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「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関する意見

せっかくのパブコメ機会だから、物好きな県民の一人として以下の意見を提出しました。ぜひ皆さんも関心あるテーマの基本方針や総合戦略の素案とやらをご覧ください。
別に文章が長ければいいってもんではありませんが、「水俣病問題への対応」についての「基本方針」が279字、同じく「総合戦略」が468字。しかも、ちょっと言い回しを変えて双方の内容は重なっています。要するに400字詰め原稿用紙1枚程度のことしか仕事しませんと宣言しておられるわけです。オタクら大丈夫なんかと思います。

「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関する意見

「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関して「水俣病問題への対応」に絞って以下の意見を提出します。
①「水俣病問題への対応」にかかわる「基本方針及び総合戦略」(素案)を読むと、「新時代共創」の看板を掲げながら、非常に中身が薄い印象をまず持ちました。たとえば施策の中で県が主体性をもって取り組む事業として書き込まれているのは、公健法に基づく認定審査業務と、水俣病に対する偏見・差別解消事業ぐらいしか読み取れませんでした。患者やその家族に寄り添った生活支援をするとの表現はあってもどのような機会を具体的に設けて行うかが見えません。国が限定的に実施する健康調査に県が協力するとあっても、その実は国任せであって、その調査方法の問題点に目を向ける姿勢がありません。水俣・芦北の地域振興も大切ですが、被害者救済には直接関係しない県政課題であり、本項目に書き込むのは「やってる感」を出すための文字数稼ぎにほかならないと感じました。
②上記①で指摘するように中身の薄さは、「水俣病問題への対応」にかかわる「重要業績評価指標(KPI)」が何ら示されていない点にも表れています。施策推進の進捗状況が可視化される指標の公表予定が何もないということは、最初から成果評価もせず、改善に向けた見直しの予定もないとしか受け取れません。「公健法に基づく認定審査については、平成25年の最高裁判決を最大限尊重し、申請者の個別事情に配慮しつつ、丁寧に対応しながら、着実に進めます」と、もっともらしい記述で済ませていますが、被害の実情や疫学の知見を正しく反映した判例が出ているのもふまえると、公健法の改正や、特措法での救済からもれた被害者に向き合った施策の推進こそが必要であり、その進捗状況を可視化公表すべきです。何も改善しないことや、被害者を救済しないままでいることを、わざわざ「基本方針及び総合戦略」に掲げるのは、きわめて不誠実・不当だと思います。
③「水俣病問題への対応」として書き込むべきことは、認定と未認定と問わず患者団体との継続的な直接協議の場を設けて、共に諸課題を解決していくことと、不知火海沿岸全域の住民の健康被害調査を実施することにほかならないと考えます。それへ向かってこそ、共に熊本県の新時代を創れるのではないでしょうか。
以上
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/18/213169.html

同朋同行

学生時代に当時立教大学教授だった栗原彬さんの「政治社会学」の講義を聴講しに同大学へよく行っていました。栗原さんの著書『管理社会と民衆理性』を持参し、先生に一度サインをいただいたことがあります。その際に浄土真宗の開祖・親鸞の言葉「同朋同行」を添えられました。なかなかに含蓄ある言葉で、40年以上ときおり脳裏に浮かんできて意味を考えさせられます。なんとはなしに、自分の行動指針の一つとなったことは間違いないと思います。栗原さんは、「水俣展」を企画する認定NPO法人水俣フォーラム評議員として今も活躍されています。
冒頭の立教大学での聴講の思い出としては、当時慶應義塾大学教授の内山秀夫さんが講師として講義されていた政治学もありました。内山さんにも著書の『民族の基層』にサインのお願いをしたことがありましたが、照れ隠しなのか「やだよ」とあっさり断られてしまいました。なお、この頃、内山さんと栗原さんの共著『昭和同時代を生きる』も出ていました。
それでなんでまた「同朋同行」のエピソードを持ち出したかというと、浄土真宗本願寺派(お西さん)の現門主が親鸞聖人生誕850年・立教開宗800年にあたる2023年に発布した「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」をめぐって宗派内で混乱が生じている事象に接したからです。
文学の世界では、1000年以上前に書かれた『源氏物語』の現代語訳が複数あります。蓮如が生きた500年ほど前から用いられた『領解文』の現代語訳の必要性は一定あるかもしれません。ですが、文学の世界では訳者個人の解釈に基づいて大胆な表現が許されるでしょうが、宗派の教義にかかわる文章を門主だからと言って構成も含めて一方的に改変を定めると、確かに混乱をきたしかねないと思います。
会社に例えると、創業者が定めた社是社訓を、創業記念事業の一環で社長が社内に諮らずに広告プランナーに丸投げして今風にCIリニューアルして創業の精神が混乱してしまったようなものです。社史に業績として社長の名前を刻みたいだけとか、改憲したいだけの某総理みたいな…。
さすがに生成AIを使ってもデータが蓄積されていないと適切な文章にはならないと思いますし、教義宗教の場合は、唱和するので音楽的要素も重要だと思います。黙読で済む文学作品以上に難しいと思います。
同朋同行の精神に立ち返ると、門主も信徒も平等であるべきなので、ひとことで言えば門主だけの解釈を押し付けないことが大事なのではと眺めています。

お出かけ知事室登壇記

9月21日に宇土市民会館大ホールで開かれた「お出かけ知事室~ともに未来を語る会~in宇土市」に質問者の一人として登壇しました。その記録と所感を掲載します。
なお、本企画の質問者は宇土市在住か同市内勤務の住民に限られますが、県政に関してなら質問テーマは限定されないこととなっています。
【私の発言要旨】
(冒頭宇土市とは直接関係ないテーマでの質問を行うので休憩離席を客席に呼びかける)
・木村熊本県知事の師匠である蒲島郁夫前知事が1988年に著した『政治参加』(東京大学出版会)の記述を紹介(下記)しながら本企画の意義や市民の政治参加の重要性を述べた。政治エリート(県で言えば知事や職員など)は国家的な大きな目標を追求しがちであり、そのため市民の政治参加の拡大をなるべく後回しにしようとする。市民の声を聴かずに過去の問題について決着をつけられないで未来を語る資格はないとして、水俣病被害者救済(今現在の問題でもあるが…)について質問のテーマとすると述べた。
「政治参加は市民教育の場としても重要。市民は政治参加を通して、よりよい民主的市民に成長する。自己の政治的役割を学び、政治に関心を持ち、政治に対する信頼感を高め、自分が社会の一員であること、正しい政治的役割を果たす。」
「政治システムへの帰属を高め、政治的決定が民主的に行われた場合、たとえそれが自己の選好と異なっていても、それを受け入れようとする寛容の精神を身につける。市民は他人の立場に大きな配慮を払う思慮深い市民に育っていく。」
・本年5月の環境大臣と患者団体との懇談会のマイクオフ事件を受けての再懇談以降の知事の発言に接しても、知事就任前の公開質問状に対して示した「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「県としての健康調査の実施は考えない」旨の考えから今も変わりないように見受ける。この3点の見直しに向き合わずして、今後患者団体との協議機会を増やしても信頼関係を築けないし、なんら根源的な解決策にはならない。
・個別具体的に指摘するが、1点めは、公健法での患者認定条件が不当だということだ。医学的には食中毒症の一つである水俣病か否かの判別はシンプル。原因食品である汚染された不知火海産の魚介類を食べ、手足の感覚障害など関連症状のいずれかがあれば患者と言える。環境疫学の知見によれば、メチル水銀汚染地域の寄与危険度割合を用いてメチル水銀食中毒症との因果関係を推定するのが国内外で確立したルールだ。たとえば水俣市の寄与危険度割合は99%だから、汚染地域で症状がある人は100%患者認定して医学的に問題ない。疫学の専門家がいない委員だけで構成された審査会も問題だ。被害者を診るのではなく補償負担のことばかり加害者たちが脳裏に描いているので、認定が歪められている。認定条件を見直す考えはないのか。
(このあたりから会場客席からパタパタと何かを叩きつける苛立った物音が聞こえてきた)
・2点めは、特措法での救済もれの件だ。裁判では後から救済を求める被害者に除斥期間の適用を加害者が主張して、著しく正義・公平に反する姿勢を続けている。これは後から被害に気付いた人に救済を求める権利はないと言っているようなものだ。すでに除斥期間の適用を認めない判決もある。県民の生命と財産を守る立場にある知事なら、このような不正義・不公平な主張を即刻取り下げるべきだ。その考えはないか。
(会場客席から「宇土市に関係ない質問はするな」というヤジがあったので、私から「県政にかかわる質問をしている。聞きたくないならどうぞ休憩してください」と返して、暗に退席を求めた。その後、ヤジは止んだ)
・3点めは、健康調査の件だ。国が2年以内に開始する予定の検査手法では1日最大5人しか検査できない。汚染地域居住歴のある人数を47万人とすると、257年かかる意味のない検査方法だ。福島第1原発事故後に福島県が202万人に行ったような調査を本県独自でも実施してもらいたい。以上3点について明確な回答をお願いしたい。
【知事の回答】 ※私の所感
1点め「患者認定条件の見直しについて」…最高裁判決に則って行い、見直す考えはない。
※寄与危険度割合といった地元紙報道で触れられる疫学の知見・用語について理解していないと思われた。
2点め「特措法での救済もれ被害者への除斥期間の適用撤回について」…係争中なので申し上げられない。
※裁判対応を県職員や代理人弁護士に任せっきりで当事者意識が感じられない。法律論として除斥期間適用の主張はもちろん可能だが、正義・公平に反するか否かを判断するのが政治家の仕事である。やはり除斥期間が争点になった旧優生保護法訴訟では最高裁判決後に首相が適用の主張を撤回し和解が成立したように、政治決着させる器量がほしい。
3点め「県独自の健康調査の実施について」…国に実施してもらい県独自では行わない。
※257年もかかる国の検査方法では被害者救済に結び付かない。国の検査体制の問題点も地元紙報道で知られている事実だが、そうした問題点を把握していないのではと感じられた。知事には良きブレーンはいないのか。
【まとめ】
知事の回答を受けて国や県職員の声ばかりを聴くのではなく、被害当事者の声をこれからも聴き続けてほしいと要望した。それについては知事から続けるとの返答があった。
水俣市ではない本市ですら、いまだに水俣病被害者救済を口にすると、会場内から(どこの誰だか知らないが)下劣なヤジがあった。およそ「他人の立場に大きな配慮を払う思慮深い市民」とはいえない、卑怯者が残念ながら本市にいることも事実だ。しかし、私としては「政治参加」の意欲が大いに湧きたった。これからも不当に人権が蹂躙されている人たちのために声を上げていく決意が高まった良き日だった。

(追加)
本企画についてうがった見方をすると、公費を使っての任期中の支持集めの事前運動とも言えます。質問者は地元各界でリーダー的な役割を担っている方が多く、実際半数以上は以前から名前を知る人ばかりでしたし、登壇のきっかけが地元市からの声かけだったと明らかにする方も多数いました。
そのためか、質問内容には思いつき的提案ネタが多く、質問者の発言時間は短めなのに対して、回答者の知事の発言時間が数倍長く、聞かれてもないエピソード話やリップサービスが展開されるようなこともありました。確かに鳥取県観光課長や消防庁防災課勤務の経歴があるので、観光やスポーツ振興、防災といった得意分野では饒舌ぶりが発揮されていました。
ですが、水俣病被害者対応のように当事者間に明らかに分断がある問題に対する質問回答は、予想していたとはいえまるっきり素気ないもので、不用意なことは一切語らないという態度が、対照的でした。知事と市民が対話する機会そのものは歓迎しますが、問題が複雑で専門知も必要なテーマについてはやはり短い時間での一問一答では掘り下げた議論はできません。これについては、当事者間で継続的に時間をかけて対話できる場を求めていくしかないと考えます。

9/15開催イベント「水俣病と気候危機」

9/15(日)14~16時 東京で水俣×気候変動イベントのお知らせ
https://www.soshisha.org/jp/archives/18494

東京で行われる講演イベントに水俣病センター相思社職員の坂本一途さんが登壇します。
オンライン参加が可能です。参加申し込み期限は、2024年9月14日までとなっています。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdOU7ZQzrCysExVnCIKEOGAS6a3t_lOmnuHosvdypeAR8uAtg/viewform

「虎に翼」と水俣病事件

本日(9月12日)放送回のNHK朝ドラ「虎に翼」では1970年3月に公害訴訟における過失論の新たな法解釈が最高裁で検討されている場面が出ていました。それと、9月9日放送回の1969年1月と9月12日放送回の1970年3月に出たTVニュースを伝えるアナウンサーの氏名が「宮沢信介」となっていました。
1969年と言えば、水俣病第1次訴訟が熊本地裁に提訴された時期。当時熊本大学助教授の富樫貞夫氏が裁判における原告支援のため、新たな過失論の構築に着手していましたし、NHK熊本放送局勤務の宮澤信雄アナウンサーが水俣病を積極的に取材し、日本全国に向けた朝のニュース番組「スタジオ102」において現地リポートしていました。そのこともあって、水俣病事件に深くかかわる富樫貞夫氏(熊本大学名誉教授・一般財団水俣病センター相思社前理事長)と宮澤信雄氏(2012年に76歳で死去)の業績が、頭に浮かびました。
水俣病第1次訴訟は、1973年に原告勝訴の判決(確定)を得ますが、それには1969年9月に結成された水俣病研究会に、法律学者としてはただ一人参加した富樫貞夫氏の貢献が、大いにモノを言いました。当時の不法行為の過失論は、結果発生に対する予見可能性があったかどうかによって過失の有無も決まるという考え方が支配的でしたので、チッソはそれに依拠して自己の無過失を主張することができました。そのため、従来の過失論を再検討して水俣病裁判に適合した新しい理論を構築することが、富樫氏にとっての課題でした。
同氏の著書『水俣病事件と法』(石風社、5000円+税、1995年)によれば、思想の転換のきっかけは、1969年11月発行の「朝日ジャーナル」掲載の座談会「農業の人体実験国・日本」における原子物理学者・武谷三男氏の安全性の考え方についての発言にあったと言います。それには「農薬に限らず、薬物を使うときは、無害が証明されない限りは使ってはいけないというのが基本原則。有害が証明されない限り使ってよいとはならない。」旨の言葉がありました。同じころ、工場廃水処理に関する米国の標準的な教科書(邦題『水質汚染防止と産業廃液処理』原書1955年刊)にも出合ったこともあり、注意義務を「安全確保義務」として理論の再構成したとあります。そして裁判ではその理論で企業の過失責任を問い、被告を糺していきます。
1973年の熊本地裁判決では、危害を予知・予見できなかった以上無過失とするチッソの考え方を、次のように批判しています。「被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務違反がなかったと主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害してもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することを容認することにもなるから、明らかに不当といわなければならない」。きょうの「虎の翼」の背景にはこのような現実のドラマがありました。
もう一人の宮澤信雄氏は、NHKアナウンサーとして水俣病を報じただけではなく、個人として長年にわたり事件史研究と患者支援を続けてこられた方です。熊本放送局に赴任したのは、1967年ですが、水俣病と出合ったのは初めて取材した1968年からでした。この社会の不条理に衝撃を受けた宮澤氏は、1969年4月、水俣病を告発する会(代表・本田啓吉氏 当時熊本第一高校国語科教諭)に参加し、同年9月結成の水俣病研究会にも同僚技術職員の半田隆氏とともに参加します。そして、前述の富樫氏らと水俣病第1次訴訟を理論面で支援していきます。熊本勤務は異例の10年間(1977年まで)に及び、その後は静岡、秋田、京都、大阪、宮崎と転勤しながらも熊本・水俣へ足を運び研究と支援を続けました。1997年に葦書房(現在廃業)から『水俣病事件四十年』という著書も刊行されています。研究会や同氏の蒐集・旧蔵資料は、下記の機関が保管しています。
熊本大学文書館水俣病研究会資料
http://archives.kumamoto-u.ac.jp/inventory/Minamata/MD_240523.pdf
熊本学園大学水俣学研究センター水俣病研究会蒐集資料
https://gkbn.kumagaku.ac.jp/minamata/db/index3.php
熊本学園大学水俣学研究センター宮澤信雄旧蔵資料
https://gkbn.kumagaku.ac.jp/minamata/db/index4.php
本日の「虎に翼」では、家裁の父である多岐川が「法律っちゅうもんはな 縛られて死ぬためにあるんじゃない。人が幸せになるためにあるんだよ。」と語った回想シーンを流していました。それを実効性あるものにするためには、やはり富樫貞夫氏や宮澤信雄氏のように最初から最後まで闘い続ける人間がいてこそです。ハシクレでもいいから私もそうありたいと思います。

渋沢栄一の熊本に対する109年前の「愚見」が面白い

肥後銀行本店1Fの「肥後の里山ギャラリー」において開催中の「新しいお札とお金の歴史」展の会期が9月14日までなので、本日熊本市内へ赴いたついでに観覧してきました。展示のメインは、新千円札の肖像に採用された北里柴三郎についてで、それはそれで初めて知ったことがあり、興味深いものがありました。しかし、それよりも新一万円札の肖像に採用された渋沢栄一の、1915年(大正4年)10月6日に熊本県議事堂で開かれた歓迎会のときの発言が、より印象に残りました。今から109年前、当時75歳の第一銀行頭取である渋沢栄一は、同行熊本支店の開設披露に際して2度目のそしてこれが最後の来熊を果たしています。
このときの発言の一部がパネル展示されていましたが、その全文は公益財団法人渋沢栄一記念財団のデジタル版『渋沢栄一伝記資料』からも閲覧できます。渋沢栄一本人によると「我邦実業並に当熊本に対する愚見」(後掲)ということになりますが、なかなか面白いものがありました。
ひとつは後年公害企業となるチッソの前身・日本窒素肥料への言及です。同社自身の水力発電で賄った電気を利用して「空中の富」(=空気中の窒素成分を指す)から肥料を製造する化学工業への関心が高く、国策としても推進していることを熊本の名士へリップサービスしています。一方で、工業に重きを置くだけでなく、三池のように「地下の富」(=石炭を指す)はなくても「地上の富」(=米など農産物を指す)を産出する農業にも重きを置くよう述べています。米価の調節については市場経済に任せるべきであって、幕府時代の町奉行のように官吏に任せると失敗すると断言しています。言外に官吏の人智は人民よりも利口ではないと、その硬直性を指摘しています。
109年後の熊本でも工業と農業の両立が課題であり、農水省の備蓄米の扱いが論議を呼ぶなど、構造的には変わらない点を連想させられました。
【以下、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第50巻 p.105-106】
「従来御当地に事業関係を有ちませなんだ関係からしまして、御交際も薄かつた為めに、実際清正公と細川侯と肥後米に依つて御地を知つて居たと云ふに過ぎなかつたのであります、今日の熊本は全く面目を一新したと申して宜しからうと思ひます、現に私の関係ある九州製紙会社の如き、異常なる拡張の機運に向ひ、又日本窒素肥料会社の如き、豊富なる水電の動力を利用して農産物に関係の多い、肥料を製造して居りますが、之は空中の富を集めると申しても余り誇大な言葉ではなからうと思ひます、斯く事業を進むるは何れの向きも其途に依つて意を用ひましたならば、未だ種々有るだらうと思ひます、御当地は石炭の如き地下の富はないが、地上の富はある、即ち肥後米の如き夫れである、今は米の値段が安いので御地では一層お困りでしやうが、米の相場の高低の大なるは大に注意せざるべからざる問題であります、そこで応急の米価調節策も行はれ、今亦調査会組織せられ、私も其委員の一名たるべき内交渉に接したのでありますが、之は頗る重要問題で全国に取て考究すべきことでありますが、富を出す実業の進歩は一方面のみではドウモ行きませぬ、農業に進むか工業に走るか、一方計りを重んじて他を忘れることは不可であります、熊本は工商の方面に付いては或は一足後れて居つたかも知れんが、幸に二三の有力なる工業の発達を見つゝあるのは頗る喜ぶべき事であります、今や時勢は化学工業を重んずる時代に進みつゝあります、粗より精に入るは物の常であります、此の化学工業のことは議会の問題にも出で、染料会社の如き政事上より其の成立を応援することになつて居ります、昨日三池の炭山を視察しましたる節、コークス製造場を見まして、アニリン染料等、副産物製造の概況を模型により、技師の説明を求めて帰りましたが、斯の如き緻密なる工業にお互に注意せなくてはならないと思ひます、御当地に何が生ずるかは只今申上げることは出来ませんが、御注意になると何か事業があるかと思ひます。
最後に申添へたい事は米であります、此米に対して当県下では倉庫制度が行はれて居ります、此事には大に考究して此倉庫証券と金融とを結付けて、安全に信用が置ける様になると米価調節上此上なき策であります、幕府時代では米の相場を、町奉行所より触れて調節を政治上よりしたが、之は武断政治より来たのであります、此時代には左迄の害もありませんでしたが、今日の如き世界に、昔風の調節策を人智に依つて為さんとするは大なる誤りであります、官吏になれば人民よりも利口になつたと云ふ考へが出るが、之で行くといつも失敗であります、米価の調節策としては前も申したるが如く、当地の米券倉庫制は此の上なき策でありまして、自然と自家の節制を計り、余り安いと思へば売らない、自己の考へによりて調節し、誠に立派なことでありますから、考究したらば安全にして充分融通し得るのであります、尚今日は申上たい事は数々あります、即近い内亜米利加にも旅行しまするし、昨年支那にも旅行しましたから、其話もしたいのでありますが、先程申しました次第で長時間のお話をすることが出来ませぬので、御礼の為め一言申上げた次第であります。」

「お出かけ知事室」質問草稿

熊本県民が知事へ直接質問できる機会として始まった「お出かけ知事室」が、地元の宇土市で9月21日に開催されます。当初6月23日に開催予定されていたものが、3か月後に延期されたので、質問者として登壇予定の当方も質問内容を順次更新しています。本日現在の草稿は以下の通りです。
知事職は、県政運営にあって絶大な権力を有しますが、中にはパワハラやおねだりで県政を停滞させながら、「道義的責任が分からない」と公言する不適格な知事もいます。お互い原稿の朗読会にしない時間にしたいと思います。

本日質問するテーマは6月初めに出したときと同じ水俣病被害者救済についてですが、その後の動きも加味して伺いますので、よろしくお願いします。
本年5月、水俣市で開かれた水俣病被害者慰霊式後の環境大臣との懇談会のマイクオフ事件を受けて、今も救済から漏れて死を待つだけの多くの被害者が現にいることが明らかになったかと思います。その後、患者団体との懇談を通じてわずかな離島加算やこれもわずか500人未満の住民を対象にした試験的な健康調査を2年以内に実施する予算要求が環境省から行われたことは、承知しています。ですが、被害者が要望することとはずいぶんズレがありますし、まだ議論が進んでいない課題が山積しています。
まず、知事選前の本年3月、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が出した公開質問状に対して当時の木村候補は、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「県としての健康調査の実施は考えない」旨の回答をしました。再懇談同席以降の知事の発言に接しても、どうも今も知事就任前の考えから変わりないように見受けます。私は、この3点の見直しに向き合わずして、今後患者団体との協議機会を増やしても信頼関係を築けないし、認定患者の処遇改善や地域振興も大切ですが、なんら根源的な解決策にはならないと考えています。
次に、個別具体的に指摘させていただきます。1つ目は公健法での患者認定条件が不当に厳しいという点です。医学的には食中毒症の一つである水俣病か否かの判別はシンプルです。原因食品である汚染された不知火海産の魚介類を食べ、手足の感覚障害など関連症状のいずれかがあれば患者と言えます。環境疫学の知見によれば、メチル水銀汚染地域の寄与危険度割合を用いてメチル水銀食中毒症との因果関係を推定するのが国内外で確立したルールです。たとえば水俣市の寄与危険度割合は99%ですから、汚染地域で症状がある人は100%患者認定して医学的に問題ありません。そうしたルールに無知な委員だけで構成された審査会が開かれていることも問題です。分野は異なりますが、国連難民高等弁務官事務所の「難民認定基準ハンドブック」に記された有名なフレーズ「認定の故に難民となるのでなく、難民であるが故に難民と認定されるのである」に近い考え方です。被害者を診るのではなく補償負担のことばかり加害者たちが脳裏に描いているので、認定が歪められているのです。まずこの見直しに向かっていただきたいですが、どうですか。
2つ目は特措法での救済漏れの件ですが、行政処分ではないとされて行政不服審査の機会がないですし、裁判では後から救済を求める被害者に除斥期間の適用を加害者が主張して、著しく正義・公平に反する姿勢を続けています。これは後から被害に気付いた人に救済を求める権利はないと言っているようなものです。すでに除斥期間の適用を認めない判決もありますし、やはり除斥期間が争点になった旧優生保護法訴訟では最高裁判決後に首相が適用の主張を撤回しました。県民の生命と財産を守る立場にある知事なら、このような不正義・不公平な行動を即刻取り下げるべきだと考えますが、どうですか。
3点目の健康調査の件ですが、国が2年以内に開始する予定の検査手法では1日最大5人しか検査できません。だから予算要求でも500人未満分の1億5100万円に過ぎませんでした。一方で国水研の検査に使う脳磁計の更新に4億4000万円も充てるとかバランスを欠いています。汚染地域居住歴のある人数を47万人とすると、この方法では257年かかるというふざけた話で、やる気のなさしか伝わりません。福島第1原発事故後に福島県が202万人に行ったような調査を本県独自でも実施すべきです。全容を明らかにしないまま手当てすべき予算を組まずに国民・県民を切り捨ててきたのが、これまでの国政・県政の流れです。県民に寄り添うなどと口先だけのポーズは止めて、だれひとり取りこぼさない救済に向けて健康調査を全力で実行いただきたいですが、どうですか。
以上、3点について明確に回答をお願いします。

環境省はどこを向いて仕事をしているのか

8月30日に環境省が2025年度予算に向けての概算要求を発表しました。主に水俣病対策関係の内容を報道で追ってみましたが、患者団体側からの要望とは大いにズレがありました。
たとえば、離島の患者の交通費などの手当の加算については、患者の要望を取り次いだ熊本県からの環境省への要求は月1千円から月1万円への増額だったのですが、結果1千円増額(総額1200万円)の月2千円に留まり、都合8千円も値切られました。子どもの使い扱いされた県もこれだけ国から軽く見られていることをどう考えているのか、聞いてみたいものです。それでも見た目は月1千円から月2千円と「倍額」になりましたと、手柄話にしてしまうかもしれません。なんとも情けない話です。
不知火海沿岸の住民健康調査の実施についてももともと数をこなせないやり方なのに、わずか500人未満を対象に2026年度試験的に行うとあります。被害者が死ぬまで大規模な調査はやらないと言っているようなものです。しかも国水研の脳磁計(同調査に使用するとしている)の更新などに4億4000万円も充てるというのですから、呆れます。それよりも、増額要求が盛り込まれなかった療養手当の拡充の方が断然意味がありました。
今回の概算要求の内容を通じて環境省の役人たちはいったいどういう脳で仕事をしているのかと疑問に思いました。水俣病被害者救済については、まだ課題がたくさん残っています。地元の首長や議員が率先して動かないのも非常に残念ですが、これからも一つ一つ追及していくしかありません。
写真は8月31日の朝日新聞熊本地域面のイメージ。

心配だけなら無用だ

明日(8月17日)に、水俣市の水俣病センター相思社において同法人内に事務局を置く水俣病被害者団体である水俣病患者連合と木村熊本県知事との懇談会が開かれます。患者連合からは約20人が参加して同団体側から提出した要望書について意見交換する予定となっています。
今回の懇談前日となる本日の地元紙に「県政特集」と称する広告特集もどきの別刷が折り込まれていて、その3面に水俣病問題についての知事インタビューの回答が載っており、「県としても被害者が置かれている状況に目を向け、心を配っていく必要があると改めて痛感しました。今ある制度でできることはないか、改善すべきことはないか、常にアンテナをしっかり張っていきたいです。」と発言していました。見出しには、「被害者と向き合い心を配る」とありましたが、知事には今ある制度の枠内で考えるのではなく、制度そのものの見直しに向き合ってほしいと思いました。心を配るだの、寄り添うだの、そういう上っ面の言葉を被害者は求めてはいないはずです。心配だけなら無用だと言われてしまうと思います。
今月4日にも水俣市で知事と水俣病被害者・支援者連絡会との懇談が開かれていますが、この席で知事は「(患者の)認定基準は国の事務」と述べ、認定制度の見直しに県は踏み込まない姿勢を貫きました。被害者側からは「国から言われっぱなし」「県民の命を守るのが知事の責任」と批判されました。
今も続く裁判では加害企業のチッソと同じく後から被害を訴えてきた人は一切救済しないことを求める「除斥期間」の適用を主張するなど、知事の一連の姿勢は、認定患者をこれ以上増やさないことだけに邁進しているようにしか見えません。
明日は知事が逃げずに、自分の職業的使命が何なのかしっかり理解できるまで語り合ってほしいと願っています。

鬼畜同然の物言い

81年前のサントス事件など第2次世界大戦中と戦後にブラジルで日系移民が受けた迫害に対して、同国政府が初めて謝罪したことが、けさの新聞で伝えられていました。ブラジルではこれまで日系迫害について歴史教科書での記述はなかったことから、今回の謝罪が積極的な歴史教育への出発点になることが期待されているとも報じられていました。
さて、地元熊本県に目を転じると、昨日の知事の定例記者会見での発言に憤怒の念を抱きました。内容は、県が除斥期間を主張している水俣病訴訟での対応について問われた際の回答です。旧優生保護法訴訟最高裁判決で被告である国が主張した除斥期間の適用について著しく正義・公平に反するとして退けられ、判決後に首相も主張を撤回する考えを示しました。ところが、知事は、「旧優生保護法と水俣病の問題を一律に議論するのはふさわしくない」と鬼畜同然の物言いを行っています。
不法行為から20年の経過で損害賠償請求権が消滅する除斥期間の主張をするということは、後から被害を訴えた患者は一切救済せずに切り捨てると述べるのと同じです。この一点だけでも「県民に寄り添う」という日頃の知事の言葉が、いかに口先ばかりか、棄民政策の実行者に過ぎないかということを示していると考えます。付け加えて記すと、水俣病原因企業のチッソも現在進行中の訴訟で除斥期間の適用を主張しており、チッソ代理人弁護士は適用を認めない判決を「民事司法の危機」、適用を認めた判決を「信頼を回復した」「極めて正当」と表現し、加害者にもかかわらず不誠実で傲慢な態度を取り続けています。つまりは、県の姿勢はチッソと変わりないのです。まったくもって不正義です。
頑なに除斥期間の主張を続ければ、仮に将来実施する汚染地域居住歴のある住民対象の健康検査で見つかった患者は救うけれども、自ら被害を訴えて名乗り出た患者は救わないという不公平も生じかねません。逆に考えると、そうした不公平が出ないように患者を見つけない健康検査しか行わないつもりかもしれません。
冒頭歴史教育について触れましたが、本日の朝日新聞「交論」欄において、大学教養課程の年齢層の若者の歴史観を問われた歴史学者の宇田川幸大氏が次のように語っていました。「『時間切れの現代史』と言われるように、高校で戦争や植民地支配のことをあまり教えられていないので知識不足が目立ちます。何も知識がないまま、インターネットやSNSに広がる歴史修正主義にさらされるのは、あまりに危険です。その意味で、歴史教育はますます重要になっています」。
それは、いい歳した大人、たとえば知事職にある人物の資質にも言えると思います。地元紙の報道では、水俣病未認定患者の救済に国や熊本県とは対照的に積極的に対応していると、新潟県知事を評価しています。一方で、同知事は、ユネスコの世界文化遺産登録が目指されている佐渡鉱山への朝鮮人の強制連行を記述した「県史」を尊重しようとしていないと指摘する歴史学者(外村大氏)もいます。
知事の経歴は一般的に外形的には立派な人物が多いように思いますが、ときに判断を誤ることもあると思います。どのような歴史教育を受けてきたのか、今も歴史に学ぶ器量があるのかを、県民は見極める必要を感じます。
写真は記事と関係ありません。パリ・ロダン美術館(1991年12月撮影)。

救済されていない現実

けさの熊本日日新聞1面では、水俣病患者団体との懇談に臨んだ中で熊本県知事が見せた、救済に対する消極姿勢について報じていました。一方、本日夕方のNHK熊本放送局のニュース番組では、被害を訴えて環境大臣や知事との懇談に参加した女性のことを取り上げていました。この女性は、不知火海(八代海)沿岸地域出身の62歳の方です。診察した医師からは胎児性水俣病の疑いが濃厚と言われたそうです。この方の亡き母親は鮮魚商を営んでいたこともあり、チッソがメチル水銀を含む排水を流していた頃、不知火海で獲れた魚を食べる生活を送っていました。この女性は患者認定申請を行いましたが、熊本県は因果関係を認めず救済されないままとなっています。
今から64年前の1958年9月、チッソはメチル水銀を含む工場廃水を水俣川河口に流すように変更しました。これが汚染地域を拡大する悪因となりました。翌1959年12月に浄化装置を取り付けるのですが、その装置のメチル水銀化合物の除去効果は不完全であり、1966年6月まで排水の海への排出が続きました。
汚染地域に居住し、汚染海域で獲れた魚を食べた母親から産まれた娘であり、自身もそうした魚を食べて育ったので、因果関係があるのは明白なのですが、国や県はとにかく被害者を患者と認めたくない、患者数を増やして補償をしたくないという姿勢を崩しません。これほど人権を蹂躙した不正義はありません。

政治の原点は水俣にある

6月26日の朝日新聞オピニオン面見開き右側の「社説」欄には「ハンセン病 『負の歴史』徹底検証を」とあり、左側の「耕論」欄には「水俣病 切られたマイク」とありました。いずれも熊本県内の出来事についての記事が、全国紙の紙面で大きく取り上げられていました。蒲島前知事がかねがね水俣病問題は「私の政治の原点」と語っていましたが、いまもってハンセン病と水俣病は、政治とは何かを考えるうえで大きな歴史的テーマであり、政治の原点は熊本にあるかもしれないとさえ感じます。
「耕論」欄に掲載されたひとりは元環境事務次官の小林光氏でした。同氏は、現在の環境大臣や特殊疾病対策室長と同じく慶應義塾大学卒業の方です。慶応出の大臣や室長には患者の気持ちは分からないという報道も一部で目にはしましたが、小林氏の退官後の行動もフォローしている私の目から見ると、学歴で人物を評価するのは間違っていると思います。試しに興味のある方は、東大先端研の「小林光・研究顧問の部屋」に所収の論文・コラムを読んでみられるといいかと思います。環境問題にかかわる熱い想いが伝わります。
なかなか今の環境省には水俣病問題について理解している官僚は少ないのかもしれません。しかし、1990年12月に自ら命を絶たれた、当時の環境庁企画調整局長(事務方のナンバー2)だった山内豊徳氏のような存在を忘れることはありません。個人の気持ちは常に患者側にあるのに、権力を有する組織の一員としては苦悩された方でした。この方が遺された詩が生命誌研究者の中村桂子氏のコラムで読めますので、こちらもご覧ください。映画監督の是枝裕和氏の初著書『雲は答えなかった 高級官僚 その生と死』でも山内氏について描かれています。
環境省(庁)の歴史を振り返ると、親分として最も水俣病問題解決に理解があったのは、実質的に初代長官を務めた大石武一氏だっただろうと考えています。1971年からのわずか1年間の任期に終わりましたが、現在の環境疫学の常識的知見に沿った患者認定を進めました。大石氏という政治家は、地球環境保護や国際軍縮平和運動にも積極的にかかわった先進的な人物でもありました。
してみると、国民にとっても官僚にとってもその人権を護れる政治家こそを政治の舞台へ送り出すことが、結局のところ最重要なんだよなあと思わされます。

相思社が日本平和学会平和賞を受賞

6月16日開催の一般財団法人水俣病センター相思社評議員会に出席したおりに、このたび、同法人が日本平和学会第9回平和賞を受賞したことが報告され、表彰状が披露されましたので、写真撮影させていただきました。文面を拝見すると、学会の表彰理由が詳細に記されており、ありきたりの表彰状ではない重みを感じました。
以下に、文面を紹介します。
「貴団体は半世紀にわたり強い使命感をもって患者支援 裁判支援 教育支援を継続されてきました 患者と家族とともに在って 世代と地域を架橋し 国内外に広く影響を与える環境平和創造の担い手として 深い対話を通じて「拠り所」であり「根拠地」となってこられました 「もう一つのこの世」をつくる精神と活動に敬意を表し 連帯の志の下 第九回日本平和学会平和賞を授与いたします」
なお、平和賞式典は、6月1日、学習院大学で行われ、水俣病センター相思社理事の緒方俊一郎氏が法人を代表して表彰状を受け取り、スピーチを行いました。
■2024年春季研究大会プログラム 2024年6月1-2日 会場:学習院大学
テーマ「戦争と平和の根底に交差するレイシズム、セクシズム、ナショナリズム」
※2024年春季研究大会開催校責任者 青井未帆学習院大学教授(憲法)
■日本平和学会第9回平和賞受賞理由 2023年11月24日 第9回学会賞選考委員会
■第9回平和賞受賞スピーチ 2024年6月1日 水俣病センター相思社 理事 緒方俊一郎
※緒方俊一郎氏は2024年6月16日より理事長(代表理事)に就任しました。
https://drive.google.com/file/d/1_CgXCBS2Of9-fYj04dXLFP57ENNOvaeo/view

どちらの記憶が信じられるか

6月13日の熊本日日新聞文化面に宇城市小川町出身で現在は神奈川県藤沢市在住の俳人・長谷川櫂さんのエッセー「故郷の肖像② 第1章 海の国の物語」が掲載されていました。熊本県の北を阿蘇山の地下水が潤す「泉の国」阿蘇国、南は九州山地をえぐるように海を取り巻く「海の国」不知火国と、風土や地名由来からユニークな見方を示していました。
ですが、私がもっとも印象深かったのは、文章の結びに読まれた句の中に織り込まれている「海ほほづき」(ある種の巻貝の卵嚢だそうです)を子ども時代の長谷川氏へくれた、行商人についての思い出の部分です。「子どものころ、松合から行商のおばさんがバスを乗り継いで小川町まで魚を売りに来ていた。」とありましたから、1954年生まれの長谷川氏にとっては60年ほど前の話なのだろうと思います。松合というのは、不知火海沿岸部の北端にある地域です。その当時の不知火海沿岸部の南端に近い水俣では、チッソがメチル水銀を海へ垂れ流していました。この時代、漁民ではない普通の生活者が食卓に出す魚を行商人から買うことは、ごくありふれた行為だったことが、長谷川氏の記憶からうかがえます。
そこで思い出すのが、水俣病特措法の救済から漏れた被害者たちの存在です。不知火海沿岸部から離れた山間部地域で暮らす人たちのなかにもメチル水銀曝露による症状が多数見られました。この方々は、水俣・芦北地域からやって来る行商人から魚を買い求めていたのです。しかし、60年前の行商人からの魚購入の領収証がないことを理由に、熊本県は山間部地域の申請者を被害者だと認めませんでした。魚の行商に限らず一般個人の現金取引において領収証を発行する商習慣自体が60年前はなかったと思います。それより確実に残っているのは、長谷川氏のように子どもの記憶であり、その証明力が高いと思います。さらに言えば、水俣の魚の行商人の子にあたる人でさえ被害者として認められていない例があると聞きます。行商人の家庭内で商品である魚を自家消費することは十分ありえますし、自家消費であればなおさら領収証を出すということは、某政党国会議員たちによる自己の政治団体への政治資金付け替えでもない限りありえません。シンプルに考えて、魚の行商人の子どもの記憶が確かであり、証明力が高いと思います。
以上のことを考えていたところに、昨日(6月14日)の熊本日日新聞において、わが熊本県知事が講演を行った記事が載っており、その中の「木村知事はTSMCの『誘致』に自身も関わった経緯に触れ、」というくだりを見つけて、「はて?」と思いました。『進出』には関わっているかもしれませんが、『誘致』に関わったとは、初耳だったからです。
記者の捉え方で『誘致』と書かれたのか、木村知事の発言で『誘致』という言葉が発せられたのか、今一つ不明ですが、仮に後者であれば、自らの手柄話として神話化を始めたことになり、その記憶の信頼性をちょっと疑いたくなります。
私の理解では、TSMCの『誘致』には経産省と東大が大きな役割を果たしており、熊本県はTSMCの『進出』が方向づけられた後から動き回っているに過ぎません。一般論として書きますが、ドサクサ紛れに他人の手柄を自分の手柄話にすり替えるような人物を私は信用していません。
参照記事 朝日新聞電子版2024年2月27日

飼い犬か義勇兵か

朝ドラ「虎に翼」の本日放送回での主人公の「寅子」による「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない男か女かでふるいにかけられない社会になることを私は心から願います。」との毅然とした決意表明と、女性の服装を揶揄する司法試験の面接官に「トンチキなのはどっちだ。はっ?」と言い放った「よね」の信条の崇高さには、たいへん感動しました。司法の分野はもちろんですが、当時は女性に選挙権がありませんでしたから立法分野の国会議員、行政分野の大臣として女性が活躍できる場はなく、そのことだけでも国民の半数以上が虐げられていた時代がつい80年ほど前まであったことを思い起こさせました。しかしながら、現在の立法や行政の分野に携わる者の資質に接すると、ガッカリさせられることが多いですし、そのような資質の人物をのさばらせる国民の資質も問わなければなりません。
じっさい、水俣病患者団体と環境大臣との懇談会で、環境省職員がマイクの音声を切り団体側の発言を封じた、いわゆる「マイクオフ問題」を巡って、あろうことか患者団体側に非難の電話をかけるトンチキな方々がいることを、本日(5月10日)の熊本日日新聞が報じていました。環境大臣やその場にいて善処に動かなかった熊本県知事の「飼い犬」を自ら買って出るとは、なんとも下劣で哀れな行動としか言えません。おそらくは、水俣病の被害がいかに拡大し、多くの被害者が救済されずに死ぬのを待たされ続けている歴史に無知なのだと思います。
たとえば、3月の熊本県知事選挙を前に、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が知事選立候補表明者へ公開質問状を出したことがありました。その際の現知事の回答を要約すると、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「健康調査の実施は考えない」の「ないないづくし3点セット」でした。そのときこのような環境省の意向に沿ったゼロ回答をした候補は他にいませんでしたが、この回答が何を意味するかも先の飼い犬たちには理解する力がないのだと思います。
一方で、冒頭の「寅子」や「よね」と同様に、世の中の不条理に対して闘う人物が常にいるのも希望です。水俣病裁判闘争の初期のころ、「義によって助太刀いたす」と患者支援に行動した、水俣病を告発する会の代表だった本田啓吉先生(2006年没)を、私は思い起こします。先生とは機関紙『水俣』編集を通じて生前お会いする機会がたびたびありましたが、いつも穏やかで激しい物言いをされる方ではありませんでした。だからなのか、時折この「義勇兵宣言」が気になります。何の義理がなくても不条理な環境に置かれた出来事があれば、黙って見過ごさない人間でありたいと思います。
なお、熊本県知事の職分の名誉のために付言すると、福島譲二知事(1999年没)と本田啓吉先生は、旧制五高時代に学生寮で同室の仲でした。片や大蔵官僚、片や高校国語教師と、進まれた道は異なりましたが、大義とは何かを思索し行動に移す真のエリート知識人の気概は共有していたと思います。

よく言った

本日(5月9日)の熊本日日新聞社説より。
よく言った。「虎に翼」の笹寿司のおやじさんのセリフに、そんなのがありましたね。
「懇談には熊本県の木村敬知事ら県幹部も同席していた。だが、環境省の対応に異は唱えなかったという。国はもちろん、熊本県も水俣病問題の当事者だ。適切な対応だったとはとても言い難い。」

熊本県知事は環境大臣の飼い犬か

このところロアッソ熊本の戦績の不甲斐なさに閉口し、ローカルのスポーツ関係のニュースは見ないよう努めています。ですが、水俣病犠牲者慰霊式後に伊藤信太郎環境相と懇談した患者団体の発言が環境省職員によって打ち切られた一件については、憤りを覚える気持ちが収まらず、報道を追いかけています。今月26日に開かれる相思社(水俣病患者連合事務局を担当)の理事会にも出席しますが、本件についても議事に上ると思います。
本日(5月8日)の熊本日日新聞社会面では、本件をめぐる熊本県知事の対応について以下のように触れていました。「1日の懇談には、熊本県の木村敬知事や県幹部も出席。団体側の発言が打ち切られても、善処を求める言動は一切なかった。水俣病保健課は『環境省が運営している場に参加させてもらっている県として、何か言うことは難しい』と説明。懇談後の記者会見で木村知事は『忙しい大臣が例年通り時間をつくってくれた』と謝意を示した。」。見出しなしで記事本文の半ばに記されていましたので、大半の読者は見落とす可能性があるかもしれません。しかし、県民の権利を守ることをせず、来水した大臣に謝意を示す能しかなかった知事に阿ることなくその不甲斐なさの一端を晒してくれたように思います。
同じくけさの朝日新聞読者投稿欄(「声」)に、今春に31歳で東京都職員を早期退職した現在自営業の男性の投書が載っていて、興味深く読みました。それによると、投稿者は公務員時代の自身を「飼い犬」と評し、現在は「野良犬」としてエサは与えられなくとも本当の自由がある爽快さを語っていました。「野良犬も悪くない。」と文章は結ばれていて、25年間の会社員経験後に自由業に転じた私には共感できる内容でした。
この投稿と併せて先の地元紙の記事を読むと、まるで熊本県知事は環境大臣の「飼い犬」だなと、本当の「飼い主」である県民の一人として感じてしまいます。

ないないづくし3点セット

本日(3月7日)の朝日新聞熊本地域面に、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が知事選立候補表明者から得た公開質問状への回答について載っていました。
注目したのは、現知事から「県政の良き流れ」を継承する候補と推された人物の回答内容です。予想通りのゼロ回答でした。要約すると、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「健康調査の実施は考えない」の「ないないづくし3点セット」でした。
こと水俣病問題対応については県政の悪い流れにしか遭ってこなかったであろう患者・被害者ならびに支援者にとっては、明確な判断材料になったかと思います。
写真は、水俣病歴史考証館内に展示されている丸木位里・俊画「水俣の図」。2023年12月撮影。

専門家選びは難しい

熊本県弁護士会所属の若手弁護士の方がこのたび日弁連ゴールドジャフバ賞を受賞されたと、本日(3月3日)の地元紙が報じていました。この方は、元技能実習生死体遺棄事件で、被告の主任弁護人として最高裁で昨年3月24日逆転無罪判決を勝ち取っています。私もこの方の存在については、事件発生直後の2020年11月から救援に動いていた先輩行政書士の方の講演で聴いて知っていました。最高裁の自判無罪判決を得るのは稀有なことで、本件は戦後25件目にあたります。2018-2022年の最近5年間の最高裁の事件処理件数に限っても、高裁から最高裁への上告件数は1万件ありますが、そのうち最高裁が弁論決定したのが16件(0.16%)、破棄自判無罪となったのは2件(0.02%)に過ぎません。ただでさえ支援が行き届かない技能実習生制度のもとでの孤立出産が罪に問われた事件から被告女性を救った活躍は素晴らしいと感じます。
日常生活において多くの人は裁判とは縁がありませんが、いざ係争となると、いかに仕事ができる弁護士と出会えるかが重要です。私も会社員時代に法務的業務に従事して、顧問を委嘱する弁護士を探したり、はたまた解嘱したりした経験があります。今回の受賞報道に接して、法務担当時、世話になったある優秀な弁護士を思い出しました。その方は、1993年3月25日の水俣病第三次訴訟2陣熊本地裁判決において、チッソ・国・熊本県に勝訴の判決を得た際の弁護団の若手弁護士の一員として活躍されています。その判決は賠償金の仮執行と仮執行の免税がついているものでした。弁護団は事前に周到な準備を進めて、和解に応じようとしなかった国に打撃を与えるため、国に賠償金を支払わせる仮執行に成功しています。国が執行金相当額を熊本法務局へ先に供託すれば、仮執行が免税されますが、判決直後に国の現金が保管してある熊本中央郵便局へ執行官と弁護士が出向いて差押えれば、仮執行が可能になるというものでした。しかも、執行金を預金する先の銀行から金銭をカウントするプロと紙幣をカウントする機械も伴っています。そのあたりの攻防の模様は、水俣病訴訟弁護団編『水俣から未来を見つめて』(1997年刊)に書かれていますが、このように鮮やかに国の現金を差押えする前例はなく、読むと法廷ドラマのようなドキドキ感があります。
ただ一つ残念なのは、私が世話になり、上記の手記を執筆した弁護士とは別の方ですが、同じ当時の若手弁護士のメンバーの一人で、先ごろまで全国B型肝炎訴訟熊本弁護団長だった人が、口座の預かり金から約9000万円着服したという報道が今年ありました。30年後にこうした事件を自らしでかしてしまう弁護士もいるわけで、資格だけで資質を体重みたいに推し量ることはできず、弁護士など専門家選びはなんとも難しいものです。
写真は記事と関係ありません。ウィーン市内で見かけたコイン式体重計(1993年1月撮影)。同種のものは昔モスクワ市内でも多数見かけたことがあります。
https://kumanichi.com/articles/1345422
https://kumanichi.com/articles/1314340

フタをすることだけが早業だった

現県知事が「政治の原点」とかつて口にした割には、こと水俣病問題解決に向かってこの16年間、県政の良き流れがあったとはとてもいえません。本日の熊本日日新聞1面の「点検 県のチカラ」の7回目記事にあるとおり、2013年の最高裁判決や国の不服審査会裁決が示した感覚障害のみの患者認定の判断、あるいは2023年の大阪地裁が示した水俣病特措法の救済漏れを認めた判決などに、一貫して背を向けてきたのは明らかでした。
その一方で、チッソが1968年まで有機水銀を垂れ流した、百間排水口の木製樋門(フタ)を水俣市が撤去する計画が持ち上がり、現地から反対の声が上がった際には、いち早く知事が県の予算で現場保存に昨年7月乗り出したことがありました。そのフタは、工場廃水が流れていた当時のものではありませんし、新たに設置されるレプリカのフタ自体には水理機能上の意味もないものです。被害拡大の事件史的視点から言えば、百間排水口から一時期変えた、水俣川河口近くのチッソ八幡プールの排水路からの有機水銀流出がより悪質だったわけで、私自身はフタ保存の必要性をさほど感じていません。むしろフタをすることで被害者に寄り添う格好のポーズ作りの材料にさせられただけだったと考えています。
※写真は記事と関係ありません。パリのポンピドゥーセンター(1991年12月撮影)。当時は広場で火を噴く大道芸人がいましたが、今はどうなのでしょうか。