水俣病」カテゴリーアーカイブ

救済か補償か

写真の本書の刊行についてけさの地元紙が取り上げていました。焦点は病名呼称をめぐる考察論文を執筆した著者についてでした。同書については、共著者がほかにも4人おり、地元紙記者が「水俣病特措法の成立とその後」について書いています。法成立後当時の環境大臣に対してある被害者団体の幹部は「救済とは施しなのです。被害者は損害を受けたのだから、これからは補償という言葉を使ってください」と訴えましたが、この発言は、政府の施しによる救済はしてやるけれども患者としては認定しない=認定申請を金輪際させないという同法の本質を的確に言い当てていると思いました。この法律をめぐっては、原因企業の会長が「水俣病の桎梏から解放される」と社内向けに表明した経緯もあって、被害者の救済よりも加害者の救済を目指しているのではという声も当時からありました。こうして当事者の生の声を記録することで、何にどういう問題があるのかということが明らかになりますし、発言する言葉には日頃の思考の根底がやはり現れるものだという思いがします。

病名問題について

『日本におけるメチル水銀中毒事件研究2020』の第1部「「工場廃水に起因するメチル水銀中毒」を名付ける行為についての試論」をまず読み終えました。水俣病という病名改称を求める動きは、過去長らくあります。割と新しい動きとしては、2019年3月に「メチル水銀中毒症へ病名改正を求める水俣市民の会」が国道沿いに看板を設置し始めたことがあります。患者運動の側からは、かつてこうした動きには、被害者を差別してきた市民側から出たものとして反対したり、原因企業の責任を忘れさせないために逆に「チッソ水俣病」を用いる動きがあったりしました。病名変更を求める理由としては、しばしば市のイメージダウンになるとか、出身者が就職や結婚で差別を受けることが挙げられました。しかし、メチル水銀中毒症という名称では、チッソの工場廃水に含まれた水銀に曝露した魚介類を経口摂取してその症状が出た被害者とそうではない経路で水銀を体内に取り込んで同じ症状が出た人を区別することはできません。水銀曝露の経路がまったく異なる中毒症状についてチッソや国・県の責任を問うことはさすがにできないと思います。それと、被害者多発地域だからといって水俣出身者が不当に差別されること自体があってはならない人権侵害問題です。そうした醜い差別や偏見は地名が付いていようがいまいがなくなる社会をつくるべきです。公害病に限らず広島や長崎の原爆被爆者に対する差別や偏見の問題がそうですし、全世界で感染者が出ている新型コロナウイルス感染症陽性者・濃厚接触者に対する問題も同根だと思います。水銀規制をめぐる国際条約にも水俣の地名が入っているなかで、病名改称の必要はなく、むしろ過去の過ちと今も続く不当な差別と偏見を取り除くために、そしてたえずその認識を忘れないためにも地名は残す方が賢明だと考えます。

水俣病とは何か

著者の一人から贈られて水俣病研究会編著の『日本におけるメチル水銀中毒事件研究2020』(弦書房、2000円+税、2020年)を読み始めています。同研究会は、メンバーの入れ替わりはありますが、過去50年間にわたって水俣病を研究しているグループです。出版社の本書の紹介文によれば「3月13日、福岡高裁で水俣病「史上最悪」の判決があった。胎児・幼児期世代8人による水俣病認定訴訟で「メチル水銀曝露との因果関係は明らかではない」として8人全員の申請が棄却されたのである。いったい水俣病とは何なのか。本書では水俣病事件がかかえる様々な問題の最前線を紹介する。」とあります。目次構成は以下の通りです。「Ⅰ「工場排水に起因するメチル水銀中毒」を名付ける行為についての試論/Ⅱ 水俣病特措法の成立(2009年)とその後/Ⅲ 水俣湾埋立地と熊本地震/Ⅳ 世界の水銀汚染と水俣条約——いまなぜ水銀が地球環境問題化しているのか」」。まだ第1章の途中ですが、患者運動の先頭に立った故・川本輝夫氏が語った、「(水俣病は)病気ではなく傷害事件である」という言葉が今でも突き刺さる鋭さを感じました。
ある問題を考えるときに、それをどう見るかによって、その用語の意味はずいぶんと変わります。たとえば、日本政府が慰安婦問題で表明した言葉には以下のものがあります。「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。」。これは、2015年12月28日の日韓外相会談で慰安婦問題をめぐって日韓政府が合意した際の、当時の日本の外務大臣の発言です。1993年の「河野談話」がベースになっていることが認められます。ところが、この公式見解を認めたくない勢力の人々は、慰安婦は「軍当局により管理されていた売春宿で働いていた慰安婦」に過ぎないとしたがっています。意に沿わず性的奉仕をさせられた女性の名誉と尊厳を無視した見方をしてしまうことは、現代の日本人の多くがそうとしか問題を捉えていないということを国内外に拡散することになり、かえって現代の日本人の名誉まで損なうことになると思います。不名誉な史実を隠ぺいするフェイク情報の発信は、日本が先頭に立つべき人権外交の足を引っ張るばかりか、自分たちへの新たな名誉毀損を増長させることにしかなりません。

検察への信頼を失わせる愚

傍聴制限がありますが、6月22日(月)10~16時、熊本地裁で水俣病被害者第二世代による行政訴訟の第24回口頭弁論が開かれ、熊本県の水俣病認定審査会委員や前水俣病審査課長への証人尋問が行われる予定です。認定制度の誤りが明らかになることを期待しています。
(6月16日追記:上記期日は延期となりました。)
水俣病をめぐる裁判ではこれまでこうした行政訴訟や国家賠償請求訴訟も起こしてきた歴史があります。国を相手にした裁判の際には、訟務検事が弁護士役として出廷してきます。検察官といえば刑事事件において悪人をやりこめるイメージがありますが、国の顧問弁護士という役割もあります。
きょうの国会論戦を聴いていたら、賭博行為を続けていた法務省事務次官を経て検察ナンバー2を務めていた人物に対する退職金支給を内閣が差し止めできる権限があるにもかかわらず、それを行わないことが明らかにされていました。脱法検事に脱法内閣という国家レベルに驚きました。
訟務検事は、日頃、「勝つべき事件は正しく勝ち,負けるべき事件は正しく負ける。」をモットーに仕事しているそうですが、上記のような脱法行為が認められると、負けるべき事件でも不正に勝たせるのが検察なのかと、国民の信頼を失わさせます。

EBPM

さまざまな政策実行にあたっては、その前提として中立公正な統計や学術専門知を活用が必要です。EBPM(evidence based policy making)が重視されます。中立公正といえば選挙の実施もそうでなければなりません。来月の東京都知事選挙は、有権者ではありませんが、候補者の経歴・実績についてはよく見極めたいと思います。現職については現在も都庁ホームページに大学卒業のプロフィールが掲載されています。それが事実なのか詐称なのかは重大な情報です。また環境大臣であった際に水俣病関西訴訟最高裁判決を尊重しない行動があったこともありました。新人に目を移すと本県の副知事だった人物も出馬するようですが、県南担当や健康福祉部担当でありながら、当人が水俣病被害者に向き合った記憶はありません。スタンドプレイ中心のイベントプランナーという印象でした。

昨日の新聞紙面から

昨日、地元紙と全国紙でいずれも水俣病をめぐる行政の杜撰さを示す記事が載っていました。地元紙は、『Y氏裁決放置事件』の出版の紹介です。これは旧環境庁が行政不服審査請求の審査庁として処分庁である熊本県の水俣病患者認定棄却処分を取り消す裁決案を準備しながら、県の抵抗を受けて裁決を放置した事件の記録本となっています。行政不服審査制度は、行政の過ちを補正し、国民の権利利益を回復する制度としてあるのですが、行政庁間の都合でさらに国民の権利を蔑ろにした犯罪記録です。当時の県の部長の狂信的な振る舞いは今日実名を晒していいと思います(本書では匿名ですが、時期から誰であるかは明らかです)。それと審査庁が処分庁の弁明を聴聞する機会はあるとしても、裁決を出す出さないで処分庁の意向に沿うなどという点が、審査制度の信頼を破壊することです。本分をまったくわきまえていません。もう一方の全国紙の方は、施行から10年以上過ぎた水俣病被害者救済法(特措法)が定めている住民の健康調査をまだ一度も行っていない行政の怠慢を指摘しています。いまだ調査の手法も確立していないといいます。なぜ行われないかといえば、調査を行えば今までの認定業務の過ちが明らかになる可能性があるのが最大の理由だと思います。つまり、公式確認から64年経った今も無能ぶりを示される恐れがあるからだと思います。

査読レベルも問われている

読書をしていると、名だたる出版社から出た書籍でもちょっとした誤字を近年はよく発見します。活字時代と異なりパソコンによるデータ入力であるため、同音異義語が発生しやすいのかもしれません。写真の本書でも法定受託事務とあるべきところが法廷受託事務となっている箇所がありました。「こむら返り」を指す方言の「からすまがり」を記述に使ったり、行政手続きの流れを示す図表で旧法の取り扱いをそのまま記してあったりしました。全般として優れた研究だとは思いましたが、学位論文がベースとなっている著作だけに査読者のレベルが知れるという思いもしました。

怠慢行政と御用専門家を炙り出す書

引き続き『生き続ける水俣病』を読んでいます。女島地区に限っても家族の中に認定患者もいれば、認定申請を取り下げて医療手帳・健康手帳等を保有する「被害者」の道を選んだ人もいます。さらには、近隣地区では本人の意思や社会的立場から申請自体を行わなかった人もいます。かつて独自に健康調査を実施した医師の言葉を借りれば、水俣病は一つであり、認定患者とか、手帳を持った被害者に分かれるのはありえないことなのですが、申請しても待たされる一方で、やむなく手帳を取得した実態を見ると、住民に認定申請を諦めさせることにしか行政の執心はなかったのではと思わされます。認定審査会に属する委員は、こうした住民の実態を知らない専門家で固められており、本書を読んでみてから自分の不明の恥を知るべきだと思います。

被害者救済に役立つ研究かどうか

まだ読んでいる途中ですが、井上ゆかり著の『生き続ける水俣病』で描かれる女島の漁民の生活史はたいへん興味深い記録です。漁民たちの人間関係や食生活、情報流通などを知ると、近代化していく街の暮らしとはまったく異なる時間の流れ方をしていたのだなと感じます。そのあたりを根拠づける行政がまとめた各種の統計資料も使われています。水俣病にかかわる学術研究で私の評価はただ一つです。それが被害者救済に役立つ事実の記録であるかどうかです。これを読むと、多くの住民が棄て置かれたのは間違いないと思います。

生き続ける差別

県をまたぐ移動自粛が求められていることもあり、県南の水俣市から鹿児島県出水市の移動にあたり、感染者数が少ない鹿児島県の人たちから水俣の人たちが心無い言葉を受けたり、嫌がらせに遭ったことなどがニュースになりました。その間も海の生物たちは県境を行き来しているのですが、人の浅はかさは治らないものです。近く写真の本を読んでみます。

裁判官次第なのか

3月13日に水俣病第二世代国賠訴訟の福岡高裁による不当判決があり、原告は上告することとしました。28日夜に水俣市において原告・弁護団による報告会が開かれます。同じく13日に岩波現代文庫から写真の本が出版されました。聞き手は私の学生時代からの知人によるものです。裁判官はそれ自体が独立した機関ですが、判決を導くにはその裁判官自体の人間性がやはり出てくるものだと思います。法律以外のものになびくだらしなさが救済を遠ざけることがあります。裁判官次第で判決が分かれてはならないと思います。

信頼できるか

本日届いた水俣病センター相思社の機関誌『ごんずい』を読んでいたら、故・川本輝夫氏の子息の思い出話として人権擁護委員に水俣病被害の相談に行ったら「すでに終わった話」「カネが欲しいのか」と言われさらなる人権侵害を受けたことが載っていました。確かに人権擁護委員の立場にありながらどうかと思う人はいます。その自覚がないからその立場にいるのではとも思います。今号の『ごんずい』は、韓国浦項における水銀公害や戦前・戦中までの現在の北朝鮮興南におけるチッソの植民地支配のありようをリポートしていて、読みごたえがありました。このところ新型コロナと東京五輪関連のニュースが席巻していますが、日韓関係の信頼回復や北朝鮮拉致被害者帰還問題の進展は聞こえてきません。政治リーダーに信頼できるかしっかり見ていこうと思います。

裁く資質に欠けている

昨日、胎児・小児期にメチル水銀の影響を受けた水俣病被害者8人による損害賠償訴訟の福岡高裁判決が出ました。一審では認められた3人も含めて8人全員の請求が棄却されました。朝日新聞の解説で書かれている通り、この判決に従えば、すでに認定された患者も認定されないことになり、被害の実態をとにかく歪めて矮小化してきた原因企業や国・県に追随するものです。裁く資質に疑いが大いにある結果となり、司法不信の汚点を歴史に刻んでしまったと思います。

その人に職業倫理はあるか

有馬澄雄責任編集『〈水俣病〉Y氏裁決放置事件資料集 』(弦書房、3000円+税、2020年)を読み進めています。登場する行政官や医学者の職業倫理について考えさせられます。彼らがもし本書を手にする機会があれば、自分の職業人生に誇りを持てるのか、問い質したい気持ちになります。肩書に溺れることしか能がない人生だったとしたら悔い改めてもらいたいと思います。

クズ公務員の記録

3月25日に福岡市内にある出版社の弦書房より『〈水俣病〉Y氏裁決放置事件資料集 』が刊行されます。これは、本来は行政の運用の誤りを糺し、国民の正当な権利を実現する、行政不服審査制度を破壊した公務員の恥ずべき行為を記録した資料集となっています。まず、訴訟に例えれば裁判官役の環境庁(当時)が判決にあたる裁決を出す前に、被告役である熊本県へその内容のお伺いを立てていたという不公正な関係が断罪されなければなりません。何度も裁決が準備されながら、熊本県による狂信的妨害に遭い、認容裁決を原告役の被害者遺族へ出さずに放置した不法・怠慢もあります。地方自治体が存在する目的は住民の福祉の増進にありますが、それを妨害した当時の担当者を追及する必要があります。
【出版社の紹介文引用】〈水俣病〉救済制度の正体をあぶり出す資料193点。ひとりの男性(Y氏、1980年死去)が、1974年に水俣病認定申請、さらに1979年の申請棄却処分からその棄却処分取消しを求めて、行政不服審査を請求した。1999年に環境庁と熊本県から水俣病と認定されるまでの経過と真相、責任の所在を明らかにする。従来、ブラックボックスとなっていたY氏の審理に関する環境庁と熊本県のやりとりを示す内部資料(申入書、診断書、弁明書、裁決書等)をすべて収録。1999年1月19日「環境庁は水俣病をめぐる男性の行政不服審査請求において、水俣病と認める裁決を遺族に交付せず放置していた」と報じた新聞記事がなければ政治決着の流れの中で、闇の中へ葬り去られたままだった裁決放置事件を、いま再び問い直す。  誰のための救済制度なのか。

 

早春のイベントご案内

以下のご案内をいただいたので紹介します。【以下引用】
一般社団法人水俣病を語り継ぐ会では「水俣病を朗読で伝える」ことを目的に、今年度も「第4回早春の朗読会」を2月23日(日)14:00から、水俣市総合もやい直しセンター3階ホールにて開催します。
亡くなった石牟礼道子さんの3回忌との気持ちも込めて、参加者一同一年間練習を重ねてきました。光永さんのピアノ、小出さんの朗読もお楽しみください。
ご多忙とは思いますが、ご参集いただければ幸いです。朗読会終了後、16:30からホールの隣で「茶話会」も行いますので、併せてご参加ください。
事前の連絡等はご不要です。

追記:本イベントは開催中止となりました。

研修目的と効果

昨日は地元の市教育委員会主催の人権教育指導者研修会に参加しました。参加対象は人権擁護委員や教育委員、市関係部署などでした。日頃、人権侵害事案の相談や救済に関与する立場の人たちです。この日の研修講師は、同和地区をかかえる公立学校での勤務経験がある元教員の方でした。講演内容は、人権尊重全般や同和問題の歴史の解説など大味な内容が多く、教育指導の役に立つ実践的な対応方法の紹介といった側面ではたいへん物足りないものでした。確かに県の登録講師という触れ込みでしたが、自己紹介でもかつてどこそこの学校長でしたという点にはまったく能力の保証にはなりません。研修会を企画する側も、もっと目的と効果を考えて講師の選定や研修内容の依頼を行うべきではなかったかと思います。ちょうど主権者教育の講師が言っていましたが、学校には閉鎖的な文化があり、外からの参加を好まず、たまたま外部から講師を呼んだときはその講師に内容を丸投げしてしまう傾向があるといっていました。昨日はまさにそうした傾向が強い研修会でした。それと、熊本県における人権侵害といえば、水俣病被害者を認定しようとせず、救済に後ろ向きな県そのものという思いがあります。それらしく研修を消化すれば「やっている感」のポーズが出せるという企画者の安直さをスルーしないようにしたいとも感じました。