大きく4つの言語グループがあります。古く福建など中国南方から台湾に移住した漢族で閩南語を話すホーロー人(福佬人)が67.5%、客家語を話す客家人が13.6%、戦後台湾にやって来て北京語を話す人が17.1%、16の先住民族が1.8%という具合。日本で受け入れやすい親日的な台湾人像でひとくくりにできない複雑な面を理解することができて有益でした。
明治大学平和教育登戸研究所資料館館長の山田朗氏が、著書の『兵士たちの戦場 体験と記憶の歴史化』(岩波現代文庫、2025年)で書いていることですが、歴史の記憶の継承において、ことに虐殺を伴う戦争の記憶においては、戦争の〈栄光〉や〈被害〉の部分といった〈表の記憶〉は比較的語りつがれやすいのですが、戦争の〈秘匿〉すべき部分や〈加害〉の部分といった〈裏の記憶〉は断絶しやすいと指摘していたのを思い起こします。加えて、〈戦争の記憶〉の継承が、ヒト(体験者)からヒト(非体験者)への時代が終わりつつあり、ヒト(非体験者)からヒト(非体験者)へ、モノ(書物・映像・遺跡・博物館など)からヒト(非体験者)へ移行してきているとも書かれていました。
それが、台湾のように多民族多言語で成り立つ社会であればなおさら消えていく記憶が多いと考えるのが当然だと思います。小説の手法で伝える力をもった作家が存在するのは、台湾にとって資産だと思います。
一方で、これは地元の動きなのですが、ノンフィクションを装ったフィクション記述のある出版物に寄りかかって地元と縁がある台湾人を英雄に仕立て上げて顕彰することが性懲りもなく続けられています。熊本県教育委員会が制作した高校生向けの「半導体理解促進ハンドブック」でも感じたことですが、とかく行政や報道は〈表〉や〈正〉については何度も伝えますが、半導体産業における地下水保全や排水処理など〈裏〉や〈負〉の情報については触れたがらないものです。地元の英雄伝説拡散についても、そういう話でもこしらえないと公職者らが公費で訪台し続けられない事情があったのでしょうか。そうだとしたら、なんとも嘆かわしい次第です。
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/life/230153_650958_misc.pdf
https://gkbn.kumagaku.ac.jp/minamata/wp-content/uploads/2025/08/e6e9d12972cf1ee954f680ed4d62fee9.pdf
https://jats.gr.jp/cp-bin/wordpress5/wp-content/uploads/journal/gakkaiho020_09.pdf
https://kumanichi.com/articles/1935853

科学と歴史からの学び

昨日、グランメッセ熊本で開催されていた「県立高校 学びの祭典」と「県科学展」を見てきて、科学的思考に親しんだ高校生たちの展示や発表に接しました。主に宇土高校のそれを中心に見て回りましたが、いずれも主体的に答えを導き出した努力が感じられ頼もしく思いました。同高生徒の研究に際しては私の居住行政区が連携協力していることもあって、当区の地域課題に向き合った発表もありました。
たとえば、「学びの祭典」のステージ発表の最初に登場した、宇土高校の「山のやっかいものを海の資源に~竹炭を使った赤潮対策~」もその一つです。リーダーの生徒は中高で剣道部に所属し、使えなくなった竹刀から出る竹材を何か有効活用できないかと思ったのが、研究のきっかけと言っていましたが、当区の里山にとっても増え過ぎた竹林が土砂崩れを誘発しかねないやっかいものであるため、材料は豊富に提供できたのも後押しになったかもしれません。竹が多孔質であることに着目して赤潮の原因となるプランクトンを凝集・除去することを提起していました。同高からは他にも竹から竹油を抽出して香水を作るとか、夏場に区内のため池が白濁する原因が硫化水素にあると考えた発表もあり、興味をひきました。
なお、同会場入り口では、出展パンフレットとは別に熊本県教育委員会が制作した高校生向けの「半導体理解促進ハンドブック」が配布されましたので、これも読んでみました。半導体そのものの解説に始まり、製造工程の説明、半導体産業が必要とする人材などについて学べる内容となっています。反面、地下水保全や排水処理など負の課題については一切触れない徹底ぶりも感じました。
午後からは、くまもと文学・歴史館で開催中の「書籍に見る小泉八雲の世界」の展示をまず観覧しました。熊本在住時代の小泉八雲は、帰化前でしたので、ラフカディオ・ハーンであったわけですが、彼は宇土の「雨乞い」についても関心を示し、記したことが紹介されていました。関連の熊本県の保管文書として1875年8月16日の牧文四郎区長名の「雩(あまごい)願」が展示されていました。偶然ですが、牧文四郎といえば、藤沢周平作品の『蟬しぐれ』の主人公と同姓同名です。
その後、隣接する熊本県立図書館で開かれた「くまもと文学・歴史館長佐藤信講演会 遣唐使の交流」を受講しました。講演では、佐藤信氏が井真成、平群広成、阿倍仲麻呂、羽栗吉麻呂、大伴古麻呂、吉備真備、行賀といった遣唐使として東シナ海を渡った古代の日本人を紹介しながら、「古代の日本文化は、外の世界から文化を取り入れながら形成されてきた。閉鎖的な島国で排他的に文化を固守してきたのではなく、常に大陸・朝鮮半島や北方・南方の世界に対して交流の道を開いて、国際的文化を積極的に導入しながら、文化形成を行ってきた」と述べられました。
当時の航海はまさに命がけでした。平群広成の場合は、帰国に際して現在のベトナム南部の崑崙国へ漂着しその後唐国へ戻り中国東北部・朝鮮半島北部に位置する渤海国を経て帰国を果たすまで5年もの歳月の間、アジアの東方諸国をさまよっていました。ちなみに「平群」姓は「へぐり」と読みます。水俣病被害者互助会弁護団事務局にいる平郡真也行政書士の姓も「へぐり」と読みますので、なんだか勝手に親近感を覚えながら聴講していました。平郡さんは、溝口訴訟最高裁判決勝訴の影の立役者であり、熊本学園大学水俣学研究センター客員研究員としても活躍されています。
遣唐使が停止されたのちは商人たちによって伝えられるようになりましたし、現在の歴史教科書では江戸時代が「鎖国」とは記載されなくなったそうです。遣唐使の中には唐の女性と結婚した人もいて、その子女が海を渡った例もあります。たとえば藤原清河の娘である喜娘(778年天草に漂着)や羽栗吉麻呂の息子の翼(つばさ)と翔(かける)がそうです。「翼」や「翔」という名前は今時のイメージがありましたが、8世紀にはすでに登場していたのを知ったのも新鮮でした。吉備真備の母は渡来系の楊貴氏と言われます。そして、日本に大陸の先進文明をもたらした玄昉や吉備真備は、聖武天皇から重用されていました。
無知ならまだしも大のおとながエセ科学やエセ歴史の言説に乗せられてみっともない発言をしているのに接すると、哀れに思うことがしばしばあります。歳を重ねると経験値が増えます。それ自体ないよりはマシでしょうが、ある一人の経験は狭くそれだけを過信するのは禁物です。学校教育においても生涯教育においても科学と歴史からの学びは重要だなと改めて感じた日でした。それこそエセ科学やエセ歴史に騙されない、カモにされないためにも。
カモの写真は、くまもと文学・歴史館付近の加勢川にかかる砂取橋の上から撮ったものです。

ばけばけ関連展をハシゴ

NHK朝ドラで現在放映中の「ばけばけ」はあんまり視聴していないのですが、たまたまラフカディオ・ハーン(小泉八雲)関連の企画展が熊本市で2つ開催中なので、観覧してきました。昨夏、松江を訪ねる機会があり、当初は同地の小泉八雲記念館へも立ち寄る予定でしたが、松江城の堀を舟で巡ったり、天守閣まで昇ったりで、入館の時間がなくて記念館の前を素通りしただけでした。そんなこともあって、一種のリベンジの意味もあって足を運んでみた次第です。

まずは、熊本博物館の特別展「八雲とセツ 家族の物語」から見てみました。JR上熊本駅で降り、そこから熊本市電に乗り、杉塘電停で下車。城内へ向かって歩いていくと上り坂ですが、割とすぐ着きました。同館へ行くのは約20年ぶり。そのときは子どもらを連れてプラネタリウムや屋外展示のSL見学が主目的でした。その後、リニューアルもありましたし、今回の入館は初に近い印象でした。
特別展の内容は、小泉セツの回想を裏付ける八雲の書簡が中心となっていました。その書簡を通じて、八雲の家族に対する思いが伝わりました。なんといっても当時では国際結婚自体が稀有なことでしたので、家族とどのような関係を築いていくかいろいろ工夫しなくてはならないことが多かったとようにうかがえました。長男が生まれた頃は正式な婚姻ではなかった(八雲の帰化はその後)ため、セツにすべての財産を遺贈する旨の遺言を当時作成していたことも展示で知ることができました。先着1000人限定の特別展プレゼントのクリアファイルもまだ開催2日目ということでもらえました。
せっかくの機会なので、常設展もひと通り観覧しました。細川家の参勤交代に際しては現在の大分の鶴崎から大坂までは海路であり、そのために川尻の大工たちに御座船「波奈之(なみなし)丸」を造らせました。展示室にはこの船の御座所部分があります。参勤交代の経費は、現在の価格に換算すると12億円ということでしたから、相当な負担だったことが改めて理解できました。旧石器時代の出土品の展示では、この施設が熊本市立ということもあって熊本県が発掘を行った熊本市の「石の本遺跡」のものの展示がないのかなと思いました。一方、縄文時代の出土品の展示では、現在の宇土市の轟貝塚や曽畑貝塚のものがあって、そうした運営自治体と遺跡出土自治体との関係がどうなのか気になりました。なお、貝塚があった時代の海岸線の図も展示されていたので、その写真も示しておきます。時代が下って近代の熊本は軍都という面がありましたので、戦争関連の展示の割合をもっと多くあってもよいのではと思いました。アンケートに回答すると熊本城のポストカードをもらえました。
さらに、熊本博物館の近くにある護国神社の境内に、戦後復員した伯父が所属していた第三十七師団の「歩兵第二二五聯隊慰霊碑」があることを知っていましたので、こちらも見てきました。その隣に建つ同じく熊本編成の第二十三師団(ノモンハン事件の主力部隊)の碑には坂田道太氏の揮毫がありました。
https://kumamoto-city-museum.jp/

次に熊本大学黒髪北地区内にある五高記念館の企画展「五高教師ラフカディオ・ハーン」も観覧してきました。熊本大学のキャンパス敷地内に入ったことはこれまで何度もありましたが、五高記念館の館内に入るのは実は初めてでした。1階が常設展示室となっているため、そちらから見て回りました。五高の成り立ちから理解できるようになっています。ラフカディオ・ハーンは、五高教師としては夏目漱石(金之助)とともに著名ですので、常設展示でもハーンのことを多く取り上げていました。企画展示は、2階の2室を占めていました。ハーンが出題した英語の試験問題文を読むと、英会話的な試験ではなく、英文で書く論文試験の印象を受けました。嘉納治五郎とハーンがサインした雇用契約書が展示の目玉という気がしました。
ついでに、ここも初めての入館でしたが、やはり五高時代の化学実験場を会場とする「明治の地質学掛図と描かれている化石」の展示も見てきました。ここには、階段教室も保存されています。展示室には理学部地球環境科学コースの現役教授のコレクションの化石が多数展示されていました。大学自体が保有するアンモナイト化石の大きさには驚きました。化石が発掘実習を行った北海道では漬物石代わりに使われていたエピソードも紹介されていて、父方の祖母が戦後焼夷弾の残骸鉄くずをやはり漬物石代わりに使っていたことを思い出しました。
帰りに赤門と正門間の歩道で500円硬貨1枚と10円硬貨2枚を拾ったのですが、子飼交番までは距離もあり届けるのも面倒なので、少額でもあるので、五高記念館の募金箱に入れてきました。おそらく防犯カメラにも記録されていると思います。
https://www.goko.kumamoto-u.ac.jp/

2025年12月4日の熊本日日新聞2面「射程」欄にも同紙記者によるハーン展はしご記が載っていました。
https://kumanichi.com/articles/1932266

図書無料頒布会の恩恵に与かる

専修大学大学院の科目等履修生で良かった点として、11月11~18日の「図書・雑誌無料頒布会」の恩恵に与かれたことでした。これは、専修大学図書館所蔵の図書・雑誌のうち登録抹消したものを、学生や教職員に限って無料で入手できるというものです。大学側の案内によると、生田キャンパスで700冊、神田キャンパスで500冊が対象になっていました。そこで、頒布会最終日の夕刻に神田キャンパスを訪ねて、以下の書籍をいただいてきました。
■神田分館
実務公法学会編『実務行政訴訟法講義』(民事法研究会、6700円+税、2007年) ※カバーなし
■Knowledge Base
松浦寿輝『名誉と恍惚』(新潮社、5000円+税、2017年) ※カバーなし
甘耀明『鬼殺し 上・下』(白水社、各2800円+税、2017年)

上記のように新刊本で入手しようとすれば計2万円相当もする書籍ですから、たいへんありがたい機会でした。歳を重ねてくると、専門書はともかく、どうしても未知なる作家の文学作品を手にとるのは、ふだんないものです。このように無料で入手できるのであれば、あえて読んでみようかというきっかけにもなります。

すでに『名誉と恍惚』は、読み終えました。765ページにわたる長編ですが、ぐいぐい読ませる力を持った作品です。舞台は1937~1939年の上海。日中戦争が泥沼化していく時代の、ある日本人青年が謀略戦に巻き込まれ転落していくさまと、その後の結末が描かれています。著者の松浦寿輝は、1952年生まれのフランス文学者、東京大学で教授をしていた人です。
作品中で一つ気になったのは、p.71の記述で、「韮菜炒牛肝」に「ニラレバ」ではなく、天才バカボンのパパが広めた「レバニラ」という振り仮名があったことです。「豚肝」ではなく「牛肝」というのも引っ掛かりましたが、1937年の上海租界の日本人同士の会話では、時代考証的に果たしてどうだったのかと、気になりました。
なお、本作品は、昨年2月に文庫化され、現在は岩波現代文庫から上下2巻で刊行されています。作者が昨今の新潮社のスタンスに何かわだかまりを持っていたのかどうか、いきさつも多少気になりました。

そして、今読んでいるのは、1972年生まれの台湾在住の作家・甘耀明著の『鬼殺し』です。この作品の舞台は、日本統治時代の1941年12月から戦後の国民党軍による二・二八事件までの台湾の架空の客家の村。そこで生きる怪力の少年と祖父の物語となっています。どちらも日中関係の歴史を考える際の一助になるかもしれません。

『草の根のファシズム』読後メモ

2022年8月に岩波現代文庫から文庫化出版された吉見義明著の『草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験』は、もともと1987年7月にシリーズ「新しい世界史」の一冊として東京大学出版会より刊行されています。1946年生まれの著者は、もともと日本の社会運動に関する歴史を研究対象としていましたが、日本ファシズムと戦争の問題に関心を持つようになり、次第に視線を低くし、ファシズムや戦争に対する普通の人々の反応や意識の問題をさぐることに、強い興味を感じるようになったと、本書あとがきで明らかにしています。同時に1970年代に入ってから膨大な量の戦争体験記類(その多くは日記または敗戦直後にまとめられた記録、現役を退いてからまとめられた回想記)が、私家版などの形で刊行された時期にあたったこともそれを後押しすることとなりました。こうした記録はそれまでの現代史学で対象とならなかったのですが、当時30代の若手研究者であった著者は、それら生存記録者や故人記録者の関係者に対する追加取材(インタビュー証言・書簡交換など)を加えて本書を完成させるに至りました。
ですが、史料はそれだけに留まりません。軍部を批判した政党政治家の斎藤隆夫のもとに人々が寄せた激励や感謝の書簡、国民の手紙を検閲から得た司法省刑事局の分析報告、戦後のアメリカ戦略爆撃調査団戦意部の日本国民に対する聴取データもあります。
さらに、登場する民衆も内地人に限られません。沖縄県人、アイヌ、ウィルタとチャモロ人、朝鮮人、台湾人にも目を向けています。在外邦人についても滞在した土地や立場(兵士か商人など)で体験は異なりますから、それについても広く目を向けられています。
その中でも熊本県出身の新美彰(にいみ・あや)さんの体験についての記述は、印象に強く残りました。タイプと速記の技能があった彼女は、1943年5月にマニラ日本人会の職員募集に応じて単身フィリピンへ渡りました。同年9月、マニラに進出していた日本企業に勤める同郷の男性と結婚し、翌年7月には長女を出産します。しかし、1944年9月に米軍によるマニラ初空襲があり、同年10月には夫が現地召集されます。母子は帰国することもできず、ルソン島の山野を避難放浪することになります。生きるためにフィリピン住民の家から食料を盗んだり、逆に日本軍兵士から食料を盗まれたりすることもありました。厳しい食料事情の中、長女は1945年8月上旬、1歳あまりで命を失い、亡骸を山中に埋める悲惨な体験をします。敗戦は米軍機のまくビラで知り、その後、米軍の捕虜収容所を経て帰国できたのは11月、翌年に夫の戦死公報を受け取ります。熊本帰還後の1946年、栄養失調の療養中、石鹸の行商や線路に落ちている石炭拾いの間に手記をまとめ、1976年に私家版として『わたしのフィリッピンものがたり』を出版しています。
なお、新美彰さんの体験については、今年8月に放送された「NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 1945 終戦」「NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 最終回 忘れられた悲しみ」でも取り上げられています。戦後は、たびたびフィリピンへ通い、亡き家族の慰霊を続けるとともに、同じく家族を亡くしたフィリピンの人々とも交流しました。
https://gendai.media/articles/-/156213?page=2
戦争体験の継承としては、新美彰さんと吉見義明氏との共著である『フィリピン戦逃避行』(岩波ブックレット、1993年)もあります。戦争の悲惨を繰り返さないことと、長女の鎮魂を願って、紙芝居をつくり、若者たちに語り続ける活動をしていることが書かれています。
https://www.iwanami.co.jp/book/b253846.html
『草の根のファシズム』に取り上げられた記録を読むと、戦中・戦後を通じて意識・態度が変化した人もいれば、戦争を体験しながら「聖戦」観が残存したままの人や戦争協力に対する反省が中断したままの人、主体的な戦争責任の点検・検証が欠如したままの人、アジアに対する「帝国」意識が持続したままの人も登場します。戦争を体験したことのない現代人においてもそうした人がいるのを感じます。
戦争という過ちは、歴史上たびたび繰り返されているわけですが、歴史が過ちを繰り返しているわけではありません。歴史から学べない人が戦争という最大の過ちを繰り返しているわけです。
そうした過ちを繰り返さないためには、一人ひとりが常日頃からファクトチェックされた情報を進んで摂取して自ら考えを書き、集合知として共有していくことが有効だと考えています。肌の色や国籍・居住地その他が異なる人にとって共通の価値とならない主張はだいたいどこか間違っているものです。切り取り動画にたやすく騙される思慮のない人に成り下がらないようになりたいものです。
きのう読み書き習慣と読解力・思考力との関係についての興味深い考察が発表されていましたので、それも紹介しておきます。
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20250901140000.html

同級生の近況映像に接しました

NHKプラスで、北海道スペシャル「極北ラジオ 樺太・豊原放送局」を視聴していたら、学習院大学在学時に同級生だった兎内君が出てました。ネットで近況写真を見たことはありましたが、映像でお目にかかるのは実に卒業以来初めてです。番組では、終戦直前からのソ連侵攻により南樺太に残された日本人の処遇について、日本政府が「現地定着方針」を終戦後示したねらいを解説していました。
彼は、大学時代、馬術部に属し史学科に学びました。当時の史学科に日露関係が専門の教授がいた覚えはないのですが、後年同じく学習院大学史学科を出ている麻田雅文氏(岩手大学准教授)が『日ソ戦争』(中公新書、2024年)の著者として活躍しているように、ユニークな研究者を輩出しているところでもあります。
麻田氏の『日ソ戦争』も遅ればせながら近く読んでみます。
なお、ロシア政治が専門の中村逸郎筑波大学名誉教授も学習院大学を出てますが、政治学科に学んでいて、私が属した河合秀和ゼミの先輩です。

『兵士たちの戦場』読後メモ(3)

山田朗著『兵士たちの戦場 体験と記憶の歴史化』(岩波現代文庫)は、書名の通り主に個人としての選択もできずに死を強いられた兵士たちの回想を構成した記録ですが、戦争指導者やそれに近い立場の人物の言葉も掲載されています。
爆装した航空機による組織的体当たり攻撃、特攻作戦が始まったのは1944年10月からです。レイテ沖海戦に際して、日本海軍の水上部隊のレイテ湾突入を支援するため、米空母の飛行甲板の使用を不可能にし、艦上機の離発着を阻止することで米側航空戦力の活動を減殺しようとする、一時的な非常の策として始まったとされます。特攻隊の編成を命じたのは第一航空艦隊司令長官の大西瀧治郎中将でした。その大西から特攻に込めた「真意」を直接以下のように聞いたと、第一航空艦隊参謀長の小田原俊彦大佐が、部下のベテラン搭乗員・角田和男少尉へ話しています。「(特攻によるレイテ防衛)これは九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では、何故見込みのないのにこのような強行をするのか、信じてよいことが二つある。一つは……天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、……必ずや日本民族は再興するであろう、ということである」(p.168)。
この話を角田少尉から聞かされた角田とは予科練同期の搭乗員・浜田徳夫少尉は次のように反論しています。「今、特攻以外に勝つ手はないという。敗けると分かったならば潔く降伏すべきだ。そうして開戦責任者は全部腹を切って責任をとるべきだ。(角田は)特攻が有利な講和のために最後の手段というが、こんなことをしていれば講和の時期は延びるばかりで、犠牲はますます多くなる。貴様のような馬鹿がいるから搭乗員も志願するようになるのだ」(p.169)。
しかし、第一次の特攻出撃の翌日、戦果の上奏を受けた裕仁天皇は「そのようにまでせねばならなかったか、しかしよくやった」(p.166)と及川古志郎軍令部総長に語ったとされています。大西の思惑通りにはならず、浜田の見込み通り戦争の犠牲者はさらに増加の一途をたどりました。翌年の東京大空襲、沖縄地上戦、広島と長崎における原爆だけでもそれぞれ10万人以上の人が殺される結果となりました。浜田は沖縄戦で戦死し、その後徹底抗戦に執念を燃やした大西は終戦翌日に自決しています。
そして、当時の統治構造に問題があったとしても天皇が絶対的権力者であったのは事実です。その戦争責任について考えなければ、いつまで経っても歴史を直視したことにはならないと言えます。

落ちぶれた日本人

ちょうど1年前(2024年6月19日)の地元市議会の質疑・一般質問で、ワクチンの有効性について自らの根拠を示さずに「全くのでたらめ」「うそ」呼ばわりし、市の接種補助事業に反対した珍妙な議員がいたのを思い出しました。こういう議員はおそらく本記事も読んでないだろうし、読んだとしても理解できないかもしれません。
ついでに触れると、上記議員の同じ日の別の質問テーマでは、市議会が教育行政への不当な介入になりかねない、中学歴史教科書の採択を取り上げる不見識ぶりを披露していました。これもおそらく自国の憲法や教育基本法の中身を知らないからこそできる荒業で、呆れさせられます。古代史料に書かれていたからといってすべてが史実ではないのが、常識です。しかし、同議員の話しぶりからすると、神話・伝承と歴史の区別がついておらず、しきりに神話・伝承を歴史の授業で教えることを、当時の教育長へ求めていました。
もしも私が教育長なら丁寧に議員の資質の無さを浮き彫りにしてあげて、神話・伝承のたぐいしか自慢することがないほど日本人は落ちぶれたのかと言ってしまいそうです。
エセ科学やエセ歴史を信じ込むような人物に議席を与えていることに嫌気がさします。

企業の新人研修テキストにこそ相応しい

4月16日の熊本日日新聞に、水俣病の原因企業チッソの事業子会社JNCの新入社員研修で、水俣病語り部の会会長の緒方正実さんが初めて講話を行ったとありました。これまでの同社の研修では、水俣市立水俣病資料館の見学はあっても、患者・被害者の講話を聴くことはなかったので、このこと自体は歓迎します。さらに言えばぜひとも水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、3500円+税、2025年)を研修テキストに採用してもらいたいものだと思います。
同書は、水俣病第一次訴訟(提訴時の被告代表者は雅子さまの祖父・江頭豊、被告代理人弁護士は民事訴訟法の兼子一元東大教授の法律事務所所属)において患者・家族を勝訴に導いた新たな過失論「安全確保義務」の理論がどのようにして生まれたかを明らかにしています。これは、現在のさまざまな環境汚染に対する「予防原則」の考え方に連なる先駆をなすものです。今や企業の社会的な影響を考えれば、その事業活動に携わる社員が当然備えるべき教養ではないでしょうか。あえていえばJNCだけでなく、原発や半導体産業の社員にも読んでもらいたいと思います。
それと、なぜチッソが水俣病を引き起こしたのか、その企業体質にどのような問題があったのかを知るにも、本書は役に立ちます。当然のことながら被害を受けた住民は、企業の内部については知りません。チッソ創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言ったのは有名ですが、労働災害が多発する工場で最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが本書で明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。じっさい水俣病の被害は社員も受けたわけです。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになります。
救いがあるとすれば、このチッソの関係者の中にも患者・家族に味方して裁判で証言した人やさまざまな資料を提供した人、理論構築の研究に参加した人がいたことです。本書を手に取って企業や行政に携わるなかでも人間性を失わない職業人生を送ってほしいと思います。
https://kumanichi.com/articles/1745646
https://sekifusha.com/11813