2020年」タグアーカイブ

国際法との出会い

このところ山室信一氏の3年前の著書を再読したついでに、2005年に岩波新書から刊行された、やはり同氏著の『日露戦争の世紀』を読み返しています。
同書の第1章は、日本が近代国際社会への参入した頃を描いています。幕末に締結した日米和親条約(1854年)や日米修好通商条約(1858年)は、日本にとって不平等な内容でした。それに対して日露和親条約は例外的に同等で双務的な内容でした。現代の感覚では意外ですが、日本とロシアとの出会いは平和的でした。それらを経て、明治政府は国際法を遵守することによって外交を行うという宣言しました。当時、国際法は「万国公法」と呼ばれ、マーティン(漢名:丁韙良)が1864年に漢訳した書名『万国公法』(原著『国際法要綱』)によります。1872年に学制が公布されると、京都府では『万国公法』を小学校の句読科の教科書に指定するなど、受容に努めました。教科書といえば、時代が下って1941年に出された国民学校2年生用の国定修身教科書「ヨイコドモ」では「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国」というように自民族第一主義、神々に作られたという非科学的な神国思想を吹き込む道具であって道を誤った歴史も忘れてはならないと思います。
もっとも、当時の国際法は、「無主の地」であれば先に占有したものの所有となるという「先占の法理」が働くのが基準でしたから、欧米列強が植民地や被保護国を求めて広げていく時代でした。日本もその当時の秩序に乗っかって周辺の「非文明国」を勢力下に置こうしたのも事実です。国際法で最初に痛い目に遭った日本が国際法を利用して「一等国」になろうとのし上がりそして自壊した歴史があります。
現在の世界を見渡すと、自国第一主義、自民族第一主義の勢力が強まってきています。その流れを変えて、もっと高い基準の国際法を定めて守らせる努力が必要です。過ちを経験した日本だからこその発言や行動ができるはずです。

国内法と国際法の関係について

国内法と国際法の関係について放送大学テキストの『法学入門』の記載からメモを残しておきます。私自身は仕事柄少し国際法とは縁のある、行政書士という立場にいます。たとえば、在日外国人の難民認定についていえば、当然に難民条約の規定を意識しなければなりません。それだけではなく、迫害の背景を知ることも必要になります。インターネットを利用する上での著作権侵害の問題を検討するとなれば、まさしく世界に影響しますから知的財産保護の条約の規定も意識しなければなりません。といっても、いつもすらすら頭脳から湧き出すことはないので、必要に応じて資料にあたる作業が求められます。
まず国内法は必ずしも国内だけに適用されるものではありません。日本の刑法を例にとると、日本国民または外国人が、内乱罪、通貨偽造罪などを犯した場合(すべての者の国外犯)、日本国民が殺人罪、業務上堕胎罪などを犯した場合(国民の国外犯)、そして外国人が日本国民に対して殺人罪、強制性交罪などを犯した場合(国民以外の者の国外犯)は、適用されます。ただ、立法・執行・司法の国家管轄権が競合することがあるので、それは属地主義が基本となります。次に国際法(条約と慣習国際法)はどうかというと、国家はそれを遵守する義務があります(国内法援用禁止の原則はありますが、国際法に違反する国内法はただちに無効となるわけでもありません。しかし、国際法上の国家責任は問われます)。それにとどまらず、条約についてはそれぞれの国家で一定の措置が取られた後に、慣習国際法についてはなんらの国内的措置も取られることなく、国内的効力をもつとみなされています。
そこで問題なのは、国際法の国内的効力がどう確保されるかです。第一は、条約を国家の国内的な手続きを経て公布・発表する一般的な受容方式で、日本や米国、中国など多くの国家で採用されています。第二は、条約の内容を国内法のなかに移し替える変型の受容方式で、イギリスやスカンジナビア諸国で採用されています。なお、慣習国際法は特段の措置をとることなく国内的効力が認められています。
さらに、国際法を直接に国内裁判所が適用して判決が下せるかという問題があります。これに関連して国際法の国内的序列の問題もあります。日本においては、憲法と条約とでは憲法優位説が支配的とされています。慣習国際法と法律とでは慣習国際法が優位であり、憲法とでは憲法が優位と一般に考えられています。
そこで、前記の国際法の直接適用の問題ですが、最近の裁判例として以下があります。
・受刑者接見妨害国家賠償請求事件(高松高判H9.11.25)・・・受刑者が接見を制限されていることについて「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」14条(公正な裁判を受ける権利)違反を主張した例。→監獄法施行規則という法令よりも上位にある人権条約違反にあたらないかが審査され、損害賠償が認められた。最高裁判決では逆転敗訴となった。
・大麻取締法・関税法違反事件(東京高判H5.2.3)・・・外国人の被告人が通訳料の負担を命じられたことについて同規約14条3項(f)(無料で通訳の援助を受けること)違反を主張した例。→条約の具体的規定を裁判規範として用いて、通訳料の負担を命じた国側の行為が違法と認められた。ただし、現在も刑事訴訟法第181条第1項本文の改正は行われていない。
・小樽入浴拒否事件(札幌地判H14.11.11)・・・公衆浴場への外国人の入浴を拒否されたことについて同規約26条(法の前の平等・無差別)および人種差別撤廃条約5条(f)・6条違反を主張した例。→民法1条、9条、709条の解釈にあたっての基準として人権条約を間接適用し、入浴施設に賠償支払いが命じられた(高判で確定)。市の条例制定責任は最高裁まで争われたが認められなかった。
本書ではあまり触れられていませんでしたが、国内の人権状況が各条約機関からどのようにみられているのかについて確認する必要があります。ほんとうに国際水準に達した人権先進国なのかどうか、各条約機関から勧告の対象となっている国内法が意外と多いことを知ると驚きです。その点については、私が人権擁護委員として一端を担う法務省の人権擁護行政もお粗末極まりなくパリ原則が求める人権擁護機関の水準ではありません。人権委員会設置の方向も考えられているようですが、法務局の多くの職員はふだん国際法を意識することなく仕事をしています。

人権保障をめぐるノート

放送大学テキストの『法学入門』の第14章「国内法による人権保障と国際法による人権保障」の記述内容から人権保障について考えるノートを作成してみます。ふだん読書をするときに、大半は流し読んでしまうのですが、読む時期によっては、自分の仕事や関心ある出来事に関係するテーマに出会うと、ノート代わりにブログに投稿するようにしています。ブログに投稿しておけば、後でそれを読み返すときも容易に検索できるので便利です。自分の忘れやすい頭脳を補完してくれる外付けハードディスクのようなものです。同じテーマでも新たな知見を加えることによってバージョンアップすることもできます。それと、よくあるのがノートを付けると、元データの間違いをよく発見できます。このテキストでもいくつかの間違いを発見しました。最近のブログで取り上げた山室信一氏の著書でもよく西暦表記が間違っている記述がありました。このへんは、編集者の油断だと思います。しかし、『法学入門』は共著なので、もっと共著者同士のチェックが働いても良さそうなものですが、残念ではあります。
さて、まずは人権という概念の起源です。これは17世紀から18世紀にかけての近代ヨーロッパの思想家たちによってもたらされました。しかもそれは自然権としての人権です。次いで19世紀末から20世紀初頭にかけて、国家に対して特定の政策目標達成のための施策の遂行を求める権利、つまり社会権としての人権の概念が出てきました。
ただ、人権保障について国際法(条約と慣習国際法)によって主張される歴史の始まりは、第二次世界大戦後になってからです。国連憲章(1945年)、世界人権宣言(1948年)、国際人権規約(1966年)など。しかも、人権概念が世界共通であることに対する疑念は、絶えずありました。1993年に国連主催で開かれた世界人権会議においては、最終的に「ウィーン宣言および行動計画」が採択されましたが、当時、中国やシリア、イラン、マレーシアなどは「アジア的価値ないしは伝統的価値」を主張して人権概念の普遍性に対する批判を示しました。欧州や米州には地域的人権条約もありますが、アジアでは2012年にアセアン人権宣言が採択されたのに留まり、条約ではなく法的拘束力のない宣言に過ぎないため、規定内容が国際的基準に達していないとの見方もあります。条約となると、国家報告制度(締結国→条約機関)が課せられますし、国家通報制度(条約違反した締約国情報→条約機関)や個人通報制度が規定されます。
国際人権規約は、169か国締約の自由権規約(非締約国例:サウジアラビア、シンガポール、中国)と、164か国締約の社会権規約(非締約国例:マレーシア、キューバ、米国)の2つからなります。人種差別撤廃条約の締約国は178か国ですが、死刑廃止議定書の締約国は84か国に留まっています。締約国の顔ぶれでその国家のスタンスがうかがい知れます。日本が女子差別撤廃条約の締約国となったのは1985年でした。そのための国内法整備として父系血統主義から父母両系血統主義へ変更する国籍法改正が1984年になされましたし、男女雇用機会均等法が1985年に制定されました。
そもそも人権について考え始められた時代の「人」の範囲が今と同じであったかというと、そうではありませんでした。18世紀における「人」とは、あくまでも家父長であり男性だけでした。女性や子ども、障害者、性や民族・宗教などのさまざまなマイノリティーが「人」のなかに含まれるようになった歴史も意外と新しいのが事実です。
人権保障については、歴史的な違いと共に地域的な違いがあり、国内法と国際法との関係についても留意する必要があります。ひとつは、各国家がそれぞれの国内法に基づいて人権保障を行い、どのような人権保障をするかはその国家の決定事項、つまり「国内管轄事項」という考え方があります。もう一つの国際法の条約については批准するかどうかもそれぞれの国家の判断になりますが、慣習国際法となっている人権保障規定についてはすべての国家が守らなくてなりませんし、ジェノサイドや奴隷取引の禁止はいかなる逸脱も許されない強行規範となっています。したがって、「国内管轄事項」だけを主張できないのが、国際社会の常識になっています。
2006年に国連は総会の下部機関として国連人権理事会(前身は経済社会理事会の下部組織であった人権委員会)を創設しました。その下に普遍的定期審査(UPR)という制度が設けられ、国連の全加盟国について、それぞれの国内での人権状況を4年ごとに審査されることになっています。
こうして見ると人権保障をめぐり他国に対して発言する際は、国際法について理解しなければなりませんし、他国に対して発言すれば、自ずと自国の人権保障の状況についても振り返ってみなければなりません。障害者差別解消法、有期雇用労働者特別措置法、サイバーセキュリティ基本法、特定秘密保護法、リベンジポルノ防止法、いじめ防止対策推進法、ヘイトスピーチ対策法など、さまざまな国内法が近年整備されましたが、その内容についてもっと理解する必要を感じます。

相続についての研修受講

昨日、地元の法務局で相続についての研修を受ける機会がありました。主に最近ルールが変更になった制度についての説明でした。
まず、1点目は昨年7月1日より施行となった、「預貯金の払戻し制度」についてです。遺産分割前に相続人の資金需要に対応できるように、家庭裁判所の判断を経ることなく一定の範囲で金融機関に被相続人の預貯金債権の払戻しができるようになりました。しかし、注意を要する点があります。葬儀費用だけのために引き出すのであればよいのですが、引き出したお金を自分のために使ってしまうと、相続を単純承認したことになります。後日、プラスの財産よりも負債の方が大きかったことが分かり、いざ相続放棄や限定承認をしようと思っても、それはできません。ですので、この制度を利用する前に、被相続人の消極財産の有無や金額などを入念に確認しておく必要があります。払戻しは相続人が単独で引き出す前に必ず他の共同相続人の同意を取り付けるようにしてください。引き出したお金を葬儀費用といった遺産から支出しても構わないものの支払いに充てた場合は、必ず領収書を取っておいて、自分のために使ったのではないことを証明できるようにしておくことを勧めます。
2点目は、「法定相続情報証明制度」です。これは、3年前の5月29日からスタートした制度ですが、定着してきているようです。地元法務局管内の18歳以上の人口は9万人弱ですが、直近の3か月間で60件の利用があったということでした。被相続人の預貯金債権のある金融機関が多い場合はこの証明書を作成しておいた方が便利です。何枚もらっても無料です。
3点目は、今年7月10日に始まったばかりの「自筆証書遺言書保管制度」です。こちらは地元法務局管内で半月で3件ということでした。自筆証書遺言書ということで、高級和紙にしたためてこられた申請例があったようですが、スキャンすると紙のでこぼこの影が写るので避けてほしいということでした。遺言執行者に対する遺言者の死亡時通知は、来年の3月からの開始となるということでした。

チケット返券の問合せを受けて

東京オリンピックの開催延期に伴い、競技日程も変更になっています。そして、昨日、ようやくチケット返券希望の有無の問合せがありました。仮に開催となっても、元の会場定員での観戦入場が可能なのかどうか見通せないので、チケット販売をリセットしたいというのが、組織委員会の考えなのではと思います。返券を希望しない場合は、購入済みの状態が続行となるそうですが、観客を入れての開催が可能なのか、あるいは中止となるのではないかと、不安定な状態が続くことには変わりありません。

持続化給付金の不正受給を誘う悪質商法に注意

独立行政法人国民生活センターは、7月10日、受給資格がない人に持続化給付金の不正受給を持ちかける手口の悪質商法への注意情報を公表しました。不正受給を行うと、氏名が公表されたり、利息を含めて返還が求められることとなります。絶対にそうした誘いに乗らないようにご注意ください。

新型コロナウイルスに便乗した悪質商法にご注意!(速報第7弾)-受給資格がない人に持続化給付金の不正受給を持ちかける手口に気をつけて!-

なお、行政書士は、持続化給付金の適正な申請を、適正な報酬で業務として行える、唯一の国家資格者です。不法に申請業務を請け負い法外な報酬を請求する非行政書士の誘いに乗らないよう十分ご注意ください。

過去を見ないで今の理解はできない

昨夜はJ3ロアッソ熊本の岐阜とのアウェイゲームをネット速報観戦しました。残念ながら開幕からの5連勝とはならず、今季初敗戦となりました。順位は秋田と勝ち点3差で2位となっています。現在首位の秋田は、2017シーズンにJ3優勝したのですが、当時はJ2ライセンスを持たなかったため、そのときJ2からJ3への降格圏内にあったロアッソは辛くも残留できた恩義があります。しかし、翌シーズンに結局のところ降格し、現在2季ぶりのJ2復帰を目指しています。秋田は2018シーズンからJ2ライセンスが交付されましたから、今季秋田と熊本が共に昇格できればと思っています。それにしても、つい3年前にもならないこうしたいきさつを私たちはつい忘れがちです。
いかに普段の私たちが過去を忘れて今の状況に対して何の疑問も持たず過ごしているかということを、少し学習してみればすごく気づかされます。今読みかけなのは、放送大学テキストの『法学入門』ですが、現行法の基本概念の解説というよりは、時代や地域を広く見渡して法や権利の成立から考える組み立てとなっています。たとえば法律系の資格試験の学習となると、現行法を要件事実にあてはめてそれが妥当かどうかだけを考えてしまいます。つまり現行法を絶対視しまいがちです。しかし、本書では、今私たちが生きている社会において「あるべき法」とは何か、という視点を大切にしています。そのためには歴史的経緯、地域や民族、宗教の違いについても理解しなければなりません。すぐれて政治哲学的な問題に帰結すると思います。
一例を上げると、イスラム法(本書では「イスラーム法」と表記)について私も含めて一般の人がどの程度の知識を持ち合わせているでしょうか。イスラムとは、唯一神アッラーとその預言者であり使途であるムハンマドを信じ、聖典クルーアーンに従って生きることを説く7世紀に成立した宗教です。ユダヤ教やキリスト教の成立よりははるかに新しい宗教です。イスラム教の世界では、そこでの規範がすなわちイスラム法という宗教法であり、違反行為に対する制裁が現世のみでなく、来世にも予定されています。来世までも律せられる法があるというのは、西欧発の近代法になじんでいる現代の人から見ると、それだけで驚きだと思います。それと、イスラム教の宗派の違いはイスラム共同体の正当な統治者であるカリフの資格に係る議論から出てきますが、13世紀にはチンギス・ハーンの孫の勢力によってカリフが殺害されて、カリフが不在となる歴史があったことも知っておくことが必要だと思います。もっとも、現代のイスラム世界には、そのほとんどがヨーロッパ列強に植民地化された歴史がありますから、近代法が導入されています。したがって、宗教法がストレートに適用されているのではなく、いくつかのイスラム国家では国内法においてイスラム的価値観が反映されています。
価値観の違いは、先に挙げたイスラム以外にも歴史上いくらでもあります。清朝時代の中国がアヘン戦争でイギリスに敗北し、不平等な南京条約を結ばされ、莫大な賠償金と共に香港島が割譲されたというのが、日本の歴史教科書でも定番の記述であり、現在の国際法の枠組みではありえない中国にとっては屈辱的な歴史上の事件といえるかもしれません。ですが、その南京条約の漢語原文にあたってみると、敗北した清朝の中華思想が見え隠れするという研究者の指摘もあるそうです。言い換えると、遠路はるばるとやってくる英国の商船が往々にして損壊しその補修が必要であるため、それほどの困難に直面している英国商船を憐れみ、中華の皇帝が恩情を示す形で香港島を「給予」(与える)すると、読み取れるといいます。中華思想とは、もっとも徳の高い人物が天命を受けて世界の中心たる中華に君臨して世界を統治し、その周辺に生きる異民族はその中華の徳を慕い朝貢するものとされた、近代国際法とは何の関係もなく成立した世界観です。近代国際法を前提としない清朝と近代国際法で動いているイギリスとが向き合って結んだ条約のいびつさを注目してみると、現代の中国の思想・行動原理も残滓があるように思えます。
イスラムと中国について触れましたが、日本における法と権利の成立過程もたいへん興味深いものがあります。江戸時代の日本も公権力が私人を裁く刑法といった法はありましたが、そもそも権利、私権というものはなく、今でいう民事訴訟の制度もないに等しい時代でした。権利という訳語自体は中国経由で西欧から伝わりました。明治期にフランス民法典の翻訳作業のなかで「民権」という訳語を学者が試みたところ、政府関係者から「民に権があるとは何事か」と批判を受けたエピソードが残っているぐらいです。権利利益の実現と現代では軽く口にしますが、歴史的には権利を手にすることはここ日本においても随分新しいことということを意識します。

代替大会開催

高校スポーツの各種代替大会が開かれています。昨日は県高校総体ウエイトリフティング競技に代わる「2020熊本県高等学校ウエイトリフティング競技大会」が実施され、9人の3年生選手が出場しました。記録的には低調でしたが、一つの区切りにはなったかと思います。高校に連なる大学スポーツも練習や試合が制限され、競技実績の点では空白の期間が長引きそうです。この期間を利用して基礎体力を付けるのもいいでしょうし、さまざまな理論を学ぶのもいいでしょう。いずれにしても第一線の選手としての活躍期間はそう長いものではありません。スポーツ以外の世界の学習に専念することも進めます。

タレント学者と自称歴史家を野放しにできない

けさの朝日新聞読書面で、日本中世史が専門の呉座勇一氏が石井妙子著『女帝 小池百合子』の書評の最後で「職業倫理や専門性を持たないタレント学者や自称歴史家のもっともらしいヨタ話が社会的影響力を持つ様を、評者は何度も目にしてきた。私たちが対峙すべきなのは、表面的な面白さを追いかける風潮そのものなのである。」と書いていました。この記事を目にしたとき、あれやこれやと該当する手合いの名を思い浮かべました。日頃TVやSNSで見かける著名人の8割がたはこうしたヒマな方々なのではないかと思います。呉座氏が危惧する風潮に抗するためにも、こうしたタレント学者と自称歴史家を野放しにできないですし、地道に信頼できる事実の積み重ねに基づいた検証結果を広めるしかないと思います。
再三引き合いに出している、山室信一氏の著作の中には、明治期からアジア・太平洋戦争にかけての期間に、言論界や諜報活動、教育機関で活躍した熊本出身の人物たちの姿が描かれています。自らの思想や学問を広げたり、追究したりするために動く人物もいる一方で、国策に乗って動いた人物も多数いました。後者については、国の意向に沿った世論形成、軍部の手先という側面もありました。そしてそうした行動は、権力からの資金的援助もありました。結果、歴史上いろんな過ちを起こし、関係諸外国・地域と歴史認識をめぐって現代もあつれきが横たわっています。

知らずに語るのはみっともない

まだ『アジアびとの風姿』を読んでいます。主に明治期からアジア・太平洋戦争までの間に中国や台湾、朝鮮・韓国と関わりがあった、熊本出身の人々が多数登場しますが、現代と比べて当時の人々の知識と行動力の豊富さに圧倒されます。もちろん、海外と関わりのあった人々に限ってのことですから、平均的な水準をいうつもりはありませんが、近さ、結びつきの濃さを感じます。かかわりをもつ動機もさまざまで、現代の視点からみると推奨できない点もあります。しかし、一つひとつのエピソードを辿ると、現代の人々が本当に相手の事情を知って国際関係について語っているか疑問に思えてきます。もっと歴史を知るべきだと思わされます。

法制度の連鎖で見るもの

山室信一氏の著作を紐解くと、法制度の連鎖で見えてくる関係が新鮮に思えます。
まずは3年ぶりに再読した『アジアびとの風姿』の記述から興味深く感じた視点をノート代わりに列記してみます。(なお、伝えたいことを書いているわけではありません。)
中国(唐・明・清)→熊本→日本(明治新政府)→植民地
欧米→日本(明治新政府)→中国(清、中華民国)
・日清戦争直前まで東アジアにおいて大きなプレゼンスをもっていたのが、中国大陸にある国家であったのは事実。2010年に中国が日本を抜いてGDP世界2位になるまでの、日本が経済的にも軍事的にも優位に立っていると見なされた、この100年間の方が歴史的に見て稀有な時代。
・熊本藩の藩校時習館の漢学教育はたいへん優れており、とりわけ、刑法に関係する中国の唐・明・清の律などについては、長年にわたって研究が蓄積されていた。熊本藩の刑法(「御刑法草書」)は、明治になって新しい刑法(1870年=M3「新律綱領」、1873年=M6「改訂律例」)を制定するときも参考にされている。1868年=M1、明治新政府は、藩主・細川護久を刑法事務科総督に任じている。その後、フランスからボアソナードが招聘されてフランス刑法をモデルとする刑法が制定される。
・農民出身の儒者・木下業広(1860-1867年)の門下生を輩出した熊本藩は、幕末の徳川幕府側(佐幕派)の立場を選択したため、維新後の薩長土肥主流の藩閥政府では傍流。実務官僚として自らの能力を示さざるをえなかったため、法制や司法関係に進んだ人が多い。外交交渉でも重要な役割を果たした。
・木下業広の次男・木下広次(1851-1910年)は、ボアソナードにフランス法を学び、後に京都帝国大学の初代総長となっている。木下の三男・木下哲三郎もフランス法を学び、ロシア皇太子を負傷させた大津事件に大審院判事として判決にかかわった。木下の弟・木下助之は初代の熊本県議会長で、助之の孫が『夕鶴』で知られる劇作家の木下順二。
・木下業広の門下生でも卓抜だった「木門四天王」の一人、井上毅は大日本帝国憲法や教育勅語の起草にあたり、文部大臣も務めた。井上の後妻は、木下の長女・鶴子であるので、広次や哲三郎は義弟となる。
・熊本藩の儒者・岡松甕谷(1820-1895年)に漢学を学んだ中江兆民は、ルソーの『社会契約論』を漢訳し、中国で刊行された(『民約訳解』、『共和原理 民約論』)。
・岡松甕谷の三男・岡松参太郎は日本における民法学創始者の一人。台湾や満洲における旧慣調査などで重要な役割を果たした。岡松の四男・匡四郎(1876-1959年)は井上毅の養嗣子となり、鉄道大臣や技術院総裁を務めた。
・「木門四天王」の一人、竹添進一郎(1842-1917年)は、勝海舟らの推挙で特命全権大使・森有礼の随員として1875年、中国に渡り、3万5千キロに及ぶ苦難の中国旅行記を漢文と漢詩でまとめた。近代日本の中国研究の嚆矢とされる。竹添が公使として朝鮮に駐在していた1884年に甲申政変が起きた。なお、竹添の次女・須磨子は木下広次の媒酌によって、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎と結婚している。
・竹添と一緒に旅行した津田静一(1852-1909年)は、18歳のときに米イエール大学に留学歴があり、外交官を辞めてからは民間主導での台湾開拓を進めた。台湾総督府をバックに台湾への植民政策の基盤を作ろうとしたのが、「木門四天王」の一人、古荘嘉門(1840-1915年)。熊本で結成された国権主義者の団体、紫溟会の趣旨を起草したのが井上毅、同会の政治部として同心学舎改めできた濟々黌の副黌長が古荘、同黌の幹事に佐々友房と津田が就いた。
・同心学舎や濟々黌で学んだ「肥後漢学の三羽烏」は、狩野直喜(1868-1947年)・古城貞吉(1866-1949年)・宇野哲人(1875-1974年)。狩野は京都大学で敦煌学を含む独自の中国学の学統の形成に貢献した。一高時代に、秋山真之や夏目漱石、正岡子規と同学だった。古城は古代から清朝時代までの中国文学を通史として史上初めて著した。中国人自身の手による中国文学史が公刊されるのは古城の著作から7年後だった。古城が中国で購入した漢籍蔵書は細川家の永青文庫などに架蔵されている。宇野は今上天皇の幼名の名付け親として知られる中国哲学者。ドイツ哲学も重ねて研究した。
・清朝統治時代から異民族統治に対する台湾における抵抗は間断なくあり、「三年小反、五年大乱」という言葉があった。日本による台湾領有から大規模な蜂起である西来庵事件(1915年=T4)までの日本軍の死傷者は1万1277人(戦死者527人、戦病死者1万236人、負傷者514人)に上る。これは日清戦争における戦病死者3258人を大きく上回る。現在の台湾には漢族のほか、16の先住民族がいる。清朝時代は約300万人の漢民族以外は、「蕃族」と呼ばれ、そのうちの農業に従事して清朝の統治に服する約10万人を「熟蕃」、山地で狩猟採取を生業として清朝に服さない約3万5千人を「生蕃」と称していた。日本統治になってから、抗日蜂起する「生蕃」を軍事力で「討伐」し「帰順」させる「理蕃事業」によって多くが殺害された。確定はできないが、死者数は約2万9千人に及ぶと言われる。
・第四代台湾総督の児玉源太郎は、武装蜂起を武力で討伐・鎮圧するコストを抑えるために、生活秩序の平穏化を図ることによって統治の安定を図ろうとし、その目的のために当時42歳の後藤新平(1857-1929年)を民政局長に抜擢した。後藤も異民族統治の要諦として、それぞれの社会に固有の文化と制度を尊重すべきと考え、24歳で民法典の解釈書を執筆した、当時京都帝国大学教授の岡松参太郎(1871-1921年)を台湾の土地と住民に関する法・生活慣習の調査の責任者に任じた。岡松はイギリス法専攻ではあったが、父・岡松甕谷の訓練を受けて幼いころから漢籍に親しみ、漢文読解にも秀でた能力をもっていた。臨時台湾旧慣調査会の調査委員には狩野直喜も加わっている。他に起草委員として岡松が民法学の将来を託した石坂音四郎(現嘉島町出身)も尽力した。立法委員として警察機関から大津麟平(現大津町出身、1865-1939年)が参加した。この調査会より『台湾私法』、『清国行政法』などが刊行され、日本における中国法制史研究、文化人類学的調査の先駆けとなった。
・日露戦争後に児玉源太郎が台湾総督を退任し、後藤新平が満鉄総裁となって台湾を離れたことによって、旧慣調査に基づく立法の方針が揺らぐこととなったが、その体験は満洲へ持ち込まれた。台湾については、日本の法制を台湾にも施行する内地法延長主義が原敬内閣の成立(1918年=T7)とともに取られた。結果的に岡松らの法案起草は陽の目を見なかった。朝鮮統治についても、「旧慣立法」を重視する石坂の提言は無視された。

特定非常災害の適用へ

令和2年7月豪雨についても特定非常災害の適用となることが本日閣議決定されたというニュースが流れていました。根拠法律は平成8年施行ですが、法適用は昨年の台風19号に続いて8件めになるそうです。たとえば、民法では相続の承認または放棄は相続開始を知ってから3カ月以内ですが、政令により適用される区域や延長される期間が決まります。平成28年熊本地震のおりは熊本県全域が適用となり、相続については発災日の同年4月14日から2年間となっていました。続報を注視したいと思います。

外交成果についての評価

引き続き放送大学テキストの『日本政治外交史』を読んでいます。私が大学時代に履修した同名の科目の時代区分としては、明治・大正・昭和戦前期まででした。幕末に不平等条約を結んで国際社会にデビューした日本が不平等条約撤廃にどう動いたか、やがて第一次世界大戦後は国際連盟常任理事国5か国に仲間入りし、「一等国」に成り上がり、道を間違えていくさまが描かれるわけです。そういうわけで戦後の外交史については、あまり取り扱われていませんでしたので、本書においてそれを振り返るのは半分は同時代に生きている実感も加わりつつ新鮮でした。以下に主だった出来事を内閣ごとに示しますが、現在の安倍内閣を含めて名前を示していない内閣については、逆にいえば歴史に残る成果があまりないといえます。2015年の戦後70年の安倍談話は、村山談話を踏襲したといいながら将来世代の謝罪の否定を盛り込んだことにより、対アジア的には日本への不信を呼び込む結果になったことが否めません。この間の日本の国際社会における存在感は経済面が主であり、米国の顔色をうかがいながらの外交というか、相手国からも米国の手下という見方をされながらの外交という側面がありました。
第3次吉田茂内閣(1949.2~1952.10)対日平和条約・日米安保条約、日華平和条約
第3次鳩山一郎内閣(1955.11~1956.12)日ソ共同宣言、日本が国際連合に加盟
第2次岸信介内閣(1958.6~1960.7)日米新安保条約
第3次池田勇人内閣(1963.12~1964.11)OECDに加盟
第1次佐藤栄作内閣(1964.11~1967.2)日韓基本条約
第2次佐藤栄作内閣(1967.2~1970.1)沖縄返還合意
第3次佐藤栄作内閣(1970.1~1972.7)沖縄返還
第1次田中角栄内閣(1972.7~1972.12)日中国交正常化
福田赳夫内閣(1976.12~1978.12)日中平和友好条約
村山富市内閣(1994.6~1996.1)戦後50年の村山談話
小渕恵三内閣(1998.7~2000.4)日韓共同宣言
第1次小泉純一郎内閣(2001.4~2003.11)日朝共同宣言

読み間違い外交の犠牲

放送大学テキストの『日本政治外交史』を読んでいます。歴代首相の政治能力について冷静な分析がなされています。天皇や軍部、国内世論との関係も興味深いところですが、情報を読み間違えたあるいは無視したときの外交ほど、国民に多大な犠牲をもたらす失敗はなく、この政治能力を備えているかどうかは、歴史的評価として重要と感じました。首相の能力次第でやらなくて済んだ戦争、払わずに済んだ犠牲、信頼を壊さずに済んだ国際関係、いくつものターニングポイントがあり、本来はそこから学ばなければならないことを、知らないままでいたり目をそらしたりと、結局バカを見るのは国民だということがよく理解できます。
一つメモを付けておきますが、近年の歴史研究では、日本が参戦した先の戦争のことを「アジア・太平洋戦争」ということが多いようです。

避難受入体制の改善について

本日午前中は、地元民生委員の定例会議でした。自然と令和2年7月豪雨に際しての避難のあり方についての意見交換が盛り上がりました。新型コロナの影響で市が開設する避難所が従来の福祉センターからだだっ広い市民体育館になってから、避難者の利用が減りました。一つは体育館は床張りなので、気軽に横になれないようです。それと、利用者が少なすぎるがために寂しく心細く感じられるようです。そのため、せっかく避難所へ行ってみても、その雰囲気に萎えて戻る人がいるとのことでした。体育館を避難所として開設するならするで、間仕切りや畳、段ボールベッド、椅子を入れたりするなど、落ち着ける環境の用意がほしいと思います。どうも行政の意向として避難所利用よりも親族知人などの安全な場所に位置する個人住宅への避難を推奨しているきらいが感じられます。ただ、そうした個人住宅への行き先をもたない要支援者もいるので、一時的に受け入れ可能な介護施設やホテル旅館へのつなぎを行政がとってくれるような仕組みができると有益だと思います。

自筆証書遺言書保管第1号で体験したこと

本日から申請が始まった自筆証書遺言書保管制度をさっそく利用し、地元保管所の保管番号第1号となりました。この申請は、法定相続情報証明制度と異なり、本人出頭主義がとられて代理申請は行えません。また当日いきなり申請窓口を訪ねても受け付けてはもらえず、ネットや電話で申請日時を事前予約する必要があります。初日ということでもあり、申請書の審査に1時間ほどかかりました。
今回実際に申請を行ってみて戸惑ったのは、申請書の入力(記入)についてです。申請書の項目の字面だけを追って入力すると、不要な部分まで埋めてしまう恐れがあります。なんだか特別定額給付金の受給申請で誤って「希望しない」にチェックを入れてしまいかねない様式を思い浮かべてしまいます。まず遺言者本人の記入欄で「遺言者が所有する不動産の所有地を管轄する遺言書保管所に保管の申請をする」のチェック欄と不動産の所在地記入欄があります。おそらくほとんどの遺言者は自身の住所地・本籍地と所有不動産所在地の法務局管轄が同一だと思いますので、先のチェック欄・記入欄は埋めてしまう恐れが多いと思います。住所地の管轄法務局に申請するのであれば、この欄は埋めなくてよいということが記入上の注意事項の別資料を読み込まないと理解できません。
次に、受遺者等欄というのも曲者です。一般に相続人は遺言により財産を受け取りますし、「等」とあるので、相続人の氏名・住所をすべて記入してしまいますが、これも記入上の注意事項をよく読むと、書かなくていいことになっています。この欄に書かなくてはならないのは、遺贈を受ける長男の嫁などです。相続を受ける配偶者や子らの氏名や住所を書く欄ではありません。
それでは、申請書において相続人の氏名や住所を記入する欄はどこかというと、「推定相続人を通知対象者に指定する場合」の欄になってきます。改めて認識したことですが、死亡時に遺言書が法務局に保管されていることが通知される相続人は1名だけです。全員ではありません。
遺言執行者を複数指定したとしても遺言者死亡時の保管通知対象となるのは1名だけです。
そのため、通知対象者である推定相続人や遺言執行者の住所が保管後に変更された場合は、その都度、遺言者あるいは成年後見人が変更を届け出る必要があります。もっとも、法務局では通知対象者に遺言者から保管証コピーを渡しておくように勧められました。
建物名欄のマス数が長ったらしいマンションだと収まらない短さでしたが、これは番地欄も使って埋めておけば何とか法務局で処理してくれるようでした。
最後に遺言書の様式についての注意点です。用紙はA4サイズとなります。天地左右それぞれに最低必要な余白の長さが定められています。財産目録は、ワープロソフトで出力したものでも構いませんが、すべてのページそれぞれに「署名」+「押印」+「通し番号/全ページ数」だけは自書が必要となります。

 

『アジアの思想史脈』3年後の再読メモ

山室信一著『アジアの思想史脈』を最初に読んだのは、2017年のことでした。明治期のグランドデザイナーとして活躍した熊本出身の法制官僚、井上毅の歩みについての記憶がそのときは大きかったのですが、そして3年後の昨日再読してさらに得るものが多いことを認識しました。後段で興味深いエピソードをメモとしてまとめみます。今日的な課題として香港情勢を国際社会はどう捉えて発言対応すべきなのか、ひとつの視座を本書から学べた気がします。
アジア初の共和国制を勝ち取った中国の辛亥革命(1911年)の思想的な大きな柱は、革命家・孫文(1866-1925年、号は中山)であり、彼を支援した日本人の一人として宮崎滔天(1871-1922年)が重要な働きをしたことは、歴史が教えてくれるところです。現在の中国共産党政権においても辛亥革命は革命前史と位置付けていています。一方、当時の日本は欧米列強に追随する近代化の途にあり、台湾(1895年領有)や韓国(1910年併合)の植民地経営に乗り出し、天皇を頂点とする立憲君主制のなかで、社会においても家庭においても、対アジアにおいても、自由と平等が実現できている社会ではありませんでした。滔天が思い描いた革命は中国に限らずその先の世界を対象としたものでしたが、日本が少なくとも自由と平等に基づくすべての人々の平和的生存権の保障を宣言するには現在の日本国憲法の成立を待たねばなりませんでした。その日本国憲法には国際社会での果たすべき使命も盛り込まれていると読めます。
つまり香港人が侵害を受けている平和的生存権の保障について住む地域を問わず現在に生きるすべての人々がわがことと捉えて考える必要があるということです。
・肥後熊本藩出身の幕末の思想家・横井小楠の主張。日本こそが「世界の世話やき」にならなければならない。「米国と協議して、もって戦争の害を除くべきなり」。
・長兄の宮崎八郎(1877年西南戦争で戦死)が心底から希求した「自由」そして「平等」。あらゆる権力や権威からの「自由」を追求したのが宮崎滔天であるとすれば、「平等」を追求したのが、滔天が「一兄」とよんだ宮崎民蔵となる。滔天を中国革命と結びつけるうえで最も重要な役割を果たしたのは「二兄」の宮崎弥蔵(1896年29歳で病死)である。
・宮崎滔天の妻は前田案山子の三女のツチ。二女のツナ、つまりツチの姉は、夏目漱石の『草枕』に登場するヒロインの「那美さん」のモデルといわれる。漱石は舞台となった那古井温泉の前田家別荘に滞在歴がある。
・前田案山子は、第一回衆議院議員となった人物。金峰山の麓の小天村(現・玉名市天水町)の名士で自由民権運動でも活躍した。当時の前田家は、熊本城下まで12kmの道を他人の土地を一歩も踏まずに行くことができたといわれるほどの資産家だった。滔天が中国革命に入れ込んだために、ツチを通じて相当の財産が分与された。
・滔天とツチの長男、宮崎龍介は、筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁いでいた柳原白蓮の駆け落ち相手として知られる(白蓮事件)。子どものころから子どもなら怪しまれないだろうと、革命軍用の砲弾を大八車やコートに隠して運ばされていた。
・1902年に刊行された宮崎滔天の『三十三年の夢』のなかから孫文の思想にかかわるところが漢訳され中国で出版され、中国革命に重要な影響を与えた。
・辛亥革命の特質:二千年来の王朝専制支配の崩壊。東アジアにおいて初めて共和制を国制に掲げる国家が現れた(共和制が実現したか否かは別)。異民族である満州族の支配からの解放。多数民族の漢族が支配的地位を回復した民族革命としての成功。
・多民族国家として中国を統合していくためには、民族主義は足かせに転化した。中国に在住する人々を包括する民族概念として「中華民族」という範疇が造出されることになったが、「中華民族」は国民統合のためのスローガンとは成り得ても民族概念としては実態のないものであった。
・1917年、湖南師範学校の学生だった毛沢東が、訪中していた宮崎滔天に講演依頼の書簡を出した。
・「平和的生存権」は、国連の「世界人権宣言」(1948年)で取り上げられる前に、日本国憲法(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)の「前文」が世界で最初に規定。「平和に生きる」とは何か:「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」「全世界の国民(原文:all peoples)が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を確認する」。
・中国共産党は中華人民共和国憲法前文(以下に日本語訳引用)で革命前史として辛亥革命を位置付けている。「中国は、世界でも最も古い歴史を持つ国家の一つである。中国の諸民族人民は、輝かしい文化を共同で作り上げており、また、栄えある革命の伝統を持っている。1840年以降、封建的な中国は、次第に半植民地・半封建的な国家に変化した。中国人民は、国家の独立、民族の解放並びに民主と自由のために、戦友の屍を乗り越えて突き進む勇敢な闘いを続けてきた。20世紀に入って、中国には天地を覆すような偉大な歴史的変革が起こった。1911年、孫中山先生の指導する辛亥革命は、封建帝制を廃止し、中華民国を創立した。しかし、帝国主義と封建主義に反対するという中国人民の歴史的任務は、まだ達成されなかった。」。
・1990年代頃までの中国の高校の歴史教科書には「日本九州熊本県人」として宮崎滔天のことが記載されていた。

支援の仕方は考えたい

このたびの大雨被害に伴い支援を行いたいと考えておられる人も多いと思います。ですが、個人が物資を場当たり的に被災自治体へ送るのは考えものです。現地で必要な物資は日々変わりますし、輸送も仕分けも混乱している現地に混乱をもたらすだけです。物資よりは公益団体へ支援金を託す方が有益だと思えます。今は組織的な統制のとれた支援活動が優先されるべきときです。現地への交通アクセスも非常に劣悪な状態ですので、そのために渋滞を生じさせる愚を犯すべきではありません。

熊本県農業会議からのお知らせの紹介

当社が農業経営を一時期行っていた関係で今も熊本県農業会議からさまざまな農業事業者向けの案内があります。一方で、私の場合は、地元で農地利用最適化推進委員も務めていますので、その職務からもそうした案内は行う立場にあります。今回は以下の二つの新型コロナウイルス感染症対策関係予算についてのお知らせです。
「国の令和2年度補正予算により「農業労働力確保緊急支援事業」と「経営継続補助金」がそれぞれ措置され、6月29日から事業申請の受付が開始されましたので、お知らせします。申請を希望される場合はそれぞれ以下の機関を通じてお問い合わせください。」
1.「農業労働力確保緊急支援事業」
(1)九州農政局経営・事業支援部経営支援課 TEL096-300-6375
(2)熊本県相談窓口:(一社)熊本県農業会議 TEL096-384-3333
2.「経営継続補助金」
(1)九州農政局経営・事業支援部担い手育成課 TEL096-300-6319
(2)「支援機関」
・(申請者を管轄する)JA
・(一社)熊本県農業法人協会 TEL096-381-4888
・くまもと農業経営相談所(熊本県農業会議内) TEL096-384-3333