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部分的なつながり

インターネット配信で今年の東大入学式の映像を視聴しました。新総長がコロナ陽性に伴い、式辞は理事・副学長の一人が代読となっていました。聴いていて印象に残ったのは、教養学部長の式辞でした。多様性と同質性について考える内容でした。万物が同じであれば、万物は存在しないわけで、「東大生」という同質性に預かってしまっては、異質は見えてこないということだと思います。同時に「部分的なつながり」があるということは、時空を超えて「無関係」はないということです。科学技術に限らず、政治課題もそうですが、何事も関係がないということを知り、関心を寄せるということが、学問なのかなと思いました。

機略を尽くせ

『キッシンジャー回想録 中国』を読み終えました。原書は10年前に書かれたものですが、提言は今も有効だと思いました。現代の指導者は実体験として対立の先にはどのような世界があるのかを知らないため、歴史的視点に立つ洞察力をもっているかどうかが重要です。少なくとも周囲にそうしたブレーンがいればいいのですが、気がかりです。米国の場合は、少なくとも8年に1回は政権が代わります。今回のように政党も変われば最初の9か月間は見習い期間だと、同書の著者は記していました。
以下に読書メモを示します。

中国の特異性
1.長い歴史を持つために、過去の出来事や教訓から物事を判断する。
2.自らを世界の中心であり卓越した存在と考える。
3.時間の観念が長く、長期戦略による相対的な優位を追求する。
4.西欧流の近代化は中国の文明や社会秩序を損なうと考える。
5.本能的に自立更生、自給自足の独自性を主張する。
6.侵入した異民族を中国化させるような文化力や忍耐力を持つ。
7.事物は流動的、相対的であり、矛盾や不均衡の存在は自然と考える。
8.完全な征服より調和を、直接的な勝利より心理的優位を狙う。
9.米国とは異なり自らの価値観を世界に広めようとはしない。

米中関係に求められるのは相互進化
両国ともに可能な領域では協力しながら自国の課題解決に取り組み、対立を最小限に抑えるように互いの関係を調整する。機略を尽くすのをやめ、衝突(あるいは対立)してしまえば世界はどこに行き着くのかにについて自問する必要がある。協議と相互尊重の責任がある。

表紙写真の本は、今度読む予定です。中国国内のモンゴル人に対する文化的ジェノサイドについても目を向けるべきだと思います。文革当時の中国は、文字の読み書きができない国民がかなりいましたが、現在は教育水準の高等化だけでなく、同化政策が進められています。

相手を知れ

「歴史総合」や「公共」などの新科目が2022年度の高校教科書に登場してくるのだそうです。国をまたぐ歴史や境界の問題は、日本の主張だけでなく相手方の主張も理解しなければ何が問題になっているのか、解決の方法はどこにあるのかが見えてきません。相手方の教育の在り方が自国中心であればなおさらです。相手の行動変容を促すにはどう考え動くべきか。教科書だけでなく教員の能力も気になります。新科目には「情報」もあるそうです。国際関係でいえば軍事的な力だけでなく人権や経済の面からも考える力が必要です。

言葉の誤用は恥をかく

昨日テレビを見ていたらタレント同士のトークで「神々しい(こうごうしい)」というべきところを「かみがみしい」、「素性(すじょう)」というべきところを「そせい」という発言があってあれれと思いました。一方で、「他山の石」という表現をふさわしくない意味で発言したニュースもあって、なんともこういうレベルでテレビ放送や国政が動いているのが嘆かわしいと思いました。

言葉は残る

柳美里さんの著書を初めて読みました。氏名の読みが「ゆうみり」さんということも初めて知りました。2002年4月から朝日新聞で長編小説『8月の果て』の連載をしていたことも記憶にないですし、その前に1994年9月号の『新潮』に掲載された『石に泳ぐ魚』がもとで出版差し止め請求の訴訟となったことも覚えがありません。不思議なほどに接点のない作家の一人でした。
今回読んだ作品も小説ではなく、著者の人生史となっていて、辿ってきた生活環境があまりにも違い過ぎるので、なんで記されたような言動をとるのかと、付いていけない部分もありました。
そんななかで、著者とかかわりのあった人物の言動においては、覚えておきたい部分がありました。一人は、著者がミッション系中高一貫校に在学していた中学3年の卒業間際のとき、素行不良を理由に高校への進学が認められそうにないところを止めた化学教師がいました。長くなりますが、著者が当時、担任教師から聞いた話を引用します。「結論から言うと、なんとか高校に進学できることになりました。今日の職員会議では、柳さんには高校でどこか他に転校してもらいましょうっていう先生方が多かったんだけど、木田先生が抗議をされたの。『聖書にはある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出掛けないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる99匹のためよりも、むしろその1匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父の御心ではないとあります。聖書の教えを生徒たちに伝えるミッションスクールが、群れからはずれて苦しんでいる柳さんを退学にするのはおかしい』と温和な木田先生が珍しく強い口調でおっしゃって、それで職員会議の流れが変わったのよ」。
しかし、著者が高校1年の1学期に家出をして警察に補導され停学処分を受けます。このときも前述の木田先生が退学に反対しますが、もう誰も味方をする教師はおらず、校長室で退学の手続きをするよう告げられます。その翌日、著者が父親と校長を訪ねたとき、カーネル・サンダース人形そっくりの校長は、次のように言ったそうです。「お父様のお気持ちは良く解りますがね、娘さんは他の生徒に毒をばらまいているんですよ。段ボールの中に腐った林檎がひとつあると、他のなんでもない林檎まで腐り始めます。だから、腐った林檎は取り除かなければならないんです」。
3.5%の力をもつ化学教師と実は腐った林檎は校長かもしれないというところが、実に印象深いエピソードでした。

在宅研修がスタンダードに

昨日、パソコンを新調しました。セットアップは当日中に行う気力はなく本日の午前中ひと段落してから取り掛かり昼過ぎに終わりました。使う人の能力低下ぶりとは違ってとにかくパソコンの反応が速くくなったのと、音も静かなのに驚きました。デスクトップながらWebカメラも内蔵で付いているので、そのままオンラインセミナーの受講参加にも使えます。最近はこうしたオンラインでの受講機会も増えてきました。主催者からすれば会場を用意しなくて済みますし、受ける側も往復の時間と費用がかからず助かります。学校での外部講師を招いての研修もオンラインで実施してくれると講師も感染リスクがなくていいと思うのですが。

知のオープン化

たまにいろんな大学のホームページを眺めてみると、オンラインでの公開講座などの情報に接することがあります。わざわざ外出する必要がないので、かえって多くの知に触れる機会が得られている気がします。ただし、ライブだと視聴日時が自分の予定との重なりをどうしても受けてしまいます。それと、同時アクセス数の制約があり、事前登録制をとっているものが多いように感じます。大学としては、有料であってもそれだけの価値がある内容であれば、積極的に活用してみて存在を示してみてはと思います。

どう学ぶべきか

昨日の首相の記者会見を聴いていたら、核兵器禁止条約への日本政府の対応を質問していた記者がありました。答えは予想された通りの後ろ向きの内容でしたが、いい質問でした。コロナと同じく全人類に対する危機への向き合い方、つまりリーダーとしての資質をあぶりだすことに成功したと思いました。翻って権力を監視するジャーナリズムの資質も示されたと思います。
ところで、緊急事態宣言によって首都圏の大学では休校こそありませんが、対面での授業や課外活動が制限され、異常な大学生活がやがて1年間となります。実際、私の家族もその弊害を受けています。私が大学生当時だった1980年代前半は今よりももっと反核運動が盛んだった覚えがあります。大規模な集会や原子力空母の入港についての社会の関心も高かったと思います。関連する場所を訪れたり、冷戦時代の旧ソ連から日本へ留学していて交流したことのある大学生が米国へ亡命したこともありました。そういうナマの体験や議論の機会が減っている中で学ぶことの制約はいかがばかりかと思います。一方で、技術の進展はありましたが、人の考える能力というのは当時と今とでもそう変わりはないのではと思います。

道徳が教科なのはおかしい

地元の小学校教員が児童の個人情報が入った私物のUSBメモリを勤務先の学校で紛失事件が10月にありました。本来はそうした私物のUSBメモリに校内の情報を入れて持ち帰ること自体が服務規定に反しているため、それらことが報道発表されました。発表時には教育委員会側から再発防止に努めるとの発言があったそうですが、現場の教員が自宅に児童の個人情報を持ち帰って仕事をしないと、終わらない実態を見ないでそうした発表の仕方をするのが茶番劇に見えて仕方がありませんでした。事実、その後の市議会で明らかになったことは、教員にアンケートをとった結果、実に44%の教員が私物のUSBメモリを使って情報の自宅持ち帰りを行っていると回答していました。これも正直に答えた教員の数字がそうであって、実際はそれ以上、つまり虚偽の回答も多かったと思います。つまり、規定違反ということと、虚偽回答ということが、教員の中に日常的にあると思われることです。そうした人に「決まりを守る」とか「嘘をついてはいけない」とかいう道徳教科を扱わせることほど不道徳な話はないのではないかと思います。あまりにも滑稽な話です。まず行わなければならないのは、規定や働き方の見直しです。ハナから守れない規定の下で働かせられて何も言わない被治者しか育てられない学校はいらいないと思います。

不快な童話作品

学校現場で実施される人権教室の教材に「こねこのしろちゃん」という紙芝居童話作品があるのを知りました。あらすじとしては、黒毛の母ネコから産まれた5匹の子ネコのうち4匹が黒毛で1匹だけ白毛だったのですが、その白毛の子ネコが黒ペンキを塗ったりしてなんとか黒毛になろうと努力するのですが、最後は白毛の父ネコと出会って自身が白毛であることを誇らしく思うという内容です。これこそは人の肌の色の違いを連想させ、黒人の母から産まれた子どもが白人で良かったと言っているようで、たいへん不快な話だと思いました。昨今では、国内の化粧品のCMでも美白効果をうたうことはなくなりました。ましてやこの童話作品をいまなお人種差別が激しい米国などで知られたら国際的な批判を浴びることは必定だと思います。ながらくこうした作品が人権教室で使用されていたことに、またそれにかかわる関係者の無感覚さにたいへん驚きました。
もう一つ、やはり人権教室で使用されるアニメ作品に「とべないホタル」というのがあるのですが、こちらは羽根が短くて飛べないホタルが擬人化されて、仲間のホタルの助けを借りて天敵にも捕食されない一方、身代わりで仲間のホタルが子どもに捕獲されます。ある小学校長経験者が原作者らしいですが、これなどは、自然淘汰の原則を完全に無視しています。ホタルが仲間同士で助け合うことなどはしません。子どもに人権のことを考えさせるなら人間以外の生物で示すのではなく、人間でその事例を示すべきだと思います。人間は身体的不自由があっても、医療や介護、合理的配慮を受けられますが、昆虫がそれを受けることはありません。自然の生態を無視して事例を示すまさに子ども騙しの手法は子どもにたいへん失礼だと思います。それこそが子ども扱いする人権侵害なのではないかと思います。私も子ども時代に学校現場でこのような馬鹿げた教育をさんざんバカな大人から受けさせられた無駄な経験を思い出しました。
けさの朝日新聞天声人語で一昨日亡くなられた、物理学者の小柴昌俊さんが一時期教えた中学校で「この世に摩擦というものがなくなったらどうなるか記せ」という試験問題を出した逸話を紹介していました。正解は「白紙答案」。なぜなら、摩擦がなければ紙に鉛筆で字が書けないからだそうです。科学とは、子どもの人権とはを考える際に、最高の教育の一例ではないかと思います。

 

米国の不思議

米国の大統領選挙の州ごとの勝敗色分けを見てみると、驚くほど地域や都市規模の違いを鮮明にしています。東部や西部の海岸に面する州は民主党が強く、中部や南部といった内陸の農村を抱える地域は共和党が優勢です。支持者の宗教勢力にも違いが見られます。一口に聖書を絶対視する人々は、おおざっぱに言えば科学的に無知な人々です。聖書の記述の中には、時代考証的にさまざまな矛盾が含まれています。実際米国にある聖書を信奉する人々が設立した博物館では展示の中に進化の考え方ではありえない生物も登場させています。文化の多様性を尊重することも政治では重要ですが、その社会で生まれた子どもがどのような価値観を身に着けていくか、それを親が強いるとなれば、個人の権利の侵害となります。中国国内における同化政策のように強権的に行うと、この問題が発生します。しかし、米国では個人の権利を尊重するように見えてある社会の内部での同化が頑なに継続されているのだとすれば、それは個人の選択を潰すことになり、果たして人権擁護の観点からどうなのかと思ってしまいます。宗教を必要としない気楽さについては日本は比較的ある方なのかもしれません。

 

Goodbye God

高橋和夫著『国際理解のために』を読んでからリチャード・ドーキンス著の『さらば、神よ 科学こそが道を作る』を読むと、後者の主張の歴史的・文化的背景が前者によって解説を受けているために、理解しやすい効果を生んでいます。読んでいてこれが読者に受け入れられるかどうかという問題があります。それはある教徒の家庭に生まれた子はどうしてもその宗教の影響を受けて育つので、科学的真実を受け入れることへの反感が起こりえると思います。こうした部分は本来は公教育でなされるべきですが、世界の経済的な先進国においてもかなり難しいとも思いました。かなり宗教について寛容な社会からの発信が重要だと思います。

新人大会

久しぶりに審判に携わりました。出場選手が減って寂しい大会でしたが、新記録も出た点は報われました。
令和2年度熊本県高等学校ウエイトリフティング競技新人大会兼全九州高等学校ウエイトリフティング競技選抜大会熊本県予選競技記録(令和2年11月1日(日)10:00~10:50、熊本県立八代農業高等学校)
男子2名、女子1名が標準記録を突破しました。
https://attempt.co.jp/wp/wp-content/uploads/2020/11/20201101r.pdf
熊本県最高記録表を更新しました。2020/11/1現在
https://attempt.co.jp/wp/wp-content/uploads/2020/11/kwarecord20201101.pdf

信仰の自由と科学的真実との対立

偶像崇拝を禁じるイスラム教預言者の風刺画を授業で題材にしたために、フランスのパリ近郊の中学校教員が殺害される事件が先日起きました。信仰の自由も権利の一つですが、特に公教育の現場では、科学的真実と対立することがあります。同様の衝突は、先進国とみられている米国でも抱えています。人類の起源を突き詰めていくと進化の歴史に出会いますが、神が創造したとする反進化論の考えに立つ信仰の厚い人たちの勢力は意外に大きく、公教育で進化論を学ぶ機会がないのがほとんどとされます。日本においても先の大戦の時期まで特別科学学級に属するスーパーエリートの子どもを除いて神国日本を信じ込ませるでたらめな教育をしていたのですから、どこにでもあったともいえます。信仰の自由は権利の一つといいましたが、科学的真実を追求する学問の自由も同様に権利の一つです。あらゆる宗教には神話があり、科学的真実に照らすと、しばしば荒唐無稽な物語となりますが、尊重することも重要です。それを信じない人への攻撃がない限り権利を踏みにじらない寛容さが必要です。国家や民族・人種というのは約束事に過ぎなく地球上の人類はすべて同じ人間です。どう共存したらいいのか、難問です。

反知性主義なのか

日本学術会議から新規会員として推薦された105人うち6人の学者が任命されなかったことが問題になっています。これまでこの機関の存在や役割をあまり承知していなかったのですが、これを機会に同機関のホームページを見てみると、さまざまな報告や答申、勧告、要望を出す活動をしていることを知りました。一例を挙げると、刑法改正についても国際基準と照らし合わせた傾聴すべき勧告を出していました。一般に行政運営の手法として審議会の活用があります。有識者とされる人をメンバーに入れて政策の方向付けをする際に使われます。こうした場合、行政としては望む結論が先にあるわけですから、空気を読める「御用学者」をメンバーに入れて審議会を構成するのが常道です。しばしば、その御用学者が座長となって事務局が作成したシナリオに沿って答申をまとめることが多いとされます。一応体裁を整えるために、というかガス抜きのために、反対意見を唱える学者をメンバーに入れることもありますが、御用学者だと思ってメンバーに入れていたら、あにはからんや反対意見を唱える「誤用学者」が紛れ込んでしまうということもあります。こうした手法は、行政学のテキストには載っているものですが、今回の問題は、政府から独立機関である同会議の会員を審議会と同等と扱ってしまったことにあります。学者のむき出しの知性に恐怖するコンプレックスさえ感じてしまいました。任命を拒否された学者は、それだけ恐れられたというわけで、逆説的な意味で名誉なことです。

母校出身の教科書執筆者

昨日の朝日新聞社会面と本日の地元紙社会面で源了圓東北大学名誉教授(宇土市名誉市民)の訃報を知りました。享年100歳とのことでした。専門は日本思想史ですが、宇土高校時代に学んだ「倫理・社会」の教科書は、同氏の執筆によるものでした。旧制宇土中学のご出身で、この教科の教師が同氏と同級の法泉先生でした。ともにご実家はお寺で源氏のお寺は高校の正門のすぐ近くにあります。母校の先輩で誇れる方は数少ないですが、源氏はそのひとりでした。

明るい選挙啓発書道作品に接して

小・中学生・高校生に明るい選挙に関するポスターや書道、標語作品を作成してもらい、選挙に関心を持ってもらうコンクールが毎年開かれています。地元市での作品推薦選考会に参加しました。初めての参加でしたが、応募作品数が多いのにまず驚きました。秀作ぞろいでどれも選外にするのが心苦しいばかりでした。全応募者に記念品が贈呈されるので、がっかりせずに、有権者となったおりには、ぜひ投票をしてほしいと思いました。

オンラインの良さ

コロナ禍の教育のあり方として全国的にも注目を浴びた取り組みとして熊本市のオンライン授業がありました。それに対応できない家庭のフォローは大切ですが、登校にこだわらない教育の方法として評価すべきだと考えます。コロナ禍という状況がなくてもオンラインと集合型授業を組み合わせることで高い教育効果を上げることができるのではないでしょうか。それと今一つはオンラインでの授業コンテンツをオンデマンドで視聴できる環境を用意することで、ライブでは受講できなくても補習ができる、あるいは繰り返し視聴学習ができれば、なおいいと思います。教育だけでなくさまざまな事業でもZOOM活用が進んでいますが、特に全国規模の事業であれば、時間と交通のコスト削減になり、利用者にとってはたいへんありがたいものです。不要不急の移動が少なくなることは事故リスクや二酸化炭素排出の低減にもなります。

相互理解を深める

このところ読んでいた『現代東アジアの政治と社会』からはいろいろな知識を得ました。まず重要なのは、歴史認識です。これは言い換えれば、歴史を知るということです。自国の歴史を知り、周辺国・地域の歴史を知ることが非常に大切です。たとえば、戦後50年の1995年に出された村山談話の歴史認識は、中国が現在でも高く評価されており、日中の信頼関係の基礎になっています。しかし、1990年代半ばには日本の歴史教科書から従軍慰安婦の記述の削除を求める勢力の動きがありました。旧軍の不名誉な歴史を葬り去りたいのでしょうが、これは中国の歴史教科書で第2次天安門事件について記述しない中国共産党の意向に似ているものを感じます。まず自らそして相互に歴史を理解して東アジアにおける共生を図るべきだと思います。
次に大切なことは、人権です。米国のような黒人に対する白人による肌の色の違いからの人種差別は、東アジアでは顕著ではないかもしれませんが、同じ肌の色でありながら愚かしい民族差別・出身地差別が強い風潮は感じます。歴史的にも日本の場合は、旧植民地出身者に対する賠償について放置してきました。これも同様に中国では少数民族に対する同化政策という弾圧が続いています。人権侵害については、不干渉主義を強弁するのは誤りという認識を持つべきだと考えます。国や地域という枠組みを外して互いに人として尊重して交流することから力による対立がいかにばかげているかが自明のこととなると思います。