1983年11月の大学祭において社会学者の鶴見和子氏の話を聴く機会がありました。そのときも和服姿でした。同氏も不知火海総合学術調査団の一員として参加執筆された『水俣の啓示』(筑摩書房)を同年夏に読んでいた私は、その読後感(内発的発展論)も含めて講演後に質問をしました。その際に、氏から受講者の中に同書の読者がいたことを知って本日来た甲斐があったとすごく喜んでくれてずいぶん恐縮しました。同時にその講演の際に、氏は従弟の人類学者である鶴見良行氏がやはり前年8月に出した『バナナと日本人』(岩波新書)を紹介されました。また、この本に影響を受けて、バナナを食べないようにしたことを披露されました。鶴見和子氏にいたく褒められた私もその日を境にバナナを食べることを止めました。もちろん『バナナと日本人』も読みました。一日本人がバナナを食べなくなったからといって生産輸出する多国籍企業には痛くも痒くもない話ですし、フィリピンの農民が救われることにつながったか、因果関係を証明することは不可能であることは重々承知です。しかし、真実を知ってそれに対して何か行動をするという学者の信念の強さとか清々しさに当時の私は触発されたのは事実です。きょう朝から農業のことに思いを馳せる時間があって、今も食べないバナナのことを思い出しました。
