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鉄と馬

九州国立博物館で開催中の特別展「はにわ」を観てきました。同展の目玉は「挂甲の武人」や「踊る人々」ということになるかと思いますが、見方を変えれば日本列島における「鉄と馬」の起源、武力を伴った権力の出現の歴史を実感できる展示だと言えます。
まず「挂甲(けいこう)」とは何かということですが、解説によると「古墳時代・5世紀に登場した甲(かぶと)の一種。小さな鉄板(小札)を紐で綴り合せて、人の動きに合わせたワンピース型に作り上げる。着用者は動きやすく、馬の騎乗にも適していたので、6世紀にかけて普及した。」とありました。つまり、実物は現代でも貴重な鉄からなるものです。当時は激レア資源だったので、王の墓なんかに添えるにはさすがにもったいなくて土器(埴輪)なのは自然です。それでいくと、いずれも古墳時代・5 -6世紀の鉄製品(すべて東京国立博物館蔵)であり、さりげなく展示されていた、熊本県和水町の江田船山古墳から出土した国宝3点セット 「衝角付冑」「頸甲」「横矧板鋲留短甲」の価値が、数段上とも正直感じました。
次にその形状から「踊る人々」と名付けられた古墳時代・6世紀の埴輪ですが、これも解説によると「儀礼に際して踊る姿とされるが、近年は馬を曳く姿(馬子)である説も根強い。」とありました。「挂甲の武人」が馬の騎乗に適した甲を着用していることと合わせて、ここにも馬とのかかわりが感じられます。
さて、この鉄と馬にかかわる技術・風習がどこに由来し、いつ頃からなのかというと、朝鮮半島南部からの渡来人によっておおむね5世紀ころから伝わったとされます。倭は百済や加耶からさまざまな技術を学び、多くの渡来人が海を渡って、多様な技術や文化を日本列島に伝えました。乗馬の風習も朝鮮半島から学んだもので、日本列島の古墳に馬具が副葬されようになったのも5世紀になってからです。より進んだ鉄器・須恵器の生産、機織り・金属工芸・土木などの諸技術、漢字の使用や水筒・外交文書の作成、6世紀以降の儒教や仏教の伝来など、渡来人の役割は大きいものがあります。
設楽博己編『日本史の現在1考古』(山川出版社、3300円+税、2024年)のp.161には、「日本史を学ぶ場合、いつの時代についても、周辺の国々をはじめとする各地域の歴史や、日本と諸外国との関係に目を向けていく必要がある」とありましたが、「はにわ」にも様々な地域との交流と、その影響を受けた展開を感じることができます。5世紀の鉄と馬にかかわる技術・風習の学びがなければ、王権や戦争の出現はありえなかったと思います。
戦争と馬との関係で言えば、つい80年前の近代戦争でも密接でした。山砲1門を分解した部品の輸送に際して馬6頭を必要としました。大陸打通作戦で中国・山東省からタイ・バンコクまで踏破した、日本一歩いた軍隊である第三十七師団(冬兵団)を例にとると、師団を解団する時点で、主力がいたタイで人員約1万名、日本馬約1500頭、大陸馬約2050頭、先遣部隊がいたマレー州で人員2890名、日本馬約330頭、大陸馬約220頭いたとされます。タイでは武装解除にあたった英軍から命じられてほとんどの馬を銃殺ないしは撲殺しています。一方、マレーではすべての馬が英軍に渡され、近くのゴム林へ連れて行き殺すことなく放されたとありました。
馬耳東風、馬の耳に念仏、馬子(これは人)にも衣装、馬脚を露わす、泣いて馬謖(これも人)を斬る…。古来権力者は馬に世話になりながら、なぜかネガティブなイメージのことわざに多用されている印象があります。そんなこともありまして、せめて熊本のロアッソ(これはJクラブ)は温かく応援してあげたいものです。最後はそれかいと言われそうです。

『少数派の横暴』読後メモ

平日ならさして混まないだろうと、九州国立博物館で開かれている特別展「はにわ」を観に行った往復の電車内で、共にハーバード大学教授のスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットが著した『少数派の横暴―民主主義はいかにして奪われるか―』(新潮社、2700円+税、2024年)を読み終えました。世界はトランプ政権の再登場に揺れているわけですが、それだけにそれを可能にした要因を歴史的に知り、どう対処していくべきかを知ることは、米国に限らずどこの国民にも必要なことだと思いました。
著者の見立てによると、米国は世界的に例を見ない反多数決主義的な民主主義国家になっているといいます。少数派がルールを悪用して政治を支配することが可能になっているというわけです。たとえば以下の点があります(p.227-228の記載参照)。
・有権者による直接選挙ではなく、選挙人団を経由した大統領選出なので、有権者が投票で示した多数派とは異なる候補者が大統領に選ばれる可能性がある。ゴアやヒラリー・クリントンが敗れた例が実際にあった。
・同等ではない規模の州に同等な代表権が与えられた、つまり小州バイアスが強力な定数不均衡の上院がある二院制に加えて、議会での少数派の拒否権(フィリバスター)がある。銃規制世論と議会との乖離があり、法改正につながらない。
・単純小選挙区制を採用しているため、相対多数の票を得た者たちによって多数派が形成され、ときには全体として得票数の少ないほうの政党が議会の多数派となる場合もある。恣意的な区割り(ゲリマンダー)や農村部バイアスも指摘できる。
・最高裁判事に終身在職権が与えられているため、判断が社会の変化に対応していないし、認知症となっても辞めさせるのが難しい。もともと有権者に選ばれるわけでもない。
・合衆国憲法は改正へのハードルが高い。改正のためには議会両院における絶対的多数の賛成(3分の2)に加え、4分の3の州の承認が必要。
その他にも有権者登録や期日前投票などについても問題があると指摘しています。本書では問題点を指摘するだけでなく、p.243-246にかけて具体的な処方箋も示していますし、国民の行動にも期待をかけていますから、まったく絶望の書というわけでもありません。米国建国以来の共和党と民主党の歩みの歴史(これは同時に選挙制度や議会制度の歴史でもある)を学べた点でも大いに参考になりました。

政治家は戦争体験者に学べ

太平洋戦争末期に鹿児島県曽於市大隅町月野の海軍岩川基地から出撃した芙蓉部隊の戦没者をまつる慰霊碑「芙蓉之塔」の揮毫者が、同地を選挙区とする衆議院議員だった故・山中貞則氏であるのを、南日本新聞電子版でたまたま見かけて知りました。
同氏は、1942年に陸軍の第六師団に入営し、中国戦線で従軍します。その第六師団は、1942年暮れに南方戦線へ転出し、ブーゲンビル島(パプアニューギニア)において壊滅的な戦死者を出しますから、そのままだったら戦後の人生はなかったかもしれません(私の母方の親族も同島で戦死しています)。
氏は、第三十七師団の山砲兵中尉として終戦を迎えたようです。同師団は通称「冬兵団」と呼ばれ、大陸打通作戦で中国・山東省からタイ・バンコクまで踏破した、そのため戦病死が多い、日本一歩いた軍隊と言われています(私の父の長兄も所属しており幸い終戦翌年に復員できました)。戦後、解団して師団旗を焼いたタイ・ナコーンナーヨック県の駐屯地跡近くのプランマニー寺に慰霊碑奉賛会が納めた石碑がありますが、その碑には奉賛会長であった同氏の名前が刻まれているのを、資料でみたことがあります。
自民党「税調のドン」としての記憶が強い氏ですが、戦争体験者であることから県民の4人に1人が犠牲となった沖縄への思い入れがあり、返還や振興に尽力して鹿児島県出身者ながら沖縄県初の名誉県民にもなった人物です。今回、慰霊碑の報道で久々にその名を見たわけですが、戦争体験者から学んでいる政治家がつくづく少なくなったと思うばかりです。

世界中から尊敬されない4年間の始まり

今度2度目の米国大統領を務めることになった、78歳の高齢者男性が、就任演説で以下のような演説を行っていました。
From this day forward, our country will flourish and be respected again all over the world. We will be the envy of every nation, and we will not allow ourselves to be taken advantage of any longer. During every single day of the Trump administration, I will, very simply, put America first. (この日からわが国は繁栄し、世界中で再び尊敬されるだろう。全ての国の羨望の的となる。米国がこれ以上つけ込まれることを許さない。トランプ政権下の日々、私は非常に明快に米国を第一に据える。)
気候変動対策の国際ルール「パリ協定」からの離脱に向けた大統領令への署名ひとつとっても世界にとっては迷惑きわまりない行動であって、とても世界中で尊敬されるとは思われません。この人物は、人種やジェンダーをめぐるマイノリティーに対する差別の防止についても否定的であり、こうしたヘイト志向は自国民からもまったく尊敬されないとしか考えられません。
こういう人物をおだてて他国の首脳が無理に取り入ろうとする必要はないかと思いますし、この人物におもねる巨大企業の経営者についても監視して消費者として批判することも大切なのではないかと思います。

異能人材包摂力について

昨夜放送のNHKスペシャル「岐路に立つ東京大学 〜日本発イノベーションへの挑戦〜」を興味深く視聴しました。番組では、AI研究で著名で知られ、学生たちに起業を促し、イノベーションを生む人材を育成する松尾豊教授と、マッチング理論を使って人材がより生かされる社会を目指す、経済学者の小島武仁教授の二人を軸に、東京大学の取り組みを紹介していました。一方で、シリコンバレーと連携するスタンフォード大学やAI学部をわずか1年の準備期間で創設したマレーシア工科大学についても取り上げていて、規模やスピードで日本のイノベーション人材の輩出が立ち遅れていることが浮き彫りにされていました。それと若者の早期離職の高さや就労先に対する満足度の低さが世界と比較すると、「普通」ではない点が明らかにされました。このことによって、単に東京大学だけの問題ではなくて、日本社会における人材育成・活用の停滞ぶりに危機感を覚えさせる番組内容になっていたと思います。
社会にさまざまな才能をもった人材がいることは確かですが、適切な教育を受ける機会がなかったり、受け入れてくれる組織がなかったりすることは、容易に想像できます。スターアップにしろ、既存組織での新規事業立ち上げにしろ、そのワクワク感はそれを体験したことがない人にしか分からないことだと思います。しかし、それを可能にして成長軌道に乗せるには、資金や運営管理組織、取引先も必要になります。異能人材自身が必ずしも対人コミュニケーション能力に優れているとは限りません。場合によっては事業撤退・整理をせざるを得ない場合もあります。
ほとんどの企業からすれば大博打はせず、使いやすい人を雇用して組織を存続させることに重きが置かれると思います。
番組の最後の方では、元ヤンキーの中卒のIT技術者の若者が松尾研究室に出入りするようになったのを追っていました。イノベーション人材育成の入口がいくつもあるのはいいなと思いました。結局のところ包摂する側の器量次第なのかなという感想を持ちました。

みなが知る必要のあること

最近立て続けにオックスフォード大学出版局が手掛ける「みなが知る必要のあること(What Everyone Needs to Know)」シリーズの翻訳書を2冊読みました。1冊は、ブルース・W・ジェントルスン著『制裁 国家による外交戦略の謎』。もう1冊は、ジェイムズ・カー=リンゼイとミクラス・ファブリーとの共著による『分離独立と国家創設 係争国家と失敗国家の生態』。どちらも2024年に白水社から刊行されています。
書籍の内容をここでは詳しく記しませんが、国際情勢や国際関係の報道に接したときにその背景を理解して動向の成否を考えるうえで役立つ貴重な知見を示してくれます。先を読むには豊富な歴史の知識・教訓を知らなければならないとつくづく思わされます。
ネットユーザーにとっては大変ありがたいことに、『分離独立と国家創設』の筆頭著者のジェイムズ・カー=リンゼイ氏(英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス欧州研究所研究員)は、国際関係の時事問題を短時間で解説したユーチューブ動画チャンネルの配信を行っています。無料で視聴できるので興味を持たれた方は、この動画へアクセスしてみるのもいいと思います。
https://www.youtube.com/c/JamesKerLindsay/Join

所有者不明土地を動かすには

所有者不明土地を得たいときの手段として従来は「不在者財産管理制度」がありました。私も司法書士の協力を得て同制度を使って依頼者の希望を実現したことがあります。この制度では家庭裁判所へ申し立てて専門職を管理人に選任してもらい、申立人へ権利移動の許可を得て手に入れることになります。しかし所有者不明のすべての財産を管理人は管理し続けなければなりませんから、特定の土地だけの取得に終わる場合、管理人としてはいつまでも残りの土地を管理し続けなければならない面がありました(幸い私がかかわった案件ではすべての土地の行き先が定まり管理人の管理は無事終了しました)。
今なら2023年4月から導入された「所有者不明土地管理制度」を活用することにより、特定の土地だけの購入希望者が申立人となり、地方裁判所から選任された管理人から買収の許可を得ることが可能になりました。このあたりの活用事例が1月7日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第5回」で紹介されており、たいへん興味深く読みました。
そして、この制度は一般の方だけでなく市町村長による活用も可能です。詳しくは1月8日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第6回」で紹介されていますが、行政が所有者不明の空き地や空き家を解消するため、「所有者不明土地対策協議会」を設けて対策を進める動きも始まっています。同協議会には専門職等から構成される「所有者不明土地利用円滑化等推進法人」(あらかじめ指定を受ける必要があります)が加わりますが、このような対応力のある行政をもたらすか否かも住民の声次第なのかとも思います。これもたいへん興味深く読みました。

成人の日の様変わり

新たに20歳になる住民のうち、東京都新宿区は45%、東京都豊島区は42%が外国籍の人なのだそうです。豊島区には学習院大学や立教大学がありますが、外国人留学生が増えているようで、豊島区の「20歳の集い」を取材した記事にはそれらの大学の留学生が登場していて成人の日の風景がずいぶん様変わりしているのを感じました。加えて留学生の進路希望として引き続き日本に滞在して仕事に就きたいと答える人が目立ちました。日本の世界における経済的地位はこれから先も下がる一方なのは確実ですから、こうした外国人留学生の存在はありがたい限りです。
私が成人の日を迎えたのは40ン年前で、東京都北区の式に参加しました。北区在住の有名人「ケンちゃん」こと宮脇康之さんが同じく新成人として特別に壇上で紹介されたのと、やはり壇上に陣取る全区議がいちいち紹介されていたのが退屈でしょうがなかった思い出があるだけでした。
当時は外国人留学生を見かけることはありませんでした。街中で見かける若い外国人といえば、モ○モ○教の布教活動(「クイズダービー」に出ていた外国人弁護士もやっていたやつ)をしている連中というのが通り相場でした。
外国人留学生と交流した経験と言えば東海大学にソ連政府から派遣されてきていた諸君(モスクワ大学等出身のエリートたち)を訪ねる機会があっただけです。後日その留学生の一人が米国亡命したので、交流はそれで沙汰止みとなりました(まだ冷戦下の時代だった)。

ミュージアム展示も学芸員次第

熊本県宇城市の不知火美術館で現在「元寇750年特別企画展 蒙古襲来絵詞のリアル」が開かれています。観覧料無料ということもあって2回も観覧しました。今回の展示のメインは、「蒙古襲来絵詞」の複製品ですが、正確に言えばカラーコピーとなっています。どうせ見るなら同時期に福岡県太宰府市にある九州国立博物館でまさしく東京国立博物館蔵の江戸時代の模本実物が展示されていますのでそちらがお勧めです。
不知火美術館の展示で目を引いたのはむしろ長崎県松浦市から貸し出された海底からの出土物の方で、展示解説も整っていました。これはおそらく松浦市側からの支援を受けたからだと思われました。それと、地元関連で言えば、小川町海東の塔福寺所蔵の「竹崎季長寄進状」と「竹崎季長置文」、松橋町竹崎の秋岡氏所蔵文書の「沙弥法喜寄進状」(昭和53年2月2日、県重要文化財指定)が展示されていたのですが、これらはいずれも竹崎季長本人が書き記した書状でしかも実物展示でしたからはるかに観覧価値が高いものでした。しかも熊本県立美術館の監修を受けたと思われる解説表示も備えられていました。
特に「竹崎季長置文」は、海東阿蘇神社の運営規則を季長が自ら書き定めた文書で、その口うるさい決めごとの数々は、策定者の人柄が伝わり、読むと思わずニヤリとさせられます。神社の管理がずさんな者はすぐに辞めさせて交代させろなどと書かれています。
話は飛躍しますが、現在の多くの神社が属する神社本庁の政治団体「神道政治連盟」ではLGBTの人々を不当に差別する冊子を発行しています。多くの神社(実態はスピリチュアルグッズ販売ビジネス)はこのように愚劣きわまりない者によって管理されていますので、季長の置文の精神を少し見習ったがいいかもしれません。
なお、「沙弥法喜寄進状」を所蔵する秋岡氏の現当主・廣宣氏は、県内の私立女子大の尚絅学園理事長です。30年以上前になりますが、当時熊本放送のテレビ営業課長だった同氏らとインドネシアへシンガポール経由で旅行した縁があり、今も年賀状のやりとりが続いています。廣宣氏の父・隆穂氏は旧・松橋町長。三島由紀夫を見出した蓮田善明(慈恵病院の現院長の祖父)と戦時中、同じ部隊にいました。シンガポールで迎えた敗戦後に「中条豊馬大佐の軍人らしからぬ、あまりの豹変と変節ぶりに多くの青年将校らは憤ったが、中でも蓮田の激昂は凄まじく、その集会の直後にくずれて膝を床につき、両腕で大隊長・秋岡隆穂大尉の足を抱いて、「大尉長殿! 無念であります」と哭泣した。その上、中条大佐の日頃の言動には不審な所が多かったため、蓮田は中条大佐(注:蓮田に射殺される、その後蓮田は自決)を国賊と判断した。」と、その名があります。小高根二郎編集の『蓮田善明全集』(島津書房)の中にも小高根による「昭和四十四年八月十九日、大隊長秋岡隆穂大尉、聯隊副官鳥越春時大尉出席のもと 熊本は水前寺で催された善明二十五回忌追悼會の席で、」の記述があり、名前を確認することができます。
いろいろ話が横道にそれましたが、不知火美術館の場合、施設の器は新しく小ぎれいでスタバなんかもあって集客力は優れているのですが、展示方法はどこかシロウトっぽい気がします。しっかりした学芸員がいないのかなと思わされました。
https://www1.g-reiki.net/kumamoto/act/print/print110001190.htm
https://www.city.uki.kumamoto.jp/hihyoji0/hihyoji/2268958

『企業の責任』〈増補・新装版〉出版CF

昨日から始まったCF。4000円(注:システム利用料別途)で出版計画の1冊がリターンで送られてくるのでさっそく応じてみました。
「目標額を達成した場合、『核心・〈水俣病〉事件史』(富樫貞夫著 石風社 予価2500円+税)の出版制作費に充てます。刊行は、2025年3月の予定です。」とありましたので、そちらの刊行も楽しみです。

介護難民続出への道は近い

1月10日の報道で気になったのは介護事業者倒産が過去最多となった記事。物価高と人手不足が要因とされていますが、最も倒産が多かった訪問介護については、介護報酬の引き下げという政策的な悪手が元凶といって差し支えないと思います。いわゆる団塊の世代(1947-1949年生まれ)が後期高齢者となり、これからますます要介護の人口は増えていきますが、介護難民も増えてくると考えられます。もはや稼げる国ではないので、海外から介護人材を入れるのもそう簡単にはいきません。介護保険料を払い込みする一方で、将来介護サービスを受けるのは無理かもしれないと考えて生きるしかありません。

篠沢教授に全部ではなくて

昨夜、Xで「はらたいら」がトレンドワード入りする珍現象が発生したのだそうです。平成世代には漫画「かいけつゾロリ」の原作者・原ゆたか先生と間違えそうな名前かもしれませんが、はらたいらさんといえば、昭和の名物クイズ番組「クイズダービー」のレギュラー出演者として有名なナンセンスギャグ漫画家さんです。新聞・雑誌を多読した豊富な知識に基づく正答率の高さが評判でした。
ついでに言うと、この報道のおかげで私の脳内には、やはり同番組のレギュラー出演者であった、篠沢教授の名前がトレンドワード入りしてしまいました。同番組で一発逆転を狙うときの「篠沢教授に全部」も当時は流行ったかと思います。今から41年前になりますが、その研究室におじゃまして教授にお話を伺った経験があります。このときの一番の思い出は、取材を終えて研究室から退室する際に、ドアにこれまた同番組の出演者である斉藤慶子のサイン入りセミヌードカレンダーが貼られてあったのに気付いた点でした。つまり、「斉藤慶子に全部」もっていかれたというわけです。

能登の被災から学ぶこと

1月8日の熊本日日新聞(21面)に宇土市から石川県輪島市へ支援のため1年間派遣されている職員さんのことが紹介されていました。私も以前から知る職員さんで昨秋石川県まで激励に赴きました。
能登の震災と水害の状況に接すると、公助の先細りが共助・自助の弱体化を招いてきたと思います。これから人口減少社会になっていく地方において、優良農地を開発して新築住宅を過剰に供給するのは考えものです。いざ発災となれば、既存住宅地の空家が復興の障害となりますし、老朽化によって維持管理しなければならない道路や上下水道といったインフラ設備が増えることは、確実に公助の原資を圧迫します。
新興住宅地ではコミュニティが育ちにくく、自分で自分を守れるどころではないため、ましてや他人様を助ける余裕はありません。
能登の被災状況からこれからの地域づくりを学ぶ点は多いと思います。

関さんは悶々としている

昨年は「虎に翼」や「光る君へ」といった国内のテレビドラマに親しむ数少ない機会がありましたが、いまはそれがないので、無料のネット動画でロシアのテレビドラマをもっぱら視聴しています。大学生のときに少しロシア語を学習した経験があるので、いまでもキリル文字の字面から発音を読み取る程度はできますが、さすがにロシア語字幕では筋を追うのは困難なので、基本は英語字幕に頼っています。
自動生成のおかげでロシア語音声によるドラマであっても、英語変換だと割と正しく翻訳されますが、これが日本語変換だとちょっと使い物にならなくて、ドラマの本筋から離れてすっかり空耳アワーに陥ってしまいます。
自動生成といっても翻訳対象がテキスト(文字)データであれば、なんとかなります。しかし、対象が音声データであれば、AIくんが空耳状態に陥ると、変換された原語テキスト自体のスペルが別のものになるので、当然のことながら外国語の変換テキストも空耳翻訳になってしまうのだろうと思います。
下記に空耳翻訳事例を示してみます。
ロシア語:Секи за ней кулис фраерсуется
英語:Seki behind her in the wings is being a jerk
日本語:関さんは楽屋裏で悶々としている
このように音声言語に関してAIくんが本領を発揮してくれるのはどうしても英語中心なのだろうとは思いますが、海外のテレビドラマを見ると、その土地の歴史や文化、国民性の深い部分がつかめるので、新鮮です。
ところで、特にソ連時代のロシア社会では家庭内で市民が政治的な活動をしないためにテレビでは盛んに娯楽番組(市民が良からぬことを考える時間を奪うため)を流していました。私もその当時、宿泊先のホテルでそうした番組(写真=右下は現在のウクライナ、キーウのホテルのテレビ 1989年)を見た覚えがあります。
現在は海外各地の英語ニュース番組が視聴できますので、国の権力がテレビでいくら娯楽番組を流しても市民がそれに釘付けとなるのは難しい時代になったのではとも思います。

新聞広告雑感

昨日の地元紙1面の記事下広告の内容と配置には、ちょっと考えされられました。
写真左側には「外国人ヘイトではない!」というコピー入りで、特定の外国人を排斥する出版物の広告が載っています。
この出版社の経営者は、さまざまな陰謀論を信奉するずいぶん奇特な人物のようで、同社ではもっぱら怪しい健康学やスピリチュアル関係の書籍を好んで出版しています。それら出版物の著者もアカデミックな言論界では無名の人が多いようです。
https://note.com/inbouron666/n/ndcdd031a3685
思想信条の自由、出版や表現の自由はありますが、ヘイトスピーチの自由というものがあってはなりません。人権侵害を赦してはならない新聞社がこのような破廉恥な広告を載せることに、疑問を感じました。
一方、写真右側には、岩波書店の『論理的思考とは何か』や『学力喪失』の新書広告が載っています。岩波書店が発行する雑誌「世界」では今年5回に分けてノンフィクションライターの安田浩一氏による「ルポ 埼玉クルド人コミュニティ」が連載され、在日クルド人がいかに不当な差別を受けているかを告発しています。神奈川の川崎で在日コリアンの人たちに対して不当な差別デモを繰り返している連中が、わざわざ埼玉の川口や蕨まで出向いて外国人ヘイトの活動を続けていることなどを記事では明らかにしています。
私たちの社会に、ネット上のヘイトデマやヘイト本に易々と騙されるような、論理的思考ができない、学力がなくて無知な層が一定数いるのもまた事実です。それだけに、岩波新書の広告が、左隣りの出版物の読者層を揶揄しているようで、これはこれで一種の皮肉を込めた広告配置として見なければならないのかなと感じました。

世界2025年1月号メモ

ブルース・W・ジェントルスン『制裁 国家による外交戦略の謎』(白水社、3000円+税、2024年)を読む合間に、2025年1月号の『世界』の記事を何本かまとめて読む進めたので、記憶にとどめたい記述の抜き書きは以下のように、まとめてのメモとなりました。その前に、『制裁』のP.37から次の記述を示します。「国家を維持し、反乱を未然に防ぎ、……臣民の善意を維持するための最良の手段は、敵を持つことである」。元は古典哲学者のジャン・ボダンの格言。
○「悪法と戦争 ロシア政府がチャイルドフリーを弾圧する背景」奈倉有里(ロシア文学研究者)…ロシアでは前代未聞の法が増加している。2024年9月末には、特殊軍事作戦参加者の刑事責任を免除する法律が採択された。刑事責任を免除されるだけでなく、訴訟手続きの司法段階での処罰も免除される。なんらかの罪状で逮捕された場合「被告」の状態ですでに契約兵になるかどうかの選択が可能で、戦争に参加するとなれば罪を犯した事実自体が帳消しになる。戦争参加時の勲章の授与いかんでは過去の犯罪歴までが抹消される。
○「地域社会の疲弊、マルチハザード化する災害 能登半島地震が問う災害対策の視座」廣井悠(東京大学)…自分で自分を守れない自助、コミュニティが崩壊して助ける人もいない共助、そして老朽化するのに防災投資どころではない公助という社会変化が今後は予想され、自助・公助・共助の隙間が増加して地域としての「対応力」が著しく低下する。
○「対談『光る君へ』の時代と政治」宇野重規(東京大学)×山本淳子(京都先端科学大学)…1000年前後の時代は、「怨霊」がもたらした平和な時代(山本):内戦がほとんどない時代。死刑制度がありながら、数百年の間、死刑の執行がなされなかった。暴力に対する忌避感とか嫌悪感があった。恨みを抱いて亡くなった人は死ぬと怨霊になって、強大な力をもって仕返しするという「負の連鎖」を知っていた。恋愛力が政治を変える?(宇野):政治の只中にあった人が、武力とか暴力を使って政治権力を得るのではなくて、恋愛の力で既存の秩序をひっくり返してしまう痛快さ。源氏物語が示す人徳・調整力(山本)・政治的なアート=技(宇野):異なるものの見方とか、利害を持っている人たちが共存するためにどうやって知恵を出し合っていくかが、本来の政治。敵対した相手を殲滅するとか、否定することを目的にしている政治は本来の政治ではない。日本型組織と摂関政治(山本):名前のある長を、お飾りのように置いて、実質的にやっていくのは番頭さんたちという、中心の空洞化が日本の組織の特徴=摂関政治(自分の娘を魅力的にする必要があるので文化的あるいは美的に素晴らしい娘に育て上げることを実行)。
○リレー連載「隣のジャーナリズム」欄「戦争を書く 自分を疑う」前田啓介(読売新聞記者)…2025年は終戦から80年にもなる。戦争の時代を再現するという営みは、今を生きる体験者の証言から、記録された証言の丹念な渉猟へと変えていくべき時期に来ているのではないか。
○「夜店」欄「変化のなかの『本の街』 神保町という現象」スーザン・テイラー(人類学者)…大学院レベルの研究では、しばしば❝So what?❞つまり「だから何なのか」という問いが投げかけられる。

たかが読者だが

読売新聞については新年号だけ購入するぐらいで、普段は同紙から敵視される朝日新聞のたかが読者を永年続けている私ですら、昨日亡くなったナベツネ氏の存在は良く知っています。40年以上前になりますが、実物は一度だけ見たことがあります。青山学院大学で開かれた読売新聞のマスコミセミナーの挨拶かなんかで、当時専務だった氏が登壇した覚えがあります。当時は中曾根康弘政権で、その頃から氏が首相と昵懇だったのは公然の事実でしたので、「社会の公器」と言われる新聞社幹部でいながら、いわば権力の走狗となっている人物のツラだけ見てやろうという気持ちがあったのだろうと思います。
それとこれも同時期の読書遍歴からの記憶ですが、在日朝鮮人二世の小説家である高史明の著書『生きることの意味』のなかで、共に戦後日本共産党に入党歴のある高史明とナベツネとの接点が書かれていて、路線対立から高らが属していた山村工作隊にナベツネが拘束されて謀殺されかかったところを、高が救った逸話もあって、何かと印象が強い人物です。
本日の朝日や共同通信の評論を読むと、権力者・独裁者という側面に焦点が多くあたっています。資質的にそういう面があったのだろうと思います。逆にその源泉はなんなのだろうと考えます。氏も東京大学在学中に従軍経験があって旧軍内での初年兵いじめを受けています。開戦から敗戦にいたる政治指導者の責任に対する氏の厳しい言葉からも、エリートの知性に対する強烈な期待感、渇望がうかがえます。これもよく知られる逸話ですが、国立国会図書館を最も利用した中曾根康弘氏とナベツネ氏は、毎週読書会を行う仲でした。そのこともあって、他の政治家や新聞記者、ましてや読者がバカばかりに思えて仕方がなかったのだろうと思います。その結果が、たかが読者連中への憲法改正草案を示す驕りだったのではないかという気がします。読売新聞にとっては、今回ナベツネの重しがとれていくらかでも論調が自由になることを期待します。
それと、憲法改正草案を作成したエリートとして現在の自衛隊トップ・吉田圭秀統合幕僚長についても注目したがいいと思います。『世界』2024年12月号の水島朝穂早稲田大学名誉教授による論考「『軍事オタク』首相の思考法を読み解く」は、2004年の石破茂防衛庁長官時代に、現在の中谷元防衛大臣が、当時陸幕防衛班長の吉田圭秀二等陸佐に改憲案を起草させたことがあると指摘しています。その案には、軍隊の設置と権限が明記され、「集団的自衛権を行使することができる」という文言も含み、国家緊急事態の規定のほか、軍刑法や軍事裁判所、国民の国防義務まで明記されていたとあります。水島氏は条文としては未熟と評していますが、単なる軍事オタクの防大出にはできない、東大出の吉田氏だからこそできた芸当だと思います。幕僚監部の防衛班長(二佐)、防衛課長(一佐)、防衛部長(陸将補)とキャリアを積む幕僚長候補の超エリートを指して「三防」という言葉が自衛隊にはあるそうですが、吉田氏はまさにその後「三防」のコースを歩んでいます。
自衛隊については前防衛大臣が指示した特別防衛監察の結果がうやむやのままです。新聞が果たす使命は、そうした権力や組織への不断の監視しかないのだろうと、たかが読者、されど読者は考えています。

データつまみ食いの陥穽

エマニュエル・ドットの『西洋の敗北』を読み終わりました。本書の前に読んだピーター・ゼイハンの『「世界の終わり」の地政学』と比較すると、米国とロシアについての見方が対照的なので、その点がもっとも印象的でした。結論が異なるには必ずワケがあります。結論を補強する指標の集め方に違いがあるのか、同じ指標でも重視するポイントに違いがあるのかです。政治や経済、社会については、自然科学の実験とは異なり、再現して証明することができません。どうしても既存の指標をどう読み取るかで、対象の見え方が違ってきます。
トッドは、米国の実態を弱く捉え、ロシアのしぶとさ、したたかさを強く考えていますが、ゼイハンはまったく逆です。でも、どちらも首肯できる点があります。トッドは、実体経済、ことに工業生産やそれを支えるエンジニア人材の層の指標を重視しているように思えます。ロシアの人口は日本よりちょっと多いぐらいですが、2倍以上の人口を持つ米国よりエンジニア人口の絶対数は多いので、意外と工業生産力はあり、継戦能力が高いと、トッドは見ています。一方、米国内の政治家や弁護士、銀行家といった人材は、およそ生産性のない寄生虫集団呼ばわりしています。
しかし、ロシアのネックは人口の割に国土が広すぎる点です。領土を広げても安定的な統治管理は困難を極めます。その点、米国にはエリートの移民を引き付ける力があります。トッドの著書によれば、米ハーバード大学に占める学生の属性はかつてユダヤ系が高かったのですが、現在はアジア系が最も多くを占めています。米国人の学生がロースクールやビジネススクールへ向かう一方で、米国での2001~2020年の博士号取得者数のベスト10には①中国②インド③韓国④台湾⑤カナダ⑥トルコ⑦イラン⑧タイ⑨日本⑩メキシコとなっており、隣国のカナダとメキシコを除くとアジアの出身者が多いことがわかります(p.303)。しかもアジアの出身者は工学系あるいは科学系の博士号の取得比率が高いのが特長です。トッドが示す指標からむしろゼイハンの主張がより納得できる思いがしました。
ちょうどけさの新聞では経産省試算による2040年の発電コストを報じていて、それでは二酸化炭素対策コストがかさむLNG火力が原発より割高とされていましたが、核のごみ処理コストなどは考慮されていないようで、見掛け倒しの数字の疑念も抱きました。
同じように判決文も読み方次第でいかような主張もできます。やはりけさの新聞で、首相は八幡製鉄事件最高裁判決を引き合いに企業献金全面廃止は違憲だといっていますが、ある憲法学者は用途限定ない企業献金は禁止可能と判決文から読み取った旨を寄稿していました。
データつまみ食いの陥穽とならないよう気をつけたいものです。

AI、原発、避難計画の無理

最近はリアルなタレントではスキャンダルリスクもあるため、AIタレントの起用が増えてきているそうです。日頃、いろんな方の情報に触れますが、一つの情報だけではなくて周辺情報を含めて判断しないと、安易にその人物を信用してはならないなと、思うことが多々あります。またそうした判断はなかなかAIには難しいのではないかと思います。
いくつか今月出合った事例を挙げます。ひとつめは市の広報紙で秋の叙勲者を紹介していたのですが、その方が居住している地域ではリサイクルゴミを分別せずに収集場所へ毎度持参するトラブルメーカーとして有名なので、せっかく受賞されたけど、周囲で祝ってくれる人がいるのかなと思いました。二つめは地元紙の読者投稿欄に小学校で戦争講話をしているとか、平和が大事と訴えた方の例。その方は地方議員もしているのですが、核兵器禁止条約の批准を求める意見書採択には反対票を投じていたことを知っているので、非戦・不戦の本気度がどの程度か疑問でした。
三つめは全国紙のインタビューで原発の新増設を主張していた早稲田大学教授の例。この方はある経済誌勤務時代に他の全国経済紙の記事を盗用したほか、勤務先に無断で自分が代表を務める競合会社を作り、そこを受け皿として勤務先の取引先(その後取締役に就任し総務行政との仲立ちにも活躍)から報酬を得ていました。経済誌を退社後は、東電管内利用者と東電福島第一原発事故被害者をいがみ合わせる原子力損害賠償制度のスキームを構築した経産官僚を高く評価する本を出版して原子力ムラへ食い込み、以降、原子力推進の論陣を食い扶持にしているようです。
12月7日に半径30km圏内に約45万人が居住する島根原発2号機が再稼働しましたが、避難の指揮をとる県庁自体がわずか10km圏内にあるのですから、事故発生となれば避難対応ができるとは限りません。たとえ避難ができても原発事故により放射能汚染を受けた元の居住地へ帰還を果たすことはできません。このように再稼働さえリスクは高いのに、わざわざ新増設まで主張するとは、その発言の先には人の命も財産もまったくありません。
12月7日に放送された下記の番組は良質だとおもいました。
ETV特集 生誕100年 映画監督 岡本喜八が遺(のこ)したもの
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/EMXM874P3P/
NHKスペシャル “国境の島” 密着500日 防衛の最前線はいま
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/P2GLM241J5/

戦場体験者としての源了圓

アジア・太平洋戦争期の大陸打通作戦に参加した冬兵団の初年兵だった松浦豊敏氏について昨日投稿しましたが、旧制宇土中学校で松浦氏の5年先輩にあたる東北大学名誉教授・源了圓氏の戦場体験についてもメモを留めたくなりました(松浦氏1943年3月卒業、源氏1938年3月卒業)。
2020年9月に100歳で亡くなられた源了圓氏の専門は、近世日本思想史。没後翌年の2021年に中公文庫から出た著書『徳川思想小史』には、初出の2007年刊の中公新書版にはないエッセー「自分と出会う」が増補されています。氏は、京都大学在学中に学徒出陣により兵役につくのですが、海岸を歩いていたときに背面から米軍機が接近し、一瞬かがんだ頭の先に機銃掃射を受け、危うく命を失いかける体験をしたことを、そのエッセーの中で明かしていました。
20代前半で「死」を強いられかねない体験が、その後の人生に大きく影響を与えたことは、エッセーのタイトルからも容易に感じ取れます。
戦後復学し、歴史学者の道に入られて、おかげで私が高校生のときは、氏が執筆された「倫理・社会」の教科書で、しかも氏と旧制中学時代の同級生の法泉了昭先生から学びましたが、このエッセーに書かれたことについてももっと早くに学べていれば良かったとも感じます。