4月16日に環境省職員による「水俣病は他の公害病と比べて恵まれている」発言は「あった」というのが、やはり事実だと落ち着きそうです。
この発言をめぐる水俣病患者連合発の文書は、以下の3点となっています。
(1)5月1日付け要望書…発言が「あった」。
(2)5月3日付け声明文…環境省を通じて発出。会長補佐が「発言があったとは認識していない」と否定。
(5月12日の環境相記者会見でも「事務方に確認し、不適切な発言はなかった」と石原氏が述べる。)
(3)5月13日付け声明文…発言が「あった」。3日の声明は会長の確認を得ておらず「無効」。会長補佐も謝罪。
上記(2)の文書発出の背景に環境省による被害者分断工作があったと考えるのが自然ではないでしょうか。
環境省の職員は、一時は患者連合の一部役員を手なずけてシメシメと悪だくみが成功したかに見えましたが、結果的に自分たちの親分(大臣)にもウソを言わせてしまったことが明るみに出ました。
(1)~(3)の文書は、行政が国民との向き合い方で陥りがちなミスを省みる資料として、ぜひ展示されるべきです。
https://kumanichi.com/articles/1990727
「水俣病」カテゴリーアーカイブ
朝鮮と水俣
安田菜津紀さんがゲストを迎えて対話するラジオ番組の5月6日配信回のテーマは「朝鮮と水俣」。ゲストは、『紙に描いた「日の丸」——足下から見る朝鮮支配』(岩波書店、2021年)の著者である、一橋大学大学院社会学研究科教授の加藤圭木さんでした。朝鮮近現代史・日朝関係史の研究者である加藤さんは、大学院生時代の2011年3月10日(東日本大震災の発生前日にあたる)、初めて水俣を訪問し、水俣病センター相思社へも行ったことがあると明かしていました。
水俣病の公式確認から70年が経ちましたが、その原因企業のチッソ(当時の社名は日窒)およそ100年前の1925年に日本の植民地支配下にあった朝鮮へ進出し、建設したダムによる発電事業や肥料製造事業展開します。その過程で朝鮮の人びとの人権を蔑ろにする様々な問題を引き起こしました。この番組中の対話によって、朝鮮におけるチッソの人権軽視の体質が、水俣病の発生と隠ぺいによる被害拡大、被害者差別につながったことが学べます。つまり、水俣病の歴史を70年と限って振り返るのではなく、昭和100年の時間軸と空間軸にまず一歩広げて考えみる大切さが感じ取れました。
番組MCの安田さんによる水俣取材文も参考になります。
https://www.youtube.com/watch?v=0bDSsnemk9k
https://www.iwanami.co.jp/book/b593242.html
https://d4p.world/33600/
水俣病70年と昭和100年
5月6日(水)午後10:05放送の「斎藤幸平が掘る!日本の現場 ~水俣病の70年~」が、「らじる☆らじる」で2026年5月13日(水)午後10:55まで聴けます。
特に地元紙の元論説委員長の高峰武さんが、なぜこの事件が終わらないままになっているのか、過去の流れを分かりやすく語っているので、良質の番組でした。
この放送を聴くと、先日の「昭和100年記念式典」での首相の式辞の内容がいかに薄っぺらいものだったかと改めて思います。まさに「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を伝えることが大切」です。
https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=MZNLX8Y17X_01_4314940
役人がダラ幹を丸め込むのはお手のもの
久々に「ダラ幹」というワードが、私の脳内に浮かんだニュースでした。
被害者団体が5月1日と2日後の3日に出した文書において、ある事実の記載がまったく違うものにすり替わる珍妙な出来事が起きました。この間に権力の側がどのようなお家芸を働かせたのか、それに団体幹部がいかに易々と乗せられたのかが窺えます。
(下記は新聞記事を基に再構成)
▶5月1日の文書・・・団体幹部と事務局長が事前確認の上、環境相へ提出。
「事前協議で環境省職員が『水俣病は他の公害患者に比べて補償が恵まれている』との趣旨の発言をした」と記載。
※提出時に、事務局長が口頭でも指摘し、幹部もその場で否定しなかった。
▶5月3日の文書・・・環境省経由で報道機関へ提供。(文面も役人が起案したのでは?)
「(環境省側から)そのような発言があったとは認識していない」と、1日の文書で指摘した事実を否定。
※団体幹部が事務局長の指摘を否定したことを受けて、環境省は「省内の調査でも現時点で指摘された発言は確認されていない」としてまんまと火消しに成功。事務局長はハシゴを外された形に…。
◎両文書を水俣病歴史考証館でぜひ対比展示してほしいものです。
https://kumanichi.com/articles/1987685
入場無料で街歩きを楽しむ
いくつか見てみたい入場無料の展示会が熊本市内で開催中なので3時間ほど街歩きを楽しみました。まず向かったのは、展示会ではなくて「平和憲法を活かす熊本県民の会」や「くまもと9条の会」が毎月3日に下通入り口(HAB@前)で行っている「9条を守れ!憲法をいかせ!スタンディング」。署名したら「NO WAR 9条は世界の宝」とプリントされたワッペンをいただきました。実はこうした抗議活動は全国各地で開かれています。足を運んでみたいのなら「デモカレンダー」のサイトが参考になります。
https://democalendar.jp/
次に向かったのが、3月20日にリニューアルした熊本県伝統工芸館。同館入り口前には熊本城を背景に「くまモン」像が撮影できるスポットができていました。入館すると、1階正面には「宇土の雨乞い大太鼓」が陳列されているのも目をひきました。もっともお目当ては、熊本県出身であり、ミニチュア写真家・見立て作家として世界的に活躍する田中達也氏の作品が展示開催中の「ミニチュアくまもと旅するモン」。熊本県の特産品の風景に見立てたミニチュアアートの世界を堪能してきました。
https://kumamoto-kougeikan.jp/spexhibition/r7ex1.html
それから電車通り沿いに歩き、白川沿いの満開の桜が見える大甲橋を渡った先の九品寺にある「Iso Books」を初めて訪ねました。ここは、元酒屋さんを改装して昨年8月にオープンした書店&ギャラリーです。大型冷蔵庫をそのまま書棚として活用していたり、外観に酒屋時代の看板を残していたりと、なかなか風情があります。今はなき喫茶カリガリの店主の娘さんが、この書店&ギャラリーのオーナーです。ご本人が美大出ということもあって書籍の品揃えは美術書関係が多いです。あと水俣関連の本も扱っているので、最新刊の熊本学園大学水俣学研究センター編著『水俣病 これまで・今・これから』(熊本日日新聞社、800円+税、2026年)が置いてあれば買おうと思っていましたが、あいにくそれはなく、熊本駅ビルにある書店で求めて帰りの電車内で読み終えました。4月2~15日の間は、同ギャラリーで、たなかみさきさんの「他人の服が似合う人」作品展(頒布可)が開かれていたので、それも観てきました。
https://www.instagram.com/p/DVadmA4AGWH/
入場無料の展示鑑賞の3カ所めは、くまもと文学・歴史館です。ここでは「来熊130年記念 漱石とその時代」が開かれていて、漱石が熊本で過ごし英国留学するまでの4年3カ月間の創作を振り返る内容となっていました。来熊した130年前と言うと、1896(M29)年、漱石が29歳のときです。私生活では結婚し長女も誕生します。展示で印象に残ったものとしては、正岡子規との交流関係の影響で俳句の創作に熱意を傾けていたことがうかがえました。書簡は毛筆でくずし字がほとんどですが、原稿用紙上のペン書きの字はマス目の小ささもあって割とちんまりした楷書で同一人物の筆跡とは思えない多重性を覚えました。展示チラシにも掲載されていますが、漱石の手による猫のスケッチ画も珍しくて見入ってしまいました。熊本では旧制五高の英語教師だったわけですが、漕艇部顧問もしていて展示品の中に同館と水前寺児童公園の間に今もある砂取橋から船で江津湖へ向かう途中の風景の記述もありました。その砂取橋の下を流れる加勢川の水鳥も同じ風景を見てるのかもと写真を撮って帰りました。
https://www2.library.pref.kumamoto.jp/bunreki
エトセトラ秋冬号
社会学・女性学が専門の鈴木彩加筑波大准教授が選んだ、2025年12月25日の朝日新聞「今月の3点」の論考の最初に、永野三智さん執筆の「水俣の女性たちの、性と生殖にまつわる話」(エトセトラ秋冬号)が取り上げられていました。
『エトセトラ』を取り扱う書店は、熊本県内では以下の5店舗しかないようですが、ぜひ読んでみたいと思います。
カライモブックス
mychairbooks
橙書店
長崎書店
蔦屋書店 熊本三年坂
https://etcbooks.co.jp/book/etc14/
ちなみに鈴木彩加氏は、2025年12月24日の朝日新聞夕刊「回顧2025 論壇」における「今年の3点」の中でも永野三智さんの原稿を取り上げておられます。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16370627.html
ステレオタイプな台湾理解に陥らない
専修大学図書館の「図書・雑誌無料頒布会」で入手した、1972年生まれの台湾在住の作家・甘耀明著の『鬼殺し』(白水社、2017年)を読み終えました。著者の甘耀明が6歳まで3世代で暮らしたのは、新竹と台中の中間に位置する苗栗(ミャオリ)県獅潭(シータン)郷は先住民族のタイヤル族やサイシャット族が隣接して住む客家の山村でした。その地では、祖母からそれら先住民族の民間説話を聞いて育ちましたし、大学院時代はアミ族が多く住む花蓮で暮らした経歴を持ちます。この作品の舞台は、日本統治下で太平洋戦争が開戦した1941年12月から戦後の国民党軍による二・二八事件(1947年)までの台湾の架空の客家の村。そこで生きる元日本兵の少年(彼の義父はタイヤル族)と日本の台湾領有(1895年)に抵抗して独立を宣言した台湾民主国の義勇軍に参加したのち隠遁生活を続ける祖父との物語となっています。
特攻隊に対する風刺が上巻p.212にありましたので、一つ紹介しておきますと、客家の人たちが話す閩南語(びんなんご=台湾語)で「うどの大木」を意味する大箍呆の発音は、「トァクゥタイ」。本書で知り得たマメ知識です。(小説のあらすじを開陳するヤボなことはしたくないのでここまでにします。)
本書の魅力として知らしめたいのは、下巻巻末に掲載された訳者の白水紀子氏による解説にもあります。ここでは台湾における皇民化や戦後の国民党支配下での混乱といった歴史の流れ、多民族多言語(=多文化でもある)といった台湾の社会構造について概観できるようになっています。ちなみに2010-2011年の行政院客家委員会調べによると、大きく4つの言語グループがあります。古く福建など中国南方から台湾に移住した漢族で閩南語を話すホーロー人(福佬人)が67.5%、客家語を話す客家人が13.6%、戦後台湾にやって来て北京語を話す人が17.1%、16の先住民族が1.8%という具合。日本で受け入れやすい親日的な台湾人像でひとくくりにできない複雑な面を理解することができて有益でした。
明治大学平和教育登戸研究所資料館館長の山田朗氏が、著書の『兵士たちの戦場 体験と記憶の歴史化』(岩波現代文庫、2025年)で書いていることですが、歴史の記憶の継承において、ことに虐殺を伴う戦争の記憶においては、戦争の〈栄光〉や〈被害〉の部分といった〈表の記憶〉は比較的語りつがれやすいのですが、戦争の〈秘匿〉すべき部分や〈加害〉の部分といった〈裏の記憶〉は断絶しやすいと指摘していたのを思い起こします。加えて、〈戦争の記憶〉の継承が、ヒト(体験者)からヒト(非体験者)への時代が終わりつつあり、ヒト(非体験者)からヒト(非体験者)へ、モノ(書物・映像・遺跡・博物館など)からヒト(非体験者)へ移行してきているとも書かれていました。
それが、台湾のように多民族多言語で成り立つ社会であればなおさら消えていく記憶が多いと考えるのが当然だと思います。小説の手法で伝える力をもった作家が存在するのは、台湾にとって資産だと思います。
一方で、これは地元の動きなのですが、ノンフィクションを装ったフィクション記述のある出版物に寄りかかって地元と縁がある台湾人を英雄に仕立て上げて顕彰することが性懲りもなく続けられています。熊本県教育委員会が制作した高校生向けの「半導体理解促進ハンドブック」でも感じたことですが、とかく行政や報道は〈表〉や〈正〉については何度も伝えますが、半導体産業における地下水保全や排水処理など〈裏〉や〈負〉の情報については触れたがらないものです。地元の英雄伝説拡散についても、そういう話でもこしらえないと公職者らが公費で訪台し続けられない事情があったのでしょうか。そうだとしたら、なんとも嘆かわしい次第です。
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/life/230153_650958_misc.pdf
https://gkbn.kumagaku.ac.jp/minamata/wp-content/uploads/2025/08/e6e9d12972cf1ee954f680ed4d62fee9.pdf
https://jats.gr.jp/cp-bin/wordpress5/wp-content/uploads/journal/gakkaiho020_09.pdf
https://kumanichi.com/articles/1935853
科学と歴史からの学び
昨日、グランメッセ熊本で開催されていた「県立高校 学びの祭典」と「県科学展」を見てきて、科学的思考に親しんだ高校生たちの展示や発表に接しました。主に宇土高校のそれを中心に見て回りましたが、いずれも主体的に答えを導き出した努力が感じられ頼もしく思いました。同高生徒の研究に際しては私の居住行政区が連携協力していることもあって、当区の地域課題に向き合った発表もありました。
たとえば、「学びの祭典」のステージ発表の最初に登場した、宇土高校の「山のやっかいものを海の資源に~竹炭を使った赤潮対策~」もその一つです。リーダーの生徒は中高で剣道部に所属し、使えなくなった竹刀から出る竹材を何か有効活用できないかと思ったのが、研究のきっかけと言っていましたが、当区の里山にとっても増え過ぎた竹林が土砂崩れを誘発しかねないやっかいものであるため、材料は豊富に提供できたのも後押しになったかもしれません。竹が多孔質であることに着目して赤潮の原因となるプランクトンを凝集・除去することを提起していました。同高からは他にも竹から竹油を抽出して香水を作るとか、夏場に区内のため池が白濁する原因が硫化水素にあると考えた発表もあり、興味をひきました。
なお、同会場入り口では、出展パンフレットとは別に熊本県教育委員会が制作した高校生向けの「半導体理解促進ハンドブック」が配布されましたので、これも読んでみました。半導体そのものの解説に始まり、製造工程の説明、半導体産業が必要とする人材などについて学べる内容となっています。反面、地下水保全や排水処理など負の課題については一切触れない徹底ぶりも感じました。
午後からは、くまもと文学・歴史館で開催中の「書籍に見る小泉八雲の世界」の展示をまず観覧しました。熊本在住時代の小泉八雲は、帰化前でしたので、ラフカディオ・ハーンであったわけですが、彼は宇土の「雨乞い」についても関心を示し、記したことが紹介されていました。関連の熊本県の保管文書として1875年8月16日の牧文四郎区長名の「雩(あまごい)願」が展示されていました。偶然ですが、牧文四郎といえば、藤沢周平作品の『蟬しぐれ』の主人公と同姓同名です。
その後、隣接する熊本県立図書館で開かれた「くまもと文学・歴史館長佐藤信講演会 遣唐使の交流」を受講しました。講演では、佐藤信氏が井真成、平群広成、阿倍仲麻呂、羽栗吉麻呂、大伴古麻呂、吉備真備、行賀といった遣唐使として東シナ海を渡った古代の日本人を紹介しながら、「古代の日本文化は、外の世界から文化を取り入れながら形成されてきた。閉鎖的な島国で排他的に文化を固守してきたのではなく、常に大陸・朝鮮半島や北方・南方の世界に対して交流の道を開いて、国際的文化を積極的に導入しながら、文化形成を行ってきた」と述べられました。
当時の航海はまさに命がけでした。平群広成の場合は、帰国に際して現在のベトナム南部の崑崙国へ漂着しその後唐国へ戻り中国東北部・朝鮮半島北部に位置する渤海国を経て帰国を果たすまで5年もの歳月の間、アジアの東方諸国をさまよっていました。ちなみに「平群」姓は「へぐり」と読みます。水俣病被害者互助会弁護団事務局にいる平郡真也行政書士の姓も「へぐり」と読みますので、なんだか勝手に親近感を覚えながら聴講していました。平郡さんは、溝口訴訟最高裁判決勝訴の影の立役者であり、熊本学園大学水俣学研究センター客員研究員としても活躍されています。
遣唐使が停止されたのちは商人たちによって伝えられるようになりましたし、現在の歴史教科書では江戸時代が「鎖国」とは記載されなくなったそうです。遣唐使の中には唐の女性と結婚した人もいて、その子女が海を渡った例もあります。たとえば藤原清河の娘である喜娘(778年天草に漂着)や羽栗吉麻呂の息子の翼(つばさ)と翔(かける)がそうです。「翼」や「翔」という名前は今時のイメージがありましたが、8世紀にはすでに登場していたのを知ったのも新鮮でした。吉備真備の母は渡来系の楊貴氏と言われます。そして、日本に大陸の先進文明をもたらした玄昉や吉備真備は、聖武天皇から重用されていました。
無知ならまだしも大のおとながエセ科学やエセ歴史の言説に乗せられてみっともない発言をしているのに接すると、哀れに思うことがしばしばあります。歳を重ねると経験値が増えます。それ自体ないよりはマシでしょうが、ある一人の経験は狭くそれだけを過信するのは禁物です。学校教育においても生涯教育においても科学と歴史からの学びは重要だなと改めて感じた日でした。それこそエセ科学やエセ歴史に騙されない、カモにされないためにも。
カモの写真は、くまもと文学・歴史館付近の加勢川にかかる砂取橋の上から撮ったものです。
水俣が私に問うもの
岩波書店発行の『世界』(2026年1月号)の【特集1】は、「創刊80年 それでも人間を信じる」。特集の企画意図として次のように書かれています。「戦後の国際秩序が、音を立てて崩れつつある。▶大国による核の威嚇と法の蹂躙。かつて戦争の惨禍を経験した日本も、憲法9条が歯止めとならず、軍拡競争の一翼を担おうとしている。この現実を前になお、「人間を信じる」ことは可能か。「世界」初代編集長の吉野源三郎はこう述べた。▶「『人間に対する信頼』も、一つの大きな賭です。……しかし、この賭なしには、人間の世界は死人のようなつめたさにひえてゆくほかはない」(「ヒューマニズムについて──人間への信頼」)▶ 戦後の焼け跡からこの雑誌が生まれて80年。私たちは、ヒューマニズムに賭すことから始めたい。」(HPより引用、▶マークは改行を示すため追加)
NHK朝ドラ「ばけばけ」の主題歌歌詞にあるように「毎日難儀なことばかり」の日常生活において信頼できる数少ない人間に出会うことができるかどうかで、人間の生き方はずいぶん変わってくるのだろうと思います。
前記の同号p.70-74には、(一財)水俣病センター相思社の常務理事である永野三智さんの寄稿「いいとこ取りはできない――水俣が私に問うもの」が載っています。この記事には、水俣市長として初めて水俣病患者への謝罪を行った吉井正澄さん、水俣病患者運動のリーダーであった川本輝夫さん、母親の患者認定を裁判で勝ち取った溝口秋生さんが登場します。3人とも故人ですが、水俣の負の部分を隠さず、その部分から逃げずに向き合った人々です。永野さんは、これらのいいとこ取りをしない人々と出会ったことによって、自身も「では、私は?」と問われていることを明かした上で、この問いが「二度と水俣病を繰り返さない社会をつくることにつながると信じています」と結んでいます。
ぜひご一読を勧めます。
行政の相場観を正すツール
10月9日の朝日新聞熊本地域面に、胎児性水俣病患者が水俣市に対して行った行政不服審査請求で、市の却下処分を取り消す裁決が出たと載っていました(翌10日の熊本日日新聞でも報道)。認容裁決が出たとはいえ、申請人に対する却下理由の説明が不十分だったとし、市の行政手続条例に違反したという手続きの不備が、その根拠とされました。そのため、今後改めて申請をしても却下理由を書き直した上で再び市が却下するような形式的対応をとられる恐れもないわけではありません。
このように申請人からすればまだ手放しで喜べる状況にはありませんが、行政の相場観を正すためにも行政不服審査請求を行った意義は大きいと思います。市に限らず行政機関はさまざま行政処分を行いますが、ほとんどの住民はその処分結果を受け入れますので、ついつい行政側はこれぐらいで仕事を進めればいいだろうと、あぐらをかきがちです。行政機関といっても仕事は一人ひとりの職員の判断で進められるわけですから、誤った法令理解・運用による仕事ぶりがないともいえません。今回の審査請求には弁護士が保佐人に就いたということですが、認容裁決により得られる経済的利益やサービス受益が大きければ、専門家の支援を受けて請求に踏み切る価値はあります。
それと今回の請求とは直接関係はありませんが、まだ前世紀仕様の地方自治気分でいる地方公共団体があるかもしれない点に目を向けるべきです。ジャーナリストの中村一成氏が、『世界』2025年11月号掲載の寄稿(p.72)で、次の通り記していました。「1995年に地方分権推進法が、2000年には地方分権一括推進法が施行された。国と地方は上下ではない対等・協力関係となり、従来の通知通達行政は過去となった。片山善博総務大臣(当時)は2011年3月、同法施行により、それ以前の通知や通達は失効し、場合によっては違法となったと答弁している」。この視点で地方自治の現場を点検してみることもありだと考えます。
人を牛馬扱いするのが今もいるんだ
自民党の新総裁に選出された方が、選出直後のあいさつで「馬車馬のように働いていただく」「私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく」と述べていました。目の前の仲間内の国会議員に向けた発言でしたが、報道で伝わるわけですから霞が関の官僚はもちろんのこと、広く国民がこの言葉をどう受け止めるか思いを寄せる器量はないのだなと思いました。
総裁の座を渡すことになった方もさすがに気になったみたいで、「あそこまではっきり『ワーク・ライフ・バランスをやめた』と言われると大丈夫かという気がしないではない」と指摘していましたが、水俣病を引き起こしたチッソの創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言っていた有名な逸話を私はつい連想しました。
野口遵は、1944年1月15日に死没していますが、公害病を引き起した企業体質はその組織のトップの考えに起因していると思います。水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、2025年)によれば、チッソ水俣工場における労働災害は非常に多く、最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが同書では明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社工場から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。漁民に限らず魚介類を食べる生活をした社員とその家族も水俣病の被害を受けました。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになったことは歴史が示しているところです。
人を牛馬扱いするのを厭わないトップが今もいるのが驚きでもあり、そういう組織が向かう先は…という気がします。
「『続・水俣まんだら』の部屋」に載りました
2025年に緑風出版から刊行された『続・水俣まんだら―チッソ水俣病関西訴訟の患者たち』の著者のひとりである木野茂氏に、私が公開していた読後メモが見つかってしまいました。木野氏は、同著読者の感想を収録したサイト「『続・水俣まんだら』の部屋」を運営しておられています。このたび、拙文を紹介させてほしいという申し出を受けましたので、場賑わせぐらいの役に立つならと応じることにしました。
私としては、他の読者の感想がさらに多くの方の目に留まることを期待しています。
写真は、昨日(6月26日)相思社を訪ねたおりに不知火海方向を見て撮ったものです。
チャンゴから黙鼓子まで
先日水俣の相思社を訪ねた際、掲載写真のチャンゴという朝鮮半島由来の太鼓があるのを知りました。砂時計の形に桐の木をくり抜いた両面締めの楽器で、右面(馬の薄い革)を細い竹の棒で叩いて高音を出させ、左面(牛の厚い革)を左手か先端に丸いものが付いたバチで叩いて低音を出させます。宮廷音楽から、民衆の音楽である風物(プンムル)・農楽まで幅広く使われる伝統楽器だそうですが、左右それぞれの面を打って奏でるため、認知症予防に相当役立ちそうだなとは思いました。
一方、スペイン語で同音の「chango」というと、うるさいという意味があるくらい、確かに賑やかな音を出します。これは太鼓だから仕方がありません。私の地元では雷神のカミナリ太鼓に負けじと打ち鳴らす雨乞い太鼓というのがあって、これまた祭りの時期近くの夜になると練習の音が騒々しいものです。また鼓舞するという言葉があるくらい戦場と太鼓は密接な関係があります。地元のJリーグチームの胸スポが「陣太鼓」ということがありました。そういえば、「chango」と語感が近い英語の「chant」(チャント)とは、サッカーのゲーム中にサポーターが発する応援歌・応援コールのことを指しますが、一定のリズムと節を持った、祈りを捧げる様式を意味する古フランス語に由来する言葉だそうです。
そんなわけで、太鼓に何を私は連想するかというと、宗教的な祈りであったり、戦いや運動会・応援団的なものであったりします。そして私は総じてそれらを苦手に感じています。もっとも、これはあくまでも個人的な感覚ですから他人に共感を求めるものではありません。
もう一つ、太鼓と言えば、ドイツ人作家のギュンター・グラスの文学作品『ブリキの太鼓』を思い浮かべます。同作品を読んだのは、やがて半世紀前近くの中2時代の頃だったと思いますが、ナチス台頭により戦争へ向かう時代に少年期を迎えたグラスの半ば自伝的な小説です。永遠の3歳として成長を拒否して生きていく主人公・オスカルが大切にする、ブリキの太鼓がなんとも不気味な隠喩となっています。グラスと同じノーベル文学賞受賞者の大江健三郎の作風と勝手に重なりを覚えます。
さて、以下はロビン・ダンバーの『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社)がネタ本ですが、歴史的に見ても宗教や戦争が成立するには、共同体意識が生まれることが必要になります。ヒトの脳にエンドルフィンが出やすい、いわばトランス状態をもたらすことが重要になります。その前提条件としては、言語や出身地、学歴、趣味と興味、世界観、音楽の好み、ユーモアのセンスといった面で共通点が多いメンバー構成にすると、信頼感が強固になるものです。さらに、その効果を増させる儀式が重要となります。儀式の例としては、歌や踊り、抱擁、リズミカルなお辞儀、感情に訴える語り、会食が挙げられます。儀式に参加することでメンバー間がより向社会的に接したくなるように仕向けます。政治運動やビジネス活動にも同じことが言えるかと思います。
あと必要なことは、カリスマ指導者の存在です。これも歴史的に見ると、親を早くに亡くしていたり、恵まれない境遇で育ったりした人物がなる傾向があります。そうした人物には、人生の早い段階から多くを学び、逆境に立ち向かい嘲笑をはねのける精神的な強靭さが身についています。極端な例としては、精神的疾患を抱えたシャーマン的人物がその立場に就くこともあり、それがトランス状態に入りやすい素因になります。周囲からは狂人扱いされますが、案外人々はそうした人物を信じます。なぜかといえば、その他大勢に埋没しない、突出した存在を頼みにしたいと思う気持ちが人々にはあるからです。
チャンゴをきっかけにしてあれこれ思い付いて見ましたが、結局、太鼓持ちは自分に向かないということなのだろうと思います。つくづく熊本でいう偏屈な黙鼓子(もっこす)気質が染みついている気がします。ところで黙鼓子とは、「もくこし」と呼ばれる、仏教の儀式で使用される楽器のこと。特に、禅寺などでよく見られるそうですが、仏教の修行や礼拝において、心が静まり、法に集中するために用いられるとか。また、黙鼓を叩くことで、煩悩や欲望を浄化し、心の平静を得る効果があるとも言われているようです。これを当て字に使い始めた熊本の人も相当アイロニー豊かなモッコスさんだったのではないでしょうか。
カレンダー誤表記問題という名称でいいのか
昨日の投稿で、菊池恵楓園歴史資料館の展示では「龍田寮事件」と表記されている事件名が、同園入所者自治会が発行する見学のしおり内では「黒髪小学校通学拒否事件」と表記されている点に着目したのを触れました。繰り返しますが、事件の実相を鑑みると、私は自治会側の事件呼称が相応しいと考えます。親が入所者であってもハンセン病患者ではない児童たちが居住していた龍田寮で差別があったのではなく、通学を拒否した小学校のPTAや校区住民の側に不当な差別、人権侵犯があったとしか考えられないからです。
先月明るみになった、水俣病を感染症とした「宇城市カレンダー誤表記問題」にしても、果たして問題の本質を突いた名称なのか、疑問です。当該啓発文章を起案したのは同市の人権啓発課であり、市内全世帯に配布されるまでの間、同課職員全員はもちろん他課職員の目に触れる機会はあったといいます。水俣病の原因については熊本県内の小学5年生全員が現地で学ぶ常識ですが、それすら身に着いていない軽薄さを露呈してしまった、救いようがない恥ずかしい事件ともいえます。
たとえばの話、「宇城市の人権啓発は形ばかりだった露呈事件」とするなど、市長自らが教訓を絶対に忘れず継承できる適切な名称を定めるよう動くべきではないかと思います。水俣病事件の歴史においても、原因企業のチッソを守り患者を弾圧していたチッソ労働者の一部が、患者支援へ立ち上がった際に出した「恥宣言」があります。うっかりミス問題に矮小化せず、その人間性全体が問われた事件だという出直しの覚悟が求められていると思います。
https://kumanichi.com/articles/1758474
米国コロラド州ブライトンに宇城市出身の遠戚の名を冠した公園があります
『「世界の終わり」の地政学』(集英社)の著者のピーター・ゼイハン氏が、米国コロラド州から配信するビデオレターをよく視聴しています。同氏が語る世界の姿は参考になりますし、映像の背景に出てくる山間部の雪景色は美しいので、それにも魅了されます。そんなわけで、まだ訪ねたことはないコロラドには親近感を覚えます。
それともう一つ、私の母方の曽祖父の弟の子孫が、コロラド州アダムズ郡ブライトンにいます。アダムズ郡は州都デンバーに近い場所にあり2020年の人口は約52万人、郡庁はブライトンにあります。共に現在の宇城市不知火町小曽部出身の竹馬五太郎(=私の曽祖父の弟)・ヨシ夫婦は、長男が1912年(M45)の日本生まれ、次男が1917年(T6)・三男が1919年(T8)の米国生まれでしたので、1910年代半ばに米国に渡ったようです。竹馬五太郎・ヨシの息子・John M. Chikumaは、1925年(T14)1月13日にブライトン北部の農場で生まれ、2013年6月16日に亡くなりました。
Johnの生涯は次の通りです(出典:Published by Brighton Standard Blade from Jul. 3 to Aug. 1, 2013.)。1942年にフォート・ラプトン高校、1945年にコロラド大学、1949年にカンザスシティ大学を卒業し、歯科外科の博士号を取得しました。1949年、ニツケ・ビルに最初の歯科医院を開業しました。Johnはやはり日系2世のEmiと1950年2月4日に結婚しました。
朝鮮戦争中、Johnは兵役に就き、歯科医院を閉鎖しました。1953年にガンター空軍基地で訓練を受け、その後、テキサス州サンアントニオのブルック空軍基地に駐留し、大尉として2年間、米国空軍医療部隊の現役任務に就きました。キューバを訪問した際には、マイアミ空軍基地にも駐留していました。Johnは兵役中にゴルフを習い、そのプレーを楽しみました。 1955年に除隊となり、1956年に歯科医院を再開しました。1993年に引退するまで、サウス4番街75番地で開業しました。彼は常にEmiの活動や趣味を支援していました。Emiと買い物に行くのが大好きで、「他にはない贈り物」を見つける才能がありました。マツタケ狩り、金鋳造、庭いじり(庭は彼の誇りであり喜びでした)、ボウリング、ゴルフ、社交ダンス、ブリッジを楽しみ、学校の休みには家族と旅行に出かけました。ブライトン日系人協会、ブライトン・オプティミスト・クラブ、ブライトン・ロータリー・クラブ、ブライトン商工会議所、BJAAボウリング協会、アダムズ郡男子ゴルフ協会、マイルハイ・ゴルフクラブ、日系アメリカ人市民連盟などに積極的に参加していました。
Johnはほとんどの物事に独自のやり方を持っており、常にその方法と理由を喜んで伝えていました。彼は細部にまで深い感謝の念を抱き、その精神は彼の人生のあらゆる面に浸透していました。彼は素晴らしい料理人で、感謝祭やクリスマスの七面鳥はジューシーで、プライムリブは最高でした。家族や友人と分かち合うために、常に最高に美味しい果物や野菜を選ぶことを誇りにしていました。これは彼の家族には到底及ばない特別な才能でした。彼は農場で過ごすのが大好きで、定期的に農場へ足を運ぶことが大きな喜びでした。
以上が、Johnの評伝ですが、彼の妻・Emi Chikumaの名前を冠した公園・レクリエーション施設「Emi Chikuma Plaza & Splash Pad」がブライトンにはあります。
Emiの生涯も以下に紹介します(出典:coloradocommunitymedia.com by Steve Smith April 1, 2013)。
Emiは、2013年3月20日、転倒事故による負傷のため87歳で亡くなりました。63年間の結婚生活の後、最愛の夫John M. Chikuma医師と死別しました。Emiには5人の子供がいました。キャロリン(ダグ)・マツイさんとその息子ロスとコートニー、ゲイリーさんとその継娘アシュリーとその家族スティーブ、ケイリン、ノーラン・ハイナーマン、ジョーン(デイブ)・ヌープさんと息子カイルさんとその妻テイラーさんと娘ステイシー、ブルースとジョイス(クリス)・レインズさんとその息子イサオとエリーゼ、妹のカラキ・フミ(ススム)さんとその家族です。両親のカタギリ・タネミさんとカタギリ・ミヨさん、妹のイトウ・マミ(トム)さんは、Emiさんに先立たれました。1943年にブライトン高校を卒業し、コロラド大学薬学部に進学しました。彼女は人生を通して多くの興味深いことを学ぶのが大好きで、特にバイオリン、ハーモニカ、バスドラム、ソフトボール、バスケットボール、バレーボール、陸上競技、スキー、ゴルフ、ダンス、ボーリング、ガーデニング、松茸狩り、油絵、陶芸、工芸、ブリッジ、料理、クリスマスオーナメント作り、そして家族と地域の歴史研究家としての才能に恵まれていました。彼女は多くの団体で積極的に活動し、献身的な地域リーダーでもありました。ブライトン公園・レクリエーション・プログラム、優秀市民に贈られるリバティベル賞、優秀で献身的なボランティア活動に対してブライトン市から贈られる感謝の日賞、日系アメリカ人コミュニティへのボランティア活動に対して贈られる感謝の日賞、ブライトン市賞、リバーデール女性ゴルフ協会から30年間のチャーターメンバー賞など、数々の賞を受賞し、ブライトンで第6回フェスティバル・オブ・ライツ・パレードの共同グランドマーシャルも務めました。
彼女の情熱は、見る人に幸せをもたらすクリスマスツリーでした。彼女はオーナメントを作り、集めていました。彼女の多くの友人や家族は、旅先からオーナメントを持ち帰ったり、彼女のために作ったオーナメントを飾ったりして、彼女のツリーを偲んでいました。ツリーは、彼女の人生、分かち合う精神、多くの友人や家族、そして彼女を取り巻く愛の美しさを象徴していました。
以上が、Emiの評伝となりますが、コロラド州といえば、州都デンバーから車で南東に約4時間ほどの小さな町グラナダに、第二次世界大戦中に日系アメリカ人を強制的に収容したアマチ収容所(正式名称Granada War Relocation Center 通称Camp Amache)があったことにも触れておきたいと思います。全米に10 箇所あったうちの1つで、同収容所には1942年から1945年までの間に 1 万人以上が収容され、その3分の2は米国市民であったとされます。なお、当時のコロラド州知事であったラルフ・ローレンス・カーが人種差別的要素を否定する知事であり、比較的人道的な対処が行われたとも伝わっていますが、John M. ChikumaやEmi Katagiriが当時どのような境遇だったのか、私は情報を持っていません。同収容所跡は、1994 年、国の歴史登録財(National Register of Historic Places)に登録され、2006年には国定歴史建造物等(National Historic Landmark)に指定されました。同収容所跡は従来地元自治体グラナダが所有しており、地元高校教員が設立した、生徒ボランティアからなるアマチ保存会が管理運営しています。2022年3月18日、バイデン(Joe Biden)大統領は、アマチ収容所跡を国立公園(National Park)に指定する「アマチ国定史跡法(Amache National Historic Site Act)」(P.L.117-106)に署名しています。
結局のところ「Emi Chikuma Plaza & Splash Pad」(写真3点添付)や「Camp Amache」を訪ねる機会が私にある可能性は低いでしょうが、もし宇城市の関係者が本投稿に目を留めてくれたらいいなと思います。人権啓発事業の一つの素材になるかもしれません。
https://www.brightonco.gov/facilities/facility/details/Emi-Chikuma-Plaza-Splash-Pad-44
企業の新人研修テキストにこそ相応しい
4月16日の熊本日日新聞に、水俣病の原因企業チッソの事業子会社JNCの新入社員研修で、水俣病語り部の会会長の緒方正実さんが初めて講話を行ったとありました。これまでの同社の研修では、水俣市立水俣病資料館の見学はあっても、患者・被害者の講話を聴くことはなかったので、このこと自体は歓迎します。さらに言えばぜひとも水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、3500円+税、2025年)を研修テキストに採用してもらいたいものだと思います。
同書は、水俣病第一次訴訟(提訴時の被告代表者は雅子さまの祖父・江頭豊、被告代理人弁護士は民事訴訟法の兼子一元東大教授の法律事務所所属)において患者・家族を勝訴に導いた新たな過失論「安全確保義務」の理論がどのようにして生まれたかを明らかにしています。これは、現在のさまざまな環境汚染に対する「予防原則」の考え方に連なる先駆をなすものです。今や企業の社会的な影響を考えれば、その事業活動に携わる社員が当然備えるべき教養ではないでしょうか。あえていえばJNCだけでなく、原発や半導体産業の社員にも読んでもらいたいと思います。
それと、なぜチッソが水俣病を引き起こしたのか、その企業体質にどのような問題があったのかを知るにも、本書は役に立ちます。当然のことながら被害を受けた住民は、企業の内部については知りません。チッソ創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言ったのは有名ですが、労働災害が多発する工場で最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが本書で明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。じっさい水俣病の被害は社員も受けたわけです。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになります。
救いがあるとすれば、このチッソの関係者の中にも患者・家族に味方して裁判で証言した人やさまざまな資料を提供した人、理論構築の研究に参加した人がいたことです。本書を手に取って企業や行政に携わるなかでも人間性を失わない職業人生を送ってほしいと思います。
https://kumanichi.com/articles/1745646
https://sekifusha.com/11813
専門知を無視するバカに行政は任せられない
添付のグラフ画像は、TSMC量産開始前後のPFAS汚染の推移を示した熊本県の資料です。
一見してTSMC量産開始とPFAS濃度上昇との因果関係が疑われます。
このデータについて熊本県環境モニタリング委員会の専門家は「因果関係あり」との認識ですが、驚くことに熊本県(菊陽町も)の担当者は「因果関係不明」との説明を繰り返しています。
これほどあからさまに科学データを無視するのは致命的に無知であり、破廉恥だと思います。
つまり因果関係不明ということで、なんら水質汚染を防ぐ手立てをとらないと、熊本県は宣言しているのと同じです。はっきりいってこういうバカどもに行政を任せていて良いのでしょうか。
詳しくは、4月9日の朝日新聞熊本地域面で報じられています。
https://www.asahi.com/articles/AST484VSRT48TLVB003M.html
予防原則の基本を守れ
熊本県においてはTSMC稼働後にこれまで未検出のPFASが下流河川から検出されるなど、水質汚染への対応が問題になっています。このことに県民の生命と財産を守る責務がある知事は「住民生活の不安をあおることをしてはいけない」などと4月4日の会見で述べ、いったいどっちの方向を見て仕事をしているのか、非常にフシギな方だと感じました。
そんななか、4月7日、NHKの国会中継の参院決算委員会で、半導体企業によるPFAS(有機フッ素化合物)汚染の実態調査と規制強化の必要が議論されているのを偶然視聴しました。質問議員の事務所ホームページにパネル1~4の有益な資料もアップされていましたので、画像も借用添付してみました。
議論のポイントとして、欧州連合(EU)ではすでに「安全性が確認されていない物質は規制する」という予防原則に立ち、PFASの規制を強化していることが挙げられます。しかし、日本では、ことに経産省が「危険性が明らかでないものは規制しない」という立場をとっていて、水俣病の被害拡大に加担した前身の通産省と同じ過ちを重ねようとしています。
いわば国民・県民を人体実験の危険にさらしているわけです。国にしても熊本県にしてもトップの無能ぶりには危険性を覚えました。トップの安全性が確認されるまでその任に留まるのは願い下げです。
なお、質問した参院議員のプロフィールを拝見すると、鳥取大学農学部1982年卒とありました。同じ大学学部を1990年に卒業した人権侵犯歴のある前衆院議員が某党から今夏の参院選に出るみたいですが、政党にも公認候補の選考にあたって予防原則を働かしたらどうだいと感じてしまいました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik25/2025-04-08/2025040802_02_0.html
『核心・〈水俣病〉事件史』読書メモ
全219ページからなる富樫貞夫著『核心・〈水俣病〉事件史』(石風社、2500円+税、2025年)を、4月6日に行われたJ2第8節ロアッソ熊本vs.カターレ富山のゲーム観戦のため向かったスタジアムとの往復の時間に読了しました。富樫先生からはご著書刊行のおりにいつも頂戴しているので、文章を読みなれている点もあるかもしれませんが、論理明快、切れ味が爽快でいて人物描写も的確、つまりは読者が理解できやすい読みやすさを覚えます。実際、本書は帯にも謳っている通り「水俣病事件入門決定版」に値すると思いました。
富樫先生は、熊本大学で民事訴訟法を教授されていたのですが、私はその分野での接点はありません。専門は他にあったとしても、水俣病事件の通史を書かせれば、先生の右に出る人を私は知りません。そして、今回本書を読んで、先生を法律家という狭い枠に捉われて見るのは間違いで、実は政治学者あるいは社会思想家に近い視座を評価すべきではと思うようになりました。
本書内の記述からそれを感じる箇所を下記に引用してみます。
p.75「本来、水俣病の原因を究明し、被害の拡大を防止すべき第一次的責任が、原因者であるチッソにあることはいうまでもない。しかし、通常、疑いをかけられた原因企業が自分の責任で原因を究明することは、まず期待できない。チッソの行動が示しているように、加害企業は、例外なく、判決などで断罪されるまで原因者であることを否認し、その間、廃棄物を出しながら操業をつづける。これは、近代日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件以来一貫して変わらぬ企業の行動様式である。そうだとすれば、被害の拡大防止にあたって行政に課せられた責任は大きいといわなければならない。」
p.235「長い水俣病の歴史を通じて、チッソの責任とともに問われているのは、行政の責任である。水俣病の発生や拡大を防止するために、国はいったいその責務を果たしたといえるのかという問題だ。」
p.237「水俣病の歴史を通じて問われてきたのは、日本という国家のあり方の問題であり、人民に対する国家の責務は何かという次元の問題だからだ。」
p.244「水俣病事件は、日本の近代化が生み出したものであり、今日の経済大国日本のもうひとつの顔である。私たちは、この巨大公害事件の歴史をたどることによって、どのような犠牲のうえに現在の日本が存在し得ているかを垣間見ることができるはずだ。」
本書には学生時代に富樫先生の研究室に入り浸って「門前の小僧」を自任する朝日新聞水俣支局長の今村建二さんによるインタビューも載っていて、民事訴訟法を専攻する研究者の道へ進んだいきさつを初めて知りました。それによると、大学卒業に際して最初は企業の採用試験に臨んでいたそうですが、面接で重役にいつもかみついてしまうため企業への就職は断念し、親しい刑事訴訟法の先生に相談したそうです。しかし、相談を受けたその先生が「刑事訴訟法では飯が食えない」からと、民事訴訟法の先生を紹介されてそこの助手に雇ってもらったということでした。
『ルポ軍事優先社会』読書メモ
吉田敏浩著『ルポ軍事優先社会――暮らしの中の「戦争準備」』(岩波新書、960円+税、2025年)は、いかに我が国の安全保障政策が見当違いのであるかを理解する上で有益な情報が満載です。もっと言えば、米国に日本の主権と巨額の公金を献上し、自国民に対する棄民政策が進行しているのを知らずにいて、あまりにもおめでたいよねという警告の書だと思います。
国民一人ひとりもそうなのですが、対等である国の暴走を止めるよう地方自治体にもしっかりしろと言いたい気持ちにさせられます。
本書の内容の一部は、2024年4月~7月号の雑誌『世界』に掲載されていたので、すでに読んではいたのですが、改めてまとめて読んで良かったと思いました。つべこべ言わずに多くの方に読んでほしいと思います。
添付画像は、私が住む宇土市の広報2025年4月号p.12に掲載の「自衛隊に提供する対象者情報の除外届受付」のお知らせ。もともと自治体には自衛隊への個人情報提供の義務はないのですが、多くの自治体が本人の同意なく提供しています。この除外届すら同市では2年前からようやく制度化されました。詳しくは、本書「第2章 徴兵制はよみがえるのか 自治体が自衛隊に若者名簿を提供」を参照してみるといいです。
「第5章 対米従属の象徴・オスプレイ 危険な「欠陥機」を受け入れる唯一の国」では、有明海の海苔養殖への悪影響もさることながら、飛行の際に発生する低周波音も相当なものだと知りました。本書とは別の話になりますが、現在水俣の山間部で陸上型風力発電設置の計画があると聞いていましたので、これは考えものだなという印象を持ちました。風力発電機はせめて海上型でしか認めない方向であるべきではと思います。低周波音による被害については以下を参照ください。
https://www.soumu.go.jp/kouchoi/knowledge/faq/main2.q14.f_qanda_16.html