今から40年近く前の時代になりますが、私が大学の法学部政治学科に入学したとき、1年次の必修科目は、憲法、国際法、民法Ⅰでした。形の上では国際法を学んだことになっているのですが、現在振り返ってみると、本当に学んだといえるのかという思いにかられています。というのも、1966年にできた国際人権規約こそ日本は1979年に批准しましたが、以下の通り、その他の条約はすべて履修後に批准または加盟したものばかりだからです。
「難民条約」1982年(昭和57年1月1日発効)
「女性差別撤廃条約」1985年(昭和60年7月25日発効)
「子どもの権利条約」1994年(平成6年5月22日発効)
「人種差別撤廃条約」1996年(平成8年1月14日発効)
「拷問等禁止条約」1999年(平成11年7月29日発効)
「強制失踪条約」2010年(平成22年12月23日発効)
「障害者権利条約」2014年(平成26年2月19日発効)
確かに私たちが社会生活を送る上では、批准した条約の規定内容に合わせて整備された国内法の規定を意識します。私が社会人になったころは、男女雇用機会均等法が施行されて間もないころで、男性限定の求人募集はできないけれども女性限定の求人募集はできるということで、大騒ぎでした。今でこそ電車やバスの女性運転士は珍しくありませんでしたが、当時ソ連旅行した時には女性運転士の比率が高く驚いたものでした(もっとも当時のソ連は若い男性の多くが軍隊にとられていましたので、男女平等というのは無理があるとも思いました)。ともかく、枝葉の国内法だけにとらわれて女性差別撤廃条約を真剣に学んだ覚えはありません。最近でも平成25年の民法における婚外子相続規定の最高裁の違憲判決を経て今では該当部分を削除する民法改正がなされましたが、人権擁護委員向けに法律家によって書かれた人権相談対応本ですら、人権条約の精神から説き起こしたものはないのが実情です。人権のことをいうなら核戦争で命を失うのも最悪で重大な人権侵害ですが、核兵器禁止条約を日本が未だに批准しないのも情けない限りです。
もともとアジアでは欧米のような地域レベルの人権保障機構がなく、国家間の通報も活用されていません。国際水準に乗り遅れている国同士が、都合のいい内政不干渉で互いの国民の人権侵害に目を閉じているようにも思えます。
たとえば、香港の民主派候補がその政治的信条を理由に立候補が認められないというのは、明らかに国際法違反になります。それを可能にしている国内法をタテに内政干渉を主張するのは、果たして徳のある政治なのか、むしろそうした国内法を定めた過ちを恥じるべきではないのか、国際水準を満たした外国政府であれば堂々と指摘できるものなのですが、そう指摘できない自らのやましい部分を衝かれるのが嫌なのか、自らを律しながら互いに水準を高める関係を作っていけないものかと思います。
