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相思社が日本平和学会平和賞を受賞

6月16日開催の一般財団法人水俣病センター相思社評議員会に出席したおりに、このたび、同法人が日本平和学会第9回平和賞を受賞したことが報告され、表彰状が披露されましたので、写真撮影させていただきました。文面を拝見すると、学会の表彰理由が詳細に記されており、ありきたりの表彰状ではない重みを感じました。
以下に、文面を紹介します。
「貴団体は半世紀にわたり強い使命感をもって患者支援 裁判支援 教育支援を継続されてきました 患者と家族とともに在って 世代と地域を架橋し 国内外に広く影響を与える環境平和創造の担い手として 深い対話を通じて「拠り所」であり「根拠地」となってこられました 「もう一つのこの世」をつくる精神と活動に敬意を表し 連帯の志の下 第九回日本平和学会平和賞を授与いたします」
なお、平和賞式典は、6月1日、学習院大学で行われ、水俣病センター相思社理事の緒方俊一郎氏が法人を代表して表彰状を受け取り、スピーチを行いました。
■2024年春季研究大会プログラム 2024年6月1-2日 会場:学習院大学
テーマ「戦争と平和の根底に交差するレイシズム、セクシズム、ナショナリズム」
※2024年春季研究大会開催校責任者 青井未帆学習院大学教授(憲法)
■日本平和学会第9回平和賞受賞理由 2023年11月24日 第9回学会賞選考委員会
■第9回平和賞受賞スピーチ 2024年6月1日 水俣病センター相思社 理事 緒方俊一郎
※緒方俊一郎氏は2024年6月16日より理事長(代表理事)に就任しました。
https://drive.google.com/file/d/1_CgXCBS2Of9-fYj04dXLFP57ENNOvaeo/view

どちらの記憶が信じられるか

6月13日の熊本日日新聞文化面に宇城市小川町出身で現在は神奈川県藤沢市在住の俳人・長谷川櫂さんのエッセー「故郷の肖像② 第1章 海の国の物語」が掲載されていました。熊本県の北を阿蘇山の地下水が潤す「泉の国」阿蘇国、南は九州山地をえぐるように海を取り巻く「海の国」不知火国と、風土や地名由来からユニークな見方を示していました。
ですが、私がもっとも印象深かったのは、文章の結びに読まれた句の中に織り込まれている「海ほほづき」(ある種の巻貝の卵嚢だそうです)を子ども時代の長谷川氏へくれた、行商人についての思い出の部分です。「子どものころ、松合から行商のおばさんがバスを乗り継いで小川町まで魚を売りに来ていた。」とありましたから、1954年生まれの長谷川氏にとっては60年ほど前の話なのだろうと思います。松合というのは、不知火海沿岸部の北端にある地域です。その当時の不知火海沿岸部の南端に近い水俣では、チッソがメチル水銀を海へ垂れ流していました。この時代、漁民ではない普通の生活者が食卓に出す魚を行商人から買うことは、ごくありふれた行為だったことが、長谷川氏の記憶からうかがえます。
そこで思い出すのが、水俣病特措法の救済から漏れた被害者たちの存在です。不知火海沿岸部から離れた山間部地域で暮らす人たちのなかにもメチル水銀曝露による症状が多数見られました。この方々は、水俣・芦北地域からやって来る行商人から魚を買い求めていたのです。しかし、60年前の行商人からの魚購入の領収証がないことを理由に、熊本県は山間部地域の申請者を被害者だと認めませんでした。魚の行商に限らず一般個人の現金取引において領収証を発行する商習慣自体が60年前はなかったと思います。それより確実に残っているのは、長谷川氏のように子どもの記憶であり、その証明力が高いと思います。さらに言えば、水俣の魚の行商人の子にあたる人でさえ被害者として認められていない例があると聞きます。行商人の家庭内で商品である魚を自家消費することは十分ありえますし、自家消費であればなおさら領収証を出すということは、某政党国会議員たちによる自己の政治団体への政治資金付け替えでもない限りありえません。シンプルに考えて、魚の行商人の子どもの記憶が確かであり、証明力が高いと思います。
以上のことを考えていたところに、昨日(6月14日)の熊本日日新聞において、わが熊本県知事が講演を行った記事が載っており、その中の「木村知事はTSMCの『誘致』に自身も関わった経緯に触れ、」というくだりを見つけて、「はて?」と思いました。『進出』には関わっているかもしれませんが、『誘致』に関わったとは、初耳だったからです。
記者の捉え方で『誘致』と書かれたのか、木村知事の発言で『誘致』という言葉が発せられたのか、今一つ不明ですが、仮に後者であれば、自らの手柄話として神話化を始めたことになり、その記憶の信頼性をちょっと疑いたくなります。
私の理解では、TSMCの『誘致』には経産省と東大が大きな役割を果たしており、熊本県はTSMCの『進出』が方向づけられた後から動き回っているに過ぎません。一般論として書きますが、ドサクサ紛れに他人の手柄を自分の手柄話にすり替えるような人物を私は信用していません。
参照記事 朝日新聞電子版2024年2月27日

飼い犬か義勇兵か

朝ドラ「虎に翼」の本日放送回での主人公の「寅子」による「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない男か女かでふるいにかけられない社会になることを私は心から願います。」との毅然とした決意表明と、女性の服装を揶揄する司法試験の面接官に「トンチキなのはどっちだ。はっ?」と言い放った「よね」の信条の崇高さには、たいへん感動しました。司法の分野はもちろんですが、当時は女性に選挙権がありませんでしたから立法分野の国会議員、行政分野の大臣として女性が活躍できる場はなく、そのことだけでも国民の半数以上が虐げられていた時代がつい80年ほど前まであったことを思い起こさせました。しかしながら、現在の立法や行政の分野に携わる者の資質に接すると、ガッカリさせられることが多いですし、そのような資質の人物をのさばらせる国民の資質も問わなければなりません。
じっさい、水俣病患者団体と環境大臣との懇談会で、環境省職員がマイクの音声を切り団体側の発言を封じた、いわゆる「マイクオフ問題」を巡って、あろうことか患者団体側に非難の電話をかけるトンチキな方々がいることを、本日(5月10日)の熊本日日新聞が報じていました。環境大臣やその場にいて善処に動かなかった熊本県知事の「飼い犬」を自ら買って出るとは、なんとも下劣で哀れな行動としか言えません。おそらくは、水俣病の被害がいかに拡大し、多くの被害者が救済されずに死ぬのを待たされ続けている歴史に無知なのだと思います。
たとえば、3月の熊本県知事選挙を前に、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が知事選立候補表明者へ公開質問状を出したことがありました。その際の現知事の回答を要約すると、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「健康調査の実施は考えない」の「ないないづくし3点セット」でした。そのときこのような環境省の意向に沿ったゼロ回答をした候補は他にいませんでしたが、この回答が何を意味するかも先の飼い犬たちには理解する力がないのだと思います。
一方で、冒頭の「寅子」や「よね」と同様に、世の中の不条理に対して闘う人物が常にいるのも希望です。水俣病裁判闘争の初期のころ、「義によって助太刀いたす」と患者支援に行動した、水俣病を告発する会の代表だった本田啓吉先生(2006年没)を、私は思い起こします。先生とは機関紙『水俣』編集を通じて生前お会いする機会がたびたびありましたが、いつも穏やかで激しい物言いをされる方ではありませんでした。だからなのか、時折この「義勇兵宣言」が気になります。何の義理がなくても不条理な環境に置かれた出来事があれば、黙って見過ごさない人間でありたいと思います。
なお、熊本県知事の職分の名誉のために付言すると、福島譲二知事(1999年没)と本田啓吉先生は、旧制五高時代に学生寮で同室の仲でした。片や大蔵官僚、片や高校国語教師と、進まれた道は異なりましたが、大義とは何かを思索し行動に移す真のエリート知識人の気概は共有していたと思います。

よく言った

本日(5月9日)の熊本日日新聞社説より。
よく言った。「虎に翼」の笹寿司のおやじさんのセリフに、そんなのがありましたね。
「懇談には熊本県の木村敬知事ら県幹部も同席していた。だが、環境省の対応に異は唱えなかったという。国はもちろん、熊本県も水俣病問題の当事者だ。適切な対応だったとはとても言い難い。」

熊本県知事は環境大臣の飼い犬か

このところロアッソ熊本の戦績の不甲斐なさに閉口し、ローカルのスポーツ関係のニュースは見ないよう努めています。ですが、水俣病犠牲者慰霊式後に伊藤信太郎環境相と懇談した患者団体の発言が環境省職員によって打ち切られた一件については、憤りを覚える気持ちが収まらず、報道を追いかけています。今月26日に開かれる相思社(水俣病患者連合事務局を担当)の理事会にも出席しますが、本件についても議事に上ると思います。
本日(5月8日)の熊本日日新聞社会面では、本件をめぐる熊本県知事の対応について以下のように触れていました。「1日の懇談には、熊本県の木村敬知事や県幹部も出席。団体側の発言が打ち切られても、善処を求める言動は一切なかった。水俣病保健課は『環境省が運営している場に参加させてもらっている県として、何か言うことは難しい』と説明。懇談後の記者会見で木村知事は『忙しい大臣が例年通り時間をつくってくれた』と謝意を示した。」。見出しなしで記事本文の半ばに記されていましたので、大半の読者は見落とす可能性があるかもしれません。しかし、県民の権利を守ることをせず、来水した大臣に謝意を示す能しかなかった知事に阿ることなくその不甲斐なさの一端を晒してくれたように思います。
同じくけさの朝日新聞読者投稿欄(「声」)に、今春に31歳で東京都職員を早期退職した現在自営業の男性の投書が載っていて、興味深く読みました。それによると、投稿者は公務員時代の自身を「飼い犬」と評し、現在は「野良犬」としてエサは与えられなくとも本当の自由がある爽快さを語っていました。「野良犬も悪くない。」と文章は結ばれていて、25年間の会社員経験後に自由業に転じた私には共感できる内容でした。
この投稿と併せて先の地元紙の記事を読むと、まるで熊本県知事は環境大臣の「飼い犬」だなと、本当の「飼い主」である県民の一人として感じてしまいます。

ないないづくし3点セット

本日(3月7日)の朝日新聞熊本地域面に、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が知事選立候補表明者から得た公開質問状への回答について載っていました。
注目したのは、現知事から「県政の良き流れ」を継承する候補と推された人物の回答内容です。予想通りのゼロ回答でした。要約すると、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「健康調査の実施は考えない」の「ないないづくし3点セット」でした。
こと水俣病問題対応については県政の悪い流れにしか遭ってこなかったであろう患者・被害者ならびに支援者にとっては、明確な判断材料になったかと思います。
写真は、水俣病歴史考証館内に展示されている丸木位里・俊画「水俣の図」。2023年12月撮影。

専門家選びは難しい

熊本県弁護士会所属の若手弁護士の方がこのたび日弁連ゴールドジャフバ賞を受賞されたと、本日(3月3日)の地元紙が報じていました。この方は、元技能実習生死体遺棄事件で、被告の主任弁護人として最高裁で昨年3月24日逆転無罪判決を勝ち取っています。私もこの方の存在については、事件発生直後の2020年11月から救援に動いていた先輩行政書士の方の講演で聴いて知っていました。最高裁の自判無罪判決を得るのは稀有なことで、本件は戦後25件目にあたります。2018-2022年の最近5年間の最高裁の事件処理件数に限っても、高裁から最高裁への上告件数は1万件ありますが、そのうち最高裁が弁論決定したのが16件(0.16%)、破棄自判無罪となったのは2件(0.02%)に過ぎません。ただでさえ支援が行き届かない技能実習生制度のもとでの孤立出産が罪に問われた事件から被告女性を救った活躍は素晴らしいと感じます。
日常生活において多くの人は裁判とは縁がありませんが、いざ係争となると、いかに仕事ができる弁護士と出会えるかが重要です。私も会社員時代に法務的業務に従事して、顧問を委嘱する弁護士を探したり、はたまた解嘱したりした経験があります。今回の受賞報道に接して、法務担当時、世話になったある優秀な弁護士を思い出しました。その方は、1993年3月25日の水俣病第三次訴訟2陣熊本地裁判決において、チッソ・国・熊本県に勝訴の判決を得た際の弁護団の若手弁護士の一員として活躍されています。その判決は賠償金の仮執行と仮執行の免税がついているものでした。弁護団は事前に周到な準備を進めて、和解に応じようとしなかった国に打撃を与えるため、国に賠償金を支払わせる仮執行に成功しています。国が執行金相当額を熊本法務局へ先に供託すれば、仮執行が免税されますが、判決直後に国の現金が保管してある熊本中央郵便局へ執行官と弁護士が出向いて差押えれば、仮執行が可能になるというものでした。しかも、執行金を預金する先の銀行から金銭をカウントするプロと紙幣をカウントする機械も伴っています。そのあたりの攻防の模様は、水俣病訴訟弁護団編『水俣から未来を見つめて』(1997年刊)に書かれていますが、このように鮮やかに国の現金を差押えする前例はなく、読むと法廷ドラマのようなドキドキ感があります。
ただ一つ残念なのは、私が世話になり、上記の手記を執筆した弁護士とは別の方ですが、同じ当時の若手弁護士のメンバーの一人で、先ごろまで全国B型肝炎訴訟熊本弁護団長だった人が、口座の預かり金から約9000万円着服したという報道が今年ありました。30年後にこうした事件を自らしでかしてしまう弁護士もいるわけで、資格だけで資質を体重みたいに推し量ることはできず、弁護士など専門家選びはなんとも難しいものです。
写真は記事と関係ありません。ウィーン市内で見かけたコイン式体重計(1993年1月撮影)。同種のものは昔モスクワ市内でも多数見かけたことがあります。
https://kumanichi.com/articles/1345422
https://kumanichi.com/articles/1314340

フタをすることだけが早業だった

現県知事が「政治の原点」とかつて口にした割には、こと水俣病問題解決に向かってこの16年間、県政の良き流れがあったとはとてもいえません。本日の熊本日日新聞1面の「点検 県のチカラ」の7回目記事にあるとおり、2013年の最高裁判決や国の不服審査会裁決が示した感覚障害のみの患者認定の判断、あるいは2023年の大阪地裁が示した水俣病特措法の救済漏れを認めた判決などに、一貫して背を向けてきたのは明らかでした。
その一方で、チッソが1968年まで有機水銀を垂れ流した、百間排水口の木製樋門(フタ)を水俣市が撤去する計画が持ち上がり、現地から反対の声が上がった際には、いち早く知事が県の予算で現場保存に昨年7月乗り出したことがありました。そのフタは、工場廃水が流れていた当時のものではありませんし、新たに設置されるレプリカのフタ自体には水理機能上の意味もないものです。被害拡大の事件史的視点から言えば、百間排水口から一時期変えた、水俣川河口近くのチッソ八幡プールの排水路からの有機水銀流出がより悪質だったわけで、私自身はフタ保存の必要性をさほど感じていません。むしろフタをすることで被害者に寄り添う格好のポーズ作りの材料にさせられただけだったと考えています。
※写真は記事と関係ありません。パリのポンピドゥーセンター(1991年12月撮影)。当時は広場で火を噴く大道芸人がいましたが、今はどうなのでしょうか。

それぞれの百年

12月2-3日と水俣病センター相思社で開かれている「百年芸能祭in水俣」の初日イベント「百年座談in相思社」に参加しました。通常は休館日にあたる水俣病歴史考証館に展示されている丸木作品も観覧することがかないました。座談会の前に千葉明徳短期大学の明石現教授による11弦ギター演奏があり、明石ゼミ学生8名による手話合唱もありました。特に普段の生活では無縁の若い女性たちの歌声には、さすがに日頃シニカルな自身の心も洗われる思いを抱きました。これまで何度も相思社を訪ねたことがありましたが、これほど清々しい気持ちにさせられたのは初めてでした。
この後の座談会の最後で、本祭の「口先案内人」を務める姜信子さんが、権力者が怖れるのは、人々が歌うこと、踊ることというようなことを述べていましたが、世の中の不条理に異議申し立てを行う手段としては、確かに力を覚えます。最近読んだ、ロビン・ダンバーの『宗教の起源』でも、笑う、歌う、踊る、感情に訴える物語を語る、宴を開くといった、社会的グルーミングにはエンドルフィン分泌をうながす効果があり、結束社会集団の規模を大きいものにするとありました。法事なんかで経本をみんなで声を合わせて詠まされるように宗教儀式にはそうした要素が仕込まれています。
さて、「百年座談会 私たちのつながりあう百年」では、(一社)ほうせんか理事の愼民子さんから「在日の百年」、宮城教育大学准教授の山内明美さんから「東北の百年」、相思社職員の葛西伸夫さんから「水俣の百年」をテーマにトークがありました。今から100年前の1923年に関東大震災があり、水俣では日窒(チッソ)に対する漁民の最初の闘争が起きています。
座談会では、以下のキーワードがありました。関東大震災直後の朝鮮人虐殺(中国人や標準語を話さない日本人も犠牲になっています)、コメのナショナリズム(植民地での日本米増産)、放射線育種米(あきたこまちR12)、六ケ所村、寺本力三郎、大間原発、三居沢水力発電所、日窒興南工場、野口遵、半島ホテル(現在はソウルのロッテ百貨店が建つ)、水豊ダム、福島第一原発、復興庁、ハンフォード・サイト、朝鮮籍。
今回の座談会を聴いてこの百年を理解する手引きとして、以下の2つの書籍を個人的に挙げてみたいと思います。1冊目は、遠藤正敬『新版 戸籍の国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店)です。「日本人」の定型、「臣民」への画一化が如何に形成されてきたかを知るには良著です。朝鮮籍・韓国籍・琉球籍の経緯を知る価値があります。旧満州国の日本人は満州国人ではなく内地人(日本人)であり続けたことも学んだことがない国民が大部分だと思います。2冊目は、ジャニス・ミムラ『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』(人文書院)です。先進技術や資源をめぐる利権に蠢く権力者たちが、外国人だけでなく自国民の人権を如何に蔑ろにしてきたか、その手口を知るのに適しています。かつてのテクノファシズムには、今日のテクノソーシャリズムにも近しいところがあり、それも国民は監視すべきだとは思います。ついでに挙げると、これからの百年を考えるには、ブレット・キング、リチャード・ペティ『テクノソーシャリズムの世紀 格差、AI、気候変動がもたらす新世界の秩序』(東洋経済新報社)もお勧めです。
ところで、私の百年では、祖父の兄が大工だったそうですが、関東大震災後の復興特需で横浜へ移住します。その兄を頼って祖父も横浜へ行き、当地で商船会社の社員の職を得ます。北米航路の豪華客船にも乗っていましたが、アジア太平洋戦争中は軍の傭船に乗務し、南方と内地との物資輸送にあたっていました。最期はインドネシアから出港した油槽船に乗っていましたが、マニラから基隆へ向かう途中で米軍潜水艦からの攻撃に遭い亡くなりました。その命日は、偶然ですが、日窒創業者の野口遵と同じ1944年1月15日です。野口遵は電気化学を学んだ人物ですが、私の息子(COP3京都会議の期間中生まれ、私の祖父からすると曾孫)は、現在まさしく電気化学の分野の研究(※)を進めており、脱炭素社会の一翼を担っています。なにかしらつながるものだなと思わざるを得ません。
※一口で言えば、二酸化炭素還元反応。CO2(二酸化炭素)からCu(銅)を電極触媒として用いてCH4(メタン)やC2H4(エチレン)、C2H5OH(エタノール)といった有用物質を得る電解還元の研究。CO2排出抑制につながるものです。

 

 

 

カリガリの閉店

喫茶「カリガリ」の2度目の閉店についての熊本発の記事が、本日の毎日新聞東京本社版社会面にも載っていました。場所が移る前の頃はよく訪ねる機会があり、ここで多くのことを学びました。なんともさびしい限りです。写真は前の店先の外灯。
https://mainichi.jp/articles/20231116/k00/00m/040/190000c
【2024/11/18追記】
「カリガリ」閉店の記事が、11月18日の朝日新聞熊本地域面にも掲載されていました。
https://digital.asahi.com/articles/ASRCJ65PCRCJTLVB002.html

救済漏れではなく救済逃避・妨害

昨日、水俣病特措法に基づく救済が受けられなかった原告128人を水俣病と認める大阪地裁判決がありました。本日の朝日新聞の同判決要旨の見出しに「救済漏れを問う」とあったのですが、水俣病事件の経緯を多少知っている者からすれば、加害企業や国・県が続けてきたのは、「救済漏れ」ではなく「救済からの逃避」あるいは「救済の妨害」でしかなかったと思います。
彼らの「救済」の手口はいつも狡猾でした。カネを値切るために、公健法より安上がりな特措法を編み出したのもその一つ。なおかつ「救済」対象者を少しでも減らすために、居住地域や生年、症状に厳しい制限を設けてきました。その最たるやり口が、やり過ごす年月の引き延ばしであり、被害者が死ぬのを待つということでした。
判決要旨を読むと、水俣湾の仕切網が設置された1974年1月までの時期に、水俣湾またはその近くでとられた魚介類を多食した者についてはメチル水銀曝露が認められるとあります。現在50歳代の人であっても症状が遅れて現れることがありえるわけで、加害行為が終了しても当該損害の全部または一部が発生した時が除斥期間の起算点とも指摘されていることから、まだまだ救済は終わっていない進行中の事件なのだと改めて感じます。

追悼の妙

昨日熊本市内へ出向いた際に文芸誌「アルテリ16号」を買い求めました。今号は「渡辺京二追悼号」となっていて、購入の最大の理由は執筆者・談話者の中に何度もお目にかかったことのある方たちの名前があり、それが読みたかったことに尽きます。たとえば、掲載ページ順に、松下純一郎さん、磯あけみさん、阿南満昭さんです。
渡辺京二氏の死去間もない時期に新聞各紙にさまざまな方々による追悼文が掲載されました。しかし、それらのどの文章よりも「アルテリ」に載っている追悼の言葉の方が、読んでみて(表現は適切ではないかもしれませんが)面白く感じました。特に上記に名前を挙げた3人の文章・談はそうでした(逆に、他の全国的に著名な方々のそれはそうでもありませんでした)。
これは、なぜかと考えたときに、新聞紙上での文章は普遍性が求められるので、故人の業績紹介に重きが置かれて、どうしても故人から筆者の人格形成に受けた影響はそのエピソード情報も含めて文量が少なく、後景に追いやられてしまいます。それと、故人の名誉を慮りどうしても非の打ち所がない人物として持ち上げられ過ぎてしまいます。言うなれば、当たり障りなく上品な仕上がりになってしまいます。
「アルテリ」の場合は、新聞と比べてかなり身近に接した経験を持つ執筆者・談話者が、故人の社会常識から逸脱した側面も明らかにしていますし、故人から受けたきわめて私的な影響が詳らかになっています。結果的に故人に対する新しい視点や理解の深まりが得られた気がします。阿南さんが語るように「困った人だった」だからこそ、歴史が作られた点も確かにあります。
私自身は、渡辺京二氏についてお姿を見たことはありますが、ほとんど著書や伝聞でしか知りません。字面を通じた影響には感謝していますが、こういう気性が難しい方とはナマでは付き合いたくないときっと感じたことだろうと思います。

魚の食べ過ぎは体に悪い

東京電力福島第一原発の処理水海洋放出が始まって1週間が経ちました。中国が日本の海産物の全面禁輸に踏み切ったことにより、水産業界にも影響が出始めています。首相は東京の豊洲市場を視察してタコを食べるパフォーマンスをしたうえで、業界関係者へ販路拡大などの支援策を説明したことが報道されていました。
ですが、最大の輸出先は中国であり、大半を占めています。鮮度が求められる海産物の輸出先として中国に代わる近隣の人口大国はありません。中国以外の輸出国が拡大したとしても到底現状を超える望みはありません。国内消費の拡大もしかりです。人口減少傾向にある日本国民が急に海産物の食事を増やすことが期待できるでしょうか。ましてや日本の子どもたちをダシにして学校給食材で海産物を増やすなど過剰反応に走るのも心配です。
現実的な解決方法は、依怙地にならず海洋放出を止めれば済む話です。海洋放出を続ければ続けるほど、貿易赤字は増え、水産業界を始めほかの業界も損を被るだけですし、それらの業界の支援に必要な費用がかかります。中国政府は禁輸を続けても何も困らないですが、苦しむのは日本国民であり、新たな支援や賠償の責任が生まれる日本政府や東京電力です。
それと、国内消費の拡大が推奨されるとなると、放射能よりも魚介類に含まれる水銀の摂取の方が心配になってきます。厚生労働省のホームページには、現在においても「水銀に関する近年の研究報告において、低濃度の水銀摂取が胎児に影響を与える可能性を懸念する報告がなされていることを踏まえ、妊娠中の魚介類の摂食について以下の注意事項を公表しているところです。」との記載があり、「妊婦への魚介類の摂取と水銀に関する注意事項及びQ&A」の情報を出しています。
水俣病関係の書籍で読んだ記憶がありますが、水俣病患者が多数発生した不知火海沿岸住民よりも県外の日頃マグロを口にする機会が多い寿司職人の方が、毛髪に含まれる水銀濃度が高いという調査結果があったかと思います。
11年前に環境省の国立水俣病総合研究センターの主任研究企画官から「水銀と健康について」というテーマで話を聴く機会もありました。そのときの聴講メモもついでに載せておきます。うがった見方をすると、中国の禁輸措置は福島よりも水銀リスク回避のためかもしれません(本稿最終行参照)。
・国水研では「水銀分析マニュアル」を開発している。RI機器も使われている。
・毛髪水銀量の分析は無料で受け付けている。
・体内に取り込まれた水銀は約70日で半減するので、魚の摂取頻度が少なくなれば、毛髪水銀量(ほとんどがメチル水銀)も減る。
・金属水銀による健康への影響として、小規模金採掘の現場での水銀使用が問題になっている。金と水銀のアマルガムを作り、熱して水銀を蒸発させて金を取り出すときに、採掘労働者が水銀の蒸気を吸ってしまう危険にさらされている。
・中国における石炭燃焼から出る水銀が大気に含まれ偏西風にのって日本に飛来している。特に冬は濃度が高くなっている。
・食物連鎖によるメチル水銀濃度が高い魚として、サケ、イカ、マグロがある。クジラも高い。マグロの消費量が高い東日本、捕鯨出港地の住民の毛髪水銀量は、平均より高い。

海洋放出の損得勘定は?

東京電力福島第一原子力発電所から出る汚染水を大量希釈したALPS処理水を海へ排水することが問題になっています。これによって水産業界において対中輸出ができなくなる影響が出ています。
この一連の流れの損得勘定はどうなっているのか気になりましたので、いろいろデータを見てみました。
まず、日本から中国への2022年のJETRO発表の輸出額ですが、1848億3070万ドル(為替レート131.46円/ドル)となっています。品目別内訳では、ほとんどが工業製品(電気機器:構成比27.2%、製造用機器・機械類:同20.0%、自動車・部品:8.4%、光学機器等:7.5%)となっており、水産物を含む食品は1%にも達していません。中国からの日本への同年の輸入額は1,887億673万ドルで、そこでは水産物を含む加工食品が構成比1.3%となっています。エネルギーや貿易全体の政策を所管する経済産業省にとっては、水産物の輸出の重みは小さいことがうかがえます。
農水省の統計では、2022年の中国向け水産物の輸出額は871億円、香港向けが同755億円となっています。
ところが、中国へ輸出する水産食品関連企業727社の売上高に占める中国向け輸出の割合は平均で55.9%ということでかなり中国依存度が高い傾向があります。水産食品関連業界に限って言えば、かなり影響が大きいことが分かります。
一応政府も漁業者らの風評被害に対処するため800億円からなる基金を設置し、損害が出れば東電が賠償するとなっていますが、基金総額の規模は上記の農水省統計にある1年間の輸出額におよびません。
そこで、原子力市民委員会が出している陸上保管費用と汚染水処理対策委員会のもとに設置されたトリチウム水タスクフォースの報告書で示された海洋排出費用を示してみます。2022年夏から廃炉予定である2051年までに発生する汚染水の長期保管用タンクの建設費用は374.2億円となっているのに対して、海洋放出(希釈あり)費用は18.1億円となっています。
損得勘定だけからいえば、一見して海洋放出よりも費用が高い陸上保管を続けた方が、新たに発生する貿易損失や風評被害賠償の見込み額よりも安上がりのように思えます。
写真は、ウィーンの氷結したドナウ川(1993年1月撮影)。スケートを楽しんでいる市民の姿が写っています。この近くにIAEA本部があり、建物の前まで行ったことがあります。

レプリカ設置に意義はあるか

けさの地元紙・熊本日日新聞によると、熊本県が百間排水口の老朽化した木製樋門を取り換えてレプリカを設置して、コンクリート製足場も残す姿での、見た目そのまんま保存をすることになったようです。もっとも現在の樋門も工場廃水を流していた当時のそれではありません。樋門より上流の道路を挟んだ先にはすでに景観的には新しい排水口があります。いまさらレプリカ設置の意義がそれほど高いとは感じません。
被害拡大の歴史的視点から言えば、チッソが八幡プール近くの水俣川河口に排水路を変えていた時期があり、そちらの方が川の流れに乗って有機水銀が不知火海全域に広がる結果を招きました(その護岸からは現在も有機水銀を含む汚染物質の海への流出リスクがあります)。今回の決着の仕方は熊本県が「金持ちケンカせず」の形で体よく引き取った感があります。
しかし、小さなケンカには矛を収めても、本質的な部分ではケンカを続けているのが熊本県の実態です。水俣病の歴史と教訓に学ぶ姿勢があるのなら、現在も続けられている裁判で悪あがきをせず、被害を受けた人がいることを素直に認めることです。こういう目くらましに騙されてはなりません。
https://kumanichi.com/articles/1115298

百間排水口の現場保存問題

水俣病の原因企業であるチッソが1968年まで有機水銀が含まれる工場廃水を海へ垂れ流した現場である、百間排水口の木製樋門とコンクリート製足場が老朽化し、それを158万円かけて撤去したい市側と現場保存を望む市民との話し合いが最近ニュースになりました。結局、県知事が保存活用の方向で市側と協議するということになりました。この問題については、どちらとも言えないと問題だと感じています。
樋門の設置自体は元々チッソが行い、1998年頃から管理者が水俣市に移ったとありました。それと樋門の役割は海水の逆流を防ぐためにあるとのことです。報道で知る限りにおいては将来の海面上昇の議論がないようです。仮に200年先において2m上昇すると、同地は海面下になります。現場保存されてもどの程度視認できるのかという問題と逆流対策上効果があるのか、おそらく排水口の道路高以上の擁壁が必要になるのではという懸念があります。つまり、撤去理由として下流側への危険が上げられていますが、将来的には上流側への危険を考える必要があります。
海没する遺構保存よりも埋立地からの有機水銀流出の危険がないのか、ほかにも予算と知恵を出さなければならないようにも感じています。

死者への冒涜にしか聞こえない

5月2日の地元紙に前日の水俣病犠牲者慰霊式で熊本県知事が述べた「祈りの言葉」の要旨が掲載されていました。そのなかに「私の政治の原点は水俣病です。」とあり、「認定審査は申請者がいる限り、平成25年の最高裁判決を最大限尊重し、着実に審査します。」とありましたが、これまでの知事の行動を振り返ると、死者への冒涜にしか聞こえませんでした。なぜなら県の審査会は、住民の社会生活を知らず、住民と直接接したこともない、いわば門外漢の委員らで構成されており、最高裁判決の論旨を到底理解しているとは思われない判断を続けているからです。県側は、名前も明らかでない委員の「専門性」を盾に審査を行ったとして被害者を切り捨てることだけを「着実に」行ってきました。これでは慰霊にはまったくなりません。

支援するということ

我がこととして他人を支援するのは困難さを伴うものですが、あえてそれを行う人を私は尊敬します。4月26日の朝日新聞「ひと」欄に掲載されていた、中島真一郎さん(行政書士登録では「須藤」姓)は、同じ士業団体に属する会員の中でも全国に誇れる稀有な存在です。

虐げられた人々を放置できない中島さんの精神の源流は、熊本大学の学生時代から見ることができます。宇井純さんらによる「東大自主講座」(最終講義は私も聴きに行きました)があったように、水俣病など公害被害者支援の「熊大自主講座」の運営を、担った中心人物です。後に講義録第1巻「生命のみなもとから」(1981年刊)・第2巻「うしてらるるもんか」(1982年刊)を編集出版されています。講義録を読むと、錚々たる講義登壇者のお名前があります。ご自身も2巻とも「あとがき」を書かれています。

試行-Attempt 後日記4

本サイトの「社名エピソード」ページにもお名前が登場している、渡辺京二氏が、2022年12月25日亡くなられました。「いまさら夢なんかもたない。ただ試行は続けたい。試行しているうちにお仕舞いになれば、それが一番だ。」と、後日記2で触れたようにだれもが辿る老いへの向き合い方のお手本のお一人としてこれまで見てきました。自宅書棚には渡辺氏と共に石牟礼道子氏と松浦豊敏氏が編集人を務めた『暗河』(くらごう)の創刊号(1973年刊)から48号(1992年刊)があり、久々に創刊号を手に取ってみました。表紙デザイン画は、菊畑茂久馬氏。目次に寄稿者の氏名がありますが、やはり今年(2022年)11月に亡くなられた久野啓介氏を始め、すでに鬼籍に入られた方々がほとんどとなってしまいました。創刊自体が49年前ですし、当時40歳代の方々が主要メンバーだったのですから、それもそうかと思う一方、それぞれの書き手が発する言葉には重厚感があります。おそらくそれは、書き手一人ひとりのあくなき試行の継続と、編集の溜まり場での書き手同士の語らいの中で熟成したものではなかったのかと考えています。「暗河」とは、元々、琉球・奄美地方の地下水脈のことを指しますが、渡辺京二氏という日本近代史の「革命家」に連なる人々の関係そのものを暗喩した題号ではなかったのかと、改めて思いました。

元熊本県職員の原罪

旧統一教会と政治家の関係が問題視される中で、旧統一教会系の国際勝共連合のダミー団体である「熊本ピュアフォーラム」の代表者・田中力男の名前が表面化しています。この人物は、元熊本県教育長の肩書を悪用し、不見識な地方議員たちを利用し、「青少年健全育成基本法」や「家庭教育支援法」の制定を目論む、旧統一教会の「使い走り」に勤しんできました。
なお、旧統一教会がいう家庭というのは、合同結婚式に参加して無原罪の子どもを産むという、きわめて特異な家庭像です。それだけが真の家庭で、それ以外は偽りの家庭というふうに彼らは考えています。
さらに、この人物には、県教育長に就く以前、熊本県の公害保健課長や環境生活部長として水俣病事件被害者を長らく放置してきた原罪を有する経歴があることも記憶しておく必要があります。
たとえば、故・溝口秋生さんの母・チエさんが水俣病患者と認められ最高裁判決で勝訴したのは、2013年のことですが、熊本県は認定申請審査をいかにやり過ごすかに専念していて、その間の課長だったことも記録で明らかです。県外在住だった故・Y氏については、当時の環境庁が患者と認める裁決案を用意していたのに、熊本県が強硬に抵抗・妨害していたのが、1999年、朝日新聞報道で明らかになります(〈水俣病〉Y氏裁決放置事件)。この時には、Y氏遺族に自らの悪行を認めない「詫び状」を部長として差し出しています。