投稿者「admin」のアーカイブ

株価3万円台と聞いても

東証株価が30年ぶりに3万円台を回復したそうです。4万円台に迫るバブル当時の雰囲気を知る者としては、一方でそれがどうしたという思いもあります。確かに景気が良く普通の人でも錬金術に走ることができたかもしれませんが、有効なお金の使い方まではできたとは思えません。虚飾や浪費、徒花という言葉がしっくりくる時代でした。マンションが続々立ち並びましたし、若者が高級車を買って乗る感じでした。ただ何となく熱は帯びていた覚えはあります。帰宅するときも毎日のようにタクシーを使っていました。今にしてみると、何か残ったというのはなく、ただただ消費したとしかいいようがありません。そうした時代を体験したのが逆に意味があるだけという気がします。思索するには今の時代が向いているように思います。

在宅研修がスタンダードに

昨日、パソコンを新調しました。セットアップは当日中に行う気力はなく本日の午前中ひと段落してから取り掛かり昼過ぎに終わりました。使う人の能力低下ぶりとは違ってとにかくパソコンの反応が速くくなったのと、音も静かなのに驚きました。デスクトップながらWebカメラも内蔵で付いているので、そのままオンラインセミナーの受講参加にも使えます。最近はこうしたオンラインでの受講機会も増えてきました。主催者からすれば会場を用意しなくて済みますし、受ける側も往復の時間と費用がかからず助かります。学校での外部講師を招いての研修もオンラインで実施してくれると講師も感染リスクがなくていいと思うのですが。

時間感覚

昨夜の福島沖を震源とする地震は10年前の東日本大震災の余震とみられるそうです。プレートの動きからすれば、10年という時間は短時間ということなのだなと実感しました。モンゴル人の居住地域が南北に分断されたのも70年前の話ですから、今の状態を当然ととらえる方が不自然なのだと思わされます。

中央ユーラシアからの視点

日本側から日中関係を考えるときにどうしても方向的に日本海側から見てしまうと思いますが、中央ユーラシア側から見ると、まったく違ったものが見えてきます。モンゴル人とウイグル人との関係とかあるいはチベット人との関係、さらにはインドやロシア、モンゴル国、その他中央アジア諸国との関係を通じて中国を見てみると、国際関係について新しい思考もあることがわかります。単純なことですが、インドのムガール朝のムガールとはモンゴルのペルシャ読みということすら知りませんでした。

弥生時代の硯とmRNAワクチン

弥生時代中期初め(紀元前180年ごろ)までさかのぼって西日本では文字が使われていたのではないかとみられる遺物=硯?が見つかっているといいます。朝鮮半島と北部九州・山陰・北陸を結ぶ交易ルートでは紀元前1世紀の石の重りも見つかっていますから、当然計量結果を文字で記録していた可能性があるとみられています。なかなか興味ある世界です。
これとはまったく別の話ですが、ファイザーやモデルナが開発した新型コロナ感染抑止のワクチンはmRNAと呼ばれる新しいタイプのものです。mRNAとは、細胞内で「たんぱく質を作れ」という指示書のようなっものです。つまり体内に送り込まれる文字のようなものです。
紀元前の硯とmRNAワクチンの開発元が、文字を生み出すものとしては共通しているものに思えて不思議です。

 

ケチが付き過ぎた

東京五輪・パラリンピック組織委員会の現会長が辞任し、次は一つ年上の老人が就くという報道が出てきています。しかし、半年後に通常開催が限りなく困難な状態の中で実施する必要があるのか、国民の支持がすでに得られない環境にあるように思います。もっと他のことにお金は使うべきですし、無理に開いても経済効果があるどころか、さまざまな余計なリスクの発生の心配をしなければならないと思います。

スポーツ界って何だ

東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長発言をめぐっていろんな論議が出ています。スポーツ界の各種組織の長の資質についてはこれまでにもいろんなケースがありました。たとえば国内の競技団体でいえばボクシングやテコンドーでのパワハラなども近年の記憶としてあります。公開の場で出てくる言動を見聞してもおよそ人格者とはほど遠い人物と感じられました。ですが、他の組織でもよくあるようにも思います。いってみれば、スポーツは道楽の世界ですから、実施する側も観戦する側もお金がかかります。競技関連の団体の長として好まれるのは、お金を出して口を出さない方か口を出す代わりに外からお金を引っ張ってきてくれる方のどちらかが多いと思います。これを能力というのかは別に組織では重宝されます。始末が悪いのは、お金を出さず(あるいは引っ張ってこない)に口だけを出して対外的な信用を汚す方となりますが、さすがにこれは長続きはしません。幸いオーナー組織ではないのですから、利用価値のない長はさっさと追い出すのが賢明だと思います。

パブコメ回答を受けて

市政のさまざまな計画素案のパブリックコメント募集に際してときおり応じるようにしています。それは当局と住民それぞれが計画の正否を確認するために有効だからと考えるからです。コメントがあると後日その回答が公表されます。参考にされるもの修正に応じられるものと、これもさまざまあります。公表結果でもある程度は策定者の意識がわかりますが、実際にコメントをした側からすると、コメントの一部が削られて公表されることがあるのがわかります。つまり本当に痛い指摘は隠したいのだなというのは、コメントした本人にしかわかりません。特に計画策定手法において策定者側が楽した部分とか、見当違いの分析をした部分とかは、割愛されるものです。もし議員がパブコメ結果について本当に受け止めたいのであれば、コメント原文と照らし合わせて考えてみることを勧めます。

農業参入と社会的責任の両立は

企業による熊本県内においての農業参入が200件を超えたそうです。一方で当社を含む2割が事業撤退した現実もあります。こうした事情について本日(2月8日)の熊本日日新聞4面(総合面)が報じていて私のコメントも取り上げられていました。撤退理由についてビジネスとして採算が合わなかったことが第一であり、その発言は紹介されていました。さらには、農業のあり方が今の企業に求められる姿勢から乖離していることについての疑問もあり、そのことも取材の際に述べたのですが、テーマから逸脱していたようで、それについては触れられていませんでした。逆にその問題に踏み込んでしまうと県の農政についての警鐘にも発展してしまいます。県民紙としてはあまり冒険ができない点も理解できます。私の予測としては現在参入している企業のなかにこれから軌道修正を迫られるところが出てくると思います。一つは撤退のケースです。当社も参入時に経験したようにできるだけ初期投資を抑えた形での事業承継のノウハウ提供が求められます。もう一つは継続のケースです。脱炭素社会の実現に向かうシステム改革が求められます。ハウス暖房や資材(使用と廃棄)で化石燃料を消費する生産システムは変える必要があります。多くの食品ロス・包装廃棄物を出す流通や消費のあり方も変えていく必要があります。それに逆行する生産システムを助長することへ政治はカネを出すべきではありませんし、参入にあたって補助金が「先にありき」あるいは「ないとやっていけない」のであれば、ビジネスとしても産業政策としても出発点においておかしいと思います。

内政と内省

写真表紙の新書を次に読む予定です。日本にも中国籍のモンゴル人は在留しています。それらの人々の背景を知ることは重要です。しばしば内政問題から自国民の目をそらさすために、他国との権益が絡む領土・領海問題を利用することもあるのではないかと思います。

よし行くかとはならない

2月7日までを期間とする熊本県独自の緊急事態宣言が2週間延長されることが昨日発表されました。熊本市の病床使用率の高さを考えれば中途半端な解除より必要だと思います。昨日は熊本駅からグランメッセ熊本まで往復とも空港リムジンバスを利用しましたが、共に私を含めて最大乗客数は3人でした。2月8日からは航空ダイヤ改正によりさらにバス便数が減るのですが、県外との往来は低く抑えられているのが感じられました。一方、昼に立ち寄った熊本駅ビル内の地元資本のラーメン店では隣にマスクをせずに会話を続ける客が座ったため、席を移動したい旨を店員に伝えましたが、断られてしまいましたので、半分以上食べずに店から退散しました。他店に比べて密な営業をして隣りとの仕切りも設けられていませんでした。店側は売り上げ確保に熱心で気づいていないのかもしれません。しかし、客の立場からすると、二度と入店したくない気持ちにさせられます。

大きなお世話

支援を要する事業所に対して手を差しのべることは必要ですが、えてして怪しい連中から連絡があるものだと知りました。ついさきほど厚生労働省の助成金の案内の電話がありました。社労士をネットワークしている会社だと名乗っていました(社名は伏せます)が、公開していない電話番号への着信でした。番号情報の入手方法について問うと出まかせの回答でしたから、いよいよ怪しさが匂うばかりでした。とにかくご注意を。

昨日見たドクターヘリ

きのうは外国人のための無料相談会に赴いていましたが、相談に訪れた方はゼロでした。コロナ禍にあって在留資格についてよりも生活福祉のために力になりたい部分が多々あり、それらの関連情報が支援を要する外国人住民に伝わっているか心配です。住民税非課税世帯にあっては生活小口資金の返済も免除される見通しとの報道もありました。ぜひ活用してほしいと思います。相談会が終わって熊本城前電停にいたら頭上をドクターヘリが飛んで国立病院へ向かっていました。本日の報道によると、ヘリ搬送されたのは、虐待を受けた幼児ということでした。子どもからすれば親をえらべないこととはいえまったくもって許されない犯罪です。

今年の節分を経て

つい数日前まで節分は2月3日だと思っていましたが、今年は2月2日ということを知って、まだまだ知らないことが多いし、思い込みというものにこうして陥るのだと体験させられました。常識がほんとうに常識なのかを確かめてみる心掛けがなにごとにつけ必要です。

幻想

E・F・シューマッハーの『スモールイズビューティフル再論』(講談社学術文庫、1180円+税、2000年)のp.32-33に私たちがごまかされやすい3つの幻想が記されています。
引用すると以下の通りです。
第一に、安価な燃料と原料が無尽蔵に供給されるという幻想
第二に、ごく低い報酬で、退屈で機械的でうんざりする仕事をあえてやろうという労働者が、これも同じく無限にいるという幻想
第三に、科学と技術がやがて、もうすぐすべての人を豊かにするので、余暇と財産を一体どうあつかうかという問題だけが残り、他の問題が消滅してしまうだろうという幻想
さすがに、これが書かれた時代は50年ほど前になるので、現代の視点からはかなり楽観的で、もっと危機感はあるだろうとは思いますが、どうしても見たくないものは見ないという人からすると、今も通用する話かもしれません。
ところで、著者は1955年、当時は英国石炭公社に勤務中でしたが、3か月間のビルマ(現ミャンマー)連邦政府経済顧問就任の委嘱を受け、これを引き受けます。ビルマでは直ちに仏教寺院に身を寄せます。そこではビルマ人が欧米流の経済開発を必要としないことを見てとります。そのときの経験が現代経済学に対する仏教経済学という独自の考えに発展していきます。著者の考えによれば、現代経済学は、消費が経済活動の唯一の目的であり、土地・労働・資本といった生産要素をその手段と見ます。適正規模の生産努力で消費を極大化することが目的となります。これに対して仏教経済学は適正規模の消費で人間としての満足を極大化することが目的となります。地域の必要に応じ、地域でとれる資源を使って生産をおこなうのが、もっとも合理的な経済生活ということになります。消費に対する考え方がまったく異なります。天然資源のすべてについて可能とはならないにしても傾聴に値するものがあります。

緊急事態なのは

例年通り早めにということで、本日当事務所の確定申告を提出してきました。今年は税務署入り口の外にカウンターが設けられており、いつもと違った光景でした。ところで新型コロナの緊急事態宣言は一部の県を除きあと1か月延長になる見込みという報道が出ています。熊本県独自の宣言の延長もどうなるのか気になります。移動を控えている今のような環境こそ脱炭素社会の実現を考えるには良い機会だと考えます。でなければ、ほんとうに緊急事態なのはこちらであり、もっと長期的に対応する必要があります。

1月も終わり

きょうで1月も終わりです。昨年1月半ばに東京へ行く機会があり、次男とは学内で会いました。ですからリアルでの対面は丸1年ありません。ときおりZOOMでネット越しに顔を合わせることはあります。この1年の行動変容には凄まじいものがあります。同時にこれまでの消費がほんとうに必要なものなのか、人類の将来にとって有益なものなのかどうか、経済を回すことの道義も問われた1年だったように思います。

人権第一に考えれば

人権を第一に考えれば、人権を侵害された人の国籍や民族で扱いを変えるべきではありません。政府同士が対立するのも不毛です。昨日の朝日新聞のオピニオン面で中国人強制労働問題で被害者と企業との和解に取り組んでいた弁護士の意見が傾聴に値すべきだと思いました。実際、日本政府は、中国人強制労働者と企業の和解では口をはさまなかったのに、韓国の元徴用工判決については国際法違反だと反発して見せ、互いに国家間対立を高める結果を招いています。国際法を持ち出すならそもそもの元徴用工が受けた人権侵害も国際法に反しており、不正義の原因を作った側が法律の手続き面のことであまり大きな顔をすべきではないと考えます。1965年の日韓国交正常化の実態でも日本側の資本でプラントを韓国側に建設してその後の利益を得たのは韓国以上に日本側ということもありました。1950年代前半に朝鮮半島の分断をもたらした朝鮮戦争の時期においても日本はずいぶん儲けさせてもらった負い目があることも忘れてはなりません。日本側も韓国の司法を判決に追い込むのではなく、和解に持ち込む知恵と贖罪が必要だと思います。

研究の方向

E・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫、1380円+税、1986年)のp.186にアインシュタインの発言(邦訳『アインシュタイン平和書簡』、原書1960年出版)を引いている箇所があります。これは原子力についての考察の中で記述ですが、紹介すると以下の通りです。「人類は自然に反しては生きられないのと同様、科学・技術なしでは生きていけない。ただし、熟考を要するのは、科学研究の方向である。この点は科学者だけに任せるわけにはいかない。アインシュタインが述べているように、「科学者の大多数は経済的にはまったく自立しておらず」、また「社会的責任感のある科学者はまれ」なので、この方向を自分たちでは決めることができない」。科学者全員がこれほどひどいとは言いませんが、たとえばある事業を行うときに技術的には正しいとか優れていても経済的な視点や環境に及ぼす影響を考えると疑問というか愚かなことというのは多々あります。人間はどうしても都合のいい部分を過大に見てしまい、あげく罠にかかることがあります。当事者だけならともかく他者へ取り返しのつかない悪影響や被害ももたらすことがないのか、天才が述べる通りそれに気づくのは容易ではありません。