社会福祉」カテゴリーアーカイブ

時系列で変化点を押さえる

年度末にかけてのここ1か月ばかりは、各種団体の会議等や雨天も多く、慌ただしくも鬱陶しい日が続きました(極めつけは合間を縫って駆け付けた17日のロアッソ大敗か)。読書も新しい本は手に取らず、一度読んだ呉明植著『家族法』と千葉惠美子・川上良・高原知明著『紛争類型から学ぶ応用民法1総則・物権』の読み直しに留めました。
『家族法』に関連して触れれば、今月1日から親子法制の改正法が施行され、嫡出推定制度が新しくなりました。新年度となると、新法や改正法が施行となるので、福祉行政がらみでもいろいろアンテナを張っておかなければなりません。たとえば、「孤独・孤立対策推進法」という新法が4月1日施行となっています。それでは、自治体は孤独・孤立対策地域協議会の設置に努めなければならないとされています。場合によっては、本人の同意を得ずに、当該者の個人情報を協議会の構成機関等に共有し、情報共有の要請やその要請に基づく他の構成機関等からの情報共有、支援の内容を協議することがありえるとされてます。そうした協議の場が必要だとは日頃感じていますが、枠組みが大きな協議体だといつもの地域の名士が宛て職で顔を出すだけで、効果がないと思います。設置するなら行政区単位レベルにしないと意味がなさそうです。示された予算措置資料から判断すると、どこかのNPO等へ補助金を出して終わりという印象もあります。また、「障害者差別解消法」の一部改正も4月1日施行となりました。こちらは、事業者による障がいのある方への合理的配慮の提供が義務化されました。
『紛争類型から学ぶ応用民法1総則・物権』については、メモを取りながらの再読を行い、いい脳トレになりました。世の中にはいろんな紛争があり、当事者はそれぞれ最も利益になりしかも早期の解決を望むものです。そのためには、時系列で変化点をしっかり押さえてどのような法構成を選択し、攻防するかという思考が求められます。当事者としてはたとえ事実が認められて他人から同情されることがあっても、実際に保護されるとか、利益を得なければ、何にもなりません。
他人から相談を受けてアドバイスを求められる立場にある人には、法律条文の上っ面の知識だけでなく、事象を歴史的(時系列)かつ科学的(変化分析)に捉える素養が必要だなと、改めて感じました。やはり歴史と科学に学ぶことが重要です。いくつかその分野の読みたい本をリストアップしているところです。

利用者目線を忘れるな

昨日、地元首長が理事長の社会福祉法人の評議員会へ出席しました。この日の議案の1号と2号は、同法人の一つの事業を3月末で廃止することと、それに伴う定款の一部改正となっていました。議案書に書かれた廃止の提案理由は、「入所者減少に伴い、養護老人ホームと統合し経営の安定化を図るため。」といたって簡潔なものでした。議事においてもっと詳しい説明があるかなと期待しましたが、法人側からの発言は議案書の記載通りで終わり、質疑応答に入りました。
そこで、さっそく現在の入所者の処遇や廃止事業が対象としてきた入所者の新規募集の行方について質問を行いました。結果、現在の入所者全員を継続する事業で受け入れるという回答を得ました。継続事業では入所対象には本来ならない利用者も全体の20%以下なら特例で養護契約入所ができるということと、その範囲内で特例の新規入所も行われることも確認できました。
これが、株式会社の株主総会であれば、株主の議決権行使の参考書類として、事業廃止に伴う財務的影響のみならず顧客対応や社員雇用への影響について詳細な説明が行われるのが常識です。対外的なイメージ悪化がないのかについても株主へ理解を求める説明がつくされるのが常識です。
今回の社会福祉法人の評議員会は、まさに株主総会に相当する最高議決機関です。さらにいえば、評議員会へ上程する前には理事会審議が行われます。株式会社に例えると、業務執行責任者である取締役会がそれにあたります。理事会メンバーには首長や福祉部署の部長、厚生関係の委員を務める議員らが入っているわけですが、果たして理事会では廃止に伴う入所者や職員に対する影響を問う質問はなかったのか気になりましたし、冒頭に記したような提案理由の議案書を評議員会へ出すことに誰も異論を唱えなかったのかと疑問に思いました。
最近、ロアッソ熊本のホームゲーム当日の光の森駅-スタジアム間のシャトルバスが今季から前日正午までの予約申込制となり、乗車の使い勝手が非常に悪くなりました。これも利用者目線を完全に忘れた愚策極まりないもので、クラブの事業才覚の欠如を示す出来事でした。
本日あたりは株価が34年ぶりに最高値を更新したとメディアが浮かれていますが、これなんかもそれぞれのドルレート換算で出したら、まだ更新とはいえないわけで、目先の文字数字だけ見て実を見ないで過ごすバカがなんと多いものかと気が滅入るばかりです。
写真はニューヨーク証券取引所。2000年5月撮影。

ルポ無縁遺骨読書メモ

森下香枝著『ルポ無縁遺骨 誰があなたを引き取るか』(朝日新聞出版、1600円+税、2023年)を読んでいるところです。ちょうど昨日のNHKニュースでも「『相続人いない財産』過去最多768億円が国庫へ 昨年度」(※)と報じていました。現在、身元がわかっている人でも相続人がいない方が亡くなった場合、その方の葬送をどうするのか、残された財産をどうするのかが問題になっていて、その対象人数と遺産額は年々増えているようです。また、そうしたケースの場合に一線で対応にあたるのは市町村行政ということになっていて、その負担もたいへん重いものになっています。もちろん、そうならない手立てとして相続人がいない方が遺言書で遺贈先や遺言執行者を定めたり、死後事務委任契約を結んでおいたりする方法もあります。専門家はそういって済ませますが、本人がよほど終活に関心を持たない限り、そうした準備を行う人は増えないのではないかと思います。実際、孤独死者の平均年齢は62歳と意外に若いそうです(p.109 日本少額短期保険協会など2022年11月発表「孤独死現状レポート」)。
死は予期せずに到来するわけですから、それを前提に市町村に財政的負担をかけない葬送システム・遺産活用の制度設計があっても良さそうなものと考えます。市町村が、引き取り手のない死者の埋火葬のために適用する法律としては、葬祭扶助(生活保護法)と墓地埋葬法の2つがありますが、適用比率は9:1と極端に前者に偏重しています。そのカラクリは以下のようになっています(p.85-86参照)。
葬祭扶助…費用は国が4分の3負担、地方公共団体は4分の1で済む。
墓埋法…市区町村が全額立替払い。遺族が弁済請求に応じない場合は都道府県に弁済請求できる建前だが、支払ってもらえず市区町村が結局かぶるケースが多い。
死をめぐる費用負担の自治体ごとの違いは他にもあって、異状死の検案・運搬の費用が都内ほかでは公費負担ですが、神奈川県内だと遺族が全額負担となります。
また自治体の違いではなく地域の違いとして遺骨を骨つぼに入れる収骨のスタイルの情報も興味深いものがあります。東日本では「全収骨」、西日本では「部分収骨」のため、骨つぼの大きさも東日本の方が大きいようです。
あとは未整理のメモです。
横須賀市…「わたしの終活登録」事業。それをモデルに豊島区社協なども同様の事業を提供。
Casa…「家主ダイレクト」(孤独死保険付きの家賃保証サービス)
本寿院…ゆうパックで送骨する遺骨ビジネス。費用は1柱3万円。年会費・管理費は不要。
NPO法人つながる鹿児島…「つながるファイル」
長野市…「『おひとりさま』あんしんサポート相談室」。厚労省の「持続可能な権利擁護支援モデル事業」の指定を受けている。九州では古賀市が指定されている。
大田区…「見守りキーホルダー」(愛称:「みま~も」)。厚労省の「地域包括ケアの実現可能なモデル事業」の指定を受けている。都内各地で導入が進んでいる。九州では、日田市や小城市が導入済み。
いろいろ事例を知ると、自治体間の取組み格差を感じます。担当者の問題意識や政策実現能力の違いがあるかもしれません。それと財政負担能力の問題です。国庫に帰属する遺産を基金として国が管理して葬送や死後事務について発生する費用を市町村へ渡す、あるいは遺留金を金融機関から解約引き出す権限を市町村へ持たせる仕組みを構築した方が効果的にも思います。
先日観た映画『PERFECT DAYS』の主人公・平山の場合は、妹(または姪)が相続人となってくれる可能性がある続柄設定でしたが、「ほんとうにトイレ掃除(の仕事)をやってるの?」と兄に問いかける、裕福な妹がわざわざ面倒を引き受ける可能性は低く感じさせるところもありました。相続人がいてもアテにはならないという社会を前提に福祉政策を考える必要がありそうです。
(※) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231224/k10014298341000.html

受託者責任を広げられないか

児玉安司著『医療と介護の法律入門』(岩波新書、960円+税、2023年)を読んでみて、判断能力のサポートを要する人の意思決定支援と、それらの人の利益を第一にする受託者責任(フィデユシアリー・デューティー)のバランスについて考えさせられました。ちなみに2022年現在の国内人口において65歳以上の人は、3600万人、全体の30%近くを占めます。その65歳以上の人口の6人に1人が認知症有病者であり、若年の障がい者も合わせると1000万人になります。つまり全世代を通じると12人に1人は潜在的に判断能力のサポートを要する人で日本社会は成り立っているというわけです。
日本国憲法13条は自由権を保障し、そこでは個人の自立、自己決定、自己選択、自己負担の「自由」が重視されると、上記書では書かれていました。2006年に採択された国連の「障害者の権利に関する条約」では意思決定支援が謳われました。一方、厚労省ガイドラインでは「本人が意思決定した結果、本人に不利益が及ぶことが考えられる場合は、意思決定した結果については最大限尊重しつつも、それに対して生ずるリスクについて、どのようなことが予測できるか考え、対応について検討しておくことが必要である。」というような、現場は結局どうすればいいのか戸惑う線で収めた作文なんかもあります。
「本人の意思」は大切ですが、それが必ずしも「本人の利益」にならない意思決定に周囲が直面することがあります。法定代理人のように受託者として法的に確立している立場の人は、「本人の利益のために」を第一にした権限が使えますが、そうではなくても周囲にはさまざまな支援者がいるはずです。法的には確立してはいなくても他人の利益の実現の手助けをしたいという人には受託者に近い存在として権限を行使することがあってもいいのではという思いにかられます。

成長呪縛からの解放と希望

英国芸術家協会フェローの経済人類学者であるジェイソン・ヒッケル著の『資本主義の次に来る世界』(東洋経済新報社、2400円+税、2023年)は、これから政治に携わる世代にぜひ読んでもらいたい本です。というのも、既存の政治家の多くはGDP成長=幸福の呪縛にとらわれていて、人類と地球の破滅を止められそうにないからです。本書の前半は「多いほうが貧しい」として破滅へ向かっている現実を指し示してくれます。正直絶望にかられ暗い気持ちにさせられます。後半は「少ないほうが豊か」として破滅を止める手立てを提示してくれて希望を覚えることができます。その手立ても具体的です。たとえば、大量消費を止める5つの非常ブレーキは、次の通りです。1.計画的陳腐化を終わらせる。2.広告を減らす。3.所有権から使用権へ移行する。4.食品廃棄を終わらせる。5.生態系を破壊する産業を縮小する。
現在、脱炭素社会の実現を目指してさまざまな技術革新が進んでいますが、効率化で脱炭素が進む以上に、大量消費の増加があって、実現が遠のいているのが現実です。そこを変えなければ取り返しのつかないことになるわけで、この警告に真剣に向き合う責任があります。ちょうど本書を読み終わったのが、豊の国と称された、豊前(現在の福岡県の一部)豊後(現在の大分県)を通るJRの車中でした。古代の人たちが感じた豊かさは何だったのでしょうか。

読書メモ
サイモン・クズネッツ:ベラルーシ出身の米国の経済学者。1930年代初めの世界恐慌を受け、米政府の依頼により現在のGDPの基礎になるGNPの測定基準を開発。GDPはその生産が有益か有害かは区別しないので、クズネッツ自身はGDPを経済成長の尺度にすべきではないと警告していた。
BECCS技術:CO2回収貯留付きバイオマス発電。2001年に豪州の学者、マイケル・オーバーシュインが論文発表。グリーン成長を楽観視するIPCCの公式モデルに組み込まれたが、気候科学者のケヴィン・アンダーソンは2015年、サイエンス誌で「不当なギャンブル」と批判した。オーバーシュイン自身も大規模な導入は社会的・生態的な大惨事を招くと警告している。
リチウム1トンの採掘に50万ガロンの水が必要:採掘による水質汚染が南米では発生。
国民1人当たりのGDPは比較的低くても平均寿命の長い国や教育レベルが高い国が存在する:公共財が充実している国がそうである。公的医療保険、公衆衛生設備(飲料水と下水を分ける)、公教育、適正賃金。
内在的価値(人生の有意義さ):コスタリカのニコヤ半島の平均寿命は85歳。コミュニティの存在が長寿の理由。
木が人に与える行動の影響(健康と幸福の向上):より協力的で、親切で、寛大になる。樹木が多い地域では、暴行、強盗、薬物使用などの犯罪が著しく少ない。フィトンチッドは、免疫細胞を活性化し、ストレスホルモンのレベルを下げる。街路樹が心血管代謝の向上につながったという研究もある。

依存って何だ

今読みかけの本は、佐藤仁著の『争わない社会 「開かれた依存関係」をつくる』(NHKブックス、1700円+税、2023年)です。人間関係から国際関係に至るまで、「依存」について考察している著作です。国際関係における「依存」の対極は「支援」ということになりますが、これまでの「支援国」の有り様を顧みると、けっして無償の善意ということばかりではなく、しっかり実益を得てきたことがわかります。人間関係においても「支援者」の方がしばしば実益を得ることもあります。社会福祉の現場において公的支援(公助)に依存せざるを得ない立場の「要支援者」を非難することは、相互依存で成り立つ社会全体を見ていない一面的な思考にほかならないことになります。誰もがもっと依存して良い方向に考えを変えていかなければならないと思います。

委員解嘱の申し出

地元の地域密着型介護施設の運営推進会議委員をここ8年近く務めてきましたが、3年以上の長きにわたり対面では開かれておらず、書面議事録上で承認するだけの名義貸し状態が続いていました。これでは事業所の運営を評価する責務を果たせません。今月も対面会議再開の動きがないため、委員解嘱の申し出を本日行いました。私が関与する他の事業所ではコロナ禍にあっても書面会議はごく数回に留め、対面会議回数がほとんどであったところもあります。これも管理者の資質によるのかもしれませんし、ひいては事業所のサービスの質にも影響していると思います。

それは個人の問題か

河合優子著の『日本の人種主義』(青弓社、1800円+税、2023年)を読んでいるところです。人種差別(レイシズム)に係る著作としては、これ以外に最近では平野千果子著の『人種主義の歴史』(岩波新書、940円+税、2022年)やイザベル・ウィルカーソン著の『カースト』(岩波書店、3800円+税、2022年)を読みました。後の2作は、世界の、あるいは米国・インド・ナチスドイツにおける人種差別の歴史を理解するのにたいへん役立ちました。冒頭の著作はこうした世界の流れも押さえつつ日本における差別に焦点を合わせたものとなっています。
特に日本における差別の実態を見るには、「人種なき人種主義」について注目する必要があると思いました。それを理解すると、他の差別の構造についても同じものを感じます。以下は、p.131からの引用です。
「まとめると、人種なき人種主義とは以下のような人種主義である。まず、人種平等とはこれから実現する「人種は平等であるべき」という理念であるのに、人種主義に基づいて歴史的に作られてきた社会的制度や構造を根本的に変革せずに「人種は平等である」という現実と見なす。いまや人種主義は否定され、みな同じ機会を与えられているのに、異人種間に社会経済的な格差があるならば、それは人種主義の問題ではなく個人の問題、としてしまう考え方である。その結果、人種主義を解決するための政策を導入できなくなることで、既存の人種主義的な社会のあり方が維持される。つまり、人種なき人種主義とは、人種をみえにくくすることで人種主義が不可視化されるような人種主義である。」
外国人や女性、性的マイノリティ、貧困など、差別の構造には、差別する側が自身の特権を見てないことで、特権を持たない側の個人の能力や努力のせいにして差別することを正当化してしまい、差別的な社会が維持される側面もあると思います。「差別はしていない」とか「差別されていない」と言い切って社会改革に後ろ向きな人物は、はたしてそれは声を上げることもできないでいる個人の問題か疑ってみることが必要だと思います。

結婚・出産奨励に国は介入するな

先日読了した斎藤淳子著の『シン・中国人』のp.179に、中国の軍や重要な政治部門の党員が結婚を希望するときに組織へ提出しなければならない「結婚申請書」のひな型が紹介されていました。たいへん興味深い内容ですので以下に示してみます。
「私は誰々で、XXと結婚を希望しています。XXは政治上、思想上安定しており、国を愛しており、党員でもあります。私はXXと何月何日に知り合い恋愛関係を構築し、相互に理解、信頼し感情の基礎は強固です。恋愛は長期にわたり思想は成熟しています。相互の協議を経て、家族の支持も得てXXと結婚を希望します。組織の批准をここに願います」。
公権力がプライベートな空間に入り込むことには違和感を覚えるしかないのですが、日本においても嗤ってはいられません。最近、結婚や出産をした人の奨学金返済は減免するという極めて異様な少子化対策の論議も出ています。少子化対策とは、すべての子どもに対する福祉や教育の支援に向けられるべきです。結婚や出産を条件に据えられれば、個人ごとに受けられる支援に格差が生じる結果になります。こんな不公正な子ども政策しか語れない政治はNGです。

中村哲医師の生き方から学ぶ日本の役割

1984年から2019年に凶弾に倒れるまで、アフガニスタン東北部で医療活動と灌漑事業のプロジェクトを推進した中村哲医師の活動と、その国際政治における意義について、昨日の投稿で触れた藤原帰一氏ほか編著の『気候変動は社会を不安定化させるか』(日本評論社)の最終章で取り上げられています。気候変動と水資源をめぐる政治環境を知れば知るほど悲観的になりがちですが、中村医師が果たしたアフガニスタンでの事例を知ると、地道な平和・相互扶助の理念に基づく活動にこそ、希望を見出すことができます。
実際、歴史を振り返ると、アフガニスタンは「帝国の墓場」でした。大国による軍事的制圧は、1919年(第三次アフガン戦争)の英国、1979~89年のソ連、2001~21年の米国と、ことごとく頓挫しています。一方、中村医師の活動はもっぱらペシャワール会の会費や寄付金で賄われ、予算の90%以上が現地での実際の活動費に充てられました。現地で水資源開発・灌漑工事に従事した人たちはほぼすべてが地元住民や帰還難民であり、彼らの収入が向上しました。灌漑農地の増加により農業生産も増え、それによる収入も増やすことができました。このプロジェクトがなければ、軍閥や米軍の傭兵になるしかなかった人々に生活の糧をもたらし、地域の治安安定に寄与しました。それと、もう一つは教育施設の建設です。教育の機会提供という形での福祉の実現にも貢献しています。このような事業が日本人への信頼につながり、結果として軍事によらない日本人の「安全保障」になると、福岡市にあるペシャワール会事務局長で出版社・石風社社長の福元満治氏も語っています。
その福元氏ですが、1月10日の熊本日日新聞に「渡辺京二さんと私」を寄稿しておられます。同氏は、もともと福岡市にあった葦書房の社員として故・渡辺氏の文芸誌「暗河」の編集出版にかかわっておられました。故・渡辺氏を「ある意味リベラルな日本知識人の典型」と本稿で評しておられましたが、中村医師についてもそう言えるのではないかと思います。
さらに言えば、平和を国是とする日本人に対する信頼を国際的にも広めたという意味で、たいへん稀有な人を亡くした損失はあまりにも大きかったと感じました。

認知症サポーター養成講座

昨日、宇土市地域包括支援センターの職員さん(社会福祉士)が、社会福祉学部在籍のインターン大学生を伴って、写真の認知症サポーター養成講座のご案内に見えられましたので、紹介します。参加ご希望の方は、会場施設へお申し込みください。

北消防署見学

校区の民生委員で今月2日から供用開始した宇城広域連合消防本部・北消防署を見学訪問しました。通信指令室では携帯電話による119番通報のメリット・デメリットについて知ることができました。
通報者と署の間のGPSによる位置情報把握は実現していますし、今後は動画中継も導入が進むでしょう。避難行動時要支援者登録制度についても意見交換ができて有意義でした。署‐市‐委員の連携も重要です。

小西一行記

宇土市教育委員会から「うと学研究第43号」として『小西行長基礎資料集―小西一行記―』(税込1000円、2022年)が刊行されたので本日買い求めました。本書は、朝鮮出兵における宇土城主・小西行長の動向を描いた軍記「小西一行記」(本文全10巻、付目録)の翻刻文となっています。底本は、同委員会の所蔵本です。侵略した側から戦争がどう伝えられたのかを振り返って読みたいと思います。
同書を購入した後、市社会福祉協議会の評議員会に出席しました。前年度事業報告・決算報告が議案として上がりました。特筆すべき点は寄付金収入が前々年度決算額・前年度予算額を上回ったことです。自主財源としては住民割で各行政区から寄せられた会費収入があるのですが、寄付金収入総額は会費収入のそれの2倍以上あり、たいへんありがたい結果となりました。寄付金の多くは香典返しとして寄せられたものです。会費収入は大幅に人口が増えない限り増える期待できませんが、寄付金の増収は伸びしろがあります。審議に際して寄付金が増えた要因、寄付金受付にかかる経費支出、寄付単価をアップさせる方策について質問しました。回答としては、順に「寄付件数が増えた(寄付単価は変わらず)」「受付経費の支出はない(収益率100%)」「単価アップ策は考えていない(受付で金額はお気持ちでと結構ですと答えている)」ということでした。香典返し自体は「ご不幸」に基づくものなので、寄付件数が増えることは一概に望ましいとはいえません。しかし、経本がなければ「読経」ができない宗教家に「お布施」を多く渡すよりも、地域住民の福祉向上に貢献している組織へ寄付を多く渡す方が、故人にとっても功徳を積んだことになる気がします。

すべてはリンクしている

午前中は農地関係、午後からは高齢者福祉関係の相談を受けました。いずれも別々の課題ですが、開発や農業後継者問題、認知症介護、境界トラブル、高齢者ドライバー問題など、さまざまな地域課題に影響あることを感じました。行政の窓口は問題を小分けして別々にしか対応できませんが、市民の要求は総合的に解決できることにあります。相談に応じる方も的確に問題を理解する能力が求められているといつも思います。写真は、1997年9月撮影のものです。桂林の宿泊先ホテル前の公園で高齢者たちが朝から麻雀を楽しんでいました。認知症対策としては優れているのではと思えました。

小先生にはなるな

さまざまな経歴を持つ構成員からなる団体の月例会議に午前中参加していました。地域社会の話題の中で教員出身の住民で認知症状態にある方が多いということでした。あくまでも印象ですから、具体的データに基づいた話題ではありませんが、私もそうした住民に出会った経験があるので、まったく的外れでもないなと思いました。現役を退いた後、気位が高くて近隣と交流がない方は確かにそうなりやすいと思います。地元出身で、幼馴染と気軽に付き合えるといいのですが、それが苦手だと難しいかもしれません。新興住宅の地区だとなおさらです。先生でもないのに先生と呼ばれることに慣れると、素直でなくなりますし、独善性が高まります。始末が悪いのは、グループの構成員同士で先生と呼び合う関係の団体もそうです。話してみると価値観が時代とずれている例や連絡手段が前近代的であったりする例など、これまたそうした場に遭遇した経験がありますので、十分気を付けたいと思います。
写真は、1989年5月撮影のロシア・サンクトペテルブルクの街角風景。中央にトロリーバスが写っています。当時の日本国内は女子差別撤廃条約を批准して男女雇用機会均等法が施行されてまだ数年という時期。片やロシア(当時:ソ連)国内の地下鉄やバスの運転手は女性の方がはるかに多い印象でした。それだけ若い男性が軍隊という職場に囲われる経済効率の悪さの裏返しという側面もあって男女同権というよりは職域すみ分けという考え方もあるかもしれません。ところで、トロリーバスから降車したいときは、車内に張り巡らされているヒモを引っ張るとベルが鳴って知らせる仕組みでした。地下鉄はどこまでいっても当時のレートで5円か10円という安さでした。

開業11周年

本日は行政書士開業11周年にあたります。地域住民と地方行政をつなぎ、双方の利益実現に貢献できる点では、かなり意義のある役目を担っている自負があります。明・清代の中国には、「郷紳」と称する存在がありました。ここの良い面にならってみるのもいいかなと常々思っています。
写真は、香港が中国へ返還された年の1997年の上海。

事業復活支援金オンライン申請

新型コロナの影響を受けた事業者向け支援策として一昨年の持続化給付金の第2弾ともいうべき事業復活支援金の申請が受け付けられています。当方も個人事業者と中小法人のそれぞれで給付対象となりましたので、申請することとしました。ただし、今回は登録支援機関による事前確認を受けることが要件となっていましたので、その経験も含めて体験記として投稿してみます。
まず、申請のスケジュール感としては、以下の通りでした。
事前確認(個人事業者・中小法人)・・・3月12日(土)夕方。
オンライン申請(個人事業者・中小法人)・・・3月12日(土)夜。
追加対応連絡(個人事業者・中小法人)・・・3月13日(日)午前。
修正・再申請(個人事業者・中小法人)・・・3月13日(日)午後。
修正内容確認中(個人事業者・中小法人)・・・3月14日(月)午前。
お振り込み手続き中(個人事業者)・・・3月14日(月)午後。
お振り込み手続き中(中小法人)・・・3月15日(火)午前。
入金(個人事業者)・・・3月17日(木)。 ※2022.3.17追記
入金(中小法人)・・・3月18日(金)。 ※2022.3.18追記
以上の通り、土日も申請処理が行われていて、その進み具合がマイページより確認できるのが、持続化給付金のときと比べて大きな変化でした。修正を求められた点についていえば、申請リーフレットの説明では誤解しやすい表記でしたし、申請サイトでの説明表記との整合がほしい点もありました。

首都圏の葬儀事情

これまでなんとなく耳にしていましたが、首都圏での火葬待ちの日数は1週間がざらのようで、年末年始などは10日間に及ぶこともあるそうです。今回、親族の葬儀に際しても火葬が死去から1週間後の午前10時となりました。このため告別式も午前8時という早い時間に行うこととなりました。幸い参列は近親者だけに限りましたので、それで問題にはなりませんでしたが、何かとたいへんな葬儀事情の一端を知ることができました。写真は火葬施設が面する海岸から撮ったものです。

浅はかなデジタル万能論はご免だ

ヴァージニア・ユーバンクス著の『格差の自動化』(人文書院、2800円+税、2021年)を読むと、それは米国におけるデジタル監視社会のありようを考察したものですが、米国と政治的に対立している中国でも同じような姿があるかもしれないし、なんとなくデジタル化を進めている日本でも警戒しなければいけない動きだと思いました。解説を寄せている堤未果氏の言葉を借りれば「浅はかなデジタル万能論と現実との乖離がもたらす危機への警鐘」の書ということになるかと思います。ハイテクツールを使って貧困者のデータベースを作り特定し処罰することにしかならないのであれば、塀が見えない監護施設に閉じ込めて捨て置くのと同じというわけです。日本国内でもコロナ禍でのさまざまな給付金のオンライン申請において理由が不明なまま支給が行われなかったり、電話がつながっても担当者が申請書類の中身に全然通じていなかったりしたという例をずいぶん見聞しましたが、おそらくそれに似たデジタルシステムが米国でも流通しているように感じました。今度のデジタル庁の面々も本当に国民のためになるツールとは何なのかを考えられる能力をもった人材で構成されているのか、見極めないとやってる感だけの浪費官庁に成り下がる可能性があります。

親ガチャと格差の自動化

今年から目にするようになった用語に「親ガチャ」なるものがあります。子どもの貧困が、子どもが選べない親の経済力などの資質に起因することを受けて、自分の親の当たりはずれを揶揄する表現としてあるようです。確かにさまざまな先行研究で親の学歴や蔵書数の違いが子どもの学歴の高さと比例する関係にはあります。結論から言えば、どのような親の子どもとして生まれてきても教育や福祉の機会が受けられる社会創造に政治(立法と行政)の役割があり、その実現に向けて子どもの有無にかかわらず大人が行動する責任があります。表紙の写真は次に読む本で、サブタイトルには、「デジタル化がどのように貧困者をプロファイルし、取締り、処罰するか」とあります。米国の警察モノのTVドラマでは、犯罪発生後に市民の個人情報が捜査当局にいとも簡単に把握され、容疑者や証人の確保に役立つシーンがしばしば登場します。その点では、米国と対立する権威主義国家と同様以上の管理社会の姿が見えてきます。所得の再分配に寄与するデジタル化なら理解できますが、支配を容易にすることだけなら考えものです。