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サガしものは書店になイカ

先月1週間ほど佐賀県有田町に用向きがあったのですが、観光的な行動ができる時間がなかったため、なんとも物足りないままでいました。さらに今月、朝日新聞の経済面で5回にわたり有田町に近い波佐見町のことを取り上げた連載「波佐見焼 小さな町の奇跡」を読み、ぜひ訪ねてみたい気持ちになりました。波佐見町についてはコースをもっとリサーチしてからと、手始めに以下の場所を訪ねてみました。
・鯨組主中尾家屋敷・・・イカを焼く香ばしさが漂う呼子朝市通りの入口から300m奥にある重要文化財です。江戸時代から昭和30年代までの時期に呼子が捕鯨漁の港であることは、現在は呼子=イカのイメージが強いこともあり、これまで知りませんでした。屋敷も立派ですし、資料館の展示もたいへん興味深いものがたくさんあり、入館料210円が申し訳ないくらいお得でした。
・佐賀県立名護屋城博物館・名護屋城跡・・・佐賀県立の博物館はここ以外に九州陶磁文化館や県立博物館・県立美術館がありますが、一部の特別展を除き入館料が無料となっています。ロンドンの大英博物館もそうですが、こうした運営方法は誇るべきことだと思います。入館してみると、日に何回か学芸員による説明が聞けるようでした。展示コーナーごとの自由に持ち帰りができる解説ペーパーも充実していて帰宅後もゆっくり読み返すことができます。城跡も初めての訪問でしたが、スケールが大きく特別史跡にふさわしい場所でした。訪問当日は強風のため、天守台がのぞむ冬の玄界灘には厳しさがありましたが、天候が良ければ文字通り海外進出を目論んだ秀吉の野心が途方もないことがより感じられたかもしれません。博物館入口には道の駅があって、そこのレストランで名物のイカ刺身定食をいただきました。イカ活きづくり、イカシュウマイ、ゲソ天ぷらに満足しました。
・佐賀之書店・・・帰路の途中で佐賀駅に今月オープンした書店ものぞいてみました。ここは佐賀出身の直木賞作家がオーナーを務める店舗で、オーナーの著作が多数置かれていました。書棚は新刊書で埋め尽くされ、新札を思わせる香りがいい雰囲気を出していました。ただし、駅ビルの一角ということもあって、店舗面積はそれほど広くはなく、専門書のたぐいはほとんどありません。総合雑誌もウィルとかハナダといった怪しい書き手のものしか見当たりませんでした。世界や岩波新書は皆無でした。駅内書店ですからこれは致し方ないのが現実なのかと思いましたし、実際私の日頃の行動でも目当ての書物がほとんど置かれてない地方書店に行くことはありません。

自分で勉強すればいいんだよ

本日(12月15日)の熊本日日新聞に、渡辺京二さんの連載「小さきものの近代」の編集を担当した記者の手記が掲載されていました。その中で、生前の渡辺さんが「(自己の文章を読んで)分からなかったら、自分で勉強すればいいんだよ」と語っていたことが紹介されていました。手記の執筆者は、「分からないことにぶつかり、思考を促される文章こそが読み手を鍛えていくと言いたかったのだろう」と、捉え直していました。
状況をどう認識するかは、人によってさまざまですが、その違いはどう学び続けてきたかによって形成されていくものだと思います。直に渡辺京二さんのような知識人と出会う機会は限られていますから、多くは確かな著作や報道で学ぶしかありません。学び続けることで、たとえば読むに値する著作や報道かどうかという判断力も備わってくると思います。思考が鍛錬されることで、自分はどのように生きていきたいかも定まっていく気がします。
今、政界では裏金疑惑が取りざたされていますが、政治資金規正法を正しく理解していれば、収支の不記載を派閥から指示されたとしても、それは違法だと簡単に判別できるものなのですが、よほど日頃から考えることや調べるといったことをしない人たちの集まりなんだなあと、驚きました。法を犯すような人たちが法をつくる国会議員の仕事に就いてはなりません。即刻国会議員を差し控えていただきたいものです。
写真は佐世保駅の「貧乏が去る像」ですが、国会議事堂内の一つ空いている台座上には「不勉強が去る像」でも置いておく必要があります。

それぞれの百年

12月2-3日と水俣病センター相思社で開かれている「百年芸能祭in水俣」の初日イベント「百年座談in相思社」に参加しました。通常は休館日にあたる水俣病歴史考証館に展示されている丸木作品も観覧することがかないました。座談会の前に千葉明徳短期大学の明石現教授による11弦ギター演奏があり、明石ゼミ学生8名による手話合唱もありました。特に普段の生活では無縁の若い女性たちの歌声には、さすがに日頃シニカルな自身の心も洗われる思いを抱きました。これまで何度も相思社を訪ねたことがありましたが、これほど清々しい気持ちにさせられたのは初めてでした。
この後の座談会の最後で、本祭の「口先案内人」を務める姜信子さんが、権力者が怖れるのは、人々が歌うこと、踊ることというようなことを述べていましたが、世の中の不条理に異議申し立てを行う手段としては、確かに力を覚えます。最近読んだ、ロビン・ダンバーの『宗教の起源』でも、笑う、歌う、踊る、感情に訴える物語を語る、宴を開くといった、社会的グルーミングにはエンドルフィン分泌をうながす効果があり、結束社会集団の規模を大きいものにするとありました。法事なんかで経本をみんなで声を合わせて詠まされるように宗教儀式にはそうした要素が仕込まれています。
さて、「百年座談会 私たちのつながりあう百年」では、(一社)ほうせんか理事の愼民子さんから「在日の百年」、宮城教育大学准教授の山内明美さんから「東北の百年」、相思社職員の葛西伸夫さんから「水俣の百年」をテーマにトークがありました。今から100年前の1923年に関東大震災があり、水俣では日窒(チッソ)に対する漁民の最初の闘争が起きています。
座談会では、以下のキーワードがありました。関東大震災直後の朝鮮人虐殺(中国人や標準語を話さない日本人も犠牲になっています)、コメのナショナリズム(植民地での日本米増産)、放射線育種米(あきたこまちR12)、六ケ所村、寺本力三郎、大間原発、三居沢水力発電所、日窒興南工場、野口遵、半島ホテル(現在はソウルのロッテ百貨店が建つ)、水豊ダム、福島第一原発、復興庁、ハンフォード・サイト、朝鮮籍。
今回の座談会を聴いてこの百年を理解する手引きとして、以下の2つの書籍を個人的に挙げてみたいと思います。1冊目は、遠藤正敬『新版 戸籍の国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店)です。「日本人」の定型、「臣民」への画一化が如何に形成されてきたかを知るには良著です。朝鮮籍・韓国籍・琉球籍の経緯を知る価値があります。旧満州国の日本人は満州国人ではなく内地人(日本人)であり続けたことも学んだことがない国民が大部分だと思います。2冊目は、ジャニス・ミムラ『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』(人文書院)です。先進技術や資源をめぐる利権に蠢く権力者たちが、外国人だけでなく自国民の人権を如何に蔑ろにしてきたか、その手口を知るのに適しています。かつてのテクノファシズムには、今日のテクノソーシャリズムにも近しいところがあり、それも国民は監視すべきだとは思います。ついでに挙げると、これからの百年を考えるには、ブレット・キング、リチャード・ペティ『テクノソーシャリズムの世紀 格差、AI、気候変動がもたらす新世界の秩序』(東洋経済新報社)もお勧めです。
ところで、私の百年では、祖父の兄が大工だったそうですが、関東大震災後の復興特需で横浜へ移住します。その兄を頼って祖父も横浜へ行き、当地で商船会社の社員の職を得ます。北米航路の豪華客船にも乗っていましたが、アジア太平洋戦争中は軍の傭船に乗務し、南方と内地との物資輸送にあたっていました。最期はインドネシアから出港した油槽船に乗っていましたが、マニラから基隆へ向かう途中で米軍潜水艦からの攻撃に遭い亡くなりました。その命日は、偶然ですが、日窒創業者の野口遵と同じ1944年1月15日です。野口遵は電気化学を学んだ人物ですが、私の息子(COP3京都会議の期間中生まれ、私の祖父からすると曾孫)は、現在まさしく電気化学の分野の研究(※)を進めており、脱炭素社会の一翼を担っています。なにかしらつながるものだなと思わざるを得ません。
※一口で言えば、二酸化炭素還元反応。CO2(二酸化炭素)からCu(銅)を電極触媒として用いてCH4(メタン)やC2H4(エチレン)、C2H5OH(エタノール)といった有用物質を得る電解還元の研究。CO2排出抑制につながるものです。

 

 

 

キッシンジャー回想録ぐらい読んどけよ

SNSなんかで坂本龍馬気取りの政治家の投稿にたまたま触れると、ロクな奴はいないなというのが、私個人の偏見に基づいた感想です。企業経営者にしても、理論も何もない成り上がり者の自慢話をありがたがっているのは、得てして小物ばっかりというのが、これまた私個人の偏見に基づいた感想です。
さて、11月29日、米国の元国務長官だったヘンリー・キッシンジャー氏が100歳の生涯を終えました。その外交の成果はダイナミックであり、常人では得られないのは、衆目の一致するところだと思います。2年前に岩波現代文庫から上下巻で刊行されている『キッシンジャー回想録 中国』を読みましたが、同氏自身の能力もさることながら、当時の中国の指導者の器の大きさも感じます。読んだときの感想をブログに何度も記しています。
https://attempt.co.jp/?p=9670
https://attempt.co.jp/?p=9690
https://attempt.co.jp/?p=9728
https://attempt.co.jp/?p=9737
https://attempt.co.jp/?p=9749
https://attempt.co.jp/?p=9963
https://attempt.co.jp/?p=10022

社会的グルーミング

ここ1週間ばかり所用で県外に出かけていてその間せわしなかったので、オックスフォード大学進化心理学名誉教授のロビン・ダンバー著の『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社、3000円+税、2023年)の読書は、行きがけの列車の中で読み進めたところで止まったままです。というわけで、読みかけの感想なのですが、タイトル通り宗教の起源の考察という側面もありますが、人間の脳と共同体の規模感とのかかわりの考察が面白く思えました。
第4章共同体と信者集団(p.119)で以下の通り要点がまとめられています。
1霊長類が結束の強い社会集団で生活するのは、外的脅威から身を守るためだ。
2特定の種の集団規模は、脳の大きさによって制限される(次いでその規模は、居住と採餌の環境が良好であるかぎり、その種が通常経験する脅威のレベルに順応している)。
3人間の自然な社会集団と個人の社会ネットワークにもこのパターンが当てはまる。
4人間の自然な共同体、個人の社会ネットワーク、そして教会の信者集団には、約150人というはっきりした上限が存在する。
5この上限は、構成員の帰属意識、ほかの構成員との個人的なつながり、集団所属による利益に対する満足度といった、集団規模が与える影響によって決まっていると考えられる。
1974年にデヴィッド・ワスデルが発表した「自己限定的教会」の研究というのがあって、英国内の1万超の教区を対象に毎週の日曜礼拝に出席する信者数は、地域の人口規模に関係なく、175人前後という結果が得られています。別の研究でも信者数はおよそ200人ではっきりと頭打ちになるそうです。信者が150人から250人の教会は安定を失いやすいという、「バスター(牧師)とプログラム(事業運営)の中間圏」を突きとめた研究もあります。それによると、50人までのファミリー・サイズの教会であれば指導者を持たない民主体制でも機能しますが、150人までのバスター・サイズになると誰かが指導者を務める必要があり2~3のサブグループを作ってそれぞれに精神的支柱のような存在も求められます。さらに350人までのプログラム・サイズになると牧師ひとりでは手に余り集団指導体制が求められます。これも1970年代のアラン・ウィッカーの研究ですが、構成員が約340人と約1600人の教会を比較すると、小さい教会の信者集団のほうが日曜礼拝への出席率や収入に対する寄付額が高いことが確認されています。
直接触れ合うグルーミングを行うサルと類人猿の場合、結束社会集団の大きさはおよそ50頭で頭打ちになりますが、ヒトは直接ふれることなくエンドルフィン分泌をうながす社会的グルーミングを獲得することで、より大きな社会集団を構成することが可能になりました。笑う、歌う、踊る、感情に訴える物語を語る、宴を開くなどがそうです。宗教儀式にはそれらの要素を含むことからトランス状態に通じるものがあります。
どうしたらヒトは満足感・高揚感を得られるのか、そのヒントは音楽やスポーツ、宗教にありますから、政治や企業経営がその手法を取り入れるのは自然の流れとも思えます。

宗教の起源

中東情勢を理解するにはそれがすべてではないにしても宗教についての理解が必要不可欠です。オックスフォード大学進化心理学名誉教授のロビン・ダンバー著の『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社、3000円+税、2023年)は、タイトル通り宗教の起源から考察する書籍とあって役立ちそうです。

熊本市国際交流会館で無料相談

毎月第1水曜日と第3日曜日の13:00~16:00、熊本市国際交流会館2F相談カウンターにおいて、熊本県行政書士会会員の申請取次行政書士が、無料相談に応じています。
11月19日(日)13:00~16:00には、当職が相談員として対応いたします。
https://www.kumagyou.jp/?page_id=220
https://www.kumamoto-if.or.jp/plaza/default.html
https://www.kumamoto-if.or.jp/kcic/kiji003277/index.html
写真は記事と関係ありません。インドネシア、ジャカルタ国立博物館(1991年7月撮影)。

カリガリの閉店

喫茶「カリガリ」の2度目の閉店についての熊本発の記事が、本日の毎日新聞東京本社版社会面にも載っていました。場所が移る前の頃はよく訪ねる機会があり、ここで多くのことを学びました。なんともさびしい限りです。写真は前の店先の外灯。
https://mainichi.jp/articles/20231116/k00/00m/040/190000c
【2024/11/18追記】
「カリガリ」閉店の記事が、11月18日の朝日新聞熊本地域面にも掲載されていました。
https://digital.asahi.com/articles/ASRCJ65PCRCJTLVB002.html

KKDよりも理論

自分の業務分野では馴染みがない世界ですが、興味があって秋川卓也・木下剛著『はじめて学ぶ物流』(有斐閣ブックス、2900円+税、2023年)を読んでみました。普段の生活の中で目にする物流と言えば、道路を行き来する貨物輸送のトラックのイメージが強いと思います。ですが、それはほんの一部の姿でしかなく、物流センター内の保管や荷役、それを機能させる情報システムなど、規模は大きくてとてもじゃないですがKKD(経験・勘・度胸)では済まない分野であることを知りました。KKDはまさに属人化の極みですから、それでは物は流通できません。物流を可能にする理論がしっかりないことにはシステムは組めませんし、ここに学問として成り立つ理由があるのだと感じます。
本書は、さまざまな用語の定義が親切に解説されています。それらの用語の定義にはJISがかかわっていて、その重要性を改めて認識しました。それでいて語り口は平易であり、紹介されているエピソードにはいくつもの興味深いものがありました。たとえばコンビニ1号店オープン当初は1店舗へ1日70台のトラック配送があっていたのが、現在は管理温度帯別の商品配送でせいぜい1日10台に効率化されているそうです。FedEx創業のきっかけは、教授から自己の理論を低評価された学生(創業者)の反発によるものだったということです。ちなみに本書では触れられていませんが、低評価を受けたレポートは同社本社に今も飾られているそうです。

アレではなくコレだ

「エッフェル姉さん」などと共に新語・流行語大賞2023にノミネートされた「アレ」について本日の朝日新聞教育・科学面に面白い記事が載っていました。言語学者の研究によると、指示詞の「あれ」や「これ」を表す単語は、世界的にあるそうです。しかも面白いことに、文化や地域が変わっても、対象物が自分から50センチ程度までの「手の届く範囲」を「これ」と表現する傾向が、世界共通ということでした。その意味では18年もリーグ優勝から遠ざかっていた阪神ファンにとっては、まさしく「アレ」であり、さらにその倍以上の38年ぶりの日本一は「アレのアレ」に違いなかったと言えます。記事は空間範囲についてしか触れてありませんでしたが、時間範囲で言えばぜひ来季から「コレ」を達成し続けてもらいたいと思います。1年前にJ1まであと1勝だったロアッソ熊本にしても昇格は「アレ」ではなく「コレ」なんではないでしょうか。
写真は記事と関係ありません。パリのエッフェル塔。1991年12月撮影。

やさしい日本語

所属団体の研修で「やさしい日本語」のポイントを学ぶ機会がありました。日本語を母語とする人が、日本語を母語としない人たちと接するときに役立つ内容でした。東京都が2018年に行った都内在住外国人向け情報伝達に関するヒアリング調査によると、希望する情報発信言語として「やさしい日本語」が「英語」を上回っています。ではどうしたらいいのでしょうか。たとえば、易しい言葉に書き換えて分かりやすい書き言葉にすることができます。話すときは相手に分かってもらっているか優しく確かめながら進めて行きます。これは外国人向けだけでなくて日本人の高齢者や子ども向けにも必要な対応だと思いました。 https://www.moj.go.jp/isa/support/portal/index.html
一方、日頃見聞する出来事によっては、悲憤慷慨することが多々あります。当然内容的に「やさしくない日本語」で表現したいことが多くあります。私のSNS・ブログにおける情報発信は、ビジネス目的であるよりも自分の日々のメモ代わりが主なので、多くの読者を獲得しようという目論見はもともとありません。あえて読んでみる方は物好きな方に違いないと考えていますので、やさしくない日本語をこれからも多用して咆えていこうと思います。
※写真は記事と関係ありません。アンカレッジ空港内のホッキョクグマ剥製(1990年12月撮影)

公教育の義務は

10月17日、滋賀県東近江市の市長が、子どもの不登校対策について同県内の首長会合や、その後の報道陣の取材で、フリースクールへの公的支援について「国家の根幹を崩しかねない」「不登校の大半は親の責任」などと発言したことがニュースになりました。これを受けた同月25日の定例記者会見で、二つの発言は「保護者や運営団体などを傷つけた」として陳謝し、その2日後の27日には、県内のフリースクールや親の会などでつくる市民団体側と面会して謝罪したことも報じられました。
現在不登校の子どもたちの受け皿として一定の役割を担っている民間のフリースクールがあることは認めますが、前述の市長発言の騒ぎに乗じて質の悪いフリースクールへも公金注入を進めるのは疑問だと考えます。私自身は市長の持論にはくみしません。しかし、子どもの不登校対策は公教育の枠組みで行うのが筋で、安易に民間へ丸投げするものではないと思います。自治体には子どもたちへ教育を受けさせる義務がありますから、不登校の子どもたちにも教育を受けさせる機会を提供しなければなりません。よって公の運営によるフリースクール形態の場を用意することはありえます。
ところが、民間の自称フリースクールの質はさまざまで、学習指導要領を無視した体験活動が主体のところも見受けられます。運営者の思想信条や歴史認識が極端な例も見受けられます。またそうした運営者が不勉強な議員へ近づいて自らへ有利な質問を議会で行うよう働き掛けないとも限りません。
地元の直近の市議会だよりを見ると写真画像のような質疑もすでにあっています。まずは公教育が文字通り公自身の手で義務を果たすことが先決です。民間のそれはあくまでも事業であって公教育の義務を負った存在ではありません。

農業と福祉の連携講座

#農業と福祉の連携講座
※くまもと農業アカデミー過去受講者である私宛にもらった案内ですが、下記理由により紹介します。
※農業と福祉の連携を通じた障がい者等の活躍、農作業の人材確保の可能性について関心がある方々には有益な講座かと思われます。

くまもと農業アカデミー「農業と福祉の連携講座」の開催について

くまもと農業アカデミー過去受講者、研修終了生  様

くまもと農業アカデミー「農業と福祉の連携講座」の開催について(御案内)

くまもと農業アカデミーでは、農業と福祉の連携を通じた障がい者等の活躍、農作業の人材確保の可能性について考える
「本-18 農業と福祉の連携講座」を下記の通り開催します。
※本講座は会場とオンライン、どちらでも聴講できるハイブリッド講座となります。

1 日時
令和5年(2023年)11月8日(水)
13時30分から15時30分

2 場所
熊本県立農業大学校研修交流館
(住所)合志市栄3805

3 内容
(1)農業と福祉の連携概要
(2)農福連携をはじめるにあたって!
(3)農福連携に取り組む福祉事業所の事例発表

4 申し込み方法
下記サイトから電子申請又はFAXにてお申し込みください。
「くまもと農業アカデミー申し込み」
https://www.pref.kumamoto.jp/site/agri-academy/83669.html

尚 このメールは過去に受講申込のあった方、又は過去の新規就農支援研修生にお送りしております。
ご質問、ご連絡は下記にお願いいたします。
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熊本県立農業大学校研修部
担当:松﨑、平野
TEL:096-248-6600(直通)
FAX:096-248-6018
E-mail: noudaikensyuu@pref.kumamoto.lg.jp
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家族法の知識の再確認

まだ読み始めですが、呉明植著の『伊藤塾呉明植基礎本シリーズ9 家族法(親族・相続)』(弘文堂、2300円+税、2023年)は、自分の知識を再確認するために役立ちそうです。著者を始めとする伊藤塾講師による講義には、日本行政書士会連合会中央研修所のVODでもたびたび視聴したことがあり、馴染みを覚えていましたし、もともと司法試験受験生向けに書かれた本なので、判例・通説に基づいて重要部分が図解を交えながら丁寧に解説されています。せっかく学習しても体系を正しく理解していなければ実務にも対応できない訳で、あやふやな記憶がクリーンアップされていく感覚はたいへん心地よいものです。それと、法律自体も年々アップデートされています。本書は2022年12月の親族法改正(例:女性の再婚待機期間がなくなる)にも対応しています。今後たとえば同性婚が法的に認められていけば、同性カップルの財産や連帯債務、債権者代位権などについても見直しが迫られます。現在地を理解することが、先にある目標地の適切な設定の議論にもつながります。
本書内の事例記述で登場人物に「山田太郎」の名前がありましたが、婚姻中の「不貞行為」の解説でも使用されておれば、なお学習者の理解が進むのではないかと思ったことでした。

『戸籍と国籍の近現代史』読書メモ

遠藤正敬著『新版 戸籍の国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店、3800円+税、2023年)の帯には、「〈日本的差別〉の深層構造」とありますが、まさしくそれを理解するには極めて重要な書籍だと思います。米国社会やインド社会における差別の構造を考察するには、イザベル・ウィルカーソン著の『カースト』(岩波書店、3800円+税、2022年)を推奨しますが、いずれも値段的に4000円を超える書籍ですので、実際に手に取る読者は少ないかもしれません。このように優れた研究成果に触れる機会が多くないことは実に惜しいものです。これを補う役割がジャーナリストには必要なのですが、そうした人材も稀少になっているように思います。
さて、近代日本の戸籍とは、どのようなものなのでしょうか。冒頭の遠藤本の終章では、「必ず一つの家=戸籍に属し、家名としての氏をもつという「日本人」の定型ができあがったのである。それは、戸籍に載らなければ「国民」にあらず、という道徳的規範を醸成し、戸籍への自発的服従を引き出す力を発した。こうした「日本人」の定型のなかに職業、家族関係、風習、価値観なども多様な人々が押し込まれ、「臣民」へと画一化された。」(p.330)とあります。そして「「家族」の純血性と一体性を保持してこそ「正統」となるという家の統合原理は、「日本人」の法的資格を決定する国籍法においても貫かれた。」(p.332)として、戸籍と国籍の主従関係を指摘しています。しかし、戸籍の証明する「血統」とは、単に戸籍を同じくするだけの記号的な「日本人」の系譜としての意味にほかならず、それは信仰に近いものだと著者は見ています。じっさい、個人の市民権を保障する世界基準の趨勢は、国籍から定住地、国民から住民を重視へ移行しているので、戸籍制度は合わなくなってきています。
それと、生物学的な親子関係(父A・母B・子C)は認められながら、法律上の親子関係(母A・母B・子C)は認められないという矛盾例も発生しています。
・女性A(2018年、戸籍上の性別を男性から変更)
・Aのパートナー女性B(Aが男性であったときに凍結保存しておいた精子提供で妊娠)
・子C(2020年、Bが出産)
なお、AB間にはAの性別変更前に生まれた子Dもおり、Dの戸籍上の父はAと控訴審で認められています。

東アジアの平和に影響を及ぼす3人

次に手にする予定の本は、大澤傑著『「個人化」する権威主義体制 侵攻決断と体制変動の条件』(明石書店、2500円+税、2023年)。世界が、とりわけ東アジアでもその思考が気になる3人について考察された著作です。この3人にどう向き合うのか、考えてみたいと思います。

過去・今日・明日

10月8日の朝日新聞記事中に、ドイツ近現代史が専門の石田勇治著『過去の克服』(白水社)から以下の引用がありました。「民族には自らの歴史を冷静に見つめる用意がなければなりません。なぜなら、過去に何があったかを思い起こせない人は、今日何が起きているかを認識できないし、明日何が起きるかを見通すこともできないからです」。これはドイツのある首相の言葉なのだそうです。神話の記述を史実と信じ込む程度のオツムの議員センセイ方に聞かせてやりたい言葉でした。
写真はベルリンのペルガモン博物館の代表的な展示構造物「イシュタール門」(1992年12月撮影)。紀元前560年頃のバビロニアの古都バビロンにあったものが再構築されています。同館は今月23日から14年間にわたる大規模な改修に入るため、しばらく観ることができないそうです。

予想は嘘よ

本日(10月3日)の朝日新聞に社会学者の加藤秀俊氏の訃報が載っていました。大学3年次に先生の講義を受講する機会がありました。当時は先生の多くの著書にも親しみました。社会学の面白さは分析結果もさることながら、対象そのものに接することから生まれる体験というか、フィールドワークによる知見の広がりにあると思います。同氏の講義は毎年「○○の社会学」というテーマ設定があり、講義を受けた年は「レジャーの社会学」でした。単位取得の要件は原稿用紙50枚のレポート提出となっており、かなりヘビーな科目です。同級生4人でチームを組み、「競馬場の社会学」をテーマとして提出して、高い評価を得たのが思い出となっています。競馬場には「予想屋」という商売があるのですが、「予想」を下から読むと「嘘よ」という冗談話があるのを取材で知り、それはいまだにしっかり覚えています。訃報には近年も精力的に執筆活動を続けていたとありましたが、先生自身が現場から学ぶことから生きる力を得ておられたのではないかと思います。
同じく訃報と言えば、9月29日のやはり朝日新聞に理論物理学の江沢洋氏の名前もありました。講義を受ける機会はありませんでしたが、新入生向けに原稿をお願いしたことがあり、少しだけご縁があったかと思います。どちらの先生も学者としては一流でした。
写真は、今度読む本です。同著者の『戸籍と無戸籍―「日本人」の輪郭』(人文書院)を以前読んだことがありますが、非常に価値ある研究だと思いました。今回も期待を裏切らないと感じています。

CO2排出抑制

CO2排出抑制が世界的な課題となっています。そうしたなか、CO2(二酸化炭素)からCu(銅)を電極触媒として用いてCH4(メタン)やC2H4(エチレン)、C2H5OH(エタノール)といった有用物質を得る電解還元の研究が注目されています。どのような材料を電極に用いれば、それらの生成効率が上がるのか、あるいは社会実装が可能な目標値の達成ができるのか。
私にとってはまったくの異分野ですが、研究の最前線ってわくわく感があります。
[S10_2_12] 多孔質構造を持つCu電極を用いたCO2電解還元

救済漏れではなく救済逃避・妨害

昨日、水俣病特措法に基づく救済が受けられなかった原告128人を水俣病と認める大阪地裁判決がありました。本日の朝日新聞の同判決要旨の見出しに「救済漏れを問う」とあったのですが、水俣病事件の経緯を多少知っている者からすれば、加害企業や国・県が続けてきたのは、「救済漏れ」ではなく「救済からの逃避」あるいは「救済の妨害」でしかなかったと思います。
彼らの「救済」の手口はいつも狡猾でした。カネを値切るために、公健法より安上がりな特措法を編み出したのもその一つ。なおかつ「救済」対象者を少しでも減らすために、居住地域や生年、症状に厳しい制限を設けてきました。その最たるやり口が、やり過ごす年月の引き延ばしであり、被害者が死ぬのを待つということでした。
判決要旨を読むと、水俣湾の仕切網が設置された1974年1月までの時期に、水俣湾またはその近くでとられた魚介類を多食した者についてはメチル水銀曝露が認められるとあります。現在50歳代の人であっても症状が遅れて現れることがありえるわけで、加害行為が終了しても当該損害の全部または一部が発生した時が除斥期間の起算点とも指摘されていることから、まだまだ救済は終わっていない進行中の事件なのだと改めて感じます。