在留資格 国際人材」カテゴリーアーカイブ

昨日見たドクターヘリ

きのうは外国人のための無料相談会に赴いていましたが、相談に訪れた方はゼロでした。コロナ禍にあって在留資格についてよりも生活福祉のために力になりたい部分が多々あり、それらの関連情報が支援を要する外国人住民に伝わっているか心配です。住民税非課税世帯にあっては生活小口資金の返済も免除される見通しとの報道もありました。ぜひ活用してほしいと思います。相談会が終わって熊本城前電停にいたら頭上をドクターヘリが飛んで国立病院へ向かっていました。本日の報道によると、ヘリ搬送されたのは、虐待を受けた幼児ということでした。子どもからすれば親をえらべないこととはいえまったくもって許されない犯罪です。

次回は2月3日

本日午後は熊本市国際交流会館において行政書士による外国人のための無料相談に対応しました。といっても、さすがに緊急事態宣言が発令されている期間中のため、街中の人出も閑散としていて、相談者はありませんでした。次回は2月3日(日)午後に相談員として対応します。

明日は相談員

熊本県独自の緊急事態宣言が発令されて熊本市有施設の開館時間が短縮化されています。各種行事も中止が相次いでいます。明日午後に熊本市国際交流会館で外国人のための行政書士による相談に携わります。在留資格関係以外に生活福祉にかかわる不安もあるかと思いますから、そのあたりの支援制度の案内にも努めたいと思います。

国籍差別の実態に目を向けるべき

日本に限らず外国籍の労働者が在住国内でさまざまな不利益を得ています。特に日本においては立場の弱い技能実習生は隠された奴隷制ともいえる状態で、人権侵害が甚だしいと思います。国籍差別はかつての日本人が海外移民先でも受けた歴史があり、同じような過ちを今日の日本国民が犯すべきではありません。

レイシズム政策としての入管法

『レイシズムとは何か』でいう「1952年体制」について読書メモとしてまとめてみました。日本政府による在日コリアンへ対するレイシズム政策としての入管法制としての視点に立っています。
まず戦後日本がGHQ占領下から独立したのは、サンフランシスコ講和条約の発効日である1952年4月28日です。この日をもって在日コリアンや台湾出身の漢民族は、日本国籍を喪失しました。しかし、本書の著者はこの1952年からの体制は、それ以前の植民地支配時代のレイシズム体制の継続と考えます。
植民地支配時代の朝鮮人支配の法的枠組みは次の3つになります。1.1910年の韓国併合を根拠にした帝国臣民への包含。2.朝鮮に国籍法を施行しないことによる朝鮮人の日本国籍離脱防止。3.朝鮮人戸籍と日本人戸籍とを峻別することによる被支配民族と支配民族との差異づけ。国籍の壁に囲い込むことで義務は押し付けながら戸籍の壁によって権利ははく奪して差別するやり方をとったというのです。戦後の1945年12月の選挙法改正で戸籍法の適用を受けない者は参政権が停止されます。旧植民地出身者(沖縄も)は排除されることになりました。新憲法施行前日の1947年5月2日に天皇最後の勅令として制定された外国人登録令は、朝鮮戸籍令の適用を受けるべきものを当分の間外国人とみなすとされました。
サンフランシスコ講和条約発効時に日本政府は外地戸籍者を一律日本国籍喪失させたことは、冒頭触れた通りですが、その根拠は1952年4月19日付の法務府民事局長通達によるものです。通達は条約が朝鮮の独立を認めているから原状復帰の必要があり国籍も元に戻すとしていますが、そもそも条約にはなんら在日コリアンの国籍規定がありませんし、講話会議に一人の朝鮮人も出席しておらず意思の反映はありませんでした。国籍選択権が一切認められていませんし、法律で国籍を定めるとした憲法10条にも違反するものでした。
結果、在日コリアンは無国籍者扱いの外国人となり、在留すれば指紋押捺と外国人登録証常時携帯が強制され、些細な口実で強制送還を強いられる難民以下の法的地位に落とされました。国籍と戸籍を恣意的に使い分けられ、官憲の広範な裁量に依拠した不安定な立場に置かれ続けることとなりました。2009年の改正で外登法が廃止となり、入管法に一本化されました。現在、指紋押捺はありません。特別永住者という在留資格をもつ外国人ということになります。

1952年体制の問題について

『レイシズムとは何か』は、私たちがいかに反レイシズムを行ってこなかったを知る好著だと思います。常日頃入管法を意識する行政書士ならば、在留資格についていくらか明るいかもしれませんが、その成立の背景やレイシズムに連なる問題点についてはあまりにも無知です。ましてや法務行政に係る職員や民間人でも人権擁護委員でもそうかもしれません。本書で紹介されていますが、1949年に当時の首相がGHQの最高幹部へ送った書簡には、たいへん驚くべき記述があります。当時はまだ日本国民であった朝鮮半島出身者を全員強制送還させたい旨を進言しているのです。全員強制送還こそありませんでしたが、1952年には個人の選択なしに一方的に日本国籍を奪い、事実上の国内難民化を実行しています。入管法の仮面を被ったレイシズム政策の歴史が残っています。

出入国在留管理行政について

所属団体の研修で出入国在留管理行政について学びました。私が入会した2011年より2019年までは、訪日外国人数がずっと右肩上がりで伸びているのを改めて認識しました。年間600万人台から3000万人台へと実に5倍以上の急増となっています。もちろん2020年は10年前以下の水準に減少するのは確実だと思われます。しかし、外国人とどう共生するかという課題はこれから先もっと大きくなるということでもあります。ところで、今さまざまな理由で出国命令を受けながら出国待機の状態に置かれている外国人もいます。同命令に基づき出国した外国人の上陸拒否期間は1年間ですが、コロナの影響で出国できないからといってこれが短縮されるわけではないということでした。出国しない以上、再び入国できる時期が1年間以上先になるわけで、この点は気の毒だと思いました。

人権侵害の上に立つ経済成長はいらない

昨日の地元紙で、弱い立場にある外国人技能実習生が相談もできずに不利益を被っている現状が紹介されていました。その記事において外国人支援に取り組んでいる行政書士のコメントも紹介されていました。技能実習制度は人材派遣業と同じく人を商品として扱うため、どうしても人権がないがしろにされます。いわゆる非正規労働者の不当に低い労働コストの上に立つ事業活動が社会的に意義が認められるのか、考えてみる必要があります。写真は、昨日訪ねた熊本市民会館のマスコットのポスターです。

人権感覚が問われている

ある外国人留学生が認められた就労時間をオーバーしていたために、在留資格延長が不許可となり学校も中退せざるを得なくなり、内定していた就職先への入社もかなわなくなりました。本人の人柄を知る日本人関係者も支援していますが、たいへん気の毒な状況に置かれています。そのことが、地元紙に取り上げられていました。入管行政が一度出した処分を取り消させるのはよほどの処分の不当性がない限り至難の業というのが実情です。一方、帰国もできない環境の外国人元留学生に就労も認めずどうやって生活しろというのかという問題になってくると、これは入管申請の枠を超えた人権問題にもなります。外国人とか日本人とかということの関係なしに、読者の人権感覚が問われていると思いました。

https://this.kiji.is/701952885799011425?c=92619697908483575

人権後進国の汚名をそそげ

11月7日の朝日新聞によると、国際人権機関から批判を浴びている日本の入管施設での外国人の長期収容の短縮を図るため、出入国管理法改正案の提出に動いているとのことです。さまざまな規定見直しが進んでいるようですが、根本はあまりにも難民認定が厳格であることに問題があります。なぜ帰国することができないのか、その実情を受け止めることなくいたずらに送還することは、人権弾圧そのものです。

国際理解ができているか

引き続き『国際理解のために』からの話題です。日本国内でもさまざまな外国人との出会いがあります。食習慣の違いからイスラム教徒のことを知る機会は増えてきました。なんといっても世界で最も教徒が多い宗教です。といっても中東のイメージが強いですが、意外とそれ以外の地域、たとえばパキスタンやインドネシアなどで多いのです。これからますますその知識が必要になると思います。ユダヤ教徒にいたっては、まだ日本国内ではなじみが薄いと思います。厳格に守る人の土曜の休息日についての考え方はよく理解しておくことが必要です。エレベーターや議会投票のボタンを押すことも「労働」と見なされることまではさすがに知りませんでした。

理論と応用

自然科学分野の理工学の理論と応用、医学の基礎と臨床のように、社会科学分野の法学の専門家でも学者と法律系士業・行政窓口では守備範囲の違いがあります。ですが、自己の領域にこもっている専門家は実は専門家ではないように思えます。ふだんさまざまな士業や行政窓口と接する機会がありますが、ルーティン業務しか受けられないというのでは、依頼者としては専門家として頼りないということになります。特に人権が絡む問題は、国内法だけでなく国際基準を十分知っておく必要がありますが、行政の末端職員等にそうしたことを求めるのが無理なのは承知なのですが、ないのもまた事実です。

国連人権理事会の意見書は重い

昨日の朝日新聞社会面に載っていましたが、日本の弁護士が通報した入国管理収容の措置は、国際人権規約が禁じる恣意的拘禁にあたり違反するとの国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会の意見書が日本政府へ送られたことが明らかになりました。この意見書の判断を政府は重く受け止めるべきです。

日本を現場とする国際人権問題

今読んでいる『国際人権入門』を読むと、日本社会で起こっている国際人権問題についていかに無自覚であったかと思い知らされます。私のような行政書士の立場にある人でもそうだと思います。たとえば、行政書士試験に合格して行政書士になる人は、憲法や民法などは学習経験があるはずですが、入管法もヘイトスピーチ解消法もそれらの各法について知るのは行政書士になってからだと思います。ましてや人権問題の国際基準について学ぶのはよほどの機会がなければありません。本書では、国際人権条約の条約機関の活動の中身の解説だけでなく、日本の入管収容施設における外国人の人権侵害問題、ヘイトスピーチ解消法の限界など、なかなか実情を知り得ない部分に光を当てて教えてくれます。中国その他の海外の人権問題もそうですが、足元の人権問題が、なぜ国際人権問題なのかを知ることは、なぜ日本政府の取り組みが及び腰なのかを知ることにもつながってくる思いがします。

無自覚ほど怖いものはない

昨日、外国人の方と会った後に、その方の出身国の人名について興味を持ち、後で調べてみました。それによると、その国では一般にいわゆるファーストネームしかなく、いわゆるラストネームはないのだそうです。しかし、それだと同じファーストネームの人が多いので、いわば区別するために、姓名代わりに父の名前を付け名乗ることはあるそうです。たとえば、父の名前が「太郎」、その息子兄弟の兄の名前が「一郎」、弟の名前が「二郎」だったとします。そうすると、兄は日本では「太郎一郎」、弟は「太郎二郎」として名乗っていることになります。仮に祖父の名前が「一夫」だっととすると、父は日本風には「一夫太郎」と名乗ることになります。ともかく、姓がないのですから、日本の常識で考えると、父と息子の関係が親子だということが、名前だけではわからないと思います。でも兄弟は兄弟、親子は親子としての絆はあり、その外国人は生きておられます。日本でも姓がなければ、夫婦の姓に悩む必要もありませんし、能力に見合わない世襲の弊害もなくなったかもしれません。
それで、きょうはある日本人の高齢者の方と話をする機会があったのですが、正確に言えばまったく会話が成立しませんでした。高齢者の方は自分の勝手な思い込みだけで、話をするだけで、こちらの説明することを聴かなかったり、説明されても理解ができなかったようです。認知症の傾向がみられましたが、そうした方が何か重要な職務を任されていたり、自動車の運転をするのはたいへん怖いなと思いました。

国内法と国際法の関係について

国内法と国際法の関係について放送大学テキストの『法学入門』の記載からメモを残しておきます。私自身は仕事柄少し国際法とは縁のある、行政書士という立場にいます。たとえば、在日外国人の難民認定についていえば、当然に難民条約の規定を意識しなければなりません。それだけではなく、迫害の背景を知ることも必要になります。インターネットを利用する上での著作権侵害の問題を検討するとなれば、まさしく世界に影響しますから知的財産保護の条約の規定も意識しなければなりません。といっても、いつもすらすら頭脳から湧き出すことはないので、必要に応じて資料にあたる作業が求められます。
まず国内法は必ずしも国内だけに適用されるものではありません。日本の刑法を例にとると、日本国民または外国人が、内乱罪、通貨偽造罪などを犯した場合(すべての者の国外犯)、日本国民が殺人罪、業務上堕胎罪などを犯した場合(国民の国外犯)、そして外国人が日本国民に対して殺人罪、強制性交罪などを犯した場合(国民以外の者の国外犯)は、適用されます。ただ、立法・執行・司法の国家管轄権が競合することがあるので、それは属地主義が基本となります。次に国際法(条約と慣習国際法)はどうかというと、国家はそれを遵守する義務があります(国内法援用禁止の原則はありますが、国際法に違反する国内法はただちに無効となるわけでもありません。しかし、国際法上の国家責任は問われます)。それにとどまらず、条約についてはそれぞれの国家で一定の措置が取られた後に、慣習国際法についてはなんらの国内的措置も取られることなく、国内的効力をもつとみなされています。
そこで問題なのは、国際法の国内的効力がどう確保されるかです。第一は、条約を国家の国内的な手続きを経て公布・発表する一般的な受容方式で、日本や米国、中国など多くの国家で採用されています。第二は、条約の内容を国内法のなかに移し替える変型の受容方式で、イギリスやスカンジナビア諸国で採用されています。なお、慣習国際法は特段の措置をとることなく国内的効力が認められています。
さらに、国際法を直接に国内裁判所が適用して判決が下せるかという問題があります。これに関連して国際法の国内的序列の問題もあります。日本においては、憲法と条約とでは憲法優位説が支配的とされています。慣習国際法と法律とでは慣習国際法が優位であり、憲法とでは憲法が優位と一般に考えられています。
そこで、前記の国際法の直接適用の問題ですが、最近の裁判例として以下があります。
・受刑者接見妨害国家賠償請求事件(高松高判H9.11.25)・・・受刑者が接見を制限されていることについて「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」14条(公正な裁判を受ける権利)違反を主張した例。→監獄法施行規則という法令よりも上位にある人権条約違反にあたらないかが審査され、損害賠償が認められた。最高裁判決では逆転敗訴となった。
・大麻取締法・関税法違反事件(東京高判H5.2.3)・・・外国人の被告人が通訳料の負担を命じられたことについて同規約14条3項(f)(無料で通訳の援助を受けること)違反を主張した例。→条約の具体的規定を裁判規範として用いて、通訳料の負担を命じた国側の行為が違法と認められた。ただし、現在も刑事訴訟法第181条第1項本文の改正は行われていない。
・小樽入浴拒否事件(札幌地判H14.11.11)・・・公衆浴場への外国人の入浴を拒否されたことについて同規約26条(法の前の平等・無差別)および人種差別撤廃条約5条(f)・6条違反を主張した例。→民法1条、9条、709条の解釈にあたっての基準として人権条約を間接適用し、入浴施設に賠償支払いが命じられた(高判で確定)。市の条例制定責任は最高裁まで争われたが認められなかった。
本書ではあまり触れられていませんでしたが、国内の人権状況が各条約機関からどのようにみられているのかについて確認する必要があります。ほんとうに国際水準に達した人権先進国なのかどうか、各条約機関から勧告の対象となっている国内法が意外と多いことを知ると驚きです。その点については、私が人権擁護委員として一端を担う法務省の人権擁護行政もお粗末極まりなくパリ原則が求める人権擁護機関の水準ではありません。人権委員会設置の方向も考えられているようですが、法務局の多くの職員はふだん国際法を意識することなく仕事をしています。

なぜ歴史を学ぶべきか

本投稿で何度か触れましたが、『中国と東部ユーラシアの歴史』はたいへん有益な歴史解説書でした。中国の今と未来志向を知るには歴史を学ぶ必要が高いということが理解できました。それを知って現代中国の政権はたいへん難しいこと、無理なことをしようとしていると思えました。どう付き合えば、相手を動かせるのか、そうした点も語学力以前に歴史的知識に基づく洞察力が必要だと思います。さまざまな民族の事情を理解することで、在留資格申請取次の業務においても役に立つと感じます。

新型コロナ関連の外国人生活支援策情報のご案内

外国人の生活支援のため、やさしい日本語や多言語(英・中・韓など)により住居確保給付金・特別定額給付金申請などについて案内されたホームページを、法務省が紹介しています。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri10_00052.html