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外交成果についての評価

引き続き放送大学テキストの『日本政治外交史』を読んでいます。私が大学時代に履修した同名の科目の時代区分としては、明治・大正・昭和戦前期まででした。幕末に不平等条約を結んで国際社会にデビューした日本が不平等条約撤廃にどう動いたか、やがて第一次世界大戦後は国際連盟常任理事国5か国に仲間入りし、「一等国」に成り上がり、道を間違えていくさまが描かれるわけです。そういうわけで戦後の外交史については、あまり取り扱われていませんでしたので、本書においてそれを振り返るのは半分は同時代に生きている実感も加わりつつ新鮮でした。以下に主だった出来事を内閣ごとに示しますが、現在の安倍内閣を含めて名前を示していない内閣については、逆にいえば歴史に残る成果があまりないといえます。2015年の戦後70年の安倍談話は、村山談話を踏襲したといいながら将来世代の謝罪の否定を盛り込んだことにより、対アジア的には日本への不信を呼び込む結果になったことが否めません。この間の日本の国際社会における存在感は経済面が主であり、米国の顔色をうかがいながらの外交というか、相手国からも米国の手下という見方をされながらの外交という側面がありました。
第3次吉田茂内閣(1949.2~1952.10)対日平和条約・日米安保条約、日華平和条約
第3次鳩山一郎内閣(1955.11~1956.12)日ソ共同宣言、日本が国際連合に加盟
第2次岸信介内閣(1958.6~1960.7)日米新安保条約
第3次池田勇人内閣(1963.12~1964.11)OECDに加盟
第1次佐藤栄作内閣(1964.11~1967.2)日韓基本条約
第2次佐藤栄作内閣(1967.2~1970.1)沖縄返還合意
第3次佐藤栄作内閣(1970.1~1972.7)沖縄返還
第1次田中角栄内閣(1972.7~1972.12)日中国交正常化
福田赳夫内閣(1976.12~1978.12)日中平和友好条約
村山富市内閣(1994.6~1996.1)戦後50年の村山談話
小渕恵三内閣(1998.7~2000.4)日韓共同宣言
第1次小泉純一郎内閣(2001.4~2003.11)日朝共同宣言

読み間違い外交の犠牲

放送大学テキストの『日本政治外交史』を読んでいます。歴代首相の政治能力について冷静な分析がなされています。天皇や軍部、国内世論との関係も興味深いところですが、情報を読み間違えたあるいは無視したときの外交ほど、国民に多大な犠牲をもたらす失敗はなく、この政治能力を備えているかどうかは、歴史的評価として重要と感じました。首相の能力次第でやらなくて済んだ戦争、払わずに済んだ犠牲、信頼を壊さずに済んだ国際関係、いくつものターニングポイントがあり、本来はそこから学ばなければならないことを、知らないままでいたり目をそらしたりと、結局バカを見るのは国民だということがよく理解できます。
一つメモを付けておきますが、近年の歴史研究では、日本が参戦した先の戦争のことを「アジア・太平洋戦争」ということが多いようです。

避難受入体制の改善について

本日午前中は、地元民生委員の定例会議でした。自然と令和2年7月豪雨に際しての避難のあり方についての意見交換が盛り上がりました。新型コロナの影響で市が開設する避難所が従来の福祉センターからだだっ広い市民体育館になってから、避難者の利用が減りました。一つは体育館は床張りなので、気軽に横になれないようです。それと、利用者が少なすぎるがために寂しく心細く感じられるようです。そのため、せっかく避難所へ行ってみても、その雰囲気に萎えて戻る人がいるとのことでした。体育館を避難所として開設するならするで、間仕切りや畳、段ボールベッド、椅子を入れたりするなど、落ち着ける環境の用意がほしいと思います。どうも行政の意向として避難所利用よりも親族知人などの安全な場所に位置する個人住宅への避難を推奨しているきらいが感じられます。ただ、そうした個人住宅への行き先をもたない要支援者もいるので、一時的に受け入れ可能な介護施設やホテル旅館へのつなぎを行政がとってくれるような仕組みができると有益だと思います。

自筆証書遺言書保管第1号で体験したこと

本日から申請が始まった自筆証書遺言書保管制度をさっそく利用し、地元保管所の保管番号第1号となりました。この申請は、法定相続情報証明制度と異なり、本人出頭主義がとられて代理申請は行えません。また当日いきなり申請窓口を訪ねても受け付けてはもらえず、ネットや電話で申請日時を事前予約する必要があります。初日ということでもあり、申請書の審査に1時間ほどかかりました。
今回実際に申請を行ってみて戸惑ったのは、申請書の入力(記入)についてです。申請書の項目の字面だけを追って入力すると、不要な部分まで埋めてしまう恐れがあります。なんだか特別定額給付金の受給申請で誤って「希望しない」にチェックを入れてしまいかねない様式を思い浮かべてしまいます。まず遺言者本人の記入欄で「遺言者が所有する不動産の所有地を管轄する遺言書保管所に保管の申請をする」のチェック欄と不動産の所在地記入欄があります。おそらくほとんどの遺言者は自身の住所地・本籍地と所有不動産所在地の法務局管轄が同一だと思いますので、先のチェック欄・記入欄は埋めてしまう恐れが多いと思います。住所地の管轄法務局に申請するのであれば、この欄は埋めなくてよいということが記入上の注意事項の別資料を読み込まないと理解できません。
次に、受遺者等欄というのも曲者です。一般に相続人は遺言により財産を受け取りますし、「等」とあるので、相続人の氏名・住所をすべて記入してしまいますが、これも記入上の注意事項をよく読むと、書かなくていいことになっています。この欄に書かなくてはならないのは、遺贈を受ける長男の嫁などです。相続を受ける配偶者や子らの氏名や住所を書く欄ではありません。
それでは、申請書において相続人の氏名や住所を記入する欄はどこかというと、「推定相続人を通知対象者に指定する場合」の欄になってきます。改めて認識したことですが、死亡時に遺言書が法務局に保管されていることが通知される相続人は1名だけです。全員ではありません。
遺言執行者を複数指定したとしても遺言者死亡時の保管通知対象となるのは1名だけです。
そのため、通知対象者である推定相続人や遺言執行者の住所が保管後に変更された場合は、その都度、遺言者あるいは成年後見人が変更を届け出る必要があります。もっとも、法務局では通知対象者に遺言者から保管証コピーを渡しておくように勧められました。
建物名欄のマス数が長ったらしいマンションだと収まらない短さでしたが、これは番地欄も使って埋めておけば何とか法務局で処理してくれるようでした。
最後に遺言書の様式についての注意点です。用紙はA4サイズとなります。天地左右それぞれに最低必要な余白の長さが定められています。財産目録は、ワープロソフトで出力したものでも構いませんが、すべてのページそれぞれに「署名」+「押印」+「通し番号/全ページ数」だけは自書が必要となります。

 

『アジアの思想史脈』3年後の再読メモ

山室信一著『アジアの思想史脈』を最初に読んだのは、2017年のことでした。明治期のグランドデザイナーとして活躍した熊本出身の法制官僚、井上毅の歩みについての記憶がそのときは大きかったのですが、そして3年後の昨日再読してさらに得るものが多いことを認識しました。後段で興味深いエピソードをメモとしてまとめみます。今日的な課題として香港情勢を国際社会はどう捉えて発言対応すべきなのか、ひとつの視座を本書から学べた気がします。
アジア初の共和国制を勝ち取った中国の辛亥革命(1911年)の思想的な大きな柱は、革命家・孫文(1866-1925年、号は中山)であり、彼を支援した日本人の一人として宮崎滔天(1871-1922年)が重要な働きをしたことは、歴史が教えてくれるところです。現在の中国共産党政権においても辛亥革命は革命前史と位置付けていています。一方、当時の日本は欧米列強に追随する近代化の途にあり、台湾(1895年領有)や韓国(1910年併合)の植民地経営に乗り出し、天皇を頂点とする立憲君主制のなかで、社会においても家庭においても、対アジアにおいても、自由と平等が実現できている社会ではありませんでした。滔天が思い描いた革命は中国に限らずその先の世界を対象としたものでしたが、日本が少なくとも自由と平等に基づくすべての人々の平和的生存権の保障を宣言するには現在の日本国憲法の成立を待たねばなりませんでした。その日本国憲法には国際社会での果たすべき使命も盛り込まれていると読めます。
つまり香港人が侵害を受けている平和的生存権の保障について住む地域を問わず現在に生きるすべての人々がわがことと捉えて考える必要があるということです。
・肥後熊本藩出身の幕末の思想家・横井小楠の主張。日本こそが「世界の世話やき」にならなければならない。「米国と協議して、もって戦争の害を除くべきなり」。
・長兄の宮崎八郎(1877年西南戦争で戦死)が心底から希求した「自由」そして「平等」。あらゆる権力や権威からの「自由」を追求したのが宮崎滔天であるとすれば、「平等」を追求したのが、滔天が「一兄」とよんだ宮崎民蔵となる。滔天を中国革命と結びつけるうえで最も重要な役割を果たしたのは「二兄」の宮崎弥蔵(1896年29歳で病死)である。
・宮崎滔天の妻は前田案山子の三女のツチ。二女のツナ、つまりツチの姉は、夏目漱石の『草枕』に登場するヒロインの「那美さん」のモデルといわれる。漱石は舞台となった那古井温泉の前田家別荘に滞在歴がある。
・前田案山子は、第一回衆議院議員となった人物。金峰山の麓の小天村(現・玉名市天水町)の名士で自由民権運動でも活躍した。当時の前田家は、熊本城下まで12kmの道を他人の土地を一歩も踏まずに行くことができたといわれるほどの資産家だった。滔天が中国革命に入れ込んだために、ツチを通じて相当の財産が分与された。
・滔天とツチの長男、宮崎龍介は、筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁いでいた柳原白蓮の駆け落ち相手として知られる(白蓮事件)。子どものころから子どもなら怪しまれないだろうと、革命軍用の砲弾を大八車やコートに隠して運ばされていた。
・1902年に刊行された宮崎滔天の『三十三年の夢』のなかから孫文の思想にかかわるところが漢訳され中国で出版され、中国革命に重要な影響を与えた。
・辛亥革命の特質:二千年来の王朝専制支配の崩壊。東アジアにおいて初めて共和制を国制に掲げる国家が現れた(共和制が実現したか否かは別)。異民族である満州族の支配からの解放。多数民族の漢族が支配的地位を回復した民族革命としての成功。
・多民族国家として中国を統合していくためには、民族主義は足かせに転化した。中国に在住する人々を包括する民族概念として「中華民族」という範疇が造出されることになったが、「中華民族」は国民統合のためのスローガンとは成り得ても民族概念としては実態のないものであった。
・1917年、湖南師範学校の学生だった毛沢東が、訪中していた宮崎滔天に講演依頼の書簡を出した。
・「平和的生存権」は、国連の「世界人権宣言」(1948年)で取り上げられる前に、日本国憲法(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)の「前文」が世界で最初に規定。「平和に生きる」とは何か:「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」「全世界の国民(原文:all peoples)が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を確認する」。
・中国共産党は中華人民共和国憲法前文(以下に日本語訳引用)で革命前史として辛亥革命を位置付けている。「中国は、世界でも最も古い歴史を持つ国家の一つである。中国の諸民族人民は、輝かしい文化を共同で作り上げており、また、栄えある革命の伝統を持っている。1840年以降、封建的な中国は、次第に半植民地・半封建的な国家に変化した。中国人民は、国家の独立、民族の解放並びに民主と自由のために、戦友の屍を乗り越えて突き進む勇敢な闘いを続けてきた。20世紀に入って、中国には天地を覆すような偉大な歴史的変革が起こった。1911年、孫中山先生の指導する辛亥革命は、封建帝制を廃止し、中華民国を創立した。しかし、帝国主義と封建主義に反対するという中国人民の歴史的任務は、まだ達成されなかった。」。
・1990年代頃までの中国の高校の歴史教科書には「日本九州熊本県人」として宮崎滔天のことが記載されていた。

支援の仕方は考えたい

このたびの大雨被害に伴い支援を行いたいと考えておられる人も多いと思います。ですが、個人が物資を場当たり的に被災自治体へ送るのは考えものです。現地で必要な物資は日々変わりますし、輸送も仕分けも混乱している現地に混乱をもたらすだけです。物資よりは公益団体へ支援金を託す方が有益だと思えます。今は組織的な統制のとれた支援活動が優先されるべきときです。現地への交通アクセスも非常に劣悪な状態ですので、そのために渋滞を生じさせる愚を犯すべきではありません。

熊本県農業会議からのお知らせの紹介

当社が農業経営を一時期行っていた関係で今も熊本県農業会議からさまざまな農業事業者向けの案内があります。一方で、私の場合は、地元で農地利用最適化推進委員も務めていますので、その職務からもそうした案内は行う立場にあります。今回は以下の二つの新型コロナウイルス感染症対策関係予算についてのお知らせです。
「国の令和2年度補正予算により「農業労働力確保緊急支援事業」と「経営継続補助金」がそれぞれ措置され、6月29日から事業申請の受付が開始されましたので、お知らせします。申請を希望される場合はそれぞれ以下の機関を通じてお問い合わせください。」
1.「農業労働力確保緊急支援事業」
(1)九州農政局経営・事業支援部経営支援課 TEL096-300-6375
(2)熊本県相談窓口:(一社)熊本県農業会議 TEL096-384-3333
2.「経営継続補助金」
(1)九州農政局経営・事業支援部担い手育成課 TEL096-300-6319
(2)「支援機関」
・(申請者を管轄する)JA
・(一社)熊本県農業法人協会 TEL096-381-4888
・くまもと農業経営相談所(熊本県農業会議内) TEL096-384-3333

リカバリー力も問われる

このたびの球磨川流域の豪雨被害により自治体のホームページへのアクセス障害が出ています。臨時のWEBサイトを立ち上げたりSNSを利用したりと、いろんな努力がなされています。

熊本県八代市 2020 豪雨災害情報サイト
熊本県人吉市公式Twitter
熊本県球磨村Facebook公式ページ

ネットインフラの影響

けさは何度も上空を球磨地方と行き来していると思われるヘリコプターを見ました。球磨川の氾濫による影響で地元市のホームページが表示されなくなっています。サーバーが浸水被害が甚大な人吉市内にあるため、そことの接続ができないようです。地元市に水害はなくてもそうした面での影響があることを改めて感じました。

学び直しの機会

昨夜のBS放送大学の日本政治外交史では、戦後日本の領土問題を扱っていてついつい見入ってしまいました。もちろん大学時代に同名の講座は履修しましたが、時代区分としてはせいぜい第二次世界大戦前期までだったろうと思います。なんせ担当教授自身が学徒出陣で神宮競技場を行進された世代でしたから、戦後はまさに現代もいいところで歴史的資料に基づいた研究の対象ではなかったといえます。そのこともあって21世紀となって20年も経った今だからこそ見えてくる戦後の歴史があるのだろうと思います。まだ学んでいない時代に向き合いたいと思います。

香港を見る台湾の変化

けさの朝日新聞国際面の「香港 崩れた50年不変 下」では、香港を台湾がどう見てきたかをまとめていてたいへん興味深い記事でした。最初の驚きは、私自身が1997年の中国本土の現地で感じた香港返還の祝福ムードや高揚感が、1989年の天安門事件を見てきたはずの当時の台湾にもあったという記述でした。「香港は156年の植民地統治を終え、再び中華民族の胸に抱かれた」という書き出しの報告書を対中政策を担う台湾当局が出していたそうです。台湾ドルの硬貨を手にすると中華民国105年とかの年号表記があります。これは清朝を倒した辛亥革命を出発点とするいわば改元に由来します。台湾での建国の父は蒋介石というよりも孫文です。政治体制は異なっても共に中国人という意識が感じられました。ですが、けさの記事の結論は、香港の人々は自らを中国人ではなく香港人と見なす意識が浸透したのと同様に、台湾の人々も自らを中国人ではなく台湾人と見なす意識が高まったことに尽きるのかなと思いました。少し飛躍しますが、台湾のまなざしは、日本における沖縄に近しいものを感じました。そして、その台湾に近い立場が日本にあるとすれば、何なのかいろいろ考えがめぐります。

香港問題をどう考えるか

香港がイギリスから中国に返還された1997年に中国本土を訪れた経験があります。街中の書店だったか空港内の売店だったか記憶があいまいですが、店頭に香港の基本法の書籍が多数平積みされていた覚えがあります。清朝時代末期からイギリスの植民地となっていた土地がとにかく中華民族の手に戻ってきたことに対する喜びというか、祝福の気持ち、あるいはかつての宗主国との交渉から成果を得た自信のような雰囲気が本土の人々にあったのではないかと思います。しかし、50年間の一国二制度を約束した共同声明がありながら、23年後の今日にそれを形骸化する行動に中国政府は出ています。中国政府の立場からは、香港という土地はもともと中華民族のものだから、どのような統治を行うか、他国政府から言われるのは内政干渉と反論してくるのは当然です。それを踏まえると、たとえば日本が香港を占領していた第二次世界大戦が終わってから当時の戦勝国の中華民国が国連加盟国であった期間までに、なぜイギリスが今の台湾へ返還しておかなかったのかという考えもあるかもしれません。そうなると、イギリスの責任を問うのかという話にもなりますし、その後の力関係からいっても台湾が統治するのはそれはそれで無理だったかもしれません。結局のところ、香港に暮らす人々の人権の問題としてしか国際的な支援はできないのではないかと思います。思想信条の違いを理由に身体を拘束するとか議員立候補が禁じられる人権侵害の観点から諫めるしかありません。香港市民はけっして中国政府の所有物ではなく一人ひとり自立した人間として見なければならないと考えます。どの国家にあっても自国の領土内の人間は政府の思い通りに統治してよいということにはならないというのが世界の共通理解としてなくてはなりません。

議事録に残すことの重み

本日から法務局における自筆証書遺言書保管制度の申請予約の受付が始まりました。マスコットは有袋動物のカンガルーです。さっそく朝から予約サイトから申し込みを行い、保管初日に申請をすることとしました。申請書の受遺者等の住所欄の建物名の記入マス数(字数)が少ないので、このあたりの処理はどうなるのか、実際に申請を行ってみてわかったことは、本投稿で触れていきたいと思います。
さて、昨日は、任期3年の農業委員会の最後の総会でした。私が務めている農地利用最適化推進委員の次期の承認も議題に上がり、承認された結果、私は次期も連続して委員に就くことが決まりました。その前に行われた農地法許可議案の審議では、2件の申請について事務局へ質問しました。一つは、個人住宅の転用許可申請では適正規模の制限があり、550㎡までしか許可されませんが、560㎡の転用面積の申請だったので、それは可能なのかという内容でした。事務局の回答は申請地には道路後退部分もあり、実際に敷地として使える面積は550㎡を下回るので許可可能という説明でした。もう一つは、単独所有の農地と持分2分の1共有の農地(転用面積も2分の1)の転用申請が1つの申請と出せるか、共有地の転用は他の共有者の同意も必要なので、別個の申請として出すべきではないか、あるいは共有地は分筆してから申請すべきではと質問しました。これについての事務局の回答は、共有地については前月に持分2分の1の移転と2分の1の転用許可を出しているので、4条許可の扱いとなり、4条許可と5条許可との2本の申請を5条許可の議案として1本で出せることを県にも確認したということでした。いずれも議案の字面だけを見ると、議案として上ることに疑義があるケースがあります。特に質問もなく、納得できる回答がなければ、議事録上で悪い先例を残すことになりますが、納得できる理由の説明が伴っておれば、公正な審議が行われたことになり、委員と事務局を護ることにもなります。任期の最後の方になってようやく委員らしい仕事ができたなと思いました。

進化論の誤用についての覚え書き

最近とある政党がSNSに掲載したイラストでダーウィンの進化論を誤用した表現があったことが話題になりました。同様のことは私も見聞した経験があり、昨年3月22日の本投稿でも指摘していますが、地元の小学校長が卒業式でこの誤用論を取り入れた式辞を卒業生へ贈っていました。その場に出席した私は、この無知な学校長に閉口させられました。いずれ卒業生へ対して当時の式辞について誤りを認めて撤回し、謝罪してもらう必要があると思っていますが、往々にして自称教育者にはこうした器量がないので、困難かなとは思っています。
そこで、この誤用問題のまとめを記して永く記憶に留めたいと思います。まず、1859年、ダーウィンが発表した「種の起源」の要点は、環境に適応したものが生き残る「自然選択」で生物が進化するという理論の提唱でした。ところが、1963年、米ルイジアナ州立大学の経営学の教授が、「種の起源によると、最も強いものが生き残るのでもなく、最も賢いものが生き残るのでもない。生き残ることが出来るのは変化できるものである」という誤った解釈を論文に書いたとされています。この誤用の始まりを指摘している、英ケンブリッジ大などの研究チームは、「変化するものではなく、たまたまある環境に適応したものが生き残る」「変化しない方が有利な時や、生き残りに不利な変化もある」「個人や組織の進歩や改善と、生物が世代を重ねる中で起きる進化は全く別の現象」が正しい解釈と示しています。進化論は障害者を抹殺したナチズムの優生思想においても悪用されてきた歴史もあり、人権教育を推進しなければならない学校現場における誤用はなおさらあってはならないことです。

14世紀の危機と海洋帝国の出現

岡本隆司著『世界史序説』から抜き書きしてみました。ウイグルやイラン系の商人と結びついて国際経済の繁栄を誇った元時代のモンゴル政権は、14世紀末にペストの世界的流行で瓦解していきます。世界史の中心はアジア・オリエントからヨーロッパに移り、海洋帝国として英米が隆盛していきます。そういう歴史の流れを見たところで、現代の中国が感染症の危機と戦いながら海洋進出に執心なのは、どこにその論理の源泉を見たらよいのか、いろいろ考えてしまいます。

モンゴル遊牧政権とソグド系ウイグル人商人・イラン系ムスリム商人との経済タイアップ、14世紀の危機、「ポスト・モンゴル」の時代
P.143「モンゴルのユーラシア統合のなかで、かつてないほど、広汎な資料が残った」「岡田英弘はこうした情況を、「世界史の誕生」と呼んだ」
P.144「草原では馬があれば、容易敏速に遠距離を踏破することができた。その意味で、遊牧政権の空間的な広さは、後世の大英帝国のような、いわゆる海洋国家のそれと比すべきものといってもよい」
P.145「そもそも軍事力では、遊牧勢力のほうが圧倒的な優位に立つので、権力を握るのは当然である。それでも人口に勝り、経済力を有するのは、定住社会のほうだった」「遊牧民と定住民はその生態系・慣習の違いから、往々にして互いの有無を補い合わなくてはならない」「平時ほとんどの場合は、交易・交渉を通じて関係をとり結んだ」
P.146「その商業とは具体的にいえばキャラバン「隊商」貿易である」「つとにソグド商人の独壇場であり、国際経済はかれらの牛耳るところだった」「まもなくその本拠だった中央アジアが、トルコ化・イスラーム化すると、遊牧・定住をまたにかけた経済界で活躍したのは、東方のソグド系ウイグル商人と西方のイラン系ムスリム商人となる」
P.147「チンギスによるモンゴル初期の膨張は、純軍事的な征服事業でありながら、それだけの意味にとどまらなかった。いわば国際的な財閥と結びつき、それをとりこんだからである。モンゴルはこれを契機として、いっそうの拡大を果たすことになった」「まずは隣接する西ウイグル国が、モンゴルに荷担した。杉山正明によれば、以後「国際頭脳集団」ウイグル人が「モンゴルと一体化し」、「モンゴルを誘導し、一面では乗っ取ったとさえいえる」ほど、政権運営の中枢を握ることにもなる」「ついで(中略)治下にあったイラン系ムスリムの多くがモンゴルになびいた」「ソグド系ウイグル商人・イスラム系ムスリム商人はこうして、たがいに自らの通商圏を東西に拡大させ、いっそう大きな利潤を得ることができた」
P.152「ペルシア語が当時のユーラシアの国際語であった」
P.153「徴収も、政権に近い大口の企業に、一括して請け負わせる方法が普通」「クビライ政権は農業からの徴税ということは、ほぼ考えなかった」
P.159-160「政治軍事は史料に残りやすく、したがって歴史としては、目につきやすい」「経済文化は直截の記述として史料に残りにくいものの、長期的に推移する情況として俯瞰すれば、その影響はむしろ明らかである」「時に14世紀後半にさしかかっている」「この時ふたたび寒冷化に転じたのである」「それにともなって、天災疫病が世界的な規模で発生、蔓延した。有名なヨーロッパのペスト流行は、その代表例である。いわゆる「14世紀の危機」の到来だった」
P.160「ユーラシアのモンゴル諸政権は、「14世紀の危機」のなか、それぞれ崩壊、瓦解していった。中国では、いわゆる元末明初の大乱が起こっている」「経済もこうしたなか、当然どん底にまで落ち込んだ」「ユーラシア全域の統合は史上、これで永遠に失われた、といっても過言ではない」

イタリア(地中海世界)<スペイン・ポルトガル(大航海時代・インド航路・アメリカ大陸の発見・大西洋三角貿易・アジア貿易)<オランダ(海運力)<イギリス(海洋帝国・海軍国)
P.191-192「ヨーロッパ世界の成立は、(中略)西ローマ帝国を「復興」した800年に、ようやくはじまった。これは世界史の常識だろう」
P.199「そもそも文化というものは、富のあるところにしか存立しえない」
P.211-212「西欧・北欧が優越していたのは、何より豊富な森林資源である。木材は資材と燃料に欠かせない。それは世界の勢力関係すら左右する。たとえば造船である。文明の古い乾燥地域のオリエント・西アジアで、森林は最も早く涸渇した。」
P.221「イギリスとは途方もない後発国にして、小国だった」
P.222「狭小な領地をくまなく巡回して、それぞれに戦争と課税の協力を仰ぐのが、イギリス王権のありようだった。それを制度化するため、君も民も縛る法が出現し、上が下を治め、下が上を制する議会制が胚胎したのである」
P.223「イギリスははじめて国債を発行し、中央銀行を創設した国でもあった」「財政金融のシステムは、そもそも軍事的逼迫からはじまったものである」

歴史学の進展

岡本隆司氏の『東アジアの論理』を読了した機会に同一著者による『世界史序説』(ちくま新書)を2年ぶりに再び読み始めています。私たち世代が中等教育で学んだ世界史は西欧中心の社会発展史に過ぎないということがよく分かります。同書ではオリエントの世界が今日の西欧にもたらした影響、つながりを示しています。世界宗教の成り立ちも復習でき、意外と新しいものに人は影響されているのだなと感じることができます。日頃何を見てものを考えたり、言ったりしてしまっているのか、顧みざるをえません。こうしたスケールの大きい史実を前にすべきだと思いました。

歴史を知ることと人治・法治の理

岡本隆司著『東アジアの論理』(中公新書、820円+税、2020年)を2~3時間程度で読み終えました。本書は近年「週刊東洋経済新報」で著者が持っていたコラムが元になっています。そのため、軽いタッチで読みやすかったので、半日とかからなかったのだと思います。南北朝鮮の対日観、たとえば日本に対する蔑称の情報など、それが日本に伝わらないことも含めて初めて知った情報もありましたが、改めて歴史を知るということは、どういうことなのかを考えさせられました。私たちはある歴史家の考えを学んで歴史を知った気分になる恐れがないかという思いです。たとえが的外れかもしれませんが、同じ建築資材を使って建物を造っても当然のことですが、建築家次第でまったく異なる建物ができあがります。同様に同じ食材を使っても、料理人次第でまったく異なる献立・味付けの料理ができあがります。パーツ実物は一つでもその構成やら組み立てによりずいぶんと変わったものになります。偏見ついでに言えば、私が20代のころに仕事で接したさまざまな職業の人たちの中で、圧倒的に建築家と料理人には変わり者が多かった印象があります。客のことよりも自分の思い、信念が強すぎる人物がそれらの仕事に就いている傾向が強いと感じました。本書に話を戻すと、歴史家の言うことも建築家や料理人と同じく自らの見立てであって、それに接する側はそういうバイアスがかかっていることを十分意識すべきだと考えます。ジャーナリストもそうですが、特に歴史家の場合、それが専門家であればあるほど、特定の地域や時期のことは詳しく知っているけれども、それを外れると非専門家と大差ないため、専門外の事象になると結構いい加減な考えしかもっていないのではと思います。その点、法律や政治の世界はもともと人は信用ならないという考えに立ってシステムを組み立て運用しようとします。つまり、人治ではなく法治という考えです。権力者を法律で縛るという立憲主義も、権力者は信用ならないから生まれてきています。だから、権力者は自らに都合の悪い憲法や法律を軽んじようとするものです。もう一つ権力者について言えることは自らの存立にとって都合の悪い歴史を見ようとしない、語ろうとしない性質があります。それで、しばしばありもしない与太話、つまり神話を教育に持ち込もうとする国家もあります。その国の中では触れられない歴史のタブーについては、かえって他国の歴史家の研究に頼るしかない側面もあります。

自筆証書遺言書保管制度が7月10日から始まります

7月10日から法務局における自筆証書遺言書保管制度が始まります。保管申請は本人出頭主義となっていますので、士業者が代理するわけではありませんが、公正証書遺言書と比べて低料金で活用できる制度なので、遺言書の文案作成のお手伝いの機会はあると思います。私自身の遺言書も保管申請したいと思います。遺言書を作成するメリットしては推定相続人に対して遺言者の保有する財産の内容が明らかになるので、もれなく相続できる点だと考えます。遺産分割協議によって相続するやり方はもちろんありますが、そもそも被相続人の財産がどれほどあるのかないのか、ヘタするとマイナス資産はないのかさえわかりません。受遺者のことを考えたら遺言書の作成と保管はずいぶん親切な感謝される行動ではないでしょうか。

オンライン研修も工夫次第

オンライン研修が所属団体でも開始されています。本日午後も全国版のセミナーを受講予定です。ただ、プログラムや事前の資料を見ると、90分超の講演が2コマあり、少し重たいなという印象です。これがビデオオンデマンドで休み休み視聴できるのならまだしも、ライブ配信では受講者の集中力が続かない構成です。それぞれ半分の時間で言いたいことは2つ3つ程度にして、興味のある方は資料をご覧くださいの方が効果は高いのではないかと思います。講師が中央省庁のお偉いさんということで主催者が体裁重視になるのもわかりますが、運用方法には工夫が必要です。地元単位会でも研修会のVOD配信を行いますが、企画段階からそのあたりを意識したいと思います。

それぞれの論理

次に読む本は『東アジアの論理』です。確かに互いの歴史を知らないと、その主張が正当であっても相手が受け止めてくれず反発だけを招き、事態を深刻化させることがあります。そこは国民が賢くなるしかありません。政府によっては自国民に歴史の真実に目を向けさせないこともあります。そして歴史が示すように政府の論理というものは不変ではありません。ところで、東アジア情勢にも大きな影響をもつ現在の米国大統領の思考というのは、いかに自国を事業でもうけさせるしか関心がないのだなと思わされます。自国の軍隊も海外にあっては傭兵産業、役に立たない武器・防衛装備品も高額輸出商品ということでしか考えていないようです。そんな人物がいつまでもその地位にいるわけではないので、うまくやり過ごす知恵がないのが私たちの政府に欠けているように感じます。