水俣病」カテゴリーアーカイブ

フタをすることだけが早業だった

現県知事が「政治の原点」とかつて口にした割には、こと水俣病問題解決に向かってこの16年間、県政の良き流れがあったとはとてもいえません。本日の熊本日日新聞1面の「点検 県のチカラ」の7回目記事にあるとおり、2013年の最高裁判決や国の不服審査会裁決が示した感覚障害のみの患者認定の判断、あるいは2023年の大阪地裁が示した水俣病特措法の救済漏れを認めた判決などに、一貫して背を向けてきたのは明らかでした。
その一方で、チッソが1968年まで有機水銀を垂れ流した、百間排水口の木製樋門(フタ)を水俣市が撤去する計画が持ち上がり、現地から反対の声が上がった際には、いち早く知事が県の予算で現場保存に昨年7月乗り出したことがありました。そのフタは、工場廃水が流れていた当時のものではありませんし、新たに設置されるレプリカのフタ自体には水理機能上の意味もないものです。被害拡大の事件史的視点から言えば、百間排水口から一時期変えた、水俣川河口近くのチッソ八幡プールの排水路からの有機水銀流出がより悪質だったわけで、私自身はフタ保存の必要性をさほど感じていません。むしろフタをすることで被害者に寄り添う格好のポーズ作りの材料にさせられただけだったと考えています。
※写真は記事と関係ありません。パリのポンピドゥーセンター(1991年12月撮影)。当時は広場で火を噴く大道芸人がいましたが、今はどうなのでしょうか。

それぞれの百年

12月2-3日と水俣病センター相思社で開かれている「百年芸能祭in水俣」の初日イベント「百年座談in相思社」に参加しました。通常は休館日にあたる水俣病歴史考証館に展示されている丸木作品も観覧することがかないました。座談会の前に千葉明徳短期大学の明石現教授による11弦ギター演奏があり、明石ゼミ学生8名による手話合唱もありました。特に普段の生活では無縁の若い女性たちの歌声には、さすがに日頃シニカルな自身の心も洗われる思いを抱きました。これまで何度も相思社を訪ねたことがありましたが、これほど清々しい気持ちにさせられたのは初めてでした。
この後の座談会の最後で、本祭の「口先案内人」を務める姜信子さんが、権力者が怖れるのは、人々が歌うこと、踊ることというようなことを述べていましたが、世の中の不条理に異議申し立てを行う手段としては、確かに力を覚えます。最近読んだ、ロビン・ダンバーの『宗教の起源』でも、笑う、歌う、踊る、感情に訴える物語を語る、宴を開くといった、社会的グルーミングにはエンドルフィン分泌をうながす効果があり、結束社会集団の規模を大きいものにするとありました。法事なんかで経本をみんなで声を合わせて詠まされるように宗教儀式にはそうした要素が仕込まれています。
さて、「百年座談会 私たちのつながりあう百年」では、(一社)ほうせんか理事の愼民子さんから「在日の百年」、宮城教育大学准教授の山内明美さんから「東北の百年」、相思社職員の葛西伸夫さんから「水俣の百年」をテーマにトークがありました。今から100年前の1923年に関東大震災があり、水俣では日窒(チッソ)に対する漁民の最初の闘争が起きています。
座談会では、以下のキーワードがありました。関東大震災直後の朝鮮人虐殺(中国人や標準語を話さない日本人も犠牲になっています)、コメのナショナリズム(植民地での日本米増産)、放射線育種米(あきたこまちR12)、六ケ所村、寺本力三郎、大間原発、三居沢水力発電所、日窒興南工場、野口遵、半島ホテル(現在はソウルのロッテ百貨店が建つ)、水豊ダム、福島第一原発、復興庁、ハンフォード・サイト、朝鮮籍。
今回の座談会を聴いてこの百年を理解する手引きとして、以下の2つの書籍を個人的に挙げてみたいと思います。1冊目は、遠藤正敬『新版 戸籍の国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店)です。「日本人」の定型、「臣民」への画一化が如何に形成されてきたかを知るには良著です。朝鮮籍・韓国籍・琉球籍の経緯を知る価値があります。旧満州国の日本人は満州国人ではなく内地人(日本人)であり続けたことも学んだことがない国民が大部分だと思います。2冊目は、ジャニス・ミムラ『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』(人文書院)です。先進技術や資源をめぐる利権に蠢く権力者たちが、外国人だけでなく自国民の人権を如何に蔑ろにしてきたか、その手口を知るのに適しています。かつてのテクノファシズムには、今日のテクノソーシャリズムにも近しいところがあり、それも国民は監視すべきだとは思います。ついでに挙げると、これからの百年を考えるには、ブレット・キング、リチャード・ペティ『テクノソーシャリズムの世紀 格差、AI、気候変動がもたらす新世界の秩序』(東洋経済新報社)もお勧めです。
ところで、私の百年では、祖父の兄が大工だったそうですが、関東大震災後の復興特需で横浜へ移住します。その兄を頼って祖父も横浜へ行き、当地で商船会社の社員の職を得ます。北米航路の豪華客船にも乗っていましたが、アジア太平洋戦争中は軍の傭船に乗務し、南方と内地との物資輸送にあたっていました。最期はインドネシアから出港した油槽船に乗っていましたが、マニラから基隆へ向かう途中で米軍潜水艦からの攻撃に遭い亡くなりました。その命日は、偶然ですが、日窒創業者の野口遵と同じ1944年1月15日です。野口遵は電気化学を学んだ人物ですが、私の息子(COP3京都会議の期間中生まれ、私の祖父からすると曾孫)は、現在まさしく電気化学の分野の研究(※)を進めており、脱炭素社会の一翼を担っています。なにかしらつながるものだなと思わざるを得ません。
※一口で言えば、二酸化炭素還元反応。CO2(二酸化炭素)からCu(銅)を電極触媒として用いてCH4(メタン)やC2H4(エチレン)、C2H5OH(エタノール)といった有用物質を得る電解還元の研究。CO2排出抑制につながるものです。

 

 

 

カリガリの閉店

喫茶「カリガリ」の2度目の閉店についての熊本発の記事が、本日の毎日新聞東京本社版社会面にも載っていました。場所が移る前の頃はよく訪ねる機会があり、ここで多くのことを学びました。なんともさびしい限りです。写真は前の店先の外灯。
https://mainichi.jp/articles/20231116/k00/00m/040/190000c
【2024/11/18追記】
「カリガリ」閉店の記事が、11月18日の朝日新聞熊本地域面にも掲載されていました。
https://digital.asahi.com/articles/ASRCJ65PCRCJTLVB002.html

救済漏れではなく救済逃避・妨害

昨日、水俣病特措法に基づく救済が受けられなかった原告128人を水俣病と認める大阪地裁判決がありました。本日の朝日新聞の同判決要旨の見出しに「救済漏れを問う」とあったのですが、水俣病事件の経緯を多少知っている者からすれば、加害企業や国・県が続けてきたのは、「救済漏れ」ではなく「救済からの逃避」あるいは「救済の妨害」でしかなかったと思います。
彼らの「救済」の手口はいつも狡猾でした。カネを値切るために、公健法より安上がりな特措法を編み出したのもその一つ。なおかつ「救済」対象者を少しでも減らすために、居住地域や生年、症状に厳しい制限を設けてきました。その最たるやり口が、やり過ごす年月の引き延ばしであり、被害者が死ぬのを待つということでした。
判決要旨を読むと、水俣湾の仕切網が設置された1974年1月までの時期に、水俣湾またはその近くでとられた魚介類を多食した者についてはメチル水銀曝露が認められるとあります。現在50歳代の人であっても症状が遅れて現れることがありえるわけで、加害行為が終了しても当該損害の全部または一部が発生した時が除斥期間の起算点とも指摘されていることから、まだまだ救済は終わっていない進行中の事件なのだと改めて感じます。

追悼の妙

昨日熊本市内へ出向いた際に文芸誌「アルテリ16号」を買い求めました。今号は「渡辺京二追悼号」となっていて、購入の最大の理由は執筆者・談話者の中に何度もお目にかかったことのある方たちの名前があり、それが読みたかったことに尽きます。たとえば、掲載ページ順に、松下純一郎さん、磯あけみさん、阿南満昭さんです。
渡辺京二氏の死去間もない時期に新聞各紙にさまざまな方々による追悼文が掲載されました。しかし、それらのどの文章よりも「アルテリ」に載っている追悼の言葉の方が、読んでみて(表現は適切ではないかもしれませんが)面白く感じました。特に上記に名前を挙げた3人の文章・談はそうでした(逆に、他の全国的に著名な方々のそれはそうでもありませんでした)。
これは、なぜかと考えたときに、新聞紙上での文章は普遍性が求められるので、故人の業績紹介に重きが置かれて、どうしても故人から筆者の人格形成に受けた影響はそのエピソード情報も含めて文量が少なく、後景に追いやられてしまいます。それと、故人の名誉を慮りどうしても非の打ち所がない人物として持ち上げられ過ぎてしまいます。言うなれば、当たり障りなく上品な仕上がりになってしまいます。
「アルテリ」の場合は、新聞と比べてかなり身近に接した経験を持つ執筆者・談話者が、故人の社会常識から逸脱した側面も明らかにしていますし、故人から受けたきわめて私的な影響が詳らかになっています。結果的に故人に対する新しい視点や理解の深まりが得られた気がします。阿南さんが語るように「困った人だった」だからこそ、歴史が作られた点も確かにあります。
私自身は、渡辺京二氏についてお姿を見たことはありますが、ほとんど著書や伝聞でしか知りません。字面を通じた影響には感謝していますが、こういう気性が難しい方とはナマでは付き合いたくないときっと感じたことだろうと思います。

魚の食べ過ぎは体に悪い

東京電力福島第一原発の処理水海洋放出が始まって1週間が経ちました。中国が日本の海産物の全面禁輸に踏み切ったことにより、水産業界にも影響が出始めています。首相は東京の豊洲市場を視察してタコを食べるパフォーマンスをしたうえで、業界関係者へ販路拡大などの支援策を説明したことが報道されていました。
ですが、最大の輸出先は中国であり、大半を占めています。鮮度が求められる海産物の輸出先として中国に代わる近隣の人口大国はありません。中国以外の輸出国が拡大したとしても到底現状を超える望みはありません。国内消費の拡大もしかりです。人口減少傾向にある日本国民が急に海産物の食事を増やすことが期待できるでしょうか。ましてや日本の子どもたちをダシにして学校給食材で海産物を増やすなど過剰反応に走るのも心配です。
現実的な解決方法は、依怙地にならず海洋放出を止めれば済む話です。海洋放出を続ければ続けるほど、貿易赤字は増え、水産業界を始めほかの業界も損を被るだけですし、それらの業界の支援に必要な費用がかかります。中国政府は禁輸を続けても何も困らないですが、苦しむのは日本国民であり、新たな支援や賠償の責任が生まれる日本政府や東京電力です。
それと、国内消費の拡大が推奨されるとなると、放射能よりも魚介類に含まれる水銀の摂取の方が心配になってきます。厚生労働省のホームページには、現在においても「水銀に関する近年の研究報告において、低濃度の水銀摂取が胎児に影響を与える可能性を懸念する報告がなされていることを踏まえ、妊娠中の魚介類の摂食について以下の注意事項を公表しているところです。」との記載があり、「妊婦への魚介類の摂取と水銀に関する注意事項及びQ&A」の情報を出しています。
水俣病関係の書籍で読んだ記憶がありますが、水俣病患者が多数発生した不知火海沿岸住民よりも県外の日頃マグロを口にする機会が多い寿司職人の方が、毛髪に含まれる水銀濃度が高いという調査結果があったかと思います。
11年前に環境省の国立水俣病総合研究センターの主任研究企画官から「水銀と健康について」というテーマで話を聴く機会もありました。そのときの聴講メモもついでに載せておきます。うがった見方をすると、中国の禁輸措置は福島よりも水銀リスク回避のためかもしれません(本稿最終行参照)。
・国水研では「水銀分析マニュアル」を開発している。RI機器も使われている。
・毛髪水銀量の分析は無料で受け付けている。
・体内に取り込まれた水銀は約70日で半減するので、魚の摂取頻度が少なくなれば、毛髪水銀量(ほとんどがメチル水銀)も減る。
・金属水銀による健康への影響として、小規模金採掘の現場での水銀使用が問題になっている。金と水銀のアマルガムを作り、熱して水銀を蒸発させて金を取り出すときに、採掘労働者が水銀の蒸気を吸ってしまう危険にさらされている。
・中国における石炭燃焼から出る水銀が大気に含まれ偏西風にのって日本に飛来している。特に冬は濃度が高くなっている。
・食物連鎖によるメチル水銀濃度が高い魚として、サケ、イカ、マグロがある。クジラも高い。マグロの消費量が高い東日本、捕鯨出港地の住民の毛髪水銀量は、平均より高い。

海洋放出の損得勘定は?

東京電力福島第一原子力発電所から出る汚染水を大量希釈したALPS処理水を海へ排水することが問題になっています。これによって水産業界において対中輸出ができなくなる影響が出ています。
この一連の流れの損得勘定はどうなっているのか気になりましたので、いろいろデータを見てみました。
まず、日本から中国への2022年のJETRO発表の輸出額ですが、1848億3070万ドル(為替レート131.46円/ドル)となっています。品目別内訳では、ほとんどが工業製品(電気機器:構成比27.2%、製造用機器・機械類:同20.0%、自動車・部品:8.4%、光学機器等:7.5%)となっており、水産物を含む食品は1%にも達していません。中国からの日本への同年の輸入額は1,887億673万ドルで、そこでは水産物を含む加工食品が構成比1.3%となっています。エネルギーや貿易全体の政策を所管する経済産業省にとっては、水産物の輸出の重みは小さいことがうかがえます。
農水省の統計では、2022年の中国向け水産物の輸出額は871億円、香港向けが同755億円となっています。
ところが、中国へ輸出する水産食品関連企業727社の売上高に占める中国向け輸出の割合は平均で55.9%ということでかなり中国依存度が高い傾向があります。水産食品関連業界に限って言えば、かなり影響が大きいことが分かります。
一応政府も漁業者らの風評被害に対処するため800億円からなる基金を設置し、損害が出れば東電が賠償するとなっていますが、基金総額の規模は上記の農水省統計にある1年間の輸出額におよびません。
そこで、原子力市民委員会が出している陸上保管費用と汚染水処理対策委員会のもとに設置されたトリチウム水タスクフォースの報告書で示された海洋排出費用を示してみます。2022年夏から廃炉予定である2051年までに発生する汚染水の長期保管用タンクの建設費用は374.2億円となっているのに対して、海洋放出(希釈あり)費用は18.1億円となっています。
損得勘定だけからいえば、一見して海洋放出よりも費用が高い陸上保管を続けた方が、新たに発生する貿易損失や風評被害賠償の見込み額よりも安上がりのように思えます。
写真は、ウィーンの氷結したドナウ川(1993年1月撮影)。スケートを楽しんでいる市民の姿が写っています。この近くにIAEA本部があり、建物の前まで行ったことがあります。

レプリカ設置に意義はあるか

けさの地元紙・熊本日日新聞によると、熊本県が百間排水口の老朽化した木製樋門を取り換えてレプリカを設置して、コンクリート製足場も残す姿での、見た目そのまんま保存をすることになったようです。もっとも現在の樋門も工場廃水を流していた当時のそれではありません。樋門より上流の道路を挟んだ先にはすでに景観的には新しい排水口があります。いまさらレプリカ設置の意義がそれほど高いとは感じません。
被害拡大の歴史的視点から言えば、チッソが八幡プール近くの水俣川河口に排水路を変えていた時期があり、そちらの方が川の流れに乗って有機水銀が不知火海全域に広がる結果を招きました(その護岸からは現在も有機水銀を含む汚染物質の海への流出リスクがあります)。今回の決着の仕方は熊本県が「金持ちケンカせず」の形で体よく引き取った感があります。
しかし、小さなケンカには矛を収めても、本質的な部分ではケンカを続けているのが熊本県の実態です。水俣病の歴史と教訓に学ぶ姿勢があるのなら、現在も続けられている裁判で悪あがきをせず、被害を受けた人がいることを素直に認めることです。こういう目くらましに騙されてはなりません。
https://kumanichi.com/articles/1115298

百間排水口の現場保存問題

水俣病の原因企業であるチッソが1968年まで有機水銀が含まれる工場廃水を海へ垂れ流した現場である、百間排水口の木製樋門とコンクリート製足場が老朽化し、それを158万円かけて撤去したい市側と現場保存を望む市民との話し合いが最近ニュースになりました。結局、県知事が保存活用の方向で市側と協議するということになりました。この問題については、どちらとも言えないと問題だと感じています。
樋門の設置自体は元々チッソが行い、1998年頃から管理者が水俣市に移ったとありました。それと樋門の役割は海水の逆流を防ぐためにあるとのことです。報道で知る限りにおいては将来の海面上昇の議論がないようです。仮に200年先において2m上昇すると、同地は海面下になります。現場保存されてもどの程度視認できるのかという問題と逆流対策上効果があるのか、おそらく排水口の道路高以上の擁壁が必要になるのではという懸念があります。つまり、撤去理由として下流側への危険が上げられていますが、将来的には上流側への危険を考える必要があります。
海没する遺構保存よりも埋立地からの有機水銀流出の危険がないのか、ほかにも予算と知恵を出さなければならないようにも感じています。

死者への冒涜にしか聞こえない

5月2日の地元紙に前日の水俣病犠牲者慰霊式で熊本県知事が述べた「祈りの言葉」の要旨が掲載されていました。そのなかに「私の政治の原点は水俣病です。」とあり、「認定審査は申請者がいる限り、平成25年の最高裁判決を最大限尊重し、着実に審査します。」とありましたが、これまでの知事の行動を振り返ると、死者への冒涜にしか聞こえませんでした。なぜなら県の審査会は、住民の社会生活を知らず、住民と直接接したこともない、いわば門外漢の委員らで構成されており、最高裁判決の論旨を到底理解しているとは思われない判断を続けているからです。県側は、名前も明らかでない委員の「専門性」を盾に審査を行ったとして被害者を切り捨てることだけを「着実に」行ってきました。これでは慰霊にはまったくなりません。

支援するということ

我がこととして他人を支援するのは困難さを伴うものですが、あえてそれを行う人を私は尊敬します。4月26日の朝日新聞「ひと」欄に掲載されていた、中島真一郎さん(行政書士登録では「須藤」姓)は、同じ士業団体に属する会員の中でも全国に誇れる稀有な存在です。

虐げられた人々を放置できない中島さんの精神の源流は、熊本大学の学生時代から見ることができます。宇井純さんらによる「東大自主講座」(最終講義は私も聴きに行きました)があったように、水俣病など公害被害者支援の「熊大自主講座」の運営を、担った中心人物です。後に講義録第1巻「生命のみなもとから」(1981年刊)・第2巻「うしてらるるもんか」(1982年刊)を編集出版されています。講義録を読むと、錚々たる講義登壇者のお名前があります。ご自身も2巻とも「あとがき」を書かれています。

試行-Attempt 後日記4

本サイトの「社名エピソード」ページにもお名前が登場している、渡辺京二氏が、2022年12月25日亡くなられました。「いまさら夢なんかもたない。ただ試行は続けたい。試行しているうちにお仕舞いになれば、それが一番だ。」と、後日記2で触れたようにだれもが辿る老いへの向き合い方のお手本のお一人としてこれまで見てきました。自宅書棚には渡辺氏と共に石牟礼道子氏と松浦豊敏氏が編集人を務めた『暗河』(くらごう)の創刊号(1973年刊)から48号(1992年刊)があり、久々に創刊号を手に取ってみました。表紙デザイン画は、菊畑茂久馬氏。目次に寄稿者の氏名がありますが、やはり今年(2022年)11月に亡くなられた久野啓介氏を始め、すでに鬼籍に入られた方々がほとんどとなってしまいました。創刊自体が49年前ですし、当時40歳代の方々が主要メンバーだったのですから、それもそうかと思う一方、それぞれの書き手が発する言葉には重厚感があります。おそらくそれは、書き手一人ひとりのあくなき試行の継続と、編集の溜まり場での書き手同士の語らいの中で熟成したものではなかったのかと考えています。「暗河」とは、元々、琉球・奄美地方の地下水脈のことを指しますが、渡辺京二氏という日本近代史の「革命家」に連なる人々の関係そのものを暗喩した題号ではなかったのかと、改めて思いました。

元熊本県職員の原罪

旧統一教会と政治家の関係が問題視される中で、旧統一教会系の国際勝共連合のダミー団体である「熊本ピュアフォーラム」の代表者・田中力男の名前が表面化しています。この人物は、元熊本県教育長の肩書を悪用し、不見識な地方議員たちを利用し、「青少年健全育成基本法」や「家庭教育支援法」の制定を目論む、旧統一教会の「使い走り」に勤しんできました。
なお、旧統一教会がいう家庭というのは、合同結婚式に参加して無原罪の子どもを産むという、きわめて特異な家庭像です。それだけが真の家庭で、それ以外は偽りの家庭というふうに彼らは考えています。
さらに、この人物には、県教育長に就く以前、熊本県の公害保健課長や環境生活部長として水俣病事件被害者を長らく放置してきた原罪を有する経歴があることも記憶しておく必要があります。
たとえば、故・溝口秋生さんの母・チエさんが水俣病患者と認められ最高裁判決で勝訴したのは、2013年のことですが、熊本県は認定申請審査をいかにやり過ごすかに専念していて、その間の課長だったことも記録で明らかです。県外在住だった故・Y氏については、当時の環境庁が患者と認める裁決案を用意していたのに、熊本県が強硬に抵抗・妨害していたのが、1999年、朝日新聞報道で明らかになります(〈水俣病〉Y氏裁決放置事件)。この時には、Y氏遺族に自らの悪行を認めない「詫び状」を部長として差し出しています。

テクノファシズムの形成過程を知る

今読んでいるジャニス・ミムラ著の『帝国の計画とファシズム』には、1920~30年代から台頭してきた新興財閥についてその役割を重視した記載が出てきます。近代日本の歴史教科書で登場する財閥の代表格は、三井、三菱、住友、安田の4大財閥であり、1945年の敗戦時において国家総資本の25%、海外総投資の80%を占めていたといわれます。これに対して旧植民地や満州国に軸足を置いた新興財閥は、アジア太平洋戦争中にその命運が急速に悪化したがために、戦後GHQや歴史研究者にそれほど目を付けられなかったというように著者は考えているようです。ところで、その新興財閥の代表格は、鮎川義介の日産(日本産業 子会社:日本鉱業、日立製作所)、森矗昶(のぶてる)の森コンツェルン(昭和電工)、野口遵(したがう)の日窒(日本窒素肥料)、中野友禮(とものり)の日曹(日本曹達)、大河内正敏の理研(理化学興業)の5つ。共通点として会社名に日本や元号をつける傾向があり、国益重視の姿勢を強調していました。また、私利私欲の象徴である金融業をグループに含まず、テクノロジーを重視し、重化学工業を事業の中心に据えています。水力発電による安価で豊富な電力を活用して自給自足の産業こそが国防国家に役立つという志向を持っていました。これらの起業家たちは、技師・科学者を兼ね備えた経営者であった点も旧財閥との大きな違いです。鮎川、野口、大河内は東京帝国大学工科大学を卒業していますし、中野は京都帝国大学理学部化学教室で助手を務めています。安倍元首相の祖父・岸信介に代表される官僚や軍部との結びつきについて見ていくと、テクノファシズムの形成過程を知ることができます。現代において経済安全保障や先端技術の開発と社会実装、あるいは脱炭素社会の実現など、重要課題は目白押しなのですが、こうした危機の時代において動く政策については、新たな弊害をもたらす危険性がないかよくよく監視しなければならないと思います。
写真は1991年撮影のジャカルタ。朝、コーランが放送されていました。

帝国の計画とファシズム

これから読む本は、1963年生まれの米国人の歴史学者であるジャニス・ミムラ著の『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』(人文書院、4500円+税、2021年)。現在のクレムリンの行動を帝国日本がたどった道になぞらえた言論をムキになって否定する手合いがあるようですが、振り返りたくないものを第三者の目を通じて考えることは重要です。時代や地域は変わっても権力者やオルガルヒのような取り巻きの思考や行動のパターンは似通っていて、不幸にしてその場に居合わせた人たちは騙されないようにしないと、最悪生命の危機にさらされます。15日、一部の全国紙に、千葉工業大学による「科学者へ告ぐ」という広告が載り話題になりました。科学者が生み出す先端技術が人々を不幸にする戦争に利用されないように戒める内容でした。戦争に限らず環境破壊によって人を不幸にするの技術もあります。水俣病の原因企業であるチッソ(日窒)も帝国日本統治下の朝鮮半島にあってはオルガルヒ的存在そのものだったと思います。

メーデー

このところニュースで取り上げられることの多いロシアやウクライナにかかわる経験を思い出すことが多くなりました。あんまりモノにはならなかったロシア語学習の最初の気づきは、動詞の変化で出てくるのが「働く」であることでした。フランス語の初級テキストだと、動詞の変化で出てくるのが「愛する」なので、ずいぶん違うなあと感じたことがあります。働くといえば、5月1日はメーデーです。ソ連時代末期のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)でその日を迎えたことがあります。街中が華やかに飾られ、通りに掲げられた横断幕に「平和(ミール)」の文字があったのが今も印象に強く残っています。同じく広場で見かけた市民が掲げる旗には「民主主義(デモクラシー)」の文字があって、これも意外なことで興味深い体験でした。ということで、それぞれの言葉を理解するというのは、重要なことで、相手に対する訴求力を持ちます。その点、中国だと中国語を学んだ経験はありませんが、漢字である程度の意味はわかります。たとえば、通信会社のHUAWEIを漢語表記は「華為」です。これは、文字通り中国の為にある会社ということが、社名からも明らかで、どう接するべきか考える起点になります。
あと5月1日は水俣病にとっては公式発見の象徴的な日であることも忘れてはなりません。

過ちを繰り返すことなかれ

3月30日に出た、水俣病第二世代訴訟の熊本地裁判決における原告の全面敗訴を受けて、控訴に向かう記者会見が昨日ありました。しかし、司法に対する信頼を失わせる一審の判断を踏まえると、先行きはたいへん厳しいのではないかと思います。本来は自らの良心に従い独立して判断を行うべきこの国の裁判官らが権威主義国家の役人と同様に、権力者に媚びへつらう輩に成り下がっていると思えるからです。
原因企業のチッソは、不知火海沿岸住民だけを殺してきただけではありません。水俣病が公式に確認される以前から自社の従業員に対する仕打ちも悲惨なものでした。たとえば、アセトアルデヒド製造は、1935年以前から行われていましたが、母液の残留アルデヒド量や酸分の分析にために、従業員にピペットで母液1~5ccを吸わせてビーカーへ移す作業を行わせていたといいます。この回数が少なくとも1時間に1回、ひどいときは10分毎だったそうです。ピペットは口にくわえて吸って用いますので、必然的に母液に含まれる水銀ガスを吸入することになります。この作業に携わっって2~3年の21~22歳の若者が立て続けに3人死亡してしまったことがあったといいます。それに限らず勤務中の事故で死傷するあるいは病気にかかることが多い危険な職場であり、人命軽視の企業体質であったことが今では判明しています。

気骨のない裁判官は法律家に非ず

一昨日(3月30日)、悪い予想通りの「水俣病第二世代訴訟」熊本地裁判決が出ました。1953~1960年にかけて不知火海沿岸地域で生まれて感覚障害など症状がある原告7人全員を水俣病患者と認めない=救済しないという司法判断を示したのでした。原告たちが生まれたころは、チッソ水俣工場においてアセトアルデヒド製造を行っていて、その工程において触媒水銀を使用し、メチル水銀を含む廃水が無処理で海へ放流されていました。チッソの社内研究として1957~1962年の5年間に、838匹のネコと106匹のラッテを使い、動物実験が行われました。中でも1959年の、廃水を直接エサに混ぜて投与した結果、発症が確認されたネコ400号実験は有名です。実験結果を見ると、発症を確認する前に衰弱死する動物も多く出ていることが分かります。それだけ毒性が強い物質を口にしたということが言えます。

問題は、原告たちがそうであるように、多くの人間が高濃度のメチル水銀に曝露させられる生活環境があったということであり、そうした人間は、自分では何が健康で何が健康的に異常なのかを分からないで過ごしてきたということです。

裁判官らは原告のもつ症状が他の疾患による可能性を否定できないと言いがかりをつけておきながら、メチル水銀曝露の影響も否定できずに口をつぐんでいます。国に歯向かえば上級裁判所の判事になれないことを恐れているのでしょうか。これでは、法の支配を認めない権威主義国家の役人となんらかわりありません。もしも法律家を自任しているなら人格を疑いたくなります。この先、連中が最高裁判事にでもなったら罷免させたいものです。

写真は、次に読む予定のジェフリー・ケイン著の『AI監獄ウイグル』(新潮社、2200円+税、2022年)の表紙です。

チッソ社内研究の検証本

水俣病研究会編『<水俣病>事件の発生・拡大は防止できた』(弦書房、2000円+税、2022年)を著者からいただきました。1957-1962年の「チッソ社内研究」を丹念に追跡して、遅くとも1963年の時点では、<水俣病>の原因がメチル水銀であることを工場の技術陣が知りえたとしています。それにもかかわらず患者発生、被害拡大を防止しようしなかったのが、チッソという企業でした。ここまでくると、過失責任などというレベルではなく、まさに殺人・殺人未遂のレベルの犯罪に加担したといわざるをえません。

鬼塚巌記録展

2月15日まで水俣病センター相思社において鬼塚巌記録展が開催されています。生前の同氏にお目にかかった経験はありませんが、同氏が水俣を撮った代表的な作品アルバムは拝見した思い出があります。1986年に「水俣病を告発する会」が出していた『水俣』の縮刷版を刊行することになり、当時編集に携わっていた私と出版社(葦書房)の久本三多氏(故人)とで、表紙写真に載せる2点を選ぶときのことです。結果、1枚は光り輝く不知火海に浮かぶ船と漁師のシルエットの写真をオモテから背にかけて大きくあしらい、もう1枚はウラにチッソ工場全景を載せることに決めました。海と工場、結果と原因を象徴する組み合わせで、我ながら満足できる選択でした。記録展では海の生物の写真も多く展示されているようです。なお、本投稿記事の写真は東京湾です。